ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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663話

 

 

忍田家で家族団らんの時間を過ごしたツグミと迅は午後9時になると涙ぐむ忍田をひとり残して家を出た。

予約しておいたタクシーに乗り込んだふたりはまず三門市役所へと向かう。

そして時間外窓口で婚姻届けを提出。

書類一式には不備がないことを事前にチェックしてもらっているので、ふたりの結婚記念日はツグミの誕生日の11月24日となるはずだ。

 

続いて旧弓手町駅近くでタクシーを降り、街灯の少ない夜の元住宅地の中を寮まで歩いて行くことにした。

この辺りは第一次近界民(ネイバー)侵攻による被害は少なかったものの警戒区域に隣接しているために住民はすべて別の場所に移住していて、そのおかげで寮にはゼノンたちだけでなく一時的ではあるがアフトクラトルをはじめとしたさまざまな国の近界民(ネイバー)が居住しても三門市民に知られることもなくトラブルも起きなかった。

かつては敵として現れたアフトクラトルの人間であっても今では同盟国の隣人(ネイバー)であるから正当な手続きを踏めば三門市を訪問しても咎められない。

それはツグミたちの働きがあってこそで、彼女たちがボーダーを去った後にもこの関係は継続されるのは間違いないだろう。

 

「それにしても真史叔父さんがあんなに泣くなんて想像もしていなかったので驚きました。悠一さんもびっくりしていましたよね?」

 

迅と手を繋いで歩くツグミがポツリと言う。

 

「まあな。だけど愛娘から『長い間お世話になりました』なんて改まって挨拶をされたらどんな父親だって泣くんじゃないのか? 特に忍田さんはおまえに対して甘々な父親だったから。まあ事情が事情だからさ、おまえに対する愛情が普通の父親とは違っていて、それで責任感というか…おまえの本当の両親の分も大切にしてやらなければいけないという義務感もあったんじゃないかって思う。その責任を果たせたということもあって感慨無量だったということもあっただろう。そんな複雑な気持ちが高ぶってしまい、人目も憚らず大泣きしてしまったんだと俺は思う」

 

迅の言葉には真実味があった。

ツグミの両親が死んで忍田が彼女を引き取った時から迅はこの父娘の姿を見ている。

はじめのうちは子育てなどしたことのない忍田がツグミに対してどう接すればいいのかわからず、まるで腫れ物に触れるかのようでぎこちない関係がしばらく続いていた。

ツグミも両親を同時に喪ってショックを受けており、それもあって新しい父親に心を開くこともできずにいたから、いくら愛情を示されたところでそれに応えることなどできるはずもない。

しかし忍田の責任感による愛情であってもツグミの心を解きほぐしたのは事実で、彼女は忍田を「世界で一番大好きな人」として全幅の信頼と愛情を寄せるようになった。

もっともそのせいで彼女がボーダーに入隊すると決めたのだから忍田の気持ちは複雑なものであったようで、彼女が死なないようにと厳しい剣の稽古を続けたのだった。

忍田の弟子が彼女と太刀川しかいないのは、その厳しい稽古に耐えられたのがこのふたりだけであり、それ以外の旧ボーダーの隊員は最上の弟子であった。

その最上も故人となってしまっていて、弟子たちもそれぞれトリガー使いではない人生を歩み出していた。

 

(三門市民のほとんどがボーダーの存在を知らなかった頃、俺たちは孤独な戦いを続けていた。近界(ネイバーフッド)とか近界民(ネイバー)の存在を知られてはならないということで誰にも言わずにいた。そんな特別感もあって子供だった俺は宇宙からの侵略者と戦う戦隊もののレンジャーみたいな気分で誇らしげだった。辛いと感じずにいられたのは忍田さんや城戸さんたち大人が守ってくれていたからで、そういう意味で最上さんや林藤さんたちも俺たちの父親だった。俺の本当の親父は俺が物心つかない頃に死んだし、お袋だって小さい頃に逝ってしまったから顔もはっきりと思い出せないくらいだ。そんな俺にも優しくて強い父親()()がいて、そのおかげで俺はツグミと結婚することができた。たぶん忍田さんの涙には立派に成長して一人前になった俺が嫁さんを娶ることができるほどの大人になったことを喜んでくれているのもあったと思う。なにしろあの城戸さんですら俺たちが昼間報告へ行った時に涙ぐんでいたもんな。旧ボーダーが崩壊してしまったことで、残った大人たちの中でもあの人が一番苦労していたし、辛い思いをしていたはずだ。これで少しでも親孝行になったのならいいんだが…)

 

迅はそんなことを考えながら星空を見上げた。

街灯がないから夜空の星が良く見え、オリオン座のベテルギウスやおおいぬ座のシリウスがふたりを祝福するように輝いている。

 

(自分たちが幸せだと周りのあらゆるものが祝福してくれているように思えてくる。でも世界のどこかには親しい者との死別とか飢えや病に苦しむ人もいて、それを思うと暢気に喜んでばかりはいられない。だからツグミはせめて自分の手の届く範囲の人たちが幸せであれと願って戦うんだ。こいつは俺が未来視(サイドエフェクト)で辛い思いをしないようにと近界民(ネイバー)と戦わなくても済む世界を創ろうとした。それはまだ途上だが俺はもうトロッコ問題で苦しむことはなくなった。こいつの行動の原動力は自分を中心とした親しい者たちの穏やかで平和な日常が欲しいという単純なもの。そんなささやかな願いだというのにそれが一番難しいことを知っていて、誰かにその願いを叶えてもらおうとするのではなく自身の手で掴み取ろうとする。俺がそんなツグミに何をしてやれるのだろうかと考えると、ただそばに寄り添ってこうして肩を抱いてやることくらいしかないんだ)

 

迅はツグミの肩を抱いて身体を密着させるとそのまま歩く。

誰も見ていないからと大胆なことをするなと思いながらも嬉しいツグミ。

そして歩きながら会話を続ける。

 

「こうしてふたりでこの街を散歩するのもあとわずか。エウクラートンから帰って来る頃にはこの辺りの景色も一変してしまっているでしょうね…」

 

「ああ。短くても10年は戻って来られないんだから、その間に三門市は大きく変わっているにちがいない」

 

「街が変わっていく様子を見ることができないのは残念ですけど、近界民(ネイバー)の影に怯えることなく人々が平和で安心して暮らせるようになれば、わたしたちが戻って来た時の楽しみが増えますね。…というよりもそういう楽しみがひとつでも多くあるんだと思わないとエウクラートンで頑張れない気がするんです」

 

いつもと違って弱気なツグミの言葉に迅は違和感を覚えた。

 

「おまえらしくないことを言うんだな」

 

「だって…わたしは父がエウクラートンの皇太子の息子だというだけで、他はすべてこの街に住む人たちと同じなんですよ。生まれた時からずっとこの街で暮らし、この街の人たちに囲まれて生きてきた。それなのに突然わたしにはエウクラートンの女王になれる資質があって、現在では唯一の後継者候補だと言われたんですよ。そう言われたら引き受けるという一択しかなくて承諾しましたが、わたしにとってそれは自分自身の自由を捨てて顔も見たことのないエウクラートンの民のために生きるということ。そしてわたしが決めたことにあなたを巻き込んでしまうこと、真史叔父さんたちを哀しませてしまうことが正しいのか今になって迷うようになってしまいました」

 

「……」

 

「今さら嫌だと言うのでもなく、後悔しているのでもありません。それにエウクラートンの民を救えるのがわたししかいないというのだから全力を尽くしたいという気持ちも変わってはいません。でも今になってこんなことを考えるようになったのは、自分が今最高に幸せだからなんじゃないかと思うんです。今の幸せを捨ててまで他人のために生きることが正しいのか? 一番大切な人の自由を奪うことになるというのにわたしのワガママを通そうすることは善なのか? …自分の幸せが一番大事だけど周りの人が不幸であったら嫌だからという単純な理由であなたを振り回している。それができるのはあなたがわたしのことを愛してくれているという確信があって、それに甘えてしまっているから。今まではやるべきことがたくさんあって余計なことを考えている余裕がなかったのだけど、そのやるべきことをほぼやり終えてしまったことでこんな迷いが生じてしまっただと思います。贅沢な悩みですよね。でもそれが今のわたしの嘘偽りのない気持ちです。こうしてあなたに身を寄せて安心感で満たされているから、あなたに軽蔑されないという自信があるからこんな無様な姿が見せられる。それをズルいことだとわかっていて、このタイミングで言い出すなんて…わたしってダメダメですね」

 

らしくないツグミに対して迅はきっぱりと言った。

 

「そうだ。今のおまえは俺の愛した女じゃない」

 

「……」

 

「そんな自分を卑下するおまえの姿は見たくなかったな。これでわかった。おまえは今後酒を飲むな」

 

「え?」

 

「さっき飲んだワインはたしかに美味かった。飲みやすくてアルコールが初めてのおまえもかなり飲んでいたよな。悪酔いしてるぞ、ツグミ。飲ませた俺や忍田さんも悪いが、おまえも自分のアルコールの耐性がわからないのに何杯も飲んだからいけないんだ。さっさと寮に戻って寝て酔いを醒ませ。そうすればそんなバカなことも言わなくなる」

 

「わたしは別に酔っては ──」

 

「いいや、酔っている」

 

迅はそう断言するとツグミの身体をひょいと抱き上げた。

想定外の事態に慌てるツグミ。

 

「ゆ、悠一さん、何をするんですか!?」

 

「酔っ払いをこのままにしておくと何をしでかすかわからない。だからこうして寮まで連行する。どうせ誰も見ていないんだし、戸籍上も夫婦になったんだからこれくらいしたって問題はないだろ?」

 

「……」

 

「それに俺はおまえの行動に振り回されることはあってもそれが嫌ではなくむしろ嬉しい。お姫様のおまえに対して俺はその騎士(ナイト)でありたいと思っていたが、近いうちにおまえは女王で俺は王配と呼ばれる立場になる。おとぎ話みたいな現実の話じゃないか。俺はこっちの世界を離れることは嫌だとは思っていないし、おまえの決断に巻き込まれただなんて思ったことは一度もないぞ」

 

「でも…」

 

「俺もおまえと同じく自分の幸せのために戦っている。俺の幸せとはおまえのそばにいてふたりで笑い合っていられる関係がずっと続くことだ。それにはまずおまえの考えていることや行動を正しく理解することで、よく考えた結果おまえのやることに対して俺は全面的に賛成だと判断した。だからおまえがエウクラートンの女王になるというのなら俺は王配として全力を尽くすだけ。おまえは俺に辛い未来を視なくて済むようにと戦ってくれた。それなら今度は俺がおまえのことを全力で守る。いや、守りたいんだ。おまえの笑顔が俺の幸せの原動力になる。俺のこの腕の中にすっぽりと収まってしまうほど小さなおまえのことだから強い向かい風が吹けば飛ばされてしまうかもしれない。でも俺がこうして抱いていれば吹き飛ばされることは絶対にない。そして万が一飛ばされるのならその時は一緒だ。だから安心して俺にすべてを委ねろ」

 

「…はい」

 

ツグミはそう答えてから迅の首に自分の腕を回した。

 

「それでいいんだ。…今、俺は最高に幸せだ。この幸せを絶対に失いたくないから絶対にこの手を離さない。おまえが離せと言ったとしても却下だからな。覚えておけよ」

 

「そんなことは言いません。わたしだって悠一さんから手を離したりはしませんから」

 

「それなら結構。このまま帰るぞ」

 

迅はツグミをお姫様抱っこしながら夜道を歩いて行くのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

寮に戻ったツグミと迅。

そこには誰もいない。

ゼノンとリヌスはテオに招かれて彼とその家族の住む家に行っている。

正式に夫婦になったツグミと迅に配慮してふたりだけにしてやろうということになったらしい。

20歳の誕生日に入籍をしそれまでは性交渉なしという忍田との約束はおしまいとなり、今夜からは名実ともに夫婦生活を送ることができるわけだ。

 

ふたりはツグミの部屋へ行き、ダイニングルームのテーブルの上にイチゴがこれでもかと言うほど載ったホールケーキを置いた。

このケーキは玉狛支部の厨房でゆりが焼いてクリームを塗ったスポンジの上に陽太郎とリヌスがイチゴで飾り付けをしたもの。

パーティーをしないものだからせめてプレゼントだけはするのだと言い張るふたりにゆりが協力したもので、昼前に林藤が持って来てくれたのだった。

子供が飾り付けをしたものだからお世辞にも綺麗にできたとは言えないのだが、ツグミにとってはこれ以上素晴らしいケーキは見たことがない。

そのケーキに20本のろうそくを立てて迅が火をつける。

そしてふたりだけのささやかなバースデーパーティーが始まった。

 

ろうそくの火を吹き消したツグミの顔には幸せそうな笑みが浮かんでいた。

今の彼女はこれ以上望むものはないというほど満たされていて、自分が幸せであるという確かな手ごたえを感じている。

手に入れるまでは必死になって追い求めているから気が付かないのだが、一度手に入れてしまったものは大きければ大きいほど失うことを恐れてしまうものだ。

しかしツグミにとって手に入れたものはとても大きいが、もう失うことを恐れてはいない。

だから彼女の微笑みには「安心」が根底にあって、心の底から嬉しいと思えるのであった。

 

「ツグミ、遅くなったが誕生日おめでとう。これが俺からのプレゼントだ」

 

迅はそう言ってツグミに白い無地の封筒を手渡した。

ツグミはそれに心当たりがあり、フッと笑いながら黙って封筒を開く。

封筒の中には名刺サイズのカードが3枚入っていて、そのいずれにも「ツグミのお願いを何でも叶える券」と大きく手書きで書かれており、その下には「有効期限:死がふたりを分かつまで」と結婚式での宣誓の言葉のようなものが書かれている。

それはツグミが迅の20歳の誕生日にプレゼントしたものを完コピしたもので、その時の約束を覚えていてくれたことにツグミは身が震えた。

 

「ありがとうございます、悠一さん。これ以上のプレゼントは他にありません。さっそく使わせていただきます」

 

「へ?」

 

ツグミが使うと言うので迅は少し驚いた。

どんな願いでも3つまでということだから使いどころに悩んでしまうもので、迅はずっと使わずにお守りのように肌身離さず持ち歩いていたのだ。

それをツグミはすぐに使うと言うので驚くのは無理もない。

ツグミは券を1枚裏返して、そこの油性ペンで「迅悠一は迅ツグミよりも先に死んではいけない」と書いて迅に手渡した。

 

「絶対にこのお願いを叶えてもらいますからね」

 

迅はツグミの意図を理解し、自分の券 ──「ジンさんのお願いを何でも叶える券」── を胸ポケットから取り出して、その1枚の裏側に「迅ツグミは迅悠一よりも先に死んではいけない」と書いてツグミに手渡した。

これでそれぞれひとつ目のお願いを相手に叶えてもらう()()を結んだことになる。

もし相手よりも先に死んでしまえばそれは契約不履行ということになり、それを避けるためにはどちらも相手よりも1分でも1秒でも長く生きなければならない。

もちろんそれは同時に死ぬのでなければ必ずどちらかが約束を違えることになるため現実的ではないが、この契約がある限りふたりとも簡単には死ねない。

だからふたりでいつまでも元気で長生きしようという「約束」を取り交わしただけの()()()なのだ。

傍から見れば子供っぽいことをしているふたりだが、やはり大人であるからこれから先はアダルトな時間を過ごすことになる。

 

 

 

 

シャワーを浴びたツグミはバスタオルで身体を包んだ状態でバスルームから出て来た。

寝室では先にシャワーを浴びた迅が毛布に包まって横になっており、色っぽい姿のツグミを迎えるように毛布を少しめくって彼女を招く。

ツグミは恥ずかしいのか部屋の照明を落とし、ステンドグラスのランプシェードが気に入って購入した枕元のランプの明かりだけにしてからベッドに横たわった。

 

「お待たせしました」

 

ツグミの口から零れたのは迅に謝罪する言葉だった。

ふたりが結婚をしたいと忍田に報告した時、20歳の誕生日までは忍田ツグミでいたいからそれまで性交渉を我慢してくれと迅に頼んでいたから自然とそんな言葉が出てしまったのだ。

 

「うん、だいぶ待ったからもうこれ以上は無理だな」

 

迅はそう言ってツグミの上に覆いかぶさると彼女の唇の上に自分の唇を落とした。

キスは何度もしているが正式に夫婦となって初めてのキスであり、()()()()してもいいのだと許されたことでいつも以上に甘美でとろけそうだ。

ツグミも迅を()()()()()準備は整っており、彼を誘うように腕を首の後ろに回す。

お互いに初体験ではあるが知識はあるし、なによりも人類が長い間繰り返してきた行為であるから本能の赴くままに行動すればそれで十分である。

愛しい人の存在を五感で感じながら明け方近くまでずっと愛し合っていたせいで、ツグミは毎朝の稽古をサボるだけでなく朝寝坊をしてしまった。

迅も愛妻の寝顔を見ていたくて起こさずにいたものだから、朝8時近くまで爆睡していたツグミに起こさなかったことを散々叱られた。

そして前夜の余韻が残っていた迅はツグミを押し倒し、朝日の差し込む明るい部屋の中でもう一度彼女を抱きしめたのだった。

 

 

 

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