ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
修の昇進祝賀パーティーは玉狛支部で開かれることになっていて、参加者は彼を含めて20人くらいを予定している。
これだけの大人数だと準備が大変で、企画した遊真と千佳と麟児の3人だけでは手が回らない。
そこで料理はすべてデリバリーで済ませることにしたのだがそれでは味気ないということで、料理が得意なツグミにケーキを作ってくれるよう頼んでいる。
ツグミは快諾し、生クリームベースにイチゴや色とりどりのフルーツを使ってデコレートした30センチ×30センチのスクエアケーキを作った。
これまでの修への感謝の気持ちを込めて丁寧に仕上げたものだから、プロのパティシエが作ったかのような見事なケーキとなっている。
忍田家の台所では朝からケーキのスポンジを焼く良い匂いが漂っていて、夕方に迅が迎えに来る頃には箱に入ってラッピングまでされていたというから手際の良さはさすがである。
パーティーの開始は午後6時ということで、5時30分くらいになると参加者がぽつぽつと玉狛支部へとやって来た。
かつて
3月でボーダーを辞めたレイジや京介も懐かしい古巣に戻って来たことで表情もどことなく安らいでいるように見えた。
レイジは消防士となりレスキュー隊員を目指していて、京介は警察官となって三門スマートシティ内の交番で勤務しているという。
ふたりとも元ボーダー隊員であるということでトリオン体を使用した任務遂行を行うためのサンプルとなっているそうだ。
レイジの所属する三門東消防署では彼が一番の後輩ではあるのだが、その鍛えられた肉体とトリオン体での活動の経験者だということで重宝がられているらしく、すでに数十回の家屋火災や交通事故現場への出場があったがその半数以上で彼の活躍が評価されている。
この分なら来年度にはトリオン体を使用する隊員の人数を増やし、三門市内の消防署には必ずひとり以上のトリオン体で活動できる隊員を配置することになるだろうとのこと。
なにしろ生身のままの消防隊員は重装備で延焼中の建物に入って行く必要があるが、トリオン体なら換装するだけで突入可能。
身体能力も生身のままよりもはるかに向上するので重機が必要な場合でも、トリオン体ならひとりで重いものを取り除いたり要救助者を容易に運び出すこともできる。
京介の場合はトリオン体で勤務をしているのでいざという時には容疑者確保の際に容疑者がナイフや拳銃等の凶器を使用していても確保するのは簡単だ。
自転車に乗ってひったくりをする男を走って追いかけて逮捕したり、巡回の際に偶然居合わせた交通事故現場で車の中に取り残された運転手を救助したりとこちらも活躍をしていて、マスコミにも時々登場している。
もっともこちらは彼が長身のイケメンで年齢の割にかなり落ち着いた物腰をしているという点で警察のイメージアップのために利用されているからなのだが。
理由はともかくボーダーのOBやOGが新たな職場で活躍することは良いことで、彼らの評価がアップすることは今後のボーダーの役割にも大きく影響するだろう。
かつて敵性
それはトリオンやトリガーという
そこで彼女は置き土産としていくつかの提案書を城戸に提出していた。
その内容は将来に向けてトリオンやトリガーの技術をどのように広めていくかというもので、経験者である彼女の視点で練られた長期的な計画であるから城戸たち幹部も高く買っている。
警察や消防、さらに自衛隊などで活躍できる人材の育成という点では小学生の頃からトリオン器官を鍛えるという意味で学校の部活動もしくは地元の少年スポーツ団の活動と同じように「スポーツ」として採用するというのだ。
通常はボーダーの本部基地で訓練を行い、当然交代で巡回任務も行う。
この任務に対しての報酬はないが、ここで経験値を積んでトリオン器官を鍛えることができれば将来就職に有利だということで希望者はいるはずである。
そうなるとボーダーに入隊したいという理由で三門市に転入してくる子供とその家族や若者が増えることも推測でき、「トリガー特区」三門市の
さらに三門市だけでなく近隣の市町村に対してのフォローも忘れてはいない。
三門市だけが繫栄していくとなると周囲の市町村が「なぜ三門市だけが…」とやっかむ者が現れるのは言うに及ばない。
そうならないうちに三門市長が「みなさんにも協力していただきたい」と各首長に呼びかけて、「三門市だけでなくみんなで発展していきましょう」と誘えばトラブルも生じないだろうとツグミは楽観視している。
人間とは自分以外の誰かが得をすることを嫌う傾向にある。
たとえ自分に悪影響はなくても他者が得をしていて自分がその恩恵を得られないと損をした気分になるらしく気に入らないのだ。
しかし自分が得をする立場に加えてもらえばそれが法令や倫理に反するものであってもかまわないという小悪党が多いもので、三門市が独り勝ちをしなければ周辺の市町村の首長も文句は言わないだろうと考えている。
◆
5時50分を過ぎると参加者が全員揃ったので、定時にパーティーは始まった。
玉狛支部や総合外交政策局の仲間たちの拍手を受け、陽太郎に手を引かれて部屋に入って来た修の顔は照れくささと嬉しさで何とも言えない表情でいる。
しかし昔の彼と違って自分がこれまでに出した「結果」が自信の根底にあるものだから、その堂々とした態度は4年前とは別人のものだ。
そして奥の窓側に置いた木箱の上に乗り、会場内の全員の顔が見える高さから修は挨拶をした。
「みなさん、今日はぼくのために集まっていただきありがとうございます。総合外交政策局長などという肩書を与えられたことはぼくには分不相応だと思われますが、それはぼくに対する期待値であり、それに応えることこそが今のぼくにとって『そうするべき』ことだとぼくは考えています。これからもみなさんのお力をお借りすることになりますが、ご教示いただけたら幸いです」
そして深々と頭を下げると、万雷の拍手を贈られた。
続いて花束の贈呈となり、遊真と千佳がそれぞれ花束を修に渡す。
「オサム、おめでとう。おれやチカのリーダーとして導いてくれて感謝している。
遊真の飾り気のない正直な気持ちが語られた。
たしかに彼が転校してきて修のクラスメイトになったことからすべては動き出した。
もし修の性格が他人に干渉しないものであったら、遊真が三バカに絡まれた時に無関心でいたことだろう。
それが自らトラブルに飛び込んで行って怪我までする始末で、ここで修が「面倒見の鬼」の本領を発揮しなければ遊真との縁はそこで切れてしまっていたかもしれない。
そうなると直後に起きた第三中学にモールモッドが現れた事件によって生徒に犠牲者が出ていただろうし、その後のイルガー出現も適切な対処ができずに多くの市民が犠牲になっていたはずである。
さらにアフトクラトルによる大規模侵攻では第一次
だから遊真が三門市にとっての恩人であり、その恩人の遊真が修を恩人だと考えているのなら修は三門市を救った張本人とも言えるのだ。
さらに千佳が修に花束を渡して言う。
「修くん、おめでとう。わたしはこれまでずっと修くんに助けてもらっていたから一番近くであなたの行動を見てきた自信があります。修くんが頑張ったから、そしてそれをみんなが認めてくれているから局長になれたんだし、こうしてお祝いにも来てくれたんだと思います。これからも一緒にボーダーで働いていきたいです」
すべては修が「千佳を守りたい」という気持ちでボーダーに入隊しようと決心したことがスタートで、千佳にとっては彼は常に頼もしい存在であった。
麟児が帰って来てもその気持ちは変わらず、修が総合外交政策局の仕事を続けると知ると自分も続けると決めたのは修への感謝や詫びの意味もあっただろうが、それよりも自分が他人から必要とされていて評価をされるという「喜び」を知ったからに違いない。
以前はトリオン兵の存在に怯えて他人から距離を置き、誰も信用できないという孤独の中にいた千佳。
そんな孤独な世界の中で修の存在は大きなものであったようで、麟児が行方不明になってからその存在が増していった。
彼女にとって修は単なる友人関係ではなく、また当然恋愛関係でもなく、絶対的な信頼を根源とした仲間であると同時に自分もそうありたいという憧れの存在なのかもしれない。
修は花束を受け取りふたりの言葉を聞いたことで感無量となり涙が零れてきてしまった。
このまま修を主役として中心に据えておくと抑えきれない気持ちが噴き出しそうだということで、ひとまず乾杯をして宴会を始めることになった。
乾杯の音頭は玉狛支部の支部長として林藤が行うのが妥当で、ビールの注がれたグラスを持つとマイクを握った。
「あー、修が総合外交政策局の局長になったってことはそんだけこいつが頑張ったってことだ。俺は別に何かしてやったってことはないし、俺がここで挨拶するってのも何か違うって気がするが…ま、とにかくめでたいってことは事実で、俺はこいつが大勢の人間に認めてもらえたってのがたまらなく嬉しいのは本心だ。今夜は目いっぱいこいつを祝ってやり、こいつのためにパーティーを開くって言い出した遊真たちの気持ちを汲んで楽しんでいってくれ。じゃあ、乾杯!」
「乾杯!」
◆
玉狛支部の倉庫の奥に押し込まれていた事務用の長机を3つ出して食堂に置き、そこにピザや握り寿司、レイジが作って持って来た大量の鶏のから揚げや京介の旧バイト先のスーパーから安く分けてもらったドリンク類が並べられている。
その中央にはツグミの作ったケーキも置かれていて、後で修が切り分けて各人が自由に食べられるようにということになっている。
そして修を取り囲んで楽しげに話しているレイジたちのグループの他に部屋の片隅にはツグミ、迅、そして香澄の3人が集まって談笑していた。
「あの子がこんなに大勢の人たちに囲まれているなんて、ボーダーに入隊したいと言い出した時には想像もできなかったわ」
香澄がしみじみと言う。
「あの子は学校でも特に親しい友達もいなくて、家を訪ねてくれるのは麟児くんか千佳ちゃんくらい。ボーダーなんて言葉もそれまで一度も口にしなかったのに突然『ボーダーに入りたい!』なんて言い出して驚いたわ。そして入隊したところでどんな訓練をしているのか、どんな人たちがいるのかなんてことも一切話してくれないし楽しそうでもなかった。玉狛支部に誘ってもらうまでは何で辞めないで続けているのか不思議に思っていたのよ」
「ボーダーでのことを話せないのはそういうルールだから仕方がなかったんです。それにオサムくんは本部所属のC級だった時にはお世辞にも頑張っていたとは言えない状態でしたから」
ツグミが言うと香澄は続けた。
「でも玉狛支部に異動してからはずいぶん変わったわ。相変わらず話はしてくれなかったけど、先輩たちに囲まれて訓練も捗っているとは教えてくれた。…と言うよりも何も言わなくても表情が明るくなったもの、きっと楽しいのだろうと思っていたから安心してお任せできたわ」
「こちらもそう言っていただけたので大事な息子さんをお預かりすることができました。こんな結果になるとは想像していませでしたが、オサムくんはその強い意思と無茶苦茶な行動力であらゆる困難を乗り越えてきました。それについては尊敬に値します」
「尊敬だなんて…。でもそんなあの子がツグミさんや迅さんのことを尊敬しているし感謝しているとも言っているの。あなたたちのおかげであの子は成長できた。私たち親にはできないことを先輩であるあなたたちが教えて導いてくれたから、今こうして局長なんていう分不相応な肩書をもらったというお祝いをできるんだわ」
「分不相応だなんてとんでもありません。オサムくんの働きはわたしがこの目でしっかりと確認していて、城戸司令たちも彼の出した成果を評価しているんです。わたしも
「でもそれはあなたが正しく指導してくれたからよね? あなた自身も
すると今度は迅が言う。
「大丈夫ですよ。メガネくんはこの4年間で驚くほど成長しました。ボーダーというのは敵性
「そう言ってくれると嬉しいわ。私はツグミさんと迅さんのことを全面的に信頼しているから、ふたりのお墨付きがあるとなれば安心だもの。…でもあなたたちがボーダーを辞めて
「エウクラートンは同盟国の中でも特に親しくしている国で、そこのリベラート殿下に目をかけてもらっていて
ツグミが迅にそう訊くと、迅は自信満々の顔で答えた。
「ああ、もちろんだとも。…香澄さん、ボーダーには大勢の人間がいますが、その中で
「ふたりがそう言うのなら大丈夫ね。ボーダーのことだから私には何もしてあげられないのがもどかしいんだけど、これって親離れの時が来たということなのかもしれない。あの子の場合はそれば普通の子よりも少し早くて特殊な例だったと思って気持ちの整理をしないとダメね。私が子離れできないんじゃあの子が心配してしまうもの」
息子の成長を喜びながらも自分の手から飛び去ってしまう寂しさをしみじみと感じている香澄であった。
そして1時間ほど経った午後7時すぎ、玉狛支部に思いもよらない人物が訪ねて来た。