ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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667話

 

 

「話を本題に戻そう。私がきみに話したいことがあるというのは、きみが総合外交政策局長という立場になったことで知っておくべきことがあるからだ。…いや、業務に支障があるのではなく、今後も近界民(ネイバー)と交渉をしていく上で知っておいた方がいいという方が正しいかもしれない。現にツグミにはボーダー内でもごく限られた人間しか知らないという事実を伝え、彼女は近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)(ことわり)が我々のそれと違うことを理解して局長として働いてくれていた。まあ、彼女にとっては自身の出自にも関係することなので知りたいという気持ちが強かったわけだが、きみには特段関係のないことなので知る必要はない。そこできみに教えるかどうかは私が決めるのではなくきみの意思に任せようと思うのだ。なに、今すぐに答えを聞かせてくれというのではない。きみが知りたいと思ったのであればいつでも話そう。今日はそのことを伝えたかっただけだ。ゆっくりと考えてから答えを出してくれ」

 

城戸の言葉に修は息をのんだ。

自分が局長に就任してこれからという時にこんなことを言われたら迷うのは無理もない。

前任者のツグミが知っていたのであれば自分も知りたいと思うと同時に、城戸の言う「事実」が非常に()()()もので自分がそれを背負うことができるのだろうかという不安が頭を過ぎる。

そして一度知ってしまえば知らなかった頃に引き返すことはできないのだから、よほどの覚悟がなければ知りたいという返事はできない。

 

(霧科先輩は自分が近界民(ネイバー)の血を引いていて、それがエウクラートンの王族であるという立場上知る必要があったのだと思う。でもぼくはただの玄界(ミデン)の人間で、知らなくても任務に差支えがないというのだから無理して知る必要はない。これは局長となったことで知る権利を得たと考えればいい。権利は行使するもしないも自身の判断だ。城戸司令もぼくの意思に任せると言ってくれている)

 

修は城戸に言う。

 

「わかりました。きちんと考えて答えを出します。ちなみにひとつだけ教えてください。その事実というのは霧科先輩の他に誰が知っているんですか?」

 

「彼女以外には私と忍田と林藤の3人だけだ」

 

「そうなると旧ボーダーでも迅さんやレイジさんたちも知らないということですか?」

 

「そうだ」

 

「そんな大事なことなのにぼくが局長になったからというだけで知ってしまってもいいことなんでしょうか?」

 

「大事なことだからこそ今後近界民(ネイバー)と良い関係を築いていくには彼らのことを知っておくべきなのだが、内容がひどく重たいものであるから判断に苦しむのだ。きみなら耐えられるだろうが、耐えられるからといって知るという重い責任を背負わせることは酷だと思う。いつになるかわからないがいずれ私も総司令の座を後進に譲ることになるだろう。その時には総司令という最も重い役職と同時に私の知る秘密を伝えなければならない。その人物にはどちらの責任も負ってもらわなければならないが、きみは選べる立場にある。これまでのように仲間や家族のためだけに仕事をしていくのであれば知らないままの方が良いかもしれない。だが近界民(ネイバー)のためにも働きたいという気持ちがあるのなら知るべきだ。彼らの(ことわり)を知らなければ真の意味で彼らを理解することはできないのだからな」

 

「……」

 

「せっかくのお祝いの場に乗り込んでこんなことを言うなど申し訳ないことをしたと思う。しかしだからこそ今日この場で言うべきではないかと私は考えたのだ。この話はここまでにしておこう。きみも仲間の待っている場所へ帰り、そのありがたさを噛みしめるといい。決して失ってはならないかけがえのない宝だ、失って後悔することのないようにしたまえ。私はここで失礼する」

 

そう言い残して城戸はひとりで修の部屋を出て行った。

修は自分に与えられた「課題」の大きさを思うとすぐにパーティー会場に戻る気にはなれず、ベッドに腰掛けると考え込んでしまう。

 

(城戸司令の言わんとしていることはわかる。これから総合外交政策局の局長としてぼくがやることは残り2ヶ国にいる拉致被害者市民の帰国を成功させ、彼らを家族や友人に再会させること。そしてそれが終わればそこから先は近界民(ネイバー)と交流をしてふたつの世界が共存できるように働きかけることがメインの仕事になる。…城戸司令が話したいというのは近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)(ことわり)…つまり相手の事情を深く知るということ。そうなると場合によっては近界民(ネイバー)に肩入れしてしまうことになり、本来の玄界(ミデン)の人たちの利益を優先しなければならないボーダーの意思と逆に立場になってしまうこともありうる。それなら最初から近界民(ネイバー)の事情なんてものは知らない方がいい。知らなければ彼らの苦しみや哀しみから目を背けていられるんだ。でも…)

 

修は首を横に振った。

 

(霧科先輩なら知った上でどちらの世界の人たちにとってベストな判断をしてそれを実現させようとする。それだけの()があるからだ。今のぼくには先輩みたいな理想的な仕事はできそうにない。それなら経験を積んで()をつけるまでは玄界(ミデン)の人たちのことだけを考えて働けるようにすべきで、近界民(ネイバー)の事情なんて深く知らないままでいた方がいいだろう。そして知るべき時が来たらその時に教えてもらえばいい。城戸司令がどう思うかわからないけど、これがぼくの意思だというなら尊重してくれるはずだ)

 

そう心を決めた修は部屋を飛び出して城戸を追う。

しかしパーティー会場には姿がなく、外に出ると城戸と唐沢が車に乗り込もうとしているところだ。

 

「城戸司令!」

 

修は橋の上から城戸の名を呼び、そのまま駐車場まで走って行く。

城戸は修の姿に気付き、車に乗らずに外で彼の到着を待った。

 

「城戸司令、ぼくは局長になったとはいえまだ一人前とは言えません。霧科先輩みたいになりたいと思っていますが、まだぼくには先輩の背中に手が届きません。だから今は拉致被害者市民救出計画に専念し、そのためには余計なことを考えたくはないので大事なことであってもまだ知らないでいられるのなら知らないままでいようと決めました。そしてぼくが総合外交政策局長として自他ともに認められるようになった時にはぜひ教えてください。その時にはどんな事実であっても受け止められると思うんです」

 

修の決意を城戸は満足げに受け止めた。

 

「きみがそう決めたのならそうしよう。私もそれが一番だと思う。きみがツグミの背中を追っているのであればまだその時ではないということで、彼女と同じ位置に立った時にこそ知るべきことなのだろう。その日が一日も早く来ることを祈っているよ」

 

城戸がそう言うとそばで見守っていた唐沢は安心したかのように微笑み、運転席に乗り込んだ。

そして城戸が助手席に座ってドアを閉めると車は静かに動き出し、修はその姿が見えなくなるまで直立して見送った。

 

 

◆◆◆

 

 

パーティー会場に戻った修は晴れ晴れとした気持ちで仲間たちの輪に戻った。

するとすぐに小南が近付いて来て訊く。

 

「城戸司令に何か嫌味なことでも言われた?」

 

「え? なんでそんなことを思うんですか?」

 

「だってわざわざこんなお祝いの席に顔を出してあんただけを連れ出したんだから何かあるって思うのは当然じゃないの? それで何があったのか教えなさいよ。場合によってはあたしが文句言ってやるから」

 

小南は城戸が修に対して小言を言いに来たのだと頭から思い込んでいるようだ。

 

「小南先輩、心配はいりませんよ。城戸司令はぼくが局長になったことのお祝いと、局長になったことへの気構えを教えてくれただけです」

 

本当のことを教えるわけにはいかないので、そう言って修は誤魔化した。

しかし小南は怪訝そうな顔のままで言う。

 

「別にあの人のことを庇う必要はないのよ。あの人は修のことを辞めさせようとしたり、遊真の(ブラック)トリガーを取り上げようとした人なんだもの、絶対にあんたのことを快く思っていないはずだもの」

 

「でもだったらぼくを総合外交政策局の局長なんて大事な肩書を与えたりはしないでしょう。霧科先輩のように絶対的な信頼を抱いているとは言えませんが、ぼくのことをちゃんと認めてくれていると思っていいんじゃないですか?」

 

「それはそうだけど…でも本当に納得して局長にしたのかわからないわよ。ツグミがいなくなってこれからはあんたが全責任を負わなきゃならないわけで、何かちょっとでもミスしたらすぐに辞めさせるつもりなのかもしれないわ」

 

「でもぼくのミスでボーダーの活動に支障が出るようなことになれば、そればぼくの責任ですから場合によっては辞めるという形で責任を取らなければならないでしょう。でも辞めて責任を取るなんてことは卑怯だと思います。損失を与えてしまったのならそれ以上の利益を稼いでから辞めるなり続けるなりの判断をします。たぶん霧科先輩ならそうすると思うから」

 

修がそう断言すると、ふたりの様子を眺めていたツグミが近寄って来て声をかけた。

 

「オサムくんの言うとおりだわ。わたしも辞めるってことは逃げると同義だと思う。失敗したら次は成功させればいい。損失を上回る利益を出せば誰も文句は言わないもの。大規模侵攻の直前にオサムくんがC級なのに学校で武器(トリガー)を使って、そのせいでアフト側にC級は緊急脱出(ベイルアウト)ができないと知られてしまった。そして32人のC級隊員が連れ去れた責任を問われたことがあったでしょ? でもオサムくんがアフト遠征前の記者会見で全員連れて帰って来ることを宣言してそれを実現した。それ以来オサムくんのことを責める人はいなくなった。そういうことなのよ。失敗は成功で上書きすればいい。城戸司令だってそれは承知している。この4年間のあなたの成功も失敗もすべてあの人は見ていて、その中であなたが総合外交政策局を率いる器だと判断したんだからもっと自信を持って自分のやるべきことをやりたいようにやればいい。まだ十分とは言えないまでもあなたはその()を手に入れたんだから」

 

「はい、ぼくもそう思います。城戸司令はぼくが一日も早く一人前になるのを祈っていると言ってくれました。ぼくはその期待に応えたい。これから先は今まで以上に困難な道のりになるでしょう。ここまでは霧科先輩が拓いてくれた道を先輩の後から付いて行くだけで良かった。でもこの先はぼく自身で道を切り拓き、地図を作っていかなければなりません。その道が正しいかどうかなんてその先に行ってみなければわかりませんが、とにかく何もない荒野のような大地に道を作りながら一歩ずつ前に進んで行く。それもぼくひとりではなく仲間たちもいるんですからその責任は重大です。城戸司令の言葉にはぼくを激励するようなものはありませんでしたが、それでもぼくを奮い立たせるものになりました」

 

修がツグミの意見に賛同して自分だけが爪弾きになっていると感じた小南はムッとした顔になり無言で立ち去ってしまった。

その様子を相変わらずだと思い苦笑するツグミ。

しかしいくら仲が良くても人の数だけ考え方が違うということを理解していなければダメで、自分と同じでなければ相容れないというのでは子供のワガママでしかない。

 

「オサムくんが城戸司令のことを理解してくれているようで安心だわ。あの人は旧ボーダーの仲間を大勢失ったからといってその辛い気持ちを思いっきり吐き出すことのできる立場になかった。最上さんが死んで最年長であり創設時の唯一の生き残りとなったことで心に蓋をして、その燃え滾る地獄の業火のような感情を抑え込もうとしていたのよ。それで顔から人間らしいが表情から消えてしまった。ボーダーという組織を拡大するためにひとりで頑張っていて他人から見ればひどく冷酷で人の心を失ってしまったかのように見えたけど、あの人の本質は全然変わっていなかった。ううん、人間なんてものはそう簡単に変わるものじゃない。…そういえば人間の性格は生まれつきの気質と育つ環境のふたつの要因で形成されるって言われているのよ」

 

「生まれつきの気質と育つ環境…ですか?」

 

「ええ。マービン・ズッカーマンという心理学者がいて、その人は『感情や刺激への敏感さの有無』と『好奇心旺盛さの有無』の組み合わせで4タイプの気質に分類できるとしているの。感情や刺激への敏感さというのは他者の感情に敏感に反応する気質とか外部の刺激に敏感に反応する気質のことで、好奇心旺盛さというのは活発に行動する気質、やる気が溢れる気質のこと。たとえば敏感さと好奇心旺盛さを両方持っている人は新しいことに興味を抱きやすく行動的だけど思慮深い一面も持つ。逆に敏感さも好奇心旺盛さもないと基本的には受け身タイプで淡々と日常を送るんだって。わたしは城戸司令のことを敏感さと好奇心旺盛さを両方持っている人だと思う」

 

「ぼくはどちらかと言うとどっちもないタイプかな?」

 

「フフッ、そうかもね。そして生まれつきの気質に加えて、育った環境によって人間の性格は形成される。例えば周囲の大人に否定されて育った子供の場合、敏感さの気質が強いと自信がなくなって引きこもってしまったり社会に対して諦めてしまったりするんだけど、これが好奇心旺盛さが強いと怒ったり反抗したりする。同じような育ち方をしたとしても、その人の気質によって結果は変わってくる」

 

「なるほど…」

 

「そして城戸司令の場合は近界民(ネイバー)との戦いの中で得るものはあったけど、それ以上に失うものが大きすぎて人間が変わってしまったかのように思えた。でも生まれつきの気質自体は変わらないから、環境があの人の本来の姿に戻していったんだとわたしは想像している。旧ボーダー時代のように仲間を死なせないで済むとなれば気持ちも安らいで、眉間のシワも昔に比べてあまり目立たなくなったと思わない?」

 

「…そういえばそうですね。初めて会った時にはとても怖い人だという印象でしたけど、今ではそうは感じません。もっともそれはぼく自身の心に変化があったからとも言えますけど。中学でC級トリガーを起動して呼び出された時にはぼくが規定(ルール)違反を犯したんですからぼくに非があったわけですが、その時の事情も聞かずに一方的に責められるのは理不尽だという気持ちもありましたから、城戸司令に対して良い感情は抱いていませんでした。あの事件については先輩からも言われましたが、ぼくがC級でなければ規定(ルール)違反にもならずに済んだわけで、努力が足りなくて正隊員になれなかったぼくが偉そうなことを言う資格なんてなかったんです。師匠となる先輩を探して適切な指導を受ければぼくでも正隊員になれるだけの技量はあったんですから」

 

「そうね。物事には順序というものがあって、それを無視して駆け上がろうとすれば必ずどこかに歪みが生じてしまう。それはあなたも経験して苦い思いをしたからわかると思う。いろいろな経験を積んでいくうちに身に付いたものがたくさんあるはずだわ」

 

「はい。それは確かに感じています。そして先輩の薫陶は一生忘れません」

 

「薫陶だなんて大げさね。でもあなたが思っているのならわたしは嬉しい。安心してエウクラートンへ行くことができるし、帰って来た時の楽しみが増すもの。わたしはエウクラートンへ行ってしまえば国と民のためにだけ尽くすことになる。だから拉致被害者市民救出計画や『玄界(ミデン)近界(ネイバーフッド)平和同盟』のことはオサムくんたちに全部任せなければならない。わたしが始めたことなのに全部放り出して逃げるみたいですごく心苦しいんだけど、あなたが継いでくれると思うから気持ちが楽になれるの。ありがとう、オサムくん」

 

ツグミは修の手を握って礼を言う。

すると修は困ったような嬉しいような複雑な表情で答えた。

 

「ぼくは自分がそうするべきと思ったことから一度でも逃げてしまえば、本当に戦わなければいけない時にも逃げるようになるとずっと考えていました。でもそれは自分に自信がなくて何をしてもダメな自分を駆り立てるために無理をしていたんです。逃げ出したくなる自分を鼓舞するために偉そうなことを自分に言い聞かせていたけど、本当は逃げ出さずに済む自信をつけるために努力すべきでした。ボーダーに入っても何もせずにいて、迅さんに玉狛支部に誘われて、霧科先輩と出会って…ようやく自分に自信が持てるようになり、もう逃げ出すなんてことを考えることもなくなりました。お礼を言うのならぼくの方です。ありがとうございました、霧科先輩」

 

「じゃあ、お互いさまってことね。じゃあ、この話はここまでにしてそろそろケーキを食べましょう。オサムくんに切ってもらわないと誰も食べられないからね」

 

メインテーブルの上にはツグミの作ったケーキが置かれたままになっていて、パーティーの中盤でオサムがカットしてみんなに配ることになっていた。

ところがその前に城戸と唐沢が現れたので、ケーキは手つかずのままなのだ。

それを陽太郎とレクスは楽しみにしていたのだがなかなかケーキカットが行われないのでパーティー自体に飽きてしまっていた。

 

「そうでした。じゃあ、ケーキを切ってきます」

 

修はケーキを参加者の人数分に切り分けて、皿に載せると心からの言葉を添えてひとりひとりに配っていった。

 

「今日はぼくの局長就任祝いのパーティーに出席してくださってありがとうございました。みなさんの応援の声を胸に精進していきたいと思います」

 

その言葉は修の本心からのもので、その場にいた全員が彼に心からの拍手を送るのだった。

 

 

 

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