ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
12月も半ばを過ぎると街中はクリスマスや正月といったイベントに向けて活気に満ちている。
数年前までは第一次
しかしここ2-3年は市民の表情から恐怖や不安というものが消え、かつての平和だった頃の日常が戻って来ている。
誰も多くを求めているのではなく、ただ家族や友人たちと共に穏やかな日々を過ごしたいという単純で純粋な願いを胸に抱いていて、それがようやく叶ったのだから街に笑顔が溢れているのは当然であろう。
家を失い長い間仮設住宅や市営住宅などでの生活を強いられた人も三門スマートシティ内に建設された住宅に優先的に入居ができたので最先端の技術を投入した家での新しい生活を始めているし、
三門市は8年半前の第一次
そして
というのも三門市が「トリオン特区」となり、トリオンとトリガーの技術が極秘事項となっているために転入するための条件が厳しく制限されているためである。
以前にもいくつかの国が防衛隊員や
しかし全世界の民間人レベルにまで
ならば厳重に管理して悪用しようとする人間から技術や情報を守らなければならないわけで、トリオン特区となっている三門市に外国のスパイたちを招き入れてはいけないと転入の条件を厳しくしたのだった。
第一次
さらにボーダーが管理している研究施設で働く人間、三門市が適切と認めた人間も転入許可が出る。
三門市内にある学校に通う学生、企業で働く従業員などは市内に居住を希望することが多いため、彼らに関しては過去の犯罪歴などを調べて問題がなければ転入できるとしている。
トリガーの管理もこれまで以上に厳重なものとなっていて、訓練生を含むボーダー隊員がトリガーを所持したまま三門市から外に出るとその時点でトリガーにロックがかかって使用不可となってしまう。
そのロックは一定時間内に本部基地まで戻って解除してもらわなければ中のチップが自動的に破壊されるという念の入りようだ。
もっともトリガーは本人以外の人間には起動できない設定になっていて、トリガーを奪おうとしても使用者込みで連れ去らなければ意味はない。
警察や消防で使用されるトリガーも同様で、三門市内限定で使用許可が出ているので市外へ出た瞬間に使用不可となってしまう。
トリガーの市外への持ち出しを厳重に管理することで第三者の手に渡ることを防ぐのだが、それでも完璧とはいえない。
だからトリガーの技術が正規のルートであっても全国に広まるにはまだ長い時間がかかりそうである。
そしてボーダーにとっての敵は
もちろんそういった人間に対して
それについてはすでにゼノン隊のメンバーによる正隊員への諜報活動の指導が行われていて、現場で使えるレベルに達している隊員は数名いるとのこと。
相手が生身の人間であってもボーダーの弾トリガーなら気絶するだけで済むので確保は楽だし、敵が使用する武器や兵器もトリオン体には効果がないから危険も少ない。
ひとまずセキュリティに関しては現状で考えうる最悪の状況にも対応できるよう考えられているのだが、あらゆるものに想定外というものはある。
今後のボーダー上層部が頭を悩ますのは
そういった視線で街の中を歩いていると、ツグミにはいくつもの名案もしくは迷案ともいうべきものが頭に浮かんでくる。
(トリガーの市外への持ち出しを事実上不可能としたからには市内にアジトを設けてそこで研究をするだろう。だとしたら一般市民が立ち入り禁止となっている警戒区域とその周辺の無人となっているエリアに潜り込む可能性が高い。だとすればこのエリアの再開発は急いだ方がいいわね。それにトリガーの解析にもトリオンが必要となる。大量のトリオンを得られる場所は限られていて、三門市外で研究を行おうとしてもまずはトリオンを供給できるシステムの構築から始めなきゃならない。そのためにはまずトリオンの構造とかトリオン器官がどんなものかなどから始める必要があって、そうなると現実的ではないから詳しい人間を拉致してトリオンを得る方法から
ツグミは商店街にある街灯を見上げた。
そこには照明器具の他に太陽光発電システムが設置されていて、日中に発電した電気を夜の照明に使うタイプのものである。
そういったものは全国各地にあるのだが、三門市にあるものは少々違う。
見た目にはわからないようになっているが、太陽光発電のパネルの下に通行人からトリオンを集める通称「ラッドシステム」が設置されている。
個人によってトリオン能力に差はあるものの人は誰でもトリオン器官を持っていて多かれ少なかれトリオンを生み出している。
いや、犬や猫でもトリオン器官を持っているので散歩している飼い犬や街中を歩いている町猫たちからもトリオンを集めることができるのだ。
トリオンの一部を抜かれているのだが誰も気付かないし健康上問題のない程度にしか吸収していないので問題にもなっていない。
このシステムについては公にされていないのでトラブルの原因にはなりそうにないが、知られてしまったら面倒なことになるだろう。
街灯のラッドシステムに関しては市外への持ち出しを想定していないので持ち去られて悪用されたら大変なことになる。
(今のところトリオン関連の技術に関して外部で知っているのはボーダーのスポンサー関係の企業だけ。そのうちに特定の企業がトリオンとトリガーの技術を独占していると批判が上がるはず。そうなるといつまでも秘密にしておけるものではない。いずれ公開して誰でも使用できるようにしなければいけないけど、悪意のある連中が存在する以上は何らかの解決策や対応策を考えておくべきね。とりあえず法整備はしておかないとトラブルになった時に手の打ちようがない。そっちは代議士の大迫先生にお願いしてあるからわたしたちは待つしかないわね。経済界に関しては…不本意だけど唯我の親父さんが力を持っているからそっちから圧力がかけられるからいいとして、警察関係は緒方本部長が積極的に協力してくれているから安心。
4年前からツグミは唐沢に連れられて多くの有力者たちと縁を結んできた。
祖父や父親の知人だからという理由もあるが、多くは会っておけば後に役立つだろうと考えた唐沢の適切な判断の結果である。
中年以上の男性に受けの良い彼女を連れ回し、ボーダーに対する協力を求めた外務・営業担当の唐沢。
しかし彼の行動はツグミにとって個人的なコネクションを作る一助となっていた。
唐沢はツグミを利用し、またツグミは唐沢を利用する。
その関係を両者が納得しているからトラブルにはならず、むしろ積極的に利用し合っていたのは「win-win」というものをツグミが理解していたからである。
(それはそうと…そろそろ本部基地へと行かなきゃならない時間だ。忙しい人たちだもの、この機会に会っておかないと後悔することになっちゃう)
腕時計で時間を確認したツグミはクロスバイクに乗ると本部基地目指して走り出した。
◆◆◆
本部基地に到着するとまずツグミが向かった先は開発室長である鬼怒田の執務室だ。
「鬼怒田室長、失礼いたします」
ツグミは開発室長室に入ると大きな執務机の上に置かれている書類の山を睨みながら唸っている鬼怒田に声をかけた。
「ああ、おまえか。…そうか、もうそんな時間なのか。まあいい、こっちへ来い」
ツグミは鬼怒田の椅子の隣に置かれているパイプ椅子を広げてそこに腰掛けた。
「お忙しいところ申し訳ありません」
「かまわん。どうせ1時間や2時間で終わる仕事じゃない。少し休憩しようと思っていたところだ」
鬼怒田は右肩をグルグルち回しながらツグミの方を見る。
「そうかと思いましてお茶とお菓子を持って来ました。よろしければどうぞ召し上がれ」
ツグミはそう言って紙袋に入れていた箱と水筒を取り出して勧める。
「こりゃあ気が利いているな。それで中身は何だ?」
「わたしが作ったマフィンとレモンティーです」
「ほう、ひとついただこうか」
鬼怒田は箱の中に5つほど入っているマフィンをひとつ手に取って口に入れる。
その間にツグミは紙コップにレモンティーを注いだ。
「うむ…相変わらず料理は上手いな。昔からおまえは何か頼みごとがあると
「それは申し訳ないと思っております。でもその面倒事をお願いすることももうありません」
「そうだったな…。そうなると少し寂しい気がする」
「寂しいと思ってくださるんですか?」
ツグミが嬉しそうな顔で訊くと、鬼怒田は当然だという顔をして答えた。
「それはそうだ。面倒事ではあったがやりがいのある仕事ではあったし、初めの頃は新しい
「そういえばそうでしたね。イーグレットの時はわたしがまだ小学生だったので重くて構えることが難しいとわかるとすぐに東さんと相談して軽量化したものを提供してくださって、そのおかげでわたしは
「ああ。そのおかげで何度も助けられた。アフトの連中が侵攻して来た時もおまえがイルガーを墜としてくれたことで本部基地は軽傷で済んだ」
「そんなこともありましたね。あれもわたしの能力を最大限に活かすということで作ったスラッシュとリザーブを鬼怒田室長が作ってくれたからこそです。だから室長にお願いすれば何でも希望を叶えてくれると頼ってばかりだったんですよ」
「アフト遠征の時に潜入任務を行うから変身トリガーを作ってくれだの、簡易トリオン銃を非戦闘員に持たせてほしいとか…。もっともそのおかげで全員無事に帰還できたのだから意味のある仕事だったといえるな。それにその技術はこれからも利用できるもので、簡易トリオン銃は警察で使用したいと申し出がきている。今後は
「ええ、そうですね。
ツグミは鬼怒田に頭を下げると、鬼怒田は当然だと言わんばかりの態度で答えた。
「ああ、わかっとる。詳しいことは聞かされておらんが、城戸司令の話だとおまえも相当面倒な役目を引き受けたらしいではないか。おまえのことだから自分で決めたことを途中で投げ出すようなことはないだろうが、最後までやり遂げて帰って来るんだぞ」
「はい」
「そん時には
「はい、お約束します」
鬼怒田らしい激励の言葉だと思いながら、ツグミはその温かい気持ちに感謝するのだった。
◆◆◆
次に向かったのは根付のいるメディア対策室である。
鬼怒田と並んでツグミのことを敵対はしていないがそれほど親しいというのではなく、適度な距離を保って仕事での関係については良好なものであろうとしたという複雑な関係であった。
これはボーダーが新体制になってしばらくして嵐山と柿崎がマスコミの前に出た記者会見で、ツグミが記者に対して喧嘩を売ったという事件があったからで、この時から根付はツグミのことを「ちょっと困ったベテラン隊員」として扱いに困っていたのだ。
旧ボーダー時代からの隊員で防衛隊員としても実力者である彼女に対して遠慮はあるがだからといって好き放題にはさせないというスタンスであった根付。
…だとツグミは思っていたようだが実際はそうではなかったらしい。
「根付室長、お邪魔します」
「ああ、来たか」
根付は面倒くさそうな顔でぼそりと言うが、鬼怒田の時のようにきちんとアポはとってあるので彼女の来訪は予定に入っていて時間もピッタリであるから問題はないはずだ。
「はい。…今日は人が少ないですね?」
「嵐山くんたちは収録でテレビ局へ行っている。他の連中は交代で休みを取っているからいつもよりは人数が少ないだろうな」
「年が明けたらすぐに第8次拉致被害者市民救出計画でフスクム遠征が始まりますからね、それについてのマスコミ対応で忙しくなるので今のうちに休んでおこうということですか?」
「そういうことだ。相変わらず頭の回りが早いな」
「お褒めいただきありがとうございます」
そう言って微笑むツグミ。
そんな彼女に根付は言う。
「たしかに昔から機転が利く賢い子供だったが、そのおかげでこちらはヒヤヒヤすることも多々あった。あの時は冷や汗が止まらなかった。今でも思い出すとあの時に対応を間違えていたらボーダーはどうなっていたかわからん」
根付の言うあの時とは例の記者会見に乱入したことである。
嵐山と柿崎に「次に大規模な
「お言葉ですが悪意のあるマスコミに対してはこっちも意地悪なことを言いたくなりますよ」
「それはわかるが…まあ、あれはきみだったからこそ問題にはならなかったわけで、実を言うとあの記者以外の記者たちには受けが良かったのだ」
「それは初耳です」
「あの質問をした記者はボーダーに対して批判的で、いろいろと迷惑をしていたから私もいい気味だと感じたものだ」
「そうだったんですか…」
「それにきみの言動にはハラハラさせられることが多かったものの、どれもがボーダーにとって良い効果があったのは事実。それは評価すべきだ。特にアフト遠征前に
「アハ…周りの大人にはそう見えていたんですね」
意外な事実に驚きながらも反応に困って苦笑するしかないツグミ。
「きみといい三雲くんといい、困ったことをしてくれた人間が今ではボーダーの顔になっているのだから世の中わからないものだ。そしてそんなボーダーの功労者のきみがボーダーを去るとなると残念に思えるよ」
「そう言ってくださるととても嬉しいです」
「
「わかりました。お約束いたします」
「それから…いつきみたちはエウクラートンへ発つ予定なんだ?」
「いちおう1月4日を予定しています。忍田本部長が同行してあちらのリベラート皇太子殿下にご挨拶をしたいとのことなので、新年会が終わってからになりますから4日と決めましたがそれと前後する場合もあります」
「そうなるとゆっくり話ができるのもこれが最後になるのかな?」
「かもしれません。いちおうわたしは今月末で退職するわけですが、スポンサーの方々が集まる新年会に顔を出してご挨拶させていただくことになっています。特にひいきにしていただいていた方には個別にご挨拶に回っていますが、市長さんをはじめとした行政の方やあまり親交のなかった企業の代表の方にはこの時にまとめてお礼のご挨拶をしたいと思っていて、城戸司令にもお許しをいただきましたから」
「そうか。城戸司令はきみを高く評価しているから最後の最後まできみのやりたいようにさせてくれるのだな」
「はい。城戸司令には言葉に表せないほど感謝をしています。ですので最後の舞台では城戸司令はもちろんのこと根付室長にもご心配をかけないよう気を付けます」
「ああ、そうしてくれ」
この後は根付の時間の許す限り昔話を語り合ったのだった。