ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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669話

 

 

唐沢との約束は午後4時でツグミは時間どおりに本部基地の幹部用休憩室で待っていたのだが、唐沢から30分ほど遅れるという連絡を受けたものだからツグミは中途半端に時間を持て余してしまった。

どうしようかと考えていると、そこに東がやって来た。

 

「霧科、こんなところで何をしているんだ?」

 

「わたしは唐沢部長との待ち合わせです。東さんこそ何で…あ、そうか、今は防衛隊員の教育部門の部長さんでしたね」

 

ツグミはふた月ほど前に東が防衛隊員の指導部門「指導部」の部長となったことを思い出した。

彼女が2ヶ月の長期休暇で出勤していなかったので幹部会議でも顔を合わせてはいなかったのだが、東が正式にボーダーの職員として勤務することになってその時に幹部入りしたことを人伝によって知らされていた。

 

「ああ。さすがにこの歳で腰掛けのような仕事をしていてはマズいと考えてね。前から城戸司令や忍田本部長にも打診されていたんだが、小荒井と奥寺が()()できるだけの力をつけたこのタイミングがちょうど良いと思って引き受けることにした」

 

長い間B級部隊(チーム)で隊長を務めていた東は旧ボーダーメンバーを除いた隊員・職員の中で最古参とも言える存在だが、B級隊員であれば固定給はなく防衛任務とトリオン兵の討伐による出来高払いで給料が決まってしまう。

そうなると中高生のアルバイト感覚であればそれでもかまわないのだがアラサー独身男性の彼にとっては人生設計にも関わってくる。

彼のボーダー内での働きはA級以上のもので十分な報酬を与えなければ罰が当たるという状態であったのだが、本人が後進の育成に熱心なのは良いのだがB級である東隊の隊長のままではどうしようもなかった。

そこで6月から8月にわたって行われたB級ランク戦で東隊が1位という結果を出したものだから小荒井と奥寺が十分に成長したと判断した東は部隊(チーム)を解散した。

そして彼らとオペレーターの人見の3人による新部隊(チーム)を結成し、無所属(フリー)のB級隊員の狙撃手(スナイパー)をスカウトして再出発したのだった。

東に言わせれば新加入の狙撃手(スナイパー)の腕は自分ほどではないがかなりいい線いっているので、次のB級ランク戦では最下位からのスタートであっても最終的にはB級中位くらいまでには昇ってくるだろうとのことであった。

実際に人見隊 ── 小荒井と奥寺のふたりとも自分が隊長の器ではないと断言してオペレーターの人見に隊長を頼み込んだ ── は10月から12月に行われたB級ランク戦で18部隊(チーム)中10位という結果になっている。

現在の東の仕事はC級隊員がトリガー使いとして一人前になれるよう正隊員の中でも優秀な隊員を選んで教育係につける手配とか、正隊員の技術向上のための教育システムの構築などで、これまでそういった部門や人材がいなかったことがおかしいという現実を訂正したものである。

B級隊員でも教育係になれば正規隊員と同等の扱いとなるために固定給が保障されるので、優秀な隊員がボーダーに残ってくれるだけでなくボーダー以外で就職したくてもできない人間にとってはありがたいシステムだ。

攻撃手(アタッカー)では太刀川や風間、射手(シューター)では二宮や蔵内、銃手(ガンナー)では弓場や諏訪、そして狙撃手(スナイパー)では当真や奈良坂といったA級B級の隊員たち二十数名が防衛隊員でありながら指導部にも所属している。

今後トリガー特区である三門市では人材育成にも力を入れることになり、小学生の頃からトリオン器官を鍛えるという意味で学校の部活動もしくは地元の少年スポーツ団の活動と同じようにスポーツとして採用しようというツグミの提案も承認されたことからこのタイミングで教育部門を設置したのは自然な流れなのかもしれない。

 

「わたしが東さんから狙撃手(スナイパー)としてご指導いただいたのはもう8年も前のことなのに、ついこの間のように思い出されます」

 

東は自販機でコーヒーを買ってツグミの座っているソファの隣に腰掛ける。

そんな彼にツグミは楽しそうに思い出を語り始めた。

 

「あの時にはこんな未来がやって来るとは想像もしていなかったんですが、東さんのおかげで納得のいくボーダー生活を送ることができました。どうもありがとうございました」

 

「いやいや、こっちこそ礼を言わせてくれ。きみのおかげで俺も充実した日々を送ることができた。初めてきみと出会った時にこんな小さい女の子が異世界の怪物と戦っているなんてと驚いたよ。そして忍田さんからきみに狙撃手(スナイパー)として教育してくれと言われて戸惑いながらも引き受けたことは間違っていなかった。きみの存在は俺の中に眠っていた教育者としての才能に火をつけてくれたみたいなもんだ」

 

「そうですね。東さんの狙撃手(スナイパー)としての指導は適切でわかりやすく、戦術や戦史の座学もとても面白かったです。今でもあの頃のことを思い出すと大変ではありましたがどれも楽しい思い出になっています。二宮さんが東隊に入って来た時のトラブルとか、三輪さんの命令無視の独断専行とか…いろいろありましたけど東さんがリーダーだったからわたしを含め個性豊かな隊員たちを上手く成長させることができたんだと思います」

 

「そう言ってくれると嬉しいな。俺は忍田さんから人を育てることは楽しいしやりがいがあると言われていて、それが本当だったという確信を得られたのはきみと木崎が組んで俺の考えた最難関のトリオン兵の討伐訓練をクリアした時だった。きみたちが自分の想像を超える狙撃手(スナイパー)の技術を身に付け、さらに他の武器(トリガー)と組み合わせてたったふたりで数百体のトリオン兵を殲滅した時には自分の手でトリオン兵を倒した時よりも嬉しくて身が震えたんだ。…俺がボーダーに入って間もない頃に両親から防衛隊員だけでなく教育係まで引き受けたことで少し口論したことがあった。その時に俺が戦うだけならひとり分の戦力が増えるだけだけど、俺が教育した隊員たちが戦えるようになっていればその戦力は10倍にも20倍にもなると答えた記憶がある。実際にそのとおりになり、俺のあの時の決断は間違っていなかったと自信をもって言える。俺が直接指導した隊員は大勢いるが、その中でも一番印象深いのはきみだ、霧科」

 

「それは光栄です。でもそれは一番大変だったからじゃありませんか? 初期のイーグレットは子供のわたしには重たくて立射(りっしゃ)の姿勢ができませんでしたからね。その後すぐに軽量化した改良版を作ってくれたおかげでわたしは狙撃手(スナイパー)として戦うこともできるようになりました」

 

「小学6年だったきみは俺が考えていたよりもずっと賢くて教えたことはすぐに吸収して、さらに想像以上の結果を出すものだから教育の難しさよりも楽しさを感じていた。初めて狙撃手(スナイパー)用トリガーを与えられたきみは中学生になるまでに一人前になると宣言し、結局2月末には俺の教えることはなくなってしまった。その時のきみは『やれるか、ではなく、やらなくてはならないんです』と言い切って見事にやり遂げた。そのことは一生忘れられないだろう」

 

「そんなこともありましたね。…あの頃は誰も傷付く姿を見たくない、大切なものを誰にも奪われたくはないという一心でがむしゃらに走っていましたから、今となっては若気の至りと言うか、無茶なことをやっていたと感じて恥ずかしくなります」

 

ツグミがそう言うと東は声を上げて大笑いをした。

 

「アハハハ…今だって十分若いじゃないか。まだ20歳になったばかりだろ? あの頃の俺よりも若いのに若気の至りって、きみは相変わらず俺を笑わせてくれるな。二宮とのタイマン勝負で粉塵爆発を再現した戦術や、防衛任務で勝手なことをする三輪に『ルールの範囲内なら大抵のことは何をしても許される』と断言したきみの考え方には一瞬呆れてしまうんだが、よくよく考えてみればそれは道理にかなっていることばかりだ。そんなことばかりで毎日が楽しくてしかたがなかったよ」

 

ツグミが東の指導を受けていた時、彼女は12歳の小学6年で東は21歳の大学生であった。

ボーダーの入隊時期では彼女の方が先輩で、東にとっては年少の先輩を相手に生まれて初めて指導者という立場になったのだから苦労はしただろう。

しかし苦労以上の結果を出す彼女の姿を見ていて東は満たされていた。

 

「きみのおかげで得難い経験をさせてもらったのは事実だ。きみがボーダーを辞めてしまうのは残念だが、エウクラートンを拠点として近界民(ネイバー)との平和的交流は続けるというのだから、これからも同志としてここからきみを応援する」

 

「ありがとうございます。いつかここに戻って来た時には経験したことを東さんに聞いてもらいたいと思っていますので、東さんも最低10年は辞めないでくださいね」

 

「そうか…わかった」

 

ツグミの「最低10年~」は「10年は戻って来ることはない」という意味である。

それを察した東は寂しそうに笑って小さく答えた。

しかし彼女が約束を必ず守ることと計画の前倒しをして予定よりも早く実行することは過去に経験している。

だからツグミは必ず三門市に戻って来るし、場合によっては10年よりも早く帰って来る可能性もあるということを想像させるので、東はそうなることを期待して彼女に言った。

 

「きみのことだから約束を破ることはないという確信がある。必ず無事に帰って来てくれ。もっとも迅が一緒だというのだから何の心配もいらないのだろうが」

 

「ええ。わたしにとって最も頼りになる人生の相棒(パートナー)ですから」

 

それから東と思い出話をしているうちに唐沢が慌てた様子で休憩室へと駆け込んで来た。

 

「遅れてすまない、ツグミくん」

 

「いえ、気にしてはいませんから。それにおかげで東さんとお話しする時間もたっぷりとできました」

 

ツグミがそう答えると、唐沢は東に礼を言う。

 

「東くん、彼女の相手をしてくれてありがとう」

 

「唐沢さんもいろいろお忙しいですからね。俺も彼女と話せて良かったですから気にしないでください。また何かありましたら声をかけてください」

 

そう言って東は立ち上がるとそのまま休憩室を出て行った。

そんな後ろ姿を見てツグミは察した。

 

「もしかしたら東さんがここへ来たのは唐沢部長の仕組んだことですか? 自分が遅くなるから話し相手にでもなってくれって連絡をしたんじゃありませんか?」

 

「ハハハ、仕組んだとはきみらしい表現だ。でも有意義な時間を過ごしたと顔に書いてある。それで結果オーライじゃないか?」

 

「はい。東さんとゆっくり話をしたのは何か月ぶりでしょうか…。最後にいろいろ話ができてよかったです」

 

「お互いに忙しい身だからな。だが最後ってことはないんじゃないか? きみも近界(ネイバーフッド)に永住するわけではないんだし、長い人生の中で10年なんて一時期のこと。第一次侵攻からもう8年半も経っているんだから10年くらいあっという間に過ぎていく。それに10年後はきみもまだ30歳だぞ、ボーダーに復帰することだって可能だ」

 

「そうですね。でも第一次侵攻からの8年半は近界民(ネイバー)との戦闘に明け暮れていた期間であって、これからの10年は近界民(ネイバー)との友好関係を築いていく期間となります。ボーダーという組織も大きく変わってしまい、近界民(ネイバー)と戦っていたことを思い出話として話すのはこれが最後となります。次に会った時には未来に向けて他に話すことがいっぱいあるはずですから、辛かった過去を思い出して昔話をする暇なんてないと思いますよ」

 

そういう意味だったのかとわかると唐沢は照れ笑いをする。

 

「なるほど、そうだな。…10年後か。その頃おれは何をしているんだろうか?」

 

「ボーダーの外務営業の仕事をしているに決まっているじゃありませんか。ボーダーには昔も今も、そして未来も唐沢部長が必要なんです。もっともご自身と同レベルかそれ以上の人材を育て上げるか探してくるかをして部長の椅子をその人物に譲ることができたらその限りではありませんけど」

 

「たしかに10年後もボーダー(ここ)にいるような気がするな」

 

「これからはますます外務の仕事が増えるはずです。トリガー特区・三門市の未来を想像するとアンダーグラウンドな人にお願いしないと進めることのできない事業があったり、財界や政府との交渉事も避けては通れません。これは誰にでもできる仕事じゃありませんから」

 

「だからきみにはおれの片腕になってもらいたかったんだが、当てが外れてしまったようだ。エウクラートンの人間にきみを奪われるとはさすがに想像できなかったよ」

 

「わたしもです。あんなことを知らなければ今でも総合外交政策局で近界民(ネイバー)との外交窓口になっていたはずですから。…ですがわたしとジンさんが近界(ネイバーフッド)側の窓口になれば近界民(ネイバー)との交流も円滑に進められると思います。これでもいちおう一国の元首となるわけで、自由に行動はできなくてもわたしの代わりにジンさんが動いてくれますから」

 

「頼りになる相棒(パートナー)がいて良かったな」

 

「はい。でもわたしのせいで彼に可哀想な思いをさせてしまいますので、その点は申し訳ないと思っています」

 

「可哀想なこと?」

 

「だって近界(ネイバーフッド)にはぼ〇ち揚げを買えるスーパーマーケットやコンビニはないんですもの。いっそエウクラートンに製造工場を誘致してしまおうかしら? ぼ〇ち揚げって近界民(ネイバー)にとても評判がいいお菓子なんですから」

 

「ハハハ、それもいいかもな。これからはこちら側の世界の企業が次々に近界(ネイバーフッド)へ進出していくだろう。敵対する近界民(ネイバー)がゼロになったとは言えないが、少なくとも同盟国であればリスクを極力抑えることができるし互いにメリットがあるなら積極的に共同歩調をとることになる。今のところそういった企業はボーダーのスポンサーに限られるが…っと、この話はここまでだ。うっかり人を待たせていることを忘れていた!」

 

「そうでしたね。ただでさえ予定よりも遅れているんですからすぐに出発しなきゃ」

 

「玄関に車を停めてあるから急ごう。今からなら少し飛ばせばギリギリ間に合う」

 

「はい!」

 

ツグミと唐沢は大慌てで休憩室を飛び出して行った。

 

 

◆◆◆

 

 

ふたりが向かった先は蓮乃部市郊外の山の中腹にあるオーベルジュであった。

その店は3年前に彼女の誕生日パーティーが開かれて、そこにいた城戸たちからボーダー創設時の関係者しか知らない事実を教えられた場所でもある。

オープン時から超人気の店で夜の部は1日1組しか受け付けないために半年先まで予約で埋まっているとのこと。

ただしこの店のオーナー兼シェフが県警本部長の緒方の弟であるために融通が利くらしい。

そしてこの日はその緒方の招待で、ツグミたちが到着すると彼だけでなく城戸、忍田、林藤そして迅の4人も玄関で彼女を出迎えた。

これがツグミと迅とのお別れ会であることは明らかだが、ツグミはもうそんな「別れ」に怯えるような弱い人間ではない。

 

「お待たせしてすみません。そしてお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」

 

ツグミは丁寧に挨拶をし、そのまま囲炉裏のあるメインダイニングの部屋へと全員で向かった。

20歳になったツグミも今回はシャンパンでの乾杯に付き合うことができ、和やかな雰囲気の中で会食は進んでいく。

この場にいるメンバーは全員がツグミの出自を知っており、エウクラートンで彼女の次の女王候補が確定するまで女王の役目を果たさなければならないことも承知している。

だから彼女の決心について理解はできても納得はできずにいた。

しかし本人が自分の意思で決めたことであり、反対しても彼女は実行するとわかっているので彼女の自由にさせることにしたのだった。

そしてツグミと彼女が生涯の伴侶と決めた迅を心の底から祝福して笑顔で送り出そうと決めた彼女の()()()()がこの宴席をセッティングした。

最愛の()が喜んでいる姿を見ればこの宴席を設けた真意 ── 自分たちの気持ちの整理をするため ── が不純なものであったとしても意味のあるものになったと喜ぶことができるというもの。

ツグミも彼らの気持ちが痛いほどわかっており、少しアルコールが入ったこともあって普段の彼女からは想像もできない愛らしい姿が見られた。

たぶんこれが本来の彼女の姿であり、普段見せているのは周囲に心配をかけたくないだとか他人に舐められたくないと虚勢を張っている偽りの姿なのかもしれない。

 

 

約2時間に及ぶ会食が終わり、解散をする時に城戸がツグミに言った。

 

「明日の午後2時に私の執務室に来てくれ。話しておきたいことがある」

 

「話しておきたいこと…ですか?」

 

「そうだ。ボーダーを去るに当たって、私のケジメと言うか…心残りのないよう打ち明けておきたいことがあるのだ」

 

「…わかりました」

 

いつもとは少し違う雰囲気の城戸に戸惑うものの、ツグミは彼の言葉に頷いた。

 

 

 

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