ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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670話

 

 

「ボーダーを去るに当たって、私のケジメと言うか…心残りのないよう打ち明けておきたいことがあるのだ」

 

城戸の言葉に違和感を覚えたツグミは眠れぬ夜を過ごしていた。

素直に受け取るなら彼の言葉はツグミがボーダーを辞めてエウクラートンへ行く前に重大なことを話しておきたいことがあるということなのだが、彼の「ケジメ」という単語が引っ掛かっている。

 

(もしかしたら『ボーダーを去る』の主語がわたしではなく城戸さんだとしたら…。それなら腑に落ちるわ。だけどそれって城戸司令がボーダーを辞める、つまり総司令官が代替わりをするってことで、わたしがボーダーを辞めるなんてことよりはるかに世間を騒がす大事件じゃないの!)

 

城戸がボーダーを辞めるという話はこれまで一度も話題になったことはない。

ボーダー創設時のメンバーのひとりであり、旧ボーダー時代の生き残りで最年長ということから第一次近界民(ネイバー)侵攻後の新体制となった組織の総司令官として8年以上リーダーシップを発揮してきた。

もし城戸がいなければ現在のボーダーはありえないと言われるほどの働きを見せたのだが、そのための犠牲は大きいものであったことは間違いない。

46歳とまだ現役として活躍できる年齢ではあるがボーダー創設時から24年も経っていて心身ともに疲れ果ててしまっても仕方がないこと。

そして近界民(ネイバー)の脅威が去った今なら引退を宣言するには良いタイミングである。

しかし総司令官という大任を務めることのできる人材がいることが前提であり、ツグミには城戸の後継者となりうる人物に心当たりはないのだ。

 

(旧ボーダー時代からのメンバーで現在ボーダーに残っているのは真史叔父さんと林藤さん、そしてゆりさんだけ。レイジさんと小南先輩と技術者(エンジニア)の桐山さんはもう辞めてしまったんだしボーダーのトップに就くことのできる器じゃない。新体制になってからの現隊員や職員の中から選ぶ? …う~ん、総司令官というのはトリガー使いとしての腕やオペレーターとしての情報処理能力が優れていても役に立たないんだから、きっとわたしの知らない人になるのかな。それにまだ城戸司令が引退すると決まったわけじゃないんだし、わたしがここで考えたところで意味はないわね。さっさと寝ましょ。明日になればわかることだもの)

 

朝5時に起床して朝稽古をするのだからと、ツグミは自分に暗示をかけて眠りに就いた。

 

 

◆◆◆

 

 

いつものように仕事へ行く忍田を送り出した後、食事の片付けや掃除・洗濯を済ませるとツグミはボーダー本部基地へと向かった。

城戸との約束の時間に間に合うように到着すると、そのまま幹部専用エレベーターで総司令執務室のあるフロアまで昇る。

そしてドアが開いたところでツグミの目の前に現れたのは迅であった。

 

「悠一さん、こんなところで会うなんて奇遇ですね」

 

ツグミがそう言うと、迅は笑みを浮かべて答える。

 

「奇遇じゃないさ。俺も城戸司令に呼ばれていたんだ。それで話を聞いて、そろそろおまえが来る頃だろうからとここで待っていた」

 

「あなたも城戸司令に? それでどんなお話だったんですか?」

 

「おまえにも同じことは話すだろうから、本人から直接聞けばいい」

 

迅の言葉にツグミは疑問を抱く。

 

(同じことを話すのならふたり一緒でよかったんじゃない? でも城戸司令が意味のないことをするとは思えない。先に悠一さんだけに話しておくというくらいだから…)

 

心当たりがひとつだけあったが確信がないままツグミは総司令執務室のドアをノックした。

 

「入りなさい」

 

城戸は静かに言う。

その声は普段の彼のものではあるものの、どことなく不安や怯えといった心細さを感じさせるものであった。

ツグミがドアを開けようとすると、迅が彼女に言った。

 

「俺は外で待っている。もし俺を必要としているなら遠慮なく呼んでくれていい」

 

「あなたがそんなことを言うということは、城戸司令の話があなたにも関係のあるということなんですね?」

 

「ああ。だがおまえが望まないのであれば俺には聞く気はない。自分で判断しろ」

 

「わかりました」

 

そう答えてツグミはひとりで総司令執務室へと入って行った。

 

 

 

 

「わざわざ来てもらってすまないな、ツグミ」

 

城戸は憔悴した表情のままでツグミに言う。

憔悴というのは大袈裟かもしれないが、目の下にはクマができているだけでなく顔色も悪い。

明らかに睡眠不足であり、この様子だと満足に食事もしていないのではないかと思われた。

 

「城戸司令、お身体の具合が悪いのではありませんか?」

 

「いや、病気ではない。昨夜は寝付かれず、少し食欲もないだけだ」

 

「そういうのは具合が悪いというんです。人にとって睡眠と食事は欠かせないもので、それを受け付けないとなれば病気といえないまでも ──」

 

「大丈夫だ。おまえに重要な話をしなければならないのだが、これくらいなら問題はない」

 

「いいえ、大問題です! そんな状態で話を聞いたとしても納得できるものも納得できないでしょうし、そもそも話よりも気になってしまって理解できるかどうかわかりません。睡眠不足は仕方がないとしても、せめて食事だけは取ってください。食堂でもコンビニでもすぐに行って来ますから、何かリクエストしてください。話はそれからです!」

 

ツグミがそう言い出したら絶対に退かないことを知っている城戸は自分が折れるしかないと判断した。

 

「…わかった。では何か簡単につまめるものがいいな。サンドウィッチとか…」

 

「それならミックスサンドとインスタントのコーンスープ、カップ入りの生野菜サラダにしましょう」

 

そう言って立ち上がったツグミはドアを開けて廊下で立っている迅に言う。

 

「ジンさん、下のコンビニでミックスサンドとインスタントのコーンスープとカップ入りの生野菜サラダをひとつずつ買って来てください。大至急でお願いします」

 

理由も言わずに指示だけするツグミだが、迅には彼女の言動の意図がすぐに理解できて行動を開始する。

 

「10分で戻って来る」

 

迅はそう言い残して廊下を走って行った。

ツグミはすぐに総司令執務室へ戻り、部屋の一角に置いてあるコーヒーサーバーでコーヒーを淹れる。

普段なら午前中にコーヒーを飲みながら仕事をしているのだが、この日に限って使った様子はない。

 

「コーヒーを飲まずに仕事をしていたとは思えません。つまり午前中は仕事も手に就かなかったのではありませんか?」

 

「…ああ。昨夜おまえに話しておきたいことがあると言った時点で覚悟は決めていたのだが、家に帰ってからそれが正しいのかどうかと悩むようになってしまったのだ。意気地がないと責められても仕方がない自分の不甲斐なさに嫌気がさして、今さら退くこともできないというのに逃げ出したくもなってしまう私は臆病者だ」

 

城戸は自分を責めるが、それだけこれから話す内容が深刻なものであるとツグミは察した。

 

「誰だって完璧に生きられるものではありませんから悩んだり苦しんだりすることはあります。それは悪いことではありませんし、城戸司令が悩んでいるのはたぶんわたしの気持ちを慮ってのことでしょう。ですからそのことでご自分を責めるのはおやめください。大事なのは後悔をしないことで、これからわたしに何を話すのかはわかりませんが、今ならまだ間に合います。話してしまってから後悔するのであればわたしは何も聞かずに帰ります。…でも話しておかなければそちらの方が後悔するだろうからと話すことに決めたんじゃありませんか? だとすればわたしはどんな内容の話…苦しいことでも哀しいことでも受け入れる覚悟はありますからお話しください」

 

すると城戸は無理に笑いながら言った。

 

「おまえは強いな」

 

「強くはありませんよ。でも弱いのは嫌いですから強くなりたいとは思っています。弱いことは悪ではありませんが、悪ではないからいいだろうと現状に甘んじて弱いままでいるのは性に合わないんです」

 

子供の頃から負けず嫌いだったツグミ。

トリガー使いとしてはもちろんのこと、普段の生活の中でも常に強くなりたいと心掛けていた。

この「強い」とは戦闘力ではなく、知力や体力、精神力などあらゆる分野に及ぶもので、自分の前に立ち塞がる困難を乗り越えることのできる「力」を欲していた。

そしてそれは他人から与えられるものではなく自分自身の力で掴み取らなければならないと考えており、「力」を手に入れるための努力は惜しまない子供であったことを城戸はそばでずっと見ていたから知っている。

旧ボーダー時代からの仲間であるレイジや小南、迅よりも戦闘力は劣るものの、精神力では彼らだけでなく自分や忍田たち大人でも敵わないと考えていた。

だからこそすべてを告白しようと決めたのだが、それでも自分の抱えていた苦悩をツグミにも押し付けるのではないかと感じて最後の最後まで悩み続けていたということなのだ。

 

室内にコーヒーの香りが漂い、ツグミはマグカップにコーヒーを注ぐとそれを城戸に手渡した。

 

「ジンさんが戻って来るまでわたしが少しお話をさせていただきますね」

 

食事をしてからでないと話は聞かないというツグミの態度に城戸は諦めたようで静かに頷いた。

 

「実はわたしも昨日の夜はなかなか寝付けなかったんです。あの時の城戸司令の様子がタダならぬものであり、もしかしたらボーダーを辞める気でいると告白するんじゃないかと思ったからです。でもいくら考えたところで答えは出ませんし、明日になればわかることだと言い聞かせて眠りました。城戸司令が…いいえ、城戸さんのプライベートなことであってもわたしに話したいというあなたの意思を尊重します。どんな内容でもわたしが理解できないようなことは言わないでしょうし、納得できないことであっても言うべきだと判断したのならわたしはあなたを否定はしません」

 

「フッ…おまえらしい考え方だな。だから私はおまえに甘えてしまっているのかもしれない。絶対に拒否しない、受け入れられないことでも努力して受け入れようとしてくれるおまえに…」

 

「別に甘えたっていいんじゃありませんか? 子が親に甘えるように親が子に甘えることは自然なことだと思います。自分の弱みを見せられる関係は貴重ですよ。もちろん親子であっても絶対にNOということもありますけど。こういうのもなんですが…血のつながった親子であろうと個を持つ生物としてみれば別個体、ようするに他人です。自分とは違う考え方や価値観を持っていて、親子だからわかり合えるなんてことはちっとも思っていません。でも理解しようと歩み寄ることができるのは家族だからだとわたしは考えます。もっとも家族だからこそ一度拗れてしまうと修復に時間がかかってしまうんですけどね」

 

ツグミと城戸は厳密に言えば親子ではなく他人になる。

血のつながりはないし戸籍でも赤の他人であるからツグミが彼のことを父親のように慕っているのは事情を知らない人間から見れば変であろう。

それに事情を知っていても小南のように頭から城戸のことを否定している人間にしてみればツグミの心を理解するのは不可能だ。

ただ当事者同士が納得している以上は外野がとやかく言うものではない。

 

「その点でいくとわたしと城戸さんの関係は複雑なもので、戦友でもあり仕事では部下と上司にもなり、血のつながりだけの親子関係よりもたくさんの要因があることで本物の家族以上にもなれますし()()として距離を置くことも可能です。わたしは家族なのにどうして理解してもらえないのかと悩んだり家族だから当然だという考えに凝り固まっていてボーダーの総司令官であるというあなたの立場における心情を思いめぐらすことができなかった時期がありました。わたし自身はあなたに理解してもらおうという努力をしているつもりでしたが、そこには家族なんだからわかってくれて当然だという甘えがあったことは認めざるをえません。家族といえども自分とは違う個体、他人であるという考えに至らなかったのはわたし浅慮であった…というよりは無知な子供であったということ。それに気付いたことでようやくわたしは一皮むけたんだと思います」

 

「……」

 

「その中で近界民(ネイバー)と問答無用で戦って相手を排除するよりも、対話によって相手の事情を知ることでこちらの要求を押し付けるだけよりも相手の要求を知って折り合いをつける方が楽だと気付きました。三門市に攻め込んで来る近界民(ネイバー)を延々と倒し続けることは事実上不可能です。いつまで続くかわからない不毛な戦いを繰り広げるよりも、近界民(ネイバー)が三門市民を拉致するよりも利益となる提案をすれば戦わずして三門市民を守ることができます。常にトリオン不足に喘いでいる近界民(ネイバー)にはトリオンに代わるエネルギーが玄界(ミデン)にはあることを教え、エウクラートンやキオンではすでに太陽光発電のシステムを現地で稼働させています。太陽光発電システムはすでに確立している技術ですからボーダー側は何の苦労もなく近界民(ネイバー)に提供できて、三門市民には平穏な日常を保証できるというwin-winな関係を構築しました。同盟国に加われば自国も同様に恩恵を受けられるということで、加入を望む国も増えてきました。もし彼らを排除するために戦うのであれば防衛隊員たちに多くの負担と犠牲を強いることになったでしょうが、現実には対話と交渉によってほぼノーリスクで大きな結果を得られました。相手のことを理解しようとするのは大変ですけど、リスクとリターンの関係でいくと支払ったものよりも得たものの方がはるかに大きい。そう思いませんか?」

 

少々自慢げな顔で言うツグミに城戸は大きく頷いて答えた。

 

「ああ、私もそう思う。昔…おまえの父親と有吾が私と最上の前に現れた時、彼らが悪意をもって私たちと敵対するために三門市へやって来たのならたぶん玄界(ミデン)は今頃近界民(ネイバー)の植民地となっていただろう。私たちはトリオンとかトリガーなどというものを持たないどころか認識さえなかったのだから、近界民(ネイバー)にとっては最上級の狩り場どころかトリオン確保のために人間を()()牧場になっていたかもしれない。しかし彼らが我々と手を取り合ってふたつの世界を結ぶ懸け橋となる組織を創ろうと誘ってくれたおかげでボーダーを立ち上げることができた。それと同じなのだ。人間同士であれば一方がもう一方を理解しようとする意思と努力を怠らない限り未来は拓ける。それを私は20年以上も前に知っていたというのに、いつの頃からか近界民(ネイバー)が攻めて来るのなら武力で立ち向かわなければならないという考えのみに固執してしまっていた」

 

「それは仕方がないと思います。旧ボーダーの頃は積極的に近界(ネイバーフッド)へ進出する技術も知識も持たなかったのだし、近界民(ネイバー)と交渉しようにも向こうはこっそりとやって来て三門市民をさらっていくというやり方ばかりでしたから交渉しようにもその機会を得ることすらできなかったわけですし。…まあ、近界民(ネイバー)と交渉することがまったくできなかったのではなく、かつての3つの同盟国とはそれなりに上手くやっていたんですから、諦めさえしなければもう少し早く状況を変えることができたかもしれませんね。あの遠征さえなければ…」

 

ツグミがそう言ったところで城戸が彼女の言葉を遮った。

 

「ツグミ、これから私が話そうとしているのはそのことなのだ」

 

「そのこと…? つまり9年前にわたしが置いてけぼりにされたあの遠征について話したいことがあるということですか?」

 

「そうだ。以前に本部基地の地下にある(マザー)トリガーの秘密について話したことがあったがそのことを覚えているか?」

 

「ええ、もちろんです。同盟国の王族が自分たちだけ生き延びれば良いと、国民を見捨てて玄界(ミデン)に亡命しようとした話ですよね? ボーダーの活動に必要なトリオンの元になるのがその国の(マザー)トリガーであるということも教えられました。そしてその同盟国で何があったのかを(ブラック)トリガーで記憶操作して思い出せないようにしたとも」

 

「そう…あの残酷な記憶が子供たちの未来を捻じ曲げてしまうと考えた私が独断で行った。ようするに私だけが現地で何が起きたのかを知っていて、忍田や林藤すらもあの時の悲劇は思い出せないでいる。遠征で仲間を失ったことは事実として承知していてもどのようなことがあったのかは思い出せない。それが良いことなのだと私は今でも思っている。しかし最近になって迷いが生まれてしまったのだ」

 

「迷い? それは真実を隠したままでいることが本人のためになることなのかわからなくなったということでしょうか?」

 

「それもある。しかし私がいつまでもボーダーの総司令官であり続けるのは不可能で、真実を知る私がこの世を去れば誰もあの時の悲劇を知らないということになる。最上や風間たちのことを忘れてしまったわけではないが、本当の意味で覚えているとも言い難い。そこでおまえに真実を話し、その上で迅たちにも思い出してもらうべきか否か判断してもらいたいと思ったのだ」

 

「それは当時の…旧ボーダーにいながら遠征に参加していない、つまり悲劇の光景を見ていないわたしになら記憶を取り戻させても影響は最小限で済む、と」

 

「ああ。おまえには済まないと思うが、おまえが拒否するなら無理強いはしないから安心しろ」

 

「それですべてはあなたひとりが墓場まで持って行き、悲劇の記憶は永遠に封印されたままにするということですね?」

 

「そういうことになるな。それでおまえはどうするべきだと思う?」

 

城戸がツグミに真実を話すということは共犯者にするということでもある。

自分ひとりでは背負いきれない()を彼女にも背負わせるということと同義で、本来なら彼女がそこまでする必要はない。

しかし城戸は彼女が絶対に拒絶しないという確信があり、彼女に判断を委ねるという形でやろうとしているのだから卑怯だ。

この場に迅がいれば反対するだろう。

だからまずは迅に自分がこれからやろうとしていることを説明し、それからツグミに話してどうするか決めてもらおうとしているのだ。

 

「わたしは単に9年前の悲劇をあなたの口から聞いたことを思い出すというだけで済みます。でもジンさんたちの記憶の封印を解けばもう一度辛くて哀しい思いをしなければならないということ。わたしは家族や仲間にそんな思いをさせたくはありませんが、彼らが望むなら拒むべきではないと思います。知るも知らないままでいるのも本人の意思に任せればいいのではありませんか? ひとまずわたしは思い出したいです。それが辛い記憶を呼び戻すとしても、わたしは後悔などしません。それにわたしが記憶を取り戻さないとジンさんたちに思い出してもらうべきかそうでないかの判断はできませんからね。…それで記憶を呼び戻すためにはどうするんですか?」

 

覚悟を決めたツグミは城戸に訊いた。

 

 

 

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