ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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671話

 

 

ツグミが城戸に問いかけた次の瞬間、ドアをノックする音と迅の声がドアの向こう側から聞こえた。

 

「城戸さん、ツグミ、入ってもいいかな?」

 

そして返事も待たずにドアを開けて総司令執務室の中へ入って来る。

手には本部基地1階にあるコンビニのレジ袋を提げていて、ツグミに頼まれた買い物を終えて戻って来たのだった。

 

「ああ、さっき下に行った時に太刀川さんに捕まっちゃってさ、俺がしばらく留守をするもんだから決着をつけるために勝負しろってうるさいんだよ。だから最低でも10本勝負くらいは付き合わないと解放してもらえそうにない。俺が戻って来るまでにそっちの話はつけておいてほしいんだ。じゃあ」

 

迅は勝手に事情を説明し、テーブルの上にレジ袋に入った商品を置くとすぐに部屋を出て行ってしまった。

 

「太刀川さんに捕まったというのは本当でしょうけど、たぶんわたしたちにゆっくり話をしていてもかまわないと気を遣ってくれたんでしょうね」

 

「だろうな。あいつは昔から察しがいい。それに気遣いもできるヤツだ。未来視(サイドエフェクト)に悩まされることがなくなったというのに、生来の性分は変わらないのだな」

 

「ええ。…さあ、召し上がってくださいな。全部食べたらお話しの続きをしましょう」

 

ツグミに促され、城戸はサンドウィッチに手を伸ばした。

 

 

 

 

「さて、これから話すことは以前に話したことと被る部分もあるが、重要なことなのでもう一度聞いてもらいたい」

 

食事を終えた城戸はそう言うと立ち上がり、執務机の引き出しから写真立てを取り出してそれをツグミに手渡した。

 

「これは…!」

 

「そうだ。三雲くんの昇進祝いで玉狛支部へ行った際、彼に持たされたのだよ。これは私が持っているべきで、そうでなければ彼らの思いを継ぐボーダーの責任者としては不適格なのだそうだ」

 

その写真立てに入っているのは旧ボーダー時代のメンバーで撮った集合写真で、城戸が玉狛支部の部屋を去る時に残していったものだ。

修はそれをずっと預かっていたのだが、今の城戸なら受け取りを拒むことはないと考えたようで帰る時に彼に渡したのだった。

そこには城戸にとってだけでなくツグミにとっても大切な()()が写っている。

それから間もなくして訪れる悲劇のことなど誰も知らず、この日常がずっと続くものだと信じて疑ってはいない様子だ。

ツグミはこの写真には写っていないのだが、それがむしろあの遠征における悲劇とは無縁の存在であるという証のようにも感じられる。

懐かしい顔ぶれにツグミはもうこの世にはいない()()()()()()()()ひとりひとりの顔を指で撫でた。

 

「ようやく私はこの写真を怒りや憎しみの感情にとらわれずに見ることができるようになった。9年もかかってしまったがな」

 

「それは仕方がありません。わたしはともかくジンさんや忍田本部長たちが今を生きることができたのは、あの時の辛い記憶を封印したからです。記憶を操作できる(ブラック)トリガーを使ってあなたが全員の辛く哀しい記憶を封印してくれたからこそ、近界民(ネイバー)を憎み続けるという不毛な生き方をせずに済みました。その代りにあなたがひとりですべての憎しみや哀しみを背負ってきたんですから、わたしはあなたに感謝の気持ちを込めてお疲れさまという言葉を送ります」

 

ツグミはそう言って城戸に微笑みながら写真を返した。

 

「そう言ってくれると救われる。あの時の私にはこれが最善の選択だと信じていて後悔もしてはいなかった。ただ他にも道はあったのではないかとも思うようになっていった。私ひとりの判断ではなく忍田や林藤に相談すれば別の未来があったはず。そう思うと不安になってしまった。これからおまえに話すことは私にとっての懺悔の意味も込められている。そうすればおまえはきっと私に許しを与えてくれるという甘えがあってのことなのだ」

 

「もしどんな内容であってもわたしは絶対に許さない…と断言したら告白をやめますか?」

 

「…いや、それでも全部打ち明けたい。私しか()()()()()()真実を墓場まで持って行くのはかまわないが、そうなると彼ら…最上たちがどのようにして生きて死んでいったのかを知る者はいなくなってしまう。もちろん知りたくないという者に教えることはしないが、知りたいと思っている者がいたのなら私には教える義務があるのだ」

 

城戸の覚悟が本物であるとなればツグミは()()()()()として正しい判断を下さなければならない。

 

「わかりました。許しを与えるなんてことはわたしにはできませんが、懺悔することであなたの気持ちが楽になるのであればすべて聞くことにします。もしここで聞かなければきっとわたしは後悔する。だったら内容がどんなものであれ知りたいと思います。それにあなたを悩みや苦しみから解放する一助になれるのなら、それはこれまで父親代わりに見守ってくれたことへの恩返しになる気がします」

 

「…そうか。おまえがそう思うのなら私は私の記憶のすべてをおまえに明かそう。ちょっと待っていてくれ」

 

城戸は金庫の中から手のひら大の大きさの箱を取り出す。

箱の中には男性用の腕時計のようなものが入っている。

色は漆黒で、形は腕時計なのだが時計としての機能はないようにツグミには見えた。

 

「これは…もしかしたら…」

 

「おまえが想像するようにこれは(ブラック)トリガーだ。あの遠征で生まれた3つの(ブラック)トリガーのうちのひとつ。この(ブラック)トリガーはボーダーにとって都合の悪い記憶を封印するためのもので、これを使っておまえを含め何人もの人間の記憶を封印してきた。そしてこれを使用できるのは私しかいない…ということになっている」

 

城戸はそう言って(ブラック)トリガーを箱から取り出して説明を続けた。

 

「風刃の元になったのは最上で、天羽が使用しているものは梅咲。そしてこれは風間が自らの命と未来と全トリオンをすべて注ぎ込んで作った(ブラック)トリガー。名前はないが、それは…まあ、単に()()使用するだけだから特に付けてはいない」

 

「そうか…これまでボーダーを除隊になった人や市民で目撃してはいけないものを見てしまった人たちがこの部屋に呼び出されたのは、あなたがこれを使って都合の悪い記憶を封印していたんですね?」

 

「そういうことだ。まずはこのトリガーが生み出された遠征のことから話をしよう」

 

城戸は視線を今はもういない朋友や()()()()へ向けて昔話を始めた。

 

 

 

 

「今から9年前、おまえを残し19人の人間が近界(ネイバーフッド)にある同盟国のひとつへと援軍として向かった。国名は訳あってまだ教えられないが、最後に教えるから少し待ってくれ」

 

「はい」

 

ツグミはそう言って小さく頷いた。

とある同盟国が第三国からの侵攻を受けてボーダーに援軍要請を求めたという「事実」はツグミを含めて当時のメンバーの全員に記憶はある。

しかしその国の名称については誰ひとりとして口にすることはない。

過去の話が出ると「同盟国」としか言わず、他にも「あの遠征」というような()()()()()言い回ししかしないのは城戸以外の人間が記憶を操作されて思い出せないからであった。

 

「その同盟国は人口が50万ほどのこれといって特色のない平凡な国だった。こちら側の世界から当時の遠征艇で約4日という近さから比較的早い時期から交流はあり、交流を始めてしばらくは現地で使用されているトリガーを交渉と交換によって手に入れるという程度の付き合いだった。それが数年後には王族との謁見を許されて非公式ではあるが同盟関係を結ぶに至った。こちらは近界民(ネイバー)の知識や技術が欲しい。そして相手は玄界(ミデン)の物品、主に食品や医薬品など保存のきく消耗品を要求してきた。力関係はボーダーの方が弱かったからあちらの無茶な要求ものまされることが多かったな」

 

ボーダー側はなんとしてでもトリオンやトリガーの知識や技術が欲しかった時代だから、いろいろな手段を講じて入手していた。

遠征先で現地の人間と交渉によって手に入れるという方法が理想的だから、交換できそうなものを大量に持って行ってトリガーと交換をしてきた。

しかし現地での戦闘に巻き込まれてしまい、倒した敵の武器(トリガー)を奪うといったことも度々あった。

その場合は遠征メンバーに被害が及ぶこともあり、できることなら穏便にことを進めたいということで多少不利であっても安定して取引ができる方が良いと同盟国を増やしていく方針を進めていたのだった。

 

「トリガーひとつ手に入れるにも苦労をしていた時期でしたね。今では優秀な技術者(エンジニア)が何人もいてボーダー独自の武器(トリガー)を作ることができるようになった。苦労したことも良い思い出とすることはできますが、正直言って子供ながらにも理不尽だと憤慨したことを覚えています」

 

「私も納得できずにいて、それを子供たちにも強いていた不甲斐ない大人であったと反省したものだ。…ある日その同盟国から突然使者がやって来て『他国の侵攻を受けているから救援を求む』と告げられた。当時のボーダーは…おまえも覚えているだろうが20人のうち半数以上が10代の子供で、おまえと小南のふたりは小学生だった。実戦経験もほとんどない子供たちに近界民(ネイバー)同士の戦争に介入して戦えとは言えなかった。当時の責任者であった最上は同盟国との約束よりも隊員の生命を守るべきだという判断であったが、迅の未来視(サイドエフェクト)でこの戦争が玄界(ミデン)にも影響を及ぼすという未来が視えてしまった。若い隊員たちの命を守ることができても玄界(ミデン)で何も知らずに生きている善良な市民を巻き添えにすることになる。そうなれば選択肢はひとつしかなかった。初めのうちは成人した隊員だけを派遣することで同盟国への義理を果たす計画だったがそれでは最悪の未来は変わらないと、まだ訓練生だったおまえだけを残して19人で遠征に向かうことになった」

 

「当時のわたしではみんなの足手まといになるだけでしたからね。ジンさんにコテンパンにやられたことで身に沁みました。いつもは手加減してくれるあの人が本気でわたしを叩きのめそうとするし、それを見ていて誰も止めようとしなかったことであの遠征にわたしを連れて行くことはできないという並々ならぬ強い意思を感じました」

 

「ああ。おまえを除く19人でどうすべきなのかを話し合い、この時に何人かが犠牲になるかもしれないとも説明したのだが、玄界(ミデン)に少しでも火の粉が降りかかる可能性があるのであればそれを全力で阻止しなければいけないということで遠征に参加することが全員一致で決まったのだ。その時におまえは残していくことに決めたのだが、それは足手まといになるというよりもそのトリオン能力の高さがアダになると判断したからだ」

 

「でもわたしにジンさんを超える戦闘力があれば連れて行くことはできたはず。つまりそれはわたしがまだ守る側ではなく守られる側の人間であったということです。それが悔しくてたまらなかったですし、コナミ先輩が『あたし弱いやつはキライなの』と言う度に自分が否定されているように感じて辛かったです。でもそれは自分が遠征で仲間を助けられなかった、弱い自分が仲間に助けられたことで生き残ったという後悔から自らに言い聞かせていたのであってわたしを責めているのではないのだとわかっています。だからわたしは自分と仲間を守ることのできる人間になりたくて努力しました」

 

「それは私も承知している。すべてにおいて『力』は必要だ。それは戦闘力だけでなく、生きて帰るための強い意思も力だ。それを行うために財力や権力も必要な場合もある。おまえは三雲くんを()()()に当たってそのことを嫌というほど思い知らせる厳しい態度で接していたな」

 

「はい。彼が遠征に参加したいという気持ちは十分わかっていました。ですが彼にはその資格がありません。遠征に参加するためには目的を果たすことも重要ですが、それ以上に必ず生きて帰って来るという強い覚悟と身を守る戦闘力が必要。それをわかっていないだけでなく近界(ネイバーフッド)の現実も知らないのにチカちゃんの願いを叶えたいという理由だけで突っ走る姿に、わたしがかつてあの遠征に参加したいと駄々をこねたことを重ねて危うい気持ちになったんです。断固反対する気でいましたが、結果的に彼をアフトへ行かせたんですからわたしはジンさんよりも甘い人間でしたね」

 

「私は甘いとは思わない。三雲くんたちを遠征に参加させるにあたっておまえは思いつく限りのフォローはしていたではないか。遠征に参加できるようトリガー使いとして鍛えることはもちろんのこと、彼らの保護者を説得したり本来遠征部隊メンバーが行うべき事前調査や敵への工作など危険を承知でおまえがキオンの連中と一緒に行ったからこそ、本隊メンバーのリスクを減らすことができた。今でもあの条件下で最善の策だったと私は思っている。そして何よりも彼らが自分の甘さに気付くことができたからこそ、アフト遠征は成功したのだと考えているのだよ。おまえが止めなければ彼らは隊務規定違反を犯してでもレプリカ奪還のために敵本拠地に飛び込んで行っただろう。おまえが厳しい態度で接したことは若く未来のある人間の命を守ったことになる。『力』はすべてではないが、なければ何もできずに指を咥えて見ているしかできない。私もつくづくそう思い知らされたよ」

 

かつて城戸は第一級のトリガー使いとして活躍していたが、第一次近界民(ネイバー)侵攻を最後に現役引退した。

それは加齢によるトリオン器官の衰えであって仕方がないことなのだが、当時の彼にとってはまだ戦わなければならないものがたくさんあったから無念であったことは間違いない。

しかし戦闘員として引退をした後はボーダーという組織の責任者として別の「力」で近界民(ネイバー)以外の勢力と戦い続けてきた。

それが孤独な戦いであったことは疑いようもなく、彼の心の内を推し量ることのできる者はいなかった。

旧ボーダー時代から20年近く付き合いのある忍田と林藤ですら理解しがたい言動もあったのだからツグミが城戸の真意を理解できるはずもなかったのだが、進む道こそ違っても目指すものが同じであると気付いた時に彼女は城戸に寄り添うことができたのだった。

城戸自身はツグミが自分のことを理解してくれるとは考えてもいなかったようで戸惑ったらしいが、今では忍田よりもずっと理解のある厳しい父親役を演じてくれている。

そして彼女の能力を高く評価し、やりたいことをさせるために総合外交政策局長という肩書(ちから)を与えた。

城戸の心の底に近界民(ネイバー)への憎しみが沈んでいてたまに浮かび上がろうとするものだから自らは手を出さず、近界民(ネイバー)との交渉をツグミに全権委任することにしたのだった。

結果は城戸の想像以上のものとなり、ツグミがボーダーを去った後の憂いもなくなった。

ツグミは修に対してトリガー使いとしては見限ったもののボーダーには必要な人材として認めており、彼の魅力 ── 真っ直ぐで表裏のない性格 ── は周囲を自然と惹き寄せ、それを彼の才能として活かせる環境と「権限」という力を与えた。

総合外交政策局は彼がボーダーの人間として最高に活躍できる場所で、局長という「力」を手に入れたことで彼はこれから自分が「そうするべき」と思ったことを思うがままに行えるようになるはずだ。

 

「『力』を行使する()()を得たからにはその力に見合う()()を果たさなければなりません。大きな力にはそれだけの権利と義務が発生し、それを権利だけ主張して義務を果たさない人間がいることによって世の中のルールは乱れてしまいます。それを子供は大人から教えられなければ知らないままでいるのですから、城戸司令の判断と采配は正しかったのだと今になってわたしは理解できました。だからわたしはオサムくんの独断と勝手な行動に釘を刺し、無知と無力は罪であるとまで思わせるほどの厳しい指導をしたんです。レイジさんをはじめとした玉狛支部の先輩たちは優秀なトリガー使いで優しいですけど、問題が生じても根本的な解決をしようとする言動は見られず現状維持とか見守るというきれいごとで済まそうとしていましたから、自然とわたしが厳しい態度で接するしかなくなったわけですけどね」

 

「おまえには悪役というか…嫌われ役を演じてもらったことで三雲くんは想像以上の成長を見せた。彼が問題行動を起こすたびに私は彼に対して苦々しく感じていた。そこで彼を辞めさせないで良かったと心から思っている。その代価としておまえに苦労させたように感じているのだが、おまえのことだからすべては自分のためにやったことなのだと言うのだろうな」

 

「もちろんです。わたしにも彼の成長ぶりは想像以上で、エウクラートンへ発つ日を目前にして何の心配もありません。彼なら第一次近界民(ネイバー)侵攻の拉致被害者市民救出計画も残り2ヶ国を無事に成功させ、同盟国を増やしていくことで春川青葉ちゃんのような個別の拉致被害案件の解決にもつながっていくと思っています。現在のボーダーはあらゆる面で安定した組織となっていますので、この機会に過去の清算をしたいと思うあなたの気持ちも理解できるんです」

 

「そう言ってくれるとありがたい。…話が少し脱線してしたったようだ。話を本題に戻そう。あの遠征で無事に帰還できたのは半数以下の9人。あまりにも大きい犠牲を払ったものの、得るものは何もなかった。辛うじて近界民(ネイバー)の手が三門市民に届くことなく済んだのだが、失ったものの大きさに私たちはしばらく茫然自失の状態となってしまった」

 

「でも現地で経験した悲劇の記憶を封印したことで、みんなは再び歩き出すことができました。あなたの判断は正しかったと断言できます。そしてわたしはだからこそ真実を知るべきだと思います。少なくともわたしは知りたい。あなたがようやく話してくれる気持ちになったんですから、わたしはどんなことであっても恐れずに聞くという覚悟ができたんです」

 

ツグミの言葉は城戸に勇気を与えた。

 

「そうか。概要の説明で済ませようかとも思ったが、おまえには私の知る限りのことを伝えよう。戦争という愚かで哀しい物語を」

 

 

 

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