ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミが城戸に問いかけた次の瞬間、ドアをノックする音と迅の声がドアの向こう側から聞こえた。
「城戸さん、ツグミ、入ってもいいかな?」
そして返事も待たずにドアを開けて総司令執務室の中へ入って来る。
手には本部基地1階にあるコンビニのレジ袋を提げていて、ツグミに頼まれた買い物を終えて戻って来たのだった。
「ああ、さっき下に行った時に太刀川さんに捕まっちゃってさ、俺がしばらく留守をするもんだから決着をつけるために勝負しろってうるさいんだよ。だから最低でも10本勝負くらいは付き合わないと解放してもらえそうにない。俺が戻って来るまでにそっちの話はつけておいてほしいんだ。じゃあ」
迅は勝手に事情を説明し、テーブルの上にレジ袋に入った商品を置くとすぐに部屋を出て行ってしまった。
「太刀川さんに捕まったというのは本当でしょうけど、たぶんわたしたちにゆっくり話をしていてもかまわないと気を遣ってくれたんでしょうね」
「だろうな。あいつは昔から察しがいい。それに気遣いもできるヤツだ。
「ええ。…さあ、召し上がってくださいな。全部食べたらお話しの続きをしましょう」
ツグミに促され、城戸はサンドウィッチに手を伸ばした。
◆
「さて、これから話すことは以前に話したことと被る部分もあるが、重要なことなのでもう一度聞いてもらいたい」
食事を終えた城戸はそう言うと立ち上がり、執務机の引き出しから写真立てを取り出してそれをツグミに手渡した。
「これは…!」
「そうだ。三雲くんの昇進祝いで玉狛支部へ行った際、彼に持たされたのだよ。これは私が持っているべきで、そうでなければ彼らの思いを継ぐボーダーの責任者としては不適格なのだそうだ」
その写真立てに入っているのは旧ボーダー時代のメンバーで撮った集合写真で、城戸が玉狛支部の部屋を去る時に残していったものだ。
修はそれをずっと預かっていたのだが、今の城戸なら受け取りを拒むことはないと考えたようで帰る時に彼に渡したのだった。
そこには城戸にとってだけでなくツグミにとっても大切な
それから間もなくして訪れる悲劇のことなど誰も知らず、この日常がずっと続くものだと信じて疑ってはいない様子だ。
ツグミはこの写真には写っていないのだが、それがむしろあの遠征における悲劇とは無縁の存在であるという証のようにも感じられる。
懐かしい顔ぶれにツグミはもうこの世にはいない
「ようやく私はこの写真を怒りや憎しみの感情にとらわれずに見ることができるようになった。9年もかかってしまったがな」
「それは仕方がありません。わたしはともかくジンさんや忍田本部長たちが今を生きることができたのは、あの時の辛い記憶を封印したからです。記憶を操作できる
ツグミはそう言って城戸に微笑みながら写真を返した。
「そう言ってくれると救われる。あの時の私にはこれが最善の選択だと信じていて後悔もしてはいなかった。ただ他にも道はあったのではないかとも思うようになっていった。私ひとりの判断ではなく忍田や林藤に相談すれば別の未来があったはず。そう思うと不安になってしまった。これからおまえに話すことは私にとっての懺悔の意味も込められている。そうすればおまえはきっと私に許しを与えてくれるという甘えがあってのことなのだ」
「もしどんな内容であってもわたしは絶対に許さない…と断言したら告白をやめますか?」
「…いや、それでも全部打ち明けたい。私しか
城戸の覚悟が本物であるとなればツグミは
「わかりました。許しを与えるなんてことはわたしにはできませんが、懺悔することであなたの気持ちが楽になるのであればすべて聞くことにします。もしここで聞かなければきっとわたしは後悔する。だったら内容がどんなものであれ知りたいと思います。それにあなたを悩みや苦しみから解放する一助になれるのなら、それはこれまで父親代わりに見守ってくれたことへの恩返しになる気がします」
「…そうか。おまえがそう思うのなら私は私の記憶のすべてをおまえに明かそう。ちょっと待っていてくれ」
城戸は金庫の中から手のひら大の大きさの箱を取り出す。
箱の中には男性用の腕時計のようなものが入っている。
色は漆黒で、形は腕時計なのだが時計としての機能はないようにツグミには見えた。
「これは…もしかしたら…」
「おまえが想像するようにこれは
城戸はそう言って
「風刃の元になったのは最上で、天羽が使用しているものは梅咲。そしてこれは風間が自らの命と未来と全トリオンをすべて注ぎ込んで作った
「そうか…これまでボーダーを除隊になった人や市民で目撃してはいけないものを見てしまった人たちがこの部屋に呼び出されたのは、あなたがこれを使って都合の悪い記憶を封印していたんですね?」
「そういうことだ。まずはこのトリガーが生み出された遠征のことから話をしよう」
城戸は視線を今はもういない朋友や
◆
「今から9年前、おまえを残し19人の人間が
「はい」
ツグミはそう言って小さく頷いた。
とある同盟国が第三国からの侵攻を受けてボーダーに援軍要請を求めたという「事実」はツグミを含めて当時のメンバーの全員に記憶はある。
しかしその国の名称については誰ひとりとして口にすることはない。
過去の話が出ると「同盟国」としか言わず、他にも「あの遠征」というような
「その同盟国は人口が50万ほどのこれといって特色のない平凡な国だった。こちら側の世界から当時の遠征艇で約4日という近さから比較的早い時期から交流はあり、交流を始めてしばらくは現地で使用されているトリガーを交渉と交換によって手に入れるという程度の付き合いだった。それが数年後には王族との謁見を許されて非公式ではあるが同盟関係を結ぶに至った。こちらは
ボーダー側はなんとしてでもトリオンやトリガーの知識や技術が欲しかった時代だから、いろいろな手段を講じて入手していた。
遠征先で現地の人間と交渉によって手に入れるという方法が理想的だから、交換できそうなものを大量に持って行ってトリガーと交換をしてきた。
しかし現地での戦闘に巻き込まれてしまい、倒した敵の
その場合は遠征メンバーに被害が及ぶこともあり、できることなら穏便にことを進めたいということで多少不利であっても安定して取引ができる方が良いと同盟国を増やしていく方針を進めていたのだった。
「トリガーひとつ手に入れるにも苦労をしていた時期でしたね。今では優秀な
「私も納得できずにいて、それを子供たちにも強いていた不甲斐ない大人であったと反省したものだ。…ある日その同盟国から突然使者がやって来て『他国の侵攻を受けているから救援を求む』と告げられた。当時のボーダーは…おまえも覚えているだろうが20人のうち半数以上が10代の子供で、おまえと小南のふたりは小学生だった。実戦経験もほとんどない子供たちに
「当時のわたしではみんなの足手まといになるだけでしたからね。ジンさんにコテンパンにやられたことで身に沁みました。いつもは手加減してくれるあの人が本気でわたしを叩きのめそうとするし、それを見ていて誰も止めようとしなかったことであの遠征にわたしを連れて行くことはできないという並々ならぬ強い意思を感じました」
「ああ。おまえを除く19人でどうすべきなのかを話し合い、この時に何人かが犠牲になるかもしれないとも説明したのだが、
「でもわたしにジンさんを超える戦闘力があれば連れて行くことはできたはず。つまりそれはわたしがまだ守る側ではなく守られる側の人間であったということです。それが悔しくてたまらなかったですし、コナミ先輩が『あたし弱いやつはキライなの』と言う度に自分が否定されているように感じて辛かったです。でもそれは自分が遠征で仲間を助けられなかった、弱い自分が仲間に助けられたことで生き残ったという後悔から自らに言い聞かせていたのであってわたしを責めているのではないのだとわかっています。だからわたしは自分と仲間を守ることのできる人間になりたくて努力しました」
「それは私も承知している。すべてにおいて『力』は必要だ。それは戦闘力だけでなく、生きて帰るための強い意思も力だ。それを行うために財力や権力も必要な場合もある。おまえは三雲くんを
「はい。彼が遠征に参加したいという気持ちは十分わかっていました。ですが彼にはその資格がありません。遠征に参加するためには目的を果たすことも重要ですが、それ以上に必ず生きて帰って来るという強い覚悟と身を守る戦闘力が必要。それをわかっていないだけでなく
「私は甘いとは思わない。三雲くんたちを遠征に参加させるにあたっておまえは思いつく限りのフォローはしていたではないか。遠征に参加できるようトリガー使いとして鍛えることはもちろんのこと、彼らの保護者を説得したり本来遠征部隊メンバーが行うべき事前調査や敵への工作など危険を承知でおまえがキオンの連中と一緒に行ったからこそ、本隊メンバーのリスクを減らすことができた。今でもあの条件下で最善の策だったと私は思っている。そして何よりも彼らが自分の甘さに気付くことができたからこそ、アフト遠征は成功したのだと考えているのだよ。おまえが止めなければ彼らは隊務規定違反を犯してでもレプリカ奪還のために敵本拠地に飛び込んで行っただろう。おまえが厳しい態度で接したことは若く未来のある人間の命を守ったことになる。『力』はすべてではないが、なければ何もできずに指を咥えて見ているしかできない。私もつくづくそう思い知らされたよ」
かつて城戸は第一級のトリガー使いとして活躍していたが、第一次
それは加齢によるトリオン器官の衰えであって仕方がないことなのだが、当時の彼にとってはまだ戦わなければならないものがたくさんあったから無念であったことは間違いない。
しかし戦闘員として引退をした後はボーダーという組織の責任者として別の「力」で
それが孤独な戦いであったことは疑いようもなく、彼の心の内を推し量ることのできる者はいなかった。
旧ボーダー時代から20年近く付き合いのある忍田と林藤ですら理解しがたい言動もあったのだからツグミが城戸の真意を理解できるはずもなかったのだが、進む道こそ違っても目指すものが同じであると気付いた時に彼女は城戸に寄り添うことができたのだった。
城戸自身はツグミが自分のことを理解してくれるとは考えてもいなかったようで戸惑ったらしいが、今では忍田よりもずっと理解のある厳しい父親役を演じてくれている。
そして彼女の能力を高く評価し、やりたいことをさせるために総合外交政策局長という
城戸の心の底に
結果は城戸の想像以上のものとなり、ツグミがボーダーを去った後の憂いもなくなった。
ツグミは修に対してトリガー使いとしては見限ったもののボーダーには必要な人材として認めており、彼の魅力 ── 真っ直ぐで表裏のない性格 ── は周囲を自然と惹き寄せ、それを彼の才能として活かせる環境と「権限」という力を与えた。
総合外交政策局は彼がボーダーの人間として最高に活躍できる場所で、局長という「力」を手に入れたことで彼はこれから自分が「そうするべき」と思ったことを思うがままに行えるようになるはずだ。
「『力』を行使する
「おまえには悪役というか…嫌われ役を演じてもらったことで三雲くんは想像以上の成長を見せた。彼が問題行動を起こすたびに私は彼に対して苦々しく感じていた。そこで彼を辞めさせないで良かったと心から思っている。その代価としておまえに苦労させたように感じているのだが、おまえのことだからすべては自分のためにやったことなのだと言うのだろうな」
「もちろんです。わたしにも彼の成長ぶりは想像以上で、エウクラートンへ発つ日を目前にして何の心配もありません。彼なら第一次
「そう言ってくれるとありがたい。…話が少し脱線してしたったようだ。話を本題に戻そう。あの遠征で無事に帰還できたのは半数以下の9人。あまりにも大きい犠牲を払ったものの、得るものは何もなかった。辛うじて
「でも現地で経験した悲劇の記憶を封印したことで、みんなは再び歩き出すことができました。あなたの判断は正しかったと断言できます。そしてわたしはだからこそ真実を知るべきだと思います。少なくともわたしは知りたい。あなたがようやく話してくれる気持ちになったんですから、わたしはどんなことであっても恐れずに聞くという覚悟ができたんです」
ツグミの言葉は城戸に勇気を与えた。
「そうか。概要の説明で済ませようかとも思ったが、おまえには私の知る限りのことを伝えよう。戦争という愚かで哀しい物語を」