ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
城戸の昔話を聞き終えたツグミは彼が9年間もずっとひとりで抱え込んでいた苦悩や憤りなどを知って言葉が出なかった。
彼はボーダーの仲間たちのことを「家族」と考えていたのだが、それはツグミの考え方と同じである。
すでに彼の両親は他界していてきょうだいもいなかったために天涯孤独な男であったが、最上と有吾と織羽という「刎頸の友」を得たことで彼の人生は大きく変わっていった。
ボーダーを設立するとそこに忍田と林藤という少年たちが参加して、城戸は彼らが弟のように思えて時には厳しく、また優しく接していく。
そこに迅やツグミといった子供たちが加わり、ボーダーは軍事組織でありながらアットホームな雰囲気を漂わせる城戸にとっての「家」となった。
存在を隠しながらも仲間を増やしていかなければならないために、絶対的な信頼によって結ばれた者たちだけの組織となったボーダー。
そのメンバーのほとんどが10代の子供たちで、城戸にとっては彼らが本当の息子や娘のように思えたことだろう。
だからこの遠征で受けた彼の精神的ダメージは相当なものであったはずだ。
朋友最上と9人の子供たちを喪った哀しみは計り知れないものであろうし、生き残った者たちのためとはいえ記憶を操作するという倫理的に問題のある行為を引き受けたのだから、彼の精神がボロボロになってしまったとしてもやむをえない。
その時の最善の道であると彼が判断し、自分の責任において行ったことをツグミは責めることなどできるはずもなく、だからといって慰める言葉も見当たらなかった。
いつもの彼女なら相手にとって欲しいと思える言葉を与えたり、また相手のためにわざと厳しく接するなど適切な態度をとることができたのだが、城戸の話を聞いていて自分が彼の立場であったならどうしたかを考えるのだがそもそも
もちろん城戸もツグミに慰められたり許しの言葉を与えてほしいなどと思ってはいない。
ただ胸の奥底にあるものをすべて吐き出したかっただけなのだ。
それも自分が死んでしまったら誰も思い出すことのない事実を失いたくはないという切ない思い。
このままでは最上たちがどのように生きてどのように死んでいったのかを知る者がいなくなり、彼らの人生そのものをなかったことにしてしまうかのように城戸には思えたのだ。
迅や忍田たち遠征の生き残りに記憶を取り戻させるのは難しくない。
彼らの記憶の扉を開ける「鍵」は城戸の手の中にあり、扉を開ければあの悲劇の4日間の記憶は呼び戻される。
忍田や林藤といった当時の大人たちだけでなく9年も経った今なら当時子供だった迅や小南たちでも大人になったのだから耐えることはできるかもしれない。
しかし一度開けてしまったものを再び閉じることができるかどうかはわからない以上、簡単に開けて良いものなのか悩むのは当然だ。
ツグミに相談をしたのは真実を知ってもダメージが少ないであろうということと、当事者であっても第三者の視点で冷静にものを考えることができる彼女だからこそ城戸は彼女に打ち明けたのだった。
ツグミもそのことを承知していて安易に発言ができないと理解しているから、彼女がようやく口を開いたのは城戸の話が終わって10分以上も経ってからで、城戸もその言葉が出るまでじっと黙って待つだけだった。
「城戸司令、わたしは現地での光景を見てはいませんし、あなたが良かれと思ってやったことですから否定はしません。そしてそれがどんな悲惨なものであっても記憶とはその人物にとっての
ツグミの言葉に城戸は安堵した表情で大きく頷いてひと言だけ小さく呟いた。
「そうか…」
「わたしは大丈夫です。どんなことであっても受け止めるだけの覚悟はありますし、支えてくれる人がそばにいるという事実は変わりませんから」
そう言って微笑むツグミに城戸も覚悟を決めて彼女に「鍵」を与えることにした。
「ならばおまえに『鍵』を渡そう。ただし開けてしまえばもう閉じることはできないものだと思え」
「はい」
自分をまっすぐに見つめるツグミに城戸は告げた。
「『鍵』はふたつある。万が一のことを考えて二重にかけておいたのだ。ひとつは私たちが援軍として駆けつけた今は亡き国の名『アリステラ』。そしてもうひとつはアリステラを侵攻した国の名…『インクブス』だ。そのふたつの国の名を口にすれば記憶の扉は開かれ、過去の真実は再びよみがえる」
「アリステラ…インクブス………………………!」
ツグミがその2ヶ国の名を口にして数秒後、彼女の脳裏には9年前の記憶がよみがえってきた。
◆◆◆
遠征艇が帰還したことを城戸からの通信で知ったツグミは本部基地で仲間たち19人が笑顔で戻って来ることを信じて疑わずひとりで待っていた。
ところが待っても待っても誰ひとりとして来ないものだから苛立ち始め、同時に不安が頭を過ぎるようになっていく。
そして4時間ほど経った頃、玄関付近に人の気配がしたものだからツグミは慌ててリビングルームから玄関へと駆け下りて行った。
そこで見たのはまず憔悴しきった様子の忍田と林藤のふたり。
大きな怪我はしていないものの、明らかに睡眠不足による疲労で衰弱しているようであった。
さらにその後ろからひとりでは歩くこともままならない様子のゆりに肩を貸して歩いて入って来たレイジがいて、最後に桐山が小南を背負って玄関に入るとドアを閉めてしまった。
その異様な状況にツグミは茫然としてしまうが、すぐに事情を知りたいと忍田に駆け寄った。
「真史叔父さん、何があったんですか!? 他のみんなはどうしたんですか!?」
すると震える声で言う。
「城戸さんは大怪我をして病院で手当てをしてもらっている。九條は怪我こそしていないが…少し安静が必要だということで入院してしまった。迅は…まだ車の中にいる」
「じゃあ、最上さんは? 風間さんは? 甲斐さんは? 楓ちゃんは? 梅咲さんは? 平良さんは? 相馬さんは? イブキさんは? 鈴村さんは? 千尋さんは?」
ツグミは仲間たちの名を次々と挙げていくが、そのたびに忍田の表情が険しくなっていった。
そうなると彼女は生まれつき聡い子供であったから忍田が答えられない理由に気が付いてしまう。
ただその時点ではまだ7人が死亡して3人が
「それならみんなが帰って来るまでここでおとなしく待っています。ここはみんなの
「…ああ。私は少し疲れた。部屋で休ませてもらう」
忍田はそれだけ言うとひとりで自室へと言ってしまう。
その様子を目で追うことしかできないツグミの頭を優しく撫でながら林藤が言った。
「いろいろあったんだ、みんな疲れてるんだよ。勘弁してやれ。それよりも外にいる迅のそばにいてやってくれねぇか。でも何も訊くな。黙ってそばにいてやりゃいい」
「わかりました。行って来ます」
ツグミは橋の脇の駐車場に停められたマイクロバスに乗り込むと、一番後ろの席で膝を抱えて蹲っている迅の姿を見付けた。
何かをしっかりと握りしめていて、目は視点が定まらず虚ろな表情でいる。
「ジンさん、お帰りなさい」
「……」
ツグミの呼びかけにすら迅は反応せず、最上の形見 ── 後に風刃と名付けられる
その時彼女は自分が遠征に連れて行ってもらえなかったことでひどく哀しくて辛かった自分よりも迅はずっと苦しい経験をしたのだと察し、そのまま何も言わずに迅の隣に腰掛けて身を寄せた。
城戸から到着の連絡があったのが午前8時頃で、本部基地に忍田たちが戻って来たのが正午を少し過ぎた頃。
そしてようやく迅が人間的な感情を表に出したのが日の傾きかけた午後3時半頃だった。
「ツグミ…」
「ジンさん! ジンさんは怪我してないわよね!?」
「あ、ああ…」
「無事に帰って来てくれて嬉しい。約束したことを守ってくれてありがとう」
そう言ってツグミは迅に抱きついた。
「約束」とは遠征に出発する時にひとり残されることになり泣きそうになるのを我慢しているツグミに迅が「必ず無事に帰って来る」と力強く言った言葉である。
「ただいま…」
「お帰りなさい」
その時のツグミの顔は両目から涙が溢れ出ていてぐしゃぐしゃの笑顔で、その顔がおかしかったのか迅は彼女の頭に手を載せて静かに笑った。
そして握りしめていたものをツグミに見せる。
「これ…最上さんなんだ」
「え?」
「最上さんが
「そんな…」
ツグミは
おまけに自分の知っている人間が
「最上さん、死んじゃったの?」
「違う。死んではいない。…ただもう話はできないし一緒に稽古もしてもらえないだけだ」
死んだことを認めたくない迅は手の中にある黒い無機物の中で最上が生きているのだと思い込むことにしたのだ。
「もう遊んでもらえないのね…。でも最上さんがジンさんを守ってくれたおかげでまた会えた。ありがとう、最上さん」
ツグミは迅の手の上に自分の手を重ねてその中にいる最上の魂に礼を言う。
それが引き金になったのか、迅は突然大きな声を出して泣き出してしまった。
ずっと胸の中に抑え込んでいた感情が爆発してしまったのだろう。
そしてそんな迅の涙にツグミも引っ張られたようで、彼の身体を抱きしめて同様に大泣きしてしまう。
力いっぱい泣いたものだから迅とツグミはそのままマイクロバスの後部座席で泣き疲れて眠ってしまったほどだ。
ツグミが目を覚ますとそこは本部基地内にある迅の部屋で、彼女の隣では迅が爆睡している。
比較的
窓の外は真っ暗になっていて、部屋の時計は午後7時を過ぎていた。
彼女は迅を起こさないように静かにベッドを下り、食堂へ行くとそこにはレイジとゆりがいて淡々と食事の準備をしていて、ツグミは遠征で何があったのかを知りたいと思ったが今は触れてはいけないことだと察して何も訊かずにいた。
そのうちに忍田と林藤も普段とあまり変わらない様子で食堂に入って来たのだが、単に身体を休めて疲れがとれたので元気になったのだとツグミは信じていた。
それから桐山と小南が合流し、最後に迅と城戸が来て全員揃ったところで夕食をとる。
遠征前には和やかな雰囲気で会話の多い食事時間だったのだが、その日はまるでお通夜のようにしんみりとしていて誰ひとりとして口を開かない重苦しい雰囲気の食事だった。
夕食後にツグミはひとりだけで城戸から遠征先であった出来事を教えられた。
そして最上と風間と梅咲の3人が
19人もいれば誰かが怪我をしたり辛い経験をするだろうと覚悟はしていたが、まさか10人もの家族同様の仲間たちと永遠の別れになるとは想像もしていなかったことでさすがのツグミも茫然としてしまうが涙はもう出なかった。
迅と一緒に泣いたことで涙が枯れてしまったのかもしれない。
そんな彼女の様子を見ていた城戸は決心した。
「おまえもすぐに楽にしてやる」
そう言って城戸は上着のポケットに入れておいた黒い腕時計のようなものを自分の左手首につけると心の中で呟いた。
(トリガー、
続いて左手でツグミの両目を覆って言った。
「おまえのより良き未来のために過去の忌まわしい記憶を封印する」
ツグミは何が起きたのかわからずにいたが、城戸が手を離した次の瞬間には身体の中に溜まっていた澱みのようなものが消えた感じでスッキリした気分になったのだった。
◆◆◆
9年前の記憶の中の世界から現実世界に戻って来たツグミの心の中は穏やかで、自分の選択は正しかったのだと確信していた。
「これでアリステラ遠征に関わる事象のすべてがひとつにつながった気がします。…たしかに伝聞でしかないわたしでさえもショックを受けたんですから、その光景を目にしたジンさんたちなら心が壊れてしまっても当然で、彼らの心を守るには記憶の封印は
「そう言ってくれると私は救われる。そして真実を知る勇気ある判断をしてくれたおまえに感謝する。ありがとう、ツグミ」
城戸は9年間ひとりで背負ってきた重い荷物をようやく下すことができたという安堵感なのか、眉間のシワがなくなって9年前の豪快に笑うあの頃の顔のようになっていた。
「わたしはアリステラ遠征に関わる記憶を取り戻しましたが、それは自分の意思で決めたことです。そしてこの記憶はわたしの大切な家族との絆でもあり、死ぬまで大切にしたいと思っています。ですが他の人にとって忌まわしい記憶をよみがえらせることが本人のためになるとは限りません。思い出したくないという相手に教えることは9年前の苦痛を今になって再び与えるというもの。本人に確認して思い出したいという人にだけ教えるという方法が良いでしょう。もし残り全員がNOと答えたとしてもわたしが覚えていますから安心してください。最上さんたちがどう生きてどのように最期を迎えたのかをあなただけでなくわたしも知っていると思えば気持ちはだいぶ楽になったはずですよ」
「ああ、おまえの言うとおりだ。それならこの後まず迅に話をして本人に判断してもらおうか」
「はい。彼もそれを待っているんですから。電話してみますね」
ツグミは迅の携帯電話にかけてみるのだが留守電になっている。
「まだ太刀川さんとの模擬戦が続いているみたいです。留守電にメッセージを入れておきましたので、ジンさんが来るまで間、別の話でもしましょうか?」
ツグミが提案すると城戸は賛成する。
「いいだろう。それでどんな話をするのだ?」
「別の話といってもさっきの遠征に関わる話ですが…いえ、辛いことではありません。その風間さんの
ツグミは訊くと、城戸は左手首のトリガーに視線を向けた。
「おまえには無理だろうな」
「それはどういう意味ですか?」
「風間がさせないと思うからだ。そもそも
「そういうものでしょうか?」
「ああ。本来トリガーとは武器に限らず
「そうかもしれませんね。なにしろ
ツグミの言葉には聞く者を納得させる力がある。
彼女の言うことが真実かどうかではなく、たとえそれが嘘であったとしても彼女の相手を思う気持ちがそうさせるのだ。
城戸は責任を押し付けられたと考えていたようだが、彼女にそうではなく別に理由があると諭されたことで救われた気持ちになった。
ずっと自分だけの心の中に納めてきた真実を彼女に打ち明けたことで気持ちが楽になっただけでなく、思い悩んでいたことを軽く否定されたことで黒くどんよりとした雨雲のようなものは取り払われてその向こう側にある青空が見えた気がしたのだった。
「そうだな…風間がそんなことをするはずがない。おまえに言われるまですっかり忘れていたよ」
「わたし、記憶の封印が解けたことでいろいろなことを思い出しました。辛いこととか哀しいこともたくさんありましたけど、それを思い出さないようにするためなのか遠征前の楽しかった思い出も封印されていたようで、それも一緒によみがえってきたんです。それで最上さんが風刃を遠隔斬撃の
「それはどういう理由なんだ?」
ツグミと城戸がそんな会話をしているとドアをノックする音がした。