ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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675話

 

 

「いや~まいった、まいった。太刀川さんがなかなか帰してくれなくてさ~。10本勝負ってことだったのが最終的には30本になってて、おまけに駿が見物客に混じってて、太刀川さんが解放してくれたと思ったら今度は駿が放してくれないんだよ。だから城戸さんに呼ばれてるからって言って10本で勘弁してもらったんだ。待たせて悪かった」

 

迅が申し訳なさそうな顔で総司令執務室へと入って来た。

 

「それで結果はどうだったんですか?」

 

ツグミが訊くと迅は頭を掻きながら答える。

 

「やっぱ現役には敵わないさ。太刀川さんとは12勝18敗で駿とは6勝4敗。とりあえずふたりは満足してくれたようだから安心したよ」

 

「ジンさんは満足できましたか?」

 

「俺は…別にあいつらみたいな戦闘狂(バトルジャンキー)じゃないし戦いに人生を賭けているわけじゃないからな、結果なんてもんなどうでもいい。俺が戦う理由はたったひとつしかなくて、今の俺でも十分に役立ってるみたいだから。あ、もちろんボーダーを辞めても稽古は欠かさないから大丈夫。使わないのが一番だけど、いざという時に何もできないなんて無様な姿をおまえには見せたくないからな」

 

迅はツグミと共にエウクラートンへ行くことになる。

少なくとも10年は帰って来ることはできず、太刀川のような良きライバルとの模擬戦もこれが最後であろう。

 

(平気な顔をしているけど8年以上も共に切磋琢磨してきた戦友(とも)と別れることが寂しいとか残念だとか思わないはずがない。本当に未練はないのかしら?)

 

ツグミはそう考えた。

女王となる彼女ひとりがエウクラートンへ行って迅はボーダーに残るという道もあったのだが、今の…いや過去・現在・未来いずれであっても迅にとってツグミを守るために戦うことがすべてである。

だからボーダーに心残りはなく、平気な顔というよりもボーダーでやるべきことはすべてやり切ったという清々しい気分でいられるのだろう。

 

「そんなことよりも話は済んだんだろ? それでどういう結果になったんだ?」

 

迅はツグミと城戸の両方の顔を見ながら訊く。

すると城戸が答えた。

 

「ツグミは勇気ある決断をした。記憶を取り戻し、九條以外の生還者7人にこれまでの事情を説明して本人の判断を仰ぐのが私の義務であり責任を取るということだと言う。私も同じ考えで、まずはおまえに話をしたいと思う」

 

「そういうことならその話というのを聞きましょう」

 

迅はツグミの隣に座ると城戸の目を真っ直ぐに見つめた。

 

 

城戸はツグミに話したことと同じことを迅にも話す。

迅自身が遠征に参加して過酷な経験をしているわけだが、そのことを胸に秘めたままでは日常生活に支障があるという理由によって城戸の独断で記憶の封印を行ったのだと説明した。

 

「本人の意思を無視して勝手なことをしたことについては謝罪する。そして記憶を取り戻すかどうかはおまえの判断に任せて ──」

 

「いいですよ。お願いします。どんなものであっても俺は過去を乗り越える自信がありますから。あの時の子供のままじゃ耐えられないことでも今の俺なら大丈夫。それに最上さんの最期を見届けたのが俺しかいないんなら、俺が忘れたままじゃ哀れじゃないですか」

 

「だがおまえの親代わりであり剣の師匠であった最上の消えゆくさまを再び経験するのは耐えられるとしても辛いことに変わりはない。それでもいいのか?」

 

「もちろんです。それに仮に俺の心が折れてしまったとしても隣で支えてくれるやつがいるんですから立ち直れないことはありません」

 

そう言って迅は不安そうなツグミの顔を見て微笑んだ。

 

「そんな顔するなんておまえらしくないぞ」

 

「あなたがそう決心したのなら止めはしませんけど、わたしの記憶の中にあるあなたの憔悴しきった様子は見ていて辛かったです。いくら大丈夫とはいえあなたがもう一度経験することになると思うと胸が苦しくなります」

 

「そんなに酷かったのか? でも心配するな。俺は最上さんのことだけじゃなくて他の連中のことも覚えていてやりたいんだ」

 

「わかりました。…もう一度確認します。最上さんが(ブラック)トリガーになった時の様子をあなたが目撃して城戸さんに報告し、それを逆に城戸さんの口からあなたに知らされた。それだけでも十分じゃないかとも思うんですが、最上さんの最期の姿をあえて記憶としてもう一度胸に刻みたいというんですよね?」

 

「そうだ。もしおまえが俺の立場だったらどうする? 同じ答えを出すだろ?」

 

「はい」

 

「だったら決まりだ。…城戸さん、お願いします」

 

「わかった」

 

城戸はツグミの時と同じように言う。

 

「ならばおまえに記憶の扉を開く『鍵』を渡そう。ただし開けてしまえばもう閉じることはできないものだと思え」

 

「はい」

 

自分をまっすぐに見つめる迅に城戸は告げた。

 

「『鍵』はふたつある。万が一のことを考えて二重にかけておいたのだ。ひとつは私たちが援軍として駆けつけた今は亡き国の名『アリステラ』。そしてもうひとつはアリステラを侵攻した国の名…『インクブス』だ。そのふたつの国の名を口にすれば記憶の扉は開かれ、過去の真実は再びよみがえる」

 

「アリステラ…インクブス………………………!」

 

ツグミは迅の手をしっかりと握り、彼の魂が壊れないようにと心の底から念じた。

 

 

 

 

記憶を取り戻すのは一瞬のことなのだが、当事者にとって失われていた記憶が走馬灯のように駆け巡っていく。

迅の頭の中には欠落していたアリステラ遠征4日目の朝から三門市に到着して城戸によって封印されるまでの数日間の記憶がよみがえってきた。

当時14歳の少年であった迅には耐えられない経験であったが、23歳となり様々な経験を積んで大事なものを守り抜くことのできる青年になった今の彼には「過去の凄惨な事実」を乗り越えることができたようであった。

ただいきなり大量の情報が頭の中に湧き上がってくるのだから、封印から解けた記憶とその前後で持ち合わせていた記憶と合致させるために多少の記憶の混乱と精神的ダメージはある。

それに耐えうるだけの魂を持ち合わせていた迅は閉じていた目を開くと満足げに頷いた。

そして意外なことに嬉しそうに言うのだった。

 

「最上さんの声を思い出せたよ。遠征前にあの人と会話した内容や一緒に稽古したことは覚えていたんだが、声は脳内で再生できずにいたんだ。それが当たり前なんでどうということはなかったんだけど、遠征の時の…あの人の最後の言葉が音声付でよみがえってきた」

 

「辛くはない?」

 

ツグミの問いに迅は首を横に振った。

 

「辛くないわけじゃないけど、それよりも思い出せたことが嬉しい。…9年前の14歳の俺には突然のことだったし父親のように慕っていた最上さんが目の前で消えてしまったってことに耐えられなかったのは無理もない。でも今は23歳になっているだけじゃなくてもう最上さんはいないんだという認識があって、どんなに泣き喚いたところで過去は変えられないとわかっているから冷静でいられる。そうだな…たとえは正確じゃないが自分が出演している昔の映画を初めて見たってカンジかな? その映像の中で最上さんだけでなくもう会えない仲間たちが生きるために全力で戦っていた。俺もその中にいて、みんなのおかげでこうして今を生きていられる。それを忘れたままでいたならそっちの方が辛い。俺はたくさんのものを託された。その託されたものの中に『近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい』っていう最上さんの願いがあって、俺にはその遺志を継ぐ義務がある。あの人に恥じない生き方をするんだって改めて心に誓ったよ」

 

握ったままの迅の手がツグミの手をしっかりと握り返す。

それは彼の強い意思の表れであり、ツグミにはどんなことがあってもこの手を離さないという決意にも感じられた。

 

「だったら記憶を取り戻して後悔をしていないってことですね。ああ、よかった」

 

本心からそう思っているらしくツグミはようやく肩の力を抜く。

そんなふたりのやり取りを城戸は黙って見守っていて、彼もまた自分の役目がひとつ終えたのだと安堵の表情でソファの背に身を委ねたのだった。

 

(ツグミ、迅、勇気ある決断をしたおまえたちの未来に幸あらんことを…)

 

城戸は心の中でそう呟いた。

 

 

 

 

「そう言えば話が途中になっていましたね、城戸さん」

 

ツグミは迅が来るまで城戸と「風刃」の話をしていて、それが中断したままであったことを思い出した。

 

「ああ、そうだったな。最上さんが風刃を遠隔斬撃の武器(トリガー)にした理由に心当たりがあるみたいだが」

 

「はい、そうです」

 

ツグミが答えると、迅は身を乗り出してきた。

 

「何、それ? 面白そうじゃん。俺にも教えてよ」

 

「いいですよ。でもこれはあくまでもわたしの仮説で、本当にそうなのかはわかりませんから」

 

そう前置きをしてから説明を始める。

 

「当時の武器(トリガー)は弧月がメインで、弾丸トリガーは開発されたばかりでアステロイドという名前さえありませんでした。そのアステロイドはトリオンキューブの操作をしなければ武器として役立ちません。その都度弾速や距離などを設定して発射する手間が苦手な人もいて、最上さんはいろいろと器用な人なのにキューブの扱いだけは苦手でした。それで一緒に稽古をしていた時にあの人は言っていました。自分は剣の腕には自信がある。でも弧月では攻撃範囲が狭くて遠くにいる仲間がピンチになっても援護してやれない。この弧月の斬撃が遠くまで届いたらすごいと思わないか、って。だから風刃は弧月以上の切れ味と耐久性を持ち、目の届く範囲ならどこにでも攻撃できる武器(トリガー)になったのではないかと。それにジンさんの未来視(サイドエフェクト)のことも知っているので斬撃の発動も任意で操作できるようにしてトラップを仕掛けられるようにしたというところが最上さんらしいです。もっともその後に弧月にも斬撃の伸びる旋空というオプションが開発され、多くの人々の命や財産を守ってきたんですから、最上さんの考え方は正しかったってわたしは思います」

 

「なるほどな」

 

「きっとそうですよ。こんなことを考えるのも記憶の封印が解けたからです。やっぱり記憶を取り戻して良かったです。最上さんと会話したこんな些細なこともわたしにとってはかけがえのない思い出です。『人間は二度死ぬ』という言葉がありますよね? 一度目は死んだ時。これは医学的に死亡が確認されて肉体が滅んだ時です。そして二度目は忘れられた時。死者のことを記憶に留めてくれる人がいれば肉体的に死んでもその人の心の中で生き続けることになります。だから覚えている人が誰一人いなくなった時に、人間はこの世から完全に消え去ってしまうという意味です。いつかわたしたちも死ぬわけですから覚えている人が誰もいなくなってしまう時が来るでしょう。でも生きている間は絶対に忘れたくはありません。城戸さんがわたしたちのためにしたことは辛かった記憶だけでなく楽しかった思い出の欠片も心の奥底に閉じ込めてしまったことになります」

 

「…!」

 

「そんな思い出の欠片を取り戻したい人はいると思います。真都さんはボーダーと無縁な人生を歩んでいてご両親との約束もあるのですからこのままにしておいた方が良いかもしれませんが、他の6人にはこれまでの事情を説明して本人の判断を仰ぐのがあなたの義務であり責任を取るということになります。でも急がなければならないことではありません。真史叔父さんや林藤さんなら長い付き合いであなたの立場も理解できるから大丈夫でしょうが、コナミ先輩は未だに城戸さんのことを恨んでいる節がありますからこれ以上悪化させないようタイミングを間違えないようにすべきですね」

 

「承知した」

 

 

これでツグミと迅の記憶の封印は解けて9年前の記憶はよみがえった。

ただ辛く哀しい現実を再認識し、過去をやり直すことはできないのだと改めて思い知らされた。

しかし得られたものもある。

殉職した仲間たちの分も精一杯生きていくことこそが彼らに対する供養であり義務でもあるのだと心に誓うふたりだった。

 

 

◆◆◆

 

 

「おまえにだから言うんけどさ…さっき城戸さんに心配をかけたくなくて平気なフリをしてみせたけど、けっこうダメージあった」

 

ボーダー本部基地からの帰途、迅はツグミに本心を語った。

 

「覚悟は決めていたし後悔はしていない。だから今さら愚痴とか弱音を吐くつもりはないんだが、おまえにだけは聞いてもらいたいんだ」

 

「ええ、かまいませんよ。あなたが戻って来た時の衰弱しきった姿をわたしは覚えています。最上さんの最期が相当凄まじいものであったことは想像できます。それを疑似体験したわけですから辛いに決まってます。わたしはあなたを支えるために隣にいるんですからいくらでも頼ってください」

 

ツグミの言葉に安心したのか、迅は静かに笑ってから話を始める。

 

「おまえも知ってると思うけど、最上さんって俺たちのような未成年の隊員に対して訓練じゃ滅茶苦茶厳しいのにそうでないとすごく優しくて俺たちの相談相手にもなってくれたよな」

 

「ええ。学校の勉強も教えてくれたり、悠一さんみたいにご両親がいない子供の父兄参観日に親代わりに出席してくれたり…。9年前ってボーダーが対近界民(ネイバー)の戦闘集団になっていく過程にあって、10代の若者たちが集められた時期だから最上さんたちはいろいろ悩んでいました。子供たちを戦わせたくはないけどトリオン器官の成長期が10代の子供だから、こればかりはどうしようもないっていつも言ってましたね」

 

「そうだ。だから子供を戦わせることのない世界にするんだって言って、誰よりも熱心に稽古に励んでいた。そういう人だから子供に好かれて、いつでもあの人の周りには誰かがいたな」

 

「わたしは真史叔父さん一筋だったし、コナミ先輩は林藤さんにベッタリ。あと風間さんも林藤さんの弟子でしたね。()()()で一番稽古に熱心だったのが悠一さんで、次が梅咲さん。他の人たちは一歩引いていましたけど、最上さんはどの人にも平等に指導に当たっていて、真史叔父さんが留守の時にはわたしにも稽古つけてくれました。このことは真史叔父さんには内緒ですけど、フフッ」

 

「そんな最上さんだけど、あの人って最後まで結婚もせずに俺たちの父親代わりで終わってしまった。それで幸せだったのかな、って。それを考えると胸が痛くなるんだ」

 

「どういうことですか?」

 

「これは城戸さんにも言えるんだけど、あの人たちはふたりとも両親やきょうだいがいなくて家族というものに特別な感情を抱いていた気がするんだ。近界民(ネイバー)がいなければふたりとも普通に結婚して血のつながった子供を育てて本当の家族を持つことができたはず。それなのに俺たちの面倒をみるのに忙しくて自分自身の幸せを掴むチャンスを失ったんじゃないかって」

 

「つまり自分の人生を犠牲にしてボーダーのために尽くしたあの人のことを思うと申し訳ない、ということですか?」

 

「まあ、そんなカンジかな」

 

するとツグミは急に険しい顔になって迅を責めるように言った。

 

「本気でそんなことを言っているんですか?」

 

「どういうことだ?」

 

「だってあなたがそんなことを考えているなんて最上さんが知ったらどんなに哀しむか…。最上さんが…いえ、城戸さんもそうですが両親やきょうだいがいないから家族というものに特別な感情を抱いていたとあなたは言いますがわたしもそうだと思っています。でもわたしたちみたいなボーダーの子供たちのために自分の幸せを犠牲にしたなんていう考え方は断固否定します。あの人がそんなことを言ったんですか? わたしたちを自分の子供に見立てて家族ごっこをしていたとでも? 違うでしょ?」

 

「……」

 

「一般に家族とは『夫婦とその血縁関係にある者を中心として構成される集団』と定義されています。あなたもそういう意味で家族というものを認識していて、最上さんはその()()を持つことができなかったのは自分たちのせいだと言いたいみたいですね。でもあの人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を欲していたかどうかをあなたは本人の口から聞いたことがありますか? わたしはあの人がいう『家族』とはそういうものじゃないと思っています。血のつながりがあったって関係が破綻している家族があるんですから、その逆があってもおかしくはありません。本人がいつも『結婚したいのに忙しくて相手が見付からない』とか愚痴っていたのなら違うでしょうが、それがないのならあの頃のわたしたちの関係は十分に『家族』だったといえるのではありませんか? 最上さんにとってあなたを含めすべての子供たちが何よりも愛おしくて自分の命を捨ててでも守りたいほど大切な存在だったのだとわたしは思っていますので、あなたが『俺たちの面倒をみるのに忙しくて自分自身の幸せを掴むチャンスを失った』なんて考えているのならそれこそあの人に対して申し訳ないですよ。あの頃のボーダーは間違いなく最上さんにとって本当の家庭でありわたしたちは家族だった。だから大切な子供たちを…あなたを守りたくて(ブラック)トリガーになった最上さんの気持ちを酌むことのできない発言にわたしは幻滅しました」

 

ツグミの言葉に迅は打ちのめされた。

 

(そうだ、ツグミの言うとおりだ。最上さんが消えていく時、あの人は笑っていた。俺は近界民(ネイバー)がいなければこんなことにならなかったと考えたが、あの人はそんなことこれっぽっちも思っていなかったんだ。むしろ近界民(ネイバー)に関わったことでボーダーを立ち上げ、それをきっかけにして盟友や家族同然の子供たちと出会うことができたと喜んでいたにちがいない。だって俺たちを相手に剣の稽古をしている時のあの人は本当に楽しそうだったもんな)

 

すると迅は自分の胸の中に生まれた灰色の靄のようなものがすっと消えていくのを感じた。

ツグミの言い分が正しいかどうかなど誰にもわからない。

最上の本心が彼女の考えと違ったとしても、迅が自分を責めるようなことをするくらいなら「事実」など無意味だ。

迅本人が「そうであってほしい」と願うものがツグミと迅にとっての「真実」であればいいのだから。

 

 

 

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