ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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677話

 

 

ツグミに残された時間はあと1週間となり、彼女にとって慌ただしい日々が続く。

しかし三門市民は近界民(ネイバー)の影に怯えることなく平和で穏やかな年末を迎えようとしていた。

アフトクラトルによる大規模侵攻後、ボーダーが公式に発表した近界民(ネイバー)による三門市民の被害はゼロが続いており、市民は「ボーダーがいてくれさえすれば安心して暮らせる」と絶大な信頼を寄せている。

第一次近界民(ネイバー)侵攻によって大きく傷つけられた街は少しずつ元の姿を取り戻し、人々の記憶にある悲劇の光景も薄れつつあった。

もちろん家族や友人など親しい者を亡くした人は永遠に消えない心の傷を抱えているが、彼らにも自分自身の人生があって不幸の記憶に浸食されたままでは生きてはいけない。

ボーダーの活躍は彼らの自己防衛本能の追い風となっているようだ。

そうした市民の様子を横目にツグミは買い物を済ませると、迅と共にボーダー隊員の慰霊碑へと向かう。

アリステラ遠征で犠牲になった10人の仲間たちをはじめとしたボーダーの殉職者の魂が祀られている場所で、第一次近界民(ネイバー)侵攻で犠牲になった市民の慰霊碑とは別の場所にあるためここを訪れる者はボーダー関係者のみである。

2週間前には彼らの命日だからと旧ボーダーのメンバーが集まって慰霊祭をしたばかりなのだが、その時にはゆっくり個人的に話せないこともあったために再訪したのだった。

 

 

「最上さん、みんな、今日はツグミと別れの挨拶に来たよ」

 

ツグミが買って来た花や飲み物を供えると、迅が古い仲間たちに語りかける。

 

「俺たちは来月エウクラートンという国へ行く。織羽さんっていうツグミの親父さんがその国の王族だってことで、こいつは女王になるために三門市を離れることになるんだ。もちろん一生っていうわけじゃなくてこいつの次の女王が即位できるようになれば帰って来ることができるんだ。最短で10年、長ければ…まー、いつになるかはわからないけど必ず帰って来る。…俺の未来視(サイドエフェクト)の力はもうほぼなくなっていて、これから先どんなことが起きるかまるっきり視えなくなった。だけどこいつとふたりでこの街に住んで幸せに暮らしている未来だけはハッキリと視える。これがタダの俺の願望だってことによる幻影かもしれないけど、それでも帰りたいという気持ちがあれば叶えられるはずさ。そういうことでしばらく会えないから来たんだよ。最近はご無沙汰していたし、他にも報告しておきたいこともあったんだ」

 

続いてツグミが話しかけた。

 

「この前来た時にはまだ遠征の時の記憶は封印されたままだったけど、城戸さんから事情を聞いて封印を解いてもらったんです。わたしは参加していなかったから精神的ダメージはそれほどではなかったですが、ジンさんは最上さんが消えていく姿も全部思い出したそうです。でもわたしたちは後悔はしていません。当時は子供だったから耐えられなかったことでも今の大人になったわたしたちなら大丈夫だろうって判断したんです。今のところふたりだけですけど、いずれ折を見て真史叔父さんと林藤さんたちにも声をかけて本人の判断を仰ぐことにすると言っていました。これで城戸さんがずっとひとりで背負っていた荷物もやっと下すことができるでしょう。…9年、とても長かったです。本人はボーダーを立ち上げた最初期メンバーのひとりであったからその責任を果たすためにしたのだと言っていましたが、ひとりで背負うには重すぎるものだったと思います。記憶を取り戻してそれを感じ、すごく哀しくなりました。死んでしまったみんなは辛かったし哀しかったと思っていましたが、それ以上にあの人は辛くて哀しかったことでしょう。今度はわたしたちがあの人を支えて守ってやりたいと思うんですが、わたしはそばにいてあげることができません。ここで祈ったからといってどうにかなるものではないとわかってはいます。でもわたしたちがそんな気持ちでいることをみんなには知っていてもらいたい。これからは自分自身の人生を生きることができるよう、あの人を見守っていてください。どうかよろしくお願いします」

 

そう言って両手を合わせて祈るツグミ。

その隣で迅も同様に祈る。

 

「俺はこれから一生をかけてツグミを守る役目がある。だから城戸さんのことはみんなに任せていいかな? 城戸さんだけじゃない。忍田さんも林藤さんもいい歳したオッサンなのにまだ独身でボーダーのことばかり考えているんだ。それが悪いってわけじゃないし幸福は人それぞれだから好きにさせておけばいいんだけど、やっぱ気にはなる。もし城戸さんたちに好きな女性が現れたら応援してやってくれな」

 

迅の言葉にツグミはクスっと笑った。

 

「城戸さんたちに聞かれたら『余計なお世話だ』って言われそうですね。でもわたしたちが()()()()、あとはレイジさんたちにも目処が付けば()()()()がいなくなって寂しいから家族を持つ気になるんじゃないですか? それまで沢村さんが我慢できるかどうかで真史叔父さんの将来も大きく変わるでしょうね。あ、でも沢村さんって29歳だからあまり待てそうにないかも?」

 

「他にもレイジさんがゆりさんにアタックできるか怪しいな。レイジさんってゆりさん一筋で真面目だから他の女性に目を向けることはないだろうけど、今はレスキュー隊員になるために必死だからそれどころじゃない。小南だって今は結婚なんて考えていないだろうから、10年後もオッサンたちは現状維持って可能性もある」

 

「だとしたらわたしたちは必ず帰って来なければいけませんね。そして孤独な老人になりそうな人はわたしたちがまとめて面倒をみてあげましょう」

 

「ハハハ、それもいいな。玉狛支部の建物はかなり古いけど少し手を加えれば老人ホームとして十分使えそうだ」

 

ツグミと迅はそんな冗談とも本気ともつかない話をしながら顔を見合わせて楽しそうに笑った。

 

「ねえ、悠一さん、この場所ってわたしがゼノン隊長たちに拉致されて、ミリアムの(ブラック)トリガーの取引場所としたことを覚えていますか?」

 

ツグミが4年前の拉致事件のことを話す。

 

「もちろん。遊園地でおまえと気持ちを確認し合った直後にキオンの連中が現れておまえを連れ去った。そしておまえはヤツラを上手く誘導して取引場所をここに指定し、ミリアムの(ブラック)トリガーを確認すると見せかけて城戸さんが持って来た風刃を起動すると一瞬で3人を戦闘不能状態にしたあの一件だろ? 忘れるはずがないじゃないか。おまえが近界民(ネイバー)に拉致されたものだから忍田さんはもちろん城戸さんも平静を装いながら内心では焦りまくっていたんだぞ」

 

「でもわたしの計画がちゃんと伝わって内容を理解してくれたおかげで、わたしは今こうしてあなたと立っていられます。そしてあれがすべての始まりだったとも言えるでしょう。キオンの諜報員だった彼らがボーダーの味方になってくれたからこそアフト遠征も市民が納得する形で成功したんですから」

 

「たしかに成功はしたが、その前におまえがキオンまで行ってスカルキ総統にヤツラの助命嘆願をしたからだ。これはものすごく危険な賭けだったってことわかっているんだろうな?」

 

「はい。みんなに心配をかけたことは申し訳ないと心から思っています。でも友人を助けたいって気持ちは真実で、それに賭けといってもそれほど分の悪いものではなかったんですよ。わたしたちも近界民(ネイバー)も同じ人間で、人間というものは楽して得したいという欲があって、それを目の前でちらつかせたら飛びつきたくなるもの。ゼノン隊長たち3人を罰したところで得になることはありませんが、彼らを許すことで玄界(ミデン)の文明の一端でも手に入れられるとなればよほどバカな人間でなければ話だけは聞こうとします。まあ、スカルキ閣下がわたしと同じような考えを持つ聡明な方であったからトラブルもなく上手く事は進んだわけですけど」

 

「それにヤツラは常に紳士的で、おまえに対して危害を加えるような卑劣漢ではないという確信があったから、だろ? でなけりゃヤツラを信用してひと月も狭い遠征艇で旅なんかできるはずがない」

 

「ええ、もちろんです。そして彼らがいたからわたしは近界(ネイバーフッド)を旅することができて多くの近界民(ネイバー)と知り合うことができました。彼らはわたしたちと同じように家族や友人といった親しい人たちと穏やかに暮らしたいという願いのために日々頑張っていました。アフトのハイレイン陛下ですら国王になりたかったのは自分が国を統べることで国内の争いを失くすためで、国王になって以降は他国への武力介入はしていませんし、ガロプラのように従属させていた国の(マザー)トリガーを解放しています。元々好戦的な人ではなく、目的のために手段を選ばなかったというだけです。アフトはかつて4つの有力な領主が権力争いをしていましたが新しい国王はその絶対的な権力と武力は秩序を乱す貴族や領主のみに行使し、庶民階級に対しては税負担を減らすとかインフラの整備を進めるなど人気は高まってきています。出会いは最悪でしたけど、ボーダーが近界民(ネイバー)と上手く付き合っていくためにはキオンとアフトの協力は必須で、同盟にも快く加わってもらえましたから安心していられます。同盟国の数もだいぶ増えてきましたから、そろそろ国連の常任理事国のような立場の国を選んで近界(ネイバーフッド)内の国々の交流を活発化させたいと思っていましたが、わたしにはもうその時間はありません。オサムくんが引き継いでくれるそうなのでお任せするつもりです。時間のある時には玄界(ミデン)のいろいろな国の政治や経済などの勉強をしているそうですよ。出会ったばかりの頃の彼からは想像できないですね」

 

「メガネくんとは彼がボーダーの入隊試験に落ちて上層部に直談判しようとして警戒区域にペンチで有刺鉄線を切断し無断で侵入したところにトリオン兵が現れて、それを俺が助けたっていうのが出会ったきっかけだ。彼がボーダーの運命を変えることになる引き金(トリガー)とわかったのはその時だった。そして彼が遊真と出会い、千佳ちゃんをボーダーに引き入れたことでボーダーの進む道は大きく変わっていった。なぜならあの3人が玉狛支部に入ったことでおまえが動き始めたからだ」

 

迅の言葉にツグミは少しムッとした顔になって言い返す。

 

「はいはい、それまでわたしは2年近く()()していましたからね。わたしがもう少し早く行動していたらまた違った未来があったかもしれませんけど、オサムくんたち3人が揃うまであなたはわたしに何もさせなかった…というより何もしないわたしを放置していたんですよね。面倒見の良いわたしの前に放っておいたらヤバそうな後輩を連れてきたら黙って見ていることはない。これまで部隊(チーム)も組まずB級ランク戦にも無関心だったわたしを追い立てて参加させたのも城戸司令とあなたの悪だくみだったということを最近になって知らされて唖然としました。でもそれが正しいことだったのは結果が証明してくれています。たぶん城戸司令がわたしをA級にするとかなんとかっていう話がなければ、わたしはB級ランク戦に参加しなかったでしょう。そうなると周囲の人間のわたしに対する見方が今とは違ったものになっていたはず」

 

「そりゃそうだ。元A級の完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)で、ひとり部隊(ワン・マン・アーミー)で最下位から4戦目が終わった段階で暫定1位に駆け上った…なんて注目を浴びるに決まっているからな。ボーダーの防衛隊員は強いか弱いかが重要で、順位が上であればあるほど他者の態度が変わってくる。おまえがアフト遠征の試験や訓練の責任者となったことで気に入らないと文句を言う人もいたけど結果オーライ。何かをやりたいと思うなら力が必要だ。おまえがその姿を見せることでメガネくんにもやりたいことがあるなら力を手に入れろという教えを与えた。おまえを動かすにはメガネくんたちが必要で、彼らにはおまえが必要だった。メガネくんはボーダーに必要な人材だったが防衛隊員としてではなく、彼を正しい道へと導く人材としておまえが最適であったことは誰もが認めている。4年前にはC級でくすぶっていた彼が今では総合外交政策局長。根付さんや唐沢さんたちと同じ幹部だっていうんだから、人とは適材適所と師となる人間が重要だってことだな」

 

「つまりあなたと城戸司令に上手く操られていたってことですね。別にそのことで文句を言うつもりはありませんがひとつだけ言わせてもらっていいですか?」

 

ツグミは微笑みながら迅に言った。

 

「わたしひとりでは気付かなかったことやできなかったことはたくさんありました。わたしが道を誤ることなく進んでいくことができたのもあなたや城戸さん、真史叔父さんたちがいたおかげです。ありがとうございました、悠一さん」

 

すると迅が顔を赤く染めて照れてしまう。

 

「そ、そんなこと…改めて礼なんか言われると恥ずかしい、な」

 

「恥ずかしいなんて感情は辛いとか哀しいといったものよりもずっとマシですよ。これから先、わたしたちには辛いことや哀しいことがたくさんあるでしょう。でもそれを相殺できるだけの幸せや喜びがあれば生きていける。記憶の封印が解けていろいろなことを思い出しました。アリステラ遠征での負の記憶が呼び覚まされたわけですが、それ以上にみんなとの楽しかった思い出も取り戻すことができたから、こうして最上さんたちの前でふたりで笑い合っていられるんですよ」

 

「そうだな。そしてこれから10年の間、俺たちはいろいろな経験をする。三門市(ここ)にいれば得られたこともエウクラートンへ行けば得られない。でもエウクラートンに行くことで得られる経験が価値あるものとなれば残念だという気持ちにはならないだろう。またこうしてここに来てふたりで笑い合いながらみんなに報告できるようにしたいな」

 

「はい」

 

すると迅はひとりで歩き始め、三門市街を見渡せる展望台に着くとツグミを呼んだ。

 

「こっちへ来てみろ。ボーダーの本部基地が見えるぜ」

 

迅の声に誘われてツグミは彼の隣に立って街を眺める。

 

「慰霊碑を建てるために初めてここに来た時にはまだあの辺りは更地でしたね。城戸さんも同じように見ていましたが、あの時にはもう本部基地をあそこに建てるって決めていたのかもしれません。…そしてあの人の視線の先には何が見えていたのかわかりませんが、今があの人にとって後悔のない世界であればわたしたちの戦いは報われる。10年先がどうなっているのかわかりませんけど、あの人がいてくれたら安心していられますね」

 

「ああ。城戸さんだけじゃなく忍田さん、林藤さん、根付さん、鬼怒田さん、唐沢さん、それにメガネくんもいる。心配はいらないさ。万に一つ俺たちが想定もしていなかった事態になっていたとしてもそれは良い意味で期待を裏切られたと思えるはずだ」

 

「ええ。わたしはその間エウクラートンを玄界(ミデン)よりももっと暮らしやすい国にするつもりで働きます。わたしは玄界(ミデン)で生まれ育ったわたしにしかできない女王になる。そんなわたしをそばで支えてくださいね」

 

「もちろん。でもエウクラートンを玄界(ミデン)よりももっと暮らしやすい国にするって難しいんじゃないか? そんなことやれるのか?」

 

「目標は高く掲げてこそです。それに『やれるか、ではなく、やらなくてはならない』です。狙撃手(スナイパー)の訓練を始める時に東さんにも言いましたけど、自分でやれるのかどうかわからないなんて不安を抱いていたら何もできません。やらなくてはいけないという義務感を背負うことで自分に圧をかけて頑張る。きっと城戸司令も同じように『やらなくてはならない』と考えて頑張ってきたんだとわたしは思うんです。他人から見れば無理をしているとしても本人がそれでいいならいいんですよ。他人がどうこう言う資格などありません」

 

「はあ…おまえの思考はぶっ飛んでいて、時々驚かされる。でもそのとおりだ。でもどうしてそんな思考になるのかな?」

 

「たぶんお父さんに似たんだと思います。城戸さんに『おまえは織羽にそっくりだ』ってよく言われます。特に思考パターンは突拍子もないものだったということなので、それが遺伝したんじゃないでしょうか。もっとも100パーセント近界民(ネイバー)のお父さんですから玄界(ミデン)の人間と交流して玄界(ミデン)の文明に触れたなら近界(ネイバーフッド)の当たり前と玄界(ミデン)の当たり前の違いに疑問を持ったり別の考え方を提示したりするのも無理はありませんけど」

 

ツグミはさも当然のように答えた。

それが迅や他に人間にとっては特別なことなのだが。

 

「今度はエウクラートンへ行ってリベラート殿下やエレナ陛下に『おまえの考え方はぶっ飛んでいる』って言われるのかしら? それでもきっと理解してもらえるはず。だってエウクラートンの民のために何が一番なのかを考える気持ちは同じですから。…そろそろ日も傾いてきましたから帰りましょう。今夜は真史叔父さんも定時で帰宅するってことなので3人で食事ができるよう支度してあるんです。わたしたちが遅刻したら真史叔父さんが拗ねちゃうかもしれませんからね」

 

ツグミは迅の手を握り、迅もまたその手を握り返す。

冬の西日は若く未来ある者たちの背を照らし、歩くふたりの影を長々と映し出していた。

 

 

 

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