ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミに残された時間はあと1週間となり、彼女にとって慌ただしい日々が続く。
しかし三門市民は
アフトクラトルによる大規模侵攻後、ボーダーが公式に発表した
第一次
もちろん家族や友人など親しい者を亡くした人は永遠に消えない心の傷を抱えているが、彼らにも自分自身の人生があって不幸の記憶に浸食されたままでは生きてはいけない。
ボーダーの活躍は彼らの自己防衛本能の追い風となっているようだ。
そうした市民の様子を横目にツグミは買い物を済ませると、迅と共にボーダー隊員の慰霊碑へと向かう。
アリステラ遠征で犠牲になった10人の仲間たちをはじめとしたボーダーの殉職者の魂が祀られている場所で、第一次
2週間前には彼らの命日だからと旧ボーダーのメンバーが集まって慰霊祭をしたばかりなのだが、その時にはゆっくり個人的に話せないこともあったために再訪したのだった。
「最上さん、みんな、今日はツグミと別れの挨拶に来たよ」
ツグミが買って来た花や飲み物を供えると、迅が古い仲間たちに語りかける。
「俺たちは来月エウクラートンという国へ行く。織羽さんっていうツグミの親父さんがその国の王族だってことで、こいつは女王になるために三門市を離れることになるんだ。もちろん一生っていうわけじゃなくてこいつの次の女王が即位できるようになれば帰って来ることができるんだ。最短で10年、長ければ…まー、いつになるかはわからないけど必ず帰って来る。…俺の
続いてツグミが話しかけた。
「この前来た時にはまだ遠征の時の記憶は封印されたままだったけど、城戸さんから事情を聞いて封印を解いてもらったんです。わたしは参加していなかったから精神的ダメージはそれほどではなかったですが、ジンさんは最上さんが消えていく姿も全部思い出したそうです。でもわたしたちは後悔はしていません。当時は子供だったから耐えられなかったことでも今の大人になったわたしたちなら大丈夫だろうって判断したんです。今のところふたりだけですけど、いずれ折を見て真史叔父さんと林藤さんたちにも声をかけて本人の判断を仰ぐことにすると言っていました。これで城戸さんがずっとひとりで背負っていた荷物もやっと下すことができるでしょう。…9年、とても長かったです。本人はボーダーを立ち上げた最初期メンバーのひとりであったからその責任を果たすためにしたのだと言っていましたが、ひとりで背負うには重すぎるものだったと思います。記憶を取り戻してそれを感じ、すごく哀しくなりました。死んでしまったみんなは辛かったし哀しかったと思っていましたが、それ以上にあの人は辛くて哀しかったことでしょう。今度はわたしたちがあの人を支えて守ってやりたいと思うんですが、わたしはそばにいてあげることができません。ここで祈ったからといってどうにかなるものではないとわかってはいます。でもわたしたちがそんな気持ちでいることをみんなには知っていてもらいたい。これからは自分自身の人生を生きることができるよう、あの人を見守っていてください。どうかよろしくお願いします」
そう言って両手を合わせて祈るツグミ。
その隣で迅も同様に祈る。
「俺はこれから一生をかけてツグミを守る役目がある。だから城戸さんのことはみんなに任せていいかな? 城戸さんだけじゃない。忍田さんも林藤さんもいい歳したオッサンなのにまだ独身でボーダーのことばかり考えているんだ。それが悪いってわけじゃないし幸福は人それぞれだから好きにさせておけばいいんだけど、やっぱ気にはなる。もし城戸さんたちに好きな女性が現れたら応援してやってくれな」
迅の言葉にツグミはクスっと笑った。
「城戸さんたちに聞かれたら『余計なお世話だ』って言われそうですね。でもわたしたちが
「他にもレイジさんがゆりさんにアタックできるか怪しいな。レイジさんってゆりさん一筋で真面目だから他の女性に目を向けることはないだろうけど、今はレスキュー隊員になるために必死だからそれどころじゃない。小南だって今は結婚なんて考えていないだろうから、10年後もオッサンたちは現状維持って可能性もある」
「だとしたらわたしたちは必ず帰って来なければいけませんね。そして孤独な老人になりそうな人はわたしたちがまとめて面倒をみてあげましょう」
「ハハハ、それもいいな。玉狛支部の建物はかなり古いけど少し手を加えれば老人ホームとして十分使えそうだ」
ツグミと迅はそんな冗談とも本気ともつかない話をしながら顔を見合わせて楽しそうに笑った。
「ねえ、悠一さん、この場所ってわたしがゼノン隊長たちに拉致されて、ミリアムの
ツグミが4年前の拉致事件のことを話す。
「もちろん。遊園地でおまえと気持ちを確認し合った直後にキオンの連中が現れておまえを連れ去った。そしておまえはヤツラを上手く誘導して取引場所をここに指定し、ミリアムの
「でもわたしの計画がちゃんと伝わって内容を理解してくれたおかげで、わたしは今こうしてあなたと立っていられます。そしてあれがすべての始まりだったとも言えるでしょう。キオンの諜報員だった彼らがボーダーの味方になってくれたからこそアフト遠征も市民が納得する形で成功したんですから」
「たしかに成功はしたが、その前におまえがキオンまで行ってスカルキ総統にヤツラの助命嘆願をしたからだ。これはものすごく危険な賭けだったってことわかっているんだろうな?」
「はい。みんなに心配をかけたことは申し訳ないと心から思っています。でも友人を助けたいって気持ちは真実で、それに賭けといってもそれほど分の悪いものではなかったんですよ。わたしたちも
「それにヤツラは常に紳士的で、おまえに対して危害を加えるような卑劣漢ではないという確信があったから、だろ? でなけりゃヤツラを信用してひと月も狭い遠征艇で旅なんかできるはずがない」
「ええ、もちろんです。そして彼らがいたからわたしは
「メガネくんとは彼がボーダーの入隊試験に落ちて上層部に直談判しようとして警戒区域にペンチで有刺鉄線を切断し無断で侵入したところにトリオン兵が現れて、それを俺が助けたっていうのが出会ったきっかけだ。彼がボーダーの運命を変えることになる
迅の言葉にツグミは少しムッとした顔になって言い返す。
「はいはい、それまでわたしは2年近く
「そりゃそうだ。元A級の
「つまりあなたと城戸司令に上手く操られていたってことですね。別にそのことで文句を言うつもりはありませんがひとつだけ言わせてもらっていいですか?」
ツグミは微笑みながら迅に言った。
「わたしひとりでは気付かなかったことやできなかったことはたくさんありました。わたしが道を誤ることなく進んでいくことができたのもあなたや城戸さん、真史叔父さんたちがいたおかげです。ありがとうございました、悠一さん」
すると迅が顔を赤く染めて照れてしまう。
「そ、そんなこと…改めて礼なんか言われると恥ずかしい、な」
「恥ずかしいなんて感情は辛いとか哀しいといったものよりもずっとマシですよ。これから先、わたしたちには辛いことや哀しいことがたくさんあるでしょう。でもそれを相殺できるだけの幸せや喜びがあれば生きていける。記憶の封印が解けていろいろなことを思い出しました。アリステラ遠征での負の記憶が呼び覚まされたわけですが、それ以上にみんなとの楽しかった思い出も取り戻すことができたから、こうして最上さんたちの前でふたりで笑い合っていられるんですよ」
「そうだな。そしてこれから10年の間、俺たちはいろいろな経験をする。
「はい」
すると迅はひとりで歩き始め、三門市街を見渡せる展望台に着くとツグミを呼んだ。
「こっちへ来てみろ。ボーダーの本部基地が見えるぜ」
迅の声に誘われてツグミは彼の隣に立って街を眺める。
「慰霊碑を建てるために初めてここに来た時にはまだあの辺りは更地でしたね。城戸さんも同じように見ていましたが、あの時にはもう本部基地をあそこに建てるって決めていたのかもしれません。…そしてあの人の視線の先には何が見えていたのかわかりませんが、今があの人にとって後悔のない世界であればわたしたちの戦いは報われる。10年先がどうなっているのかわかりませんけど、あの人がいてくれたら安心していられますね」
「ああ。城戸さんだけじゃなく忍田さん、林藤さん、根付さん、鬼怒田さん、唐沢さん、それにメガネくんもいる。心配はいらないさ。万に一つ俺たちが想定もしていなかった事態になっていたとしてもそれは良い意味で期待を裏切られたと思えるはずだ」
「ええ。わたしはその間エウクラートンを
「もちろん。でもエウクラートンを
「目標は高く掲げてこそです。それに『やれるか、ではなく、やらなくてはならない』です。
「はあ…おまえの思考はぶっ飛んでいて、時々驚かされる。でもそのとおりだ。でもどうしてそんな思考になるのかな?」
「たぶんお父さんに似たんだと思います。城戸さんに『おまえは織羽にそっくりだ』ってよく言われます。特に思考パターンは突拍子もないものだったということなので、それが遺伝したんじゃないでしょうか。もっとも100パーセント
ツグミはさも当然のように答えた。
それが迅や他に人間にとっては特別なことなのだが。
「今度はエウクラートンへ行ってリベラート殿下やエレナ陛下に『おまえの考え方はぶっ飛んでいる』って言われるのかしら? それでもきっと理解してもらえるはず。だってエウクラートンの民のために何が一番なのかを考える気持ちは同じですから。…そろそろ日も傾いてきましたから帰りましょう。今夜は真史叔父さんも定時で帰宅するってことなので3人で食事ができるよう支度してあるんです。わたしたちが遅刻したら真史叔父さんが拗ねちゃうかもしれませんからね」
ツグミは迅の手を握り、迅もまたその手を握り返す。
冬の西日は若く未来ある者たちの背を照らし、歩くふたりの影を長々と映し出していた。