ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
パーティーが始まるとしばらくは誰もが食べることに夢中になり、小腹が満たされるとようやく会話を楽しむようになった。
部屋の各所に3-5人くらいのグループができ、迅は陽太郎とゆりに連れて行かれたのでツグミはひとりになってしまう。
するとそのタイミングを待っていたかのように千佳が彼女に近付いて来た。
「ツグミさん、お話したいことがあるんですけど、少しお時間いただいてもいいですか?」
千佳は料理の皿も飲み物の入ったグラスも持ってはおらず、表情は真剣そのものでパーティー会場には似つかわしくないものだ。
その様子でツグミは千佳が談笑しようというのではなく、深刻な話をしようとしているのだと推測できた。
「ええ、もちろんいいわよ」
ツグミはそう答えて、皿を片付けると千佳に言う。
「場所を変えましょうか? ここは騒がしいから」
「はい。わたしもそのつもりでいました。少し寒いですけど屋上はどうでしょう?」
「いいわね。寒いといっても天気は良いし風も弱いからそれほどじゃないと思うけど、いちおうコートを羽織って行きましょうか」
「はい」
ツグミと千佳は連れ立って屋上へと向かった。
◆
「この場所、覚えていますか?」
千佳は屋上の一角に置かれているベンチに腰掛けてツグミに訊く。
「もちろん。あの時もチカちゃんは今のようにそこに座っていて、わたしがこちらに座ってレイジさんとシオリさんと3人であなたの話を聞いたのよね」
「そうです。わたしは臆病で、ランク戦では修くんや遊真くんが頑張っているのに
「誰だって人に嫌われたくないんだから仕方がない。だけどあなたは
「はい、それはよくわかっています。やりたいことがあっても
「でもそれがあなたに勘違いをさせてしまった。ボーダーは実力主義というわけじゃないけど、戦闘員としての力が上であればみんな認めてくれる。強いことは正義で、強いことを責められるようなことは決してない。それなのにあなたは自分で自分をズルい人間だと思い込んでいるから目立つ活躍をすれば責められるのだと考えてしまう。目立ちたくないという気持ちも理解はできる。ただそのために撃ちたくないことを正当化する理由にはならないし、何よりも周りの人間を信用していなかったから騙すようなことになってしまった。一緒に戦う仲間のことを信頼できない人間のことをわたしは信用できないし一緒に戦いたいとも思わない。撃てるかどうかわからない人間に背中を預けることはできないもの」
「…はい。それでわたしはここでツグミさんに厳しく責められました。わたしが覚悟を決めて告白したのに、あなたはそれを嘘つきだと言いましたね」
「ええ」
「あなたがわたしや修くんに対して厳しい態度だったのは
「……」
「レイジさんや栞さんはわたしを責めることも追い詰めることもしませんでした。だからわたしは甘えてしまい、やるべきことから逃げてしまっていました。力がなくても頑張って手を伸ばそうとしている修くんと力がないから許してほしいと言って周りに甘えてばかりいる自分。比べてみるとわたしは自分が臆病で卑怯者なんだということを思い知らされたんです。どこの誰ともわからない人間の陰口に怯えてやりたくないことをできないのだと言い換えて逃げていたわたしは身近の親しい人間まで信用できなくて騙していた。あなたに嘘つきだと言われた瞬間はショックでしたけど、後になってそれが真実だったからショックだったのだと気付くとわたしはツグミさんの気持ちが理解できたんです。わたしは自分に幻滅してしまいました。ツグミさんはわたしのことを自分のことのように心配してくれていて、そのためにレイジさんや栞さんといがみ合うような結果になるとわかって厳しいことを言ったのに、わたしはそんなあなたのことを騙していた。そんなつもりはなくても騙していたことに変わりはない。わたしはこの場所へ来るたびにそのことを思い出して反省し、いつまでも忘れないようにと胸に刻むんです」
千佳はベンチを手で撫でながらそう言うと続けた。
「…わたしはあの時に自分を変えるきっかけをもらいました。でもわたしはまだズルい人間のままです。兄さんと青葉ちゃんが戻って来たのだからボーダーにいる理由はなくなったのに、ここで辞めてしまえば自分の望みさえ叶えば良ければいいのかと周りから責められるんじゃないかと考えてしまうんです。遠征艇のトリオンエネルギーが必要だからその供給源として必要とされているし、修くんが拉致被害者市民救出計画に参加して400人の拉致被害者を助けようとしているのにそれを見捨ててしまえば今度こそみんなから責められると思ってボーダーを続けることにしました。兄さんの罪のことや修くんと遊真くんを手伝いたいという気持ちはもちろんありますが、わたしが拉致被害者市民救出計画に携わっていることを知った両親はわたしを認めてくれているし近所の人にも言っているので辞めると言えばわたしのことをワガママだと言って両親は責めるでしょうし、近所の人にも辞めたら冷たい目で見られるかもしれない。そう思うと怖くて辞められないというのが本心
「チカちゃんの入隊に関してご両親は大反対だったものね。勝手に辞めると言えばワガママだと言われても仕方がないかも。だけどあなたの人生はあなた自身のものであって、周囲の視線や声に怯えて本当にやりたいことができないのであれば勇気を持って行動すべきよ。それで今でもボーダーを辞めたら周りから責められると思って我慢して仕事をしているの? そうじゃないわよね?」
ツグミがそう訊くと、千佳は少し驚いたような顔になって訊き返した。
「どうしてそう思うんですか?」
「だって顔に自信が満ち溢れているもの」
「え?」
「以前のあなたは何事においてもそれが正しいのかそうでないのかわからないから不安でいて、それが顔に表れていた。せっかくの
「はい。拉致被害者市民救出計画で帰国するとその度に記者会見を開き、そこにわたしも総合外交政策局員として出席しています。そしてその様子がテレビで放映されるので、街を歩いていると時々知らない人からも声をかけられるようになりました。わたしなんてほとんど何もやっていないのに『頑張ってね』って応援してくれるんです。そうやってわたしに期待をしてくれる人がいるならそれに応えたい。もう誰かを裏切ったり失望させたりはしたくありません。そう思うとわたしはボーダーの総合外交政策局で働くことが自分のやるべきことなんだって確信を得ることができたんです。わたしには拉致被害者に対して青葉ちゃんの時のように『わたしのせいで拉致されてしまった』なんていう加害者妄想を抱くことはありません。でもそれが逆に良い効果を与えているんだと思っています。だって『おまえのせいで
千佳はそう言って微笑んだ。
「わたしは迅さんからツグミさんがどうしてわたしや修くんに厳しく接するのかの理由を教えてもらいました。
「そう…そんなこともあったのね。それであなたはこれまでの経験の中で得たものは何?」
「
そう断言する千佳の姿にツグミは感無量となってしまった。
「ありがとう、チカちゃん。その言葉は最高の餞別だわ。それにその覚悟ならオサムくんたちと一緒に
「はい。わたしもツグミさんたちとはこれが最後の別れになるのではないとわかっているから笑顔で見送ることができると思います。行ってらっしゃいと言って泣くことはありません」
ツグミが「別れ」に対してネガティブなイメージを抱いていた原因はアリステラ遠征の件で帰って来ると信じていた仲間が死んでしまって二度と会えなかったことにある。
幼い少女だった頃の彼女には耐えられないことで、それがずっと後までトラウマとなって残っていた。
しかしこれまでに何度も出会いと別れを繰り返してきて、一時の別れを一生の別れにしないためにはどちらも絶対に死なない、必ず帰って来ることができればいいのだと理解し、まずは自分が死なずにいられるよう強いトリガー使いとなり、相手にも
それが間違っていなかったのだという確信を得て、ようやく素直に見送られる側の立場になったのだった。
沈んでいく西日が目に眩しく、後輩の成長はもっと眩しくてツグミは目をそっと閉じた。
(よかった…。人を撃てるようになったことでチカちゃんが防衛隊員を続けることも不可能ではなくなったけど、戦わずに済む未来の方がずっといいに決まっているもの。総合外交政策局の仕事は戦争ではなく対話によって互いに利益の生じる関係を築くこと。元々戦闘には不向きだったオサムくんとチカちゃん、それに実戦はできなくなったユーマくんにとってこれが最善の未来であったのは間違いない。みんなにはもう二度と
ツグミはもう千佳に言葉はいらないと思った。
いつまでも進む先を導いてやらなければならない後輩ではなく、一個の人間として付き合っていける対等な同志を得た気分にもなった。
それがとても嬉しくて、気を緩めたら涙が溢れてきそうになるものだからじっとそれを堪える。
そして目を瞑ったままで千佳に言った。
「あなたがこの先どのような道を歩いて行くのかはわからない。でも目指す先は同じものだと信じている。以前のように信じて裏切られることはなく、あなたが信頼に足る人物だから。そして再び会えるという確信もある。だからわたしは安心して役目を果たして帰って来るわね」
「はい!」
「もっと話をしたいけどそろそろ戻らないとオサムくんが心配するわ。このあと彼と話をすることになってるし、風が吹いてきて少し寒くなってもきたから部屋に戻った方がいいと思う」
「そうですね。名残惜しいですけど、これが最後ではないですし。…あの、もしわたしたちがエウクラートンへ行った時には会ってもらえるでしょうか?」
それは無用な接触によって女王に危険が及ぶ可能性があるために、女王が接することのできる人間を極力減らしているのだ。
しかしそんな慣習は
病気に罹ってしまうというのならトリオン体で面会すればいいのだし、多少の病気なら医療面を充実させれば問題はない。
また少なくとも彼女を暗殺しようとして神殿に入ることができたとしても、彼女を上回るトリガー使いでなければ返り討ちにされるのは目に見えている。
ツグミはエウクラートンで女王に就任したらまずはこんな下らない
だから答えはひとつしかない。
「もちろんOKよ。女王になったからといって友人と会うことを禁じられるなんて理不尽だもの。それにわたしはエウクラートンの女王になると同時に
「それならボーダーと関わりが途絶えてしまうことはないってことですよね?」
「当たり前じゃない。エウクラートンは同盟国なんだもの。ボーダーに何かあれば協力することになっているんだし」
「そうでしたね。へへっ、すっかり忘れてました」
そう言って千佳はぺろりと舌を出して顔を赤らめた。
そして一緒に立ち上がると仲間の待つ食堂へと戻って行った。