ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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680話

 

 

ツグミと千佳が食堂に戻って来ると、ゆりがケーキをカットして配っていた。

ケーキは最後にデザートとして食べようということだったのだが、陽太郎がそれまで我慢できなくて予定を変更したようである。

そして会場の片隅に黙々と料理を食べている京介の姿もあり、全員が揃ったのでケーキを分けることにしたのだろう。

 

「ツグミ、雨取、どこへ行ってたんだ? これ、おまえたちの分だ」

 

レイジがツグミと千佳にケーキの載った皿を手渡しながら言う。

 

「レイジさん、ありがとうございます。ちょっとチカちゃんと一緒に屋上で話をしてきました」

 

ツグミが「屋上」という言葉を口にするとレイジはわずかに表情を曇らせた。

彼もまた()()()()の当事者のひとりであるからツグミと千佳が屋上で話をしたと言えばその時のことを思い出すのは無理もない。

しかしふたりの表情を見れば何事もなかったことは明らかで、すぐに要らぬ心配であったと察して頭を掻いた。

 

「そうか…。その顔だと心残りはなさそうだな?」

 

「はい」

 

「雨取も同じか?」

 

「はい。ずっと抱えていたものを吐き出したのでスッキリしました」

 

するとレイジはふたりの頭をそれぞれ撫でて「よかったな」とひと言だけ言って去って行った。

そんな彼の背中を見送り、ツグミと千佳は顔を見合わせて笑った。

 

「レイジさんにとってわたしは永遠に弟子で、いつまで経っても気にかけてくれるんでしょうね?」

 

千佳の言葉にツグミが首を横に振る。

 

「ううん、わたしたちはあの人にとって家族と同じだからあなたも弟子ではなくて妹分としていろいろ気にかけてくれているんだと思う。結婚して新しい家族ができても玉狛支部で一緒に過ごした日々が思い出から消えることはない。わたしはそう思ってる」

 

「そうですね…。わたしも狙撃手(スナイパー)の師匠としてのレイジさんよりもみんなで食事をしたりして家族みたいに一緒に暮らしたことの方が楽しい思い出としてたくさん()()に刻まれています」

 

そう言って千佳は自分の胸に手を当てた。

 

「それはわたしも同じ。わたしなんて7歳の時からだから人生の半分以上はあの人の妹のようにして生きてきた。だから苦しいことも楽しいこともたくさん経験していて、それが全部今まで生きてきた糧になっている。そしてレイジさんがわたしたちのことを忘れたとしてもわたしはあの人のことを忘れることは絶対にないと断言するわ」

 

「わたしもです。玉狛支部はわたしにとってのもうひとつの家であり、みんなは家族だと思えます。兄さんが近界民(ネイバー)で血のつながりがなくても兄さんであるように、レイジさんや迅さんたちはお兄さんでゆりさんや栞さんたちはお姉さん。もちろん公式なものではありませんが、わたしはそう思っています」

 

内向的で自分の意思を堂々と発言することのなかった千佳が思いのたけを述べるようになったのは精神的な成長によるもの。

それはツグミだけでなく周りの人間 ── 主に玉狛支部の先輩たち ── が彼女を単なるボーダーの後輩隊員としてでなく親身になって相談に乗ったり訓練に付き合ったりしてくれたことが大きい。

人としての成長を促したのは玉狛支部で()()()()()()ことの効果であり、他人を信じることができるようになったことで本来の彼女の持つ資質や才能を大きく開花させたのだ。

 

 

ツグミと千佳がケーキを食べながら談笑していると、そこに修がやって来た。

 

「あ、オサムくん、ちょっと待っててね」

 

「いえ、ごゆっくりどうぞ。ぼくは待っていますから」

 

「そう? それであなたはケーキ、食べたの?」

 

「ぼくは片付けが終わった後にゆっくりと食べることにしていますので、ゆりさんに冷蔵庫に入れてもらっています」

 

「せっかくだものみんなと一緒に食べればいいのに」

 

「ぼくはいちおうパーティーの主催者ですから」

 

修は遠慮してそう言うが、イベントの主催者としてやるべき義務があり参加者として楽しむ権利もある。

 

「でも料理だって十分に食べていないでしょ? 主催者といっても遠慮することないのに。ケーキも料理もみんなと一緒に食べてこそ美味しいし楽しいパーティーだと言えるのよ。さあ、ケーキを持って来てわたしたちと一緒に食べましょう」

 

ツグミがそう言うと、千佳もそれに同意といわんばかりに首を縦に振って言う。

 

「そうよ、修くん。わたしたちが食べ終わるのを待っているんだったら一緒に食べればいいじゃない。無理することはないけど、修くんも後で食べるよりも今食べた方が美味しいと思う」

 

「…それならお言葉に甘えます。じゃあ、ケーキを持って来ますね」

 

修はそう言って厨房へと小走りで行ってしまった。

 

「相変わらず自分のことよりも周りの人のことばかり考えてしまっているわね。そこがオサムくんの美点であり残念な点でもあるんだけど」

 

「はい。気持ちはわかるしありがたいです。でもその一部でも自分のことをやってくれたらこちらも気持ちが少し楽になるんですけどね」

 

「わかるわかる、その気持ち。いわゆる()()()()なんだけど、異性から見てそれ以上の感情には進展しないタイプよね」

 

「はい…」

 

以前に修がアフトクラトルによる大規模侵攻で瀕死の重傷を負った時、香澄が千佳の反応を見て目覚めたばかりの彼に「親密さが足りないんじゃないの? 親密さが」という母親としては暴言とも呼べる感想を口にしたが、千佳本人も彼に対して友人以上の感情は抱いている気配はない。

そして今でもそれは変わっていないと思われる。

ツグミと千佳がそんな会話をしているなどとは露知らず、修は皿を片手に戻って来た。

 

「お待たせしました。あれ? 全然進んでないみたいですね。ぼくを待っていてくれたんですか? だったらすみません」

 

修は申し訳なさそうな顔をするがそれが勘違いであること、つまり真実を教えるのも酷なのでツグミと千佳は黙っていることにしたのだった。

3人でケーキを食べながら10分ばかり話をし、食べ終わるとツグミと修はふたりで会場を出て行った。

 

 

◆◆◆

 

 

修がツグミを連れて行った場所はかつて彼女が使用していた部屋で、ドアにもまだ「霧科」の名札が残っている。

そのドアを開けて中へ入ると、彼女が使用していた頃のままにベッドや机、本棚などが並んでいて、本棚にはたくさんの本があって読んでくれる人が現れるのを待っているようだ。

 

「先輩の私物のほとんどは運び出したようですけど、本は残していってくれたのでいつでも読めるようにこうして並べてあります。一番利用しているのはレクスくんで、ぼくたちでも難しい内容の本でも林藤支部長やゆりさんたちに教えてもらいながら読んでいるんですよ。子供だとか近界民(ネイバー)だとかなんて関係なく、本人に好奇心や向上心、やる気さえあればどんなことだってやれるんだということを身を持って証明してくれています」

 

修の言葉にツグミは胸の中に得も言われぬ喜びや嬉しさが沸き上がってきた。

 

「そう、レクスくんが…。あの子は近界(ネイバーフッド)近界民(ネイバー)にとって最優先で必要なものが医療知識や技術であると自分自身で悟った。誰が教えたのでもなく、たった8年間のアフトクラトルの貴族の子供として経験したことから自ら判断したこと。それってものすごい『力』だわ。その力を何と表現するのかはわからないけど、常人には見ているようで見えていない、聞いるようで聞こえていないこと…真理を()()ことができる能力。もしかしたらこれも一種のサイドエフェクトかもしれない」

 

「サイドエフェクト?」

 

「ええ。ボーダー(わたしたち)近界民(ネイバー)は人智の及ばない力のことをサイドエフェクトって呼んでいるでしょ? レクスくんもトリオン能力は高いから発現してもおかしくはない。実際に他人の自分に向ける感情を察する力を持っているし。ジンさんのように未来が視えるというわけではないけど、近界民(ネイバー)の未来にとって必要なものが医療だと判断したってことは何かの強い力が作用していたんじゃないかって思うのよ。だから真理というほどではなくても人として何が大切であって、そのためには何をすべきなのかがわかる能力を持っているんじゃないかって思いたくなったわけ。それをサイドエフェクトと呼ぶかどうかは別として、素晴らしい能力だと言えるわ」

 

「そうですね。レクスくんは年齢の割に賢いのは間違いありませんし、本来なら親が恋しい時期のはずなのに自分の決めたことだからと里帰りせずに頑張るんだって意気込んでいます。まあ、エリン夫妻が年に1回か2回は会いに来ていますからそんなに寂しいとは感じないのかもしれませんね。それに先輩がボーダーの専属医の白峰先生を紹介してくれたものだから、何か知りたいことがあるとひとりで自転車に乗って本部基地まで行くんですよ。城戸司令から許可をもらっていて隊員や職員とも顔馴染になっていますから、今ではボーダー関係者のひとりになっています」

 

「レクスくんが近界民(ネイバー)だってことはボーダー内ではみんなが知っているし、エリンという姓でアフトクラトルのディルク閣下の息子だってことを知っている人もいる。アフトの大侵攻で大きな被害を被ったけど、彼には罪がないということも理解しているからみんなが優しくしてくれるのね。もっとも彼自身がいい子だから面倒をみてあげたくなるというのもあるけど」

 

「アフトは敵でしたけど今では同盟国で、あの国がバックにいるから第三国による加害がなくなったとわかっているんです。エネドラのせいで殉職した職員の友人の中にはまだアフトのことを許せないという人もいます。でもどこかで怨嗟の念を断ち切らなければお互いに悲しいだけです。それに以前に先輩やぼくがアフトへ行った時にハイレイン陛下は国王だというのにぼくに頭を下げて謝罪してくれました。ぼくは千佳のこともあって憎い敵だと思っていましたが総合外交政策局員になりボーダーと同盟を結ぼうとしている国の国王に対してどういう態度でいればいいのかわからなかった時がありました。でも陛下があえて非公式の場を作ってくれてそこで謝ってくれたことで許せなくても憎む気持ちはなくなりました。そして今では許せないという気持ちも消え、過去は過去として受け止め、より良き未来のために今をどう生きるか…と考えるとぼくのやってきたことは間違いなかったのだと感じます」

 

「オサムくんは全然変わらないけど、だいぶ変わったわね」

 

ツグミがしみじみと言うと、修は目を丸くする。

 

「それってどういう意味ですか?」

 

「だって以前のあなたはチカちゃんのため、ユーマくんのため、遠征に参加するため、って視野がとても狭かったわ。でも今ではボーダーのことだけじゃなくて近界(ネイバーフッド)全体、まだ会ったこともない近界民(ネイバー)のことまで考えて行動している。自分のことよりも周りの人のために行動していることに変わりはないんだけど、あなたは自分の『そうするべきこと』を成すだけの『力』を得たことで広い世界を見て多くの人のために働くことができるようになった。そういう意味なんだけど、わかる?」

 

「…先輩の言うとおりです。玉狛支部に来たばかりの頃のぼくはいつもいっぱいいっぱいで、千佳を守らなければ()()()()、ぼくのせいでレプリカがアフトに連れ去られたのだからぼくの手で取り戻さなければ()()()()、どんなことをしてでも遠征に参加しなければ()()()()と目的ばかりあってそれを叶える力も持たずに焦って目の前の問題に集中していて、大局を見る目を失っていました。今だからわかることで、当時はその大事なことをわかっていませんでした。そしてぼくらしい、ぼくに相応しい()()()を先輩が教えてくれたから、ぼくは今がとても充実しています。ボーダーを続けようという気持ちになったのも、城戸司令たちが諦めてしまった道、先輩が最後までやり遂げることができなかった道をぼくのこの手で切り拓いて進んでいくことがぼくに与えられた天命ではないかと思うようになったからです。…って傲慢でしょうか?」

 

恐る恐る訊く修にツグミは笑顔で答えた。

 

「そんなことはないとわたしは断言するわ。だってあなたが傲慢ならわたしも傲慢だってことでしょ? …まあ、他人から見ればそう思われても仕方がないことだけど、わたしは自分と手の届く範囲の家族や仲間が幸せになりさえすればいいと行動していたけど、その手がどんどん長くなって守りたい人や幸せになってもらいたい人が増えていってしまってこちら側の世界だけでなく近界(ネイバーフッド)にも大勢いるようになってしまった。そんなたくさんの人のために自分ができることなんてわずかだけど、何かしたいと思うのは当然でしょ? そして慕う先人ができなかった願いを自分のものとして叶えたいと思うのは傲慢なんかじゃないわ」

 

ツグミにとって城戸や最上、有吾や織羽たちは家族同様の人間であり尊敬している大人たちだ。

彼らの夢 ── 近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい ── を引き継いで自分の手で叶えようとするのであれば「力」が必要だが、ツグミはその力を自ら手に入れた。

そして彼女が途中で手放さなくてはならなくなったものを修がしっかりと掴んで離さず、彼女に代わって皆の願いを叶えようとしている。

なぜなら修にとってもそれが自分の「するべきこと」であると同時に「やりたいこと」になっていたからだ。

さらに「しなければいけない」が「しなくてもかまわない」になっていて、義務ではなくなったことで目の前の()や困難から逃げてもかまわないと思えるようになり、自分を追い詰めるようなことはなくなった。

だから修が総合外交政策局長という肩書をプレッシャーとして感じることもなく、自然体で働くことができるようになったのだとツグミは考えている。

与えられたものを黙々とやるだけでは面白くはないし逃げ出したくなるが逃げ出せないという負のスパイラルに陥ってしまうが、自分が「やりたいこと」であればやる気は出るし逃げたくないと思えるようになり、それが仕事の結果となって評価されるのでますますやる気になるという好循環が生まれるのだ。

今の修はその好循環の中にあり、自分に自信が持てるようになっている。

もしかしたら城戸たちが描いた「夢」は彼らだけで叶えられるものではないのはもちろんだが、ツグミでも叶えることもできずに次代に引き継がれるものであったのではないだろうか。

迅の視た最善の未来にはツグミが必要で、そのツグミを動かすには修が必要だった。

しかし修がツグミのために必要な存在であっただけでなく、ツグミが修のために必要だったのだと考えれば納得できるものになる。

どちらが欠けても最善の未来に続く道は生まれず、どちらも存在したから今の「結果」があるのだ。

ただし修の代で叶うかどうかはまだわからない。

修の影響を受けた誰かが彼の役目を引き継いで、さらにまた次の誰かが…というように続くかもしれない。

だとしても諦めない限りいつかは叶うはずだ。

城戸たちは近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の関係を友好的なものとしようとボーダーを創設したがさまざまな困難で一度は諦めてしまった。

でもツグミが父親たちの夢を自分のものとして動いたことで、これまでの「近界(ネイバーフッド)=奪う側」「玄界(ミデン)=奪われる側」という図式が崩された。

一方的に奪う側であったアフトクラトルですらボーダーと同盟を結ぶようになったくらいである。

ツグミがここまで()()()した関係を途中で手放さなければならなくなったが、修が引き継いでくれた。

修がもっと他の国にも広めていくことができれば友好関係はさらに進展していくことだろう。

ひとりの人間の時間は有限だが、そうやって誰かが先代の想いを引き継いでいくならば時間は無限のものとなる。

だからツグミは自分が成しえなかったことであっても残念だと思うことも後悔することもないのだ。

 

「オサムくんがどんな働きをするのかわたしにはわからないしサジェストもできない。ただエウクラートンから見守るしかないんだけど、心配はしないし不安もないのよ。わたしはあなたのことはもちろんチカちゃんやユーマくんのことも信頼している。信頼しているから背中を任せて戦場に立つこともできる。戦場といっても武器(トリガー)を持って敵を倒すというものじゃなくて、自分の手に負えない部分であっても任せられるという意味で、わたしは近界(ネイバーフッド)にいて近界民(ネイバー)たちと近界(ネイバーフッド)の改革に専念する。オサムくんたちはボーダーにいて玄界(ミデン)の人間がより良く生きるために近界民(ネイバー)の技術や知識が役立つのだと()()()広めてもらう。そうすればふたつの世界が変わる速度もアップし、城戸さんたちの夢が叶う日も近付くというもの。できれば城戸さんがその目で夢が叶った世界を見ることができて、志半ばで命潰えた朋友たちに良い報告ができるようにしてあげたい。これはわたしの願いだけど、オサムくんも同じ気持ちになってくれたら叶う可能性はアップすると思うのよ」

 

「はい。20年以上前に城戸司令たちがボーダーを立ち上げなければきっと今の三門市はゴーストタウンになっていて、わけもわからないままに近界民(ネイバー)に蹂躙されていたことでしょう。彼らがいたから三門市民は安心して暮らせるわけで、ぼくもそのひとりです。恩返しをしたいと思っても創設時のメンバーも城戸司令だけしかいません。それならせめて城戸司令には夢が叶った、自分たちのやってきたことにな違いはなかったと満面の笑顔で喜んでもらえるようにしたいです」

 

修の言葉にツグミは笑顔で頷いた。

 

「そう言ってくれると信じていたわ。だったらわたしが帰って来た時に失望させるようなことはないわよね?」

 

「もちろんです。むしろ想像の斜め上を行く結果を出して見せますよ。B級ランク戦で見せた先輩の戦い以上にね」

 

「言ってくれるじゃないの。あー、これでわたしがこちら側の世界でやることは全部やったかな?」

 

ツグミがそう言うと、修は急にしょんぼりしてしまった。

 

「…あと10日ですね?」

 

「ええ。でもまだ10日もあるわ。全部やったと思うけど、まだ10日もあればやれることはあるわね、きっと」

 

すると修は苦笑して言った。

 

「先輩らしいですね。時間ギリギリまで粘って、誰もがもういいだろうと思うことでもまだ何かあると考える。そしてさらに良い結果を出してしまう。ぼくも見習おうと思います」

 

「うん、その意気込みよ。あなたにはやりたいことができる()があるんだから。頑張ってね」

 

「はい!」

 

ツグミと修は顔を見合わせて笑った。

 

 

 

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