ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミと千佳が食堂に戻って来ると、ゆりがケーキをカットして配っていた。
ケーキは最後にデザートとして食べようということだったのだが、陽太郎がそれまで我慢できなくて予定を変更したようである。
そして会場の片隅に黙々と料理を食べている京介の姿もあり、全員が揃ったのでケーキを分けることにしたのだろう。
「ツグミ、雨取、どこへ行ってたんだ? これ、おまえたちの分だ」
レイジがツグミと千佳にケーキの載った皿を手渡しながら言う。
「レイジさん、ありがとうございます。ちょっとチカちゃんと一緒に屋上で話をしてきました」
ツグミが「屋上」という言葉を口にするとレイジはわずかに表情を曇らせた。
彼もまた
しかしふたりの表情を見れば何事もなかったことは明らかで、すぐに要らぬ心配であったと察して頭を掻いた。
「そうか…。その顔だと心残りはなさそうだな?」
「はい」
「雨取も同じか?」
「はい。ずっと抱えていたものを吐き出したのでスッキリしました」
するとレイジはふたりの頭をそれぞれ撫でて「よかったな」とひと言だけ言って去って行った。
そんな彼の背中を見送り、ツグミと千佳は顔を見合わせて笑った。
「レイジさんにとってわたしは永遠に弟子で、いつまで経っても気にかけてくれるんでしょうね?」
千佳の言葉にツグミが首を横に振る。
「ううん、わたしたちはあの人にとって家族と同じだからあなたも弟子ではなくて妹分としていろいろ気にかけてくれているんだと思う。結婚して新しい家族ができても玉狛支部で一緒に過ごした日々が思い出から消えることはない。わたしはそう思ってる」
「そうですね…。わたしも
そう言って千佳は自分の胸に手を当てた。
「それはわたしも同じ。わたしなんて7歳の時からだから人生の半分以上はあの人の妹のようにして生きてきた。だから苦しいことも楽しいこともたくさん経験していて、それが全部今まで生きてきた糧になっている。そしてレイジさんがわたしたちのことを忘れたとしてもわたしはあの人のことを忘れることは絶対にないと断言するわ」
「わたしもです。玉狛支部はわたしにとってのもうひとつの家であり、みんなは家族だと思えます。兄さんが
内向的で自分の意思を堂々と発言することのなかった千佳が思いのたけを述べるようになったのは精神的な成長によるもの。
それはツグミだけでなく周りの人間 ── 主に玉狛支部の先輩たち ── が彼女を単なるボーダーの後輩隊員としてでなく親身になって相談に乗ったり訓練に付き合ったりしてくれたことが大きい。
人としての成長を促したのは玉狛支部で
ツグミと千佳がケーキを食べながら談笑していると、そこに修がやって来た。
「あ、オサムくん、ちょっと待っててね」
「いえ、ごゆっくりどうぞ。ぼくは待っていますから」
「そう? それであなたはケーキ、食べたの?」
「ぼくは片付けが終わった後にゆっくりと食べることにしていますので、ゆりさんに冷蔵庫に入れてもらっています」
「せっかくだものみんなと一緒に食べればいいのに」
「ぼくはいちおうパーティーの主催者ですから」
修は遠慮してそう言うが、イベントの主催者としてやるべき義務があり参加者として楽しむ権利もある。
「でも料理だって十分に食べていないでしょ? 主催者といっても遠慮することないのに。ケーキも料理もみんなと一緒に食べてこそ美味しいし楽しいパーティーだと言えるのよ。さあ、ケーキを持って来てわたしたちと一緒に食べましょう」
ツグミがそう言うと、千佳もそれに同意といわんばかりに首を縦に振って言う。
「そうよ、修くん。わたしたちが食べ終わるのを待っているんだったら一緒に食べればいいじゃない。無理することはないけど、修くんも後で食べるよりも今食べた方が美味しいと思う」
「…それならお言葉に甘えます。じゃあ、ケーキを持って来ますね」
修はそう言って厨房へと小走りで行ってしまった。
「相変わらず自分のことよりも周りの人のことばかり考えてしまっているわね。そこがオサムくんの美点であり残念な点でもあるんだけど」
「はい。気持ちはわかるしありがたいです。でもその一部でも自分のことをやってくれたらこちらも気持ちが少し楽になるんですけどね」
「わかるわかる、その気持ち。いわゆる
「はい…」
以前に修がアフトクラトルによる大規模侵攻で瀕死の重傷を負った時、香澄が千佳の反応を見て目覚めたばかりの彼に「親密さが足りないんじゃないの? 親密さが」という母親としては暴言とも呼べる感想を口にしたが、千佳本人も彼に対して友人以上の感情は抱いている気配はない。
そして今でもそれは変わっていないと思われる。
ツグミと千佳がそんな会話をしているなどとは露知らず、修は皿を片手に戻って来た。
「お待たせしました。あれ? 全然進んでないみたいですね。ぼくを待っていてくれたんですか? だったらすみません」
修は申し訳なさそうな顔をするがそれが勘違いであること、つまり真実を教えるのも酷なのでツグミと千佳は黙っていることにしたのだった。
3人でケーキを食べながら10分ばかり話をし、食べ終わるとツグミと修はふたりで会場を出て行った。
◆◆◆
修がツグミを連れて行った場所はかつて彼女が使用していた部屋で、ドアにもまだ「霧科」の名札が残っている。
そのドアを開けて中へ入ると、彼女が使用していた頃のままにベッドや机、本棚などが並んでいて、本棚にはたくさんの本があって読んでくれる人が現れるのを待っているようだ。
「先輩の私物のほとんどは運び出したようですけど、本は残していってくれたのでいつでも読めるようにこうして並べてあります。一番利用しているのはレクスくんで、ぼくたちでも難しい内容の本でも林藤支部長やゆりさんたちに教えてもらいながら読んでいるんですよ。子供だとか
修の言葉にツグミは胸の中に得も言われぬ喜びや嬉しさが沸き上がってきた。
「そう、レクスくんが…。あの子は
「サイドエフェクト?」
「ええ。
「そうですね。レクスくんは年齢の割に賢いのは間違いありませんし、本来なら親が恋しい時期のはずなのに自分の決めたことだからと里帰りせずに頑張るんだって意気込んでいます。まあ、エリン夫妻が年に1回か2回は会いに来ていますからそんなに寂しいとは感じないのかもしれませんね。それに先輩がボーダーの専属医の白峰先生を紹介してくれたものだから、何か知りたいことがあるとひとりで自転車に乗って本部基地まで行くんですよ。城戸司令から許可をもらっていて隊員や職員とも顔馴染になっていますから、今ではボーダー関係者のひとりになっています」
「レクスくんが
「アフトは敵でしたけど今では同盟国で、あの国がバックにいるから第三国による加害がなくなったとわかっているんです。エネドラのせいで殉職した職員の友人の中にはまだアフトのことを許せないという人もいます。でもどこかで怨嗟の念を断ち切らなければお互いに悲しいだけです。それに以前に先輩やぼくがアフトへ行った時にハイレイン陛下は国王だというのにぼくに頭を下げて謝罪してくれました。ぼくは千佳のこともあって憎い敵だと思っていましたが総合外交政策局員になりボーダーと同盟を結ぼうとしている国の国王に対してどういう態度でいればいいのかわからなかった時がありました。でも陛下があえて非公式の場を作ってくれてそこで謝ってくれたことで許せなくても憎む気持ちはなくなりました。そして今では許せないという気持ちも消え、過去は過去として受け止め、より良き未来のために今をどう生きるか…と考えるとぼくのやってきたことは間違いなかったのだと感じます」
「オサムくんは全然変わらないけど、だいぶ変わったわね」
ツグミがしみじみと言うと、修は目を丸くする。
「それってどういう意味ですか?」
「だって以前のあなたはチカちゃんのため、ユーマくんのため、遠征に参加するため、って視野がとても狭かったわ。でも今ではボーダーのことだけじゃなくて
「…先輩の言うとおりです。玉狛支部に来たばかりの頃のぼくはいつもいっぱいいっぱいで、千佳を守らなければ
恐る恐る訊く修にツグミは笑顔で答えた。
「そんなことはないとわたしは断言するわ。だってあなたが傲慢ならわたしも傲慢だってことでしょ? …まあ、他人から見ればそう思われても仕方がないことだけど、わたしは自分と手の届く範囲の家族や仲間が幸せになりさえすればいいと行動していたけど、その手がどんどん長くなって守りたい人や幸せになってもらいたい人が増えていってしまってこちら側の世界だけでなく
ツグミにとって城戸や最上、有吾や織羽たちは家族同様の人間であり尊敬している大人たちだ。
彼らの夢 ──
そして彼女が途中で手放さなくてはならなくなったものを修がしっかりと掴んで離さず、彼女に代わって皆の願いを叶えようとしている。
なぜなら修にとってもそれが自分の「するべきこと」であると同時に「やりたいこと」になっていたからだ。
さらに「しなければいけない」が「しなくてもかまわない」になっていて、義務ではなくなったことで目の前の
だから修が総合外交政策局長という肩書をプレッシャーとして感じることもなく、自然体で働くことができるようになったのだとツグミは考えている。
与えられたものを黙々とやるだけでは面白くはないし逃げ出したくなるが逃げ出せないという負のスパイラルに陥ってしまうが、自分が「やりたいこと」であればやる気は出るし逃げたくないと思えるようになり、それが仕事の結果となって評価されるのでますますやる気になるという好循環が生まれるのだ。
今の修はその好循環の中にあり、自分に自信が持てるようになっている。
もしかしたら城戸たちが描いた「夢」は彼らだけで叶えられるものではないのはもちろんだが、ツグミでも叶えることもできずに次代に引き継がれるものであったのではないだろうか。
迅の視た最善の未来にはツグミが必要で、そのツグミを動かすには修が必要だった。
しかし修がツグミのために必要な存在であっただけでなく、ツグミが修のために必要だったのだと考えれば納得できるものになる。
どちらが欠けても最善の未来に続く道は生まれず、どちらも存在したから今の「結果」があるのだ。
ただし修の代で叶うかどうかはまだわからない。
修の影響を受けた誰かが彼の役目を引き継いで、さらにまた次の誰かが…というように続くかもしれない。
だとしても諦めない限りいつかは叶うはずだ。
城戸たちは
でもツグミが父親たちの夢を自分のものとして動いたことで、これまでの「
一方的に奪う側であったアフトクラトルですらボーダーと同盟を結ぶようになったくらいである。
ツグミがここまで
修がもっと他の国にも広めていくことができれば友好関係はさらに進展していくことだろう。
ひとりの人間の時間は有限だが、そうやって誰かが先代の想いを引き継いでいくならば時間は無限のものとなる。
だからツグミは自分が成しえなかったことであっても残念だと思うことも後悔することもないのだ。
「オサムくんがどんな働きをするのかわたしにはわからないしサジェストもできない。ただエウクラートンから見守るしかないんだけど、心配はしないし不安もないのよ。わたしはあなたのことはもちろんチカちゃんやユーマくんのことも信頼している。信頼しているから背中を任せて戦場に立つこともできる。戦場といっても
「はい。20年以上前に城戸司令たちがボーダーを立ち上げなければきっと今の三門市はゴーストタウンになっていて、わけもわからないままに
修の言葉にツグミは笑顔で頷いた。
「そう言ってくれると信じていたわ。だったらわたしが帰って来た時に失望させるようなことはないわよね?」
「もちろんです。むしろ想像の斜め上を行く結果を出して見せますよ。B級ランク戦で見せた先輩の戦い以上にね」
「言ってくれるじゃないの。あー、これでわたしがこちら側の世界でやることは全部やったかな?」
ツグミがそう言うと、修は急にしょんぼりしてしまった。
「…あと10日ですね?」
「ええ。でもまだ10日もあるわ。全部やったと思うけど、まだ10日もあればやれることはあるわね、きっと」
すると修は苦笑して言った。
「先輩らしいですね。時間ギリギリまで粘って、誰もがもういいだろうと思うことでもまだ何かあると考える。そしてさらに良い結果を出してしまう。ぼくも見習おうと思います」
「うん、その意気込みよ。あなたにはやりたいことができる
「はい!」
ツグミと修は顔を見合わせて笑った。