ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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688話

 

 

遠征艇の最終点検が終了してツグミたちが乗り込もうとしていると、玉狛支部のエンブレムをつけたジープがもの凄い速度で国際港の駐車場に飛び込んできた。

そして急ブレーキをかけて停車すると、そこから修と遊真と千佳が遠征艇へ向かって走り出し、最後に運転手であっただろう麟児も修たちを追って走って来た。

 

「待ってくださ~い!」

 

修は何か大きなものを抱えていて、遊真と千佳もそれぞれ荷物を持っている。

この状況から彼らは旅立つツグミたちに渡したいものがあるのだとすぐにわかり、昇りかけていたタラップから地上へと降りた。

そしてツグミたちが待っていると3人が彼女の前に立った。

 

「ハァ…ハァ…間に合って良かった…」

 

修は息を切らした状態でツグミに話しかける。

 

「どうしたの、オサムくん? そんなに慌てなくても連絡をくれたら待っていたのに」

 

「あ…」

 

修は「そうだった」といった顔でその場に崩れ落ちる。

 

「急いでいるのはわかるけど、もっと冷静になってよ。それにしてもたった200メートルくらいを全力疾走したくらいでそんなに息を切らすなんて運動不足じゃないの。いっそトリオン体に換装して走って来れば良かったじゃない」

 

「そうでした…」

 

「それでそこまで急いで来たってことには何か理由があるのよね? 何かあったの?」

 

ツグミは修の目線に合わせるようにしゃがむと優しく訊いた。

 

「はい、これを先輩たちに渡そうと思って…」

 

修はそう言って大事そうに抱えていた荷物をツグミに向かって差し出した。

 

「みんなで作ったお弁当です。朝6時に炊けるように炊飯器をセットしたつもりだったんですけど最後の炊飯スイッチを入れていなくて、時間になって開けてみたらまだ全然炊けていなかったんです。それで急いでご飯を炊いて、炊き立てをおにぎりにしてきました。それで ──」

 

修が先を続けようとするが、ツグミがそれを遮った。

 

「炊き立てのご飯をおにぎりにするなんて、手を火傷しちゃうじゃないの! もう、気持ちは嬉しいけど無茶しちゃダメよ!」

 

すると修が意外なことを言った。

 

「麟児さんがトリオン体で握ればいいって教えてくれて、それで火傷はしませんでしたから安心してください。でも車に乗った時には換装を解いていて、遠征艇が見えたらそのまま全力疾走してしまって…。そうですよね、トリオン体で走ればこんなに苦しくなかったわけで…」

 

「必死だったのね。どうもありがとう。みんなの気持ちはとても嬉しい。その気持ちも大事にいただくわ」

 

「はい。こちらこそ受け取ってもらえてよかったです。これまで先輩には散々お世話になってきたのに何のお返しもできずにいてそれが心残りだったんです。これでやっと気持ちの整理ができました。あ、でもこれっぽっちのことで恩返しができたとは思っていません。これからは先輩が残してくれた総合外交政策局を立派に守っていき、いつかぼくがボーダーを去る時には信頼できる後輩に託せるよう頑張っていきます」

 

「うん、その言葉が一番の恩返しというものよ。わたしがやってきたことが間違いなかったという証だもの。誰に言われるよりもあなたに言われることが一番嬉しい。それにオサムくんはお弁当を作って来てくれたことをこれっぽっちのことと言うけど、誰かのために心を込めて何かができるというのはとても大切なことなのよ」

 

「…はい」

 

嬉しそうに笑う修と、彼を見下ろす遊真と千佳も同じように微笑んでいる。

そんな彼らを少し離れた場所で麟児が保護者のように見守っていた。

そして千佳が何かを思い出したかのような顔で自分の抱えている荷物をツグミに差し出した。

 

「ツグミさん、こっちの箱にはおかずが入っています。玉狛支部の食事当番で一緒に料理をした時にツグミさんから教えてもらったメニューを作って入れてきました。これも食べてください」

 

「こっちはレイジさんとコナミ先輩が作った料理が入ってる。ふたりとも今日は見送りに行けないからって、昨日のうちに玉狛支部まで持って来てくれたんだ。とりまる先輩は自分は何もできないから差し入れだって言ってきりしな先輩の大好きなイチゴを持って来てくれた。今朝採ったばかりの新鮮なヤツで、夜勤明けに知り合いの農家に寄って分けてもらったんだって」

 

ツグミは修からのおにぎりの箱を迅に渡し、千佳と遊真のおかずの箱とイチゴのパックの入ったレジ袋を受け取った。

 

「みんな、どうもありがとう。こんなにしてもらったらわたしも何かお返しがしたくなっちゃった」

 

「そんな、もう霧科先輩からは何も受け取れませんよ」

 

修が遠慮するものだから、ツグミは首を横に振って言う。

 

「荷物になる()じゃなくて、最後にわたしの思想というか信念というか…とにかく心の片隅に置いておいてもらいたいことだから聞いてちょうだい」

 

そう言ってツグミは修たち3人の顔を見ながら話し始めた。

 

「わたしが好きなニーチェの言葉に『あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう』というものがあるの。普通自分の敵というと自分の人格を否定して精神的に傷つけようとか、あるいは物理的に危害を加えようとする人物のことを考えるわよね? でもわたしは自分が事を起こそうとして何が一番の障害になるのかって考えた時、それは自分自身が『あの人はわたしのことを嫌っているかも?』とか『あの人はわたしの考え方を否定するかも?』なんてことを考えてしまって勝手にその人を敵認定してしまう自分自身の心なんじゃないかって思ったのよ。それに気付いた時、わたしは目が覚めた気分だった。誰かが何かを成し遂げようとする時、一番の障害となるものは他人の反対や批判ではなく、真の敵はその批判に折れてしまう弱い自分の心。他人の批判や意見、心の中を気にしていて、自分にとって都合の悪い他人を敵だと考えるけど、そうではなくて本当の敵は自分自身。そう考えると他人を敵としてしまうのは自分自身に原因があるってことになるわけで、それを理解していれば無闇に敵を作らなくなるってこと」

 

「……」

 

「だからわたしはゼノン隊長たちを敵として見ることはしなかった。彼らはわたしを誘拐して(ブラック)トリガーを奪おうとしたんだから()()()()()()()()()敵であることに間違いはない。でもそれはボーダーの霧科ツグミとキオンの諜報員であるゼノン隊のメンバーであったからで、その肩書を外した一個の人間として向かい合った時にわたしたちは友人になれた。もしわたしが彼らは自分に危害を加えようとする敵なのだと決めつけて徹底的に戦おうとしたら、彼らの個人的な事情も理解できずボーダーとキオンはお互いを敵として戦うことになったかもしれない。ううん、敵にはならなくても味方にもなってくれないからアフト遠征にも苦労したと思う」

 

「……」

 

「わたしは元々自分と自分の手の届く範囲の人たちにしか興味はなく、その中にいる家族や仲間さえ幸せなら十分だと考えていたんだけど、いつの間にか玄界(ミデン)近界(ネイバーフッド)というふたつの世界に大きな影響を及ぼすようになっていた。小さなコミュニティを大切にすることはそれを取り囲む大きな世界をも大切にしなければならず、世界の安寧があってこそ身近な大切な人たちと穏やかに暮らすことができるからなの。わたし自身にはそんな意識はなかったけど、自分と自分を囲む親しい者たちのことを大切にしたいと思う気持ちが『世界を変える引き金(ワールドトリガー)』となったのは間違いない」

 

「「「世界を変える引き金(ワールドトリガー)…」」」

 

修と遊真と千佳は大きく目を見開き揃って言った。

 

「この世界を変える引き金(ワールドトリガー)というのは特別なものではなくて誰の心の中にも存在しているもの。その引き金(トリガー)を引くか引かないかは本人の意思次第だけどね。自分の行動が世界にどんな影響を与えるのか不安になるし他人が自分をどう見るのか気になるだろうけど、それで躊躇してしまっては何も変わらない。自分自身の心の中にある敵に負けてしまったことになるから。もちろん引いたからにはその結果に責任を持たなければならないから引き金(トリガー)を引くか引かないかの判断は慎重に行わなければいけない。じっくり考えた上で引かないという選択をしたのであればそれは負けにはならない。勇気ある撤退ということよ。わたしはキオンへ行こうと決めた時にこの世界を変える引き金(ワールドトリガー)を引いた。その結果に満足しているわ。だからみんなもひとりひとりの勇気ある行動が世界を変えるのだということを覚えておいてちょうだい」

 

「「「はい!」」」

 

修と遊真と千佳は声を揃えて元気良く返事をした。

それの返事にツグミは満足したようで、大きく頷いてから言った。

 

「わたしは必ずここへ帰って来るからさよならは言わない。あなたたちが行動することで生まれ変わった三門市の姿をこの目で見ることを楽しみにしているわ」

 

「はい、期待して待っていてください。先輩が失望しない世界にしてみせますから。…行ってらっしゃい、お元気で」

 

「「行ってらっしゃい」」

 

「行ってきます」

 

 

後ろ髪引かれる気持ちを堪え、ツグミは再び遠征艇のタラップを昇って行き、ドアのところで振り返って手を振った。

それに修たちも応えるように手を振る。

そして艇内へ入ると無情にもドアは無機質な音を立てて閉じた。

続いてエンジンが起動して出発のカウントダウンが始まる。

遠征艇の前方には巨大な(ゲート)が開き、カウントダウンがゼロになると艇は浮かび上がり(ゲート)の中へと静かに消えて行ったのだった。

 

 

(ゲート)は艇を飲み込むと開いた時と同じように音もなく消え、国際港には静寂が戻った。

 

「行ってしまったな…」

 

修が空を見上げながら呟く。

すると遊真が慰めるように言った。

 

「そうだな。だけどこれで会えないわけじゃない。きりしな先輩はエウクラートンから離れられないけど、おれたちは行こうと思えばいつでも行けるんだから会うことだってできるさ」

 

「そうだよ、修くん。ツグミさんもそれがわかっているからそんなに寂しそうな顔をしていなかったんだと思う。むしろ会いに来てくれるのを待っているのかもしれないから、早く拉致被害者市民救出計画を完了してその報告に行こうよ」

 

千佳も修を励ますように言う。

ふたりがそんなことを言うくらいだから、修はよほどツグミとの別れが寂しいという顔をしていたにちがいない。

 

「ああ、ぼくたちにはやるべきことがある。それをしっかりやり遂げないと会いに行けないぞ。今月中旬にはフスクム遠征に出発する予定だ。それまでにやっておくべきことがたくさんある。フスクムには56人の市民がいるんだ、その家族や友人となればその何倍も待っている人がいるということ。その人たちのためにも可及的速やかに遠征を成功させよう!」

 

寂しさを吹き飛ばそうと力強く決意を語る修だった。

 

 

◆◆◆

 

 

遠征艇は途中寄港せず真っ直ぐにエウクラートンへと向かい、三門市を出発して約90時間で無事に現地に到着した。

エウクラートンは春真っ盛りで、それが新しい女王の到着を待っていた国民の気持ちであるかのように感じられる。

現女王が老齢で健康を害しており、後継者が見付からない状態が何年も続いていた上に、キオンとの関係も主従関係とまではいかないまでも食料を大量に供出しなければならなかったので国民は安心して暮らすことができずにいた。

ところが皇太子であるリベラートの孫という少女が玄界(ミデン)からやって来て、次期女王となることを決心してくれたのだから国民は彼女の到着を今か今かと待っていたのだ。

具体的な到着日は知らせていなかったものの、ツグミの誕生日から100日以内に女王に就任するという約束であったからおよその見当はついていたので、彼女の歓迎の準備は整っている。

 

ボーダーの遠征艇が(ゲート)から出て来ると直ちにその反応を軍司令部がキャッチし、そのトリオン反応からその艇が玄界(ミデン)のものだと確定される。

トリオンは精製される過程でその国独自のものとなるため、そのトリオンの()()()がわかればどこの艇かわかるのだ。

そして清々しく晴れた青空に禍々しく見える(ゲート)が開いたが、そこから出て来たのは同盟国(ボーダー)の艇であったから軍司令部の兵士たちは歓声を上げた。

すぐに王城へ伝令が走り、リベラートたちにツグミたちの到着が知らされた。

エウクラートンの人間は皆がツグミの到着を心待ちにしていた理由は彼女が女王に就任してくれるからなのだが、それ以上に彼女が単に女王としての役目を果たしてくれるだけでなく自分たちの未来を変えてくれると信じているからだ。

従来の近界(ネイバーフッド)慣習(ルール)に囚われない新しい風を呼び込んでくれるという期待の星として彼女を歓迎している。

なにしろすでにキオンとエウクラートンの関係を対等なものにしていて、一方的に搾取される状況から改善されているのだから多くの人間が彼女の()()を評価している。

貴族連中も彼女が国会で演説(プレゼン)した時の印象がハッキリと残っていて、その堂々たる姿は王族のものだと納得して彼女の女王就任を全員一致で承認しているくらいだ。

ただしエウクラートン国民のすべてがツグミの到着を歓迎しているように思えるがそれは表向きのことで、中には未だに不満や疑惑の念を抱えている人間もいるだろう。

それでもツグミはこの国の女王となる。

 

 

 

 

ボーダーの遠征艇は軍司令部の指示で神殿の脇にある国賓用の駐艇場まで案内され、そこで下船するとリベラートと夫人のイレーネと娘のロレッタ、そしてエレナの4人がツグミたち一行を出迎えてくれた。

 

「ツグミ、よく来てくれた。そしてキド司令とシノダ本部長もはるばるようこそいらっしゃいました。私はみなさんを歓迎いたします」

 

リベラートがエウクラートンの代表としてツグミたち一行を歓迎する。

彼女たちは玄界(ミデン)から来た第一級の国賓であるからエウクラートン側の受け入れ態勢は万全となっていて、挨拶を簡単に済ますとすぐに城戸たち()を迎賓館へと案内した。

ツグミと迅には王宮内に部屋が用意されていて、すでにふたりが客ではなくエウクラートン国民であると認識しているようだ。

 

ツグミと迅の部屋はこの国の女王と王配のための完全なプライベート空間となっており、ふたりのどちらかの許しがなければリベラートであっても入室はできないというもの。

もっともツグミは一日のほとんどを神殿内で過ごすことになるため寝室の役目しかない。

しかしこれは現状の慣習(ルール)で、それすらも以前の「女王は神殿から出てはならない」というものをツグミが変更させたものだ。

女王は(マザー)トリガーの操作という大切な役目があって、そのため必要以上に女王の身体には気を遣う。

接触した人物から病気の感染があってはならないから会わせない、怪我をさせないために必要以上の移動をさせないとか理由はあるものの神経質すぎるのだ。

そのせいで女王は窮屈な暮らしを強いられるわけで、むしろそのストレスの方が身体に悪影響を及ぼすと考えたツグミはエレナに身体を動かすことを勧めた。

車椅子で神殿の中だけしか移動のできなかった彼女もリハビリのおかげで現在では自分の足で歩いて王城内の私室と往復できるようになったくらいだ。

適度な運動が健康に良いことはこれで証明されたわけで、今度は国民にも健康管理についての指導と政府による健康支援活動を行う計画である。

ツグミは自分が女王になったらやりたいことがたくさんあり、玄界(ミデン)に残してきた心残りさえも心の片隅に追いやることができるくらいエウクラートン及び近界(ネイバーフッド)の国々の「改革」のことで頭がいっぱいなのだ。

 

 

 

 

その夜は身内だけの会食で済ませ、翌日の女王就任式のために各自身体を休ませることになった。

そしてその就任式が終わればツグミはエウクラートンの女王となるため、玄界(ミデン)の人間である城戸や忍田は家族ではなく同盟国の賓客として接しなければならなくなる。

もう気軽に口を利くこともできなくなるのだ。

だからこの残り少ない時間にツグミと忍田は娘と父としての最後の時間を過ごすことにした。

ツグミが7歳の時に忍田の娘となりそれ以来ずっと家庭でもボーダーでも常に一緒で、互いに相手のことを世界で一番大切に思ってきた。

タダの父娘のそれとは違う強い絆で結ばれていて、そんなツグミの忍田に対する愛情が彼女の心の引き金(トリガー)を引く原動力のひとつであり、その結果彼女の望む世界へと大きく動き出したことは忍田も感じている。

忍田はそんな彼女の意思 ── エウクラートンの女王になること ── を尊重するしかなかった。

ここでダメだと言えばそれは忍田の大人げないワガママでしかないこと、そしてツグミのやろうとしていることこそボーダー創設時の理念に叶うことだとわかっているからだ。

ツグミ()とは自分(父親)の所有物ではなく自我を持つ人間であると理解するには忍田は彼女に心血と愛情を注ぎ込み過ぎた。

自分の分身に近いものとなっていて、彼女が自分の手元から離れてしまうことが自分の身体の一部をもぎ取られてしまうかのように感じていたのだろう。

だから気持ちの整理ができた今では理性的に話し合うことができる。

いつもなら午後11時には就寝する習慣のツグミだったが、この日ばかりは明け方近くまで忍田との別れを辛いと感じながらも気丈に笑顔を絶やさず父娘の会話ができたのだった。

 

 

 

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