ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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689話

 

 

近界(ネイバーフッド)の国々はその(ことわり)によってすべての国に(マザー)トリガーもしくは女王(クイーン)トリガーと呼ばれる惑星国家を形作る巨大なトリガーが存在する。

いや、(マザー)トリガーがなければ国土というものを形成することができないのだから、国家として成り立たない。

その(マザー)トリガーは女王や神官、巫女など呼び名や出自は国によって異なるものの、操作をする人間が必ずいる。

彼女たち ── その役目を担う者は女性のみである ── はその身体に流れる「血」によって(マザー)トリガーと()()するか否かが決まるらしく、代々決まった一族の女性から選ばれる。

国家の政治形態は国によって違うが、国王もしくは女王が最高権力者として統治している「君主制」の国が多い。

それは近界民(ネイバー)の始祖となった「マニュス」が君主制を布く国であったからで、玄界(ミデン)にある共和制の考え方を持つ人間は永く出現しなかったようだ。

中には世襲制ではなく総統という最高指導者が国民の多くの支持によって生まれたキオンや、次代の「神」を見付けてきた一族の長が国王となり「神」の寿命が尽きるまで国王が世襲で決まるアフトクラトルのような国もあるが、エウクラートンのように特定の一族がずっと王族として国を治めているケースが大多数だ。

王族の姓と国の名称が同じ ── リコフォスやトロポイがその例である ── 国が多いのは国家誕生時から王族が一度も変わっていない証拠で、それだけ国民が王族を大切にしているという証拠でもある。

ところがエウクラートンの王族の姓は「オーラクル」でエウクラートンではない。

これは数百年前にエウクラートン一族の中に女王となれる人間がいなくて、他家へ嫁いだ女性の中で探したところオーラクル家の嫡男の妻に適性があって、彼女とその夫がエウクラートン一族に代わって王家を継ぐことになったためだ。

以来エウクラートンはオーラクル一族によって統治されている。

そのエウクラートンの女王の座にツグミ・ジン・オーラクルが就く日がやって来た。

 

 

 

 

戴冠式を前にしてツグミはまず神殿に入る前に沐浴を行った。

この時に使用する水は神殿の庭にある井戸のもので、女王がその日の早朝に自らが汲んで用意をする。

外の世界で生きてきた人間には()()があるから、身を清めないと女王にはなれないという意味らしい。

ただしこれは形式的なもので、実際にツグミは禊などしなくても神殿に何度も入っているし、他所の国でも彼女がエウクラートンの王族だと知ると神殿において女王と謁見を許されている。

まあ、こうした行事は形式というものを重要視するから仕方がない。

それに朝風呂とは気持ちの良いもので、さっぱりした気分で儀式に臨むのは悪くない。

沐浴の後、ツグミは女王付きの侍女に手伝ってもらって着替えをする。

以前に彼女がリベラートに連れられて国会に出席した時に着用したものと生地は同じだがもっと豪奢で裾を長く引いた純白のウェディングドレスのような衣装を着せられた。

材質はシルクのように見えるが近界(ネイバーフッド)では養蚕の習慣や技術はないため、玄界(ミデン)で手に入れたシルク素材の衣類を分析してトリオンで再現しているのだそうだ。

こういう話を聞くとトリオンの万能さを思い知らされるのだが、だからこそすべてがトリオン依存になってしまって常にトリオン不足となってしまうわけである。

だからツグミはトリオンを使わない玄界(ミデン)の文明を導入し、国土の維持など最低限のエネルギーとしてトリオンを使用して、それ以外のものは極力トリオンを使わないシステムを近界(ネイバーフッド)に広めようと考えている。

エウクラートンで成功を収めれば他所の国も見習おうとしてエウクラートンに協力を求めたり、直接玄界(ミデン)へ行ってボーダーと手を結ぼうとするだろう。

その場合「同盟に加わって相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉の決め事を必ず順守すること」という最低限のルールを承諾してもらう。

それだけでも戦争とトリオンの無駄遣いをする国が減るというものだ。

そしてボーダーは近界民(ネイバー)からトリガー技術を譲ってもらい、それを平和的利用するということで「win-win」となる。

近界民(ネイバー)の技術を戦争に使おうとする輩が()()現れるだろうから、いずれボーダーの敵は近界民(ネイバー)ではなく玄界(ミデン)の同胞たちということになる。

もっともそれも計算に入れてツグミは計画を立てているから大丈夫だろう。

 

 

 

 

着替えを終えたツグミは控えの間へと連れて行かれ、そこで先に来ていた迅と合流した。

 

「その恰好、ウェディングドレスみたいだな」

 

迅は嬉しそうな顔で言う。

 

「わたしもそう思いました。でも考えてみれば女王になることってこのエウクラートンという国と結婚するみたいなものですよ。それよりも悠一さんこそまるで花婿じゃないですか。わたしのドレスと同じ生地のタキシードで、王家の一員としての証のサファイア(サッピールス)を使ったネクタイピンとカフス。とても似合っていてカッコイイですよ」

 

「だけどこんな格好慣れてないからちょっと恥ずかしいんだけど…」

 

「わたしだって慣れていませんけど、こういう儀式の時には見た目も大事なんですよ。威厳のある姿を見せないと貴族連中に舐められます。ただでさえ玄界(ミデン)の人間だっていうことで色眼鏡で見られるんですから、ここは堂々とヤツラの上に君臨しなきゃ。それに堅苦しい服は特別な時だけで、普段はもっと楽な恰好をしていいんですから、今日だけは我慢してください」

 

「わかってるって。それに今日の主役はおまえで、俺は添え物みたいなものだ。リベラート殿下と同じようにおまえが女王になるのを見守っているだけでいいんだからな」

 

迅は自分が単なる列席者のひとりだと考えているらしいが、実際にはそうではない。

 

「暢気なことを言っている場合じゃありませんよ。たしかに神殿でわたしが戴冠する時には列席者のひとりで済みますが、その後のお披露目の際には王配としてわたしと一緒に国民の前に立って()()()になるんですからね」

 

初耳だと言わんばかりに驚く迅。

 

「はぁ? そんなの初耳だぞ」

 

「ええ、今初めて言いましたから。神殿での儀式を済ませたら王城のバルコニーに出て広場に集まっている国民に挨拶をするんです。これまでは国民へのお披露目なんてことはしていませんでしたが、今回からやることに()()()()決めました。玄界(ミデン)からやって来た人間が女王になるということに不安を持つ人はいるでしょう。だからせめて顔を出してわたしがどんな人間かを知ってもらうきっかけにちょうど良いからやることにしたんです。もちろんわたしだけでもかまわないんですけど、あなたが王配としてそばにいてわたしを支えてくれるということも知ってもらえばよりいっそう安心してもらえると思うので。別に何かしろとは言いません。わたしの隣にいて笑顔で手を振ってもらえばいいだけです」

 

「でもなぁ…」

 

「いつもみたいに飄々として笑っているだけでいいんですから難しいことなんてありませんよ。それともわたしの配偶者であるということを知られたくないとか?」

 

「そんなことはないさ。…ま、なんとかなるか。俺、暗躍するのは得意だけど、大っぴらに何かするのは苦手なんだよな…」

 

「だから何もしなくていいんです。挨拶はわたしがやりますから。…って、誰か来たみたいですね」

 

ツグミと迅が会話していると控えの間のドアがノックされた。

そして侍女がドアを開けてツグミに声をかける。

 

「ツグミさま、お時間でございます。女王陛下と来賓の方々がお待ちです」

 

「はい、では参りましょう」

 

ツグミはゆっくりと立ち上がった。

女王となるにあたって身だしなみだけでなく立ち居振る舞いにも「品格」がなければいけないと、彼女は有給休暇の期間に城戸の知り合いの日舞の師匠に()()()()()所作や心構えを習っていた。

忍田から剣を学ぶ際には武人としての「道」を学んだが、女性らしい仕草は今ひとつだったと反省をしていたのだ。

日常生活の中で特に意識しない動作というものはたくさんある。

たとえば手や指を美しく見せるには常に指を閉じておくとか、椅子に座った時は両脚を揃えて少し横に流すとか、立っている時には脚を閉じて片方の踵を少しだけ後ろに引くと身体に少し「(ひね)り」が加わって姿勢もスタイルも良く見えるなど、長い間ボーダーで戦闘員をしていた彼女にとってはあらゆるものが目から鱗であった。

大きな鏡のある稽古場で自分の所作を確認してみるとハッとすることが多かった。

すべての動作を意識してゆっくりと行うこと、そして身体を捻るような動きは女性らしい柔らかい曲線を作ることで優雅に見せることができる。

実際にやってみるとこれまで()()()()()身分の高い相手に対する礼儀的な所作だったものが、自分でも身の内から高貴なオーラが滲み出てくるように感じられたのだった。

迅はツグミのことを10年以上もそばで見守ってきたのだが、初めて見る彼女の優美な姿に息をのんだ。

普段の彼女なら椅子に腰掛けていて立ち上がる時にはすっとスマートに立ち上がって姿勢をピンと伸ばすのだが、今日に限っては生まれついての貴族令嬢のような仕草であってそれが違和感ないのだから驚くのも無理はない。

それにどんなに素晴らしい衣装であっても()()が貧相では()()()()()()()()ということになってしまうが、今のツグミはエウクラートンの王族の衣装を見事に着こなしている。

人は見た目ではないというが、見た目がこれほど立派なのだから中身はさぞかし素晴らしいだろうと誰もが思うはず。

ツグミはそういうことも考慮に入れて初対面となる国民たちに自分を()()()()しようということなのだ。

いくら彼女がリベラートの孫でオーラクル家の一員であるといっても玄界(ミデン)で生まれ育った庶民階級の人間であることは変えようのない事実。

ならば高貴な血筋の人間である証拠を()()()()()国民に侮られてしまわないようにし、その上で庶民の気持ちを理解できる新しい女王となることを堂々と宣言しようと考えた。

その気品のある優美な所作をこの日初めてリベラートたちにもお披露目するから、きっと彼らも迅同様に驚くことだろう。

 

 

 

 

(マザー)トリガーがあるのは神殿の中央の最深部の通称「女王の間」である。

ここは原則として王家の人間しか入ることはできない神域だが、女王の交代が行われる時にだけ女王の許可した者が入室を許される。

ツグミは何度かエレナの見舞いに訪れたことはあるが、迅と城戸と忍田の3人は王城までは来たことはあっても神殿に入ったのはこれが初めてだ。

 

一辺が3メートルくらいあるトリオンキューブそっくりな(マザー)トリガーが光り輝いている。

(マザー)トリガーは床から2メートルくらいの高さで浮かんでゆっくりと回転していて、その下にはコンソールパネルのようなものと玉座が置かれている。

玉座にはエレナが腰掛けており、入口から続く真紅の絨毯(レッド・カーペット)の両脇にはリベラートたち王族や国内の有力貴族、そして来賓の城戸と忍田、そして驚くべきことにキオンの代表としてテスタが臨席していた。

かつてエウクラートンとキオンは二度にわたる大規模な戦争が行われ、エウクラートンはキオンによって従属させられるという屈辱を味わったことがある。

テスタが総統に就任したことでその関係は改善されたのだが、エウクラートン国民の一部は未だにキオンのことを憎んでいるという。

それなのに新女王の誕生という最も重要な儀式に招待されているのだから、これは異例中の異例のことだ。

しかし現在では同盟国の代表であり、隣の国の総統であるテスタがエウクラートンを公式・非公式含めて10回以上訪問しているし、リベラートも同様にキオンを訪ねている。

それに両国の関係改善のきっかけとなったのはツグミが決死の覚悟でキオンに行ったことだから、彼女の晴れの舞台にテスタがいてもおかしくはない。

むしろこれを機会にもっと交流を増やすべきだということで、リベラートはエレナと相談してテスタを招待したのだった。

ツグミはそのことを知らされていなかったので驚いたものの、そんな素振りを見せず迅にエスコートされて真紅の絨毯(レッド・カーペット)の途中まで歩みを進めた。

そして迅がリベラートの隣に立ち、ツグミはひとりで玉座に向かって真っ直ぐ歩く。

並の人間なら場の空気に圧し潰されそうになりそうな荘厳な雰囲気だが、この儀式の主役であるツグミはそれすらも楽しんでいる様子だ。

 

(わたしは平凡な普通の人々の人生の中で経験することのできなかったことをたくさん経験している。まだ生まれてたった20年だというのに両親と死に別れて叔父の養女となり、ボーダーに入隊して近界民(ネイバー)と戦う道を選んだ。その中で多くの人との出会いと別れを繰り返してきて、父親が近界民(ネイバー)だということを知った。おまけにそんな知りたくなかった事実のせいでこの国の女王になる。自分で選んだ道だしやりたいことがあるから嫌じゃないけど、真史叔父さんの泣きそうな顔はあんまり見たくないわよ。昨日の夜に『わたしの一世一代の晴れの舞台を笑顔で見守ってほしい』って言ったのに…)

 

忍田は新女王の養父だから列席者の中でもリベラートに次ぐ席にいて、来賓の中で一番上座にいながら彼ひとりだけ嬉しいのか哀しいのかわからない涙を堪えている姿は滑稽でもある。

守るべきものがあれば人は強くなれるというのはそのとおりで忍田もまさにその典型的な男だったのだが、ツグミのこととなると涙もろくなってせっかくの男前が台無しの()()()男になってしまう。

その隣にいる城戸にも何か思うところはあるようだが、普段のボーダー総司令官としての彼と同じく心の中を隠して平然としているから、その外見から彼の本心を探ることはできない。

 

ツグミはエレナの前までやって来ると、その場に跪いた。

するとエレナが立ち上がり、ツグミの前に立つと凛とした声で言う。

 

「ツグミ・ジン・オーラクル、汝はエウクラートン国の王家オーラクルの血を引く者なり。汝は女王となる資格を有するが、汝は女王となることを望むか?」

 

「はい」

 

「その身をエウクラートン国のために捧げる覚悟はあるか?」

 

「はい」

 

「良し。ではエレナ・オーラクルの名において、エウクラートン国女王の座をツグミ・ジン・オーラクルに譲るものとする。その証として汝にこの王冠を授ける」

 

エレナは自分の王冠を外すとそれをツグミの頭に載せ、王冠を頂いたツグミはゆっくりと立ち上がり空いた玉座の前まで進み、そこで列席者の方へと振り向いた。

その若き女王の堂々たる姿に一同は感嘆のため息を漏らす。

そして彼女が女王となったとたんに(マザー)トリガーの輝きが増し、それが後光のように見えるため神々しさがプラスされてツグミに不満のあったエウクラートンの貴族連中は彼女の存在感に驚愕して硬直してしまった。

(マザー)トリガーとそれを操作する女王は一心同体で、王冠についている直径7センチくらいのサファイア(サッピールス)がその所有者の意識と(マザー)トリガーとを()()のだという。

 

これでツグミは正式にエウクラートンの女王となった。

異論を唱える者も現れず、なによりも(マザー)トリガー自体が彼女を歓迎しているのだから不満に思う者がいればそいつは非国民だということになる。

エレナは自分の役目を無事に終えて安心したのか優しく微笑みながら新しい女王を見つめていて、誰もがエウクラートンの未来が輝かしいものだと確信していた。

そこでツグミは初めて女王として発言をした。

 

「この場にお集まりのみなさん、エウクラートン国女王ツグミ・ジン・オーラクルがご挨拶をさせていただきます」

 

ツグミは女王だ。

エウクラートンで最も高貴な身分の人間である彼女が貴族と言えども一介の国民に過ぎない人間に対して丁寧語を使うのだから、列席した貴族たちは驚いてしまう。

 

「わたしは女王という肩書を持つことになりましたが、みなさんと同じこの国の国民であるという意識であり、全国民の奉仕者になりたいと考えております。ですからわたしは代々の女王のやり方を否定はしませんが何も考えずにただ踏襲するだけにはいたしません。そうなるとみなさんの価値観ではとんでもないことをやっているように見えるでしょう。もし疑問を抱くようなことがあれば遠慮なく申し出てください。わたしが直接お話を聞くことができなくてもわたしの夫のユウイチ・ジン・オーラクルが伺います。わたしは玄界(ミデン)で生まれ育ちました。ですからわたしは近界(ネイバーフッド)のことを良く知りません。そのためにみなさんの声を取り入れたいのです。そして玄界(ミデン)の良い部分は取り入れてエウクラートンを近界(ネイバーフッド)の中で最も豊かな国にしていこうと決めました。わたしはみなさんのお力を必要としています。どうかみなさんのお力をお貸しください。どうぞよろしくお願いいたします」

 

光り輝く(マザー)トリガーを背にしたツグミの姿に貴族連中は圧倒されたが、彼女の言葉には尊大なものはなくむしろ謙虚に「力を貸してほしい」と言われたものだから自然と頭が下がり、その場で右足を引いて右手を身体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す「ボウ・アンド・スクレープ」の礼をした。

本来ならこの場で女王は自分が女王になったことを宣言するだけで、それを列席者が拍手をすることで承認したという形式をとる。

しかし彼女はその慣習を払い除けて自分の正直な気持ちを話し、そんな彼女の姿に貴族連中は心を動かされたということなのだ。

そんな様子を城戸と忍田、そしてテスタは微笑みながら見守っていた。

 

 

 

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