ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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692話

 

 

ツグミの女王としての仕事は非常に簡単なものである。

毎朝日の出前に(マザー)トリガーを操作してその日の天気や気温などの天候を設定するだけ。

エウクラートンは北海道に似た気候で、いわゆる亜寒帯湿潤気候と呼ばれるもの。

四季があり冬が少々長くて降雪量が多く夏は高温になるのだが、そのおかげで小麦の栽培や、混合農業・酪農などが盛んで、冷涼な気候に強いライ麦やじゃがいも・てんさいなどの栽培が行われている。

はるか昔の王か女王が食料を十分に供給するために最適だと考えた気候であるらしく、実際キオンに大量の食料を徴収されても国民が飢えることはなかったくらいだ。

だからツグミもそれに従っていくつもりである。

1年の計画書というものがあって、それが国会で承認されるとその計画書どおりに(マザー)トリガーを操作する()()でいい。

もちろん特別にトリオンの抽出が必要になれば適切に操作をし、それが道理に反することであれば拒否する権利もある。

 

 

戴冠式の翌日、ツグミは神殿へ赴いて指示どおりに(マザー)トリガーを操作した。

 

「おはようございます、メルチェーデさま。今日からどうぞよろしくお願いいたします」

 

ツグミはそう言ってからコンソールパネルに手をかざす。

操作をするといっても特に何かをするのではなく、頭の中で考えたことをコンソールパネル経由で(マザー)トリガーに伝えるだけ。

そんな簡単なことなのにできる人間は限られてしまう。

だからこそ女王と呼ばれて国の中で最も尊い存在として敬われるのだ。

 

(ツグミ、お疲れさま。こちらこそこれから毎日よろしくね)

 

(マザー)トリガーがツグミに呼び掛けてきた。

 

(お疲れというほどのことはしていませんよ。でも想像していたよりも精神力と体力を奪われる作業ですね。これを病気で高齢のエレナ陛下が毎日続けていたのですから身体の負担になっていたことでしょう。その役目を終えたのですからこれからはのんびりとお健やかにお過ごしくださってほしいものです)

 

(そうね。あなたはまだ若いから大丈夫だと思うけど、健康にだけは気を付けてね。特にあなたは神殿の中で暮らすのではなく王城で生活するということだから)

 

(はい、十分に気を付けます。それに外部の人と接する時にはトリオン体に換装して生身の身体を晒すことはないようにしますので)

 

(それなら安心ね。それにしてもトリオン体に換装すれば病気や怪我の心配がいらないなんてこと、どうして今までの女王たちは気付かなかったのかしら?)

 

(それは女王だから神殿の中に閉じ込められているのも役目のひとつだと考えていて、外に出られないことを()()()()と思わなかったのでしょう。女王だって人間なんですもの、やりたいことをやって会いたい人に会う自由を捨てる必要はないはず。わたしがそう考えるのは玄界(ミデン)で自由に生きてきたからで、近界(ネイバーフッド)の王家の人間は不自由なことが当然だという思考だからだと思います)

 

(なるほどね。やっぱりあなたと話をするのは楽しいわ。これからは毎日あたなが来てくれるのだと思うと退屈しなくてすみそう)

 

(はい。朝のお勤めと午後の数時間はここに来るつもりでいます。それ以外の時間は()()()()()()過ごすことに決めていますから)

 

(ええ、それで十分よ。私たちには時間がたっぷりとあるのだから)

 

(ではこれで失礼いたします。これからみんなで食事をして、それからわたしの家族と友人たちを見送ることになっていますので)

 

(そう…。寂しいでしょうけど、笑顔で見送ってあげてね)

 

(はい)

 

(マザー)トリガーの声はツグミの気持ちを思いやってのか少し低くて哀し気なものであった。

 

 

◆◆◆

 

 

駐艇場には2艇の艇が停泊していた。

大きい方がボーダーの遠征艇で、それには城戸と忍田が乗ってテオが操縦して玄界(ミデン)へ戻る。

もう一方の小型艇はキオンのもので、テスタとその従者で操縦士が乗り、それにゼノンが便乗させてもらうことになっている。

見送るのはツグミと迅、そして生まれ故郷のエウクラートンに戻ることにしたリヌスの3人。

ひとつの目的に向かって共に同じ道を歩んでいた仲間たちにとうとう別れの時が来たのだ。

しかし別れのしんみりとした雰囲気はない。

それはこれが今生の別れではなく、生きていれば必ずまた会えるという希望があるからだ。

ゼノンはテスタの親衛隊の隊長となることが決まっていて、テスタがエウクラートンや玄界(ミデン)へ訪問することになれば必ず同行するからエウクラートンにいるリヌスや三門市で家族と暮らすテオに会うことはできる。

リヌスは軍属を離れたいと申し出たが軍に所属していた方が彼の願い ── キオンで眠る同胞の遺骨をエウクラートンへ連れ帰りたい ── が叶えやすいとわかるとエウクラートン軍に新しく創設された「平和維持隊」の隊長の任を引き受けた。

平和維持隊とはツグミが提案してリベラートが承認した部隊で、既存の軍の組織に縛られず王族の命令があれば自由な行動ができるというもの。

そして最初の任務が「キオンに眠る同胞の御霊を祖国の土に返して丁重に弔うこと」で、まさにリヌスの願いそのものなのだ。

テオは家族を三門市に呼んで永住することに決めたので、現状のままボーダーで働くことになっている。

彼がゼノン隊で学び経験したことは玄界(ミデン)の人間にとって有益なこととなるため、総合外交政策局でツグミの意思を継ぐのだそうだ。

これから近界(ネイバーフッド)の国々との交流が増えていくのだから、遊真や麟児といった近界民(ネイバー)の知識や経験は役に立つ。

それに遠征艇の操縦技術はボーダー内でテオの右に出る者はなく、ボーダーにとって彼は欠かせない存在なのだ。

ゼノン隊の3人はそれぞれ別の道を歩くことになったが目指すところは同じもので、だからこそ悲壮感よりも希望の気持ちの方が勝って笑顔でいられるというわけである。

互いに握手したり肩を抱き合って再会を誓うゼノンたち。

出会いがあれば別れは必ずあるという(ことわり)から逃れられる者はいない。

別れというものを極度に恐れていたツグミだったがさまざまな経験を通じて「ならば出会いを大切にして別れを希望に変える()()()を持ち続けていよう」と心機一転したことで彼女の世界は無限に広がったのだった。

何を根拠にそんなことを言うのかと問われたら彼女は「信頼」といとも簡単に答えるだろう。

何においても相手を信用することから始まる。

信用するには相手を見極めてその人物の()()()()を知り、信頼足りうるかを他人の言動に影響されることはなく自分自身で判断する。

それが正しいか否かは彼女自身が「答え」を出しているのだから間違いはないはずだ。

 

 

ツグミは城戸と忍田に近付いて行き、ふたりに声をかけた。

彼女が女王となった以上はいくら国賓であるといっても城戸たちの方から彼女に声をかけることはできないからだ。

 

「城戸さん、忍田さん、このたびはわたしの戴冠式にお越しいただき誠にありがとうございました。そして道中のご無事をお祈り致しております」

 

ツグミが儀礼的にそれだけ言うと、城戸と忍田はそれぞれ彼女に答えた。

 

「女王陛下におかれましてはこの先いろいろございましょうが、くれぐれもご自愛くださいませ」

 

「ボーダーと玄界(ミデン)のこと、ご心配は無用でございます。我々にお任せください」

 

彼らも儀礼的な返事をして深々と頭を下げた。

ツグミと彼らの関係は変わってしまい対外的に同盟国の代表同士ということになったが、だからといってこれまで築いた「絆」が消えることはない。

だからこそこの他人行儀な別れの挨拶でも十分に()()()は伝わっている。

それに忍田とは戴冠式の前日に、城戸とは玄界(ミデン)にいる時に心残りのないよう十分に()()の別れは済ませていて気持ちの整理はできているのだ。

 

 

ボーダーの遠征艇に城戸たちが乗り込み、ドアが閉まった瞬間ツグミの胸はギュッと締め付けられたが心の中を知られまいとして両手を強く握る。

迅は彼女の隣にいて、彼女の変化に気付くとその握りこぶしを覆うように優しく握ってやると安心したのか力を抜いて迅に寄りかかった。

 

そして青く澄み切った空に(ゲート)が開いてそれぞれの艇が消えていくのをふたり並んで見守って、(ゲート)が閉じるとスッキリとしたという顔のツグミが迅に言う。

 

「あなたがいてくれるからわたしはこうして立っていられるんです。ありがとう、悠一さん」

 

すると迅は優しく微笑みながら答える。

 

「俺だっておまえが…支えたい女がいるから立っていられるんだ。昔は守ってやりたいという気持ちだったが、おまえは俺がいなくても戦える強い女だった。だけど強くても弱さがなくなったわけじゃない。時々弱い部分が現れて倒れそうになる。そんな時に俺はこうして隣にいておまえを支えてやりたい。それをおまえは許してくれた。自分の隣にいる男に俺を選んでくれたんだ。俺はそれを感謝している。だからお互い様ってことさ」

 

互いの存在があってこそ自分が立っていられるのだとわかっているからこその言葉だ。

 

「ずっと前…アフトの大規模侵攻のすぐ後に俺はメガネくんや殉職した連中のことで自分の判断が正しかったのかどうか悩んでいた時があった。その時におまえが言った言葉を俺は今でも覚えている。おまえは覚えているか?」

 

「それって…もしかしたら慰霊碑の前で最上さんに『大を救うためには小を切り捨ててもいいものなのか? 小を助けるために大を犠牲にすることがあってもいいのか?』って訊いていたあの時の話ですよね。だったら良く覚えていますよ」

 

「だよな。おまえは俺にニーチェの言葉を引用して諭してくれた。『自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である』と。おまえは自分のことを賢い女ではないと言っていたが、あの時から俺にとっておまえがその賢い女だと確信していたんだぞ」

 

「あ…」

 

「おまけにいつの日か俺のことを一番大切に想う運命の女性(ひと)…ニーチェの言う『賢い女』が現れるだろう。そんな女性(ひと)が現れるまでは自分がそばにいるから頼ってくれていいなんて言いやがった。俺の気持ちを知らなかったから仕方がないだが、あの時は少しショックだった。おまえは俺のことを男として見てくれていなかったんだもんな」

 

「あの時はごめんなさい。でも悠一さんだってわたしのことを子ども扱いばかりしていて、精一杯背伸びして大人に見せようとしていたわたしの努力を認めてくれていなかったじゃないですか。これもお互い様ですよ」

 

「そうだな。つまり俺たちはお互いに相手がいるから自分が存在していられるということで、片方がいなくなったらもう片方も生きてはいけないということか」

 

「そしていつか別れの時が来たとしても後悔のない人生を共に歩んでいこうということです」

 

「ああ、俺たちは夫婦だもんな」

 

「ええ。わたしはエウクラートンの女王ですけど、その前に迅悠一の妻だという意識の方が強いです。あなたも周囲の人たちから王配として扱われますが、それは女王であるわたしの夫だからなんですよ、それを忘れないでくださいね」

 

「わかってるって」

 

 

ツグミと迅がそんな会話をしていると、少し離れた場所にいたリヌスが咳払いをしてツグミたちに言う。

 

「ゴホン、女王陛下に王配殿下、仲睦まじいのは非常に喜ばしいことですが、いつまでそうやって話をしていらっしゃるのでしょうか? そろそろ王城へお戻りくださいますようお願いします」

 

ツグミと迅はリヌスがいることをすっかり失念していたようだ。

彼が止めてくれなければふたりだけの世界に没入してしまって人前でラブシーンを演じてしまっていたかもしれない。

 

「あ、そうですね…。では悠一さん、そろそろ戻りましょうか」

 

「ああ、そうだな」

 

ふたりは顔を真っ赤にした状態で王城へと歩いて行く。

その数メートル後ろをリヌスが苦笑しながら付いて行くのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミという近界民(ネイバー)とも玄界(ミデン)の人間とも違う一風変わった思考と感性と価値観を持つ女性を女王に戴いたエウクラートンは波乱含みの幕を開けた。

彼女が純粋な近界民(ネイバー)であったなら1万年続いてきた世界がそのまま続いただろうが、玄界(ミデン)生まれで玄界(ミデン)育ちの彼女を女王に()()()()()()からには国が()()()()()なんてことは絶対にありえない。

もっとも他に選択肢がなかったのだから仕方がないと言えるのだが、リベラートやエレナたちはこの停滞した近界(ネイバーフッド)という世界に新風を呼び込むことを期待して彼女を迎え入れたのも事実。

戴冠式を終えたのだからすべては動き出していて、彼女の()()を阻もうとする者が現れたとしたら彼女は全力で戦うだろう。

彼女に怖いものはない。

なにしろ彼女には心強い味方がいるのだから。

 

 

 

 

朝、まだ夜も明けきらぬ頃にツグミの一日は始まる。

王城内にある女王(ツグミ)王配()の寝室にはキングサイズの天蓋付きベッドが置かれていて、まだ迅が目覚めぬ時間にツグミはひとりでベッドを抜け出して身支度をする。

本来なら神殿で生活して専属の侍女に着替えや髪を整えてもらうものなのだが、彼女はそれを拒否して自分のやりたいようにやっているのだ。

女王としての役目は朝早くから始まるのだが、玄界(ミデン)にいた頃からずっと朝稽古のために早く起きていたから苦にはならない。

そして朝の少しひんやりとした空気の中を神殿まで歩き、そこで「朝のお勤め」をしてから神殿の中庭でこれまでどおりに剣の稽古を行う。

7歳の時から続けてきた習慣であり、トリオン器官を衰えさせないためにも必要なこととして、この朝稽古には迅も付き合うことにしていた。

 

「ツグミ、お疲れ。毎朝大変だな」

 

「悠一さん、おはようございます。今日も母トリガー(メルチェーデさま)はご機嫌が良いみたいで、仕事も簡単に終わりました」

 

そんな会話を交わしてからそれぞれトリガーを取り出すと戦闘体に換装する。

そのトリガーはボーダー時代に使用していたもので、ツグミは弧月、迅はスコーピオンを握りしめると本格的な戦闘訓練を開始した。

それは朝稽古とは名ばかりのもので、まさに真剣勝負である。

単なる素振り程度なら誰も何も言わないだろうが、女王と王配が武器(トリガー)を起動して戦闘訓練を行う様子を見れば大騒ぎになってしまうだろう。

しかし神殿の庭なら誰の目にもつかないので騒ぎになることもない。

この朝稽古のことを(マザー)トリガーのメルチェーデは呆れて笑っていたが、それがツグミの個性でありエウクラートンにとっても良い影響を与えるだろうから続けなさいと言っている。

ツグミの()()がエウクラートンにとってどのような影響を与えるのかなど彼女自身もわからないが、(マザー)トリガーの言うことなのだからきっと正しいのだろう。

 

 

朝稽古を終えるとふたりで王城の私室へ戻って午前7時30分から朝食をとる。

だからツグミが(マザー)トリガーの操作を行うのはまさに「朝飯前」のことで、一仕事終えて剣の稽古も終えた後だから「ご飯が美味しい」と彼女は言う。

もっとも他にも理由はあった。

(マザー)トリガーから抽出されたトリオンが満ちた土壌で育った野菜や穀物にはトリオンがたっぷりと含まれている。

その素材で作った料理にもトリオンが含まれていて、仕事や稽古で消費したトリオンを食事によって補うわけで、のどが渇いた状態で清らかな山の湧き水を飲むような状態だから美味しいに決まっているのだ。

水であろうとトリオンであろうと身体が欲しているものを口にすれば身体だけでなく心も満たされると、ツグミはエウクラートンで生活をするようになって気付いた。

 

 

朝食を終えるとツグミと迅はそれぞれ別の執務室において自分に仕事を行う。

原則として午前9時から午後1時までの4時間と、午後2時から5時までの3時間という計7時間が彼女たちの仕事時間となっているが、これは原則であって必ずしもその時間に仕事をするというものではない。

ツグミと迅にとって王族の義務と責任というものに慣れていないため、しばらくの間はエレナとリベラートにふたりの教育係となってもらうことになっている。

本来女王の仕事は(マザー)トリガーの操作()()なのだが、ツグミにしてみればそれでは時間を持て余してしまうし()()()()()

これまでボーダーで誰よりも活動的だった彼女だから神殿の中でおとなしくしていろと言われたところでできるはずもなく、エウクラートンの歴史や地理など基本から勉強したいと言い出した。

歴史を知りたいのであれば教師として最も相応しいのはメルチェーデだ。

()()は1万年の間ずっとこの国を見守ってきたのだから誰よりも詳しく知っているわけで、彼女の話を聞くことが一番効率の良い方法である。

そこでしばらくの間は執務の時間は関係なくツグミは神殿へ行き、迅はリベラートと共に国内の()()()()エリアを訪問することにした。

すべてのエリアといってもエウクラートンの中心にある王都から騎乗用トリオン兵を使用すれば日帰りで行き来できるほど国は狭いのだ。

かつて首都ニネミアと呼ばれていた部分は現在の王都の中心となり、それを大きく取り囲む半径約2キロメートルの円形の大きな街となっている。

ツグミが初めてエウクラートンを訪問した時にはなんとも寂しい首都だと感じたが、現在では人口が1万人を超える大きな都市となった。

たった4年でこれだけのことができるのも近界(ネイバーフッド)ならではの事情によるもので、都市計画を立てて実行するにしても妥当だと思われる合理的な理由があれば実行することは難しくない。

そういった点では玄界(ミデン)のお役所仕事よりはずっと進めやすいというもので、迅は暇な時間 ── ボーダー内で暗躍するような事案がなくなって暇を持て余していた時期があった ── にはツグミに勧められて勉強をしていた。

根付の大学時代の友人に三門市立大学で都市計画学の教授がいるとのことで、特別に聴講させてもらったこともあるくらいだ。

玄界(ミデン)の学問がそのまま近界(ネイバーフッド)で通用するかどうかは未知数だが、少なくとも近界民(ネイバー)たちに受け入れてもらえるものなら計画から実行までスムーズに進められるということは明らかである。

迅はこれまで他人に評価される仕事を()()()()()()やったことはなく、周囲から評価されても多くの人間がその事実を知らないということばかりであった。

だからこれからエウクラートンを変えていこうとするツグミの役に立てることが楽しいらしく、積極的に現地の住民と交流して彼らから希望や要望を聞いている。

都市計画と行政サービスは切っても切れない関係にあり、これまで近界(ネイバーフッド)には存在しなかった「制度」の導入等をまずツグミとふたりで話し合い、それをリベラート経由で国会へ提出して承認を得るのだ。

玄界(ミデン)では一般に普及していて子供でも知っているようなことでさえ近界民(ネイバー)たちには馴染みのないことは多い。

上水道の供給や下水道の処理、ゴミ回収などのサービスはこれまで存在しなかったものだし、道路や学校・病院・公園などを新設したり維持することが行政の仕事であるということを知らない近界民(ネイバー)に理解させることは難しい。

そういったことをひとつひとつ説明していかに玄界(ミデン)の制度が合理的なのかを認知させることが迅の主な仕事となっていた。

そんな彼を支えるのがツグミの役目で、メルチェーデから学んだこと ── エウクラートンのことだけでなく近界(ネイバーフッド)1万年の歴史 ── を噛み砕いてわかりやすく説明すると、これまで知らなかった近界民(ネイバー)の事情も理解できて、彼らにとっての「公共の福祉」というものが見えてくるのだ。

 

 

午後6時からは夕食の時間となり、この時にはエレナとリベラート夫妻とロレッタという()()()()で一緒に食事をすることになっている。

これはツグミが女王となる際に条件として提示したもので、かつてエレナが神殿でひとり寂しく食事をしていることを知って「特別な事情がない限り夕食は家族全員でとること」という約束を取り付けた。

食事をする時に会話をすること ── 共食は健康に良いとされていて、早食いや食べすぎを防止し、良く噛みながら食べることで味わうこともできる。

楽しい会話をしながら食事をすることで心と身体が満たされるのだということはツグミが説明せずとも実感として彼らには理解できたのだった。

 

 

そして午後8時以降はツグミと迅にとって夫婦ふたりだけのプライベートタイムとなる。

お互いの一日の出来事を話したり、未来への夢を語ったり、ボーダーでの思い出話をしたり、夜が更けるまで愛し合う。

そして疲れ切ったところで寝落ちするという毎日がこれからもしばらく続くことだろう。

 

 

ボーダーで戦闘員をして近界民(ネイバー)と戦っていた日々が遠い昔のように思えてくるツグミ。

しかし武器(トリガー)を手に戦うことはなくなったが、戦うことをやめたわけではない。

それに戦う目的もこれまでと変わることなく「自分と自分の手の届く範囲にいる家族や仲間の幸せ」を求めて足掻いている。

ただ変わったのは「自分の手の届く範囲」が途方もなく伸びてしまっただけ。

抱え込む大切なものが増えただけで、それを守ろうとする姿勢はまったく変わっていない。

近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい」というボーダーの創設理念も形を変えて彼女の中にある。

今度は近界(ネイバーフッド)側から玄界(ミデン)へと働きかける組織をエウクラートンに創り、キオンと協力して玄界(ミデン)との交流を積極的に進めていく計画だ。

そのためには女王という仕事が少ない役職は非常に都合が良く、時間はたっぷりとあるのだからと気長にやるのだとツグミは迅に言った。

 

「気長にやると言ったっておまえがいつまで女王でいられるのかわからないんだぜ。それとも一生死ぬまで女王を続けるつもりなのか?」

 

「一生なんて嫌ですよ。わたしは絶対に玄界(ミデン)に帰るんです。そして年老いた真史叔父さんの介護をして最期を看取るつもりでいます。本人にそんなことは言っていませんけど、わたしはあの人にとって最愛の娘であることは一生変わることなく、わたしにとってあの人が世界で一番大好きな父親であることも変わりません。だから一生の終わりには傍にいてあげたい。そう本気で思っているんですから、次の女王が決まり次第帰る支度をする予定です」

 

「ロレッタに適性があったとしてあと最低10年。長いような短いような…」

 

「ええ。でも10年もあればできることはたくさんありますよ。だってわたしの16歳から20歳までの4年間にどれだけのことができたか覚えていますか? その倍以上の時間があるんですからそれだけあれば十分です。運が悪ければもっと長く女王として滞在することになりますが、それならそれでやりたいことを増やして実行するだけです」

 

「まだ他にやりたいことがあるのか?」

 

「もちろんです。それに今一番やりたいことは近界民(ネイバー)近界(ネイバーフッド)のことでもなく、玄界(ミデン)との交流を進めていくことでもありません」

 

「じゃあ何だ?」

 

するとツグミは顔を赤くして答えた。

 

「それをわたしに言わせるんですか? さあ、もう夜も更けてきました。そろそろ寝室へ行きましょ? わたしは明日も朝が早いんですから、()()()()()はほどほどにして寝なきゃ」

 

「ああ、そうだな」

 

「でも早く真史叔父さんに孫ができたって報告したいので、頑張ってくださいね、悠一さん♡」

 

ツグミに()()()()迅はやる気満々で彼女の腰を抱いて寝室へと向かって歩いて行く。

 

「寝させてやりたいけど寝させないかも。覚悟しろよ」

 

「もちろん覚悟はできています」

 

そう答えて微笑むツグミは迅の身体に自分の身体を密着させた。

若く健康なツグミの体内に新しい命が芽生えるのはそう遠くない未来となるだろうが、それはふたりの努力次第である。

 

 

 

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