ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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次回からいよいよ遊真・千佳が正式入隊し、玉狛第2が本格始動します。
そこで書きそびれていた部分を追加してみました。
内容は(ブラック)トリガー強奪未遂事件当日(12月18日)の「玉狛支部の日常」の様子で、オリ主のキャラクターにも少し触れています。






4.5話

 

 

ツグミはいつもと同じく午前5時に目覚めると、道着に着替えて自室を出た。

向かう先は地下の訓練室。

毎朝の日課である剣の稽古をするためだ。

これは彼女が忍田に弟子入りしてからずっと続けている習慣である。

しかし例外もある。

同盟国の戦争に参加した旧ボーダー隊員の半数が死亡し、生き残った隊員も全員負傷して帰還した日の翌日。

第一次近界民(ネイバー)侵攻の二日目とその翌日。

この()()な3日間を除いて約9年間、居場所は変わっても彼女は毎日欠かさず続けていた。

 

 

「うっ…寒っ。今朝は一段と冷えるわね…」

 

ツグミは身をかがめ、両手に息を吹きかけて暖を取る。

それもそのはずで、彼女が身につけているのは道着だけで、素足であるから足の裏から冷たさが直に伝わってくるのだ。

玉狛支部は古い建物であるから暖房効率が悪く、最新の設備のある本部のように全館暖房などできはしない。

それでも素足なのは廊下を歩く音で林藤や迅といった一緒に暮らす仲間たちの睡眠を妨げないようにするためで、「寒い、寒い」と言いながら急ぎ足で歩いて行く。

 

 

訓練室も冷え切っており、ツグミの吐く息は真っ白だ。

音を立てるものは彼女のヒタヒタという足音だけだから、余計に静けさが強調されて寒々しさが増す。

 

まずは5分間の瞑想。

訓練室の中央で正座をし、目を閉じる。

ツグミはこの時間が好きだ。

何者にも煩わされず何も考えずにいると、自分の身体と世界の境界線が溶けて消えていくような感覚。

自分という存在がいかに儚く脆いものであるのかを再確認するようなこの儀式に妙な快感を覚えてしまうのだ。

 

そしてちょうど5分経ったところで目を開ける。

一瞬にして「霧科ツグミ」という人間が復活し、彼女は左手に木刀を握ってゆっくりと立ち上がった。

 

「すぅ…はあ…」

 

深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

それを3回繰り返し、木刀を正眼に構えた。

彼女の視線の先には何もない空間が広がっているだけなのだが、彼女にはそこに「敵」が見える。

その敵というのは「自分の弱さ」であり「近界民(ネイバー)を憎む心」である。

近界民(ネイバー)と仲良くしたいという気持ちに偽りはないのだが、5年前に最上や風間蒼也(かざまそうや)の兄である風間進(かざましん)といった「家族」を失っているために近界民(ネイバー)が「肉親の仇」であることも事実であるのだ。

憎しみの感情を捨てるのはそう簡単なことではない。

それも大切な家族を奪った者に対する怨嗟の念は、幼い彼女の心を侵食してしまう。

家族を失った悲しみを癒す一番簡単な方法は、それを上回る感情 ── 近界民(ネイバー)に対する憎しみで上書きしてしまうことだったからだ。

 

しかし彼女が「家族」を失い、すべての近界民(ネイバー)を憎んで滅ぼそうとする道へ進むことなく、共存・友好への道を歩んでいるのも「家族」の存在のおかげである。

幸いにも軽傷で済んだ忍田は帰還の数日後には彼女との稽古を再開し、その稽古の際に彼女の異変に気付いたのだ。

ツグミの剣に顕れた()()に気付き、その時忍田は彼女を諭した。

 

悪を倒そうと立ち上がる時点では善である。

しかし悪を倒そうとするのに、善が善のままでは勝つことができない。

だとしたらどうするのか?

そこで善は悪を倒すための悪になるしかない。

つまり怪物と戦う者は自らも怪物になってしまうのだ。

だから怪物になってはならない。

おまえが自ら怪物になろうとしているのではなくても、向こうはいつでもおまえを怪物にしようとして待ち構えているのだ、と。

 

これはこれはドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作『善悪の彼岸』146節の言葉である「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」を小学生のツグミにもわかるよう忍田なりに噛み砕いて説いたもの。

剣術において「相手に向ける剣」は同時に「自分の向けられる剣」でもある。

すなわち自分が悪意や憎しみの気持ちを込めた剣を振れば、敵が同様の剣を振りかざしてくる。

敵の気持ちを変えることはできずとも、自分の気持ちは自分でコントロールできるものだ。

当時のツグミの出した答えは「このままでいるとわたしは怪物になってしまい、真史叔父さんたちを悲しませてしまう。そんなことはしたくないから、もう誰も憎まない。近界民(ネイバー)がわたしを憎んでも、わたしは近界民(ネイバー)を憎まない」であった。

家族を失った悲しみを忘れるための行動が、生きている家族を悲しませてしまうという矛盾を孕んでいることに気付かされ、それからの彼女は自分の弱い心を斬るために稽古を重ねた。

そして今に至る。

しかしごくたまに「近界民(ネイバー)を憎む心」が生じてしまう。

この日も数日前に起きた「イレギュラー(ゲート)とラッド事件」がきっかけで、彼女の心の隙間に憎しみの芽が出そうになっていたのだ。

 

(わたしは近界民(ネイバー)と戦うことを自分で決めた。だから迷う心、怯える気持ちはあってはならない。そんなものを抱えている弱い自分はわたしが斬る!)

 

「たぁっ!」

 

ザクッ

 

ツグミは木刀を頭上に振り上げた「上段の構え」で息を整えると、一気に木刀を振り下ろす。

その気合と彼女の強い意思のせいか、そこにはない()()が斬られる音が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

小一時間ほど素振りをしていると、いつの間にか額に汗が噴き出していた。

それをタオルで拭うと訓練室の照明を消してドアを閉める。

さっきまでは肌に刺さるようにな冷気に身を震わせていたが、今は全身が温まって逆に心地良い。

 

足取りも軽く自室へ戻って来ると、ブラウスとスカートというごく普通の16歳の少女の姿になる。

そしてひとつ階下の厨房へと向かうと既に明かりが点いていて、中ではレイジがコンロでアジの干物を焼いていた。

 

「おはようございます、レイジさん」

 

「おはよう、ツグミ」

 

互いに朝の挨拶を交わし、ツグミはエプロンを着けるとレイジの横に並んだ。

 

「俺は味噌汁を作るから、コンロの火を頼む」

 

「は~い」

 

レイジの指示で、ツグミはコンロの前に立って火加減を見守る。

 

「今朝はアジの干物なんですね?」

 

「ああ。支部長(ボス)の知り合いが四塚市に行った時の土産らしい。まだ残ってるから、他の連中にも焼いてやろう」

 

「はい。でもちょっと目先を変えてアジご飯はどうでしょう? 焼いた干物をほぐして、みじん切りの大葉と一緒にご飯と混ぜるんです。味付けは塩と醤油で、すごく簡単な上に美味しいですよ」

 

「ふむ…それはいい。それなら人数が増えてもイケる。握り飯にして弁当で持たせてやってもいいな」

 

そんな会話をしながらふたりで料理を仕上げていく。

 

「ツグミ、支部長(ボス)たちを起こして来てくれ」

 

「了解です」

 

時間はまもなく7時になろうとしていた。

ツグミが起床したころはまだ真っ暗であったが、既に陽は昇っている。

 

「う~ん、今日もいい天気。お洗濯日和だわ~」

 

窓から見える青い空には雲ひとつなく晴れ渡っている。

 

 

林藤と陽太郎を起こし、最後に迅の部屋を訪ねるツグミ。

 

「ジンさん、起きてくださいな。ご飯ができましたよ~」

 

「……」

 

ノックをして呼びかけても返事はない。

 

「ジンさん、朝ですよ。起きる時間ですよ~!」

 

「……」

 

やはり反応はない。

 

「いない…のかな? …霧科ツグミ、中へ入ります!」

 

玉狛支部の個室には鍵がないので、誰でも勝手に入ることができるようになっている。

しかしツグミの部屋だけは例外で、内からも外からも鍵がかけられる。

これは彼女が玉狛支部で暮らすようになった時に、忍田が強引に付けたものだ。

兄妹同様とはいえ、若い男性とひとつ屋根の下で暮らすのだから当然の処置である。

 

ツグミが迅の部屋に入ると、ぼ〇ち揚のダンボール箱が積み上げられた部屋の中央にあるベッドの上で迅が爆睡していた。

 

「ジンさん…」

 

近寄って声をかけるが、目の覚める気配はない。

 

(気持ち良さそうに寝ているんだから起こすのは可哀想だけど、放っておくと今度はレイジさんに叱られることになるものね)

 

ツグミは掛け布団の上から迅の身体を揺する。

 

「ジンさん、起きてくださいよ~!」

 

「う~ん…」

 

夢の世界からこちらの世界へ戻って来た迅。

しかしまだ夢うつつの状態のようだ。

 

「仕方がないわね」

 

ツグミは窓のそばへとツカツカ歩いて行って、カーテンを開けた。

すると明るい日差しが迅の顔に直撃する。

さらに窓を開けて、外の冷気を部屋の中に入れる。

氷点下とまではいかないが、一桁の気温の空気だから身を斬るような冷たさだ。

 

「うっ、寒ぃ…」

 

迅は小さく呟いて布団の中に頭を入れて丸くなる。

しかしツグミは容赦なく掛け布団を剥ぎ、さらに中の毛布を奪い取った。

 

「ぎゃあぁぁ!」

 

悲鳴のような声を上げ、迅の目はカッと見開いた。

そんな彼にツグミが笑顔で呼びかける。

 

「ジンさん、おはようございます。素敵な一日の始まりですよ~」

 

「ううっ…寒い…」

 

シーツの上で丸まりながら身を震わす迅に、ツグミは追い打ちをかける。

 

「今日は天気が良いのでお洗濯もしたいんです。さあ、脱いで!」

 

迅の着ている寝巻きのスウェットの上着に手をかけて脱がそうとするツグミ。

 

「や、やめろぉぉ!」

 

寒いからなのか、それとも年頃の女性に裸を見られるのが恥ずかしいのか、迅は抵抗する。

 

「やめてほしいならちゃんと起きてください! 5分以内に着替えて降りてこないと、ジンさんのご飯はありませんよ」

 

「ちぇっ、わかったよ…」

 

渋々起き上がる迅。

 

「それから洗濯物があったら全部出しておいてください。洗っておきますから」

 

「ああ、わかった」

 

ツグミは自分の役目をすべて終え、厨房へと戻って行った。

 

 

◆◆◆

 

 

迅とレイジと林藤を送り出し、玉狛支部に残ったのはツグミと陽太郎だけになった。

朝の慌ただしい時間を過ぎてしまうと、支部の中は一気に閑散としてしまう。

…のだが、世の5歳児と同じく陽太郎はやかましい。

 

「ツグミ、おれはたいくつだぞ。あそんでくれ」

 

屋上で洗濯物のシーツを干しているツグミのスカートの裾を引っ張りながら陽太郎は訴える。

 

「今忙しいんだから少し待ってなさい。それか雷神丸とかくれんぼでもすれば?」

 

「イヤだ。らいじん丸はにおいでおれのいばしょがわかるからひきょうだ。それにえさをくったらねてしまった」

 

陽太郎は動物と意思疎通ができるというサイドエフェクトを持っている。

だから雷神丸はかくれんぼや鬼ごっこの相手をしてくれるのだが、さすがに動物だから気まぐれで陽太郎の満足がいくまで付き合ってくれるわけではないのだ。

 

「じゃあ、わたしの仕事の手伝いをしてくれる? 仕事が終わったら遊んであげられるから」

 

「てつだいか…。だがしごとがおわれば、ほんとうにあそんでくれるのか?」

 

「もちろん。…ではヨータロー隊員に任務を与えます。洗濯機の前で待機。脱水が止まったらツグミ隊員に連絡をするよう命令します。さあ、復唱して」

 

「ようたろうたいいんはせんたくきのまえでたいき。だっすいがとまったらツグミたいいんにれんらくをします」

 

「よろしい。じゃ、お願いね」

 

「りょうかいだ」

 

陽太郎はそう言って敬礼をすると、トコトコと階段を降りて行った。

 

自分は一人前のボーダー隊員で、旧ボーダー時代からの古株であるという自負がある陽太郎。

だからツグミはその気持ちを尊重して、普段からこういったやりとりをしている。

傍から見れば「お手伝い」でも「任務」という形でさせればやってくれるのだ。

なにしろツグミは陽太郎の先輩に当たるから、後輩としてはその命令には従わなくてはならないのだから。

これもひとつの「遊び」である。

 

「さて…せっかくだからお布団も干しちゃおうか。…トリガー、起動(オン)

 

ツグミはトリガーを起動して、迅たちの部屋を回って掛け布団と毛布を回収する。

戦闘体であれば重たい物でも軽々に運べるので、ツグミは日常的に私用でトリガーを使っている。

トリガーの私的使用は規定違反になるのだが、本部にバレなきゃいいという考えでいた。

トリガーを起動すれば本部でもその反応をキャッチするが、訓練室で訓練していたという言い訳で誤魔化せるわけだ。

 

「ふふん、ふん、ふん…」

 

鼻歌を歌いながら軽々と布団を運んで行くツグミ。

そして屋上に着くと、一枚ずつ手すりに掛けていく。

 

(この日差しならふかふかのモフモフになって気持ち良く眠れそう…。さて、そろそろヨータローが呼びに来る頃かな?)

 

そんなことを考えていると、陽太郎がやって来た。

 

「つぐみたいいん、せんたくきがとまりました。ほうこく、いじょう」

 

敬礼をする陽太郎にツグミも敬礼する。

 

「よし、よくやったヨータロー隊員。では次はわたしの助手として洗濯物を干すのを手伝ってもらおう」

 

「りょうかいだ」

 

 

 

 

ツグミが屋上で乾いた洗濯物を回収していると、遠くに修と遊真と千佳の姿が見えた。

まだ500メートル以上離れているが、障害物がないので彼女になら表情まではっきりと見える。

困惑気味の表情の修が遊真に何か説明しているような様子で、千佳はふたりの姿をクスクス笑いながら見ている。

 

「おっ、来たね。じゃ、そろそろレイジさんたちも帰って来る頃だから、早く洗濯物を畳んじゃおう、っと」

 

足取りも軽く、ツグミは洗濯物の入ったカゴを抱えて階下へ降りていく。

洗濯物をパパッと畳んで、個人別に仕分けしていると修たちが玄関ドアを開けた。

 

「こんにちはー!」

 

修の声がして、ツグミは玄関で出迎える。

 

「いらっしゃい、みんな。レイジさんたちはもうすぐ来るから、ミーティングルームで待ってて。おやつ、置いてあるよ」

 

「はい、わかりました」

 

迅に連れられて玉狛支部に修たちが来たのは4日前のことだが、3人共玉狛支部(ここ)のゆるい雰囲気にもだいぶ慣れてきたようである。

ツグミは彼らが馴染んでいく様子を見るのが楽しくて、おやつも手作りしてしまうほどだ。

この日のおやつはアップルパイ。

小南や栞にも人気のあるひと品で、全員に十分に渡るようにと3枚も焼いてある。

 

ツグミがミーティングルームに入って来ると、修がコンロでお湯を沸かしていた。

 

「あ、先輩、お湯を沸かしておきました」

 

お湯というのは紅茶を淹れるためのもので、ツグミの手間を省こうとして修が気を利かせていたのだ。

 

「さすがオサムくん、グッジョブ。ありがとう。すぐにお茶、淹れてあげるわね」

 

 

 

 

ツグミが修たちとおやつタイムを楽しんでいると、小南、レイジ、京介の順で玉狛第1のメンバーが集まってきた。

この3人もツグミの作ったアップルパイを食べ、すぐに訓練の準備を始めた。

修たちが近界(ネイバーフッド)への遠征部隊選抜を目指している以上、いつまでも暢気に駄弁っているわけにはいかない。

そもそも修たちが玉狛支部へ来るのは師匠たちから戦いを学ぶためであり、貴重な時間を一分たりとも無駄にはできないのだ。

 

 

ツグミはそれぞれが訓練室へ行くのを見送り、夕食の支度を始めた。

 

(ユーマくんとチカちゃんは心配いらないようだけど、オサムくんは…)

 

ツグミは包丁でジャガイモの皮を剥きながら修の顔を思い浮かべた。

 

(真面目でやる気はあるんだけど、トリオン量が圧倒的に足りないのよね…。あのトリオン量じゃ入隊試験で落とされてしまうはずなのに、どうして入隊できたんだろ? …いや、そんなことはどうでもいい。無事に正隊員になれたんだから。キョウスケもそのことはわかっていて、その上で戦い方を教えているんだからわたしは見守るしかない。でも何かできることがあればいいんだけど。はあ…)

 

大きくため息を付いてしまうツグミ。

武器(トリガー)を使うにはそのエネルギーであるトリオンが必要である。

だからトリオン能力が低いということは致命的な欠陥ともいえるのだ。

ツグミのようにトリオン能力が高ければトリガーの種類も自由に選べ、様々な戦法を生み出すこともできる。

その逆である修はできるだけトリオン消費の少ないトリガーを選び、それを上手く使いこなせるようになるしか道はないだろう。

 

ツグミが修のことで悩んでいると、そこに迅がやって来た。

この時、ごく普通の平和な一日になるだろうと思っていたツグミは、この後に事件が起きるなどまったく想像もしていなかった。

本部と玉狛支部を巻き込む大事件。

それは迅のひと言から始まった。

 

「ツグミ、これやるからちょっと来い。おまえに頼みごとがある」

 

 

 

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