ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「霧科先輩、先輩と唯我先輩が知り合いだということは以前に聞きましたが、おふたりの間に何があったんですか?」
本部基地から帰って来た修がツグミに訊いた。
「何って…去年の4月に太刀川さんに頼まれて唯我に少し稽古つけてあげただけよ。逆にわたしが聞きたいわ。唯我のヤツ、オサムくんに何か言ったの?」
「いえ…唯我先輩との模擬戦が終わった後、ぼくは世間話として霧科先輩の名前を出したんです。そうしたら唯我先輩の全身が硬直して、顔がみるみるうちに真っ青になっていきました。そしてそれはまるで悪魔か幽霊を見たというような恐怖の表情のようで…。ぼくは人間があそこまで怯えるほどの恐怖というものを知りません。…先輩、唯我先輩に何をしたんですか? 少し稽古つけたというレベルじゃありませんよね?」
「う~ん…まあ彼にとってはタダの稽古じゃなかったのは確かね。つまらない話だけど、オサムくん聞きたい?」
「はい、ぜひ!」
「じゃあ話してあげるわ。でも、その前にお茶でも淹れましょうか? ちょっと長い話になるかもしれないから」
◆ The zeroth day
ツグミは防衛任務から戻って来ると、その足で支部長室へと向かった。
メールで林藤から支部長室へ来るようにとの指示があったからだ。
(支部長室へ呼ばれるということは任務の関係で何らかの話があるということだと思うけど、特に思い当たることはないのよね…)
そんなことを考えながら支部長室のドアをノックした。
「霧科、入ります」
「おう、入れ」
ツグミがドアを開けて中へ入ると、そこには林藤だけでなくなぜか太刀川がいた。
来客用のソファに腰掛けて、ツグミが入室して来るのを目で追っている。
ツグミも太刀川の存在が気になるが、彼女は目もくれずに林藤の前に立った。
「
「ツグミ、おまえ、明日から1週間太刀川隊に入れ」
林藤が唐突に命じる。
あまりにも突飛な命令なので、さすがのツグミも呆気にとられてすぐには言葉が出なかった。
「あの…どういうことでしょうか?」
ツグミが林藤に訊くと、太刀川が彼女に言った。
「詳しいことは俺が説明する。実は…ウチの出水が急性虫垂炎で緊急入院した」
「ええっ!?」
「まあ、大事には至らず、腹腔鏡下手術とかいうヤツで手術後4日くらいで退院できるらしいんだが」
「それはよかったですね…。ですがそれとわたしが太刀川隊に入るのとどういう関係があるんですか?」
「日常の防衛任務に差支えがあるからに決まってる。さすの俺だってひとりで任務に就くわけにはいかねえだろ?」
「…? 太刀川隊は出水さんの他にもうひとり防衛隊員がいたはず。どんな人かは知りませんけど、ふたりいれば問題ないのでは? それにわたしなんていつもひとりで回ってますよ」
ツグミがそう言い返すと、今度は林藤が割って入って来た。
「おまえがひとりで防衛任務についているのは俺の独断だ。隊務規定ではふたり以上の隊員でと決まっている。…そして太刀川隊のもうひとりの隊員なんだが、そいつにはちょっと問題があってな」
「問題?」
「それは追い追いわかってくる。とにかくこれは城戸さんから正式な命令で、俺はそれをおまえに指示している。つまりおまえには拒否権はないということだ。拒否すればどうなるかわかるな?」
「……」
「…ちったぁ俺たちのことも考えてくれよ。大人ってのはいろいろあんだよ。な、頼む」
林藤が手を合わせてツグミに頼み込む。
「そんなことされても…」
ツグミだって林藤が好き好んでこんな面倒事を引き受けたわけではないことくらいわかっている。
ここで自分がNOと言っておしまいになるようなことであれば、林藤が彼女に頭を下げて頼むことはないのだ。
(何か事情があるみたいだけど…まあ、ここはわたしが大人の事情を察してあげなきゃ収まらないんだろな…。わざわざ太刀川さんが出向いているというのも深刻な問題だからなんだろうし、なによりあの城戸司令の命令ということだからタダで済む話じゃないってことよね)
「支部長命令なら仕方がありません。お引き受けいたします」
「助かるぜ。じゃ、明日から頼む」
林藤の顔がパッと明るくなり、続いて太刀川が嬉しそうにツグミ言う。
「防衛任務は午後からだ。昼飯は奢ってやるから昼前に隊室に来てくれ」
「はいはい、わかりました。でも任務以外のことはしませんよ。この前みたいに大学に提出するレポートの代筆とか絶対に嫌ですからね。あの時は事情も知らずに『美味しいカレーの作り方』を書けって言われたから、わたしは素直に数種類のスパイスと小麦粉とバターから作る本格的カレーのレシピと作り方を書きました。でも代筆だってことがバレて騒ぎになったじゃないですか。そりゃそうですよ。あなたは市販のルーを使ってもまともなカレーが作れないんですから、他人に書いてもらったのはバレバレ。この件が忍田本部長の耳には届かなかったからよかったようなもので、バレていたら太刀川さんもB級落ちしていたかもしれないんですからね」
「ああ、わかってる。
太刀川は林藤に頭を下げて礼を言うと支部長室を出て行った。
「
ツグミは林藤に敬礼すると支部長室を出た。
(太刀川さんがお昼を奢ってくれると言っても本部の食堂のうどんだろな。…それにしても出水さんの代役ってだけじゃなさそう。これは絶対に何かあるわね…)
◆ The first day
翌日、ツグミは本部基地内にある太刀川隊の隊室を訪ねたのだが、彼女は初っ端からトラブルに見舞われてしまった。
「そこのキミ、ここがA級1位太刀川隊の隊室だと知っての上でドアをノックしようとしているのかい?」
ツグミがドアをノックしようとしていたのを見咎めるように声をかけてきたのは唯我尊であった。
任務中でもないのに隊服をしっかり着込んでいる。
いかにも自分がエリートだと言わんばかりの尊大な態度でイライラさせられるタイプだとツグミは感じた。
(ああ、こいつが例の…。たしか父親がボーダー最大のスポンサーだというコネを使って強引にA級になり、彼のことを持て余した城戸司令が太刀川隊に放り込んだっていうヤツか)
面倒な人物に出会ってしまったと思ったツグミだが、太刀川隊に入隊する以上避けては通れない道である。
彼女は笑みを浮かべて返事をした。
「こちらの太刀川さんに呼ばれて来ました。お取次をお願いします」
「はあ? いい加減なことを言うものじゃない。そもそもキミは誰だ?」
「申し遅れました。わたしは玉狛支部所属のB級隊員、霧科ツグミと申します」
ツグミは努めて冷静に言うが、腹の中では怒りがこみ上げてきている。
その怒りの炎に唯我は油を注いだ。
「玉狛のB級だと? 帰れ、帰れ。ウチはA級1位。その隊長がキミのような他所者の平隊員に用事などあるわけないだろ。ボクにそんな嘘は通じないぞ」
「…。あなたはA級1位
「なんだと!?」
「こちらがきちんと名乗ったというのに、あなたは自分の名さえ名乗らない。人に名を訊いて自分は名乗らないだなんて、礼儀がなっていません。昔はA級というと戦力だけでなく人としても立派な人物ばかりでしたけど、しばらく見ないうちににその品格も落ちたものですね」
これはツグミとしてはかなり控えた言葉である。
一瞬でも気を緩めれば戦闘体に換装して弧月を抜きそうになる自分を抑えている。
なにしろ隊員同士の私闘に及べば今度こそ間違いなくクビであるからだ。
一方、唯我の方は額に青筋を立てているがツグミの言い分はもっともなことで、彼は前髪を指で流すというキザったらしいポーズで言った。
「B級のキミにそこまで言われる筋合いはない。そもそもボーダー隊員のくせにボクのことを知らないだと? …ならばそんな無知なキミのために教えてやろう。ボクはA級1位太刀川隊にこの人ありと言われたスーパー
「これはこれはご丁寧なご挨拶いたみいります。…じゃあ、早く太刀川さんにお取次をお願いします」
「キミはバカなのか!? ウチの隊長が ──」
唯我がキレかけた次の瞬間、太刀川隊隊室のドアが開き、中からオペレーターの国近が顔を出した。
「どした、どした~? なにを揉めとるのかね~?」
「国近先輩、この馬の骨が ──」
唯我が言いかけたところで、ツグミが国近に挨拶をした。
「柚宇さん、こんにちは。今日から1週間よろしくお願いします」
「お、ツグミちゃん、来たね~。太刀川さんが中で待ってるよ~」
国近はツグミを隊室へと招き入れる。
そんな様子を唯我は唖然として見ているだけだ。
「よう、ツグミ。よく来てくれたな。ま、こっち来て座れ」
太刀川に促されて、ツグミは応接セットのソファに腰掛けた。
そして簡単に挨拶を交わすと本題に入る。
「昨日話したとおりに今日から1週間、おまえには太刀川隊隊員として働いてもらう。ひとまず午後の防衛任務の前にいつか確認事項を ──」
太刀川がツグミと話しをしていると、ドアの前で立っていた唯我が割り込んできた。
「隊長、事情を説明してください! こいつが太刀川隊隊員って…。ボクは何も聞いていません!」
「ああ、まだ言ってないからな。ほら、出水が入院して人数足りなくなったから、あいつが復帰するまでの間ちょっと手伝ってもらうんだよ」
「出水先輩が留守でも、このボクがいるかぎり太刀川隊は万全です。一時的とはいえB級如きがA級1位
「おまえが許す許さないはどうでもいい。これは隊長の俺が決めたことだ。黙ってそこで見てろ」
「……」
太刀川に叱られて、唯我はしゅんとしてしまう。
そして太刀川はツグミとの話を再開した。
「それで出水さんの具合はどうなんですか?」
「手術は無事終わった。3-4日で退院はできるが、任務復帰には少し時間がかかる。まあ、1週間もすれば防衛任務にも就けるだろうってことで、おまえに来てもらうことにしたんだ。出水がいない間、俺ひとりでの防衛任務に問題はないが、規定で2人以上ということになっているし話し相手がいないと退屈だからな。特に深夜は」
「わたしは防衛任務の時の退屈しのぎですか?」
呆れるツグミだが、再び唯我が割り込んできた。
「だからこのボクがいるじゃないですか! そんなくだらないことでわざわざB級を ──」
「退屈しのぎってのは冗談に決まってるだろ。とにかく今日から1週間、ツグミは俺たちの
「ボクは反対です! 短期間とはいえ誉れ高いA級1位太刀川隊に何処の馬の骨とも知れないB級を入れるなんて、末代までの恥となります!」
唯我は必死になって反対をするが、太刀川には通用しない。
ツグミはというと口には出さないが唯我の態度には腸が煮えくり返っていた。
しばらくして名案を思いつき、ツグミは太刀川に提案をした。
「太刀川さん、彼はわたしがB級であるということで戦力に疑問を抱いているようです。ですから彼と模擬戦をやって、わたしが太刀川隊に相応しいかどうかを確かめてもらうというのはいかがですか?」
模擬戦と聞いて太刀川が食いついてきた。
「お、それ面白そうだな。ウチの隊はボーダー最強の
「なぜですか!? なぜボクがこんなヤツと…」
あからさまに不満と怒りをむき出しにする唯我に、太刀川は彼をちらりと見て言う。
「隊長命令だ。やれ」
「……」
「不満そうな顔だな? そもそもおまえは太刀川隊の隊員として
「……」
そして太刀川はツグミに事情を説明した。
「こいつはA級の中では間違いなく最弱、B級と比べても結構見劣りするレベルの弱さだ。防衛任務に出ても役に立つどころか、同士討ちになりかけたこともあるくらいの足手まとい。ようするに俺と出水の連携についていけるほどの技量がないってことだ。このままじゃこっちの命がいくつあっても足りない。俺はこいつに殺されてやるつもりはないからな」
「自分の部下に対して容赦ないですね。でも当然だと思います。A級隊員になる裏ワザはありますけど、A級の実力を身に付けるには日頃の鍛錬しかありませんから。…ですが防衛隊員としての戦力以前に人間としての問題があるじゃないですか。わたしがボーダーA級隊員のあり方を教えてあげましょうか?」
「おう、やってくれるか!?」
「乗りかかった舟です。とにかく彼に認めてもらわなければ任務にも支障がありそうですから。その代わり
「もちろん、いいとも。じゃあ、さっそくやるか。…国近、おまえも一緒に来い」
「りょ~かい」
ツグミと太刀川の間で話が進み、唯我はモヤモヤしていた。
しかしここでいいところを見せれば太刀川が自分のことを見直すであろうと、愚かなことも考えていたのだった。