ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

90 / 721
変転
71話


 

 

突然ツグミが倒れたという「事件」は玉狛支部の隊員たちだけでなく、本部の隊員たちにも衝撃的なニュースとして受け止められた。

彼女は狙撃手(スナイパー)の合同訓練で本部に来ていて、訓練場で戦闘体に換装しようとして意識を失ってしまったのだ。

それまで彼女には体調不良の兆候は見られなかったため、その場にいた東は気が動転して生身の彼女を抱きかかえて医務室へと駆け込んだ。

当然その光景を見ていた隊員たちが大勢いて、「東さんが女子をお姫様抱っこして廊下を全速力で走っていた」という話はまたたく間に本部中に広まっていった。

 

医務室に運ばれたツグミはすぐに医師 ── 第一次近界民(ネイバー)侵攻時からボーダーに協力している50代男性 ── の診察を受け、ベッドに寝かされた状態でいくつもの計器に繋がったコードや点滴の管、呼吸器などを付けられた。

東は彼女の容態が気がかりではあったものの、教官としての役目もあって後ろ髪を引かれる思いで医務室を離れ、それと入れ替えに忍田と林藤が、そしてそのすぐ後に迅も駆けつけた。

ただこの3人は東ほど慌てふためいてはおらず、彼女の症状には心当たりがあったので医師の前で神妙にしている。

 

「彼女が倒れた原因はトリオン器官の酷使による過労です。()()()と同じですよ。ハァ…」

 

医師はため息混じりに言う。

 

「忍田本部長、林藤支部長、おふたりにはきちんと説明しておいたはずなんですけどね。彼女はまだ16歳なんですよ。彼女を一人前の大人とみなして本人の自由意思に任せるのはいいですが、保護者の皆さんには彼女の健康管理をする義務があります」

 

「…申し訳ありません」

 

忍田が深々と頭を下げる。

林藤も忍田の隣で同様に頭を下げたのだが、迅は医師の話よりもツグミの様子が気になっていてそれどころではない。

身体は医師の方に向けていても、ずっとツグミの寝顔に視線が向けられている。

医師も迅がツグミのことを妹のように大切にしていることを知っているから、それは仕方がないことだと理解していた。

 

「迅くんはツグミくんの手を握ってやってくれるかい? その方が彼女も安心するだろうから」

 

「はい、先生」

 

迅はそう言ってツグミの眠るベッドのそばに近寄ると、彼女が右手にトリガーホルダーを固く握っているのを見付けた。

換装しようというタイミングで倒れたのだから握っていても不思議はないのだが、意識を失った状態でも離さないところが彼女らしい。

無理に外すこともなかろうと、医師はそのままにしておいたのだろう。

そう思いながら、迅は彼女の左手を両手で包み込むように優しく握ってやる。

顔色は青ざめているが特に苦痛を伴う状態ではなく眠っているだけなのでツグミの表情は穏やかだ。

しかし普段が表情豊かで快活な彼女だからこそ、その寝顔は死人のように不気味に見えて不安が募ってしまう。

 

医師は大きくため息をひとつして口を開いた。

 

「以前にもお話ししたことですし、おふたりも承知していることでしょうが、もう一度説明させていただきます」

 

そう言って忍田と林藤に説明を始めた。

 

トリオン器官は他の臓器と同様で個人差があり、一般にその能力の違いでトリオン量が決まる。

よってトリオン器官が発達していれば保有するトリオン量は多くなり長時間トリオン体で活動できるが、逆にトリオン器官が未熟であればトリオン量が少なくてすぐにスタミナ切れになってしまう。

そしてツグミの場合は生まれつきトリオン器官が非常に発達していて常人よりもトリオン量が多く、だからこそ彼女は先の大規模侵攻でもその能力を生かした戦い方でボーダーの勝利に貢献したのだった。

しかしトリオン能力が高いことは必ずしも有利に働くわけではない。

トリオン体が戦闘などで破壊された場合、トリオン能力が低ければ短時間で作り直すことができるが、高ければ修復に時間がかかり戦闘復帰もままならないのだ。

ツグミがランク戦でもできるだけトリオン体を傷付けないように戦うのは、一度壊れたら直すのに時間がかかってしまうというマイナス面が常に頭の片隅にあるからであった。

また一般のボーダー隊員たちはトリオンを消費しても夜間の睡眠で十分回復できるのだが、彼女の場合は事情がだいぶ違っていた。

彼女は毎日の訓練でトリオン器官を鍛えるためにあえて仮想戦闘モードは使わない。

さらに過度の防衛任務で使用したトリオン量が休息・睡眠で回復するトリオン量を上回ることとなり、本人が気付かないうちにどんどんトリオン量が低下していってしまったのだ。

そしてとうとう換装することすらできないほどにまで低下し、トリオン器官の酷使で他の器官にも悪影響を与えていたことから、これ以上無理を続けていれば生命維持に関わるとしてトリオン器官がシャットダウンして意識を失った、というのが医師の見解である。

 

「十分な休息を取れば自然に回復するでしょうから、今のところは特に心配することはありません。ひとまず目が覚めるまで寝かせておきましょう。それから目が覚めたら念のために精密検査をします。これまでこのような症状が出たのは彼女だけですし、なにより彼女は()()ですからね」

 

ツグミは第一次近界民(ネイバー)侵攻の直後、今回同様に倒れたという過去がある。

その時に彼女を診たのもこの医師で、忍田と林藤は彼女の健康管理について釘を刺されていたのだ。

しかし4年半の歳月が記憶を風化させ、忍田たちだけでなくツグミ本人すら忘れていたことだった。

そして突然のことであったから忍田は「ツグミが倒れた!」という連絡を受けて卒倒しそうになったのだが、その場に林藤がいたおかげで「本部長が倒れた!」というさらなる一大事にはならずに済んだのだった。

 

医師は最後に言った。

 

「日常生活を送る分には差し障りはありませんが、ボーダーの活動に関してはしばらくの間はおとなしくしていてもらいましょう。もっともあと4-5日は換装すらできませんし、任務に耐えうる状態まで回復するには1週間以上はかかるでしょうから。できれば誰かが見張っていて彼女が勝手をしないようにした方がいいかもしれませんね。彼女は自分がやるべきことだと思ったら、どんな無茶でもする子です。ま、それが今回の騒ぎの元凶でもあるわけですから」

 

それは忍田たちも重々承知しているから、医師の言葉に大きく頷いた。

 

 

 

 

「東さんが女子をお姫様抱っこして本部の廊下を全速力で走っていた」というウワサは「女子というのは霧科ツグミであり、突然意識を失った彼女をその場に居合わせた東が医務室へと運んで行った。彼女が倒れた原因はタダの過労であったというのが真相である」という情報で修正された。

それで騒ぎは収拾したのだが、B級ランク戦暫定1位である玉狛第3が次のRound5だけでなくRound6にも出られないことも同時に伝えられ、楽しみにしていた隊員たちは落胆してしまった。

中でも二宮はツグミの話を聞いて「あのバカが…」と言って顔をしかめた。

明らかに不機嫌な様子であったが、すぐに医務室へ見舞いに行くという普段の彼らしくない態度を見せた。

さらに隊室へ戻って来た時に「勘違いするなよ。俺はあいつのことが心配なのではない。ただあいつを倒すのはこの俺なのだから早く元気になって復帰しろ、と言いに行っただけだ」という言い訳までしたものだから犬飼と辻と氷見は非常に驚いたということである。

玉狛支部の隊員たちには林藤がメールで知らせたところ、バイトで来られない京介と防衛任務中のレイジと栞を除いた全員が医務室を訪れた。

小南はこの状況を一度経験しているし、修と遊真と千佳も病気や怪我ではないのだから心配はいらないと迅から言われ、彼女の顔を見て安心すると帰って行った。

その後もツグミと仲の良い隊員たちが何人も彼女の見舞いに訪れ、彼女の姿をひと目見ると安心して帰って行くという光景が夕方まで続いたのだった。

 

 

 

 

夜も更けて、静まり返った無人の医務室。

迅は再びツグミを見舞うためにやって来た。

室内は減灯されていて薄暗いが、彼女のベッドの周りだけが妙に明るい。

様々な計器が作動していて、それらのデジタル表示がぼんやりと光っているのだ。

昼間と変わらずに眠り続けるツグミだが、呼吸器は外されているものの点滴の管が細い腕に繋がれていて痛々しく見える。

 

「いくらおまえらしいと言ってもな…」

 

迅はベッド脇にあったパイプ椅子を広げて腰掛けると、眠ったままのツグミに呼びかける。

 

「…心配するこっちの身にもなってみろよ。いつも元気なおまえがこうして死んだように眠っている…って本当に眠ってるだけだよな?」

 

迅は耳を近付けて、彼女が息をしているのを確かめる。

 

「ふぅ…ちゃんと生きてる。…で、おまえがそんな状態でいればみんなが心配するに決まってる。4年半前のあの時は事情を知らないからみんな大騒ぎ。忍田さんは半狂乱になって周囲に当り散らすし、小南は泣きじゃくるし、で大変だったって話しただろ? 俺だってあの時()()はおまえの未来が視えなかったから、このまま死んじまうんじゃないかって思って気が狂いそうだった。 なあ、もうちっと自制しろよ。…もっとも俺にはこうなることが視えていて何も言わなかったわけだから、おまえを責める資格はないんだけどな」

 

「……」

 

もちろん返事はない。

そんなツグミの髪を撫でて整えながら、迅は愛おしそうに彼女の名を呼ぶ。

 

「ツグミ…」

 

迅の手がツグミの頬へと滑るように移動する。

そして何を思ったのか、迅は彼女の顔に自分の顔をゆっくりと近付けていき、そっと唇を重ねた。

ほんの少し触れるだけのキスだが、迅にとって、そしてツグミにとってもこのような()()は初めてのこと。

しかしツグミは深い眠りの中にいて、迅の行為に気付く気配はない。

迅は一旦身体を離すが、名残惜しげにツグミの顔をじっと見つめて再びキスをする。

一度目よりも長く、そして強く唇を押し付けるが反応はなかった。

 

「…目覚めるわけ、ねぇよな。俺はこいつの王子様になれるはずがねぇんだし。…明日、また来る。おやすみ、ツグミ。いい夢を見ろよ」

 

寂しげな後ろ姿の迅に、ツグミは声をかけることはなくずっと眠り続けていた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。