ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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72話

 

 

忍田は定時より2時間も早く出勤した。

理由はもちろんツグミのことが心配だったからである。

体調には特に問題はなく、いずれ目を覚まして安静にしていれば快復するとわかっていても、ツグミのこととなると平常心を保てなくなる彼だから致し方ない。

無人の医務室へやって来た忍田はベッドで眠り続けているツグミの手を握ったり髪を撫でたりと、ふたりの関係を知らない人が見たらとんでもない騒動になりそうなことをしている。

しかしここはボーダー本部。待機任務の防衛隊員や徹夜で作業をやっている技術者(エンジニア)たちがいる以上、24時間「必ず誰かがいる」施設である。

忍田は早朝だから大丈夫だろうと気が緩んで油断したのがいけなかった。

こういう時に限って間が悪いというか、ツキに見放されたというのか、ツグミの見舞いに来た東と鉢合わせしてしまったのだ。

それもツグミの顔を覗き込んでいて、見る角度によってはキスしているようにも思える姿勢であったから、その光景を見た東は愕然としてしまう。

 

「忍田さん…何をしているんですか!?」

 

「あ、東!? 何をって、これはだな…」

 

東に目撃されたと気付いた忍田は焦ってしまう。

本部長が一隊員の容態を心配して早朝から見舞うというのは考えにくい。

もちろん東はツグミが忍田の弟子であるということを知っているが、弟子を見舞うとしてもこの時間帯は不自然である。

それに東の目は明らかに不審者を問い詰める目であった。

 

「忍田さんが愛弟子である霧科のことを特別に可愛いと思うのは当然ですけど、本部長という立場の人間が女子隊員の寝込みを襲っていたとなれば、さすがにセクハラとかパワハラとかの話じゃ済みません、って」

 

「誤解だ!! これはそういうことではない!」

 

この状況ではいくら弁明しても無駄で真実を話すしかないと、忍田は東に事情を打ち明けることにした。

 

「…ツグミは私の娘なんだ」

 

「なんですって!?」

 

それは普段の東らしからぬ反応で、大規模侵攻で人型近界民(ネイバー)が目の前に出現した時よりも動揺しているように見えるほどだ。

そんな東に忍田は声を潜めて言った。

 

「しっ、声が大きい。…実はツグミの母親が私の姉で、その姉夫婦が死亡したものだから私が引き取って育てていた。この子が7歳の時だ」

 

「…!」

 

東はツグミの顔を見た。

彼はツグミから両親を交通事故で亡くしたので親戚に育てられたという話は聞いていたが、その親戚というのが忍田であることは知らなかったし想像もしていなかった。

しかし彼女が7歳から忍田に師事して剣術を学んでいたという話にもこれで納得がいく。

 

「そうでしたか…。それにしても驚きましたね。忍田さんが彼女の父親とは…。ですがなぜ彼女は霧科姓を名乗っているんですか?」

 

「ツグミがボーダーに入隊したのは9歳の時で、まだ私の籍には入れていなかったからだ。私はこの子を本当の娘だと考えて接してきたが、このまま霧科姓でいくか、忍田の籍に入るかどうかを本人に決めさせるつもりでいた。だから本人の意思を尊重し、中学を卒業するタイミングでこの子が『忍田ツグミ』になると言い出した時にはとても嬉しかったよ。だがずっと霧科姓でいたから通名としてそのままにしておいた、ということだ」

 

「そうでしたか。…ところでこの話は他に誰が知っているんでしょうか?」

 

「城戸さん、林藤、それから玉狛支部の隊員たち。他には沢村くんと唐沢さん、隊員では慶と蒼也だ」

 

「太刀川はともかく風間まで知っているとは意外ですが、もしかしたらそれは旧ボーダー時代の隊員だったというあいつの兄貴の関係ですか?」

 

「そうだ。とにかくツグミは自分と私が身内であると知られたくはないということだし、私も公にする必要はないと考えている。だから秘密にしていた。念を押すが、このことは誰にも言うなよ」

 

「わかりました。絶対に口外しません。約束します」

 

「助かるよ、東」

 

そう言って緊張を解く忍田だが、切ないため息をついた。

 

「ただ、な…籍を入れて正式な親子になったというのに、ツグミは未だに『お父さん』とは呼んでくれないんだよ」

 

いきなり愚痴るものだから、東は失笑してしまう。

 

「それは仕方ないんじゃありませんか? 何年もずっと『叔父さん』だったわけですから、今更『お父さん』と呼ぶのは気恥ずかしいんでしょう」

 

「そういうものだろうか?」

 

「そういうものです。彼女が実の両親と死別したのは7歳ですから、それまでの両親との楽しい記憶があるはず。いくらあなたが彼女を娘として慈しんでも、実の親以外に親と呼べる存在はいませんよ」

 

「……」

 

「まあ、これで忍田さんの彼女への行為の謎が解けました。ですがさっきみたいなことをしていたら、これ以上秘密にしておけなくなりますよ。気を付けてください」

 

「ああ、肝に銘じておくよ。それにしてもこんな早い時間に見舞いに来てくれるなんて、すまないな」

 

「いえ、徹夜明けでこれから家に帰るんですが、その前に彼女の様子をちょっと見ておこうと思いましてね。…しかし良く眠っている。相当疲れていたってことなんでしょうね」

 

「それだけ無理をしていたということだ。目覚めたら二度とこのような騒ぎを起こさせないよう、きつく言い聞かせねばなるまい」

 

「とか言って、目覚めたら嬉しさでそれどころじゃなくなるんじゃありませか? 彼女のことを抱きしめながら、おいおい泣き出してしまいそうな気がして怖いです」

 

東は冗談半分で言うが、忍田は真剣に考えてしまう。

 

「…そうかもしれない。私もツグミのこととなると我を忘れてしまうところがあるのは承知している。いちおうこれでも自制はしているのだが、ツグミに言わせるとどうやら私は常識を知らないらしいのだ。世の父親たちは娘をハグしたり一緒の布団で寝たりはしないそうなんだが、そういうものなのか? もちろん私はいやらしいことをしようとしているのではなく、純粋に娘とふれあいたいだけなのだが」

 

東はそれを聞いて頭を抱えた。

 

「小学生ならともかく、普通は中学生にもなれば男女問わず父親とのスキンシップは嫌がるものです。あなたにも心当たりはありませんか? それに彼女はもう高校生で、本人にもしっかりとした意思はありますし、自分の言動にも責任が取れる年齢です。過度に接するより、ひとりの人間として対等に向き合うことの方が彼女のためですよ。…まさかまだ一緒にお風呂に入ろうなんて言ってませんよね?」

 

「当然だ! 風呂はツグミが10歳になった時にやめた。さすがに風呂はマズイだろ」

 

「いちおうそこはわかっているんですね。でもそれまでは一緒に風呂に入っていた、と。…まあ、ツグミもそれだけ愛されているということで良しとしておきますか。じゃあ、俺はこれで失礼します」

 

東はこれ以上忍田の「残念」な部分を知りたくないと、医務室を出て行く。

忍田も本部長としての仕事があるので医務室を出ようとしたのだが、名残惜しく何度も振り返るものだから、ドアを閉めるまでに数分を要することとなった。

 

 

 

 

ツグミが目を覚ましたのは昼過ぎだった。

かすかに薬品のにおいのする真っ白な部屋で横たわっている自分の状況を把握するのにそれほど時間はかからず、過去にも同じことがあったことをすぐに思い出した。

 

(やっちゃった…。こんなことにならないようにってトリオン器官を鍛えていたのに、これじゃ本末転倒じゃないの。たぶん叔父さんやジンさんたちに心配かけたんだろうな…)

 

天井を見上げながら自省していると、医師が彼女の様子を見にやって来た。

 

「目が覚めたようだね?」

 

「先生…」

 

ツグミは身体を起こそうとするが、それを医師に止められた。

 

「おとなしく寝ていなさい。きみは過労で倒れたのだから無理はいけない」

 

「はい」

 

医師はベッド脇にあったパイプ椅子を引き摺って来るとそこに腰掛けた。

 

「忍田本部長や林藤支部長から大方の話は聞いている。しかしきみの口から詳しく聞かせてもらおうかな」

 

言葉や表情は穏やかだが、こういう時の彼が一番怖いのだということをツグミは良く知っている。

誤魔化そうとしても無駄なので、正直にすべてを話すことにした。

医師はツグミの話を黙って聞いていたが、最後に納得したと言わんばかりに大きく頷くと口を開いた。

 

「きみがすべてにおいて全力で臨む姿勢には感心する。それがきみの長所だし、周囲の人間もそういうきみのことを好ましく思っている。しかしどうやら過信があったようだな」

 

「…すみません」

 

「きみはトリオン器官を鍛えるために仮想戦闘モードを使用せずに訓練を続けていたということだが、それ自体は間違ってはいない。ボーダー隊員としての戦闘力はトリオン量がすべてとは言えないまでも大きく影響してくるわけだからな。ただしきみが失念していたのはトリオン器官が他の器官と相違がないという点だ」

 

「どういうことでしょうか?」

 

「きみは生まれつきトリオン器官が他者より優れているから、意識して鍛えることでさらに高めようとするのは良いことだ。しかし心臓や肺といったその他の器官はごく普通の少女で、アスリートのような鍛え方はしていない。そうなると他の器官がトリオン器官の成長に追いつかずバランスが崩れてしまう。…例えばマラソンランナーが筋力トレーニングだけに熱心で心肺機能を高めるトレーニングを疎かにしていたらどうなるかわかるだろ? きみの生身の運動能力は平均値よりも少し上といったところで特に優れているわけではない。トリオン体でアクティブに動けるのはトリオン能力の高さが底上げしているからだ。ここまでは理解できたかい?」

 

「はい」

 

「さらにきみは普段の防衛任務、玉狛支部での雑務や唐沢部長の手伝いといった様々な理由で休む暇もない。そして先の大規模侵攻やB級ランク戦のストレスはきみが考えている以上に生身の身体には大きな負担となっていたようだ。おまけに慢性的に睡眠不足であり、青年期のきみにとっては最悪の状態にある。その結果、きみ自身が気付かないうちに溜まりに溜まった疲労で肉体が悲鳴を上げ、これ以上は生命維持に関わるとして身体の機能がシャットダウンしてしまったと思ってくれたまえ」

 

「はい、わかりました。つまり先生やたくさんの人たちにご迷惑とご心配をおかけしたのは『トリオン器官とその他器官の鍛え方のバランスの悪さ』と『疲労感の麻痺』によるもので、自己の体調管理が正しくできていなかったのが原因ということですね。重々反省いたします」

 

「それでいい。もっとも私もきみのトリオン能力を過信していて、医師としての責務を果たせなかったわけだから深く反省している。…そういうことで前回の時のように何か身体に変調があるといけないから、念のために精密検査をしておこう。もうしばらく私に付き合ってもらうよ」

 

ツグミは心電図、視力・聴力、X線撮影といった検査をひと通り受けると帰宅準備を始めた。

 

「検査結果は後で知らせるが、ランク戦はしばらく出場停止だ。第5戦はもちろん第6戦も諦めてくれ。当然防衛任務も禁止。それについては林藤支部長には昨日伝えてある。まあ、最低1週間は何もしないでおとなしくしていることだ」

 

「…はい」

 

いくらツグミがA級昇格や順位を気にしていないといっても、負けず嫌いの彼女にとって不戦敗というのは悔しいに決まっている。

それに一度決めたことが途中で頓挫することがそれ以上に悔しいはずだ。

ならば医師の言うように身体の回復を第一に考えて、一刻も早く復帰するしかない。

 

「ああ、それときみが目覚めたことは会議中の忍田本部長と林藤支部長にはメールを入れておいた。迅くんは電話したらすぐに迎えに来ると言っていたからそこで待っていなさい」

 

医師にそう言われて、ツグミはベッドに腰をかけて迅を待つことにした。

 

 

 

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