ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
翌朝、ツグミは登校する遊真たちと、出勤する二日酔いの忍田と、彼を車で送っていく林藤を見送ってから自分の部屋に戻った。
するとなぜかそこには陽太郎とヒュースがいて、床に敷いてあるラグマットの上で本を読んでいる。
「はあ…。ヨータローはともかく、何でヒュースまでわたしの部屋にいるのよ?」
すると陽太郎がさも当然だと言わんばかりの顔で答えた。
「おれはじんからツグミのかんしをまかされているのだ、おまえがいるばしょにおれもいるにきまっているだろ」
「そうね。ジンさんがそう言ってたものね。でもヒュースがここにいる理由にはならないわよ」
「おれはしぶちょうめいれいでヒュースのかんしもまかされている。どうじににんむのすいこうをするためにはこうするのがこうりつがよい」
ツグミはヒュースの様子を見るが、彼もツグミを一瞥して言う。
「不本意だが、ヨータローの手を煩わせるわけにもいかないからな。しばらく邪魔をする」
「う~ん…たしかに邪魔だわ。これじゃ集中して勉強することもできないじゃないの。…仕方がない、今日はもう何もしないでのんびりさせてもらうわ」
ツグミは午前中の授業を諦め、録画を後で見ることにする。
そしてしばらく窓から空を見上げていて、ふと名案を思いついた。
「そうだ…。ねえ、ヨータロー、今日は天気が良くて暖かいから屋上でピクニックしようか?」
ツグミがそう言うと、陽太郎は食いついてきた。
「ピクニックとはいつものあれか!?」
「うん、いつものアレよ」
「そうか、アレをやるのか。ならばこうしてはいられない。いそいでしたくをせねば。いくぞ、ヒュース」
陽太郎はわけがわからないという顔のヒュースの手を引っ張ってツグミの部屋を出て行った。
「さて…今からお昼のお弁当を作って、お菓子も用意して…。ちょうどいい時間かな」
ツグミは厨房へと降りて行くと料理を開始した。
◆
1時間ほど経って、陽太郎とヒュースが厨房へやって来た。
「ツグミ、こちらのじゅんびはかんりょうしたぞ。そっちのぐあいはどうだ?」
陽太郎がツグミに訊く。
「おかずはあと少しで完成よ。ご飯は炊けるまでにあと30分くらいかかって、その後におにぎりを握るから、お弁当の完成は…11時ちょっと過ぎくらいかな」
「そうか、ではおれたちはさきにいく。ツグミもべんとうができたらいそいでくるのだぞ」
「了解」
未だにわけがわからないという顔のヒュースを連れて、陽太郎は屋上へと行ってしまう。
(あの様子だとヨータローはまだヒュースに説明をしていないようね。でもついにヒュースの
誰もいない厨房で、ツグミは密かにほくそ笑んだ。
◆
出来上がった弁当を抱え、ツグミは屋上へとやって来た。
「こっちだ、ツグミ!」
陽太郎に呼ばれ、ツグミは南東側の一角に作られた「秘密基地」へと向かう。
「秘密基地」というのは陽太郎が付けた名称で、クッション性抜群のレジャーシートを敷いた上に袋から出すだけでポンとほぼ自動的に立ち上がるポップアップタイプのテントが設置されていた。
その中には飲み物を入れたクーラーボックスや陽太郎の遊び道具が置かれていて、一番奥で雷神丸が寝ている。
「ひみつきちはヒュースにてつだってもらってつくったのだぞ。こいつはなかなかつかえるヤツだ」
「そうなんだ。お疲れさま、ヒュース」
ツグミが労いの言葉をかけると、ヒュースは少しだけ顔を背けて言う。
「別にたいしたことではない。それよりもこの騒ぎはいったい何なんだ?」
「これはわたしとヨータローがふたりきりでいる時に時々やる『ピクニック』よ。実際のピクニックは屋外に出て野山や海岸などの自然豊かな場所でするものだけどね」
「ヨータローはここを『秘密基地』とか言っていたが、野外機動訓練のようなものか?」
「いやいや、そういうのじゃなくて、これは完全にレクリエーションだから。そしてわたしたちのピクニックのルールは、それぞれが自分の趣味とかやりたいことをしたり一緒に遊んだりすることなの。あなたも参加しているんだからルールには従ってもらうわよ」
「断る。オレは好きでここにいるわけではない。ヨータローが手伝えと言うから手伝っただけだ」
ヒュースは拒否するが、陽太郎の言葉で態度を変えた。
「ヒュース、おれがおまえにいやがることをむりやりにさせたことがあるか? これはおまえにとってもゆういぎなじかんになると、おれはしんじているのだ」
「……」
「ヒュースはいつもうすぐらいへやのなかにいて、おひさまのひかりにあたることがめったにない。ひとはおひさまのひかりにあたらないとついネガティブなきもちになるのだそうだ。せっかくツグミがべんとうをつくってくれたのだ、ここでいっしょにたべよう」
「…わかった。ただし今回だけだ」
そう言ってヒュースは陽太郎の隣に座り、ツグミもふたりの前に座った。
「まずはお弁当を食べましょうか。時間がなかった割には上出来だと思うのよ。さあ、ご覧あれ」
ツグミは3段重ねの重箱の蓋を開く。
1段目には玉子焼きと鶏の唐揚げ、2段目にはフライドポテトと飾り切りをしたソーセージ、3段目にはプチトマト、パプリカ、ブロッコリーといった色鮮やかな野菜を使ったサラダが詰め込まれている。
「おう、これはうまそうだ」
陽太郎は自分の紙皿と割り箸を持って唐揚げに手を出そうとする。
「待ちなさい。先に手を拭いてからよ」
ツグミはウェットティッシュを陽太郎とヒュースに手渡した。
すると陽太郎は手を拭き、ヒュースもマネをして手を拭く。
そしてそれぞれ自分の好きなものを皿に乗せ、一旦床に皿を置いて手を合わせた。
「「「いただきます」」」
3人で声を合わせて「いただきます」をする。
「ヒュースもちゃんと『いただきます』ができるのね?」
ツグミが言うと、陽太郎が答えた。
「しょくじとはどうぶつやさかなのいのちをいただくことだから、かんしゃしてたべねばならないのだと、おれがおしえたからな。はしのつかいかたもおれがしこんだのだぞ」
「なるほど、それで箸の使い方がずいぶん上手くなったのね。お手柄よ、ヨータロー」
「ほめるならヒュースをほめてやってくれ。まいにちれんしゅうをしてここまでできるようになったのだ」
「うん。ヒュースも慣れない暮らしで大変だろうけど、ここまで順応できたんだからすごいわね」
するとヒュースは少し怒ったような顔で言い返した。
「仕方がなかろう。生きていくためには
そう言ってほんのり顔を赤らめる。
褒められたことが嬉しいのに、素直に認めたくないのだ。
◆
3人で会話 ── といってもツグミと陽太郎ばかりが喋ってヒュースは聞いているだけなのだが ── をしながら食事をし、後片付けをしてしまうとメインイベントが始まった。
「じゃあ、これからそれぞれ自分のやりたいことをやるわよ。ヨータローは何をするの?」
ツグミが訊くと、陽太郎はテントの中からスケッチブックとクレヨンを持ち出した。
「おれはヒュースといっしょにえをかくぞ」
「ヒュースも?」
「そうだ。ヒュースはとてもえがうまいのだぞ。…これをみろ」
陽太郎はそう言ってスケッチブックの最後のページを開いてツグミに手渡した。
そこには雷神丸に寄り添って眠っている陽太郎の姿がクレヨンの柔らかいタッチで描かれている。
どうやら陽太郎が寝ている時にこっそりと描いたようだ。
「素敵な絵ね…。描いた人とモデルの間に暖かくて優しい空気が漂っているのを感じるわ。これをヒュースが描いたのね。すごいわ」
ツグミは素直に感心するが、当の本人は不機嫌な顔をしている。
「ヨータロー、人の絵を勝手に見せるな。ツグミ、それをこっちへよこせ!」
そう言ってスケッチブックをツグミの手から奪おうとする。
もちろんツグミは奪われないようにと、さっとスケッチブックを背中の後ろに隠した。
「ダ~メ。別にいいじゃないの。この絵を見たところでアフトクラトルの情報が漏れるわけでもないんだし。…そうか、あなたの趣味は絵を描くことなんだ。これでヒュースの情報をひとつゲットしたわよ~」
ツグミは嬉しくなって、ついはしゃいでしまう。
「ねえ、ちょっとこっちへ来てみなさいよ」
ツグミはヒュースの腕を掴んで立ち上がらせると、強引に彼を屋上の端に連れて行った。
「今日は天気がいいから遠くまで見えるわよ。…ねえ、
「……」
「
「……」
「どういう仕組みなのかはわからないけど、自分たちの住む大地が期限付きのものであって、次の『神』が見つからなければ民族の存亡に関わるってことになれば、必死にトリオン能力者を探そうとするのは理解できる。でもそのトリオン能力者っていうのは生贄にされて、死ぬまでトリガーと同化しなきゃならないってことだから、人としては死んだも同然。人の犠牲の上に成り立つ国なんてどれだけの価値があるって言うのかしら?」
「……」
「…って、これは単なる綺麗事。どの世界だって多かれ少なかれ他者の犠牲の上に成り立っているんだもの。でも生贄にされる本人と親しい人たちにとっては我慢ならないことよね。当事者の身になって考えてみろ、って言いたくもなる。…あなたもそう思うでしょ? このままでは大切な人が神という名の生贄にされてしまう。もし帰る手段があれば一刻も早く帰りたいって思うのは当然よね」
ツグミの語った情報は、エネドラの角をラッドに移植した「エネドラッド」から修と遊真が聞き出したものである。
それを修から聞いていたものだから、ツグミはちょっと揺さぶりをかけてみたのだ。
しかしヒュースはわずかに表情を歪めただけで遠くを見つめている。
彼の視線の先に
ツグミには彼の胸中まではわからないが、少なくともこのままおとなしく捕虜のままでいるつもりはなさそうだということだけはわかった。
あれだけ忠誠心の強いヒュースが自分の主の危機を前にして指を咥えて見ているはずがないのだから。
ふたりで遠くを眺めていると、足元に陽太郎がやって来てヒュースに言った。
「ヒュースはうちにかえりたいのだな? だいじょうぶだ、ちゃんとうちにかえれる。だからかえるときには、おれにひとこといってからにしろ」
その言葉に反応し、ヒュースは陽太郎を見た。
「…だそうよ。さて、ヨータローとヒュースは絵を描くってことなら、わたしは…」
ツグミはそう言うと元の場所に戻り、テントの中に入った。
そして気持ち良さそうに眠っている雷神丸の隣に座ると背中をモフり始める。
それを不思議そうな顔で眺めているヒュースに陽太郎が説明をした。
「ツグミのしゅみはらいじん丸をモフモフすることなのだ」
するとツグミが補足する。
「モフりすぎて最近では雷神丸に避けられるようになったんだけど、テントの中だとなぜかおとなしくてモフらせてくれるのよ」
「そうなのか…。おまえも動物が好きなのだな。しかしいつ見ても
ヒュースがポツリと呟いたのを、ツグミは聞き逃さなかった。
「え? ヒュース、あなた何を言ってるの? 雷神丸は犬じゃなくてカピバラっていうネズミの仲間よ」
するとヒュースの表情が険しくなった。
「ネズミだと? 馬鹿な…。そんなことを言ってオレを騙そうとしても無駄だぞ。どこの世界にそんなにでかいネズミがいるものか」
ヒュースはツグミの言うことを信用しない。
「誰が犬だと言ったの?」
「トリマルだ」
そこでツグミは納得した。
「なるほどね…」
「それだけではない。ヨータローも犬だと言っていた」
「そうだ。らいじん丸はいぬだぞ」
陽太郎もムキになって言い張る。
「じゃ、それを誰に教えてもらったの?」
「それは…」
ここでふたりは京介に騙されたのだということにやっと気付いた。
「まあ、雷神丸がワンコでもネズミでもわたしはかまわないわ。モフモフしている動物ならなんでもOKだもの」
そう言いながら、ツグミは寝転がった雷神丸の腹をモフっている。
「ハァ…癒されるぅ…」
幸せそうなツグミをひとり残し、陽太郎とヒュースはテントの外でそれぞれ絵を描き始めた。
◆
それから30分ほど経った頃、ヒュースが陽太郎を抱えてツグミのもとへやって来た。
「ツグミ、ヨータローが眠ってしまった。そこで寝かせるから、おまえは退け」
ツグミが場所を譲ると、ヒュースは雷神丸の横に陽太郎を寝かせた。
「お子さまはお腹がいっぱいになるとすぐに寝ちゃうのよね…」
そしてツグミはテントの中に置いてあった毛布を掛けてやる。
「むにゃむにゃ…… たしかなまんぞく……」
「どんな夢を見てるのかしら? いいとこのどら焼きを食べてる夢とか、かな?」
幸せそうな顔で寝言を呟く陽太郎の顔を覗き込むツグミ。
「ねえ、ヒュース…」
「なんだ?」
「ヨータローには動物との意思疎通ができるというサイドエフェクトがあるのを知ってる?」
「ああ」
「意思疎通と言っても会話ができるわけじゃなくて、相手のおおよその気持ちがわかるくらいのレベルでしかないんだけど、それでもすごい能力よね」
「……」
「人間も動物の一種なわけで、他人がどんなことを考えているのかも何となくわかっちゃう。だからそのせいでずいぶん苦労してきたみたい。好意的に接してくれる人たちに囲まれている間はいいけど、世の中には理由もなく悪意を振りまく人間もいるから。表面上はいい人ぶっていても、心の中は真っ黒という人っているでしょ? ヨータローはそういう人間を前にすると気分が悪くなっちゃうみたい。言っていることと思っていることが食い違っていれば幼いヨータローじゃ理解できないし、人間の汚い部分も見えちゃうから」
「……」
「
「そう…なのか。ヨータローはオレのことをそこまで…。しかし土下座とは何だ?」
「地面や床に跪いて謝罪の気持を表わすこと。こちら側の世界における最高レベルの謝罪の方法よ。まあ、死をもって償うという方法もあるけど、ヨータローはそんなことを望まないだろうから土下座で勘弁してあげる。それが嫌ならヨータローを泣かすようなことをするんじゃないわよ」
「わかった…。オレはヨータローを絶対に裏切ったりはしない。約束しよう」
ヒュースはそう言って満足げな表情で陽太郎の頭を撫でた。
するとヒュースの手の温もりに反応してか、陽太郎がまた寝言を言う。
「ヒュース……おまえにも、はんぶん…やるぞ……。そうか……うまいか………むにゃむにゃ………」
その幸せそうな表情に、ツグミとヒュースも思わず笑みがこぼれたのだった。