老い、それは全ての者に等しく降り掛かる自然の摂理。その神様でもなければ覆せない事象を唯一緩和出来る『神の雫ネクタル』は、遠方の国との国交の際に年に一本だけ齎される秘薬。
物凄い競争率を勝ち抜いて手に入れても数年の若さが手に入るだけ。二本目を手に入れるのには相当の権力と財力と運がなければ不可能、リズリット王妃ですら生涯で一回あれば幸運と言われていました。
そう今迄言われていた事が覆されたのです。複数本を同時に使用しなければ十年以上も若返るなど不可能、その奇跡を公爵本人と公爵夫人二人が成しえました。何という事でしょう。
他にも『新しき世界』を信奉する者達の中でも中心的な活動をする者達が、同じく若返っているのです。
若返りの年を合計すれば、ネクタルが三桁後半は無いと不可能な筈なのに年増共が若さを享受する狂った世界になっています。断固、断固として物申さねばなりませぬ!
年に一本なら諦めも付きますし羨ましい程度で済みました。数年の若返りならば、未だ若作りで済まされる誤差として飲み込む事も出来ました。個人の努力で何とかなる範囲です。
お肌の手入れに美容体操、暴飲暴食を控えて適度な睡眠時間の確保。涙ぐましい努力が数年の年齢詐欺を見返す事が出来ました。
『薬に頼らなければ若さを維持できないなんて!』数年の若返り効果ならば、そう笑い飛ばせる問題でした。今までは……
「ふざけるな!湯水のようにネクタルを浴びれる連中が居る。そんな事が許されて良いのか?いや、断固として良くないのです!」
ギフトで拘束されているので身動きが取れませんし、思考も鈍化させられている筈なのにクリアな状態です。延々と怨嗟の思考が出来る程度にはです。私の怒りがギフトに打ち勝っている?
供給元は美魔女から美少女にクラスチェンジした派閥の御当主様である、ザスキア公爵様。現在は十代半ばまで若返りやがった等しく世界の女性の敵、ですが反発すれば物理的に首が飛ぶ相手。
流石に物申すのは無理、下手をすればスプリト伯爵家どころか一族郎党が消されてしまいます。それ位の事が出来るのが、ザスキア公爵様という国家の暗部を担っている女傑なのです。
今はその力を私的流用し過ぎていると具申致しますが、そんなの関係無いわっ!という位に弾けています。弾け過ぎてます。公爵三家の女性のトップが連携しているから可能なのです。
ザスキア公爵様にネクタルを強請るのは、死への片道切符に全力でサインする事と同義。私は若返りたいだけなので、死にたくは有りません。本末転倒です。
ならばどうするのか?配給元が無理ならば、供給元に強請れば良くね?そう思って一人では無理なので、タイロンやサナッシュに相談しました。彼女達も若さには興味が有る筈です。
僅かでもチャンスが有るならば、ハイリスクハイリターンの賭けに乗ると思って遠回しに相談したのですが……結果は告げ口から軟禁と言う最悪の裏切り。そう裏切りです。
同族として親族として厳しい辺境で共に頑張って来た家族を売り払うという暴挙、スプリト伯爵も『何故、この様な馬鹿な事をしようとしたんだ!』と言われましたが……
『馬鹿だからです』としか言えません。理屈では分かっていますが、心が認めないのです。供給元に突撃すれば、バーレイ伯爵ならば苦笑して数本位くれそうですよね?
そんなに甘くない?ええ、敵に対しては苛烈な対応をする殿方ですが、味方ならば結構甘い筈です。私が若返り、彼の義父に嫁げば親族になる訳ですから配慮位はしてくれても良いのでは?
あの野性味溢れる鍛え抜かれた腕に抱き締めて欲しい。背骨が折れる位に激しく力強く、そして獣(けだもの)のような獣性で組み敷いて欲しい。嗚呼、それが僅かながらも可能性が有ったのに……
全ては御破算になりましたわ。スプリト伯爵も私の能力を惜しんで軟禁していますが、ザスキア公爵様に報告が上がればどうなるか?私でも分かりません。
いえ、助かる道は一つ。性癖の趣旨替えを宣言すれば良いのですが……私には年下趣味は無く華奢な美少年に欠片も興味が有りません。
故に改宗は不可能ですから、異教徒としての対応をされるでしょう。何故、幼く脆弱な殿方に欲情出来るのですか?それは保護対象であり、性欲をぶつける対象では有りません。
殿方の中には『幼女愛好家』という度し難い性癖を持つ外道がいますが、淑女にも『少年愛好家』というド変態がいる事を理解しましたわ。私は人の道を踏み外す事などしません。
いえ、しない筈でしたが命は惜しいのです。心を悪魔(少年愛好家)に改宗し売り渡しても、いつか『筋肉大好き』に帰化する為に、今は我慢の時です。
次に拘束が解かれる時は、既に供給者である、バーレイ伯爵は此処を発っている筈です。滞在中に私の軟禁を解く理由も有りませんし……
スプリト伯爵が私の才能を惜しんで、最後のチャンスとばかりに改宗を迫る筈なので嫌々ですが受けましょう。少年愛好家という偽りの仮面を被り『新しき世界』という宗教に潜り込みます。
そして邪教徒共を内部から浸食し、正規ルートでネクタルを手に入れてみせます。若返ってしまえば、どうとでもなります。そう、若さを手に入れさえすれば良いのです。
『面従腹背(めんじゅうふくはい)』です。上辺は『少年愛好家』ですが本心は『筋肉大好き』なのです。ですが、ザスキア公爵様は諜報に優れた方です。浅はかな演技では見破られてしまうでしょう。
悪魔に魂を売る。というのは、こういう葛藤を経なければ駄目なのでしょうね。自分の心を殺してでも目的を達成する。
「私は悪魔に魂を売るぞぉー!」
あれ?ギフトで拘束されているのに声が出ました。ギフトが解けた?いえ、叫べたのは一度だけで意識して喋る事も身体を動かす事も出来ませんが音だけは聞こえます。
慌ただしく扉が開いて誰かが入ってくるのが分かります。足音は複数、パタパタと軽い音なので女性でしょうか?後から金属音が近付いて来ているので武装した兵士も駆け付けて来ている?
この軟禁部屋は領主の館の最上階の隅ですから、メイドも護衛の兵士も近くに居るのですが……身動きの取れない淑女が寝ている部屋に異性を入れるとは、どうなのでしょうか?
交渉材料の一つにはなりますわね。軽く頬を触られたりしている感覚があるのは、ギフトが効いているのか解けているのかの確認でしょう。触っている相手は、タイロンかサナッシュか?
細く繊細な指なので女性、メイドの様に仕事で酷使していないので固くも荒れてもいない。無遠慮に触っているので、彼女達の何方かには間違いないわね。一度、ギフトを解いて欲しいのですが……
気合を入れても駄目みたいです。無意識か何かの条件が有るのでしょうか?一頻り確認を終えて異常が無いと思ったのでしょうか?部屋から出ていく足音が聞こえます。
さて、どうしましょうか?もう一度叫べば、異常事態だと考えてギフトを解いて拘束し直してくれませんかね?唯一のチャンスは会話が成立し、説得が出来る事です。
私は弁舌に優れている自覚は有りますので、改心しました。後悔しています。今後は心を入れ替えて誠心誠意働きます。とでも言えば、条件付きで自由になりそうなのです。
その辺は、スプリト伯爵やタイロンとサナッシュの性格を理解しているので有利に話を進められます。自由を勝ち取る為にも、先ずは交渉権が欲しいのです。
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翌日、朝六時に起床しスプリト伯爵とリゼルの三人だけで朝食の食卓を囲む。昨日よりも目の下の隈が酷い事になっていますが、もしかして寝れてないのだろうか?
睡眠不足はパフォーマンスに影響が出るので、不安要素である僕達が領地から出ていけば不安要素は無くなるので寝れると思います。食事が済んだら直ぐに支度をして出立しますから、安心して下さい。
急いでいるとはいえ、貴族の持て成しなので料理の中でも簡素化して貰ったけど、オムレツに羊肉のベーコン。何故か焼いたトマトとキノコにチーズ。それと紅茶というそこそこの品数と量がある。
慌てて食べるのもマナー違反なので、味わいつつたべるのだが……トマトをオリーブオイルとスライスニンニクと共にオーブンで焼いた料理が不思議だった。
確かに生より食べやすい。でも丸ごと一個をオーブンで焼くとはね。チーズを乗せたらもっと美味しいかもしれないので、帰ったらイルメラに頼んでみよう。
アレンジして更に美味しくしてくれる筈だ。イルメラとオリビアは仲が良いから、料理上手な彼女の知恵を借りるのも良いだろう。うん、帰国の楽しみが増えたぞ。
内心、帰国後の楽しみを見出していたが溜息を繰り返す、スプリト伯爵に意識を戻す。一泊しただけなのに凄い窶れようだが、精神的疲労って肉体にも影響を及ぼすから深刻だぞ。
単純作業で肉体のみ疲れた場合、精神疲労が無ければ心地よい睡眠が得られる。だが肉体は疲労せずとも精神が疲労していると何故か肉体も疲労する。
まぁ適度な睡眠がとれないから疲労も取れず蓄積されるって事なんだろうな。経験した者しか分からないと思うけど、誰しも悩みは抱えているから理解出来るだろう。
「お疲れみたいですが大丈夫ですか?僕達は食後に支度をして直ぐに出立します」
精神的疲労の原因が居なくなる事が一番良い。食後は少し休みたかったけど、さっさと出立するべきだ。少し離れてから休めば良いんだ。晴天の下、荒野で味わう紅茶も良いだろう。
「嗚呼、気にしないで下さい。昨夜、ギフトで軟禁していたネロが突然騒いだらしく、その原因の調査で忙しかったのだ。過去に事例の無い事で、まさかギフトの拘束が一部でも解けるなど……」
ははははって苦笑いしたけど、結構な大問題だった。
今後の運用に支障をきたすだろう。確かに要人移送の切り札的なギフトに穴が有ったとか、今後の運用に問題をきたす事案だな。しかし、ネロ殿がギフトを破る程の何かを持っているか使用できるのか。
これって早めに王都に向かった方が良いぞ。接触さえせずに物理的に距離を置く事が最適解だ。大丈夫ですか?と騒いだり、協力します。とか善意の押し付けが最悪を生む。
ネロ殿の目的は、僕との接触。その為に異常な事を仕出かしているのに、その原因が呑気に居座るわけにはいかないだろう。リゼルに視線を向ければ、黙って頷いた。
これは早く出発する事に合意したと解釈しよう。彼女のギフトならばネロ殿の考えは丸分かりだが、その行動を起こした事が問題なので未然に防ぐのが正解。
食後に挨拶も早々に切り上げて客室に戻り荷物を纏める。とはいえ、全て空間創造に放り込むので大した時間も掛からない。貰った手土産くらいだな。
リゼルに部屋に迎えに行けば、彼女も支度を整えて待っていたので手荷物を預かえり空間創造に収納。忘れ物が無いか部屋の中を見回すが、問題は無いな。
「じゃ、出発しよう」
「そうですわね。でも少し遅かったかしら?」
え?なに、その不穏な台詞は?
ん?何だろう?変な女性の雄叫びが聞こえたような?