緊張し身体が硬直した。目を疑った。馬車に取付られた家紋は、バーレイ男爵本家のもので、何時もは当主殿か補佐を担っている孫娘が乗っている。
一応は英雄リーンハルト卿の親族、一時期は不仲説も流れたし国賊バセット公爵との関係も疑われたが和解した事は公式に発表され通達されている。今は親族総出で助力を惜しんでいない。
愚弟殿と違い、良好な関係を築けたので安心している。それ故に馬車の中も扉を開けて中を確かめる事はせずに、窓から中を覗いて乗っている人物を確認する程度にしている。
信用度が上がった事で、警戒レベルを下げた結果だ。勿論だが、顔パスで通す事はしないし様子を確認する事で表情や態度を確認し、挙動が怪しい時は細かい確認をする。
非公開だが『危険感知』や『真実の目』等のギフト所持者も待機しているので、不審者を王都内に入れる事は皆無とは言えないが、限りなく低い。
爵位でゴリ押しされても関係各所に迅速に通達し、更に上の爵位や役職の方々に対応を委ねる事もしている。今回は信用度の高い、バーレイ男爵家の馬車だから油断していた。
そして、そしてだ。一応確認の為に窓から中を覗いたら……崇拝する、リーンハルト卿が座っていて目が合った。目が合ったのだ。扉を挟んで数mの距離にいらっしゃる!
そして微妙に固まってぎこちない笑みを何とか浮かべながら敬礼した自分に対して、苦笑しながらも返礼してくれた。自分個人に返礼してくれたぞ。
その後に人差し指を立てて口の所に持って行ったのは、大騒ぎをするなって事ですね。大丈夫です、理解しています。此処に貴方様が居るとか分かれば、周辺は大騒ぎになります。
おぃおぃおぃ、モアの神様よ。日頃から王都を守護する自分に御褒美ですか?ご褒美ですよね?ご褒美でしたっ!
ぎこちない動作に同僚達から不審がられない様に何とか視線を窓から逸らす時に見てしまった。見えてしまった。最重要要注意人物上位の令嬢、公爵家の正妻と同等の対応を指示されている女傑。
年齢詐称の魔王ザスキア公爵や王宮の影の支配者レジスラル女官長、前王暗殺の疑いが濃厚且つ前大戦時に最も魔法で敵兵を凍死させた宮廷魔術師筆頭サリアリス様。
彼女達と対等以上に張り合える、リーンハルト卿が在野から見つけ出した魔人リゼル嬢を見てしまった。嫣然と微笑んでいた。美少女に微笑まれたのに、背中に氷柱を差し込まれたみたいにゾッとした。
思わず数歩下がってしまう。
「問題有りませ……いや、問題無し。行って良し」
丁寧な言葉を掛けてしまえば疑われるので、断腸の思いで男爵位に掛ける言葉に言い直す。ここで失敗してしまったら、リーンハルト卿に申し訳が立たない。憤死レベルの失敗だ。
魔人リゼル、恐ろしい程に普通の美少女に擬態している。だが、あの傍若無人で有名なバニシード公爵でさえ『見た目に騙されたら崖っぷちまで追い込まれていた。恐ろしい女』と言わせた女傑。
年齢詐称の美魔女から偽美少女に変貌したザスキア公爵と違い、本当に若い。未だ十代後半位の人生経験しか積んでない筈なのに、何故往年の女傑と渡り合えるのか?
その秘密は、リーンハルト卿しか知らないのだろうな。
一時期、彼女の親族と偽り良からぬ事をしようとした連中が、全員失脚したり没落したりした事が有った。あの公明正大で慈悲深い、リーンハルト卿ですら我慢出来ない程の悪行をリゼル嬢に企んだのだろう。
その全てをリーンハルト卿は跳ね飛ばした。リーンハルト卿のリゼル嬢に向ける親愛は本物、つまり魔人と呼ばれても邪悪な存在ではないのだ。魑魅魍魎ひしめく王宮で力を振るうならば、魔人位が丁度良いのか?
もしも彼女が邪悪でエムデン王国に害成す者ならば……リーンハルト卿は優遇しない。彼が問題無いと考えているのなら問題無いんだ。
馬車が見えなくなるまで見送る。次の馬車が近付き過ぎるのも問題だろうが、もう十分な距離は稼げただろう。最後にもう一度敬礼をする。
「どうした?もうそろそろ職務に戻ったらどうだ?後ろの馬車は新貴族の男爵だけど、そろそろ痺れを切らす頃だぞ。あの馬車、バーレイ男爵本家のモノだが、シルギ嬢でも乗っていたのか?」
「最近のシルギ様、綺麗になったよな。元々美人ではあったけど、険(けん)が有るっているか……刺々しいっていうかさ。何か顔つきが厳しいって言うか……」
同僚達が話しかけて来た。確かに最近の、シルギ嬢は人気が高い。妹のニルギ嬢も影の有る美少女だが、彼女はリーンハルト卿の愚弟の元側室だったので何と言うか、その、可哀想と言うか何と言うか……
今は離縁して実家の領地の復興に姉と共に尽力しているので、そういう色事として見る事は憚られる。そっとしておくのが最良なのだが、不幸だったのに健気に明るく振舞う仕草に好感度が高い。
未だ若いのだが、彼女を嫁にと望む者も居なくはない。だが瑕疵と迄は言わないが、あの愚弟と離縁したとはいえ悪縁は残って居るので躊躇してしまう。アレが元旦那っていうのは、どうしてもな。
それが、英雄殿と親族になれると言ってもだ。そんな気持ちで薄幸の美少女に言い寄るとかは出来ない。仮に周囲に居れば全力で止める、物理的に止める。
家族思いの、リーンハルト卿の事だから浮ついたり疚しかったりすれば、直ぐにバレるだろう。そして例の連中と同じ末路となる。だから躊躇するのだが、ニルギ嬢が本気で再婚を考える相手が出来たならば……
リーンハルト卿のお眼鏡にかなうならば、再婚も有りだし色々な恩恵も受けられるだろう。まぁ普通ならば姉狙いだろうな。結婚適齢期はキリキリ過ぎているけど、その他が豪華過ぎて気にならない。
俺達みたいな末端の兵士には叶わぬ夢だけどな。
「ん?いやもう良いか。あの馬車にはな、リーンハルト卿とリゼル嬢が乗っていたんだ。お忍びと推察できたし、そういう態度だったので大事になる前に通過させた」
「おっお前なぁ!」
「狡いぞ!自分だけ顔を覚えられるとか、チャンスを独り占めとかフザけるなよ」
うん、そういう大騒ぎになるから黙っていたんだ。視線で早く次の貴族様の馬車の検めをしろと促す。気付かれれたら別の意味でも大騒ぎになるんだぞ。未だに下級官吏共は、リーンハルト卿に隔意を持っている。
隔意というか嫉妬と逆恨みなのだが、俺達みたいな軍属とは違う政務系の連中ってさ。リーンハルト卿の偉大さって言うか国家への貢献度の理解が薄いよな。だから、頭でっかちで駄目なんだ。
下らない嫉妬とか、本当にイラつく。政務系のトップのニーレンス公爵が友好関係を維持してるのに、その所属派閥の当主の意向に逆らうって何だろうな?
まぁだから小物なんだろうけど、周囲に嫌がらせしているのがバレた連中の末路も酷かったが当然だとも思ったよ。離縁に失職とか、家族も職も失ったって事だからな。
「王命の最中で、旧バーリンゲン王国領内で任務中の筈だが終わったか中間報告か?」
「屑共の後始末も手伝っているらしいぞ。全く仕事のし過ぎだよな。本来の担当の、バニシード公爵の後始末っていうか尻拭いだろ?政敵にフォローして貰うって、公爵様も大変ですねって!」
「おぃおぃ聞かれたら不味い事を不用意に話すなよ」
既に城門に配置されていた兵士達の中で情報は広まってしまった。正規ルートで王宮に報告に行く連中と……各派閥の当主に色々な手段で報告しようとしている連中の多い事。
そう思っている自分も、ローラン公爵様に報告する為に連絡員に合図を送っている最中だけどな。リーンハルト卿の事だから、そのまま王宮に直行すると思うのだが……
馬車を乗り換える必要が有るならば、御自分の屋敷に立ち寄るだろう。その時に先に、王宮に詰めていれば接触の機会は有る。魑魅魍魎の多い王宮で根回しは必須技能、その機会を設けるのも俺達の仕事。
ニーレンス公爵とローラン公爵様は幼馴染であり軍事と内政で得意分野も被ってないから協力体制を維持出来る。ザスキア公爵は諜報だから、公爵三家は連携出来る。
その協力体制の要が、リーンハルト卿だ。彼が現れる迄は、此処までの協力体制は無理だった。小さな衝突というか牽制や足の引っ張り合いも表でも裏でも行っていた。
今は居ないバセット公爵とかも居たし、エムデン王国は盤石では無かった。普通に大陸の中でも大国の一つだったが、纏まり切れていない故の不安要素も多かった。
だが、今は違う。英雄リーンハルト卿を中心として、国家全体が纏まりつつある。最年少宰相として、軍属でも有りながら国家の政務の中枢を担うのだから……エムデン王国は大陸最大最強の国家となる。
まぁローラン公爵様曰く『未だ本人には内緒』だが『根回しは完璧でアウレール王も内諾済み』で『先に最年少侯爵への陞爵が先』らしい。出世街道驀進中というか、約束された栄達というか……
正直羨ましいのだが、誇らしくも有る。我等が英雄の栄達を妬むものなど、少なくとも軍属には居ないし、居たら全力で潰す。あれだけの国家への貢献と献身、報われない方が納得出来ない。
「なぁ、リゼル嬢も乗っていたのか?」
声を細めて聞いて来たが、興味津々というよりは怖いもの見たさみたいな感じだな。俺も実際に初めて見て分かったし、脳が理解した。
世の中は広い、ザスキア公爵の奇行で大分慣れたと思ったが未だ甘かった。ローラン公爵様やニーレンス公爵の奥方様方も若返った時に、世界の摩訶不思議を知ったと思ったが足りなかった。
東方の諺(ことわざ)に『百聞は一見に如かず』とあるが、実際に自分の目で見て感覚を掴んで理解させられる事も有る。俺の常識って薄っぺらかったんだな……
問題を起こす前に理解出来たのだから、逆に良かったと思う事にしないとな。
「ああ、乗っていたぜ。小柄で華奢な美少女だったが、目が合って微笑まれた瞬間に背筋が凍ったよ。お前達も直で見れば分かる。魔人リゼル、嘘や誇張じゃないぜ」
「王宮の女傑衆の大型新人、その実力も評価も噂通りか?バーレイ伯爵が重用するのだから、それ以上の証明は不要だよな」
「実力で女傑衆の四席を勝ち取ったんだ。少女魔王ザスキア公爵、王宮の裏番レジスラル女官長、不動の宮廷魔術師筆頭サリアリス様、そして新人魔人リゼル女男爵か……」
新貴族男爵位で既に公爵家の本妻待遇って凄く凄い、語彙力が低下する位に凄く凄い。正式に末端まで通達が行き渡る事が、過去最高に凄い。リーンハルト卿よりも特別待遇の通達は早かった。
英雄殿よりも早い待遇改善、出世こそ遅いと言うか貴族の中でも低い男爵位だが、今回の王命の結果で陞爵するのは確実だろうな。下手をすれば大陸の人間が、エルフ族に滅ぼされる未来もあったのだから。
人類の未来に貢献した、今回の王命も達成したならば大いなる評価を受けるだろう。でも正直、戦争は懲りたよ。聖戦でも何でもだ。正当性が有っても、辛い事には違いない。
これからは新しい占領地の整備がメインになるだろう。俺達は配置換えにはならないと思うが、戦時体制から平時に戻るとなれば……
「今後は軍縮って事だよな。これは荒れるぞ……」