マリエッタからの警告は、受け入れ難いものだった。ザスキア公爵とリゼルが、今後の最大の障害になると……ザスキア公爵は姉と慕う最大の協力者で、リゼルは信頼する腹心。
僕がジゼル嬢を本妻に迎えた後に、彼女達がどうなってしまうかが読めないだと?女性の心の中など、理解の範疇外なのは当然だが……国家が麻の様に乱れる程の混乱が生じるなど、到底信じられない。
それとアウレール王が僕を侯爵に叙して宰相に任命する?そんな事が、常識的に考えて有り得るのか?確かに宮廷魔術師筆頭への就任は望んでいるし、問題は殆ど無い筈だ。血筋は最下位に近いが、実績がそれを大きく上回る。
僕は軍属として宮廷魔術師として、戦争や復興支援を通じて筆頭に任じられるだけの実績は積んだし示した。
僕の宮廷魔術師筆頭就任の為の実績に、文句を付けてくる奴も理由も無いだろう。有っても精々年齢位だが、成人を迎えれば一人前だし過去に若年者が要職に就いた前例も多々ある。要は実力主義だな。
宰相については、聖戦の時の留守居役としての経験しか無く、結果は及第点だが実績はそれだけ。流石に文句を言われても、相手を納得させるだけの理由が無い。いや、無くは無いが薄い。強行すれば、しこりが残る。
今迄も宰相が不在でも国家運営は順調だったし、ここで暫く不在だった宰相を強引に任命するのはどうだろうか?絶対に必要か?居なくても問題無いと言われれば?満場一致は無理だが、アウレール王が決めたとすれば、イケるか?
最悪、宰相になっても仕事自体は並み程度にはこなせる自信は有る。今の立場も国王の補佐も何故か含まれているから、それの延長線上と思えば、まぁ大丈夫だろう。権限が増える位だし……
まぁ国政については、未だ納得出来る状況だし理由も分かる。僕が宰相就任を辞退しても、気が変わって受け入れても……何となく対策は分かるし対応も出来るだろう。
国益に沿った行動をすれば、反対派の反発も少なく抑えられる。軍部は掌握しているし、内政も上位陣とは懇意だ。末端の連中は相変わらず内心では反発しているだろうが、まぁ対処は可能だ。
「でも、ザスキア公爵は……」
次の言葉が、向かい側に座る、マリエッタの強い視線に飲まれて言えなかった。確かに最初の頃は、少年趣味の貞操の危機かとも思っていた。でも後からアレは擬態であって、政敵に対する欺瞞工作だと思った。
彼女程の女傑が、年下に現を抜かすとか、どんな冗談だと思ったんだ。当時は公爵五家は連携していなかったので、牽制し合っていたし水面下では足の引っ張り合いもしていただろう。
牽制し合っていたニーレンス公爵とローラン公爵が、ザスキア公爵を含めて協力体制を布いたのはつい最近だ。バセット公爵が失脚し、バニシード公爵が衰退した事も関係している。
まぁ利害関係の環境が整ったんだろうな……
得意分野が、軍事・内政・諜報と別れたのも良い意味で追い風になった。そこに僕の存在も僅かながら貢献はしているが、宰相に就任する程の功績ではない。そんなに簡単に宰相にはなれない。
僕が内政のトップを担う、ニーレンス公爵を差し置いて宰相になれば……彼の派閥構成貴族達からの反発は必至、反発しないで受け入れる方が異常だろう。既得権益を犯す連中に、貴族は過剰反応をするんだ。
貴族の既得権益に対する執着を甘くみたら駄目だぞ。国家に不利益を生じさせても、自分の利益は絶対に守る。それが一般的な貴族の考え方で、僕も恩恵を受ける身だから否定はしない。
ネクタルの権益を振りかざしてさ。色々と強引に推し進めているのだから……反対すれば、どの口が言うんだ?と非難されるだろう。
「納得しろとは言いませんが、可能性が高いと言う事は理解して下さい。人の心の闇とは、深く淀んで悍ましいものなのです。私も、恐らく団長も心に抱えた闇は深いですよね?」
そう自分の胸を指さして、そして僕の胸に手を添えた。軍属だし清廉潔白など言われても基本は国家の暴力装置だからね。
「闇か……そうだね、闇ね」
敵対すれば殲滅が基本的な行動方針だし、軍属だから敵兵を屠るのは普通の仕事とか考えちゃうのは駄目寄りの駄目なんだろうな。まぁ時代も情勢も、平和路線じゃ国が衰退するからね。基本外敵は徹底排除だ。
エムデン王国の前王が良い例だよ。賢王とか慈王とか呼ばれる事を望み、融和路線で外交を推し進めた結果が、バーリンゲン王国を増長させて国難を招いた。旧ウルム王国だって、弱腰国家だと甘く見て攻め込んだんだ。
侵略優先な国家は別の意味で駄目だったが、外敵には確固たる意志を示さないと舐められて攻め込まれる。そういう弱肉強食の時代だったけど、大陸のパワーバランスはエムデン王国側に大きく傾いた。
この優位性を維持するのが、今後の僕等の役目なんだ。無駄に領土拡張をせず、国力の増加に努め国内を安定させる。治安向上も急ぐ必要が有る。バーリンゲン王国の残党の対処も同時進行だぞ。
笑える位に忙しい。ある意味では、自分が宰相になって強引に政策を推し進めた方が良いって気持ちになってきたぞ。これ、駄目な思考だぞ。仕事中毒患者の考え方だよ。自分が全て抱え込んじゃう典型的な駄目な思考だ。
この考え方は保留、効率重視も有りだが負担が大き過ぎる。誰かに仕事を割り振る方向に切り替えないと自滅する。
「ふふふ、そうだね。万単位で敵兵を屠り、小国とは言え独立国家を消滅に追い込む程には、僕の抱える闇は深くて淀んでいる。でも、それでも幸せを望んではいけないとは思えないし思わない」
気持ちを切り替えて、今は自分と向かい合い、ザスキア公爵とリゼルの事を考えないと駄目だ。自分の幸せな未来の為に、何をすべきか。何を掴んで、何を切り捨てるか……
「そうです。その自覚が大切ですが、明確な悪ではないので問題無いと思いますわ。自分の幸せは、自分の努力次第です。要は自己満足なのですから、ある程度の線引きは必要ですが……私も団長も選択した内容は許容範囲内です。誰にも違うとは言わせませんわ」
リゼルさんも同じく許容範囲内、ですがザスキア公爵は一線を越える可能性も有りますからね。絶対に気を付けて下さいね。振りじゃないですからね。と念入りに言われた。
ザスキア公爵が、越えてはならない一線を越えてしまう?いや、そんな事は無いとは思うけど、思いたいけど……断言出来無い自分がもどかしい。違う意味でネクタル教の教祖っぽい立ち位置だし、信者は財力も権力も有る上級貴族が殆どだし……アレ?ヤバくない?宗教大戦争?
マリエッタが肩を竦めた。これ以上は今は考えても心配しても、どうしようもない。ですが『覚悟だけはしておいて下さい』と言われた。モアの女神様からも言われた。
覚悟?覚悟とは?なにか有った時に問題を解決すると言うか、排除するという意味の方が強い感じがした。
結局、僕とジゼル嬢との結婚式の打合せは、分厚いマニュアルを渡されて熟読しておいて下さい。と言われて終わった。分厚い、3センチは有るのだが?この内容を全て把握するの?
準備事項に当日の段取り、各行動についての細かい指示がビッチリと書かれている。この通りに進行しなさいって事なのだろうか?
介助として、新婦側にマリア院長が、新郎の僕にはニクラス司祭が付いて貰える事になったが、司祭級を介助にって凄いのだが?コレ、本当にモアの女神様が結婚式の最中に降臨しないよね?
「マリエッタ、モアの女神様に結婚式の最中に降臨しないように念押ししておいてくれ。凄く心配になって来た」
「女神に念押しなど出来る訳がないじゃないですか。私達は『モアの女神様の下僕』なのですよ」
良い笑顔と共に親指を突き上げてくれたが、それって強大宗教の教皇が言って良い台詞じゃないですからね。
◇◇◇◇◇◇
モア教の教皇、マリエッタとの話し合いを終えたが心配して同行してくれた、ニクラス司祭達に昨夜の教皇襲来の件を説明しなければならず客室に突撃してきた三人に取り囲まれています。
全員が笑顔を浮かべていますが、昨夜のモアの女神様の御降臨に気付いていない訳もなく、その辺についても確りと聞き出したいのが分かります。ええ、信仰の対象である女神様が自分のすぐ近くに御降臨されました。
絶対に自分もその場に居たかった。その場に居るだけで良かった。それが信仰に全てを捧げる聖職者の気持ちだろう。妖狼族の連中が、女神ルナ様に捧げる信仰心と同じかそれ以上だろうな。
「あのですね」
普段、慈悲深く優しい聖職者の鑑のような方々が、信仰心と教義と欲望の狭間で苦悩しているのが丸分かりです。僕は変な意味で慣れてしまったけど、本来は神に会えるとか奇跡でしかない。
高名な聖職者でさえ、生涯を信仰に捧げても『声が聞こえた』とか『神託を夢で授かった』とか一方通行的な話が一般的で会話が成立したとか到底信じられないだろう。
でも割と女神様達って……いやコレは考えちゃ不敬案件だから駄目だ。心の底に終い、墓場まで持って行く内容だな。
「それで、あの問題児教皇が私達に内緒で何をしていたのでしょうか?」
「神威を感じました。それは強大な神威を……私達が崇める女神像にも神威が宿る事が有りましたが、桁違いの神威を感じたのです」
「いくらモア教の総本山とはいえ、大聖堂でも何でもない宿屋が集まる一般の地区にです」
血走った目で壁際まで追い込まれた。司祭級の上級聖職者が、幼気な信徒に詰め寄るのは問題事案ではないでしょうか?などと冗談も言えない雰囲気です。どう切り抜けたら良いのか?
「えっと、それはですね」
事実は言えない。モア教は転生を否定していないと、イルメラから教えて貰ったが……マリエッタは何度も転生してるし、その都度、教皇になっている。
健全なモア教を運営する為に、モアの女神様の公認とはいえ納得出来るかどうかは別問題。モアの女神様から贔屓されていると感じられれば、強い嫉妬に晒されるだろう。
ニクラス司祭達は人格者なのに、この様な行動に出るのは……信仰心の厚さ。言い換えれば、推しの女神(偶像)を信奉する狂信者(ファン)といえば分かり易いだろうか?
高名なオペラの演者に対する熱心な後援者?
「違いますわ」
え?
「「「こっこれはモアの女神様っ!」」」
ニクラス司祭達が十字架を胸の前で抱え込んで跪いて祈り出した。壁際に追い込まれた僕に向かってじゃなくて、上の方に……目の前に清らかな光が差し込まれて、暖かな輝きに包み込まれる。
違う、そうじゃない。ニクラス司祭が『リーンハルト殿は、やはりモア教の女神様の使徒様なのですね』とか涙を流して祈らないで下さい。
シモンズ司祭も『今回の聖戦に対して、モア教は協力を惜しまず。信徒達よ、教義を守る者の為に手を差し伸べろ。モア教の安寧は、我等が守り手と共に……つまり使徒様ですね』じゃない。
マリア院長?『イルメラが、あの娘がモアの女神の使徒様の伴侶になるなんて……』って違います。伴侶は合ってますが、使徒の嫁ではないのです。
「モアの女神様?おふざけが過ぎませんか?」
「貴方はルナを崇める妖狼族の指導者ですが、モア教の公式な使徒でも有ります。『私達の守り手』なのですから使徒です。嫌なら現人神でも良いですわ」
三人が平伏し、僕は全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。酷い、あまりにも酷過ぎる。女神様本人からの使徒任命、こんな言葉を聞いたらニクラス司祭達がどんな行動を起こすか知りたくないです。
暴走、善意の暴走。この女神様の奇跡をどういう風に誤解だと常識の範囲に落とし込む事が出来るか?出来るかな?いや、するしかない。このままだと、モア教の総本山に軟禁されて崇められる未来しか見えない。
「よし、勘違いです。モアの女神様もお帰りになって下さい。後日、マリエッタから報告させますので……有難う御座いました!」
そう言って頭を下げる。仕切り直し、そう!一旦仕切り直しです!