バーレイ男爵夫人を何とか丸め込んで……いえ、説得して同意を得てリーンハルト様の屋敷に同行させて貰いました。
成り立て新貴族男爵が新貴族街に直ぐに屋敷を構えるだけでも異例なのに、また直ぐに貴族街に引っ越すと言った、身分相応と……
彼は宮廷魔術師第七席、全部で十二席有り九人居るのに新人で第七席は異例の待遇、同時期に任命された他の二人は第十一席と第十二席。
私もアシュタルも新貴族男爵の娘、本来なら伯爵扱いのリーンハルト様に嫁ぐのは難しい。
身分違いだし、そもそも側室とは家と家の繋がりの為に嫁ぐもの、彼が私達の実家と縁を結ぶ意味は薄い。
ですが私達には後が無い、お父様達はバーナム伯爵派閥の一員だから彼を逃がすと、アーシャ様の誕生日パーティーで恥を晒した男達の誰かに宛がわれる。
それは絶対に嫌!
あんな欲望丸だしでアーシャ様の側室の話を女々しく愚痴り反対意見を言ったのに、決闘で惨敗したり勝てないと分かるや黙り込む男達に身を任せるつもりは無いわ。
最初のカードは負けだった、だがあの程度で丸め込めるとは最初から思っていない。
「実は私達、エルナ様の御実家の動きについて情報を持ってます」
二枚目のカードを切る、グレース様を唆して動かした結果を……
「その件については僕も把握しています、アルノルト子爵本人と七男であるフレデリック殿の動きもです。でもそれは、この場で話す内容では無いですね」
チラリとエルナ様を見てから私を睨んだ、彼女の実家の不穏な動きを不用意に言うなって事だわ。
家族を大切にしている彼が第二の母親とまで言ったエルナ様を悲しませるなって意味だわ、これは完全に裏目に出た。
エルナ様の負い目を交渉に引っ張り出そうとして逆に牽制されてしまった、実の母親を暗殺した疑いの強い相手の動向の監視には力を入れているんだわ。
「そうですわね、配慮が足りなくて申し訳け……」
「リーンハルトさん、お父様や弟が何か良からぬ事を考えているのですか?」
エルナ様が話を遮って疑問をぶつけてしまったわ、少し困った顔をしたが直ぐに微笑んだ、私達に向ける笑みとは違う本当に思いやりの篭った笑みね。
「大した事では有りません、グレース様を何とか僕に嫁がせたくて悪戦苦闘中なだけです。
僕は既に側室としてデオドラ男爵からアーシャ様をローラン公爵からはニールを貰ってます。来年にはジゼル様を本妻として迎えるので色事は控えます」
ローラン公爵から女性を宛がわれた?聞いてない情報だわ、少なくともこの屋敷には居ない筈……
「ニールさん?リーンハルトさん、私は詳しくは聞いていませんよ」
はい、エルナ様。私達も聞いていません、公爵家から女性を宛がわれるなんて何か深い意味が有る筈だわ。
さり気なくアシュタルに視線を送るが小さく首を振った、情報を共有してるから私が知らなければ彼女も知らないわね。
「ローラン公爵の御家騒動絡みで少し縁が出来まして、褒美として世話をする事になりました。
幸い魔法戦士として適性が有り、今はデオドラ男爵に預けて鍛えて貰っています。
ジゼル様の護衛として来年一緒に屋敷に招く予定です、これはローラン公爵家の恥部でも有るので内密にお願いします」
ローラン公爵家のスキャンダルの解決を手助けしたのね、今は公爵五家の三位から四位に転落したけど影響力は健在だわ。
唇に人差し指を当てておどけたポーズで釘を刺されたけど、リーンハルト様は確実にエムデン王国の中心に食い込み始めている。
もう私達の手には負えないかもしれないわ、諦めるのは業腹だけど深入りは火傷では済まないかもしれない。
「アシュタル、少し良いかしら?」
「どうしたの、ナナル?」
作戦を練り直す必要が有るけれど今しかチャンスが無いのも事実、基本方針を変えなければ駄目だわ。
二人で化粧室に向かう、リーンハルト様とエルナ様を二人にするのは危険だけど贅沢は言ってられない。広い化粧室に二人で入る、流石に備品も豪華だわ。お世話係のメイドにお願いして部屋から出て貰う。
「どうしたの、ナナル?今席を外すのは良くないわよ」
「基本方針を変えましょう、あの少年魔術師は私達では手に負えない、欲を張ると大火傷だわ」
時間も少なく準備も不完全で挑んだ今回の交渉、二枚目のカードも大負けした。あと一枚しか切れるカードは無い、そして使い方を間違えれば取り返しがつかない。
「二人で側室は無理って事かしら?妾にでも希望を落とすの?」
実際に妾は悪手なのよね、側室と違い妾は寵愛が無くなれば捨てられる、普通は三十歳前に手切れよね。
備え付けられた椅子に座り鏡を見れば焦る女が写っている、彼には欠点が殆ど無いから普段と同じには攻められない。
「妾は駄目よ、長くて十年で捨てられるわ。それと私のギフト(能力査定)で調べたのだけれど、驚く事に前回より数値が五割増しだわ」
「一ヶ月間ドラゴン種狩りをしてたって噂は本当なのね、宮廷魔術師第七席は伊達じゃないわね」
二人して黙り込んでしまう、時間が掛かれば怪しまれるし、どうしたら良いの?
「私達の能力を買って貰うのはどうかしら?幸い私達には商才が有るし貴女のレアギフトも有るわ。尽くす代わりにパトロンとして私達を囲って貰うの、ただの妾ではないわ」
「最長十年で稼げるだけ稼いで捨てられても悠々自適な生活が送れるわね、猶予が有れば寵愛を受けられるチャンスも有るかしら?」
身内に優しい、つまり裏を返せば懐まで入り込めば突き放す事は出来難いかしら?
「それしかないわね、幸い資金は潤沢な筈よ」
宮廷魔術師としての年金にドラゴンの売却額を考えれば金貨十万枚は軽く越えてる筈だわ。
「今迄の私達の伝手を使えば色々と商売が出来る筈よね」
方針は決まった、側室となり安寧で怠惰な生活は無理でも私達のスキルを生かせる仕事を任せて貰えれば成功よね。
◇◇◇◇◇◇
二人連れ立って化粧室に向かう才媛二人を見送る、絶対何か企んでいるな。側室に迎えて欲しいとかだろう、人気者だが損得勘定が前提だから素直には喜べない。
「リーンハルトさん、インゴの事ですが……」
「はい、取り敢えずは彼のストレスを緩和する事から始めましょう。騎士団員としての力を蓄えるのは次のステップですね」
先ずはインゴを取り巻く環境の改善だ、僕の見立てでは精神面が結構弱い、気弱で内罰的で追い込まれると自棄になり自滅するタイプだ。
優しさは時に弱さに近い場合が有る、父上や僕が手助け出来る内に矯正しなければ騎士として生きては行けない。
「実は見合いを申し込まれる事が多くなりました、インゴは少し女性が苦手な子ですから中々上手く行きません」
エルナ嬢の困った顔での告白はまさかのインゴへの見合い話か……
ああ、そう言えば手紙で受けた相談はインゴの側室話だったな、あの二人が同行したので話が逸れてしまった。
お茶を飲もうとカップを取ろうとしたが、サラが冷えてしまったからと新しく煎れ直してくれた。熱々の紅茶を一口含んで気持ちを落ち着かせ考える。
インゴへの見合いの申し込みの半分は僕への繋がりを持ちたいからだろう、本人は無理でも弟なら何とかなるって話だ、全く嫌になる。
「バーレイ男爵家に利益となる繋がりが持てるならば歓迎すべきでしょう。インゴは少し人見知りだし消極的だ、女性を問題無くエスコートするのは難しいかな?」
エルナ嬢が紅茶を一口飲んだ後に盛大に溜め息を吐いた、マナーに煩い彼女にしては珍しい態度だな。
「全くリーンハルトさんは女性の扱いに慣れ過ぎです、アーシャ様の誕生日パーティーの件とメディア様とのお茶会の件は貴族の子女達の間で噂になってますよ。
インゴもリーンハルトさんの一割でも女性の扱いに慣れてくれたら良かったのに……」
え?あれは貴族的な振る舞いで普通の筈で、誰彼構わずに手を出してないし期待させる真似もしてない。
「エルナ様?その噂の内容を教えて下さい」
笑顔が固まっているのは仕方ない、顔の筋肉が制御出来ないんだ。エルナ嬢が動揺したのか目を伏せた、これって言い辛い事なのだろうか?
「その、ダンスがお上手で運良くお相手させて貰った女性達は羨望の的らしいですわ。
ですが自らダンスパートナーに申し込んだのはホスト役としてエロール様と最愛の婚約者のジゼル様だけ。
何故他の咲き誇る華達を誘わないのかと聞けば、心の花園に咲いた大切な一輪の華だけで良いとか……リーンハルトさんはロマンチストなのですね」
ぐはっ!そんな噂が流れてるのか?確かに言ったがロマンチストとか言われると恥ずかしい。
自分的にはリアリストを気取っているのに周りからの評価は真逆とはな。
けしてロマンチストが悪い訳ではないが戦場でもロマンを求めるとか誤解されたら嫌だ、魔術師とは常に冷静で最善の判断を下さなければならない。
そこに根拠の無い夢や希望的要素を盛り込んでは駄目だ、少なくとも前線で戦う指揮官ならね。
戦意高揚とか戦う意義とか建前的な事は更に上の連中が判断し実行するんだ、新人宮廷魔術師の僕は当然だが前線行きだろうから、この評判はマイナスだな。
色事と戦争を分けて判断してくれる人は少ない、一緒に混じると厄介だ。
メディア嬢のお茶会の噂も同様だろう、聞きたくないが聞かないと対処出来ない。
「もう一つの噂の方も教えて下さい」
引き攣る頬の筋肉を何とか制御下に置いて笑いかける。
「こちらはもっと凄いですわ。同じバルバドス塾に所属するメディア様の為に、彼女に降り掛かる厄災や無理難題を颯爽と解決するのに見返りを求めない高潔なナイト様。
唯一求めた事は、彼女からの労いの言葉だけ……まるで物語の中の姫と騎士の様な関係と、貴族に生まれた女性ならば一度は憧れるシチュエーションですわね」
正直私も年甲斐もなく憧れてしまいましたわ、とか赤面して言われてしまった。
実際は色々な力関係や貴族の柵と保身が複雑に絡んだのと、複数の出来事が混ざって盛られた話なのに……
「それは色々と話が盛られて大袈裟になってますよ。ですがメディア様はニーレンス公爵の令嬢、距離の置き方には注意が必要なのです」
これ以上、巷の噂話を聞くのは僕の精神が持たないので話題を変えるか。
「インゴの側室候補ですが前に僕が会ったベルニー商会のルカ嬢と、モード商会のマーガレット嬢はどうですか?実家の商会も中々の規模ですし」
エルナ嬢は僕の為にと探してくれたが状況が変わった、新貴族男爵なら平民の娘でも側室に迎えられたが今の僕は宮廷魔術師で待遇は伯爵扱い。
豪商とはいえ彼女達を側室には無理だ、エルナ嬢も考え込んでいる。
「僕はライラック商会を御用商人としています、彼等は僕との繋がりを求めて娘を差し出した。
でも繋がりなら弟のインゴでも若干弱いが問題無い筈です、僕も弟の為にならライラック商会の顔を潰さずにベルニー商会やモード商会とも接する事が出来る」
幼い二人の少女の事を思い浮かべる、確か未だ八歳か九歳だから年齢的には釣り合う。
僕もライラック商会を一番だという立場で、弟の為にと彼等に接触出来る。エルナ嬢の面子も潰さずに双方丸く収まる筈だ。
まぁ彼女達がインゴを気に入るかは……インゴの頑張り次第だな、二人共に器量も良いし性格も悪くない。貴族令嬢よりは打ち解けやすいだろう。
「それは私も考えて二人にそれとなく話したのですが……」
言葉を濁したが何か問題でも有るのかな?条件的には悪くない筈だ、宮廷魔術師の家族と縁が持てるのだから。
貴族の柵(しがらみ)を嫌う僕でも家族の為なら何とかしたいと思う、これが血の繋がりって奴か……
「色良い返事が貰えないのですか?」
幾ら豪商とはいえ、仮にも貴族からの申し入れに難色を示す事があるのか?父上は聖騎士団の副団長だし兄の僕は宮廷魔術師だぞ。
「その、二人共リーンハルトさんに憧れに近い恋慕が有るみたいで凄く悲しそうな顔をして、私も無理強い出来ませんでした」
「ああ、それは彼女達の心情というか、何と言うか……」
幼い故に純粋な好意にエルナ嬢も罪悪感を感じて強く言えなかったのか、だが僕は年下過ぎる彼女達を迎えるつもりは無いのだが。
純粋故に本心から断られたインゴが可哀相過ぎる、エルナ嬢と二人無言で溜め息を吐いた。