翌日、予定より少し早く屋敷を出て王宮に向かう。昨日の内に謁見の希望は出しておいたので、アウレール王の空き時間に呼ばれるだろう。
昨夜は久し振りに、アーシャと浴室で励んでしまったからか?集団添い寝の拘束が激しかった。抱き付かれて殆ど身動き出来ず、寝てから起きるまで身体を全く動かせなかった。
肩周りと腰に違和感が有る、つまり肩凝りと腰痛だ。簡単なストレッチをして、イルメラにマッサージを頼んで漸く軽くなった。転生して得た若い肉体も、筋肉痛には勝てないが回復は早い。
素晴らしき十代の肉体かな!
「「「おはようございます、リーンハルト様」」」
「うん、おはよう」
執務室に到着、元気の良い声の揃った挨拶に出迎えられる。今日は若手だけの日か。イーリンにセシリア、オリビアの三人。彼女達は仲が良い。
年長組で既婚者の、ロッテとハンナには淑女としてのライバル心が有るらしいのだが詳細は知らないし聞かない。女性達の交友関係に嘴を突っ込む愚は犯さない。
テキパキと留守中に来た親書や仕事関連の書類が纏められている。お祝い関係が一段落し、戦時下故に自粛して舞踏会等の華やかなお誘いが減ったので助かる。
「本日の急ぎの決裁書類です。あと頼まれていた貴族街の地図ですが、貴族院から届いています。貴族間で公開出来る内容になってますので、所有者が空白の屋敷も多いですわ」
「嗚呼、高貴なる上級貴族の別宅には見目麗しい淑女が人知れず住んでいるとか、良からぬ会合に使う誰の所有か分からない秘密の屋敷とかだろ?」
この嫌味に、セシリアとイーリンがニタリと笑った。彼女は空白の部分も知ってるのだろう、誰が誰を囲っているとか密会してるとか。同好の士の秘密の会合とか、碌な事じゃない。
貴族の既婚の淑女達の浮気は実際に多くはないが全く無い訳じゃない。そして秘密の逢瀬を商業区とかではしない、危険過ぎて出来ない。バレたら離縁、下手をすれば首が物理的に飛ぶ。
旦那や本妻の留守中に相手の屋敷に行く剛の者(愚か者)も居るが、直ぐにバレて問題になる。馬鹿だよな、執事やメイドが本来の主に秘密にする訳が無い。密会って意外に難しいんだよ。
この条件だと僕の新貴族街の最初の屋敷は、周囲からどう見られているのかな?今は誰も住んでない、ニールの家族は他にこじんまりとした屋敷を買って与えたし……
「イーリン、ザスキア公爵に面会の申し込みをしてくれ。多分だが朝から部屋に突撃して来ると思うけど、礼儀は必要だよね」
親しき仲にも礼儀有り。今日は重要な話し合いだから、来るのを待つ訳にもいかない。一緒に、アウレール王に謁見して欲しいんだ。
「はい、承りました。漸く派閥貴族達との会合が終わりましたので、今日は出仕されていて……」
「リーンハルト様!久し振りに構って下さいな」
イーリンの言葉が終わる前に、本人がノックも無しに扉を開けて入って来た。思わず二人で見詰めてしまったが、ザスキア公爵も何か失敗しました?的に見詰め返して来た。
フリーダムなお姉様だが、実年齢は三十代前半。見た目は若い頃から『治癒の指輪』を装備し美容に力をいれていたので、二十代後半でも通用する。
そんな彼女に『ネクタル』の実験台として十歳位若返ってほしいのだが、上手く交渉出来るか分からない。僕には苦手な部類だが、何とか説得するしかない。
「えっと、その……少し相談事が有りまして、良かったら話を聞いて下さい」
微妙な空気を払拭する為に大きな声を出したが、どもってしまった。わざとらしくて白けてしまう、反省。
「ええ、分かったわ。何でも大船に乗った気で相談して大丈夫よ、何とでもしてあげるわ」
気を使ってくれたのか?気安い態度で内容を聞かない内から了解しちゃったけど、それは駄目だって口が酸っぱくなる位に僕に教えてくれませんでしたか?
ん?どうしたの的に見詰めてくれますが、僕等の間でも気安い口頭での約束事はしない。安請け合いはしないって、言いませんでしたか?
オリビアに紅茶を頼んで向かい側に座る。今日は凄く楽しそうな感じだけれど、何か良い事でも有ったのかな?派閥構成貴族達との会合が終わって一段落ついたから?
ソファーに横座りで寛ぐ姿は自分の屋敷の中みたいな気安い感じだが、だらしなく見えないのが凄いんだ。普通ならだらけている感じなのに不思議だな。
「最近は忙しかったみたいですが、落ち着いたみたいですね」
「そうね。派閥構成貴族達と領地からの陳情とかかしら?後は私はウルム王国に行かないから、手柄を立てるチャンスが無いとか色々ね」
この話題を振ったのは失敗だったか?少し疲れ気味に言ったが、その表情に怒りは無い。ザスキア公爵自身は、バーリンゲン王国の平定という功績が有るけれど連れて行った配下の連中も殆ど活躍していない。
他の公爵四家の派閥構成貴族はウルム王国に参戦しているか、これから参戦する。戦場は手柄を立て易く、そして危険な場所なんだ。だが貴族として参戦出来ない事は、面子絡みでも少し問題か?
諜報を司る、ザスキア公爵の派閥構成貴族だが好戦的な連中も居るみたいだ。エムデン王国の治安維持に必要だから残しているのだけれど、理解していない?
いや、ウルム王国に旧コトプス帝国に恨みが有るとかじゃないかな?前大戦は被害を受けた貴族も多い、恨みを晴らしたいが参戦出来ないじゃ納得しないか。
彼等が相手にするのは、旧コトプス帝国の残党に雇われた傭兵団。直接的な復讐相手としては不満だな、宥めるには対価が必要で頭から押さえ付けるだけじゃ反発する。
全く旧コトプス帝国の、リーマ卿の謀略は嫌らしい。今回で残党共は一網打尽にして滅ぼさないと駄目だ、逃がすと苦労する。ネチネチした嫌がらせは精神にクるんだ。
派閥構成貴族の話に僕が何か言える訳もないし、何か相談されたら対応すれば良いのかな?
「盗賊ギルド本部の代表である、オバル殿から魔法迷宮バンクの最下層に眠る宝物について情報提供が有り調べました。盗賊ギルドの代表に代々伝わる話らしく、今回僕が最下層を攻略する事になったので教えてくれた……建て前で、本音は宝物が欲しいから何とかしてくれって感じだったのかな?」
微妙にニュアンスを変えてボカす。ザスキア公爵の顔が途中から怖くなったのは、僕を騙して上手く使おうって感じたからだと思う。
目がスッと細くなり僕を見ていないのは、盗賊ギルド本部の情報を思い出しているのだろう。彼女は情報を司るから、実は盗賊ギルド本部とも深い繋がりが有るのだろうか?
オバル殿の感じだと違うんだよな。もしザスキア公爵と繋がりが有って、僕と彼女の関係性を知ってて利用しようと動いたのなら……
能力に疑問符が幾つも付く、若返りに固執し馬鹿な行動をしたんだ。今後の関係に罅が入る程の愚行だよ、気を付けた方が良いよ。ザスキア公爵は甘くないからね。
「宝物ね?リーンハルト様を焚き付けるだけの品物なのかしら?」
「最初は焦りました。洗脳系マジックアイテムに不老不死の妙薬、手に入れただけで色々と邪推される品物ですから……」
所持してるだけで反乱の意思有りと言われても言い訳が難しい。だが非難されても、相手を洗脳しちゃえば解決だ!なんて簡単じゃない。
話が広まれば対策されるし広範囲に多数を洗脳出来る訳でもない。モリエスティ侯爵夫人のギフト『神の御言葉』だって耳元で囁かないと駄目だし一回に一人にしか掛けられない。
秘匿して、ここぞって場合に使うから効果が有る。最悪の場合だと屋敷ごと焼き討ちして殺す。洗脳を防ぐならば、常識や倫理は通じない。誰しも無条件で操られるなんて断固拒否だ。
ザスキア公爵も事の大きさに少しだけ考える素振りを見せたが、話の進め方から本物じゃないと思ったのだろう。だがそれに類する危険なマジックアイテムの可能性は残している。
視線で続きを話せと促されたが、イーリンを残してオリビアは退室させた。無所属の彼女が知ってしまう危険性を避けた、彼女の優しさだな。イーリンは腹黒いから聞かれても大丈夫、そう言う判断だ。
その彼女も僕の考えが分かったのか、軽く睨んで来た。バーリンゲン王国に同行した時に思ったが、イーリンとセシリアは淑女らしからぬ胆力の持ち主だな。
「見付けたのは『全能者の王冠』で、装備すると全ての望みが叶った幻覚を見せるのです。装備者は外せず夢を見続けて、幸せの中で衰弱死する。呪われたマジックアイテムです、洗脳系とか誤報でも酷いですよ」
「うーん、夢の中では神にもなれる。だから全能者なのかしら?でも外せず夢を見続けるって、どんな意味を持たせて製作したのかしら?」
製作の意味か……悪意しか無いだろう、敵に送り装備してくれれば勝手に暫くして衰弱死する。暗殺用にしては優し過ぎる、死ぬ前に夢で願いを叶えるか?
かといって善意で製作したにすれば、外せないってどう言う事だ?夢を見させるのは良いが、止められなければ意味が無い。仮に止められても、現実が上手く行ってなければ夢に逃げる。
つまり身の破滅の時間が伸びるだけ。悪意は有りで善意は無い、後は作り手の希望だけで使用者の事は考えていない。これが一番しっくりくる、つまり製作者の自己満足。
「善悪は別にした製作者の自己満足、僕はそう思います。危険なマジックアイテムには変わりないので、アウレール王に献上して厳重に保管して貰うのが一番かな?」
「そうね、アウレール王には必要になるかもしれないわね」
え?小声だったが確かに聞こえたぞ。コレが、アウレール王に必要になる?国王が夢に逃げるなど有り得ないんじゃないかな?他に用途が有るのか?
罠として敵に使う?いや、今更ウルム王国の連中に贈った所で使ってなどくれないだろう。まぁ死蔵する使えないマジックアイテムだし、深く考えなくても良いかな。
「二つ目の不老不死の妙薬ですが……」
「ネクタルね?不老にも不死にもならない、でも少しだけ外見が若返る。非常に希少なポーションで、流通は殆どしないわ。王族や侯爵以上の連中の参加する、秘密のオークションに年に一回程度出品されるのよ」
不老不死のキーワードだけで、ネクタルに辿り着いた。しかも一年に数回、それも侯爵以上しか参加資格が得られない秘密のオークション?
僅かながらでも流通しているのか?だが魔法迷宮バンクじゃない、肉塊を倒したのならば『全能者の王冠』も持って行くだろう。
つまりエムデン王国じゃない他国から流出して、王族や上級貴族達のみが参加する秘密のオークションで高値で取引されているのか。
空間創造から一つ取り出して、ザスキア公爵に渡す。丁寧な手付きで、金色に輝くネクタルを調べている。彼女も一本位は、オークションで落札したのかな?
「本物みたいね。私でも毎回オークションに参加するけど、落札は出来ないのよ。落札価格は金貨五万枚を超えないけれど、裏で参加者達に辞退させるのに五十倍近い金貨が必要になるから」
五十倍?落札価格が金貨五万枚なのに、根回しと裏工作に金貨二百五十万枚?それは領地持ちの侯爵以上じゃないと無理だ。落札価格は意図的に抑えて、他でライバルを出し抜く。
財力だけじゃなく権力や交渉力も無ければ入手は不可能。殆ど王族の方々が手に入れるんじゃないのかな?金を積むだけじゃ無理、厳しいな。
オバル殿ではオークションの存在自体を知らないだろう。だからあやふやな言い伝えだけで愚行に走った、結果は僕が得をしたと思ったけど微妙だぞ。
「私も実物に触ったのは初めてなのよ。落札者は奪われない為に落札後直ぐに代金を支払って、その場で飲んでしまう。だから効果だけは知っているのよね」
慎重に興味深くネクタルを調べている。ザスキア公爵程の力が有りながら入手出来ない、それを大量に所持する。使えなければ意味が無いし、どうするかな?
「落札後、直ぐに飲む。つまり参加者は高貴なる淑女ばかりですか?」
予想と大分違う、未発見なポーションじゃなくて王族や上級貴族達には知られている希少な若返りのポーションか。年に一本位じゃ劇的に若返らないから、そんなに疑われない。
これは定期的に入手可能とかになれば、どんな手を使っても手に入れたい連中が近付いてくる。しかも上級貴族の淑女達ばかりがか?
良かった、アウレール王に相談する前に情報を得られて本当に良かった。知らずに相談していたら、色々とヤバかったかも知れない。下手をすれば、王族の女性陣から総攻撃とか笑えない。
「持ってるだけで危険なポーションなんですね。じゃ早く無くす為に、ザスキア公爵が飲んで下さい」
「え?駄目よ、貴重な若返りのポーションなのよ。簡単に飲めって言われても、ハイそうですかって飲みません!」
流石は淑女の中の淑女、どこかの盗賊ギルド本部の代表と違い簡単に飲んだりはしない。勢いに任せても無理、入手に必要な条件がキツ過ぎるよ。
あれだけ欲しがっていたと言っていたのに、ネクタルを僕に返そうとする。そこに僅かながらの葛藤も無い、凄い自制心だ。そんな彼女だから、僕は安心して全てを伝えられる。
欲望を抑えられる自制心、流されない強い心、少しも悩まず躊躇わず、だから正直に大量に所持していると教えられる。他の者には言えない、イーリンは目を閉じて耳を塞いだ。
君も凄いよ、欲望に流されそうとか心が負けると思ったからこそ、躊躇無く情報を遮断したな。本当にザスキア公爵が腹心として扱うだけの事は有る、だから気を強く持ってね。
「ネクタルですが実は未だ有るので、遠慮無く飲んで下さい。そして共犯者として、一緒に考えて欲しいのです。この後どうするのか……」
取り敢えず二十本程、テーブルに置いた時点で彼女も静かに丁寧に手に持っていたネクタルをテーブルに置いた。そして目を閉じて耳を塞ぐって?
「ザスキア公爵、何をしているのです?」
「これが『全能者の王冠』の効果なのね?知らない内に装備していたなんて、確かに呪われたマジックアイテムだけど私は負けないわ。ネクタルなんて無い、そんな物を欲しがる程、私は弱くないわ!」
「いえ、幻覚でも幻聴でも有りません。ネクタルは実在し、僕は百本以上持っています。入手は困難ですが、定期的に手に入れられる手段を構築しました。だから、これから有効活用するにはどうするか?それを相談したいのです」
「ふふふ、百本?定期的に入手可能?馬鹿な、そんな事が本当ならば私は死ぬまで永遠の二十代。歴史にその名を刻めますわ」
「ええ、貴女が望むなら百本でも二百本でも手に入れてみせましょう。ですから安全に使える体制を構築したいんです!使用者が危険に曝されない、何か上手い方法を探したいんです」
その後、珍しい事に彼女が正気を取り戻す為に要した時間は一時間だった。イーリンは早々に自分の殻に閉じ籠もり、現実世界への復帰は同じく一時間も掛かった。
ネクタルは想像以上に危険で扱い辛いポーションだが、それでも頑なにザスキア公爵は飲まなかった。一本位ならって気持ちが芽生えなかったのか、鋼の自制心で耐えたのかは分からない。
アウレール王の時間が開いたので予約していた謁見は昼前になったのだが、同行をお願いした彼女は未だ微妙に本調子じゃない。ネクタルの相談は次の機会に延ばした方が良いのかな?