古代魔術師の第二の人生(修正版)   作:Amber bird

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第735話

 今日はエムデン王国宮廷魔術師第三席『慈母の女神』ラミュール殿の希望により王都の巡回を実行する。彼女は市井の民との触れ合いをしたがった。

 比較的市井の民と交流が有る、僕の巡回に同行したいと頼まれた訳だが……僕だって冒険者の時とは違い、今は特定の平民達としか接していないし不用意に街中を彷徨っていないのだが……

 ラミュール殿は貴族令嬢だが宮廷魔術師としての役職を持ち王宮で働いているので、屋敷の奥深くに囲われてはいない。だが職場以外で平民と触れ合う事などない。

 王宮で働く平民など殆ど居ない、居ても庭師や下級官吏や下働きで彼女の行動範囲には居ない。女官や侍女は全員身元の確かな貴族令嬢だから。

 何故、市井の民との触れ合いがしたいのかイマイチ理由は分からなかったが、考え方は悪くは無い。彼等を粗略に扱わないって事だから。

 殆どの貴族は『我等は選ばれし貴種』だからと、平民達を蔑む。確かに支配階級ではあるが、権利には義務が有り施政者は領民を慈しみ守る事が必要なんだ。

 私達サイコー!平民は言う事を聞きなさい!逆らえば処罰よ!みたいな貴族令嬢も若干だが居る、ラミュール殿は良い部類の淑女だろう。

 まぁ宮廷魔術師として国家と国民の為に働いているのだから、その守るべき国民を虐げる本末転倒な事などしないのが普通だけどね。

 そんな普通の事が出来ない連中も結構居る。さて、ライラックさん達の仕込みは上手く作用しているだろうか?心配はしていないが、予想外な事は良く有る事だから……

◇◇◇◇◇◇

 ラミュール殿達とは王宮内の中央広場で合流した。お供は、ガトラム殿とペパルニ殿の二人。全員が騎乗しているが、ガトラム殿のみ完全武装だな。ラミュール殿とペパルニ殿は魔術師のローブを羽織って杖を持っている。

 普段は感情表現を余りしない御姉様なのだが、今日は凄く楽しそうだ。ガトラム殿は気合い十分、ペパルニ殿は既に疲労困憊みたいで肩で息をしているが何が有ったの?

 仕えし姫と同僚のはしゃぎっぷりを止めるのに既に疲れたのか?これからが本番だぞ。視線を送れば弱々しく笑って頷いたが、彼はストッパーとしては役立たないかも……

 ああ、日差しが強い。雲一つ無い快晴、風も無く穏やかだ。この陽気と同じように、穏やかに終わって欲しい切実に……見上げた空は爽やかだな。

「お待たせしました、ラミュール殿。では行きましょうか?」

「はい!楽しみですわ。昨夜は期待感が溢れて、中々寝れませんでした。リーンハルト殿は何か黄昏ていませんか?」

「そ、そんな事は無いですよ。基本的には巡回警備ですから、そんなに期待はしないで下さい」

 年上の淑女が童女(どうじょ)みたいに楽しそうに笑っている。普段はクールなのに、ギャップにやられたのか配下の男二人はデレデレだよ。ペパルニ殿の疲労も吹っ飛んだみたいだな。

 今回も同行する護衛として王宮警備隊が、此方も完全武装で十騎が待機している。アドム殿は不参加、変わりにワーバッド殿が彼等を率いる。別の巡回警備の予定が有り、どちらが同行するかで揉めたらしい。

 その勝者が、ワーバッド殿の部隊なのだろう。皆さん誇らしげに胸を張っている。実際に最近は王宮警備隊の中で模擬戦を繰り返し、実力の底上げをしている。良い事だが、生傷が絶えないみたいで困る。健康管理、大切ですよ。

「では出発しましょう。貴族街と新貴族街はそのまま抜けて、商業区と住居区を回ります」

「はい、早速出発です。さぁさぁ急ぎましょう!」

 いや、杖を振り回さないで下さい。流石は治癒系の魔法を得意とするだけあり、手に持つ杖は見事な銀細工を施した品の良い観賞用みたいなデザインだな。

 同じ水属性魔術師の、ウェラー嬢の杖は髑髏と骨をモチーフにした禍々しいデザインだった。まぁ治癒系じゃなく毒系を得意とするから、それはそれで有りなのだろうな。

 うん、僕のカッカラは善悪のどちら側にも傾いてない中立だな。どちらの杖も魔力が付加された業物だが、ラミュール殿の杖には回復魔法の効果を僅かに上げる機能が付いているのか。

 苦笑いをしながら先を行く先輩宮廷魔術師殿の後を追う。最初から飛ばしていては体力が持たないですよ。騎乗は徒歩より楽だがバランスを取ったり姿勢を保持するのに割と力を使う。

 後ろから見た所、騎乗のスキルは普通な感じだな。彼女は馬車での移動が多いのかも知れない。護衛の観点から言えば、騎乗して身を晒すより馬車の中で視線から隠れて欲しいんだ。

 国家の力の象徴、大陸最大国家の宮廷魔術師第三席殿だから魔法障壁も強力だし早々攻撃は効かないだろう。だが油断や慢心は危険だ、魔力は図抜けていても本体はか弱い女性だから。

「リーンハルト殿、遅いですわ!」

「落ち着いて下さい。巡回なのですから、ゆっくりと周囲を確認して回ります」

「でも貴族街や新貴族街は、他の巡回警備の隊が居る筈です。各派閥からも人員を出していますから、さっさと抜けても大丈夫ではないかしら?」

 あーうん、そうですね。巡回警備は勅命として、王都に住まう全ての貴族に知らせたからな。ラミュール殿も詳しく知っている訳だ。彼女は、ザスキア公爵の派閥に鞍替えしていた。

 多分だが『新しい世界』の信者であり、ネクタルの存在も何となく教えて貰っているだろう。ザスキア公爵が、ラミュール殿を仲間に引き込まない訳がない。

 永遠の若さ、この誘惑から逃れる事は難しい。特に見目の良い年上の淑女は、若い全盛期の自分を知り尽くしている。老いて劣化するだけの自分の姿に我慢出来るか?

 無理だ。若返りの秘薬が定期的に手に入り、仲間達全員がその恩恵を受けられる。仲間割れや裏切りなど有り得ない、数が限られるならば独り占めしたがるが……

 だが既に三百本以上確保しているし、これからも入手可能。安定した供給が出来る。何より五歳若返った、ザスキア公爵本人からの話だぞ。これ以上の証拠は無く、無理に詳細を根ほり葉ほり聞ける立場でもない。

 若い旦那、永遠の若さ、同じ境遇の仲間(同志)達、鋼よりも硬い結束だが……問題は王族の女性達だな。彼女達は複雑な敵対関係が絡み合っていて、仲間になり得ないし独り占めとかも平気で考える。

 それでも、ザスキア公爵と仲間(信者)達は負けないだろう。アレは尊き血筋だけじゃなく、権力と財力と実力を兼ね備えた才媛(怪物)の群れだぞ。

「どうしました?難しい顔をして考え込んでしまって?思考の海に沈むのは私達魔術師の性ですが、今は遠慮して下さい」

 軽く袖口を掴まれて、引っ張られたので覚醒した。本当に注意はしていても思考に没頭する癖は治らない、困ったものだな。

「ああ、申し訳ない。別件で悩みが有りまして……いえ、僕如きが悩む必要もない方々なのですが……その、気を付けます」

「リーンハルト殿が、如きですか?」

 不思議そうな顔をしたが、貴女と貴女達の教祖様の事で考えていたのですが、余計な御世話だと思い直して諦めました。この件はスルーします。

 急かす彼女を宥めつつ貴族街を進む。流石に宮廷魔術師上位二人の歩みを止める者など居ないし、各派閥の巡回も実施されて安心だ。予定通り計画通りに巡回しているな。

 ラミュール殿が突出しない様に並んで進む。ガトラム殿とペパルニ殿が直ぐ後ろに付き、ワーバッド殿と王宮警備隊がその後ろに続く。二列で規則正しく進んでいる。

「あれ?彼女は確か、クリストハルト侯爵の家臣だった……誰だっけ?ドラゴン討伐の時に絡んで来た」

 少し前に此方を向いて待ち構える女性騎士と思われる、全身鎧を纏った女性が佇んでいる。僕等を凝視しているから、用が有るのだろう。

 だがいち早く気付いた、ワーバッド殿が配下二人と共に先に近付いて行く。先に要件を聞いて、場合によっては排除だろう。

 む、何かしら言い合っているが一歩も引かない気迫を離れていても感じる。つまりは陳情、僕等が領民の陳情を聞きに行く事は広まっている。

 平民の願いを聞いてくれるなら貴族の私もって事か?離れていても視線が合ったのは、僕に対して陳情が有るんだ。ワーバッド殿が引き気味?そんな内容なのか?

「リーンハルト殿、彼女はクリストハルト侯爵家の騎士ですね。確か、リリィ殿です」

「ええ、思い出しました。クリストハルト侯爵の御息女、フランシーヌ嬢付きの騎士ですね。ただ前と雰囲気が随分違う気がします」

 前回会った時は、僕の事をフランシーヌ嬢を誘拐にきたか逢い引きの相手かだと勘違いしたんだ。慌てん坊のお人好しな感じだったのに、今はワーバッド殿に一歩も引かずに何かを訴えている。

 しかも任務に忠実で厳つい彼が、明らかに狼狽している。話の内容が大事なのか、彼女の気迫に飲まれたのか?追い払えないし力ずくでは躊躇する理由が有るんだな。

 これは話を聞いた方が良いだろう。何となくだが、このまま追い払うと後で問題になりそうな気がするんだ。ラミュール殿も何かを感じたのか、僕の次の行動を黙って見ている。

「リリィ殿ですね。お久し振りですが、何か僕に用が有るのですか?」

「リーンハルト様、申し訳有りません。直ぐに説得しますので、暫くお待ち下さい」

「いや、構わない。話を聞こう」

 ワーバッド殿が追い払うじゃなくて説得すると言った。つまり理由を聞いてしまったので単純に追い払えない、説得するしか対処は無いと思ったんだ。

 馬上から見下ろす形となってしまったが、改めて見る彼女は前とは別人だ。強い意志の籠もった視線、全身傷だらけ鎧兜も傷だらけ。これは実戦の傷だ、鍛錬では付かない。

 そして身に纏う覇気が凄い。フランシーヌ嬢の対応の件で、僕に文句を言いに来たとかじゃない。僕でも分かる、相当の修羅場を潜って来たんだ。その覇気に、歴戦の強者のワーバッド殿が気圧された。

「リーンハルト様、お久し振りで御座います。単刀直入にお願い致します。私を雇って下さい」

 片膝を地に付けて頭を下げた。今気付いたが、彼女は武器を持っていない。丸腰で僕に直訴しに来たんだ。だが彼女は、クリストハルト侯爵家の家付きの騎士だから簡単に派閥替えなど不可能だぞ。

「ふむ、理由を聞いても?クリストハルト侯爵家に仕える貴女が、簡単に派閥移籍など出来ないでしょう」

「クリストハルト侯爵家とは縁を切りました。今は個人的に、フランシーヌ様に仕えていますが……フランシーヌ様は、自らトラピス修道院にお入りになられました」

「え?彼女がトラピス修道院に?ヘルカンプ殿下の側室話は無くなった筈では?だから修道院に行かなくても良かった筈ですよね?」

「実は……」

 リリィ殿の話を纏めると、クリストハルト侯爵は資産確保の為に彼女を金持ちの子爵の元へ嫁がせようとした。相手は五十代の既婚者、幼女愛好家の変態だ。

 彼女は反発し、リリィ殿に協力して貰いトラピス修道院に逃げ込んだらしい。一度逃げ込んでしまえば、例え侯爵家でも彼女を取り返す事は難しい。

 それはモア教に真っ向から喧嘩を売る事と同義、国教であるモア教の修道院に対して力ずくで奪い返すなどすれば信徒から猛反発を食らうし最悪は破門だ。

 お家再興の努力もせず後継者と放蕩三昧し、資金が足りないからと我が子に年の離れた相手との婚姻を強要する。リリィ殿はクリストハルト侯爵家を見限り、フランシーヌ嬢をトラピス修道院に連れて行った。

 まさに忠義。これを聞いてしまっては、ワーバッド殿も無下な対応は出来ずに困ったのか。武人には堪らない話だが、彼女の豹変はそれだけじゃない筈だぞ。それに今の話と僕に雇われたいは繋がらない。

 あくまでも仕えし主は、フランシーヌ嬢であって僕は雇い主。お金を稼ぐ為なら他にも方法が有るのに、何故に僕に直訴してまで頼る?待遇は良いかもしれないが、断られる可能性の方が高いと思わなかったのか?

「フランシーヌ嬢の辛い状況は分かりましたが、僕に雇われたいとは?今の貴女ならば、別に僕ではなくても条件の良い雇われ先は有るのでは?」

「トラピス修道院の最大の出資者であり庇護者は、リーンハルト様です。フランシーヌ様が自ら修道院に行った責任は私に有りますので、少しでも影響力の有る貴方の所で働きたいのです。フランシーヌ様は、私なんかの為に。くっ、うう……」

 うわぁ、両手を大地に叩き付けて慟哭している。だが泣きながら話す理由を聞けば、彼女を突き放す事など無理だ。クリストハルト侯爵と後継者の無能っぷりと駄目さ加減は振り切れてるな。

 まさか娼館で女遊びをする資金が無くなったから、配下の女性を手込めにしようとしたなんて……しかも、リリィ殿に親子で襲い掛かった所を彼女が助けに入った。

 だが父親である、クリストハルト侯爵は娘を殴り飛ばした。相当酒を飲み泥酔していたらしいが、それでも最悪な行動で弁解の余地など無い。我が子に暴力を振るう、しかも家臣を守る幼子にだぞ。

 主を害された、リリィ殿がクリストハルト侯爵と後継者を殴り飛ばし、そのまま屋敷から逃走。着の身着のままで、トラピス修道院に逃げ込んだ。そして力を蓄える為と資金稼ぎの為に、魔法迷宮バンクに籠もり鍛錬した。

 当然だが追っ手は放たれたが全て返り討ちにしたのか。まぁ没落し派閥構成貴族など居ないから、大した人材は送れない。クリストハルト侯爵め、配下の女性に強引に迫るとか悪行以外の何ものでもないぞ!

 全然反省してない、更に堕落し乱心もしてる。取り潰し待った無しだ!クリストハルト侯爵と敵対している僕に雇われて追っ手を退けたい。そして主である彼女の為に資金を貯めて、何時か自由の身に解放してあげたいか……これ、僕に断る選択肢は無いな。

 ワーバッド殿もラミュール殿も、ガトラム殿やペパルニ殿まで同情して何とかしろって気持ちを視線に込めて僕を見てる。ラミュール殿など涙を流してる、気持ちは分かるよ。

 忠義の臣だ。しかも逆境に身を置いた所為で、武人としての才能も開花した。感覚的には王宮警備隊の隊員と同格以上か?逆境は人を成長させる、良い意味でも悪い意味でも。

 トラピス修道院には、メルル嬢もハイゼルン砦に捕らわれていた女性達も居る。少し警備体制を見直して、援助を増やすか。リリィ殿を派遣し警備させるのも有りか?ゴーレムを併用すれば、小規模な砦位の防御力にはなる。

「良いでしょう。リリィ殿を雇いましょう。任務はトラピス修道院の警備と伝令係、僕の影響力が強いなら、政敵共が手出しをしそうだしな」

「有り難う御座います。必ずや、トラピス修道院と修道女達を守ってみせましょう!」

 リリィ殿を派遣するには院長のマリア様とも相談が必要だが、確かに不用心だった。女性だけの修道院など、僕の敵対者からすれば格好の的だから早めに気付けて良かった。

 ラミュール殿も嬉しそうなのだが、僕ばかりに陳情が行くのは納得出来ないと少し拗ねたみたいだ。次は私が解決しますから口出し無用と言われてしまったぞ。

 リリィ殿は取り敢えず僕の屋敷に行って待機してくれと頼んだ。証拠にドライを同行させたから大丈夫だと思うが、アーシャが同情して何かと世話を焼いてくれるだろう。だから取り敢えずは任せても大丈夫かな。

 


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