古代魔術師の第二の人生(修正版)   作:Amber bird

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第845話

 デンバー帝国領内に侵入し、ザンドの街のモア教の教会のショーニング司祭に接触した。現状は想定より悪い、既にデンバー帝国に元殿下の存在はバレている。

 周辺に多数の隠密の存在を確認。脅威にはなり得ないが数が多い。夜間に行動を起こしては間に合わないだろう。理想は奴等に踏み込まれても、元殿下は居なかった。

 これならばモア教の影響力を考えても、侍女達が残されていても言い逃れは出来る。侍女達は修道女になりたくて門戸を叩いたので受け入れた、それで終わり。

 

 亡国の王族に仕えていたとしても侍女では大した情報など持っていない。仮に元殿下を逃がしたとしても、既に何処に居るかも分からない知らないと言えば終わり。

 モア教の庇護下に居るのだから、彼女達の事は心配しなくても良いだろう。それは、ショーニング司祭が対応する事でエムデン王国の、我が主が悩む事でもない。

 司祭と別れて薄暗い廊下を進む。モア教の教会は信徒に開かれてはいるが、その内部は単純な造りではない。逃げ込んだ者達を匿う為の部屋も有る。

 

 つまりは窓が無く、出入口は一ヵ所だけ。端から見れば軟禁されているとも思われるかも知れない。だが逃亡者は身を隠せる場所の方が落ち着く、外から見られる場所などお断り。

 二つ先の部屋なのだが幾つかの角を曲がる。廊下が真っ直ぐじゃないのも同じ理由、少しでも侵入を遅らせて気配を感じ易くする為。だが私には無効、気配など感じさせないのだから。

 問題の部屋の前に到着、会話が聞こえるので扉に耳を付けて内部の様子を確認する。子供特有の甲高い声、どうやら問題の元殿下が何か騒いでいる。

 

『このままじゃウルム王国の再興なんて出来ないじゃん!モア教は国政に口を出さないんだから、助力など期待出来ない。そうだよね?』

 

『落ち着いて下さい。確かにモア教は国家間の紛争には協力しません。今回は聖戦という名目でエムデン王国に協力しましたので、私達の祖国の復興には協力は出来ないのです』

 

『ですが私達の安全は約束して下さいました。情勢が落ち着くまで、暫くは身を隠して……』

 

『暫くって何時まで?落ち着くって事はエムデン王国の占領政策が完了したって事だよね?それじゃ遅いんだ。僕達は、今直ぐ動く必要が有るんだ』

 

 む?馬鹿な、祖国の復興が可能だと本気で思っているのか?直ぐ動く必要が有るとか馬鹿なのか?追われている身で、匿って貰っている状況で行動を起こす。

 それは、匿ってくれているモア教に多大な迷惑を掛ける事だと理解しているのか?声に感情の苛立ちを強く感じる。もう我慢の限界って所だろうか?

 それに応える侍女達の声にも若干の苛立ちや不満を感じる。幾ら仕えし相手とはいえ亡国の元殿下、見返りなど全く望めない相手に今でも良く尽くしていると逆に感心する。

 

 だがそれも今日で終わり。貴女達は今この瞬間から自由。

 

 ドアノブに手を掛けて確認、当然だが鍵は掛かっている。簡単なスライド式の錠前、罠解除の技能も磨いている私なら簡単。袖口から短刀を取り出し、扉の隙間に差し込み閂を切断。

 音も無く抵抗も感じず、閂を切断し扉を開く。突然の侵入者に唖然とする元殿下と侍女達、空気を吸い込み悲鳴を上げる前に殺気を放ち黙らせる。

 吸い込もうとした息を強制的に止められた、身体が固まって息をするのも忘れたみたいに動かない。そっと元殿下に近付いて顎を軽く殴り脳を揺らして脳震盪を起こさせる。

 

 これが一番確実で時間が掛からない。首の後ろを叩く場合、頭蓋骨と首の骨の結合は強固で相当な衝撃を与えないと無理。私の場合、普通に首を刎ねてしまいかねない。

 鳩尾への打撃、これは痛みで悶絶して気絶だから子供に対しては非情過ぎるので却下。左右の頸動脈を同時に締めれば脳虚血にはなるが数秒を要するので、侍女達が騒ぎ出しかねない。

 故に脳震盪を起こさせるのが正解、多少の痛みや後遺症は申し訳ないが命に別状はない筈。倒れる身体を受け止めるが軽い、素早く猿轡を噛ませて手足を紐で拘束する。

 

「あっ貴女は……」

 

 漸く目の前の現状に思考が追いついたのだろう。恐々と問いかけてきた。腰が抜けて座り込んでいるし恐怖で縮こまっているので、騒ぎ出す心配は必要なさそう。

 彼女達にも状況を説明しておく必要が有る。説得は、ショーニング司祭が責任を持つと言ったが判断する為の情報は多い方が良いだろう。これも慈悲の心、イルメラさんならそうする。

 私は他人の心の機微に疎い。そういう事を教えて貰って無い、不要だからと切り捨てた感情。でも今は不完全な私が好きだと言ってくれた、主様の為に自分自身を替える努力をする。

 

「落ち着く。私はエムデン王国宮廷魔術師第二席、リーンハルト卿の配下。元殿下をエムデン王国に迎える為に来た。貴女達の存在は既にデンバー帝国に知られている。今夜にでも押し込んでくるだろう。

ショーニング司祭にも説明し納得済み、彼はエムデン王国で確保する。貴女達はモア教の修道女として庇護して貰える算段になっているから安心して良い」

 

 不完全で甘い説得、だが何も言わずに拉致れば彼女達とて騒ぎ出す。それは状況の悪化でしかなく避けるべき事態、未だ僅かに時間的余裕は有る。今は彼女達の説得に時間を割く。

 だが言葉だけでは判断材料になり得ないのだろう。ここで元殿下を奪われたら今迄の苦労とか王家への忠誠心とか色々と折り合いが付かない、自分を納得させる理由が欲しい筈。

 簡単なのは先程の親書を見せる事だが、生憎親書はショーニング司祭の手元に有る。取りに戻る時間的余裕は無いし、今は彼女達から目を離せないし……どうする?

 

「あ、貴女は本当にリーンハルト卿の配下なのですか?ベルヌーイ殿下の身柄はどうなりますか?私達は本当に助かるのですか?」

 

 身分の証明に元殿下の今後、自分の心配を最後にした事は評価を上げる。人間、切羽詰まれば自分の事が最優先なのが普通だから。最後まで元殿下と行動を共にするだけの忠誠心は有る。

 どうにもならない状況なのは、薄々理解しているのだろう。つまり私は、彼女達の判断の後押しをすればよい。主様の目的に沿う様に、彼女達が後悔はすれども仕方なかったと心を静める理由を与えれば良い。

 元殿下が自分勝手で未来の無い行動をしていた事が助かる。本来なら母親に甘えている年頃だから仕方ない?大目に見ろ?ははは、御冗談を言わないで欲しい。王族の義務とは……

 

「身分の証拠として貴女が判断出来るか分からないが、これが我が主様から頂いた短刀。柄の部分に家紋が彫ってある。元殿下の件は正直分からないが、聖戦の後始末としてモア教に配慮するから命は助ける。

多分だが軟禁か幽閉だろう。貴女達の今後については、ショーニング司祭が責任を持って対処する。我が主様からの親書も、彼が持っている。後で見せて貰えばよい」

 

 恐る恐る短刀を受け取り柄の家紋を確認している。我が主の家紋は、それなりに有名。偉大なる大魔導士ツアイツ・フォン・ハーナウに憧れて、彼の家紋と同じ鷹の意匠を施したものを家紋にしているから。

 古代魔術師、そう我が主様も古代の魔法を現代に復活させた古代魔術師なのだ!彼女も家紋を見て指で触って確認して『本物だわ』と呟いた。他の侍女達も覗き込んで確認している。

 私の身元の確認は出来た。次は元殿下の今後の事、心残りが無い様に薄れる様に誘導する。今は絶対不可能な妄言を撒き散らし自分達を困らせる存在、それが恩が有り仕えていた者だとしても。

 

「彼の行く末を心配するならば、エムデン王国に身柄を引き渡した方が安全。デンバー帝国に引き渡しても祖国奪還の手助けなどしないし、万が一成功しても紐付き政権が誕生するだけ。

それにエムデン王国は負けない。今引き渡せば彼の事は配慮出来る、でもデンバー帝国に条件を付けられて引き渡された場合、どうしても負の感情を向けられる。つまり待遇が悪くなる。

それは当然、仮想敵国のデンバー帝国に利する事しかしない者に、好意的な者などいない。最悪は幽閉からの事故、だが今ならモア教への配慮と、我が主様の力添えで……」

 

 ここで言葉を区切る。後は想像に任せるのだが話の流れ的に良い意味に取る、言質は取らせず想像で勝手に判断させる。私には、アウレール王の考えは分からない。

 だが数年はモア教に配慮する形で軟禁に近い幽閉だろう。そして噂が風化した辺りで事故を装って亡き者にするか?それは今言う事ではない。彼女達も命が助かり待遇も良くなるなら仕方ない。

 そんな考えに移った事が分かる。もう一押し、もう一押しで陥落する。渡していた短刀を受け取り腰に差す。これは私の宝物であり御守りでもある。

 

「我が主様はマインツ領の復興支援に来ている。元殿下は我が主様が身柄を引き取る、つまり分かるな?」

 

 何が?とは言わない。事実を言うだけで、彼女達の想像の内容までは責任を取れない。主様に余計な負担も掛けられない。まぁ多分だが身内にさえ被害が及ばなければ優しく甘い方だから大丈夫だろう。

 

「その、宮廷魔術師と言えば……エデンバラ砦で私達を見逃してくれた若い魔術師の方はどうなりましたでしょうか?命の恩人の名前も知らず、恩返しも出来ない事が心残りで……」

 

「あ゛?」

 

 屑男め。確証が取れたぞ、言質を取ったぞ。お前、やはり女好きだから敵を見逃したな。この苦労は全て屑男の責任だな。そうなんだな、殺すぞ、必ず殺すと書いて必殺だぞ。

 なんとか殺気は留めたが口調が少し変だった。私の様子に何かを感じたのだろう。侍女が思いつめた顔をしている。あの屑男に御礼だと?要らぬ、不要、罵声を浴びせるだけで良い。

 何故、そんなに思い詰めた顔をする?貴女達の今後の不安を少なくする為の説明はしているだろう。不安がる要素は低くなっている筈、そう誘導しているのだが失敗したのだろうか?

 

「彼は宮廷魔術師の末席、フレイナル殿だな。貴女達を見逃した事は公になってしまい罰として、我が主様の元で復興支援を手伝いにマインツ領に来ている」

 

「そうなのですか?近くに来られているのですね。お会いする事は可能なのでしょうか?」

 

 何故、両手を胸の前で組んで幸せそうな顔をする?この状況で屑男に会いたいとか、頭の中に花が咲き乱れているのか?おが屑でも詰まっているのか?理解不能、訳が分からない。

 だが他の侍女達も嬉しそうにしている。両目を擦って再度見ても同じ、不可解な。知らない内に幻術にでも掛かったのか?いや、それは無い。つまり事実として、彼女達は屑男に好意を抱いている?

 体調も体力も精神力も万全な筈なのに、この世の不条理を見せつけられている様で辛い。多分だが辛い逃避行の中で自分を助けてくれた屑男に好意を抱いたのだろう。可哀そうに……

 

「現状、この教会も国境も見張られている。貴女達がエムデン王国領に入る事は不可能。身柄の安全の為にも、暫くはモア教の修道女として此処で働く必要が有るので……今は無理」

 

 却下しようとしたが、その絶望に染まった顔を見て言えなくなってしまった。私も甘くなってしまったのだな。昔の私だったら無言か拒絶だった筈。

 あんな屑男でも、彼女達からすれば自分達を見逃して助けてくれた恩人なのだろう。ずっと辛い逃避行、仲間の侍女の死、そんな中で下心満載でも助けてくれた屑男の存在に縋るのか?

 色恋沙汰は不可解、ウィンディアさんの言葉通り。私には理解の及ばない世界が有る事は理解した。理解はしたが納得も共感もしない。我が愛は、主様だけに向ける。意中の相手の差が有り過ぎて、哀れ過ぎる。

 

「そうですか。では助けて頂いた私達が無事に逃げ出せた事をお伝えください。ユリアーネは……残念ながら志半ばで亡くなりましたが、私達は生き延びましたと」

 

 そう言って全員で深く頭を下げた。あの屑男が命の恩人、そして結果として我が主様に迷惑を掛けている。あとは私が荷物(元殿下)を届ければミッションは完了、尻拭いも完了。

 彼女達も元殿下の事は、エムデン王国に引き渡す事が『現状での最良の選択だった』と認識した。端から見れば裏切りかも知れないが、彼女達が関係者だったとバレなければ問題は無い。

 これからはモア教の修道女として安寧に生き延びて欲しい。もう会う事もないし、屑男に会わせる事も無い。せめて余生を穏やかに過ごせる事を祈っている。

 

「分かった(多大に文句と実力行使を含めて)伝えよう。この後の事は、ショーニング司祭と良く話し合ってデンバー帝国の連中に対応して欲しい」

 

 荷物(元殿下)を肩に担いでギフトを発動。いきなり消えた事に驚いた彼女達を残して部屋を出る。予定より少しだけ時間を掛けてしまったが最良に近い結果だと思う。

 あとは一秒でも早く、我が主様に荷物を届けるだけ。私を褒めてくれる、我が主様の顔を想像すると少しだけ心が温かくなってくる。侍女達に配慮した件も伝えよう。

 屑男に伝える筈だった事も、主様に伝えよう。結果的に屑男に伝わらなくても構わない。上司に報告した事で、彼女達への義務は果たし屑男に八つ当たりをする。

 

 不完全な人として正しい行動をする。はやくイルメラさんにも報告して褒めて貰いたい。

 

 思わず抱える腕に力が入り過ぎたのだろうか?荷物が呻き声を上げたので迷う事無く睡眠薬を嗅がせる。最後の詰めを誤る訳には行かない。作戦の完遂が私の任務だから……

 

 

 


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