「アドル君、あなたにお客様よ」
外から聞こえてくるアイラの声に、アドルはベッドを離れて部屋を後にする。スラフから来客の存在を事前に聞かされていた以上、アドルがそれに慌てることはない。いつもの軽装に着替えておいた彼は、声がした診療所の入口の方へと歩いていった。
「あなたが嵐の結界を越えてきた男の子?」
「はい、それだったら僕が……」
そう広くはない診療所を歩けば、アドルはすぐに客人の下へと辿り着く。かけられた声にそれが自分であると反応しようとしたアドルであったが、その言葉は呆けたように開きっ放しになる口から空気中へと消えていった。
アイラの深蒼とはまた違う趣の蒼髪。その絹糸のように透き通る質感と輝きを、顔を隠すように纏ったフードから覗かせる女性を捉えて、アドルは思わず言葉を失う。今までの彼が生きてきた人生で出会った女性の中で、一切の誇張抜きで最も美しいと断言できるその人間離れした美貌に、さしものアドルも動揺せざるを得なかった。そんな人が何故会ったこともない自分に用があるのかという疑問も抱えながら。
「あら、あなた……」
「え、えっと……?」
固まるアドルを揶揄うように柔らかく微笑む女性であったが、彼女はアドルの顔を今一度認識すると何かを思い出したと言わんばかりに口元に手を当てる。それから、まじまじとアドルの顔を見つめ始めて黙り込んでしまった。予想外の連続で動揺が収まらないアドルは、彼にしては珍しくどもった様子だ。
「ごめんなさい、あなたが知り合いに似ていたからつい」
「いえ、大丈夫、です」
数秒の沈黙の後に紡がれるのは、よくあるナンパの手口に近しい何か。アドルも何度か街で受けたことがある文言に、アドルはぎこちなく言葉を返す。失礼のないように取り繕った敬語を後付けしながら。
慌てていたアドルは、女性の表情が活発な町娘たちのそれとは大きく違っていたことに気付くことはなかった。
「ふふ、もっと気軽に接してもらっていいのよ? そうしてもらった方が私も嬉しい」
「そ、そういうことなら……」
薄く憂いを宿していた顔色を元に戻して、女性は軽やかにアドルの領域に踏み込んでくる。彼女の奔放さに翻弄されるアドルはすっかりたじたじだ。用件も何も分からぬまま、ただただアドルが揶揄われる時間が過ぎていく。
「レアさん。若い燕を見つけてはしゃぐ気持ちも分かるけど、アドル君困ってるわよ?」
「あら、確かに彼はかっこいいけど、そういうつもりじゃないわ」
そんな折、思わぬ方向からアドルに助け船が入った。いつまで遊んでいるのかと呆れた声色のアイラの言葉に、蒼髪の女性──レアは悪戯がバレた子供のように無邪気な笑みを浮かべる。そして、再三その空のような蒼い瞳をアドルへと向けた。
「では改めて。私の名前はレア。今はミネアで詩人をやっています」
万人が見惚れるような笑顔と共に、レアは自身の名をアドルに告げる。エステリアの運命を変える出会いが、今ここに果たされた。
「へぇ、アドル君はずっと一人で旅を?」
「まだ始めて一年しか経ってないけどね」
客間のような部屋に通された二人は、出された紅茶に手を付けながら会話を弾ませる。お互いに自己紹介を済ませた後は、アドルの旅路に興味を持ったレアに自身の約一年間の冒険について話していた。自ら口にした通り詩人であるレアは、その話に面白そうに食いついている。美人から斯様に興味津々に話をせがまれるアドルも悪い気はしていない。
「えっと、それで結局レアさんは何故僕に会いに?」
しかし、未だにアドルはレアが訪ねてきた理由が分からない。ついこの前まで普通に船が行き来していたのであれば、別段アドルのような外の人間が珍しいわけではないのだ。事実として、嵐の結界の影響で帰ることが出来なくなった外の人間は、ミネアの街に大勢存在している。だからこそ、焦れたアドルは話も一区切りついた今のタイミングで、楽しそうに笑うレアに対して口火を切った。
「実はアドル君にお願いしたいことがあって」
「お願いしたいこと?」
そして、返ってきたのはアドルにとって予想もしていなかったことだ。見当もつかない言葉の真意に、アドルは貰った言葉をそっくりそのまま返しながら首を傾げた。
「先日、知り合いの占い師が言っていたの。"もうじき、嵐の結界を越えて一人の剣士がやって来る"って」
居住まいを正して行われるレアの説明。レアの言う、"嵐の結界を越えてやってきた人間"が自分であることは明白だ。場の雰囲気が引き締まったことを感じたアドルは、自分も姿勢を正しながら話の続きに黙って耳を傾ける。
「"その者、燃えるような赤き髪を携えて、振るう銀閃にてエステリアの災厄を払わん"」
「それって……」
占いを諳んじるように紡ぐレアを見て、アドルは何か言いようのないものを感じたような気がした。未曽有の災害を解決する鍵が自分であることに。つまりは大きな冒険の気配を敏感に感じ取って。
「嵐の結界を越えてきた赤毛の剣士。ミネアの酒場でそんな人の噂が聞こえて来た時、私は運命だと思ったわ」
熱で浮かされたような表情のままレアは語る。自分たちに降りかかる災厄を払う人が、その可能性を持つ者が確かに現れた。その事実に、ある種使命のような決意を抱いてレアはここにやって来たのだ。他ならぬ自分がアドルの水先案内人にならねばならないという思いを抱いて。
「嵐の結界を始めとした異常は今もエステリアを蝕んでいます。今は危機に立ち向かう人々のおかげでどうにか凌げてはいますが、それも少しずつ攻勢を増していく悪意にやがて倒れてしまうでしょう」
続けて語られるのは、もうこの地にあまり時間が残されていないという余命宣告。まだ見ぬエステリアの地に根付く極大な悪意が、この地に終焉を齎そうとしている。想像していたよりもずっと壮大な話に、アドルは思わず息を呑んだ。
「元凶を絶たねばなりません。首謀者の名はダルク=ファクト。彼の者を打ち倒さなければ、その魔手はエステリアを越えて世界へと広がっていくでしょう」
「その役目を、僕に……?」
何処か、心の何処かで事態を甘く見ていたアドルが、震えた声でレアに尋ねる。その声の震えは僅かな恐怖と、それを塗り潰すほどの好奇心で満たされていた。隠せない冒険心に確かな炎が宿り燃える。
「ふふ、アドル君はやっぱり男の子ね」
彼の元来の優しさから生まれる正義感と醸成された冒険心を、レアはアドルの表情から手を取るように読み取る。命の危険があることも分かっていて、なおも笑っているアドルを見るレアは、固くなっていた雰囲気を霧散させて彼と同じように微笑んだ。断られるかもしれないと不安になっていたことも馬鹿らしくなってしまったらしい。無邪気な子供を相手にするように、その時のレアの声色は優しかった。
「手伝ってくれるってことでいいのよね?」
「僕にできることなら」
身を乗り出して食い付いてくるアドルに、レアは更に笑みを深くする。もう大人の一員であるのに、その真っ直ぐな心は幼子のようだ。そんな赤毛の剣士の姿に、蒼髪の詩人は明るい未来を感じた。
「それじゃあ、アドル君。また明日ミネアで会いましょう。詳しい話は協力者も交えてしたいから」
門の前で待っているというレアの言葉に、アドルはしっかりと頷くことで返事とする。燻ぶっていたアドルの極大な想いは今確かに爆発した。赤毛の少年の長い長い冒険の人生は、今改めて幕を上げたのだ。
どもったアドル君、実は盗賊のアジトに行ってすぐに帰る選択肢を選ぶと見れるんですよね。そして、条件満たすとウィンクしてくれるレア様の印象が強すぎて、今作の彼女はこんな感じのキャラ解釈に。翻弄してくるお姉さんキャラ良いですよね。