「じゃあ…慎二。お前はどうだ。」
言峰と話をつけた後、今度は慎二に向き直る士郎。
「………」
ためらいを見せる慎二。
「どうした。時間が無い。早く答えてくれ。」
再びナイフを慎二に向ける。
距離はそう離れていない。士郎の射程圏内だった。
「………僕は。」
慎二が言葉を出そうとする。
しかし、最初から彼の答えなど1つしかない。
より正確に言うならば彼に選択権など無い。
いくら教会についてからの彼が元の衛宮士郎に近かろうと、脅された事実は変わらない。
彼は自らの意志ではなく、士郎に強制されてここに来たのだから。
いつだって、彼は強者の食い物にされる役回りだ。
今回だってそう、士郎に脅され、ついてきてしまった時点で、彼の回答は決められている。
選択権があったとすれば、それは脅された瞬間のみ。
抵抗して惨めに死ぬか、命可愛さでみっともなく生き残るか。
どちらを選ぼうと、彼が望む選択など無かった。
故に、ここでも答えは決まっている。
『僕は勿論、お前に協力するよ。』
そう言わなければならない。
言わなければ殺される。生きるためには従うしかない。
それが、彼の選択。
哀れな道化の役目。茶番を演じることでしか、存在を示せない負け犬の証。
それはここでも変わらない。間桐慎二は変われない。
彼は、このまま、一生 ――――――――――――――――――
「…………………………いや、そうじゃないだろ。」
そう、呟いた。
「え?」
士郎が疑問を向ける。
「そうだ。違う、違うだろ。僕がすべきことはそんなんじゃない。」
「…慎二?」
その後、少し間をおいて、慎二ははっきりと答えた。
「悪いな衛宮。少し考えさせてくれ。今すぐは答えられない」
そう言って、教会を後にしようとする。
「待て、今ここで決めろ。そうじゃないと。」
しかし、そこで引く士郎ではない。一瞬で距離を詰める。
慎二を肩を掴み、強引にこちらを向かせ、その喉元にナイフを向ける。
「お前、自分の立場分かってるのか。さっき、なんでも言うことを聞くっていっただろ。」
顔を近づけて小声で言う士郎。
どうやら体裁上、言峰には気づかれたくないようだ。
「……………」
ナイフを向けられたことで、再び怯えた目になる慎二。
これで終わり。
少年の静かな反逆も圧倒的な暴力の前ではただの虚勢に過ぎない。
結局どこまで行っても、負け犬は負け犬だった。
しかし、
「い、いい…いいぜ。やれよ。殺すんだろ。」
それでも、負け犬にだって意地がある。
桜の死。それが何か変えたのだろうか。
目の前の負け犬は、それでも歯を食いしばって虚勢を張り続ける。
「ぼ、僕を殺したら、お前の計画ってのは
自らの命を盾に、自らを守る。
矛盾しかない。一見、自暴自棄とも取れる行動。
相変わらずみっともない。かっこよさのかけらもない。
しかし、
「ッ!…それは…」
しかし、それこそ士郎が最も予想しえない行動だった。
慎二は基本、自分より強いものには弱い。
だからこそ、出合い頭に精神的にも状況的にも優位を取れば彼は絶対に従う。
最早友人に対する考えとは思えない、冷静に相手を分析した結果の合理的な行動。
そしてそれは成功した。慎二は士郎に従った。
だからこそ、この展開は彼にとって予想外だった。
慎二の存在は、
だから暴力による屈服という、1番従う確率の高い方法を取った。
しかし彼は見落としていた。
自らが殺意を向けた対象は、自らが1番殺してはならない相手だということを。
「うるさい!いいからここで決めろ!」
士郎が叫ぶ。
分かっていても、それでも素直には手を離せない。
なぜなら
「…安心しろよ。お爺様に言ったりなんかはしない。」
「!!」
これが最大の理由。
慎二は少なからず臓硯とつながりがある。
加えて、先刻の宣戦布告により、臓硯は警戒を強めているかもしれない。
わざわざ士郎がここまで慎二を連れてから話したのはこの為だった。
ここならば臓硯の監視は無く、情報が洩れる心配も無い。
だから、ここで慎二の回答が曖昧なまま開放するのは、あまりにもリスキーだった。
もし慎二が臓硯にこのことを話せば、今度こそ間違いなく敵視される。
そうなっては、士郎に対抗できる手段はなかった。
信用できるわけがない。裏切るに決まっている。
「ふざけるな!そんなの信用できるか!!…こうなったら。」
怒り任せに慎二をぶん投げる士郎。
「がっ!」
近くのベンチに体を打つ慎二。
「衛宮…お前…」
すかさず馬乗りになり、ナイフを振りかぶる。
「これが最後だ。今ここで俺に従うか決めろ。従わないなら殺す。」
冷たい声で問う。
しかし、冷酷なのも外面だけ。
その声には先ほどまでの落ち着きは無く、迷いに満ちていた。
恐怖で泣きそうになりながらも、慎二は必死で答えた。
「答えは変わらない!少し時間をくれ!チクったりもしない!本当だ!!」
「…………分かった。」
変わらないなら仕方ない。別の手段を考えるのみ。
それ以上に、情報が漏れることの方が致命的だ。
そう思って、ナイフに力を込めた。
――――――――心を、鉄に
「待て、そう猛るな衛宮士郎。」
「…!」
いつの間に後ろに居たのか。振りかぶった士郎の腕を、がっちりと掴む言峰。
「ここは神の御前だ。間違っても、血を流すことなど許されない。」
そう言って、士郎を慎二から引き剥がす。
「ぐっ!」
反対側のベンチに転がされる士郎。
そんな士郎を歯牙にもかけず、慎二に向き合う。
夕暮れの近い外から、ステンドグラス越しに光が流れ込んでくる。
薄暗い教会が、ほのかな朱色の混じった光に照らされる。
それはある種、神秘的でもあった。
「神父さん…どうして…」
よろめきながらも立ち上がる慎二。
そんな慎二に、神父は言葉を紡ぐ。
「…行け、間桐慎二。煩悶は若き者の特権だ。大いに悩み、そして導き出すがいい。正しい答えではなく、自らが求める答えをな。」
「……………僕の…答え…」
それは、迷い子に調べを与える神父そのものだった。
「…………分かった。悪いな、神父さん。」
そう言って、外に向かう慎二。
教会の重い扉に手をかける。
そうして、外に出る直前、
「明日には答えを出す。それまで待っててくれ。あと、お爺様に言ったりはしない。それだけは、誓って言うよ。」
そう言い残して、外へ駆け出して行った。
「くっ…うぅ…」
少しして士郎が立ち上がる。
表情は怒り。目の前の男を殺さんとさえする強い怒気。
「言峰ぇ…お前…」
それが一気に吐き出される。
「ふざけるなよ!何故慎二を逃がした!あいつが臓硯に言えば、それだけで終わりなんだぞ!その為にわざわざ……」
これが本音。彼は最初から慎二を信頼しちゃいなかった。
「ふっ…」
しかし、そんな士郎の怒りを気にもせず、先ほどと変わらない楽しげな表情の言峰。
「何がおかしい!お前だって殺されるかもしれないんだぞ!」
そんな言峰の態度にますます腹が立ったのか。語気を強める士郎。
その姿は焦燥を孕んでいた。
「今すぐ追いかけて殺さないと…じゃないとすべてが無駄になる…」
そう言って、慎二を追いかけるため扉の方に向かう士郎。
そんな士郎の背中に、氷のように落ち着いた一言がかけられる。
「やはりあの傷をつけたのは貴様だったのだな、衛宮士郎。」
士郎の動きがぴたりと止まる。
「…………気づいていたのか。」
「確信に変わったのは今だがな。全く、自らで傷つけておいて、治療を乞うなど…」
「お前には関係ないだろ。それより、今は慎二をどうするかだ。」
しかし、彼にとってそれは些事にすぎない。
本命はその行為を通して慎二を服従させること。
最早傷つけたことに対する罪悪感など、彼の心に残ってはいなかった。
「なるほど…これは重傷だ。見込みがあると思ったが、ただの思い過ごしだったようだ。」
神父は心底残念そうに呟く。
ぶつん
そこで、何かが切れた。
「…何がだよ、言峰。言えよ、言ってみろよ!!」
我慢の限界が訪れたのか。ナイフを携えたまま言峰に突進する士郎。
「うおおおおおお!!!!!」
火の玉のように、瞬時に距離を詰める。
迷いはなかった。今までの苛立ち、憤りを全てぶつけようとする。
狙うは心臓。ここを穿たれて生きていられる人間などいない。
刃が言峰の体に突き立てられようとする。
だが、
「フッ!!」
それは一瞬だった
ナイフの軌道を手の甲で逸らす言峰。
「え?」
急に軌道をそらされれて、士郎が大きく体制を崩す。
そんな士郎の勢いを利用して、そのまま祭壇の方へ放り投げる。
「うわっ!!」
ごろごろと床を転がり、祭壇の下部に背中を打つ。
受け身も取れず、激しく体を打つ士郎。
「げほっげほっ、がっ!?」
激しく咳き込む暇もなく、胸ぐらを強く掴まれる。
「ぐぅぅ…は……なせ…くそっ…」
ジタバタともがく士郎。しかし抵抗は何の意味もなさなかった。
力の差は歴然。いくら不意打ちまがいの突撃とはいえこの男には通用しない。
言峰はそのまま士郎に語り掛ける。
「お前は1つ勘違いをしている。」
その表情には彼には珍しく怒りがあった。
「お前は、衛宮切嗣の理想を継いで、正義の味方になる覚悟を決めた。そう思っていたのだろう?」
「っ、そうだ!俺は正義の味方になる。その為に何を犠牲にしてでも…!」
そう。彼は切嗣が積み上げた犠牲を引き継ぐと決めている。
それが、正義の味方になることだと信じて
「それが間違いだ、たわけ。お前のその覚悟は
しかし、その考えを神父は真っ向から否定する。
「!、それは…」
「お前は正義の味方になる、なんて考えて、その実何1つ為っちゃいない。意味ある犠牲と無駄な犠牲、その2つの区別もつかず、ただ積み重ねるだけの者は、断じて正義の味方などではない。」
その言葉、1つ1つは
「お前の計画に間桐慎二は必要だろう?なのになぜ切り捨てようとする。必要なものを犠牲だと言って殺そうとする。それはただの殺しにすぎん。」
まるで、それ自体が意志を持ったように
「今のお前は、正義という免罪符で殺しを正当化している。自らの目指す先が尊いものならば、その過程で何が起きようと、それは正しき事だという驕りきった考えで、屍を増やし続ける。」
ずぶずぶ、ずぶずぶと彼の体に染み込んでいった。
「そんなもの、悪と何ら変わりはない。今のお前に聖杯戦争を勝ち残るなど不可能だろう。」
そう言って士郎から手を放す。
「うわっ!」
バランスを崩し、しりもちをつく士郎。
しかし、その体制のまま、躊躇いながらも言峰に食って掛かる。
「だったら…」
自らにあった傲慢を晒され、その罪深さを理解してしまった。
彼の覚悟に迷いはない。
しかし、その覚悟自体が、自らの理想と矛盾していた。
その間違いを指摘され、それでも士郎は叫ぶ。
「だったら!どうしろっていうんだ!俺にはサーヴァントもいない。仲間だっていない。この身1つで戦い抜くには、
それは、ずっと抱えていた不安。
「だから、だから切嗣のようになろうとした!この絶望的な状況でもあいつのようにできれば、俺だって勝てるって、全部まとめて…救えるって…」
士郎は元より殺戮を是としてはいない。だが、自らの目標がそれを是とし、勝ち残ったのならば、きっとそれは正しいはずだとそう考えての今までの行動だった。
そう、結局
「それが、間違っているのなら……………俺は……………」
彼の意志はどこまで行っても偽りで、自ら見出したものでは無い。
衛宮切嗣がやってきた行いをただ踏襲しているだけ。
ただ、それだけだった。
「はぁ…はぁ…」
ため込んでいたものをすべて吐き出したのか、士郎の息は上がっていた。
「ふふ、まったく、このようなこと私の専門ではないのだがな。まぁいい、たまには神父らしいことの1つでもしてみるとするか。」
そんな士郎に、言峰は語り掛ける。
それが自らの信念とはかけ離れた、およそ理解しえないおぞましきものだと分かりながらも。
かつての仇敵、自らを殺した男。その息子だというのにも関わらず、
それでも、彼は士郎に託宣を告げる。
「いいか、お前にできていないのは線引きだ。確かに切嗣は夥しい数の屍を築いた。しかし、それは彼にとっては
それは紛れもなく導きそのものだった。
線。救うものとそうでないものの違い。それを士郎はまだ分かっていなかった。
切嗣が積み上げた犠牲は、それでも確かに大勢を救っていたのだ。
ならば慎二は、そのどちらにあたるのか。
「それを見定めろ。犠牲にしたものの先にある、救い上げたものを理解するのだ。ここで間桐慎二を殺してしまえば、私たちは臓硯に始末され、聖杯はお前以外の誰かの手に渡る。そうなれば、またこの戦いは繰り返され、無辜の民たちが、関係のない一般人が消えていくぞ?ならば本当に、間桐慎二は切り捨てるべきものか?」
「それは……………」
「考えるのだ。すぐに答えを出せとは言わん。だが、お前は最初から道を得ている。衛宮切嗣という
曇った士郎の目にわずかだが信念の灯が蘇る。
自らの間違いに気づいたのか、それとも最初の願いを思い出したのか。
「慎二は…」
ぽつりと呟く。
「慎二は……………捨ててはいけない。あいつは俺が勝ち残るために必要だ。それに、あいつを殺したら、あいつを臓硯の手から助けられない。」
それは、間違いなく
「そうだ、あいつも助けなきゃ。悪いのは臓硯だけだ。あいつはただの被害者なんだ。何でそんな簡単なこと、俺は気づかなかったんだ。」
「ただ殺すだけなんて、そんなの正義の味方じゃない。俺は、切嗣の助けたい、救いたいという想いに憧れたんだ。そんな余分な犠牲に憧れたんじゃない。」
10を救うために1を捨てる。その1が誰なのか。
俺が倒すべきは、俺が戦うべき相手は、一体誰だったのか。
彼は、ようやく理解した。
「……………忌々しいことだが、どうやら思い出したようだな。」
自らの意思を、自らの理想を。自らの手で為すべきことを。
「俺は、聖杯戦争を終わらせるために戦うんだ。俺が切り捨てるべきはそれを阻むものだけ。それ以外の犠牲なんて、ただの1人だって出してはいけない。だって、それを救うために俺はこの身を捧げるんだから。」
線を引く。切るべきものを地に落とす。自分以外、誰にも見えないように。そっと。
「俺は、俺は正義の味方になる。余計な犠牲は出させない。この犠牲が、聖杯戦争最後の犠牲者だ。それ以外なんて、ただの1人も殺させやしない。」
戦いの直前、ようやく彼は為った。
救うものを理解し、切り捨てるものも理解した。
後はその通りに動くだけ。
戦いの火蓋は間もなく切られる。
その歪な正義は、果たして、
……………どうやら、答えを得たらしいな。
教会に1人残された言峰綺礼は、1人思量する。
衛宮士郎は先程とは違った表情で、あまつさえ私に礼など言って教会から出ていった。
間桐慎二からの返答次第ではあるが、おそらく明日の夜に奴の作戦は実行に移るだろう。
あの男は最後まで、間桐慎二から情報が漏れることを危惧していたが、それは杞憂に終わるだろうな。
最早、彼の中で返答など決まり切っているだろう。
足りないのは覚悟だ。いくら臓硯が外道だろうと、彼にとっては血のつながった親族。
血の繋がりというのは、不思議なものだ。
時に奈落に落ちた自らを助ける命綱にもなるが、時に自らの巣立ちを縛り付ける鎖ともなる。
間桐の場合は明らかに後者だ。あの老人の妄執に、家全体が縛られている。
間桐慎二にとって、臓硯は許せない存在であることは疑いようがない。
だがそれでも、殺すとなると話は変わってくる。
いざその瞬間に立ち会えば、今までの苦しみなど忘れ、躊躇ってしまうかもしれない。
ただの遺伝子による繋がりに過ぎなくても、それを断ち切るのは容易ではない。
血の繋がりは水よりも濃し、とはよく言ったものだ。
いくら憎んでいようとも、その瞬間に立ち会ってみなけばその真偽は分からない。
しかし、そんな半端な覚悟で衛宮士郎についていくことなど出来ない。
躊躇すれば、それこそ自分が危険にさらされるかもしれないからだ。
それに、彼は同時に妹の死も告げられた。
義妹とはいえ、彼女もまた家族だ。
血よりは薄い、水の轍。
それでも何か、思うところがあるのだろう。
だからこそ、彼には時間が必要だ。衛宮士郎に見合うだけの、強い覚悟が。
まぁもっとも、天涯孤独である衛宮士郎にこれが理解など出来るわけがないがな。
「ふふ、はははは。」
気づけば、彼は愉快そうに笑っていた。
「それにしても、あの男。何か決意をしていたようだが、肝心なところに目を向けないとは、何とも度し難い。」
神父は心底楽しそうに笑う。
それは士郎にだけではない。今は亡き自らの仇敵に対する嘲笑だった。
「親子共々哀れなものだ。正義の味方なるなどと、そもそも前提からして間違っているというのに。いくら志しても為れるはずないと、なぜ気が付かない。」
神父の嘲笑は続く。
「あいつはこれから、私の言葉に父の遺志を見出して、戦いに身を投じる。だが、それに気づくことは無く、父と同じ轍を踏むのだろうな。」
士郎は知らない。
「くくく、これが愉快でなくなんというのだ。」
たった今、自らに導きを与えた神父こそが。
「ふふふ、ははは!はっはっはっはっは!!!」
自らが最も忌むべき、混じりけのない悪であるということに。
誰もいない教会に神父の嗤いのみが響く。
言峰綺礼。生まれながらに煩悶を抱えた、先天性の異常者。
彼もまた、この聖杯戦争の動向を予期することはできない。
だが、その不確かな、予期しえない結末こそが、
「こんな所で倒れるなよ、衛宮士郎。お前にはまだまだ愉しませてもらわなくてはな。」
彼にとって、最高の愉悦となっていた。
家の近くにつく頃には、かなり日が傾いていた。
教会を後にした俺は、直ぐに家に戻った。
藤ねえたちと晩御飯を食べる約束をしていたからだ。
夕焼けが眩しい。周りを行き交う人々もこぞって帰路についている。
時刻は6時前。仕事帰りのサラリーマンなどが目に付く時間帯だった。
「…………」
周りを眺めながらふと思う。
平和だ。
皆が皆自分を日常の中を生きている。
そこに違和感なんてない。誰もが皆、明日の幸福を疑わずに今日を終えようとしている。
数時間後。夜が深まればここはどこもかしこも戦場になるというのに。
そんな圧倒的な死が近くにあるというのに、誰1人それに気づていない。
これも、あの神父の隠ぺいの賜物なんだろうか。
そんなことを考えながら、歩を進める。
「ふぅ……」
気分は悪くなかった。今日は何度も死の危険にあったが、それでも生きている。
それに、これではっきりした。自分のやるべきことが。
悔しいが、あの神父の言葉を聞いたとたんに、視界が明るくなった。
真っ暗で何も見えず、受け継いだ気になった理想にしがみついていた。
そこに、光が差し込んで、自分の道が見えるようになった。
「あいつ、実は結構面倒見がいいのかもな。」
なんだかんだ言って、あの男には助けられている。
感謝なんてしたくないし、仲良くする気も全くないが、それでも認めざるを得なかった。
自分は、正義の味方になるとずっと昔から決めていて、そうなるために走っていた。
それは聖杯戦争が有ろうと無かろうと変わらない。
ただ、違ったことが1つ。
要するに、見方が違ったのだ。
俺は今までどうすればなれるのか分からず、ただ前に進んでいた。
だが、切嗣の昔を聞いて、遺産に触れて、犠牲を恐れないことが正義なんだと思い込んでいたのだ。
だけど、それは違う。犠牲なんて少ないに越したことは無い。
それでも、それは出てしまう。切嗣だってそれを完全に消し去ることは出来なかった。
世界は犠牲の上で成り立っている。
ならば、それに報いるような結末にするのが、正義の味方の筋ってものだろう。
それ以外は決して殺させやしない。
最小の犠牲で、それでも最大の結果を出し、それに報いる。
それが俺がたどり着いた1つの結論だった。
だからこそ、あの影を許すことはできない。
あいつは無差別に人を食い荒らす。
そこにある営みも、喜びも悲しみだって何もかも喰らってしまう。
それは許せない。
だから、臓硯は生かしておけない。必ず、必ず殺さないと。
あいつを殺せば、きっと影だっていなくなる。
そうすれば、無駄に犠牲者を出すこともなくなるだろう。
…そういえば、慎二はどうしただろうか。
今考えると、悪いことをした。いくら何でも、ナイフで傷つけるのはやり過ぎだ。
もっと、別の方法が必要だった。
あいつの返答次第では、計画を変えざるを得ないが、それはまぁ、仕方が無いか。
俺の戦いをあいつに強制することはできない。
それに、言峰が言うには、あいつが情報を漏らすことは無いそうだ。
なら、それを信じよう。
だって、友達なんだから。きっと大丈夫な筈だ。
理想的な状況ではないにもかかわらず、俺の思考は前向きだった。
慎二は必ず協力してくれる。
何故か分からないけど、そんな気がしたからだ。
「あ……………」
気づけば、家の前についていた。
急いで食事の準備をしないと、藤ねえ達を待たせちまう。
今日は人数も多いし、鍋にしようか。
ここからは、今までと変わらない日常の
特に語るべきことは無い毎日の1ページ。
ちょっと継ぎ接ぎだらけだけど、そんなのはほら、上から隠してしまえば誰にも気づかれやしない。
優しい表情で顔を覆って、目の前の戦いからは焦点を外して、いつも通りを演じれば、誰も困らないだろ。
玄関で無理やりに笑顔を作って、家に入る。
まだ藤ねえ達は来てないが、練習ってやつだ。
これから、使う機会も増えるだろうしな。
そう思ってドアを開け、非日常と別れを告げる。
最後に
『お帰りなさい、先輩。』
そんな聞き慣れない声を、再び聞いた気がした。
これにて第2夜は終了。第3夜に続きます。
いよいよ鉄心士郎の戦いが始まっていきます。
彼は一体どうやって、魔術師たちを下すのでしょうか。