そこは、清廉な気配が漂う道場だった。
道場とはすなわち、武を信奉する者達の修行場。
求道者達が己が身を武道に捧げ、幾百もの苦行を修めることで体を削り心を磨り減らし、心身を武に適応させ研ぎ澄ます、そのための場所。まさしく武道、マーシャルアーツを学び会得した者たちにとって、神聖不可侵の領域である。
しかし何者にも侵されない筈の道場は、この場においてはその神聖な面の下に隠された、残忍な一面を覗かせていた。
『Die!Yabbooooo!!』
『迅雷きゃあああああくッ!!』
二人の男がぶつかり合う。
両者共に体を回転させるように勢いをつけ、しなるように上段蹴りを放つ。二人の足はそれが当然だとさもいうように、互いに引き合いそして衝突し合った。
衝突した地点から、余剰の運動エネルギーが衝撃波となって道場の床を、天井を、空気をビリビリと震わせる。
もはやそこにある筈の清廉で神聖不可侵な道場はどこにも無い。今ここにあるのは二人の男による壮絶な闘いの、舞台だ。
だがそれは不自然なことではない、道場とは心身を武に捧げた武道家たちだけのものではないのだ。武を極めんとし、己が身一つで最強を目指す修羅たる猛者もまた、この道場を使う資格を有している。
その時だけは、神聖不可侵である道場は殺戮劇の舞台となる。
『うぅっ!』
『Shit!』
その場を揺らがす強大な蹴りを放った両者は、その衝撃波に弾かれるように互いに距離をとる。そのまま、両者はピタリッと動きを止めた。
両者の距離は畳一畳半はある、しかしその一畳半の僅かともいえる距離がこの二人の体を鈍らせ、知覚を鋭敏なものにさせている。二人は、その距離を維持しまたまま、動かない。
それはたった0.5秒、50フレームの沈黙。息詰まる程に緊張感の張りつめた思考合戦、相手のそして自分の繰り出すべき技が脳から浮上し、霧散してはまた浮上する、高レベルのにらみ合い。
『雷豪拳ッ!!』
その沈黙は唐突に、胴着姿の男、凛堂によって破られる。
掛け声と共に凛堂は大きく拳を振りかぶり、目の前の金髪の男に向けて正拳突きを放つ。すると、空を切った筈の凛堂の拳から幾本もの雷が伸びていき、拳の形をつくると目の前の男にむかって飛んでいった。
空気を焦がす程の電圧と殺意を有した黄金の拳は、凄まじい勢いで金髪の男へと迫る。
しかしその男、獅子王は、迫り来る黄金の拳を前にしてもなお笑みを浮かべていた。
『Too easy!!』
黄金の拳が獅子王へと到達するその直前、獅子王はおもむろに跳躍する。溜めを作らずノーモーションでの跳躍であったがしかし、その跳躍距離は一メートルを優に越え、眼前まで迫っていた拳の砲弾を軽々と飛び越える。
『センプゥケェーンッ!!』
空中を飛びながらも、獅子王は凛堂に向けて掌底を放つ。
途端、獅子王の腕全体からカマイタチの如くつむじ風が迸り、やがてそれは凛堂の『雷豪拳』と対を成すようなほの暗い銀色の風の塊となる。
『旋風拳』と名付けられたその技は、凛堂の頭上から勢い良く射出される。その風塊は『雷豪拳』を放ち隙を晒していた凛堂の胴体へと突き刺さり、暴力的なまでの風力と気圧で彼の胴着と体を引き裂く。
『ぐぅうっ!』
凛堂はその技を受け、苦痛に顔を歪め呻き声をあげる。旋風によって彼の腕に、胴に、いくつもの切り傷が刻まれ、彼の羽織る白の胴着は彼自身の血を吸い、紅よりも鈍い唐紅色に染まっていた。誰がどうみても、重症だ。
が、しかし。
『はああああ!』
旋風を体で受け止めた凛堂は膝をつくことなく、それどころか体を前に傾け猛然と前方に向けて走り出すではないか。
体を血に濡らし目に殺意を込めて走り抜ける凛堂の姿は、まさしく悪鬼修羅そのもの。先ほどまで余裕を見せていた獅子王も、このときばかりは目を見開き驚嘆する。
『迅雷脚!』
血染めの胴着をはためかせながら凛堂は、未だ『旋風拳』を放ち滞空していた獅子王に向けて、再び回し蹴りを放った。
空中にいる以上、地を踏みしめ攻撃を受け止めることの出来ない獅子王は、その回し蹴りをモロに喰らい吹き飛ばされる。
空中で放物線を描きながら獅子王は床へと吹き飛ばされる、その直前で獅子王は見事な受け身を取り地面に無様に倒れ込むことを回避する。
獅子王が直ぐ様立ち上がる。すると、再び凛堂と獅子王との間に畳一畳半の間隔が出来ていた。それはまたしてもにらみ合いが開始したことを意味していた。
ただ、状況は先ほどまでとは僅かに異なっている。
獅子王と背後の壁までには畳一枚、凛堂との間隔よりも短いスペースしかなかった。
ジリッ!
凛堂が僅かに獅子王へと近づいてくる。
『たぁっ!』
と同時に、ローキックを放つ。
『フンッ!』
獅子王はそれを当然のように防ぎ、凛堂もまた防がれたのが当然とでもいうように、先ほど詰めた距離を再び開けていく。
壁際というのは、ボクシングでいうところのコーナーポストと同じで、ここに追い込まれてしまうと戦いに不利になってしまう。まだ一畳の間隔がある、がしかし、それはつまりこの一畳の間隔が狭まれば狭まるほど、獅子王の敗北に直結しうるということだった。
にらみ合いのさなか、考える。
(先ほどの『雷豪拳』は、完全にこちらの動きを釣るための行動だった。つまり現状、読み合いでは僅かに此方が負けているということだ…!)
僅かなにらみ合いの時間、思考とも言えないほどに本能的で直感めいたものが頭に浮かぶ。
(壁際だけは何としても避けるッ!だが、次の行動は、どうすれば良い…?!ディレイ小足読みで投げか?歩き投げ読みで飛びか?それとも飛び込み読みで当て身か…?!)
言葉などではない、もはや感覚的な思考、直感という名の思考ルーチンがループを繰り返す。
(安牌なのはガーキャン、だけどここでゲージを使えば攻め手が絞られる!歩きも択だが、相手の暴れが強い以上むしろ此方が押し込まれかねない!となれば飛びか当て身しかないが、リスクがでかすぎる!どうする…どうするッ!?)
僅か、先ほどよりも僅かな時間の中で、先ほどよりも早く直感の沈殿と浮上が繰り返される。
思考の闇、直感の海、数十フレームの瞬き、意識全てが暗澹な何かに呑まれるその直前。
「この時を待っていた」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
その声でループを繰り返していた思考は現実に移る。声は、左隣から聞こえた。
目の前で未だににらみ合いを続ける獅子王と凛堂、その二人が映っている液晶画面から視線をはずし、俺は声のもとに目を向けた。
そこに、女の子が座っていた。お互いの肩がぶつかりそうなほど近く、俺と同じように腰を掛けて目の前の画面を見ている女の子がいた。
その子は、笑っていた。その笑顔はいつも見ている物のような気もするが、初めて見た気もする。ただ、その女の子のなんともない笑顔が、眩しかったのだけは確かだった。
「闘ろう!どっちが強いか、決着の時だ!」
その子も俺と同じように画面から目を離して、こちらに向き直っていた。
いつも通りの──だけどどこか違うような。
晴れ晴れとした──だけど泣き出してしまいそうな。
どこまでもあどけない──だけど少し大人びたような。
そんな笑顔で俺を、獅童勇義を見つめていた。
「あぁ!望むところだ!」
その笑顔に、言葉に、俺は挑発的に笑いながらそう答える。
それが合図だった。
俺たちは同時に画面へと向き直る。手元のレバーコントローラーを握り、ボタンを押し込む。
それだけで獅子王は、凛堂は、再びあの殺戮劇を演じる。
互いが同時に走り出す、そして、同時に技を繰り出す。
画面内の彼らの拳が、現実の俺達の叫びが、交差した。
【e-スポーツ】とは!
ゲームと競技が組合わさった、全く新しいスポーツである!
この少年は、『獅童勇義』!格闘ゲームを極めた男だ。
今、少年少女達は、最強のプレイヤーへと挑む!!
「「うおおおおおおおおお!!!」」