機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神 作:申業
「もう……大丈夫だ」
クールカの右手がジンの肩を優しく叩いたとき、
ジンの手は、もうクールカの腰を離れていた。
白杖をさながら3本目の足に見立て、体重を預けながら、
前に進むクールカの背中は丸まっていた。
「カトリーナは……彼女も私も本質のところは変わらないのだ。
いずれは分かってくれるものと、信じている。
フフッ……それより先に、私が死んでいなければなぁ……」
言葉の節々に笑みを混ぜながら、扉へと歩いていくクールカは、
しかし、その杖の先がドアと床の隙間に当たったとき、
足を止め、頭上を見上げた。そして、
「……気付かなかったなぁ」
なんて笑いながら、振り返る。
「ジン……オマエは知っていたか?これを」
杖を自らの方に寄せ、柱にもたれかかり、頭上を右手の指し示す。
ジンは要領を得ないという表情で、指の先を目で追った。
「レリーフとか言うんだろう?こういうのは」
クールカが語る通り、
上の階のベランダに当たるのであろう、その天井には、
いっぱしの絵画が彫られていた。
「モチーフは、察するに『サン・ピエトロのピエタ』……
それも、ミケランジェロが彫ったヤツだな」
レリーフはクールカが語った通り、
聖母マリアが生き絶えたイエス・キリストの遺体を抱き抱える、
そんな場面が彫られていた。
ただし、クールカの目にはもう、
それがカメオ(浮き彫り)なのか、インタリオ(浮き彫り)なのか、
見抜く力は残されていなかった。
「観光客向けのホテルとはいえ、
ムスリム的には少々具合の悪い話とみえるがな」
クールカは鼻息を交えつつ、そうジンに微笑みかけた。
ただし、ジンから見るとそれは、
隣にいる誰か──勿論いないのだが──を、
クールカが瞠目(どうもく)しているようで、
視線のズレを感じていた。
「ムスリムは、こうした絵画を……
偶像崇拝として嫌悪しているからな」
「……お詳しいのですね。クールカ隊長」
「いいや……昔に本で読んだだけのこと……」
クールカの目線はレリーフへと戻っていた。
レリーフの女性へと。
「しかし、若いなぁ……
キリストは亡くなったとき、私と同じぐらいだったと聞く。
だとしたら、マリアの年齢は……少なくとも……
フフッ、女性とは不可思議なものだな」
クールカにその意図はなかったかもしれない。
しかし、ジンは『女性』の言い回しにカトリーナの顔が浮かび、
気まずさを覚え、顔を逸らした。
ジンの目はドアのガラスを突き抜けて、
部屋にて足を組み、不服そうな表情でスマホを弄っている、
カトリーナの横顔を見つけていた。
「……時々考えるのだ、私も」
そんな呟きが、ジンの目線を引き戻し。
「プラウダは……私の娘は、果たしてどんな大人になるのか。
見たいが……いや、どだい無理な話とは、心得ているがね」
自嘲気味に笑いつつ、両手を杖に下ろし、体を少し反らした。
「……会われないおつもりですか?」
「会えるものか……子どもの免疫力では、この病は……」
クールカの右手が、その胸へと運ばれる。
「今は……どちらにいらっしゃるのですか?」
大西洋連邦は、旧アメリカ合衆国領ネブラスカ州リンカーン市。
かつては州の首都が置かれていた、この街には、
80年の『バスティーユ条約』締結以来、
多くのコーディネイターが移住を始めていた。
未だ半年しか経っていないというのに、
街の形が変わってしまうばかりに建築ラッシュが進んだというが。
そんな街の片隅に、その家は建っていた。
柵のようになった門扉を押し明け、苔(こけ)蒸す庭を抜けて、
チャイムの位置が高いドアの前へ。
傍らには段ボールが2つ横並びで置かれており、
開いた窓からは、シチューらしきいい匂いが漂(ただよ)ってきた。
チャイムを押す。
家の中から、
「プラウダァ、悪いんだけどォォ、出てくれなァァい?」
などというイリーナの叫び声がして。
小さな子供の大きな足音が、ドアの前へと近付いていく。
ガチャガチャと鍵を開ける音が内側からして、ドアが開く。
チャイムの横辺り、ドアの隙間からはチェーンが見えて、
ドアそのものも、数センチ程度しか開いていない。
腹の側で息がして、目線をゆっくりと下げていくと、
そこには少女──プラウダ・クールカが立っていた。