機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神 作:申業
ロコ・オツォが呟いたとき、
足下では緩やかにその版図を広げつつあった血の水たまりが、
彼の革靴の底を濡らし、赤黒く染め上げていっていた。
その源泉はすぐ目の前に、転がる一人の少女。
いや、厳密には彼女だけではなく。
うつ伏せて倒れる彼女へ、
横たわりながらも手を伸ばす、年老いた背中。
伏せるはイレーナ。クールカの義姉である。
どこからとなく流れ出る血が、その死を無言にて証明している。
勿論二人とも動く気配はない。
ロコの他に、生きた人の姿はない空間、
景色は絵画か写真のごとく変化しない。
ロコが玄関に力なくタイルの床に崩れ落ちるまで、
物音すらなく、時が流れていることを疑うほどだった。
ホルスターに収まっていた拳銃が、
持ち主が揺れた拍子に少しばかし顔を出した。
隠すようにホルスターの奥に押し込む。
「……バカげてる」
「他の人かどういうかは知りませんが、
ボクから見れば、普通の人でした。
家族想いで、世の在り方に疑問を持っていた……
よくいる、良い人でした」
ドルゴンはそう証言を残している。
あの戦いの後で、
捕虜となったクールカが腹心ドルゴンは、
アルメイダ隊の旗艦『フレイヤ』にある捕虜用の檻の中に。
翌日、二人の部下に両脇から抱かれ、
手には錠をはめられた姿で、俺と面会することになった。
真ん中に丸い小さな穴がいくつも空いたアクリル製の板を挟み、
向き合う俺とドルゴンとやら。
俺は手元にあった紙の資料をペラペラめくりつつ、
話を聞いている。
言っては悪いが、あまり期待できる相手ではなく。
クールカとの関係は浅い。
アーモリー・ワン襲撃からグナイゼナウでの決戦に至る、
騒動の際にはまだクールカの傘下にはいなかったらしい。
戦死したパバァロッティ・ギボンらと共に、
交代で派遣された組らしく、
元々はシーザー・ルチアーノの部下として、
南米で仕事をしていたらしい。
「……勿論、それは、
ボクが隊長と一緒にいなかったからかもしれませんけど」
自然資料の方にばかり目がいっていた俺を、
どこか皮肉るように投げ掛けられた台詞だった。
顔を上げ、見る。
ドルゴンは気まずそうに笑っていた。
「あぁ……すまないな。
大体質問は終わった。ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
「最後に……何か、言いたいことはあるか?」
ドルゴンは口を閉じて微かに音を鳴らしている。
悩んでいるらしい。1分程度待ってみた。
「……何でも、構いませんか?」
「おう」
「いや、大したことではないのですが……」
後ろ髪をかくドルゴン。
「いつだかクールカ隊長が話してらしたことがあって。
シン・アスカという人、
まるで彼は……地獄に向かって歩いて行っているようだと」
「……地獄?」
俺は……名乗っていなかった。
まして名札のようなものがある訳でもなく。
相手はまさか俺が当の本人だとは思うまい。
「えぇ」
……名乗らぬままに、話を聞くことにした。
「自分の選択は、長い目で見れば間違いではないと。
今は苦しいが、それは今の一点だけを見たから、
そう思うのであって……
長い目で見るなら、むしろ国に依存する方が危険だと。
世界の警察を気取りたいラクス・クラインが、
膨張的に地球圏で勢力を拡大しているが、
それは点での拡張でしかない。
線にはならないし、まして面となって機能しない。
やがてはひっくり返される。
自分はその先駆者でしかない。
キリストに洗礼者ヨハネがいたように、
自分が先駆者になれればいいと……」
ギルバート・デュランダルのパウロだと自称したり、
ヨハネだと言ったり、忙しいヤツだ。
「……長くないのだと、聞かされました。
クールカ隊長ご自身は隠し通すおつもりだったようですが。
ホルローギン・バータルなる前任者からギボンさんに伝わり、
ギボンさんからボクたちは聞きました。伝染病だと。
ボクらは予防接種を受けてますし、
万が一感染してもすぐに対処すればどうとでもなる。
けれど、クールカ隊長は末期だった。
視力を失い、体も不自由なところがあって。
わからないんです……どうしてあんな体で戦場に立てたのか」
リプレイが流れるみたいに、
耳にいつぞやのクールカの言葉が聞こえてくる。
「あの強さで病に伏せていたとはな……悪い冗談だ」