機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神 作:申業
ソイツは、上空数百メートル地点、
足下に広がる街を見下ろすように静止すると、
持ち前のマントをマフラーのごとく棚引かせながら、
徐々に高度を下げていった。
落ちる、というよりは階段か坂を緩やかに降りていくみたいで。
《ケトゥ》に遠距離の敵を射抜く道具はない。
慌てて、海岸線沿いを飛んでいた《ジズ》の群れが前進し、
砲撃を飛ばすが、当たるどころか掠りもしない。
いかに緩やかに見えようと、
20m前後もあるモビルスーツの身体が地上に達するまでに、
そう長い時間はかからず。
地上付近も付近、パラシュートよろしく膨れた彼のマントが、
丁度針で刺された風船のように萎れるより少し前、
彼の足はアスファルトを踏んでいた。
まるで散歩といった調子で、
高姿勢を維持しつつ、道を真っ直ぐに進み出した彼を、
阻むものはなく。
また僅かにマントを揺らしながら、海の方へと歩を進めるばかり。
そのうちに、誰かが気付いた。
この赤きモビルスーツ──《マッド》は敵なのだと。
彼の進む先、右手側に現れるビルの傍らにて、
1機の《ケトゥ》が狙っている。
はっきり見えはしないが、
やはり陽炎となって空間を歪ませているから、
よく見れば分かる。獲物を前に舌舐めずりする獣の姿が。
今、見ておけとばかりに、後ろを振り向いた。
そこにいたのは、全身傷だらけにして横たわる《ケトゥ》。
他ならぬ、ハツメの機体である。
さぁ、足音は近付いてきている。
音を立てぬよう、ゆっくり正面に向き直った陽炎。
もう少し、もう少し……
涎が垂れてしまうようだった。
首はもう伸びている。ビルの影より溢(あぶ)れぬ程度には。
来い、来い……
今だ!
と言えど、別に飛びかかりはしない。
ゆっくりと首をもう一段階伸ばすだけのことで。
首を鞭のようにしならせて、一発横っ腹に見舞って、
体勢を崩したら、そのままビームの槍で貫けばいい。
それで終わり。それで勝ち。
圧倒的優位。圧倒的勝機。圧倒的成果……
捕らぬ狸の名句よろしく、
彼は絶対的勝利を確信して、首を縦に振ったことだろう。
そう、それが……この相手でなかったならば。
「……アイ?」
ハツメの呼び掛けに、当人は返す言葉を失っていた。
無理もあるまい。
勝てると思った相手。餌だと信じた敵に、
事もあろうにその細首を切り落とされていたのだから。
ハツメには、何が起きたのか、最初は分からなかった。
ドンと大地を揺らす物音を聞いて、
機体の目で確認すれば、
そこにはキリンに似せんとばかりに伸びきった《ケトゥ》の首先が、
丁度ハツメの方を見るように落ちていたのだ。
色も透明から灰色へと変わっていた上に、
ビームを形成せんと開かれた口部が、
驚きからあんぐりと口を開けているみたいだった。
『何で……動けてんだよぉぉぉ!』
アイとやらは、叫んでいた。震えていた。
ミラージュコロイドを解除、フェイズシフト装甲を起動すると、
威嚇(いかく)するカマキリみたく、鎌になった前足を振り上げたが、
それは、正しく蟷螂(とうろう)の斧。
意味などはない。勿論、力も。
それでも、厳密には愚策ではなかったのだ。
《ケトゥ》のビームシールドは、腹部と背面とに2ヶ所あって、
アイは腹部の方にシールドを展開させようとしていたのだから。
判断に誤りはなかった。
ただ、単純に無理だったのだ。単純に速かった。
シールドが形成されるよりも、
《マッド》の刃が無慈悲にも《ケトゥ》の腹部を刺し貫く方が。
「……アッ」
アイと、叫びたかったのだろう。
しかし、恐怖がそれ以上の彼女の発声を妨げた。
アイの《ケトゥ》が巻き起こさせた爆風をものともせずに、
《マッド》は前に足を踏み出していたから。
風に吹かれて転がる例の首が、
今にも横たわるハツメの《ケトゥ》の右足に当たらんとした瞬間に、
《マッド》の右足がこれを容赦なく踏みつけた。
恐らくは残骸が飛び散って傷つけたのだろう。
マントに穴が空いていた。小さな穴がいくつも。
問題はその最上部に空いた穴から、
丁度口角を横に広げて笑ったように見える口部が顕になっていた……
「……ぎゃあああああああああ!」