機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神 作:申業
『自家を飽かり得れば君管すること莫かれ』。
東坡肉の考案者とされる、
中国は北宋時代の詩人・蘇東坡(そとうば)が、
ある詩の最後にこの文句を載せた。
丁度、東坡肉の話が出てくる詩であるが。
要するに「本人が満足していることを他人がとやかく言うな」と……
牛肉の東坡肉もどきを、
ステーキを食うみたいにナイフで切り、フォークで口に運ぶ。
疑ってたが、意外にちゃんと作られている。
肉は、噛むと言わず、歯に触れるだけで溶けていくようで。
味付けは……少し甘みが強い気もするが、悪くない。
「婆さん……美味いな」
作った本人は答えはしなかったが、
クシャクシャの口角が上がったようには見えた。
肉を運んだ後、仕事を終えたフォークをゆっくり皿の縁に置くと、
逆の手でワイングラスを傾ける。
もうグラスの中には、いくらも残っちゃいない。
グラスの底にうっすらとついた一本線は、
最早飲料ではなく、洗い落とし損ねたシミのようにも見える。
そんなものを口に注ごうとしたら、
今度はグラスの底からリムまでの軌道を、
ストロボスコープよろしくグラスに一直線となって点在して残り、
終(しま)いに俺の口元に落ちたのは、ほんの1滴ばかりであった。
椅子から重い腰をゆるりと押し上げた婆さんは、
踏み出して、ワインボトルに手をかけたが、
「大丈夫だ」
と断った。2杯目は必要ない。
体を捻る形で、ゆっくりと後ろを振り返った。
別に体操の類というつもりではなかったのだが、思わず、
「……ウゥッ」
と声が漏れた。
そそくさと腰を撫でる自分に老いを感じて、苦笑を禁じ得ない。
それはそうと、自身の腰から視線を上げていき、
背後にいたバカ騒ぐ野郎どもに目を遣る。
よく見れば、飲んでいるものはオレンジーナだったり、
楽しそうに話しながらも時折、
物音に応じて神妙な顔つきで外の方を向いていたりと、
どこか緊張の色が拭(ぬぐ)えない。
ハゲかけた頭頂をこちらに晒していることなど気付いていないのか、
俯き、掌を合わせると、2つの親指が口と鼻先を抑えているアーサー。
「意外とアイツら、大したことなかったよなぁ」
「だよな」
みたいな会話の末端が聞こえてきたもので、
そんな話をしている連中の方を見てみれば、
偶然にも俺が向いた頃をもって、話題が尽きてしまったのか、
互いに顔を逸らし始めた。
「……下手なお芝居を見ているみたいだねぇ」
婆さんが小声で告げたそんな一言に、妙に納得している自分がいた。
ゆっくり婆さんの方を見ると、
婆さん自体は流し台に向かっており、顔が見えない。
真意はさておいても、婆さんの皿を洗う水の音が、
カウンターにいた俺には、
騒いでいる奴等の声より大きな音として聞こえていた事実がある。
「フッ」
と溜め息を漏らしつつ、先程切り分けた肉を口で運ぶ。すると、
「……ねぇ、お婆ちゃん。気付(きつ)けにラム酒貰えるかしら?」
なんて若い女の声が左側からして。
それでも興味がなく、食らっていけば、
適当に皿の左側に置かれた俺の左手へ、細く白い右手が近寄り、
手の甲の骨が浮き出た辺りを指先でスッと撫でてきた。
フォークを置く。
握っていた右手をゆっくりと持ち上げ、眉尻辺りを親指で軽く掻く。
「こうすれば……男はみんな喜ぶと思ってるのか?」
手を止めると共に、女の方を向いた。
「お嫌いですか?副長さん」
なんて耳元に口を寄せると、
「……フフッ」
と笑って、体をゆっくりとこちらから離していく。
振り向く……というよりは、目で追う形で左を見れば、
そこにいたのは、アーサーをたぶらかしていた、
あの踊り娘である。浅く腰かけた彼女は、
左手をイスの奥に置き、斜めに構え、斜めにこちらを見ている。
「大戦の英雄様なんて言うから……どんな方かと思えば、
可愛いお顔立ちで」
「東洋系だから、アンタらには老けて見えないだけだろ」
「……いいえ。それだけじゃないわ」
ゆっくりと手を伸ばしてくる彼女。
その手は俺の頬に触れようとしていた。しかし、
「キャプテン・モルガン(ラム酒のブランド)だ」
と婆さんが突き出した、ラム酒のボトルが、
半ばそれを制した。
「……フフッ。ありがとう」
そう笑うと、
一緒に出されたオールドファッションド・グラスに、
底からせいぜい2、3cm程度だけ注ぎ、自分は飲まず、
「奢りよ」
と俺に囁いて、席を離れていった。
「お兄さん……あの女だけはやめておくことだね」
なんて婆さんに言われたりして。
「……はあ」
相槌をしながら、何気なくラム酒のボトルを見る。
そこに載っているのは、
如何にもって感じの海賊のイラストと、
『To Life, Love and Loot(人生とは、愛と略奪)』の文句だった。
「婆さん、あの女の名前は?」
「ビンタン……マレーだかタイの言葉で星(ステラ)って意味の女さ」