機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神 作:申業
ある部屋の前で止まっているのが見えて……
リョウは少しだけ微笑んだ。
あの日、ホルローギンと交わした言葉たちが思い起こされて。
【どこも人材不足だそうで……
そのうちに、私も引き戻されそうな勢いですが。
秘書官殿も助手がいてくれた方が何かと便利でしょうて」
「僕に務まるでしょうか?】
【……むしろ、適任だと思いますよ?
彼は君が思うより弱く……不器用な男なんですよ。
クールカ隊長にも、ある意味では近いかもしれませんねぇ。
特にノエルくんは、意志を貫く力だけが突出していて、
そこに本人の実力が着いてきていない印象を受ける。
くれぐれも、頼みましたよ。リョウ。何せ、私は……
彼のお父さんほどの天才でもなければ、
お母さんほどの根性も……ないものですから】
自嘲するように微笑むホルローギンの表情の奥に垣間見えた、
寂しさ、あるいは虚しさの理由はあのときも、今も分からない。
……ただ、そうして階段をすべて降り切り、
神経質そうに右足を貧乏揺すりしつつ待つノエルの隣へ。
「お待たせしました」
と一礼すれば、ノエルも、
「……おう」
とか雑に返答した。
そんな『不器用な』横顔に、リョウは少し笑ってしまう。
もっとも、ノエルは大真面目であり、
「……この先に誰がいると思う?」
などと、気持ち上擦った声で問うのである。
「セベク・アガレスさんの娘さんという人ですよね?」
ノエルは声を出さなかった。首は縦に振った。
といっても、顎を突き出すようなモーションであったが。
唾(つば)を飲み込むノエルの喉(のど)から漏れた音が、
彼の緊張を物語る。思えば貧乏揺すりもあるいは……
それでも、
「……行くぞ」
そう覚悟を決め、ドアノブに手をかけたノエルへ、
「はい」
とリョウも力強い返事を送った。
ドアが開く音。ドアの上には鈴が付いており、
開くに合わせてチリンチリンと風雅な音を響かせた。
ここはオラン。俺は例の婆さんが皿を洗っているカウンターにて、
一人、コーヒーを啜(すす)りながら、地元誌を読んでいた。
ドアから入ってきたヤツの姿は見えていた。
やはり、食器棚のガラス部分に反射していたから。
ヒールが地面をつつく甲高い音が耳に障る。
極めて僅かではあるが、徐々に大きくなっていく音と、
ガラスが写す反転した世界の画面が、
俺の背中に歩み寄る女の姿を報(しら)せていた。
飽きれたように目を閉じた瞬間に、ヒールの音が止む。
右隣に座るのは見えていた。だが、話しかけはしない。
俺が少し右に寄っていた自分の体を正面に向けるよう動いた瞬間、
女の左手が俺の右肘を優しく掴んだ。
「……不器用な人ね」
そう、耳元まで寄せてきた口。息が触れる程に。
「……何か用か?」
「用がないと、話しかけちゃダメ?」
ため息が漏れる。
「俺を誘惑して、何になる?」
「いちいち理由が必要?」
首を横に振った。
「……あのなぁ」
苛立ち、荒っぽく雑誌を閉じて、相手の方に向き直ったところで、
この女、事もあろうに開いた両手でもって、俺の口を覆ったのである。
「言葉が必要?」
そう笑う女の顔に、怒りが加速する。ひとまず、顔を背けた。
それから手持ち無沙汰故に、コーヒーカップに手をかけたものの、
中はもう空であって。
雑誌も急に閉じてしまったから、ページが分からない。
左手でペラペラやってると、
掴んだ自身の左手に、更に右手を添え、体を寄せる。
「……こうしたいから、こうするの。何か問題があって?」
またも耳元にて、そんなことを囁(ささや)いたかと思えば、
俺の肩に頭を乗せた。
「聞いたわ、副長さん。アナタって、スゴいのね。
まるでお伽噺(とぎばなし)の主人公……
子供の頃に聞いた、英雄ローランの伝説みたい」
右手の指だろう、
二の腕の筋を人差し指で撫でているのを感じ取った。
「……誰に聞いたか、知らんが」
言いかけた俺の台詞を遮り、
「ワイリーさんよ。楽しい人だったわ」
そう即答した女。自然、俺は舌打ちしてしまう。
「ビンタン……とか言ったな?アンタ」
話しかける俺の言葉をまたも遮り、唇を重ねてきた女。
ほんの一瞬の出来事、
俺が彼女を引き剥がすなり、顔を引くなりするより先に、
当人の方から顔を離した。
「アンジェリカて言うの……本当は。アンと呼んで」
モスキート音のように小さく高い声で、そう告げてきた。
「ローランは確か、足の裏が弱点だった。面白いと思わない?
あんなスゴいヒーローに、そんな弱点があるなんて……
だから、知りたいのよ。アナタの弱いところも」
……我ながら冷静ではなかった。何故、ああも感情的になったのか。
せめて気付いてやるべきだった。ガラスには写っていたハズだから。
店の外で、一連の様子を見ていたという、ヴァイデフェルトに。