機動戦士ガンダムSEED C.E.81 ナイルの神 作:申業
コルドバのローマ橋。
この白き石畳の橋の上、凍(こご)えるばかりの海風浴びて、
走る車は、銀色のセアト・アルハンブラ。
鼻の左脇に、ひよこ豆ほどに突き出たホクロを持った、
年の頃30か40というところのギリシャ人女性が運転する、
その車内にて、
ノエル・ド・ケグは物憂げに、開けた窓から外を見つめてた。
後部座席ではリョウ・ナラも、窓ガラス越しに外を見ていた。
いや、厳密には見ていたとはいえない。
前の座席から入ってくる激しい風に、
飛ばされぬようハンチングの先を押さえており、
その手とその帽子に目元を隠し、顔は外に向けながら、
しかし器用に目だけは、白金色した男の後頭部を見つめている。
まさか、気付かれていたとは思うまいて、
「……俺の顔に、何かついているか?」
なんてバックミラーを介して、ノエルに語りかけてこられては、
「ひぇっ」
と頓狂(とんきょう)な声を上げる他なかった。
運転手のギリシャ女が口に手をあて、声なく笑う。
ノエルは呆れた調子で、
「妙なヤツだ」
そう言い捨てると、口元より手を除けたばかりのギリシャ女へ、
「プレイアス……目的地まで、あとどのぐらいだ?」
との問いを投げかけるのだった。
「15分というところでしょうね。ランチタイムの心配ですか?」
「バカいえ」
「……それは失礼しました」
プレイアスなる、このギリシャ女が軽く頭を垂れるより先に、
ノエルは向き直り、また窓の外を見遣る。
しかし、風が強い。
普段なら片側に寄っているノエルの髪が、
捲(まく)り上げられ、オールバック気味に後方へと流れていく。
「その帽子……ドナウアーに貰ったのか?」
ノエルは振り返っていない。
だから、自分に言われたとは思わなかったのだろう。
そのとき、リョウは照れくさそうに頬を橙色に染めたまま、
ぼんやり遠方に横たわる地平線を眺めていたから。
「……オマエに聞いてんだよ。リョウ・ナラ」
トーンを落とし、鋭く小声で伝える一瞬、
ノエルがリョウの顔を見た。
慌てて少し肩を上げ、前を向いたリョウだったが、
そのときにはもう、ノエルの目は海の色に染まっていた。
「あぁ……これ、ですか?」
帽子をゆっくり取り、バックミラーに映るよう、
斜め前へと突き出すリョウ。
しかし、ノエルは我関せずといった様子で微動だにしない。
プレイアスは口角を左右へ広げ、
「……お人が悪い」
などと囁(ささや)くも、ノエルはうんざりとした様子であり、
振り返ろうとはしない。
このとき、光の加減もあり、元々クリーム色した女のホクロが、
おはじきに似た、何か半透明の球体に見えた。
「これは、違いますけど……」
構わないと言った調子にて、リョウが話を始める。
「……ネクタイを戴(いただ)きました。緑のネクタイを。
細いヤツです。古い映画……とかに、出てきそうな感じの」
「古い映画?」
呆れ気味に聞き返すノエル。
「もしかして……ウエスト・サイド物語のこと?」
微笑み返すプレイアス。
「それかもしれません……」
仏頂面で答えるリョウ。
「いい加減なヤツだな」
「まあ、そういうこともありますよ」
「……フン」
鼻を鳴らしたノエルの横顔を見つつ、リョウは問うのだ。
「ドナウアーさんには……気を許してらしたんですか?」
眉間を掻(か)くノエル。
「ここにオートクレール殿下はいらっしゃいません……
良いのでは?リョウくんには、話しても」
プレイアスの声は小さくなった。
「オートクレールが……いるかどうかの問題じゃない。
どんな関係かと聞かれれば…………答えに窮(きゅう)する。
兄だと呼ぶには年が遠い。父と呼ぶには親しすぎる」
「……お友だちですか?」
「いや……違うな」
両の眼(まなこ)に蓋をするノエル。
間もなく車の動きは止まり、風は止む。もう橋を過ぎていた。
「……終わったことを、いくら言っても始まらん。
アイツには息子がいる。ランドゥルフて、今年16になるガキが。
自分にもしものことがあったら、と……頼まれているからな。
引き立ててやるさ。俺に出来るのは、それだけだ」
そう語るノエルの横で、開いていたドアがピシャリと閉まり。
「着きましたよ。秘書官様」
「……ああ」
肘で押してドアを開けるノエルの背中を見ながら、
【お父様によく似ておいで】
だと、幾度も語ってきたフェルディナント・ドナウアーの顔を、
思い浮かべるリョウであった。