監獄から解放されたと思ったら仮想世界に閉じ込められた 作:超高校級の絶望家
「そうか。知らぬ間に随分と立派になったものだ……な」
口髭を生やし、渋い顔つきをしたこの男。八光学園の理事長で、裏生徒会会長である万里や千代の父親である。
彼は理事長室のデスクに備えられたパソコンに開かれたとある記事を見て、自分を慕ってくれていた同士の功績が載っていることに誇らしい気分になっていた。
ちなみに同士とは言うまでもないだろう、理事長は無類の尻好きで理想のヒップを追い求めここまで登りつめたムッツリスケベなのだ。
そんな彼の生き方に共感して慕った者は……決して多いとは言えないが存在はしていた。この記事に紹介されている男もまさにそんな稀少な1人であったのだ。
「進む道は違えど尻への愛は同じ。きっと今も素敵なヒップを追い求めているのだ……ろう‼︎」
理事長は青年との出会いを思い出す。それはもう10年も前に遡るだろうか。青年がまだ学生服を着ていた頃だった。
◇◇◇◇
『少年よ。こんなところで一体何をしているのだ……ね』
当時はまだ八光学園に赴任していなく、世界各国の教育現場を視察していた理事長は数年ぶりに帰ってきた日本で不思議な少年と出会った。
その日は本州に台風が近づいていて、かなり雨風が強い日だった。そんな中で雨具も無しに両腕を広げている少年に興味が湧き、わざわざタクシーを降りてまで思わず声をかけてしまった。
少年は虚ろな目で振り返る。
少し目が合ったと思えばまた同じ方向へと視線を戻した少年はなにかボソボソと話し出した。
『時速60kmで走る車の窓から手を出すとDカップの胸の感触を得られるという話はご存知ですか?』
『うむ、聞いたことは……ある』
理事長は失望した。少年を見たとき何か惹かれるものを感じたのだが結局開口一番は胸の話。やはり若者に尻の魅力は分からないのだろうとその場から離れようと思ったが、少年は言葉を続けた。
『では、どれ程の風圧であれば尻の弾力を感じることができるでしょうか』
心臓がドクんと音を立てた気がした。額を流れるのは打ち付けられた雨なのか、または興奮により湧き出た汗なのだろうか。
『僕はこの世界に絶望しています。何故人は胸に憧れを抱くのか……何故人は胸を女性の象徴だと崇めるのか。解り合うことなど出来やしない。恐らく僕は人を超越してしまった』
少年は呟き、バレーのトスを上げるように腕を挙げながらそこにまるで尻があるかのように撫で回し揉みほぐした。
『これではないんだ。これは僕の理想の感触ではない』
理事長はそんな少年の姿を見て自分の中の最も大事なモノが高鳴るのを感じた。そう、この少年もまた自分と同じ境地に立つものだと気付いたのだ。
『貴方は尻と胸、どちらが好きですか?』
突然振り返った少年はこう質問した。その目は相変わらず虚ろなままだったが声には芯があった。少年の目を改めて見た理事長は彼の気持ちを理解できた気がした。自分の理想、それが他人のそれとは違う違和感。受け入れてもらうことが出来ない性癖。十数年の人生を孤独に生きてきたであろう彼のその絶望が。
『ふむ。考えるまでもない……尻……だ!』
『意見が合いますね』
少し驚いた表情を見せた少年は手を顎にあてほんの数秒思考した後に再び口を開いた。
『しかし、まだ認めるわけにはいきません。さっきまでの会話の中で僕が尻好きだと判断し話を合わせた……という可能性もある』
少年の発言に理事長は苛立ちを覚えこめかみに皺を寄せる。この私の尻好きを疑っている……だと⁈
『なぜ尻なのか……貴方が本当の尻好きなら……“本物”の尻好きなら答えられるはず。なぜ胸ではなく、尻なのか』
尚も真剣に質問を続ける少年。しかし理事長は微笑した。簡単なことなのだ。考えるまでもない。そこに尻があるから。そう、好きに理由など……ない‼︎
『予め言っておきましょう。僕は尻好きと公言する者に対しこの質問を繰り返し、そして失望してきました。好きに理由なんてないという答えに』
『なん……だと⁈』
『尻が好きと口にした以上、理由がないなどただの逃げ口上。そうだとは思いませんか?』
確かに彼の言う事には一理あると理事長は思考した。
私は尻が好きだ。そして本能の命じるがままに目の前のヒップを求めてきた。そしてその欲望は留まることを知らずついには外国にまで手を伸ばした。
理由……か。理事長は生きてきた数十年の尻人生を振り返りその奥にある本質に手を伸ばす。自分の心、自分の生きる意味……。
『赤ん坊が産まれる時、多くの子どもは母親の尻を向きながら産まれてくる。これを“前方後頭位”という。つまり、人はこの世に生を受けた時、その最初に目にするのは母親の尻なの……だ‼︎ 産まれた喜び、そしてそれを1番に祝ってくれるものはそう、尻だ。授乳するための胸など所詮は育ての親。産みの親こそ尻。尻こそが人間の原点、本質。人間は尻より生まれ、尻に還る。少年よ、そうは思わない……かね‼︎』
理事長の熱い想いに少年は肩を震えさせた。そして足元に落ちる美しい水滴。決して現れるはずのないと思っていた自分の理解者が現れたのだ。余りの感激にとうとう嗚咽まで漏らす少年を理事長は優しく包み込むようにして抱きしめた。それはまさに子を愛す母親のように。
『今まで寂しかったのだろう。真に自分を受け入れてもらえる存在がいなかった事に……。君の求めてた存在はここに居る。同好の士……よ』
『貴方は僕の救いです』
暫く理事長の胸板で涙を流した少年は落ち着きを取り戻し腕で涙をぬぐった。
そして理事長に向き直った目は先程までの虚ろなものではなく希望に満ちた目へと変わっていた。
『ふむ、グレイトな目になった……な‼︎ 私は栗原という、君の名は?』
少年の年相応に輝く目を見た理事長は、口髭を少し撫でて誇らしく微笑んだ後に名を名乗った。そんな姿を見た少年はクスリと笑い自分もまた名を名乗る。
『僕は茅場……茅場 晶彦です』
『晶彦か。いい名……だ‼︎』
◇◇◇◇
茅場 晶彦、量子物理学の専門家で天才的ゲームディレクターと言われている。
理事長の見ていた記事には“これはゲームであっても遊びではない”とライターからのインタビュー記事が掲載されていた。
一度コーヒーで喉を潤した理事長は大きく溜息をついた。
自分と同じ志を持った同士の活躍は単純に喜ばしいものである。それが息子同然と想い接してきた彼ならば尚更だった。
しかし、実は理事長と茅場はここ数年絶縁状態であったのだ。
それは現実世界と仮想世界という相容れない二つの世界に魅入られた男達のすれ違い。
両者の理想への追求が引き起こした追突。
激しい口論の末に二人は別々の道を歩むことになった。
彼の求めている世界に共感することは決して出来ないが、彼の尻への愛を誰よりも理解している理事長は複雑な気持ちで彼の完成させたゲームのパッケージを見る。
『ソードアート・オンライン』
このゲーム制作が理事長と茅場を引き離すことになった大きな原因だったのだ。
類稀なる才能と、大いなる理想を持ち、それを磨き続けた少年はやがて仮想世界を作り出しそこに自らの理想を創り上げた。
だが、理事長にはどうしても受け入れることが出来なかったのだ。作り物、紛い物の尻になんの価値があるのかと。
「これはゲームであっても遊びではない……か」
理事長は茅場が発言した言葉の真意を読み取る。
“私の尻への探求は遊びではない”これは晶彦から私へ発せられたメッセージであると理事長は確信していた。
作り物ではないと言いたい、ということか。
茅場の真意を確認すると同時に、理事長は数ヶ月前に男子生徒達とのやりとりを思い出していた。
『所詮おっぱいはお尻のまがいものに過ぎないのです‼︎』
藤野 清志、彼が本物の尻好きかを確認する為にかつての茅場の言葉を用いた。そして彼は見事に照明してみせた。己の内から涌き出でる欲求の理由を熱いシャウトに乗せて。
キヨシ君も我が人生において数少ない同士だ。あの若さであそこまでの愛を持てるなんて将来に期待できる。そういえば出会った頃の晶彦も彼と同じような歳頃だったかと理事長は考える。
理事長の人生のモットー、それは“尻好きに悪い人間はいない”だ。
茅場も尻を愛した男。意地の張り合いで仲違いしてきたが、もうそろそろ彼の意見を受け入れる時が来たのかもしれない。
「ソードアート・オンライン、ここに晶彦が理想を詰め込んだと言うのなら、一度見てみるべきだろう。素敵なヒップを求め……て‼︎」