遺船を漕ぐ   作:雨守学

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第1話

妻の愛美が死んで一年。

愛美が可愛がっていた金魚の「ちょすけ」が、今朝、死んでいた。

妻の好きだった彼岸花の傍に埋めてやると、情けないほどに涙が溢れだした。

 

「ちょすけ……」

 

世間では終戦一年を祝うようにして、どこの家も国旗を掲げている。

旗の靡く音と、蝉の大合唱。

それらの音が段々と小さくなってゆき、やがて消えた。

妻が死んだ時と同じ感覚。

無音の世界に取り残される感覚。

そうだ。

あの日も、こんな暑い日であった。

 

「…………」

 

振り向き、一人暮らしには広すぎる家を見た。

いつもは縁側に妻が座っていて、その奥にちょすけの鉢が置いてあった。

 

「今日も暑いわね」

 

そんな妻の声が、何処からか聞こえてくるような気がした。

 

「独りに……なってしまったよ……」

 

俺の声に、誰も応えない。

『咳をしても一人』

自然と、尾崎放哉の俳句が頭に浮かぶ。

 

「愛美……ちょすけ……」

 

俺はこの日、自殺を決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『遺船を漕ぐ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでよし!」

 

何処で買ってきたのか、最上は風鈴を吊るすと、満足げに縁側に座った。

 

「どうしたんだ、それ」

 

「買ってきたんだよ。だって先生の家、クーラーが無いじゃないか。だからさ、せめて雰囲気だけでも涼しくしようと思って」

 

「変わるもんかね」

 

「変わるさ。きっといい小説が書けるようになるよ。もしそうなったら、ボクの事を弟子にしてほしいんだけどなぁ」

 

「弟子を取るほど立派な小説家じゃない。俺の小説はもう売れない。今回脱稿した作品で最後だろう」

 

「そんな寂しいこと言っちゃだめだよ。ボクは先生の作品が大好きで、今の会社を選んだんだよ?」

 

戦後、一部の艦娘は社会に適応するべく、人と同じように働きに出たりしていた。

最上もその一人で、出版社に入り、売れない小説家である俺の担当……の補助をしていた。

尤も、俺に見切りをつけているのか、担当者はここ数か月来ておらず、ずっと最上に任せっきりになっているようであるが……。

 

「俺が書きたくても、会社はそうさせてくれないだろ。売れないものは売らない。お前の会社も、艦娘を受け入れることはしたが、慈善事業をやっているわけじゃ無いんだぜ」

 

「そうかもしれないけれど……。先生が切られたら、ボクが抗議するよ!」

 

「フッ……ありがとう。でも、もういいんだ。次の奴にバトンを渡すよ。お前も小説家になりたいんだろ? だったら、俺の代わりに頑張ってくれよ」

 

そう言って、俺は引き出しから万年筆を取り出し、最上に渡してやった。

 

「これって……」

 

「欲しがっていただろう? やるよ」

 

散々、欲しい欲しいと駄々をこねていたのに、いざ受け取ると、最上は複雑そうな表情を見せた。

 

「でも……やっぱり貰えないよ……。だってこれ、奥さんから貰った大切なものだって……」

 

「使わない奴よりも使う奴に持ってもらった方が、あいつも喜ぶだろうよ」

 

「……ボクは先生に書いて欲しいよ」

 

最上の風鈴が、蝉の声と共に鳴いていた。

 

「綺麗な音するんだな。確かに、涼しくなりそうだよ」

 

「…………」

 

「それは風鈴の礼だと思ってくれていい」

 

「これをもらうほどじゃないよ……」

 

「いや、それにしたって、ここまで支えてくれたのもある。無事に脱稿できたのだって、お前がいてくれたからだ」

 

「先生……」

 

「ありがとう最上。俺の作品を好きだと言ってくれて、本当に嬉しかった」

 

そう言ってやると、最上は喜んだり照れたりすることはせず、むしろ寂しそうに俯いた。

 

「どうした? 要らないか? それ……」

 

「ううん……そうじゃないよ……。ただ……」

 

「ただ?」

 

「ただ……先生がどこかに行ってしまうんじゃないかって……」

 

それを聞いて、感心した。

時折、勘のいいところを見せる奴だとは思っていた。

だが、ここまでとはな。

まるで、これから俺が自殺するのだと知っているかのような――。

 

「売れない小説家に情を抱いたら、売れるものも売れなくなるぜ」

 

「先生は貧乏性だもんね……。貧乏神なのかも……」

 

「嫌味を言えるほどなら、平気だな」

 

隣に座り、最上の頭を撫でてやった。

 

「いつかお前が売れた時、その万年筆を見せびらかせてくれ。これのお陰で売れましたってさ」

 

「……ふふっ、なにそれ。そんな詐欺商品みたいな。奥さんが聞いたら泣くよ?」

 

「お前を笑顔にできたのなら上出来だって、きっと褒めてくれるさ」

 

それを聞いて、最上は顔を真っ赤にした。

 

「そろそろ戻れ。売れない小説家の家に入り浸ってるなんて知れたら、クビになっちまうぜ」

 

「うん。でも、売れなくはないよ。きっと売れる。ボクがそうする。約束さ」

 

「あぁ、頼んだぜ」

 

「それじゃあ先生、またね」

 

またね。

俺はそれに、ただ笑顔で返すだけであった。

 

 

 

これが最後。

そう思うと、無性に鳳翔の店の飯が食いたくなった。

だが……。

 

「マジか……」

 

『定休日』

そう書かれた札を前に、俺は愕然としていた。

店の明かりはついておらず、中に誰かいる気配は無かった。

死ぬのを伸ばすか?

いや……今日でなくては駄目だ……。

今日は愛美の――。

 

「先生?」

 

振り向くと、買い物袋をぶら下げた鳳翔が立っていた。

 

「珍しいですね。いつもは夜にいらっしゃるのに」

 

「あ、あぁ……昼のメニューも気になってな……。だが、定休日であったか……」

 

「水曜日と日曜日は定休日なんです。ごめんなさい……」

 

「いや、そうか……。こちらこそ、何も知らずに申し訳ない……」

 

「いえいえ……」

 

休みは残念であったが、最後に鳳翔に会うことが出来て良かった。

 

「また別の日にでもいらしてください。夜以外でも、今日のようにお昼も来ていただけるよう、腕を磨いておきますので」

 

俺はそれに、最上に見せた笑顔で返すだけであった。

 

「先生? 笑ってごまかすのは駄目です! ちゃんと来るって約束してください」

 

いつもはそう言われると、俺はあたふたして、約束をしてしまうものだった。

鳳翔もそれを分かっていて、少し揶揄うようにして言ったのだろうが、俺の様子がおかしかったのか、どこか心配するようにして近づいてきた。

 

「あ、あれ……? じょ、冗談ですよ……? 困らせるつもりではなくて……。あの……本気になさらないで……?」

 

「い、いや……すまない……。少し暑くて、ぼうっとしてしまっていた……」

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

「あぁ、平気だ……。足止めしてすまなかったな。もう行くよ」

 

「は、はい。お気をつけて」

 

「お前もな。これからも美味い飯を作り続けてくれ。体に気をつけろよ。じゃあ……」

 

鳳翔の飯、食いたかったな……。

あいつの飯は、どこか愛美のものと似ているんだ。

だからこそ……。

 

「先生!」

 

振り向くと、鳳翔が俺の袖を掴んでいた。

 

「どうした?」

 

「あの……食べていきませんか?」

 

「え?」

 

「簡単な物でしたらお作り出来ますので……良かったら……」

 

「しかし……定休日なんだろう? 悪いよ」

 

「そうですけど……。ここで先生を行かせてしまったら……もう……来てくれない気がして……」

 

最上が見せた悲しい顔を鳳翔もしていた。

俺の様子、そこまでおかしかったのだろうか……。

お言葉に甘えてしまうのもいいかもしれない。

だが、無理して作ってもらっても、それはきっと――だからこそ――。

 

「……大丈夫だ。また来るよ」

 

「本当ですか……?」

 

「あぁ。約束する」

 

そう言ってやると、鳳翔は少しほっとした表情を見せた。

 

「では……」

 

小指を出す鳳翔。

今時、こんな約束の仕方をする奴がいたのだなと、少し笑ってしまう。

 

「な、何かおかしいでしょうか……?」

 

「いや……。指切りだな」

 

小指を絡めると、鳳翔は照れた様子で「ゆびきりげんまん~」と歌い始めた。

 

「――指切った。絶対にまたいらしてくださいね?」

 

「あぁ、分かっているよ」

 

「絶対ですよ?」

 

念を押す鳳翔。

だが、この約束が守られることは無い。

いつだって俺は、鳳翔との半強制的な約束に付き合わされてきたんだ。

たまには破って見せても、罰は当たらないだろう。

 

 

 

それからも、会える奴には片っ端から連絡を取り、最後の挨拶を済ませた。

途中、鳳翔の店で知り合った鈴谷にばったり会い、一緒に飯を食ったり、遊んだりした。

そんな事をしている内に、空はすっかり夕焼けに染まり、帰る頃には辺りは真っ暗になっていた。

 

 

 

家に帰り、金庫に保管していた遺書を机の上に並べた。

俺に肉親はいない。

全て、世話になった人たちに向けたものである。

その中には、今日挨拶した奴らも含まれていた。

 

「さて……」

 

首つり用のロープと、目玉が飛び出ない様にするための目隠し布。

畳を汚さないようにと、ブルーシートも用意した。

 

「…………」

 

最後だと思い、庭を眺めた。

ちょすけの墓と彼岸花。

月明りに照らされて、輝いていた。

 

「月が綺麗だな」

 

それは、妻へのプロポーズの言葉であった。

もちろん、答えは――。

 

「……本当に死んじまうんだからな。参ったぜ……」

 

こんな時でも、笑いは起きるものなのだな。

いや、或いは、死の恐怖を和らげるために――だったら、やめてしまえばいいものを――。

 

「愛美、ちょすけ、今行くからな」

 

居間に戻り、ロープを首をかけた。

途端に、心臓の鼓動が大きくなって行き、息遣いも荒くなっていった。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

いざこうしてみると、本当に怖いものなのだな。

 

「あ……目隠し……」

 

忘れたことで、少し安堵している自分がいた。

布は妻の仏壇の近くに落ちていて、拾い上げる時ふと、携帯電話が目に入った。

 

「…………」

 

妻の携帯電話。

未練がましく、解約も出来ていない携帯電話。

いつもは気づかれることも無く、ただ静かに充電されているものであったが、今日は違った。

 

「何だ……この点滅……」

 

緑色のライトが点滅している。

確認しようと、手に取った瞬間であった。

携帯電話は、けたたましい黒電話の音と共に、リズムかるに振動を始めた。

 

「うぉ……え……?」

 

急な事で驚いたのもある。

だが、それ以上に驚いたのは、その着信相手の登録名が「海軍本部」となっていたからであった。

 

 

 

電話に出てみると、やはり海軍であるようで、妻あてにかけたのも間違いなかった。

 

『そうでしたか……亡くなられて……』

 

「えぇ……。あの……妻とはどのような……?」

 

『……ご存知ないのですか?』

 

「え? え、えぇ……。海軍に友人がいるとも聞いたことありませんし……正直驚いているところです」

 

『……そうですよね。すみません……。知っているはずがありませんでした……』

 

沈黙が続く。

 

「あの……それで……妻とは……」

 

『知りたいですか……?』

 

やけに勿体ぶるな……。

 

「えぇ」

 

『……分かりました。ただ、本来であれば機密の情報ですので……もし本当に知りたいのなら、まず貴方の事が知りたいです』

 

「私の事……ですか……」

 

『機密を守ることが出来るかどうか……です……。お手数ですが……一度こちらに来ていただくことは可能でしょうか……?』

 

答えに詰まる。

もし向かうとなると、おそらく今日中という訳にはいかないであろう。

そうなると――。

ぶら下がっているロープを見た。

どうしても今日に――愛美の命日に、死にたかった。

だが……。

 

『どう……いたしますか……?』

 

「……私は――」

 

 

 

急激な光に目が覚める。

本来であれば、そこには天国か地獄が待ち受けているはずであった。

 

「おぉ……」

 

車窓一杯に広がる海。

朝日に照らされて、キラキラと光っていた。

 

「…………」

 

結局、俺は死ねなかった。

厳密に言うと、死を延期した。

妻の秘密を知り、気持ちのいい状態で死のうと、自殺セットはそのままで家を飛び出したのだった。

 

「海軍本部か……」

 

秘密の眠っている場所。

それが海軍本部らしい。

無論、訪れたことなどないし、場所すら把握していなかった。

幾度となく戦争の報道はあったものの、正直な話、関心が無かった。

 

「お目覚めですか」

 

急な問いかけに、俺は思わず息をのんだ。

対面式の向かいの席、そこに細身の女性が座っていた。

 

「雨野勉さん……いえ、先生とお呼びした方が宜しかったでしょうか?」

 

突然話しかけてきたこの女性。

その目は、何もかも見透かしているような、そんな目をしていて、ただ者ではない雰囲気を醸し出していた。

 

「……貴女は?」

 

「昨日、お電話した者です」

 

確かに、声に覚えがあった。

 

「そうでしたか。しかし、良く分かりましたね」

 

「えぇ、貴方の事は色々と調べさせていただきました。尤も、本部行きのこの電車で遭遇したのは偶然でしたが」

 

調べた……。

昨日の今日だぞ。

そんなに早く調べられるものなのだろうか。

 

「先生の事は存じておりました。私、先生のファンですから」

 

そう言うことか。

しかし、最上もそうであるが、あんな売れない小説にもファンが付いているものなのだな。

尤も、この女性はお世辞で言っているのかもしれないが。

 

「……あの」

 

「はい」

 

「私の事……ご存じありませんか?」

 

「え?」

 

俺が分からないでいると、女性は小さく笑って、どこか揶揄うようにして言った。

 

「実は私、こう見えても結構有名人なんですよ?」

 

女性の顔をまじまじと見る。

有名人……。

 

「……すみません。メディアには疎いもので……」

 

「フフ、そうでしょうね。じゃあ、これはどうでしょう?」

 

そう言うと、女性は海軍式の敬礼を見せた。

 

「大ヒントです」

 

海軍の関係者であることは分かっている。

それが大ヒントとは……。

 

「…………」

 

「分かりませんか?」

 

「いや……」

 

海軍の女性。

海軍……。

 

「もしかして……艦娘……?」

 

俺の答えに、女性は満面の笑みで答えた。

 

 

 

本部に着き、静かな敷地を歩いた。

何処に向かっているのかは、良く分からないままだ。

 

「大淀……聞いたことがあるな……。最上や鳳翔が時折その名前を出していた……」

 

「最上さんや鳳翔さんをご存じで?」

 

「えぇ……。あいつらとは、今住んでいる町で出会って……。最上なんかは、俺の担当の補助をしていまして……」

 

「そうでしたか。フフッ、一人称が変わったあたり、彼女たちと仲がいい様子が見てとれますね」

 

本当、何もかもを見透かされているようだ。

 

「雨野先生は、艦娘に対してどこまでご存知ですか?」

 

「どこまで……。知っている事と言えば、艦娘は深海棲艦に唯一立ち向かうことの出来る存在であり、人とは違う存在である……ということくらいでしょうか……」

 

「そうです。ただ、それは表向きの話です」

 

「表向き?」

 

「えぇ。ここです」

 

着いた場所には木造の建物があり、誰も使っていないのか、中はシンと静まり返っていた。

 

「昔、艦娘の寮として使われていた場所です。どうぞお入りください」

 

「お邪魔します」

 

古いのか、床はきしみ、歩く度に少しだけ沈んだ。

 

「先生を信用できる人とお見受けした上で、ここを案内させていただきます。ここでのことは他言無用でお願いします」

 

「分かりました」

 

「では、説明を……。といっても、これを見ていただけたら、ある程度は察していただけるかと思いますが」

 

そう言うと、大淀は一枚の札を手に取って見せた。

 

「これは、艦娘の在室を示す札です。もうお分かりですよね」

 

そこには、結婚する前の妻の名前が書かれていた。

 

 

 

妻の使っていたという部屋に案内され、そこで大淀の話を聞いた。

 

「先ほどの「表向き」というのは、艦娘が深海棲艦に対抗できる唯一の存在であるという部分です。公表されていませんが、艦娘は、深海棲艦を倒すことで生まれる謎の存在なのです。深海棲艦の亡骸から肉体が生まれ、艤装することで魂が宿る……。視点を変えれば、私達は深海棲艦である可能性もあると言うことです」

 

色々とトンデモナイ話を聞かされているが、一番気になるのはやはり……。

 

「妻は人間だ」

 

「えぇ、彼女は人間です。それは事実です。ただ、艦娘でもあった……というよりも、艦娘として戦っていた……という方が正しいでしょうね」

 

「艦娘として……?」

 

「深海棲艦が現れた時、まだ艦娘という存在はありませんでした。人間はあらゆる兵器を使い、深海棲艦に立ち向かいましたが、傷一つつけることはかなわなかった。そんな事が半年続いた頃……ちょうど、世間にも深海棲艦の存在が認知され始めた頃ですね。深海棲艦の攻撃を受けた海軍の人間の中で、数名の女性だけが、とある症状に見舞われたのです」

 

「とある症状……?」

 

「幻覚です。厳密には、後にそうではないと分かったのですが、ここではあえて幻覚とさせてください。艦娘が妖精を見ることが出来るのはご存知ですか?」

 

妖精。

それを聞いて、俺はふと、愛美の事を思い出していた。

愛美は時折、何もない所に向かって、独り言を話すことが多々あった。

独り言を言う癖は俺にもあったし、特に変だとは思っていなかったが、多かったことは事実であった。

 

「……その妖精が見えた……ということですね」

 

「そうです。もちろん、異常者として扱われました。しかし、彼女たちはその妖精の指示で艦娘の艤装を作りだし、それが深海棲艦に対抗する唯一の武器であることを証明したのです」

 

愛美は妖精が見えていた。

そこまでは分かった。

 

「ここからが本題です。その艤装……使いこなせたのは、妖精が見える人間だけでした……。つまり……」

 

「愛美もその一人だった……という訳か……」

 

「えぇ……。しかし、妖精が見えるとは言え、普通の人間ですから、傷つけばすぐに回復なんてことは出来ませんし、艤装を完全に使いこなすことは出来ませんでした。それでも、彼女たちは戦った。そして、新しい道を切り開いた」

 

「艦娘のドロップ……」

 

「そうです。艦娘こそ、妖精の作り出した艤装を使いこなし、深海棲艦に対抗できる力を十分に持った存在だったのです。艦娘と人間。最初こそは合同で戦っていましたが、艦娘の数が増えて行くにつれ、人間は艤装を艦娘に引継ぎ、やがて艦娘だけが残りました」

 

まるでおとぎ話でも聞いているかのような、信じるには努力の必要な話であった。

 

「愛美は……どうして俺にそのことを……」

 

「彼女達は率先して戦いに出ましたが、公表すれば、世間はそう思わないでしょう。ですから、機密としたのです。おそらく、愛美さんもその事を守って、誰にも言わなかったのだと思います。それが、夫である貴方であっても……」

 

それが全ての真相……。

愛美は、ずっと俺に隠し事をしていたのか……。

ショックはでかい。

だがそれは、嘘をつかれたからだとか、そういうものではなく、ただただ、俺の知らない愛美がいたことに対しての事であった。

 

「……実は、この話にはまだ続きがあるのです」

 

「え?」

 

「先生の知りたがっていた真相は以上ですが、今度は……私たちが愛美さんにあった用事の件です……」

 

そうだ。

海軍は、大淀は愛美に用事があったから電話したのだ。

 

「どのような用事ですか……?」

 

「……愛美さんの艤装を引き継いだ艦娘の事です」

 

 

 

寮から出て、敷地内にある学校のような場所に連れてこられた。

 

「見ての通りです。ここは元々、艦娘の育成の為に使われていた施設です。いわば学校ですね」

 

施設の中には数名の女の子が見てとれた。

 

「彼女たちは駆逐艦です。ご存知の通り、社会に出ることの出来る艦娘もいますが、まだ子供の駆逐艦たちにはそれが難しいのです。今はここで訓練を受けて、里親の元で暮らす準備をしています」

 

「里親……」

 

「実は、もうすぐ里親の元に送る予定なのですが……まだ決まっていない子がいるんです……」

 

「それが……愛美の……?」

 

「えぇ……。霞という艦娘なのですが……性格に少々難がありまして……。里親になりたいという人たちを、ことごとく失望させてしまって……」

 

「それで、愛美を頼ろうという訳ですか……」

 

「艤装には魂が宿っています。霞ちゃんが艦娘として生まれた時、その魂の一部に、愛美さんの魂も混ざっていたようで、二人はまるで姉妹のように仲が良かったのを覚えております。本当は、愛美さんには第二の人生を歩んで幸せになって欲しいと思っていましたから、こんな連絡をするつもりは無かったのです。しかし……もう霞ちゃんを理解してあげれるのは……愛美さんしかいなかった……」

 

だが、愛美は死んでしまった。

そうなると――。

俺の考えを読んだかのように、大淀は疲れたようにして笑って見せた。

 

「また探さないといけません……。以上が、愛美さんにあった用事です。ここまで付き合わせてしまって、申し訳ございませんでした」

 

「いえ……真相を知れてよかったです……」

 

これでやっと愛美の元へ行ける。

あの世で会ったら、今日の事を話して驚かせてやるんだ。

 

「あ……」

 

大淀は何かを見つけたかのように、施設の方を見た。

反射的に、俺も同じ方を見る。

そこには、銀色の髪をした、小さな女の子が立っていた。

こちらをじっと見つめるその瞳は、大淀と同じような――だが、少しだけ違う――例えるのなら、何もかもを疑ってかかるような、そんな目をしていた。

 

「彼女が……霞ちゃんです」

 

「あれが……」

 

霞はゆっくりと視線を外すと、そのまま施設の中へと戻っていってしまった。

 

「すみません……。挨拶するようにと教えてはいるのですが……」

 

「いえ……」

 

あの子が愛美の魂を……。

第一印象だけで言えば、そんなことは信じられなかった。

愛美のまの字も感じなかった。

 

「……そろそろ行きましょうか。愛美さんの事、もっと知りたいでしょうから、彼女の残した日記などをお見せいたしますよ」

 

「ありがとうございます」

 

大淀に案内され、愛美の軌跡を辿った。

そこには、今まで一緒に過ごしてきた時間は何だったのかと思うほどに、俺の知らない愛美がたくさんいた。

 

 

 

陽も沈みかけた頃、大淀と共に電車に乗り込み、海軍本部を後にした。

 

「私、この先の――って駅の近くに住んでいるんです」

 

「一人暮らしなのか?」

 

「えぇ、海軍からお給料も貰っていますし、それで」

 

この頃には、もうすっかり大淀と仲良くなっていて、俺は自然とため口になっていった。

大淀も、むしろその方がいいとのことであったので、お言葉に甘えさせてもらっていた。

 

「愛美さんの事、たくさん知れましたか?」

 

「あぁ……。結構ショックだったがな……。俺の知らない愛美が、あそこには多すぎる。まるで他人だ」

 

「先生の口から聞く愛美さんも、また違いますから、私も同じ気持ちですよ」

 

そう言うと、大淀は微笑んで見せた。

俺を慰めてくれたのだろう。

会ってまだ半日も経っていないが、大淀はそう言う気配りが出来る女であろうということは、十分に感じられた。

 

「そろそろ――駅です。先生、今日はありがとうございました」

 

「いや、お礼を言うのはこちらの方だ」

 

「その、良かったら、連絡先を交換しませんか? こうして出会ったのも何かの縁でしょうし……」

 

「――あぁ、そうだな」

 

一瞬躊躇ったのは、そんなことは二度とないだろうと思ったからで、交換に応じたのは、大淀がしてくれたように、俺からもお返しに気遣ったからであった。

 

「これでよし。ありがとございます」

 

「いや」

 

「あと……もし……ご迷惑でなければなんですけど……」

 

大淀は鞄から、ぼろぼろになった本を取り出すと、恐る恐る俺に差し出した。

 

「サイン……いただけないでしょうか……?」

 

その本は、全く売れなかった俺の処女作であった。

 

 

 

大淀と別れ、家に戻って来る頃には、空はすっかり暗くなっていた。

家に差し掛かった時、電灯の元に、小さな人影が在るのに気が付いた。

 

「あ! 先生!」

 

「最上」

 

最上は買い物袋をぶら下げ、何やら嬉しそうに俺の手を取った。

 

「遅いよ先生」

 

「どうしたんだ? そんな荷物を持って……」

 

「えへへ、先生にご飯作ってあげようと思って。脱稿祝い、まだしてなかったでしょ? ほら、お酒も買ってきたんだよ」

 

「そのために待っていたのか? いつから?」

 

「ん~細かいことは気にしちゃ駄目だよ。それより、早くお家に入れてよ。生ものもあるんだよ?」

 

「あ、あぁ……分かったよ……」

 

ずっと俺の帰りを待っていたのか。

来ると知っていれば、もっと早く帰って来たものを……。

 

「お邪魔しまーす。先に冷蔵庫借りるね。お酒、キンキンに冷えていた方が良いでしょ?」

 

そう言うと、最上は靴も揃えずに台所の方へと向かっていった。

 

「やれやれ……」

 

靴を揃えなおし、居間へと向かう。

暗いままの居間に足を踏み入れた時、何かシートのようなものを踏んだ。

その感触に気が付いた時、俺はしまったと思った。

だが、時すでに遅し。

居間に明かりが灯る。

 

「え……」

 

声の方を振り向くと、電灯のスイッチに手をかけた最上が、呆然と立っていた。

 

「なに……これ……」

 

視線の先には、吊るされたロープ。

そして、料理の並ぶはずのちゃぶ台には、数通の遺書が置かれていた。

 

「最上……これは……」

 

瞬間、最上は俺を押し倒し、力のない拳で叩き始めた。

 

「も、最上……! やめ……!」

 

最上は息を切らしながら、ひたすら俺を叩く。

 

「やめろ……!」

 

引きはがしても、再び向かってくる。

時間にしたら数十秒の攻防。

俺が最上の腕を抑え込む形で、それは終わった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「最上……」

 

「なんで……」

 

顔を上げた最上の頬には、大粒の涙が伝っていた。

 

「なんで……こんなこと……! なんで……!」

 

再び暴れ出す最上。

見た目からは想像も出来ないほどに力強く、俺は振り払われないようにと必死に踏ん張っていた。

 

「最上……!」

 

「この……! この……!」

 

「最上っ!」

 

子供を叱るような、そんな勢いのある声に、最上を含め、俺自身も驚いていた。

こんな声、出したことも無かった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「最上……」

 

「ふ……うぅぅ……うぁぁぁぁ……」

 

馬乗りのまま、最上は俺の胸の中で泣いた。

そして、俺の服が涙でびしょびしょになった頃、最上はようやく落ち着きを取り戻した。

 

 

 

「ほら、ココア入れて来てやったぞ」

 

「いらない……」

 

「……ここに置いておくから、飲みたい時に飲め」

 

最上が泣き始めてから、かれこれ一時間は経っていた。

冷蔵庫に入れられていなかった生ものはかろうじて無事であったが、酒は生ぬるくなっていた。

 

「……最上、今日はもう帰れ。途中まで送ってやるから」

 

「やだ……!」

 

「やだって……」

 

「だって……ボクが帰ったら自殺するんでしょ……! 先生が自殺をやめないなら、ボクはここから動かないから……!」

 

「……トイレとかどうするんだよ?」

 

「そう言う話をしているんじゃないんだよ……!」

 

そんなことは分かっている。

だが、こればかりは……。

 

「最上……分かってくれとは言わない……。ただ……放っておいてほしいんだ……」

 

「放っておけないよ……! 先生が死ぬのなら、ボクも死んでやる……!」

 

「最上……」

 

「……先生の様子がおかしいとは思ってたよ……もしかしたらって……。でも……そんなこと……先生は絶対にしないと思ってた……」

 

「…………」

 

「どうして……? どうして……こんなこと……」

 

話したところで理解はされないだろう。

愛美が死んで、ちょすけが死んで……。

小説も売れず、ただただ生きるだけ……。

ならいっそ、愛美やちょすけの元に……。

 

「先生……」

 

最上は寄り添うと、再び涙を流した。

 

「死んじゃやだよ……。寂しいよ……。ボク……先生の事が大好きだから……。お願いだよ……。死なないでよ……」

 

その涙に、流石の俺も心を動かされた。

自殺する決意は揺らがないが、今日死ぬことはやめよう、そう思った。

 

「……分かったよ。分かった……。やめる……。だから、今日はもう帰れ……」

 

「本当……?」

 

「あぁ、約束する……」

 

あくまでも、今日の話だけどな……。

 

「分かった……。でも……帰らないから……」

 

「え?」

 

「ほら……」

 

最上の指す方に、大きな荷物があった。

買い物袋に気を取られていたから気が付かなかったが……。

 

「ボク、今日泊まるつもりで来たから……」

 

「はぁ?」

 

「だって……お酒飲むし……。明日は有給貰ってお休みだし……」

 

「だからってお前な……。年頃の女が男の家に泊まりに来るなよ……」

 

「先生なら平気だと思って……」

 

「お前な……」

 

なんだか急に肩の力が抜け、俺は思わず笑ってしまった。

 

「馬鹿らしい……」

 

それは、最上に対してでもあり、死を覚悟した自分の気持ちにも言えた。

 

「駄目……?」

 

「……分かったよ。泊っていけよ」

 

呆れた顔でそう言ってやると、最上はやっと笑顔を見せた。

 

「えへへ……やったー。じゃあ……」

 

「まずは風呂入ってこい。相当暴れ回ったから、汗かいただろ」

 

「うん。あ、でも……先生も一緒に入るんだよ」

 

「入らねぇよ馬鹿」

 

「じゃあ、ボクが入り終わるまで傍にいて。目を離した隙に自殺なんてされたら困るし」

 

「しねぇよ」

 

「一緒に来てくれないなら入らないから」

 

「…………」

 

 

 

「先生、そこにいる~?」

 

「あぁ、居るよ。全く……」

 

最上がシャワーを浴びている間、俺は背を向けて、最上を待った。

 

「もうあがるよ。タオルを取ってくれないかな?」

 

風呂のドアが開き、濡れた腕が顔を出した。

腕なのに顔……か……。

 

「ほらよ」

 

「ありがとう」

 

タオルで体を拭く、生々しい音が聞こえる。

やましい気持ちは無いが、少しだけ緊張するな。

 

風呂のドアが開き、最上が出て来ると、脱衣所に湯気が立ち込めた。

 

「振り向いちゃだめだからね」

 

「分かってるよ」

 

「本当に駄目だからね」

 

「分かってるって」

 

「本当に――」

 

「だから……っ!」

 

思わず息を飲んだのは、最上が背中越しに抱き着いてきたのに驚いたからであった。

柔らかい感触。

おそらく、まだ服を着ていないのだろう。

 

「……おい。どういうつもりだ……?」

 

「先生……あのさ……。もし……もしだよ……? 先生が自殺した原因が……奥さんの事に関係しているのなら……代わりになりそうな人がいたら……自殺をやめる……?」

 

「え?」

 

「ボクは奥さんのようにきれいじゃないし……体も小さいし……先生に迷惑ばかりかけてしまうけれど……。奥さんが先生にしてきたことというか……その……ボクだって女だからさ……そう言うこと……出来るからさ……。もし……先生が望むなら……それで自殺を思いとどまるなら……ボク……いいからね……?」

 

それがどういう意味なのかは分かった。

だからこそ、最上の手を払った。

 

「馬鹿なこと言うな……。そんなんじゃない……」

 

「本当……?」

 

「あぁ……。だから、二度とそういうことするな……。もっと自分を大切にしろ」

 

「……うん。ごめんね」

 

「もういいだろ。居間に戻るぜ」

 

「うん」

 

愛美の代わり……か……。

そんな存在、居るわけがない。

仮に、最上の言うように、俺があいつを抱いたとしても、それは一時の感情に過ぎない。

一人の、一匹の雄の感情。

そんなもので、愛美の気持ちがかき消すことが出来るのなら、金を出して女を抱いているところだ。

 

 

 

それから最上と飯を食い、酒を飲み――気が付くと日付は変わっていた。

 

「そういやお前……」

 

俺の問いかけに、最上は答えなかった。

 

「最上?」

 

「ん……なに……?」

 

「お前、今寝ていただろ」

 

「寝てないよ……。ちょっと横になってただけ……」

 

「酒弱い癖に、無理するからだ。散々泣いたし、疲れているのなら寝床に行け。愛美の部屋に布団用意してあるからよ」

 

「ん~……先生、連れてって……」

 

「自分で行け」

 

「やだ……抱っこして……。お姫様抱っこ……」

 

こいつ、酔うと面倒くさいんだよな……。

普段の日だってそういう時があるのに……。

 

「しょうがないな……。ほら、こっちこい」

 

「わーい」

 

最上は全体重をかけて、勢いよく腕に乗っかった。

 

「ただでさえ腰に気を遣っているのに……よっと……」

 

「えへへ~。れっつごー!」

 

腰に気を遣いながら、最上を愛美の部屋へと運ぶ。

部屋には愛美の使っていたものは何もなく、だからといって何かを置いているわけでも無かった。

あまり訪れたくなかったのだ。

 

「ほら、降ろすぞ」

 

「ありがとう先生」

 

「水、ここに置いておくから、のどが乾いたら飲め。吐くことは無いだろうが、一応エチケット袋も置いておくぞ」

 

「うん」

 

「何かあったら、俺は自室で寝ているから呼べ。じゃあ、お休み」

 

そう言って立ち上がろうとすると、最上はそれを止めた。

 

「どうした?」

 

「先生……死なないでね……」

 

先ほどの陽気さはどこへやら、最上は再び涙を見せた。

 

「……死なないと言っただろう。ほら、もう寝ろ」

 

「寝るまで傍にいてよ……」

 

「分かったよ」

 

「あと、撫でて……」

 

「はいよ」

 

最上が寝付くまで、そんなに時間はかからなかった。

 

「ったく……」

 

やっとの事で解放されたが、自殺を図る気にはならなかった。

何よりも、最上が第一発見者になってしまうのは、とても……。

 

「…………」

 

俺が死んだら、悲しいと思ってくれる人がいる。

その人の為に生きるのも悪くないかもしれない。

ただ、それでもやはり、俺は愛美を忘れることは出来ないだろう。

愛美を想う気持ちに押しつぶされてしまうだろう。

最上は言った。

愛美の代わりになる人が必要なら――と。

愛美を忘れることが出来ない俺に、誰かを想う気持ちを生み出すことが出来るだろうか。

愛美以上の存在を、見つけることが出来るのだろうか……。

 

「……無理だろうな」

 

やはり、俺には――だが、それは今日でなくていい。

最上が帰った後にでも、そっと―― 一人で――。

 

 

 

朝陽と、味噌のいい匂いで目が覚める。

台所に行くと、最上が朝食を作っていた。

 

「おはよう先生」

 

「おはよう。朝食作ってんのか」

 

「うん。昨日はごめんね。ボク、面倒くさかった?」

 

「あぁ、相当な」

 

「ごめんって。もう少しでできるから、顔でも洗ってきたら?」

 

「あぁ、そうさせてもらう」

 

「あ、後さ、さっき携帯電話鳴ってたよ。出ようかと思ったけれど、登録されてない番号だったからそのままにしちゃった」

 

「知ってても勝手に出るな」

 

電話か……。

ここ最近、最上以外からの電話はないしな……。

鈴谷はメッセージアプリで連絡してくるだろうし……。

 

「えーっと……」

 

確かに知らない番号。

だが、見覚えはある。

 

「……0410」

 

下四桁のこの数字。

 

『おおよど……って読めるんですよ』

 

「大淀か……」

 

番号は聞いていたが、登録はしていなかった。

その後自殺するつもりであったしな……。

 

「大淀さん? 大淀さんと知り合いなの?」

 

「あ、あぁ……まぁな……」

 

「へぇ。大淀さん、海軍本部の近くに住んでるんだよね。どこで知り合ったの?」

 

「まあ、ちょっとな……」

 

詳しく話す事は出来ないし、それでいて面倒だったから、そう言った。

だが、それがいけなかったらしい。

 

「ちょっと、なに?」

 

「え?」

 

「ちょっと知り合ったって、どういうこと?」

 

手を止め、最上は乗り出す様に問いかけた。

 

「な、なんだよ?」

 

「先生、大淀さんとどうやって知り合ったの?」

 

「いや……まあ、ちょっと海軍本部に用事があって……その時に知り合ったんだ……」

 

「海軍本部? 先生が? 何をしに?」

 

「……どうでもいいだろう。飯、手を止めていいのか?」

 

「どうでもよくないよ。ご飯は火止めたから大丈夫。ねぇ先生、大淀さんとはどういう関係なの? 大淀さんの番号、どうして登録してないのに分かるのさ? もしかして、わざと登録してなかったの? 関係を隠すためとかさ」

 

質問攻めにする最上は、どこか――。

 

「……お前、なんか怒ってないか?」

 

「怒ってるよ!」

 

「なんで怒って……」

 

その時、電話が鳴りだした。

大淀からだ。

 

「もしもし?」

 

『おはようございます。大淀です。朝早くから申し訳ございません……。今、大丈夫でしょうか?』

 

「あぁ、大丈夫だ。昨日はありがとう」

 

『いえ、こちらこそ。実は、取り急ぎのお話がありまして……』

 

大淀が話し始めた時、最上が電話を奪い取った。

 

「あ、おい!」

 

「もしもし大淀さん? 先生とはどういう関係なの!?」

 

「最上、返せ!」

 

「もしもし!?」

 

 

 

結局、大淀が事情を話してくれたようで、最上は納得したんだかしてないんだか良く分からない表情で、俺に電話を返した。

 

「ごめんね……」

 

「ったく……。もしもし。悪かったな……」

 

『いえ、納得してもらえたかどうかわかりませんが……なんとか……』

 

「……話してよかったのか?」

 

『えぇ……人間が艦娘をやっていたことは、彼女も知っていますし……。先生の奥さんがそうであったとは知りませんでしたが……』

 

「そうか……」

 

『それにしても……フフッ、愛されているんですね』

 

「変に懐かれてしまってな……。それで、話とは?」

 

『えぇ……実は……霞ちゃんの事なんですけど……』

 

霞……。

 

『先生の事を霞ちゃんに話したんです。そうしたら、行ってみたいって……』

 

「行ってみたい……とは……」

 

『先生の……愛美さんのお家です……』

 

 

 

急遽、霞と大淀が家にやってくるとのことで、俺たちは出迎えの準備を急いだ。

 

「今日の今日来ることないのにね」

 

「時間が無いんだろ。忙しそうだったしな」

 

「そうかもしれないけどさ」

 

急ぐ理由は、おそらく他にもあるのだろう。

例えば、霞の里親の件だ。

大淀から聞いている霞の性格を信じるのならば、今日のように霞から何かを望むことは珍しいことなのだろう。

大淀は、里親を見つけるきっかけというか、霞の実態を知るきっかけになればと考えて、事を急いだのだと思う。

或いは、俺に霞を――だとしても俺は――。

 

 

 

急いでいるとはいえ、お昼前に来てしまうのは驚きであった。

 

「随分早かったのだな」

 

「実は……お電話する前から向かっていたのです……。霞ちゃんが早くしたいと……」

 

大淀の視線の先に、霞はいた。

目が合うと、どこか怪訝な表情を見せてそっぽを向いた。

迎える側だからこういうのも何なのだが、歓迎されていないらしい。

 

「急に押しかけてすみません……。これ、つまらないものですが……」

 

「どうも。どうぞ、上がってくれ」

 

「お邪魔しま――」

 

大淀が上がろうとすると、それを押しのけ、霞はずかずかと家に入っていった。

 

「あ、霞ちゃん! すみません……」

 

「いや……」

 

話に聞いていた通りの感じだが、実際に目の当たりにすると強烈だな……。

本当に愛美の魂を受け継いでいるのか疑問に思うほどだ……。

 

 

 

大淀と霞を居間に通し、手土産に貰った菓子と紅茶を出してやった。

 

「貰ったものですまない。今、最上に色々買いに行かせているのだが……」

 

「いえ、こちらこそ急な事で……」

 

俺たちが話している間も、霞は退屈そうにじっと手元を見つめていた。

 

「それで、愛美の事なのだが……わざわざ来てもらったのに申し訳ないが、実は……愛美の私物はこれしか残っていないんだ……」

 

そう言って、クッキーの入るような小さな缶を渡した。

 

「ここに納まるほどのものしか、もう残っていない。全て捨ててしまってな……」

 

霞は真っ先に缶を手に取ると、それを開けた。

中には携帯電話や身分証明書、結婚指輪に小さな小物が入っているのみだった。

その中の小さな破片のようなものを手に取り、霞は何かを思っていた。

 

「愛美はそれを大事にしていた。それが何なのかは教えてくれなかったが……お前は知っているのか……?」

 

霞は答えない。

それどころか、まるで聞こえていないと言うように、目線を変える事すらしなかった。

 

「……あとは、愛美の部屋でも見ていくか? 何も残ってはいないが……」

 

霞は小さく頷いた。

それが、俺と霞の初めてのコミュニケーションだった。

 

 

 

部屋に着くや否や、霞は少しだけ驚いた表情を見せた。

その理由を聞いても答えてくれなそうであったので、俺は黙っていた。

 

「ここが愛美さんのお部屋ですか」

 

「あぁ。元々物を多く持つ奴じゃなかったから、大きな家具が無いだけで、あいつがいた頃と変わらないんだ……」

 

「先生……」

 

よっぽど俺が寂しそうに見えたのか、大淀はそっと俺の背中に手を添え、慰めた。

 

「ねぇ……」

 

初めて聞く声。

それは、霞のものであった。

 

「一人にさせてくれないかしら……」

 

その表情は、どこか悲しそうであった。

そっと一人で泣くつもりなのであろうか。

 

「……あぁ、分かった。少し外す」

 

大淀もそれを察したのか、黙って部屋を後にした。

 

 

 

居間に戻ると、ちょうど最上が帰ってきた。

 

「ありゃ、間に合わなかったみたいだね……」

 

「すみません……。もうちょっとゆっくり来れればよかったのですが……」

 

「ううん。大丈夫だよ。それよりも、久しぶりだね、大淀さん。今朝はごめんね……」

 

「いえ……。ちょっと驚きましたが……」

 

「霞ちゃんは?」

 

「愛美の部屋にいるよ。一人にして欲しいんだとよ」

 

「そっか……」

 

それからしばらく、三人で色々な事を話した。

特に多かったのは戦時中の話で、報道されていないような苦労話の数々に、頭の上がらない気持ちになった。

それと同時に、愛美も同じ苦労をしてきたのだと思い、涙が零れそうになった。

 

「そう言えば、スイカがあったのだった。切ってくる」

 

涙を隠すため、台所に立った。

冷やしていたスイカをまな板の上に乗せた時、異変に気が付いた。

 

「あれ……?」

 

包丁が無かった。

 

「最上、包丁どうした?」

 

「え? 洗っていつもの場所に戻したけど……」

 

「いや……ないんだが……」

 

いくら探しても無かった。

 

「どこに置いて……」

 

ふと、ゴミ箱に捨てられている首つり用のロープに目が行った。

その瞬間、俺は良からぬことを思ってしまった。

それと同時に、霞がずかずかと家に上がっていった時、居間と間違えて台所に入っていたことを思い出した。

 

「…………」

 

 

 

そっと、愛美に部屋の前へと行き、ふすまの隙間から中を覗いた。

窓からこぼれる日差しの中で、霞はただただ項垂れていた。

 

「――……」

 

何かを呟いている。

何を言っているのかは分からないが、誰かに問いかけるような、そんな感じであった。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

やがて、霞の息遣いが荒くなった。

同時に、何かが光を反射した。

それは、台所から無くなった包丁であった。

 

「愛美……」

 

霞は包丁の刃を自分に向けると、先端を首に当てた。

瞬間、俺はふすまを開け、部屋に跳び込んだ。

 

「何をしているんだ!」

 

霞は驚いた表情を見せた後、すぐに包丁を俺に向けた。

 

「来ないで……!」

 

包丁を持つその手は、震えていた。

 

「お前……今……自分を……」

 

「…………」

 

「……愛美の元へ……行こうとしたのか……?」

 

俺の問いに、霞は目を逸らした。

 

「そうなんだな……」

 

「あんたには……関係ないでしょ……!」

 

確かに関係ないかもしれない。

俺に霞の自殺を止める権利も無い。

 

「…………」

 

俺は、どうして霞の自殺を邪魔しようとしたのだろうか。

そのまま見ていればよかったものを……。

自分だって、自殺を邪魔された身だ。

だからこそ、そっとしておいてほしいと分かっていただろう。

なのに――何故――。

……いや、分かっている。

分かっているからこそ――俺は――。

 

「確かに関係は無い……。でも……分かるんだ……。俺も……お前と同じで……自殺しようとした身だから……」

 

「え……?」

 

俺はすべてを霞に話した。

自殺しようとしたこと。

愛美への想い。

ちょすけのことだって――。

 

「だから、分かるんだ。お前の気持ちが……」

 

「私の……気持ち……?」

 

「本当は……怖いんだろう……? 死ぬ勇気なんて……最初からないんだろう……?」

 

そうだ。

俺は、怖かったんだ。

愛美を想うからこそ、愛美の元へ行こうと思った。

だが、出来なかった。

邪魔されたから?

違う。

最上が可哀想だから?

そうじゃない。

邪魔したあの電話も、出なければよかった。

最上の気持ちなんて邪険にしてでも、死ねばよかった。

だが、しなかった。

出来なかった。

適当な理由をつけて、人のせいにして、死を諦めた。

 

「どんなに愛美を想っても……この世界に絶望しても……やはり……死ねなかった……。死のうとすると、体は震えるし……息遣いは荒くなるし……何かやり残したことがあるんじゃないかって、自殺を諦める要因を探してしまう……。そしてそれを見つけると、ほっとする自分がいた……」

 

「…………」

 

「俺は……愛美に会いたいんじゃない……。この世界に絶望しているんじゃない……。今、気が付いたよ……」

 

「……だったら、何があるってのよ?」

 

「ただ……寂しいだけなんだ……。絶望も……自分では解決できないからって、悲観し、自殺を思うことで楽になっているだけだ……」

 

そう認めた瞬間、俺の頬に、大粒の涙が伝った。

 

「死んだところで……愛美には会えない……。死んだところで……絶望した世界は変わらない……。俺の居ない世界がただ回るだけで……俺はそれを見届けることも、思うことも出来ない……」

 

霞の手がより一層震えた。

その表情は、絶望に染まっていた。

 

「違う……」

 

「…………」

 

「私は……違う……! あんたとは違う……! 私は……私は……!」

 

「違わない……。俺とお前は同じだ……。何も生まない死を望み……それでいて死ぬことの出来ない……生きる屍だ……」

 

「違う……! 違うもん……!」

 

「霞……」

 

「違う!」

 

その時、ちょうど最上たちが駆け込んできた。

 

「先生? 何事……」

 

「きゃああああああ!」

 

大淀の悲鳴。

最上は表情を固めたまま、膝から崩れ落ちた。

 

「は……あ……あぁぁ……」

 

血の染まる霞。

だが、それは霞の血ではなかった。

 

「ぐ……うぅ……」

 

俺の腹に、包丁が刺さっていた。

まるでそこに心臓があるかのように、刺された部分が鼓動している。

痛くもあり、熱くもある。

 

「ふ……うぅぅ……」

 

横になり、流れる血を手に取った。

温かく、少しべたついている。

霞は包丁を持っていた時のままの姿勢で、震えている。

 

「霞……」

 

「あ……う……」

 

「はは……死ぬ勇気が無いなら……殺されればよかったんだな……今……気が付い……」

 

 

 

 

 

 

夢を見た。

愛美と初めて出会った頃の夢。

海の見える、サナトリウムに似た病院のベンチ。

そこで俺たちは出会った。

 

「隣、宜しいですか?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

「どうも」

 

最初こそは、そんなやり取りしかしていなかった。

ベンチに座っても、お互いの事なんて気にもせず、彼女は海を眺め、俺は本を読んでいた。

そんなことが数日も続くと、やはり少しは意識し出すのか、天気の話やら、気温の話やら、当たり障りのない話題をお互いに振るようになった。

 

「お仕事は何をされているんですか?」

 

「恥ずかしながら、小説家を……。この前、初めて本を出しまして……全く売れませんでしたけど……」

 

「まあ、何というタイトルですか?」

 

俺がタイトルを伝えると、彼女は驚いた表情を見せた。

 

「それって……これですか……?」

 

彼女の鞄から、俺の本が出て来た。

 

「え……?」

 

「もしかして……雨野勉先生……ですか……?」

 

「は、はい……そうですが……」

 

「嘘……。あ……わ……私……! 私っ……この本、とても大好きなんです! あああ、あの、サイン! サインいただけませんか!?」

 

そこからだったな。

俺たちの仲が急激に深まったのは――。

 

 

 

 

 

 

潮風の香りに、目が覚める。

 

「痛……」

 

腹の痛み……。

周りを見渡す限り、ここは病院らしい。

 

「……生きちまったのか」

 

確実に死んだと思っていたのだが、これくらいの痛みであるならば、おそらく内臓まで達していないのだろうな。

 

「幸福なのか……不幸なのか……」

 

「んぅ……」

 

その時、ベッド横で何かがもぞもぞと動き出した。

ギョッとして覗いてみると、寝袋を被った最上が、陽を眩しそうに目を擦っていた。

 

「最上……」

 

「ん……はれ……? 先生……?」

 

「おう……おはよう……。お前、ずっと看ててくれたのか?」

 

「え……?」

 

寝起きの最上は、いつだって頭の回転が遅い。

自分がどこにいるのかすら、分からない時があったしな。

 

「先生……?」

 

「おう」

 

「せ……先生! 先生っ……! 先生っ……!」

 

寝袋入ったまま、最上は芋虫のようにして俺に覆いかぶさった。

 

「お、おい……痛っ……いててて……!」

 

「あ……ごめんね……。ごめんねぇ……うぅぅ……うぁぁぁぁ……」

 

芋虫のまま泣く最上。

悪いとは思ったが、ちょっとおもしろくて笑ってしまった。

 

「心配かけたな……」

 

最上を慰めていると、病室のドアが開き、大淀が入って来た。

 

「雨野先生……! あぁ……良かった……」

 

「大淀。ここはどこだ?」

 

「ここは海軍本部の病院です……。あの後、本部に連絡して、ここに……。一般の病院ではないのは……その……」

 

大淀は言いにくそうにしていた。

その理由は大体分かっていたので、俺はあえてなにも聞かなかった。

 

「霞はどうなった……?」

 

「霞ちゃんは……その……」

 

「連れて来てくれないか……?」

 

「え……? しかし……今霞ちゃんは……その……」

 

「霞が来たくないと言っているなら別にいい。だが、責任を取らされているのなら別だ。解放してやってくれないか?」

 

「……上の者に相談してみます」

 

そう言うと、大淀は部屋を出て行った。

 

 

 

それから鳳翔が着替えを持ってきてくれたり、鈴谷が見舞いに来てくれたりと、艦娘ばかりが部屋を訪れた。

 

「先生、鈴谷達以外に友達いないの? マジウケるんですけど」

 

「あぁ、いない。皆疎遠になっちまった。小説ばっか書いてたからな」

 

「あ……ごめんね……」

 

「いや……別に……」

 

「でもでも、鈴谷は先生とずーっと友達でいてあげるからね」

 

「飯奢ってくれるからだろ?」

 

「そうそう。パパ活って奴?」

 

「パパ活ってお前……」

 

「パパ活って何ですか?」

 

「鳳翔さん知らないの? パパ活って言うのはね~」

 

「そこまでだよ鈴谷」

 

そんなことで騒いでいると、扉のドアが叩かれて、霞と大淀、そして、何名かのお偉いさんが入ってきて、謝罪をした。

色々と言われたが、掻い摘んで説明すると、今回のことは内密にって事であった。

 

「ほら、霞君も何か言ったらどうなのかね」

 

霞はうつむいたまま、黙りこくっていた。

 

「あの……彼女と二人にしてくれませんか……?」

 

「え?」

 

「話したいことがあるんです。いいですか?」

 

「はぁ……まぁ……。霞君、また変な気を起こしてはいけないからね」

 

「最上たちも……すまないが……」

 

「うん、分かった……。行こう、鳳翔さん、鈴谷」

 

霞を残し、他の連中は部屋を出て行った。

静かになった部屋には、波の打ち付ける音と、遠くで鳴く蝉の声しか聞こえなかった。

 

「大丈夫だったか……?」

 

「え……?」

 

「何か言われなかったか……? 今回の件で……」

 

「……別に。ただ……里親の元には出せないって……」

 

「……そうか。そりゃ悪いことしたな……」

 

俺がそう言うと、霞は少し怒った表情を見せた。

 

「なんであんたが謝るのよ……」

 

「俺の所為でそうなったからな……」

 

「あんたの所為じゃないでしょ……? 私が勝手に……その……」

 

「それを邪魔したのは俺だ」

 

そう言って微笑んで見せると、今度は悲しそうな表情を俺に見せた。

 

「……死ねなかった」

 

「え?」

 

「私も……死ねなかった……。怖かった……。愛美の元に行こうと……人間の社会に適応できない自分に絶望しようと……結局死ねなかった……」

 

「…………」

 

「同じなの……。私も……すぐには死ななかった……。あんたの話を聞いて……愛美が死んだことを聞いて……すぐに死ねばよかった……。でも……死ななかった……。愛美の部屋で死のうって……変なこだわりを持って……死を延ばした……」

 

霞は初めて、俺を真っすぐ見た。

 

「今だってそう……! 死ぬチャンスはいくらでもあったのに……! 私はまだ……ここにいる……!」

 

「霞……」

 

「私は……あんたと同じ……。寂しくて……孤独で……絶望してて……。でも……認めたくなくて……逃げようとして……結局死ねなくて……」

 

霞はとうとう泣き出して、まるで救いを求めるように、こう呟いた。

 

「愛美……愛美……。会いたいよぉ……もう一度私を抱きしめてよ……慰めてよ……救ってよ……うぅぅ……」

 

それは、俺が零すはずだった言葉の数々であった。

だからこそ、俺も大粒の涙を流し、そっと霞を抱きしめてやった。

 

「霞……俺たちは……生きなきゃいけないんだ……。寂しさも……絶望も……すべてを克服しなければいけないんだ……。愛美はもう……救ってはくれないんだ……」

 

「うぅぅ……」

 

「霞……共に生きよう……。お前が辛い時は……俺もそれを背負う……」

 

「そんなの……余計なお世話よ……」

 

「あぁ、そうかもな。でも……それを求めて……それが欲しくて……愛美を追ったのだろう……?」

 

「…………」

 

「家に来い、霞……。もし、生きようと思うのならな……」

 

病室にあたたかな風が吹き、大きくカーテンを揺らした。

遠くに沈む夕日が、霞の横顔を明るく照らしていた。

 

 

 

 

 

 

数日もすると、退院できるほどの体になった。

本当に傷は浅くて、気絶したのだって、血を見たからだとかそんな理由であった。

 

「お家までお送りいたします」

 

そう言うと、大淀は厳つい軽自動車を指した。

 

「お前のか?」

 

「えぇ。やっと免許を取れましたので。初運転だったりします」

 

「おいおい……」

 

「フフッ、冗談ですよ」

 

この頃にはもう、大淀もいつもの調子を取り戻していた。

あんなことがあったとはいえ、軽症だしな……。

 

 

 

運転は何も問題なく、むしろ大変上手であった。

 

「霞ちゃんにも声をかけたんですけど……来ませんでしたね……」

 

「あぁ……」

 

結局、あの時霞からどうするか聞くことは出来なかった。

それどころか、あれ以来顔も見せなかった。

 

「もし先生と霞ちゃんが一緒に住むことになったら、私も先生の家に通う口実が出来たのになぁ」

 

「遠慮なく遊びに来たらいいじゃないか」

 

「いいんですか?」

 

「あぁ。だが、残念だが……原稿を見せるわけにはいかないから、遊びに来たところで無駄足だぜ」

 

「なーんだ。じゃあいいです」

 

「やはりそれ目当てだったのか……」

 

「フフッ、冗談ですよ。でも、先生がそう言ってくれるなら、遊びに行っちゃおうかな。ドライブもしたいし」

 

そう言うと、大淀は嬉しそうに笑って見せた。

最初に会った時のあの雰囲気はもう無くて、まるで別人のようであった。

 

「そうだ……。大淀、これから時間あるか?」

 

「え? はい、ありますけど」

 

「寄ってほしいところがあるんだ……」

 

 

 

海の見える丘の上。

そこに小さなお寺がある。

 

「ここって……」

 

「用があるのは、こっちの墓地だ」

 

「墓地……。もしかして……」

 

「あぁ、愛美の墓がある……」

 

墓地はよく管理されているのか、長いこと訪れていないのに、きれいになっていた。

 

「愛美が死んでから、一回も来ていなかったんだ……」

 

「どうして……」

 

「受け入れられなかったんだ……。ここに来ると……愛美と本当にもう会えないんだって、思ってしまう気がして……」

 

「では……」

 

「あぁ……決別に来たんだ……」

 

線香を立て、好きだった夏ミカンを供えてやった。

 

「愛美……ごめんな……。ずっと来れなくて……。これからは……ちゃんと来るからさ……」

 

また会いに来るのに、決別とはな。

だがこれで、ようやく……。

 

「愛美……お前の元に行くのは……もう少し先になりそうだ……。俺は生きるよ……。今日は、それを伝えに来たんだ」

 

その時、海風が、しゃがんでいた俺の体を叩き、バランスを崩さまいと、思わず立ち上がった。

 

「…………」

 

「フフッ」

 

大淀が笑う。

 

「すみません。何だか、愛美さんがそうさせたのかなって」

 

「愛美が?」

 

「そう言う人でしたから。悲しい事が嫌いで、いつだって明るく振る舞っていましたから」

 

そう言えばそうだったな。

 

「悪いな愛美。もう大丈夫だ」

 

微笑んで見せると、風は止んでいった。

 

「そろそろ行くか」

 

「えぇ」

 

俺は生きる。

生きなければならない。

愛美がいなくても、小説が売れなくても。

死ぬことが出来ず、そうすることしかできないのなら、そうするまでなのだ。

 

「またな、愛美」

 

潮風に背中に受けながら、俺たちはあるべき場所へと戻っていった。

 

――続く

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