遺船を漕ぐ   作:雨守学

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第12話

「聞いて」

 

なに?

 

「今日ね、あの人が、キャンプ道具をたくさん貰って来たの。同僚の使い古しを……って。戦争が終わったら、一緒に行こうって」

 

キャンプ?

 

「でもね、ふふっ、どうみても新品でね? よーく見てみると、テントに値札が貼ってあったの。16万円って。16万円よ? 無駄遣いはいけないって、言ったのだけれどね」

 

最低ね、あんたの夫。

 

「けど、目を瞑ってあげたわ。だって、こんな状況なのに、わざわざそんなものを買ってくるって事は、きっと、私を安心させるためだと思ったから」

 

安心させるため?

 

「『戦争が終わったら、一緒に行こう』。それはつまり、無事に帰ってくるつもりだって事でしょ?」

 

そう言えばあんたの夫、死にに行くんだって言ってたらしいものね。

 

「だから、目を瞑った。あの人が無事なら、16万円だろうが何だろうが、どうだって良かったから」

 

あんたもそうだけど、あんたの夫も不器用よね。

そんなことでしか、気持ちを伝えられないなんて。

 

「まあでも、本音を言うとね? あの人とのキャンプが、ちょっと楽しみな自分がいたのよ。私達って、戦時中に知り合ったものだから、そういう事、したことなくて……。だから、目を瞑ったりして……」

 

やっぱり寂しい?

 

「今頃何してるのかな……。昨日ね、次はいつ会える? って聞いたらね――」

 

「おーい、そろそろ休憩終わるぞー!」

 

「あ、はーい! 呼ばれちゃった。じゃあ、行くね。また来るね、霞」

 

うん。

またね――

 

 

 

――愛美。

 

 

 

 

 

 

『遺船を漕ぐ』

 

 

 

 

 

 

「佐伯……?」

 

あきつ丸の腕は呼びかけに応じることなく、空中で止まっている。

――いや、止まってはいない。

小さく、ほんの小さくではあるが、震えていた。

 

「佐――」

 

もう一度呼びかけようとしたとき、静かな個室の中で、ぽたりと、何か雫のようなものが落ちた音がした。

重さのあるような――そう、謂うなら大粒の――。

大粒の――それは、あきつ丸の頬を伝い、次々と床を叩きつけていた。

 

「どうして……」

 

震える手に語り掛ける様にして、あきつ丸はそう零した。

手を止めている者――佐伯に対しての言葉かと思われたが、どうやらそうでなさそうだった。

あきつ丸が俺を見つめる。

 

「どうして……こうなってしまったのでしょう……?」

 

まるで癇癪から我に返ったかのようであった。

或いはその通りなのかもしれないが、とにかく、この数秒の間に、あきつ丸の心に何か変化があったようだ。

 

「……とりあえず、それを降ろしたらどうなんだ」

 

そう言ってやると、あきつ丸は手を降ろし、刃をテーブルの上に置いた。

 

「自分は……うぅぅ……どうして……どうして……」

 

情緒不安定。

そんな言葉が頭をよぎる。

だが、あきつ丸ほどの者が――ここまで考えてくるような者が、そんなものに陥る訳がない。

 

「あきつ丸……」

 

泣き崩れるあきつ丸をどうしていいか分からず、俺はただ、いつも泣かせてしまっている奴らにやるようにして、背中をさすってやった。

それにすがるかのようにして、あきつ丸も身をゆだね、泣き続けた。

そして、こんな言葉を頻りに言った。

 

「自分が彼女を殺したのであります……。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 

 

あきつ丸が泣き止むのに時間はかからなかった。

以前見せた涙とは違い、鼻水は垂れるは涙は大粒だ――まるで子供のそれではあったが……。

 

「大丈夫か?」

 

「はい……」

 

怒りの心はすっかり消え去ったのか、あきつ丸はいつもの様子を見せていた。

 

「……思いとどまってくれてありがとう。いや……謝るべきか……」

 

「いいえ……。貴方は悪くありません……。悪いのは……全部自分なのであります……」

 

悪いのは自分。

それは、俺に刃を向けたという意味における言葉ではない。

 

「自分が彼女を殺した……というのは……」

 

「言葉の通りであります……。彼女を殺したのは……自分なのであります……。それを認められなくて……認めたくなくて……貴方に罪を……擦り付けてしまったのであります……」

 

状況が全くつかめない俺に、あきつ丸は丁寧に説明をしてくれた。

 

 

 

それを知ったのは、彼女が死んで数日後の事でありました。

 

『彼女の死の原因が分かったよ』

 

陸軍からの連絡でありました。

正直、彼女の死因など、今更聞いても仕方がないと思いましたが……。

 

「して」

 

『彼女の症状が、所謂癌のようなものに蝕まれているのは分かっているね?』

 

「はぁ。しかし、癌とは違い、治療方法がないのだと聞いてはいますが……」

 

『そうだ。癌は原因となる細胞が存在するが、彼女の症状は、正体不明の――いや、目に見えない何かに体を蝕まれている状態であり、それを見つけることはかなわなかった』

 

何万回と聞いたことでありましたから、自分は「またか」と思い、小さくため息をつきました。

 

『だがね、見つかったのだよ。見つけたのは誰だと思う?』

 

「勿体ぶりますね。自分は上官から、まずは結論から話すよう教育されたものでありますが」

 

『勿体ぶるほどの話だということだ。いいか。盗聴対策は取れているね』

 

「もちろん」

 

『では話そう。見つけたのは艦娘だ。彼女の体を蝕んでいたもの……それは、君達艦娘にも存在している、艦娘にしか認識できない細菌のようなものであったのだ』

 

「細菌……でありますか……」

 

『その艦娘が、絵で可視化してくれたものを見ると、確かに細菌のような見た目をしているのだ。実際にそれが何なのかは不明だが、艦娘の細胞を移植したラットの実験で、彼女と同じ症状を再現できた』

 

「しかし、自分は何とも……」

 

『それも謎ではあるが、今のところ言えるのは、所謂純粋な艦娘にはそう言った事例が無いということだ』

 

「それ以外であれば拒絶反応が起きる……という事でありますか?」

 

『言い換えるとそうなる。彼女が深海棲艦の攻撃を受けた時、深海棲艦の細胞が一部一体化していたことは確認していたが……』

 

「公表は」

 

『出来るわけがなかろう。人間が艦娘をやっていたという事実そのものが、公表は出来ないのだから』

 

正直、この時は「その程度か」と思っておりました。

彼女は死んだ。

艦娘となったが故に。

いや、彼女に言わせれば、最初から死んでいたのであります。

 

『本題はここからだ』

 

「本題?」

 

『継承の事は覚えているかね』

 

「えぇ、当然であります」

 

『知っての通り、人間である彼女たちが艤装を操るのには、体に『針』を打ち込む必要があった。艦娘と違い、直感的な操縦が出来なかったのだ』

 

難しい話でありますが、簡単に言いますと、人間である彼女達は、確かに艦娘とほぼ同じ能力を持っていたのではありますが、一つだけ違う点があったのであります。

それが「艤装を直感的に扱えない」ということなのであります。

彼女たちが艤装を扱うには、体内に艤装から伸びる『針』を刺す必要があったのです。

当時はそのプロセスはよく分かっておらず、とにかく艤装から伸びる注射器のような『針』を皮膚に刺すことによって、艤装扱うことが出来たのであります。

艦娘はそんなことを必要とせず、単純に体に搭載するだけで扱えました。

 

『その『針』が何故必要であったのか、それは艤装を扱う為だ。艤装を調べてみると、とあることが分かった。それは、先ほど言った『細菌のようなもの』が大量に付着しているということだ。それは艤装本体が持っているものではなく、外部から付着したものであり、艤装を動かすエネルギーにもなっていた。つまり、艤装を動かしていたのはこの『細菌のようなもの』であったのだ』

 

「つまり『針』とは、細菌を艤装へ送るためのものであった……という訳でありますか。しかし、純粋な艦娘はどうして……」

 

『そこが今回の肝でね。彼女たちの持つ細菌は、艦娘のものと比べて不完全なものだった……というより、完全なものにするだけの能力を持ち合わせていなかった』

 

「不完全?」

 

『艤装の『針』から細菌を送っていたのは確かだ。だが、実は送るだけではなく、艤装側からも何か体内に送られてきていたようなのだ。それが体内を循環し、細菌を完全な形に変え、再び艤装へと送っていたようだ。純粋な艦娘は、そのプロセスは不要であり、かつ細菌が皮膚からの伝達により行われていたため、『針』が無くとも操れた……というのが今の見解だ』

 

「感染するのでありますか?」

 

『いや、艤装だけだ。例えるなら、細菌とは鉄であり、艤装とは磁石なのだ。細菌が艤装に感染した、というよりも、艤装自体が細菌を引き寄せたというのが正しいだろう。ただ、先ほどのラットと同じように、細胞自体を移植するのなら別の話ではあるが……』

 

「彼女は攻撃を受けた時、深海棲艦の細胞……つまり、細菌を移植する形になってしまったという訳でありますか……」

 

『そうだ。深海棲艦の細胞にも、その細菌は付着していた。細菌自体は、艤装を動かすためのものだけではなく、君たちの超回復にも一役買っていたのだ。だがそれは、完全な細菌を完全なものとして体内にとどめておける君たちだけの話であり、その他は変わってくる。ラットの実験で分かったことは、細菌を完全なものとして取り込んだのにもかかわらず、時間が経つにつれて、不完全な物へと変貌してしまう事だったのだ』

 

「拒絶反応……」

 

『そうだ。艦娘がどうやって、完全なものとして細菌を維持できているのかは解明されていないが、とにかく、人間……彼女たちはそれが出来ず、不完全な細菌を持つこととなった。その不完全な細菌こそ、癌のような症状を起こしている犯人であったのだ』

 

自分はここまでの話を聞いて、ハッとしました。

それを察してか、電話口の向こうで上官が静かに言いました。

 

『分かったかね。そうだ。継承だよ。艤装は細菌を完全なものとして循環させるものであった。それを失った彼女たちは、細菌を不完全なもののまま体内に宿し、蝕まれてしまったのだ』

 

 

 

「そこからの事はよく覚えていません。気が付けば、電話を切っておりました……」

 

あきつ丸の言いたいことは分かっていた。

もしあきつ丸が継承しなければ、佐伯は死ななかったのだ。

謂うならば、艤装とはワクチンの役割も持っていた。

それを奪ってしまったということなのだ。

継承によって。

そう、継承によって……。

 

『司令官の為にならない事』

 

青葉の言葉が、脳裏に響いた。

そうか。

そういうことだったのか。

これで全てがつながった。

青葉が隠していること、大淀が隠していること。

その全てが――。

 

「自分が殺した……。その事実を受け入れることが出来ませんでした……」

 

「だから俺を……」

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

自分の罪悪感から逃げる為、俺を恨んだ。

俺に全てをぶつけようとしたのだ。

 

「しかし、思いとどまってくれた。俺は確かに佐伯の事を忘れていた。どんな理由であれ、刃を向けられてもおかしくなかった……。だから、思いとどまってくれてありがとう、あきつ丸……」

 

あきつ丸は首を横に振った。

 

「自分を止めてくれたのは……彼女です……」

 

「彼女……。佐伯か……?」

 

「刃を振りかざした時、確かに誰かに手を止められました。そして、聞いたのです……彼女の声を……」

 

それがどんな声であったのかは説明してくれなかった。

いや、説明せずとも分かっていた。

きっと、あいつは――あいつなら――。

 

「あきつ丸……」

 

あきつ丸の手を取る。

冷たく、華奢な手であった。

 

「お前のせいではない。忘れていて言うのもなんだが……あいつもきっと、それを分かっているはずだ。少なくとも、俺の知るあいつは、そういう奴だと思う」

 

あきつ丸の中の佐伯も、きっとそうなのだろう。

だが、あきつ丸は、それをその通りに認めていいとは思っていない。

思ってはいけないと、思っているのだ。

 

「ずっと一人で抱え込んできたんだな……」

 

華奢な手が、小さく震えていた。

 

「俺がもっと早く、佐伯のことを思い出していれば……お前を苦しませずに済んだのかもしれない……」

 

あきつ丸は首を横に振った。

 

「ごめんな……」

 

そう言ってやると、あきつ丸は再び涙を流した。

どうしようもなくて、一人で抱え込んで――孤独だったのだろう。

最初こそ、青葉と交流を持ったのだって、きっと――。

 

 

 

「痛っ……」

 

「我慢するのであります」

 

店を出た後、裂かれた頬を手当して貰う為、近くにあるというあきつ丸の家まで来た。

 

「これで大丈夫であります」

 

「悪いな」

 

「いえ、悪いのは自分でありますから……」

 

先ほどの泣きっ面とは打って変わり、あきつ丸はいつもの様子を取り戻していた。

 

「立派なところに住んでいるのだな」

 

「一人暮らしには広すぎます。本当は、彼女と一緒に住もうと思い、ここを借りたのであります」

 

ふと、フォトフレームの中に、あきつ丸と佐伯がほほえんでいる写真を見つけた。

 

「戦後、再会してすぐの写真であります」

 

病室での写真。

再会してすぐということは、8月~のはずだが、花瓶には勿忘草が生けられていた。

 

「造花であります。彼女は、この花が好きだと言っておりましたので……」

 

勿忘草か……。

俺はふと、財布に忍ばせてあった栞を思い出し、取り出した。

 

「それは?」

 

「勿忘草の栞だ。すっかり忘れていた。もう駄目になりかけているな」

 

そう言った時、ハッとした。

この勿忘草を栞にした経緯を――勿忘草を手にした経緯を思い出したのだ。

 

「……そうか」

 

あの時――戦争が激化した、夏の頃。

押し入れに電気を引いて、薄暗い明りの中で小説を書いていた頃に見た、フードを被った小柄な人影。

勿忘草を置いていった、あの人影は――。

 

「そうか……。お前だったんだな……」

 

『私を忘れないで』

 

その花言葉が、俺の胸を締め付けた。

止めどなくあふれ出る涙。

 

「ごめんな……佐伯……」

 

そんな俺を、あきつ丸は理由も聞かず、ただただ傍で慰めてくれた。

 

 

 

あきつ丸と別れ、俺は家路についていた。

結局、あいつは許してくれたらしい。

ずっと孤独であった自分を救ってくれたのだと、感謝もされたくらいだ。

ただ、俺たち二人にとって、許す許さぬということは、さほど重要ではなかったのだ。

 

「霞殿も……この事を知ってしまったら、きっと……」

 

「あぁ、だから、黙っていてほしいんだ。お前が苦しいのは分かっている。誰かを頼らなくてはいけない事も……。だが……」

 

「えぇ、大丈夫であります……。ずっと、一人で戦ってきましたから。それに、今は貴方がいる。何かあったら、頼りにしても宜しいでしょうか?」

 

「あぁ、俺で良ければ」

 

「ありがとうございます。その……勉さん……って、これからも呼んでも……?」

 

「好きに呼んでくれ」

 

「はい。では、勉さん。ありがとうございました」

 

「あぁ」

 

その時見せてくれたあきつ丸の顔は、今まで見たどんな笑顔よりも、純粋で、美しかった。

 

 

 

長い一日を終え、家に帰ると、霞が出迎えてくれた。

 

「お帰り……」

 

不機嫌だ、というようにして、霞は腕を組んでいた。

 

「ただいま。どうした? 不機嫌そうにして」

 

「実際不機嫌なの……。ったく……こんな時間までどこ行ってたのよ……」

 

時計を見ると、すっかり日が暮れている時間であった。

 

「色々な。お前の方は、昨日夜更かしして、寝ていたんじゃないのか?」

 

「流石に起きるわよ……。起きてもあんたいないし……。帰ってこないし……」

 

「何か不都合でもあったか?」

 

そう聞いてやると、霞は俺に蹴りを入れた。

 

「痛っ。何すんだよ」

 

「フンッ……」

 

霞はそそくさと居間へと戻っていった。

なんなんだ一体……。

 

 

 

「いてて……」

 

自室であきつ丸に貼って貰ったデカい絆創膏を外すと、傷口はすでにふさがっていて、血は止まっていた。

痛々しい傷だけは残ってしまってはいるが……。

 

「さて……」

 

居間に戻ろうとしたとき、ふと、愛美の写真に目が行った。

 

「…………」

 

あきつ丸の話を聞いて、一番に考えた事。

佐伯には悪いが、愛美の事であった。

愛美も佐伯と同じで、原因不明の病と闘っていた。

それはつまり、あいつも同じように――。

もし、継承をしなければ、愛美は今も――。

 

「違う……」

 

佐伯の言うように、きっと攻撃を受けた時、愛美は死んでいたのだ。

たまたま奇跡が起こっただけで、霞が悪い訳ではない。

そう、違うのだ。

違う。

……違うと分かってはいる。

それでも、思ってしまうのだ。

あの元気な愛美の姿を。

そして、もっと早く解明されていれば、愛美を救えたのではないのだろうかと……。

 

 

 

居間に行くと、霞は相変わらず機嫌が悪そうであった。

ソファーに座ると、霞も隣に座り、仏頂面でテレビを見始めた。

 

「どうして不機嫌なんだ?」

 

「どうしてって、そりゃあんた……」

 

霞は俺の顔を見ると、青ざめた。

 

「あんた……その傷なによ……?」

 

「え?」

 

「そこの傷よ……」

 

頬の傷か。

絆創膏で隠れていて見えていなかったのか。

 

「あぁ、ちょっとな」

 

「ちょっとじゃないでしょ……。見せて……」

 

霞が顔を近づけるものだから、俺は少しドキッとしてしまった。

こんな至近距離で顔を見たのは、初めてかもしれない。

 

「深くはないわね……。ちゃんと消毒はしたの……?」

 

「あぁ、まあ……」

 

「切ったような傷だけど……本当にどうしたのよ?」

 

「何でもない。ちょっと転んだだけだ」

 

「あんたがそう言う時って、嘘って事でしょ……? あんた、そうやっていつも愛美に言って……」

 

愛美に言って……か。

色々と分かったことは多いが、やはり霞が愛美の記憶を持っていることは謎のままだ。

継承はされている。

だが、それは戦時中の記憶であり、戦後の記憶があるのは、どうも――。

結局はふりだしに戻っただけで、最初に知りたかった重要な事は、なにも分かっていない……。

 

「俺の傷の事はどうでもいいだろう。それより、機嫌はなおったのか?」

 

そう言ってやると、思い出したかのようにして、ムッとした顔を取り戻した。

 

「霞」

 

頭をなでてやると、霞は少し悲しい表情を見せ、俺の胸に顔を埋めた。

 

「おっと。どうした?」

 

「別に……。ただ……」

 

「ただ?」

 

「ただ……不安になっただけよ……。起きたらあんたがいなくて……帰ってこなくて……。連絡だってしたのに……出なくて……」

 

携帯電話を見ると、確かに連絡が入っていた。

全く気が付かなかった。

 

「それで不機嫌だったのか」

 

「別にあんたがどこに行こうと勝手だし……誰のものになったっていいけれど……」

 

あげた顔は、ほんの少しの怒りと、ほんの少しの悲しさが混じっていた。

 

「私を疎かにするのは……違うでしょ……」

 

その表情に、俺はつい笑ってしまった。

 

「案外、寂しがり屋なんだな」

 

「分かってたことでしょ……」

 

「素直だな」

 

「あんたの前では素直でいたいのよ……」

 

そう言って、霞は撫でるよう促した。

赤子のように撫でてやると、恥ずかしそうにしながらも、身を委ね始めた。

 

「私……これ好きなのよね……」

 

「赤ちゃんごっこがか?」

 

「言い方……」

 

「甘える事がか?」

 

「うん……。私たちは生まれてから、こういう温かい事……されて来なかったから……」

 

「愛美にはしてもらっていたんだろう?」

 

「そうだけど……。他の目もあったから……中々ね……」

 

「そうか」

 

こういう性格だから、そう言うの気にしちゃうんだろうな。

甘えるにしたって、恥ずかしい事をしているという認識はあるようだし、中々心を許せる環境ではなかったのだろう。

 

「ねぇ……背中も撫でて……」

 

「背中? 構わないが……」

 

背中をさすってやると、霞は何かのスイッチが入ったかのようにして、完全な甘えん坊モードに入った。

 

「ぎゅってしていい……?」

 

「あぁ」

 

「もっと撫でて……。時々名前で呼んで……霞って……」

 

要望する声は、完全に甘いものであった。

 

「あと、褒めて……。いい子いい子って……して……」

 

「はいよ」

 

こりゃ完全にスイッチ入ったみたいだな。

甘えてくることはしばしばあったが、ここまでなのは初めてだ。

きっと、ずっとこうしてほしかったのだろうな。

後で我に返った時が大変そうだが。

 

 

 

「あぁぁぁぁぁ……!」

 

風呂から出てくると、霞がソファーの上で悶絶していた。

 

「ははっ、我に返ったようだな。どうだ、今の感想は?」

 

「うっさいわね! あぁぁぁ……死にたい……」

 

「俺が風呂入る時、『やだ……もっと撫でて……』って言っていたが」

 

「言うなぁ……うぅ……」

 

「続き、しなくていいのか?」

 

揶揄うように言ってやったつもりだが、霞は一瞬、固まった。

 

「悩んだな」

 

「悩んでないし……」

 

「しかしまあ、あまりあのモード入ると癖になりそうだし、自重した方がいいかもな」

 

「……やっぱりそう思う?」

 

「フッ、ってことは、良くはあったんだな」

 

罵声が飛んでくるものだと思っていたが、霞は耳を赤くして小さく頷くのみであった。

 

 

 

それから数日後。

俺は再び大淀をカフェに呼び出した。

めかしこんで来た大淀の表情を凍らせたのは、共に来た青葉とあきつ丸であった。

 

「どういうことですか……?」

 

「どういう事も無い。ただ、話をしに来たんだ」

 

青葉とあきつ丸の顔合わせは、ここに来る前に済ませた。

二人っきりで話したいとのことで、遠目に様子を見ていたのだが、険悪な様子はなく、むしろどこか楽しそうであった。

 

「青葉さん……貴女、何を話したのですか……?」

 

「青葉は何も話してません。司令官がたどり着いたのです」

 

「たどり着いた……」

 

「とりあえず座れよ。こうなった経緯を説明する。その後、俺の質問に答えて欲しいんだ」

 

警戒するようにゆっくり座る大淀に、いつも飲んでいるコーヒーを注文してから、俺は今までの事を大淀に話した。

途中、あきつ丸や青葉が補足してくれたことで、話はスムーズに進んでいった。

 

「――なるほど、良く分かりました。つまり、あきつ丸さんは先生を恨んで嘘をついていたという訳ですね……。罪悪感から逃げるために……」

 

あきつ丸は小さく頷いた。

 

「申し訳ございませんでした……。大淀殿にも……ご迷惑を……」

 

「本当ですよ……」

 

大淀はムッとした表情を見せた後、小さく笑って見せた。

 

「でも、もういいです。正直に話してくれましたし、それだけで十分です。それに、私もあきつ丸さんの事、秘密裏に調べていましたし……。利用して、陸軍の情報を抜こうとしたのも事実です。ごめんなさい……」

 

「大淀殿……」

 

二人は和解の意味も込めて、握手を交わした。

その様子に一番安堵していたのは、他でもない青葉であった。

 

「良かったです……。本当に……」

 

思えば、一番板挟みにあっていたのは青葉だ。

安堵する気持ちも分かる。

 

「仲良くなったのはいいことだ。だが、本題はここからだぜ」

 

大淀は分かっているのか、目を伏せがちに俺の言葉を待っていた。

 

「話にもあった通り、佐伯は死んだ。原因不明の病でな。それは愛美も同じことだ。俺の言いたいこと、分かるよな?」

 

大淀は小さく「はい」と答えた。

 

「いつから知っていた。愛美の死の原因を……」

 

「……私が知ったのは、戦後すぐの事です」

 

「では、俺と会った時には、もう……」

 

「ごめんなさい……」

 

「だとしたら、愛美の携帯電話に連絡してきたのは何故だ……!?」

 

静寂が店内を包み込む。

それを切るようにして、大淀は言った。

 

「先生に……霞ちゃんを引き取って貰う為です……」

 

 

 

いつだったか、あきつ丸が言っていたことは正しかったのだ。

霞を洗脳しているわけではなさそうであるが……。

 

「愛美さんが亡くなっていたことは知っていました……。もちろん、夫である貴方の事も……。海軍も陸軍と同じ考えでした。継承の事……もとより、人間が艦娘をやっていたという事実を隠さなければいけませんでした……」

 

大淀は一呼吸おいてから続けた。

 

「愛美さんの携帯電話が解約されていないのを知った時、先生が愛美さんの事を忘れられないでいるのだと察しました。これを利用する手は無いと思いました……」

 

そこからの事は聞くまでも無かった。

俺はまんまと大淀に乗せられ、霞を引き取ったのだ。

 

「全部嘘だったって訳かよ……。俺のファンだって事も……」

 

「ごめんなさい……。あの本も……先生に信用されるため、探し、ボロボロに加工したのです……」

 

思えば大淀は、最上や霞ほど、熱心に俺の本を追っていなかった。

 

「最低だよ……。お前……」

 

「仕方がなかったんです……! 私だって……好きでこんなことをしているわけじゃないの……! いつもいつも、面倒ごとは私に押し付けられて……。そもそも……私は……嫌だったんです……。誰かに、あの子たちを押し付けることは……。もっと自然に……ゆっくりと……育んでほしかったんです……」

 

大淀は今にも泣きだしそうな顔で、俺を見つめた。

 

「私だって……一人の女性なんです……。友達と遊んだり……恋をしたり……そんな普通の事がしたかった……。私は好きで貴方を裏切った訳じゃないんです……。むしろ……貴方の事が好きだった……。味方をしたかった……。仕事や利害関係だけじゃなく……私を受け入れてくれる貴方を……裏切りたくなかった……」

 

そこまで言うと、大淀はぽろぽろと涙を流した。

 

「何度、貴方に打ち明けようかと考えたか……。でも……出来なかった……。もう遅かったんです……。裏切ったことが知れて……貴方に嫌われるのが怖かったんです……」

 

そこから、大淀は「ごめんなさい」としか言わなくなった。

演技なら大したものだ……なんて、嫌味を言っても良かった。

だが、色々な涙を見て来たからこそ分かる。

大淀の涙は本物であった。

それが、裏切ったことによる罪悪感だとか、そういう意味合いの涙ではない事も、分かっていた。

 

「大淀殿も……自分と同じであります……。誰にも相談できず、一人で戦ってきたのであります……」

 

「司令官……」

 

大淀を責めても意味がないことは分かっている。

 

「――分かっているんだ。ただ……俺だって我慢してるんだぜ……。俺の気持ちも……分かるだろ……?」

 

俺の言葉に、皆俯き、黙り込んだ。

皆知っていたからだ。

この全ての顛末を。

知らなければ、きっと俺に何か言ってやれただろうに。

 

「お前を恨んじゃいない。お前を非難しない。ただ、俺には気持ちの整理をする時間が必要だと思う……」

 

席を立ち、金を机の上に置いた。

 

「話してくれてありがとう……。また連絡する……」

 

立ち去ろうとした時であった。

 

「待……って、ください……」

 

しゃっくり混じりの泣き声。

震える手。

俺の手を掴んでいたのは、大淀であった。

 

「もう一つだけ……お話したいことがあります……」

 

「……なんだ?」

 

「それは……青葉さん……貴女から……言っていただけませんか……?」

 

「え……」

 

皆が青葉を見る。

何のことだが、青葉は良く分かっていないようであった。

 

「貴女がどうして……どうして先生に協力していたのか……私には分かっています……。貴女は……先生を乗せた『船』だったのでしょう……?」

 

船……?

 

「どうしてそれを……」

 

「貴女に見せた『時代錯誤遺物』の『日記』は、全てではありません……。貴女の事も……そこに……」

 

俺とあきつ丸は、大淀が何を言わんとしているのかさっぱりであった。

時代錯誤遺物?

日記?

船?

 

「……そういう事ですか。しかし……その事を話したら、きっと司令官は……」

 

「そんなことで二人の関係は崩れないでしょう……。現に、今だって先生は――。それよりも、霞ちゃんが全てを知ってしまう方が問題です……。彼女に一番近い先生だからこそ……全てを知った先生だからこそ、話さなければいけないと思います……。彼女に気づかせないためにも……」

 

「けど……この事こそ知られたら……。海軍を……裏切ることになるんですよ……」

 

「いいんです……。これが、私の償いです……。私の覚悟です……」

 

そして、こう続けた。

 

「……けど、本当は……本当は、きっと、貴女と同じ理由です。もっと早く言うべきことで……もっと早くにするべきであったこと……」

 

大淀の目が、俺を見つめた。

潤んだ瞳の奥に、呆然と佇む俺が写っていた。

 

「いつからか……貴方をお慕いしておりました……。そんな貴方の為になることを……私にさせてほしいのです……」

 

そう言うと、大淀は微笑んで見せた。

どこか安心したような、そんな微笑みであった。

 

「……司令官」

 

今度は、青葉が俺の手を掴んだ。

それに合わせて、大淀は名残惜しそうに、手を放した。

 

「場所を変えましょう……。二人で話がしたいです……」

 

状況を飲み込むことが出来ない。

ただ、青葉の目は真剣であった。

青葉は何か重要な事を知っている。

『司令官の為にならない事』というのは、この顛末ではなかったのか……?

 

「……分かった」

 

見送る大淀とあきつ丸を背に、俺たちは店を出た。

 

 

 

青葉が指定したのは、海の見える丘の上であった。

そこにはサビたベンチが一つあり、俺たちはそこに座り、しばらく潮風にあたっていた。

 

「貴方と海を見るのは……あの――島に行った以来ですね……」

 

「そうだな……」

 

沈黙が続く。

まだ夕方にもなっていないのに、太陽は海の向こうを目指し、何処までも伸びる雲を赤く染め始めていた。

 

「懐かしいです……」

 

懐かしい……か。

俺はこの時、青葉は昔に見た――戦時中に見た景色の事を言っているのだと思っていた。

だが、そうではないようで、青葉はこう続けた。

 

「貴方と見た光景です」

 

思わぬ言葉に、俺は青葉を向いた。

その表情は――俺を見つめるその表情は、今まで見たどんな表情よりも、なんというか、青葉らしいものだと思った。

 

「貴方とお話することが……青葉の夢でした……。青葉の願いでした……」

 

そう言うと、青葉は事の顛末を話し始めた。

そして、全てを話し終わった後、青葉は言った。

 

「やっと、本当の意味で、貴方をこう呼べます」

 

いつも言っている言葉を言おうとしているのに、青葉はまるで、初めていうかのようにして、緊張の面持ちで『呼んだ』。

 

 

 

 

 

 

「『司令官』」

 

 

 

 

 

 

――続く

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