あれは、暑い夏の日の事でした。
大破し、放置されていた青葉に話しかけてくる人がいました。
「よう、青葉。元気か? って、元気なわけないよな」
驚きました。
だって、今まで青葉に話しかけてくる人なんて、ただの一人もいませんでしたから。
――いえ、おかしい事なんです。
普通は、そんな事をしません。
だって、青葉は――青葉たちは――。
「――はぁ……何をやっているんだ俺は……」
無論、彼もそのことを分かっていました。
それでも、何か理由があるのか、彼はずっと青葉に話しかけました。
「それから――」
「雨野指令! 雨野指令! どちらにいらっしゃいますか!?」
「おっと、呼ばれてしまった。あー……話を聞いてくれてありがとう。また来る。では」
雨野勉。
若くして、――艦隊の司令官となった男。
普通、青葉なんかには『乗らない』、目上の人でした。
それから雨野司令官は、暇を見つけては青葉に乗り、話しかけました。
「俺には、愛美という妻がいる。こいつが中々のいい女でな。この前なんか――」
最初こそは、変な人だと、何かの戯れなのだと思っていました。
けれど、彼の話はとても面白くて、とても引き込まれて――日が経つに連れ、青葉にとって彼との時間は、かけがえのないものとなっていました。
なにより――
「――ということがあってな。あの時の光景をお前にも見せてやりたかったよ」
青葉に話しかけ、青葉に微笑んでくれる『貴方』に、青葉は――。
ある日、貴方は青葉に告げました。
「明日、俺は死ぬ」
聞くと、――作戦の指揮を取るというのです。
青葉は、その作戦を知っていました。
敵を混乱させるための囮作戦であることを――。
そして、帰ることが無い作戦であることも――。
「妻には言わなかったのだが、何かを感じ取ったのか、不安がっていたよ。だが、まあ何とか丸め込んだ」
そう言うと、貴方は微笑んだ後、悲しそうな表情を見せました。
「お前にだけは言うが、本当はまだ生きていたいんだ……」
だったら逃げてしまえばいい。
そう言いたかった。
――いえ、本当は言っていたんです。
けど、伝わるはずがありません。
「さて……そろそろ行かないとな……。お前とこうするのも、今日で最後だな」
そんなこと言わないでください!
――もちろん、届くはずがありません。
「俺の話、退屈であっただろう」
退屈などではありません!
「もしお前が口を聞けたのなら、話を聞いてやれたのだがな」
青葉の話なんかどうでもいいです!
ずっと、貴方の――司令官のお話を聞いていたいのです!
だから――!
「……なんてな。青葉。もし俺もお前も死んで、人も『船』も同じ場所にたどり着くというのなら、その時はまたお前に乗せてくれ」
やめてください……。
行かないでください……。
「じゃあな」
去って行く貴方の背中に、青葉はずっと、言葉を投げかけていたんです。
聞こえるはずのない、言葉を――。
『司令官……! 司令官!』
『遺船を漕ぐ』
「『司令官』」
その言葉で締めくくると、青葉は恐る恐る俺に近づき、その身を寄せた。
「温かいです……。司令官……。青葉は……また貴方に出会えて……本当に……嬉しくて……」
震え、涙を流す青葉。
慰めるようにしてそっと抱きしめてやったものの、俺の心にあったのは、憐憫の情であった。
彼女の言う『司令官』は、俺ではないからだ。
そして、それは夢の話であったからだ。
艦娘の見る夢。
戦いの『夢』であったからだ。
「分かっています……」
俺の思っていることを読んだかのようにして、青葉は言った。
「所詮は『夢』の話だと思っているんですよね……。現実ではないと……」
俺は何も言わなかった。
いや、何と言ったらいいのか分からなかったのだ。
「確かに『夢』で見る事ではあるのです……。しかし、青葉たち『艦娘』にとっては、確かに『体験』した『事実』なんです。確かな『記憶』なんです」
真に迫る青葉。
それに反し、俺の心にはまだ、憐憫の情が残っていた。
だが、次の言葉で、それは覆されることとなる。
「今からお話しすることは、霞ちゃんが持っている愛美さんの記憶にも関わることです。どうか、そんな顔なさらずに、聞いてください……」
俺の目の色が変わったのを確認すると、青葉は語り始めた。
艦娘が見る夢が二つあることは、ご存知かと思います。
存在するはずのない『戦いの記憶』。
そして、継承元の記憶を引き継ぐ『継承の夢』。
青葉のお話した司令官との記憶は、前者の『戦いの記憶』にあたります。
『戦いの夢』
それは、存在するはずのない戦争の夢。
全艦娘が共通して、同じ『世界』として見る夢。
この夢の中に存在する『世界』では、艦娘は『船』であり、人と人の戦争の為に戦っています。
謂わば、『兵器』なのです。
そして、その指揮を取っていた一人が、『雨野勉』――貴方です。
――いえ、正確には貴方ではないのですが……何と言ったらいいのか……とにかく、貴方と同じ顔で……名前も……好みも……妻にしている人も……全部が貴方とあてはまるのです。
青葉が貴方の事に詳しいのは、その人との記憶があったからなんです。
そこまで言い切ると、青葉は一呼吸置いた。
そして、俺の様子を見ると、続けた。
分かります。
所詮は夢です。
記憶違いかもしれないし、夢なんてものは曖昧だし、貴方の事を知ってから、あれはそうなんだって思い込む事もあります。
青葉も最初はそう思っていました。
大淀さんから、あの話が挙がってくるまでは……。
貴方の事を『思い出した』のは、戦後の事でした。
ただ、ぼんやりとした記憶で、所詮は夢なのだと思っていました。
所謂、『戦いの記憶』なのだと……。
あきつ丸さんから貴方を監視するように頼まれ、貴方を一目見た時、夢で見た人は貴方だと確信しました。
名前も、見た目も、全てが一致したんです。
――はい、仰る通り、後からそう思いました。
夢で見たことだと、勝手に思い込んでいるだけだって。
確かに一目惚れでしたから、夢で見た人物と思い、重ね、都合よく考えていただけなのかもしれない……と。
監視してゆくにつれ、ますます夢で見た人物と重なって行く。
夢で『聞いた』好みも、何もかも……。
違うのは、貴方が小説家であることだけ……。
違うとは分かっていても、貴方の事が気になって気になって仕方がなかった。
あきつ丸さんの依頼が完了しても、青葉は貴方をずっと見ていました。
ある日――ちょうど司令官が、大淀さんに「愛美を忘れる」と伝えた後の事です。
実は、大淀さんから一件の依頼を受けたのです。
「雨野勉を監視してほしい」と。
どうやら、貴方が愛美さんを忘れると聞いて、今後接触が難しくなると考えたのでしょう。
大淀さんは、貴方の事をずっと観察していたようですから……。
青葉は唐突に、「あ……」と、何か思い出したかのような声を漏らした。
「すみません……。この話をするには、別の話をする必要がありました」
どの話からしても構わない。
何故なら、今の俺には、青葉が何を言わんとしているのか、さっぱりわからないからだ。
まず、司令官、貴方は海軍から監視されていました。
その監視している人物こそ、大淀さんだったのです。
監視されている理由は――これから話す事は、とりあえず聞いてください。
後で全てがわかりますから――。
監視されている理由は、貴方が『司令官』であるからです。
所謂、『戦いの記憶』での『司令官』――『雨野勉司令官』であるからです。
青葉が大淀さんから、貴方の監視を頼まれた時、その話を聞かされました。
簡単に言うと、『戦いの記憶』は実際にあった出来事の記憶であり、その記憶に存在する『雨野勉』と貴方は同一人物である可能性があるという事でした。
――もちろん、青葉も信じられませんでした。
しかし、大淀さんの見せてくれた『時代錯誤遺物』の『日記』を見て、確信したんです。
貴方が、青葉の知る『司令官』であると……。
『時代錯誤遺物』
英語で『Out of Place Artifacts』――つまり『オーパーツ』です。
存在しえない人工物を指します。
その一つが、『日記』です。
正確には、『雨野愛美の日記』と呼ばれています。
そうです。
愛美さんの日記です。
しかし、司令官の知る愛美さんとは違い、こちらは『雨野勉司令官』の妻にあたる『雨野愛美』です。
『戦いの記憶』の方です。
そして、その『日記』には、『戦いの記憶』と一致するようなことが書かれておりました。
そもそも、そんな『日記』がどこから出て来たのか。
実は、深海棲艦の発生場所では、毎回奇妙な『人工物』が発生していたんです。
拾い上げてみると、何かの残骸のようなものだったり、本のようなものだったり――。
尤も、本のようなものは損傷が激しく、そのほとんどが読み取ることが出来ないものでした。
戦時中だったのもあり、その正体を突き止めることはなかったのですが、戦後になり、流れは変わりました。
所謂、『細菌』の発見です。
あきつ丸さんから聞いた通りです。
戦後、艦娘にしか認識できない『細菌』のようなものが発見されました。
そして、その『細菌』が大量に付着していたのが、この『人工物』だったのです。
「司令官、大丈夫ですか?」
項垂れる俺に、青葉は心配そうに寄り添った。
「いや……うぅん……。考えをまとめようとしているんだが……どうもな……」
「……分からなくて当然です。青葉も、理解するのに時間がかかりましたから……。何も知らないのなら、当然です……」
「つまり……簡単に言うと、お前たちの言う『戦いの記憶』は本当であり、そこに存在するのは、俺にそっくりな『雨野勉司令官』と、その妻の『雨野愛美』である。そして、『戦いの記憶』の『世界』の存在を裏付けるのが、『雨野愛美の日記』だということか……」
「はい、そうです」
なるほど……と言いたいところだが、整理するので精いっぱいだ……。
「話を切ってしまってすまない。とりあえず続けてくれ」
「あ、はい!」
えーっと……そう、『人工物』ですね。
戦後、『人工物』に大量の『細菌』が付着していることが分かりました。
続けて、本のようなものの解析も行われ、『日記』であることも分かりました。
一年以上をかけ、内容の解析を行い、ついに『雨野愛美』という人物が書いた日記であることが分かりました。
さらに、日記と一緒に挟んであった、損傷の激しい写真を復元することに成功しました。
そこに写っていたのは、男女二人。
青葉の知る『雨野勉司令官』であり、『雨野愛美』でした。
大淀さんからその写真を見せられた時、驚きました。
貴方と同じ顔をしているものですから。
あきつ丸さんからの依頼を受けていることを大淀さんに悟られないよう、初めて見る顔だと言うように振る舞っていましたが、青葉は泣いてしまいそうでした。
貴方が青葉の知る『司令官』であると確信したから――願いが叶ったと思ったからです。
貴方の傍に居たいという、願いが――。
長々とお話しましたが、本題はここからなんです。
『日記』が正しければ、『戦いの記憶』の『世界』は存在することになる。
では、どこにそんな『世界』が存在していたのか。
過去?
異世界?
別惑星?
別宇宙?
未だに、その事については分かっていません。
異世界であることが有力ですが……。
――とにかく、『戦いの記憶』にせよ、『時代錯誤遺物』にせよ、どこから来たのか分かりません。
しかしそれは、深海棲艦や艦娘なども同じなんです。
――分かりますか?
共通しているんですよ。
どこから来たのか分からないという点が。
そしてもう一つ、共通していることがあります。
それは……『細菌』を持っているかどうか、です……。
『細菌』は、『戦いの記憶』に関連するものしか有していません。
逆を言えば、『細菌』自体が、『戦いの記憶』の『世界』に存在するものなのではないか、という事なんです。
もっと言い方を変えれば、『細菌』を持ったものは、『戦いの記憶』の『世界』から来たものなのです。
深海棲艦も、艦娘も、その『世界』から来た可能性があるのです。
そういう事であれば、青葉たちが『戦いの記憶』を持っている辻褄が合います。
最近では、その『細菌』が記憶に関連しているのではないかと言われております。
各艦娘が使用する艤装に付着している『細菌』は、その形が不規則に見えて、実は法則があると分かったからです。
DNAのような、遺伝情報の継承に関係しているのではないかと言われております。
そこまで聞いて、俺はハッとした。
今までの、全ての記憶がフラッシュバックしてきて、ある一つの答えにたどり着いたのだ。
「愛美は……」
「え……?」
「愛美は時折……戦争の夢をみるのだと言っていた……」
「それって……」
「もし……『細菌』が記憶に関係しているのだとしたら……愛美は艤装から、その記憶を継承した可能性がある訳だ……」
「……そうなります」
「その記憶をさらに継承したのが、霞だ……。霞は愛美の記憶を持っていた。俺と出会った後の記憶を……。継承されるはずのない記憶を……。そして……『戦いの記憶』には、俺と同一人物かのような奴がいる。それは愛美も同じだ……」
青葉は、俺が何を言いたいのか分かったようで、目を細め、俺の言葉を待った。
「つまり……霞の記憶にある愛美の記憶は、愛美の記憶ではない。『雨野愛美』の記憶の可能性がある……違うか……?」
青葉は小さく頷くと、先ほどの続きだと言うようにして、語り始めた。
青葉が大淀さんに見せてもらった『日記』には、『雨野勉司令官』や『雨野愛美』自身の事だけではなく、とある『船』についても書かれていたのです……。
その『船』の名は……『霞』です。
『日記』によると、『雨野愛美』は、海軍の『造船部』という、船体の造修を行う部に配属されていたようです。
そこで彼女が担当していた『船』が『霞』でした。
『雨野愛美』は、『霞』に愛着があったのか、よく『話しかけていた』そうです。
また、造船部にいる女性が彼女一人であった為、寂しさから話しかけたのだろうと、『日記』からは推測できます。
『雨野愛美』は、『霞』になんでも話したそうです。
自分の事、夫の事――毎日の出来事まで――。
そう、青葉と同じです。
『霞』は、青葉と同じように、お話を聞かされていたんです。
――もう分かりますよね。
霞ちゃんが持っている記憶は、先ほど貴方の言っていた、「『雨野愛美』の記憶」なのではなく、「『雨野愛美』から聞いた、『雨野愛美』の記憶」なのです!
言い終えると、青葉は安心したというようにして、肩を落とした。
そして、心配そうに俺を見つめた。
なるほど……そういう事か……。
「お前が心配しているのは、それを聞いて――霞が愛美の記憶を継承していないと聞いて、俺が霞との関係にひびが入ると思っているからか」
恐る恐る、小さく頷く青葉。
どうやら、『司令官の為にならない事』というのは、この事だったらしい。
「……確かに、驚いたし、急な事で頭が追い付かない」
「司令官……」
「だが……大丈夫だ。俺たちは、愛美を忘れるために、生きる為に共にいるんだ。あいつも俺を好きだと言ってくれたし、あいつが望む限りは、一緒に居るつもりだ」
それを聞いて、青葉は心の底から安心したと言うようにして、表情を崩した。
そうだよな。
「……本当にずっと、一人で抱え込んできたんだな。辛かっただろうに……」
「いえ……。司令官の気持ちを考えれば……」
「ありがとう、青葉」
その言葉に、青葉は複雑そうな表情を見せた。
そのコロコロと変わる表情の変化の原因を、俺は知っていた。
「青葉……」
「はい……」
「お前も……向き合わなきゃいけない事があるんじゃないのか……?」
全てを知った今だからこそ、問うべきこと。
青葉自身が、向き合わなきゃいけない事。
「全てを知った今だからこそ、お前に改めて問わせてもらう……」
青葉は覚悟しているというようにして、俺を見つめた。
「お前にとって、『俺』とはなんなんだ……?」
遠くで、大きな貨物船が警笛を鳴らしていた。
「俺は……お前の言う『司令官』ではないんだ。お前だって、本当は分かっているんじゃないのか……? 分かっているからこそ……向き合えないでいたのではないか?」
青葉は分かっているのだ。
その答えを――霞の持っている記憶がそうだったように、青葉の知る『雨野勉司令官』が、俺の中に居ないことを。
「今回の件、本当にお前が俺の為にならないと思っていれば、接触なんてせず、継承の事をほのめかす事もしなかっただろう。あきつ丸や佐伯の事だって、知っていても、話す必要はなかっただろう」
青葉は俯き、俺の言葉を待った。
「お前は向き合えなかったんだ。『雨野勉司令官』の居ない世界と……。だからこそ、俺に接触し、『演じた』。俺が『雨野勉司令官』で、お前が『青葉』。取り戻すことの出来ない『願い』を再現し、閉じこもったんだ……」
酷いことを言っているのは百も承知であった。
だが、これ以上、青葉を『独り』にするわけにはいかなかったのだ。
「青葉……」
今にも泣きだしそうな青葉。
握られた拳が、小さく震えていた。
「俺じゃ……駄目か……?」
「え……?」
「俺じゃ……お前の孤独を埋められないか……?」
「司令――」
「――違う」
冷たい海風が、二人の間を吹いていった。
気が付けば、太陽はとうに沈んでいた。
「俺は……雨野勉だ……。司令官ではない……」
遠くでもう一度、貨物船が警笛を鳴らした。
先ほどよりも小さく見えていている貨物船は、どこか遠く、俺たちの知らない国へと、旅立ってゆくようであった。
「お前も、そうだろう……。お前は『船』じゃない。言葉を――気持ちを伝えることの出来る存在だ。青葉という名の、他にない、唯一無二の存在だ」
青葉の手を取り、拳を解いてやる。
他の連中と比べ、苦労をしているような手であった。
「青葉」
名前を呼ばれた青葉は、顔をあげ、俺を見つめた。
その表情は――いや、或いはこんな気持ちだからなのかもしれない――いずれにせよ、俺はその表情を、初めて見るものであるように感じたのだ。
それは、青葉も同じだったのだと思う。
だからこそ――
「青葉……」
何処までも響き渡るような大声で、青葉は泣いた。
それは、『雨野勉司令官』を――『青葉』を――大切にしていた全てが無くなったことを――取り戻せない過去であるということを、青葉自身が認めた証拠でもあった。
向き合った証拠であった。
藍色すらも黒に飲まれ、オリオン座が顔を出した頃、青葉はやっと泣き止んだ。
「平気か?」
「はい……。すみません……」
子供の様に泣いたことが恥ずかしいのか、青葉は顔を赤くした。
「こんなに泣いたのは……初めてです……」
「まるで生まれたばかりの赤子のようであったぜ」
「ある意味ではそうなのかもしれません……。青葉は……初めて青葉に向き合ったのですから……。『船』でない、青葉に……」
生まれ変わった、という訳か。
「青葉は……ずっと、貴方の事を『司令官』として見てきました……。でも……貴方は青葉を……青葉として見てくれていたんですね……」
「こんなこと言っちゃなんだが、そもそも『船』の青葉を知らんから、そうなるよな」
そう言って微笑んでやると、青葉も小さく笑った。
「それもそうですね」
数秒の沈黙。
「そんな青葉ですよ……。そんな青葉でも……貴方は……受け入れてくれるというのですか……?」
「俺は最初から受け入れている。お前が俺を受け入れてくれるかどうかだ。さっき聞いただろ。まだ返事をもらってないぜ」
そう言って、俺は返事を待つようにして、青葉に向き合った。
その時丁度、月が雲の合間から顔を出し、俺たちを照らしてくれた。
「青葉は……青葉を受け入れます。貴方を受け入れます。前に……進みます……!」
「青葉……」
遠くで、先ほどの貨物船が警笛を鳴らした。
どうやら遠くに行ったわけではないようであった。
「あの……こう言っては失礼ですが……貴方の事……司令官って……これからも呼ばせてもらっていいですか……?」
「好きに呼んでもらっていいさ。お前が俺の事をどう呼ぼうとも、それは俺の事だって、誰でもない俺のことでだって、もう分かったからな」
「司令官……」
「青葉」
安心した時、俺のお腹がぐぅと鳴いた。
幸い、青葉には聞こえないほど小さなものであった。
飯時か。
そう思い、時計を見た時であった。
「――……」
両手に俺の頬を包み、青葉は精一杯の背伸びをして、俺に口づけをした。
そして、徐々に顔を真っ赤に染めながら、ゆっくりと唇をはがした。
「あ……青葉……?」
呆然とする俺を見て、青葉は何やら困惑しているようであった。
「あ、あれ……? し、司令官? あの……え……あれ……?」
「ど、どうしたんだ急に……お前……キスって……」
「え……あ……だ、だって! あの……司令官……青葉を受け入れてくれるって……それで……青葉も受け入れるって……返事が欲しいって……司令官が言ってたから……あの……」
青葉は身振り手振りで何かを説明しようとしている。
受け入れる……返事が欲しい……。
突然のキス……。
……あぁ、そういうことか。
「お前、もしかして……受け入れるって……その……告白されていると思ったのか?」
「え……?」
「受け入れるって、そのままの意味だぜ。今のお前を、友達として……」
それを聞いて、青葉は先ほど以上に顔を真っ赤に染めた。
「あ……あ……あぁぁぁぁ……! あ、青葉……トンデモナイ勘違いを……。ごごご、ごめんなさい! あの……その……!」
「あぁ、いや……。俺も思わせぶりだったかもしれんしな……。悪い……」
「い、いえ! 青葉が悪いんです! あぁ、どうしよう……。司令官の唇を奪って……あぁぁ……鈴谷さんに悪いことを……」
頭を抱える青葉。
その様子に、俺はつい笑ってしまった。
「わ、笑い事じゃないですよぉ……」
「悪い。まあ、してしまったもんは仕方がない。お互いに忘れるって事で、手を打とうじゃないか」
「し、司令官がそれでいいなら……」
「じゃあ、そういうことだ。今のは無し。改めて、俺を受け入れてくれるか? 友達として」
青葉は両手で頬を冷ました後、やはり恥ずかしそうに「はい」と答えた。
「よし、じゃあ、この話は終わりだ。あー、腹減ったよ。鳳翔のところで飯でもどうだ? 奢るぜ」
「いいんですか?」
「あぁ、お前がお前を受け入れられたお祝いだ」
「司令官……。ありがとうございます!」
「あぁ」
ふと、遠くの海を望んだ。
海面に月明りが反射して、線状に伸びていた。
どこまでもどこまでも、遠くに続く道のように――。
「司令官?」
「あぁ、今行くよ。それにしてもお前、俺が告白したらOKするんだな」
「そ、それは……忘れる約束ですから……お答えしません……」
「忘れるのはキスしたって事だけだ。お前の勘違いはずっと残ってるぜ」
「な、なんですかそれは!? ズルいです! いいでしょう! だったら青葉にも考えがありますよ!?」
「なんだ?」
「青葉は司令官の事、なんでも知っていますから、司令官の知られたくない秘密を鈴谷さんにばらして、別れさせます!」
「そんな秘密、一つだって……」
青葉は何やら小さな手帳を取り出し、読み始めた。
「えーっと、これは司令官が海軍本部に海水浴に来た時の記録で、鈴谷さん達が眠っている時、もがみんと二人っきりになり、そこでこっそりキスをしましたね?」
「いや、あれは……」
「もがみんが一方的にした……とでも? でも、青葉は知っています。あれは、司令官が「していい」と言ったようなもので――鈴谷さんと付き合う前にもがみんとそんなことになっていたなんて知ったら、鈴谷さん、傷つくでしょうね~」
青葉はニヤニヤして見せると、俺をじっと見つめた。
「……流石だな」
「何か言うことは?」
「……参りました」
そう言ってやると、青葉が満面の笑みを浮かべた。
「青葉がその気になれば、鈴谷さんから司令官を奪う事なんて簡単な事だって、覚えておいてくださいね?」
「あぁ、覚えておくよ。全く……こんなことなら、『司令官』と呼ばれていた方が良かったかもしれんな」
「呼んでいるじゃないですか。司令官。えへへ」
そう言うと、青葉は俺の腕に引っ付いて、そのまま歩き始めた。
拒むと何を言われるか分からないものだから、俺は成すがまま、その場を後にした。
電車に乗ると、青葉は疲れ切っていたのか、ウトウトし始めた。
「寝ててもいいぞ。最寄りまでだいぶあるからな」
「でも……」
「いいから。ほら、寝てろ」
上着を着せてやり、身を寄せてやると、青葉は遠慮がちに頭を俺の肩に乗せた。
「えへへ……。温かいです……。それに、司令官の匂いがします……」
「臭いか?」
「いえ、とっても安心する匂いです……。『船』の時には嗅ぐことの出来なかった匂いです……」
そう言い残して、青葉はスゥスゥと寝息を立て始めた。
「…………」
『船』か……。
「あ……霞……」
青葉の事ですっかり忘れていた。
飯、鳳翔のところで食うなら、霞も……。
「…………」
霞……。
今日の事で、霞が愛美の――俺の知る愛美の記憶を継承していない事を知った。
青葉にはあんなことを言ったが、実際のところ、ショックを隠せないのは事実だ。
関係が崩れることはない。
崩れることはないが、確実に何かは変わってくる。
不思議な事に、霞の話す『雨野愛美の記憶』は、愛美にも当てはまることだ。
それが尚更――。
「ん……」
携帯に一通のメールが入る。
あきつ丸からだ。
『霞殿はお預かりいたします。色々考える時間が必要でしょうから。明日の夕方、帰します』
「あきつ丸……」
お礼の返事を返し、携帯をポケットに仕舞った。
「考える時間……か……」
考えたところで、結論は決まっている。
先ほど青葉に言ったように、「忘れる」だ……。
霞に悟られないよう、俺たちはいつも通り振る舞う必要がある。
そう、いつも通り――。
「…………」
電車はトンネルに入り、車窓から海が消えた。
そして、トンネルを抜けた先に、もう海の姿はなかった。
都会の光が近づいてゆく。
明るく、安心できる光のはずなのに、俺の心には不安が残っていた。
「愛美……」
目を瞑ると、車内で見た蛍光灯の光が、あの海で見た月の光のように、瞼の裏に焼き付き、ゆらゆらと揺らめいてた。
あれから数か月が経った。
季節は春。
桜の咲く中で、俺たちは花見をしていた。
「すみません、電車が混んでいまして……」
「おう、やっと来たか大淀。もう始めちまってるぜ」
酔っぱらい、はしゃいでいるあきつ丸と最上を見て、大淀は「そのようですね」と言って、シートに座った。
あれから俺たちは、何事も無かったかのように過ごしている。
変わったことと言えば、今まであまり関りが無かった連中が、全員仲良くこうして集まることが出来ているという点だろうか。
「しかし、よくもまあこんなに艦娘を集められるようになったわよね……」
霞はどこか不機嫌そうに、そう言った。
「不満なのか?」
「別に……」
「霞ちゃん、先生と過ごせる時間が少なくなったことに怒っているんですよ。ほら、最近だと、色々連れ回されているじゃないですか。最上さんの小説もみてあげなきゃいけないし」
「そうなのか?」
「そんな事無いし……」
「そんなことないんだったら、青葉が司令官の事、取っちゃいますよ~?」
「勝手にすれば……?」
そう言うと、霞は立ち上がった。
「どこ行くんだ?」
「トイレよ……」
ふん、と鼻を鳴らすと、霞は不機嫌そうにトイレへと向かっていった。
「青葉ぁ……」
「青葉の所為ですか!?」
「今のは青葉殿が悪いでありますな」
「あきつ丸まで……酷いよ~」
あきつ丸と青葉は前よりも仲良くなったようで、よく二人で出かけているらしい。
本当、全てが丸く収まったな。
そう、全て……。
「…………」
「先生? どうされました? 顔色が悪いようですけど……」
「……あぁ、大丈夫だ。それより鳳翔、大淀に何か酒を」
「はい。大淀さん、色々持ってきましたよ。どれにしましょうか?」
「え~? どうしよう~」
大淀が酒を選びに席を立つと、隙を見つけたというようにして、最上が鈴谷を連れてやって来た。
「先生~飲んでる?」
「おう。お前は……聞くまでも無いな」
「んふふ~。結構飲んじゃった。そんなことより、ほら!」
最上は鈴谷を俺に寄越した。
「鈴谷の奴さぁ、拗ねているんだよ~。誰かさんが構ってくれなくて~」
「ちょ……もがみん……」
「そうなのか?」
「そうだよ! だってさ~先生、最近は皆に囲まれてさ、鈴谷との時間が取れてなかったじゃない?」
そう言えばそうだったかもしれない。
「だから今日、鈴谷はずっとこんな調子。せっかくのお花見だって言うのに、一人はじっこでジュース飲んでたんだよ?」
そういや今日、鈴谷と話していなかったな。
最近も、二人っきりなんてことはなかったし……。
「そうだったのか。無神経であった。すまない……」
「司令官は女心が分かりませんからねぇ」
青葉はそう言うと、意味ありげに笑って見せた。
「という訳だからさ、構ってあげてよ」
「べ、別にいいよ……。鈴谷は……」
そうは言っても、鈴谷はどこか寂しそうであった。
「そうだな。よし、鈴谷。ちょっと二人で歩こうか」
「え?」
「いい場所を知っているんだ。さ、行こう」
「え、ちょ……!」
ヒューヒューと囃し立てる酔っぱらいを後に、俺は鈴谷の手を取り、その場所を目指した。
花見客の気配も消え、少し歩いたところに、その丘はあった。
「わぁ……凄い……。一面桜色……」
「いい景色だろう。ここまでの道が入り組んでいるから、花見客が来ることも無いんだ」
桜の見渡せるその場所は、愛美との最後の春に花見をした場所であった。
「悪かったな……」
「え?」
「最近構ってやれなくて。寂しい思いをさせて……」
「……ううん。別に……鈴谷は大丈夫だよ。先生はもがみんの師匠だし、自分の小説も書かなきゃいけないし、霞ちゃんの面倒も見なきゃいけないし……たくさんやることがあるから、しょうがないよ。鈴谷も仕事で忙しかったしさ」
「人気出たもんな。今度、全国放送の――って番組に出るんだって? 凄いじゃないか」
「うん。ちょっちプレッシャーだけどね」
「何か困ったことがあったら言ってくれ。力になりたいんだ」
「うん。ありがとう。その時は頼りにさせてもらうね」
「あぁ」
二人の間に、暖かな春の風が吹いてゆく。
「ん……」
鈴谷がそっと、俺に寄り添っていた。
「鈴谷ね……」
「…………」
「もうちっと大人にならなきゃいけないのかなぁって……思ってたんだ……。ほら、鈴谷はずっと、先生に我が儘ばかり言って来たから……迷惑ばかりかけて来たから……」
「別に俺は気にしていないけどな」
「だからだよ。先生はそう言うけど、実際問題、邪魔なこともあるっしょ……」
「まあ、否定はしない」
「やっぱそうじゃん……」
「でも、お前がお前らしくないと、それ以上に心配になってしまうよ」
「鈴谷の事は構ってなかったくせに……?」
「なんだ、やっぱり気にしてたんじゃないか」
そう言ってやると、鈴谷はムッとした顔を見せた。
「いいんだよ。別にお前はお前らしくて。いつもの甘え上手な顔を見せてくれれば」
「でも……鈴谷が先生のお嫁さんになったら、ふさわしい振る舞いをみせなきゃいけないわけじゃん……。いつまでもこういう感じじゃいけないわけじゃん……」
そう言った後、鈴谷はハッとして俺の顔を見た。
そして、俺の唖然とする表情を見て、顔を赤く染めた。
「鈴谷、お前……」
「い、今の無し! そうじゃないから!」
「フッ……ハハハ! 斬新なプロポーズだな」
「だから……!」
「そのままでいいと言っているだろう。嫁に来ても、今のままのお前でいて欲しいって、俺はずっと思ってたよ」
「え……それって……」
「さて、そろそろ戻るか。お前の機嫌もなおったようだしな」
「あ、ちょっと! 先生! 今のどういう意味!? 嫁に来てもって……ずっと思ってたって!?」
「さぁ、どういう意味だろうな」
「もう、先生ってば!」
戻る途中、霞と会った。
「おう」
「…………」
鈴谷と一緒に居るところを見て、霞は道を引き返そうとしていた。
それを鈴谷が引き留める。
「ちょいちょいちょーい! どこ行くの霞ちゃん?」
「邪魔して悪かったわね……」
「邪魔なんかじゃないし! ほら、一緒にもどろうよ!」
「いい……。二人の邪魔したくないし……」
「だからぁ……もう……」
鈴谷は困ったように俺を見た。
「霞」
「…………」
「構ってやれなくて悪かったな。ほら、来いよ」
そう言ってしゃがみ、手をひらげてやったが、霞はいつものように飛び込んでくることはしなかった。
「どうした?」
霞は分の悪そうに鈴谷をチラリと見た。
あぁ、そういう事か。
「霞――」
「霞ちゃん、いつもやってるみたいに飛び込んでいいんだよ? 鈴谷、知ってるから、大丈夫だよ? 恥ずかしくないよ?」
その言葉に、霞は一気に顔を赤くした。
「ちょ……! な……!? なんで知って……!?」
「あー、やっぱりそうなんだ~。そっかそっか~」
「――っ!」
霞は更に顔を赤くした。
「まんまとはめられたな、霞」
「うっさい! あー! もう! 鈴谷だけには知られたくなかったのに……うぅ……」
「別に恥ずかしい事じゃないよ。ほら、鈴谷だって先生に甘えるしー」
鈴谷が抱き着くのを見て、霞は俺を睨み付けた。
なんで俺なんだ。
「だから、ほーら、意地張ってないで、先生に甘えたらいいじゃん! ね?」
そう言って、鈴谷は霞を俺の前に押し付けた。
「ちょっと……!」
「ほーら」
「…………」
霞は不服そうに俺を見つめた。
「抱き上げるぜ」
「勝手にすれば……」
「じゃあ勝手にする。よっと!」
抱き上げてやると、鈴谷は満足そうな顔を見せ、一人で皆の方へと戻っていった。
「行ったぜ」
そう言ってやると、霞は俺の背中を指でつねって見せた。
「いてててて!」
そして、小さく――
「ばか……」
――と言った。
それが、霞の言いたかった全てであった。
全てが、そこに含まれていた。
「このまま少しだけ歩くか。二人で」
霞は何も言わず、ただ小さく頷くのみであった。
色々あったが、全ては丸く収まった。
皆、一歩一歩確実に、前へと進んでいる。
もう、過去に振り回される必要はないのだ。
そう、無いはずなのだ――。
「どうしたの……?」
「……いや、なんでもない。もうちょっと歩いたら、皆のところに戻ろうか」
「うん」
桜舞い散る道を、俺たちは目的もなく、ただ時間を潰すようにして、歩き続けた。
――続く