遺船を漕ぐ   作:雨守学

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第14話

それはまるで、動かなくなった船――『遺船』を漕ぐようなものであった。

そんな船では、海を渡れない。

何処にも辿り着けない。

 

「それでも、漕ぎ続けるしかないのだ」

 

そう言うと、彼は再び遺船を漕いだ。

私はそれ以上、何も言うことが出来なかった。

彼は彼の言う通り、遺船を漕ぎ続けるしかないのだと、悟ったからだ。

海を渡ることが――何処かに辿り着くことが、目的ではないと悟ったからだ。

ただ、漕ぐこと。

遺船を漕ぐことだけが、彼の全てであるのだと、悟ったからだ――。

 

 

 

 

 

 

『遺船を漕ぐ』

 

 

 

 

 

 

『そんな最上先生の大ヒットを支えたのは、かつての同僚たちでした。友人の鈴谷さんとあきつ丸さんは、最上さんの作品にアドバイスをし、作品をよりよいものとさせました。青葉さんは、皆さんご存知の通り『青葉のブログ』で最上さんの作品を宣伝し、大ヒットに繋げました。鳳翔さんは、お得意の料理で、最上さんを支えたとか。作品にも、鳳翔さんの料理が登場していますね』

 

『は、はい! そうですね。鳳翔さんには、だいぶお世話になりました。色々と……』

 

最上がそう答えると、場面は最上の艦娘時代の写真に切り替わった。

 

「あー! カットされてるー! ここ! この後、雨野勉先生に一番感謝したいです! って言ったんだよ!?」

 

「仕方ないだろ。メディアは、艦娘が出版した本って事をアピールしたいんだ。売れない作家の名前なんか出しても、誰だよってなるだろ」

 

「そんなことないよ! うー……もうあの局には出てやんない! ふんっ! だ」

 

むくれる最上の頬を、鈴谷はからかうようにしてつつき、反撃を食らっていた。

 

 

 

五月の初め。

最上が修行の一環として、青葉の運営するブログに短編をいくつか掲載したところ、艦娘が書いたものだとして話題になった。

そのチャンスを最上の出版社が逃す訳なく、すぐに書籍化に漕ぎつけ、今に至るのだった。

 

「発売前から重版決定だったらしいじゃないか。大したもんだ」

 

「艦娘が書いたから話題になっただけだよ……。出来れば、作品の評価だけで売れたかったのに……」

 

「人目に触れるだけよかったじゃないか。どんなにいい作品でも、見られなきゃただの紙切れだ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「そうだよ。素直に喜んだらいいじゃん。鈴谷は正直、もがみんの作品良く分からないけど……みんないい作品だって言ってたし!」

 

「鈴谷はどの作品だって分からんだろうに」

 

「そんなことないし! 鈴谷だって、好きな作品はあるよ? 先生の作品とか、先生の作品とか~」

 

それを聞き、真っ先に突っ込んだのは霞であった。

 

「どれが好きなのよ?」

 

「へ?」

 

「どの作品が好きなのよ」

 

「どの作品って言うか、全部! 先生の書くものだったら、全部好きだよ。だって、鈴谷は先生の事好きだしね~」

 

「全部って……。どこからどこまでよ? 同人誌も含まれる?」

 

それに、鈴谷は少し面倒くさそうな表情を見せた。

俺の作品の話になると、霞はこうだからな。

俺は嬉しいが、鈴谷たちにとっては面倒な話だろう。

 

「まあとにかく、これで最上の小説家デビューって事になるんだ。素直にお祝いするし、お前も素直に喜べよ」

 

「うん……」

 

最上は不服そうに頷いた。

気持ちは分からなくはないが、俺の思っている以上に複雑な気持ちなのだろうな。

慰めてやりたいが、言うほど立派な作品でないことも確かだ。

仮にも弟子だ。

そこは厳しくしなきゃいけないよな。

 

 

 

午後になると、鳳翔と大淀がお祝いに駆けつけてくれた。

 

「最上先生、おめでとうございます」

 

「おめでとうございます」

 

「い、いえいえ、そんな……大したことじゃ……」

 

謙遜する最上を鈴谷はニヤニヤしながら動画に収めていた。

 

「悪いな、二人とも。買い出しまでしてくれて」

 

「いえ、お祝いですから。台所、お借りいたしますね」

 

「鳳翔さん、鈴谷も手伝う~」

 

鳳翔は持ってきた割烹着に着替えると、鈴谷と共に台所へと向かっていった。

 

「青葉さんとあきつ丸さんも誘ったのですが、二人とも今、旅行で海外にいるみたいなんですよ」

 

「あの二人、そんなに仲良かったっけ?」

 

「みたいですよ」

 

そう言うと、大淀は複雑そうな表情で俺を見た。

最上はその辺りの事情、あまり知らないからな。

 

「そう言えば、霞ちゃん、今日はどこかへお出かけですか?」

 

言われて気付く。

霞が居ない。

 

「そう言えば、さっき居間を出て行ったけれど……。トイレ……にしては長いような……」

 

「仕方ない。様子を見てくるか。大淀も最上と一緒にくつろいでいてくれ。ただでさえ仕事が忙しいのに、運転までして疲れているだろう」

 

「お気遣い感謝いたします。では、少しばかり……」

 

そう言うと、大淀は寝転がり、一瞬で眠りについた。

 

「相当疲れていたみたいだね」

 

「それでもお祝いに来てくれたんだぜ。人望あるな、最上先生」

 

それに、最上は不貞腐れた顔を見せた。

 

「なんだよ?」

 

「……先生に「先生」って言われるの……なんかヤダな……」

 

「どうして?」

 

「分かんない……けど、なんかヤなんだ……。ボクの事は、「最上」って、呼び捨てで呼んでほしい……」

 

「フッ、なんだよそれ。恋人でもあるまいし」

 

「恋人が良かったんだけどなぁ……。ね、今からでも乗り換えられるけど、どうかな? ボク、鈴谷がシてくれないような事、先生になら、シてもいいと思ってるんだけど。例えば、先生が隠しているえっちな本に載ってるような事とか」

 

「そんなもの隠してないし、ほら、あまり焚きつけてやるなよ。殺されるぜ」

 

俺の指す方を見て、最上はギョッとした。

鈴谷は台所から最上を睨み付けると、チラチラと暖簾の隙間から包丁を見せた。

 

「まあ、まだ先生って程の器でないことも確かだし、お前の言う通り、いつも通り呼んでやるよ。最上」

 

頭をぐしゃぐしゃに撫でられた最上は、恥ずかしそうに「うん」と答えるだけであった。

そして、霞を探しに出た俺の後ろで、鈴谷にも髪をぐしゃぐしゃにされたようであった。

 

 

 

トイレに霞はおらず、ならば自室かと思って訪ねてみたが、やはりいなかった。

玄関に靴はあるから、出かけているという訳でもなさそうだ。

 

「となると……」

 

残る部屋の扉を開けると、そこに霞はいた。

 

「俺の部屋で何やっているんだ?」

 

霞は驚くこともせず、だるそうに俺を見た。

ベッドに横たわる霞は、何度も読み返したであろう俺の本を、再び何冊も積み上げ、読んでいた。

 

「大淀と鳳翔が来たぜ」

 

「知ってる。聞こえたし」

 

「じゃあ、こんなところで何を?」

 

「見て分かるでしょ。あんたの本を読んでんの」

 

「そりゃ分かる。俺も馬鹿じゃない」

 

「じゃあちゃんと聞きなさいよ。「何故、居間にいかず、俺の本を読んでいるんだ」って」

 

そう言うと、霞はフンッとそっぽを向いた。

それは霞が何か不満を抱えているサインであった。

 

「やけに突っかかるじゃないか」

 

そう言って、ベッドに座る。

俺のこの行動も、霞と同じサインであった。

心配している、というサイン。

そして、俺が霞のサインを知るように、霞も俺のサインを知っていた。

だからこそ、霞は起き上がり、俺の隣に座ったのだ。

 

「何か気に食わない事でもあったのか?」

 

「別に……。そういう訳じゃないわ……」

 

「じゃあ、どういう訳なんだ?」

 

そう聞いても、霞は答えなかった。

手を揉み、俯くだけの霞。

 

「最上を祝おうってのに、俺の本なんか読んで」

 

「別にいいでしょ……」

 

そう言うと、霞は再び本を手に取り、今度は大事そうに抱え込んだ。

俺の本……か。

 

「…………」

 

あぁ、そういう事か。

 

「最上の本が売れて、俺の本が売れないのが気に食わない、とかか?」

 

霞は答えない。

だが、本を抱える力が、一瞬だけ強まったのを、俺は見逃さなかった。

 

「……そうなんだな」

 

俺は霞と同じように、自分の本を手に取った。

 

「俺の作品を好きでいてくれるのは嬉しいが、それって同情しているって事だろ? 正直、傷つくぜ」

 

「あ……」

 

露骨に落ち込んで見せる。

こういう時、霞は決まって、やってしまったというようにして、焦る顔を見せるんだ。

案の定、今日もそうであった。

 

「そ、その……そういうつもりはなくて……ただ……その……」

 

「最上が大ヒットして、俺がぞんざいに扱われるのを見て、居てもたっても居られなくなったって、そんなところか?」

 

図星なのか、霞は目を逸らして見せた。

 

「なるほどな……」

 

「ど、同情とかそういうのじゃないの……。私は……ただ……」

 

「ただ、なんだよ?」

 

俺の言い方に少し棘があったのか、霞は更に焦りの表情を見せた。

 

「怒ってる……?」

 

「どうして?」

 

「怒ってる感じだから……」

 

「俺は理由を聞いたんだぜ。何を怒っていると、思っているのかって」

 

「……私が同情したから?」

 

「それには落ち込んでいるだけだ」

 

「……だったらなんで怒ってるのよ?」

 

俺はあえて黙って見せた。

霞の焦りはピークに達したようだ。

 

「ねぇ……ねぇってば……。怒らないでよ……。私が悪かったから……」

 

「悪いと思う心当たりがないのに、謝るのか。それは感心しないぜ」

 

「だって……」

 

霞の声が、少し震えていた。

ちょっと遊び過ぎたか。

 

「なんてな。怒ってなんかないよ。お前の反応が面白かったものだから、つい意地悪を――」

 

霞を見て、今度は俺が焦りに駆られた。

俯き、震える霞は、大粒の涙を俺の本に垂らしていたのだった。

 

「ちょ……お前……何を泣いて……」

 

「し……知らないっ……。あんたなんかっ……ひっ……嫌いっ……う……うぅぅ……」

 

「霞……。わ、悪かった……。やり過ぎた……。まさか……あぁ……クソ……やっちまった……」

 

俺の脳裏には、愛美の泣き顔が浮かんでいた。

そうだ。

こんなこと、昔にもあった。

あまりにも突っかかる愛美に、俺はまるでキレているかのように振る舞って――それで――。

 

「…………」

 

愛美……か……。

俺の知る愛美と霞は関係ないのに、どうしてこうも――。

あの事実から数か月たっているはずなのに、俺は今でもたまに、霞に愛美を重ねてしまっている。

違う筈なのに――どうして――。

 

「って、今はそれどころじゃないだろ……」

 

俺はあの手この手で霞を慰めようと、そこから二十分に渡る格闘を強いられるのであった。

 

 

 

「あ、お帰り~……って、何があったのさ?」

 

俺に抱きかかえられている霞を見て、最上は何やらニヤニヤしながらそう聞いた。

 

「まあ……ちょっとな……」

 

格闘の結果、俺が霞を抱きかかえ、赤子のようにあやすことで落ち着いたのだった。

俺の意地悪よりも、俺を怒らせた訳ではないという安堵感に泣いてしまったようで、泣き止んだ後の霞が怒ることはなかった。

 

「それで? 霞ちゃんは何してたの?」

 

「俺の本を読んでたんだ」

 

「ふぅん……。先生の本をねぇ……」

 

最上は何かを察したのか、俺と霞の顔を交互に見た。

 

「霞ちゃん、先生がぞんざいに扱われるのが気に食わなかったって所でしょ? 居てもたっても居られなくて、でもどうしたらいいかわからなくて、とりあえず先生の本に向き合うことにした。違う?」

 

霞は答えなかったが、最上は微笑み「やっぱり」と言った。

 

「気持ちは分かるよ。ボクも、ここに来る前に、先生の本をもう一度読んだからさ。ボクがどんなに先生の本をよく思っていても、どんなにテレビで発言しても、誰も振り向いてはくれなかった……。それが悔しくて……でも何も出来なくて……。気が付いたら先生の本を読んでいた。ボクが今先生の為に出来ることと言ったら、先生の作品に向き合い続ける事だけなんだって、そう思ったから」

 

「最上……」

 

「なんて、先生はそういうの、嫌うよね。同情みたいなの。決してそう言うつもりはないんだけど、そう捉えちゃうよね。ごめんね」

 

何か答えようと悩んでいると、霞が降ろすようせがんできた。

降ろしてやると、霞は最上に頭を下げ、「ごめんなさい」と謝ったのだった。

 

「え……霞ちゃん?」

 

「ごめんなさい……。私……あんたを素直にお祝いできなかった……」

 

それに、最上はどう返したらいいのか分からないというような様子であった。

それはおそらく、最上自身も、霞の気持ちが良く分かっているからなのだろうと思う。

 

「でもね……」

 

だが、次の霞の発言で、その気持ちも一気に晴れたのだろうと思う。

 

「あんたの作品が立派でない事も確かだわ……。この人への同情を無しにしても、あんたの作品が評価されるものであるとは思わないし、この人の――雨野勉の作品と比較するなんて、私が間違っていたとすら、思っているから」

 

俺の作品云々なしにしても、俺が最上に言えなかったことを、こうもはっきり言うとは。

 

「あんたも分かっているでしょ……。本当はこの人に同情している訳じゃない。この人に同情することで、自分を慰めていただけなのよ」

 

図星なのか、最上はどこか悔しそうに俯いた。

はたから見れば、霞が最上に喝を入れているように見える。

だが、俺の見解は違った。

霞は、俺に対する同情を崩してくれているのだ。

俺を慰めているのだ。

 

「……霞ちゃんいう通りかもしれない。ボクは……正当に評価されない事に、どうしようもなくて……逃げていただけなんだ……。本当に謝らなきゃいけないのは、ボクの方だ……。ごめんね……先生……」

 

霞は俺を見ると、微笑んで見せた。

だが、俺はどちらかというと、情けない気持ちでいっぱいであった。

 

「いや……俺も目覚めたよ……。もとより、そんな気持ちにさせてしまったのは、俺が売れないからだ」

 

「そ、そんなことは……」

 

「いや、情けない。非常に情けない。仮にもお前の師匠だ。霞に慰められ、お前の気持ちを沈ませた……。小説家として……男として、情けない限りだ」

 

そうだ。

最上の事ばかり気に取られていたが、そうじゃないだろ。

俺も小説家なんだ。

俺が最上の師匠なのだ。

どんなことであれ、弟子を実力でねじ伏せられぬ師匠がどこにいたものか。

自身のファンに慰められる小説家がどこにいたものか。

 

「謝らなきゃいけないのは俺の方だ。霞、最上。すまなかった。もう二度とお前たちをそんな気持ちにさせないよう、俺は精一杯努力する。お前の売り上げなんか、実力でねじ伏せる作家になってやる……!」

 

「先生……」

 

「もう一度、作品を世に送り出す。今度は、隠れられないぜ」

 

そう言ってやると、最上と霞は嬉しそうに笑う反面、目に涙を溜めて見せた。

だが、二人の涙の意味は、おそらく少しだけ違う。

霞は俺の同情について。

最上は、きっと――。

だからこそなのか、最上は顔を背け、何もない庭を見つめた。

 

「……霞、鳳翔と鈴谷が料理してるから、ちょっと行ってやってくれないか?」

 

霞は俺が最上を見ているのに気が付き、気を遣うように「分かったわ」と優しく微笑んで、台所の方へと消えていった。

 

「最上」

 

最上は視線を変えないまま、小さく零した。

 

「本当に……また書いてくれるかい……?」

 

「あぁ、書くよ」

 

「書き終わっても――」

「――書き続けるよ。この身が灰になるまではな」

 

そう言ってやると、最上はやっとこっちを見た。

その涙は、今まで見たどの涙よりも、きれいに見えた。

 

「もう……死ぬなんて……言わないよね……? 生きて……くれるよね……?」

 

「――あぁ、生きる。精一杯生きてやる。ごめんな、最上……。ずっと、怖かったよな……」

 

「先生……」

 

そうだ。

俺の死を一番感じていたのは、他でもない最上なんだ。

小説家としての俺を見て来たこいつにとって、書かなくなった俺を見るのは、相当辛いものがあっただろうし、実際に自殺未遂を見てしまって――。

再び書くことを決意し――生きようと前向きになった俺を見た最上の安堵感は、俺の想像を絶するものだろうと思う。

 

「あの時、俺の自殺を止めてくれてありがとう。こうしてあるのも、お前のお陰だ」

 

「……だったら、もっと大切にして欲しいものだけれどね」

 

「フッ……弟子にしてやっただろう」

 

「フフッ、それもそうだね。ボクにとって、それが一番の目標だったからね……。うん、そうだったね……」

 

その言葉には、たくさんの意味が込められていた。

最上にしか――或いは俺たちにしか分からない意味――。

 

「ぐすっ……」

 

どこからか、すすり泣くような声がした。

最上でも俺でもないそのすすり泣きは、足元からで――。

 

「……どうしてここでお前が泣くんだ? 大淀」

 

大淀は静かに泣いていた。

 

「だって……私……そんな先生の懐を利用して……」

 

「……まだ気にしていたのか」

 

最上は何が何だか分からないというような表情を俺にして見せた。

大淀が泣く理由について話す訳にもいかないし、どうしたものかな。

ふと、愛美の仏壇に目が行く。

そこに置かれていた携帯電話を見て、ハッとした。

 

「……そういや、最上が俺の自殺を止めた日、その前日に俺は死のうとしていたんだ。けど、それを止めたのが大淀だったな」

 

「え……?」

 

「愛美の携帯に電話しただろう。あの時、俺は自殺しようと、縄に首をかけていたところだったんだ……」

 

それを聞き、最上は再び泣きそうになった。

慰めるように頭を撫でてやりながら、俺は続けた。

 

「もしあの時、電話が無かったら、俺は死んでいた。お前たちと出会うことも無かったし、霞と暮らしてもいなかった。俺は今幸せだし、生きていてよかったと思っている。だから、お前にも感謝しなきゃな。ありがとう、大淀」

 

「先生……」

 

「けど、ごめんな。そんなお前の気持ちに、俺は答えられなかったな」

 

「へ?」

 

俺がニヤリと笑うと、大淀は意味が分かったのか、顔を赤くした。

 

「え? なに? 大淀さんの気持ちって?」

 

不穏な空気を感じたのか、最上の涙は一気に引っ込んだ。

 

「実はこいつさ――」

「――な、なんでもないです! 何でもないですから! もう、先生っ!」

 

焦る大淀。

そんな大淀を見たことが無いのか、最上の目線は徐々に疑いのものに変わっていった。

 

「……もしかして大淀さんさぁ」

 

「ち、違います! 私は別に……先生の事なんて……」

 

「先生の事なんて、なにさ?」

 

「その……」

 

「鈴谷ー! ちょっと来てよ! なんか大淀さんが先生に告白したっぽいよー!?」

 

「ちょ、最上さん!」

 

そんなドタバタを演じられたものだから、笑わせようとした俺が逆に笑ってしまった。

そうだ。

あの時、死ななくてよかったと、俺は素直に言えるようになったのだ。

今が幸せだと、素直に言えるようになったのだ。

そう……言えるように……。

 

「…………」

 

突如、背後に悪寒を感じた。

まただ。

なんだこの不安は……。

幸福であることを否定するような――いや、幸福であることが、まるで慰めだと言わんばかりのこの不安はなんだ……?

 

「ちょっと、先生からも何か言ってくださいよ!」

 

「ん、あぁ……。なんだっけ、大淀が俺に告白した件か?」

 

「そ……うですけど……。そうじゃなくてですね!?」

 

「まあまあ、別に鈴谷は怒ってないし。もがみんだって告白したじゃん、先生に」

 

「そ……うだけどさぁ……。なんか……やだなぁ……」

 

「どういう意味ですか……」

 

「分からないけど……なんかなぁって……」

 

そう言うと、最上は俺を一瞥した後、蹴りを入れてそっぽを向いてしまった。

 

「なんなんだ……」

 

気が付けば、背中の悪寒はどこかへ消えていた。

 

 

 

鳳翔の料理が完成し、最上を祝う会は幕を開けた。

会場である我が家の居間は、ものの数十分で大いに盛り上がりを見せ、酒が次々と空けられていった。

 

「鳳翔さんも! ほら! 洗い物は先生がやってくれるから、今日くらいは羽目を外そうよ!」

 

「で、でも……悪いですよ……」

 

そう言うと、鳳翔は俺をチラリと見た。

 

「いいんじゃないか? 主役がそう言っているんだし」

 

「そうだそうだ! ボクは主役だぞ! 主役のボクの酒が飲めないのかー!」

 

酒に酔っている最上を霞は冷ややかな目で見つめていた。

 

「そ、そうですよね……。分かりました。では……!」

 

鳳翔は升に入った日本酒を豪快に飲み干した。

 

「おぉ! いい飲みっぷり!」

 

鳳翔とは何度か酒を飲んでいるが、それは全てあの店でのことであるし、プライベートでも世話役を買って出るため、気負いなしに酒を飲む姿を見るのは、誰もが初めての事であった。

結構豪快に飲むものだと、最初こそは感心していたし、最上も「負けてられない!」と対抗していた。

だが、数十分後――その状況は一変する――。

 

「お酒無いですよっ!? お酒っ!」

 

空になった瓶を片手で振りまわす鳳翔。

残った腕の中で、最上がヘッドロックを食らい、ぐったりとしていた。

 

「どうしてこうなったんだ……」

 

鈴谷は腹を抱えて笑い転げ、霞は絶句していた。

 

「大淀、お前は知っていたのか? こうなることを……」

 

「い、いえ……私のデータにも、このような事は……」

 

大淀すら知らないとなると、きっと鳳翔自身も……。

 

「先生っ! お酒がありませんよ!? 買ってきてください!」

 

「え?」

 

「買ってき~てっ! ほら、主役も言ってますよ!」

 

鳳翔は最上の顎を掴むと、腹話術だと言わんばかりに上下させた。

そして小声で「先生、買ってきてよ。ボク、主役だよ」と言った。

……鳳翔が。

 

「わ、分かった分かった……。買ってくる。だから、最上は放してやれ」

 

「むぅ……しょうがないですね……。霞ちゃ~ん、代わりにママと遊びまちょうね~」

 

霞に抱き着く鳳翔。

一方の霞は――目を瞑り、心を閉ざした人形のように、成すがままになった。

すまない……霞……。

 

「わ、私も行きますよ。車、あった方がいいでしょうし……」

 

逃げたい一心なのだろう。

大淀は立ち上がり、そそくさと玄関へ向かっていった。

 

「いいよ先生。行って来て。ここは鈴谷にお任せ~ってね」

 

そう言うと、鈴谷は携帯で動画を撮り始めた。

楽しんでるな……。

 

「……分かった。頼んだぜ」

 

「はいよ~。ほら、鳳翔さん、こっち向いて~」

 

「は~い! アイドル鳳翔ちゃんで~す!」

 

「…………」

 

 

 

車に乗り込むと、大淀はすぐに車を走らせた。

 

「ありゃ、素面に戻ったら死にたくなるやつだな」

 

「鈴谷さんの動画、本人に見せない訳が無いですからね……」

 

「本当、ご愁傷様だぜ……」

 

車はコンビニを通り過ぎ、少し先のスーパーをも通り過ぎていった。

 

「おい、どこまで行くんだよ? この先はもう、店は無いぜ」

 

「鳳翔さんの酔いがさめるまでの時間つぶしですよ。本当に買ってくるわけないじゃないですか。火に油、鳳翔に酒ですよ。鎮火するのを待ちましょう」

 

「なるほど、そういうことか……」

 

海軍のクソオヤジ共を相手にしてきただけあって、流石に慣れたもんだな。

 

「それに、たまにはドライブデートに付き合ってくれてもいいのでは? 買い出しまでして、お酒も我慢したんです。それくらいの事はさせて欲しいものですけれど」

 

「断りにくい言い方だな」

 

「断らなきゃいけないですよ。「俺には鈴谷がいるんだ」って」

 

「俺には鈴谷がいるんだが?」

 

「今ここには居ませんけど?」

 

「そうかよ……」

 

「同意とみていいですね?」

 

「よくない。こりゃ軟禁だ」

 

「じゃあ、それで手を打ちましょう」

 

大淀はベタ踏みすると、夜の深い場所へと車を走らせた。

 

「おい」

 

「大丈夫ですよ。この時間、この辺りに警察はいません」

 

「そういう問題じゃ……」

 

ふと、大淀の方を見ると、なんともまあ楽しそうな、嬉しそうな顔をしているんで、俺は小さく「勝手にしたらいい」と言って、シートに深く腰掛けたのだった。

 

 

 

「こりゃまた随分遠くまで……」

 

着いたのは、街を見下ろせるほどの山にある、小さな駐車場であった。

 

「夜景がきれいで、ロマンチックでしょう? この辺りの穴場なんですよ。地元の人でも知らないんじゃないかしら」

 

確かに、山があることは知っていたが、こんなところがあるとはな。

 

「この景色を見ながら、鎮火するのを待ちましょう。ほら、ここ座れますよ」

 

大淀は子供のように座ると、隣に座れと言わんばかりに、俺に目線を向けた。

 

「しょうがないな」

 

少し距離を空けて座る。

夜景に目を向けると、なるほど、確かに綺麗であった。

昔、愛美と――で見た夜景に、少しばかり似ている。

 

「ここの夜景、――の夜景にそっくりだって思いました?」

 

「え?」

 

「愛美さんと行った、――の夜景です」

 

「どうしてそれを……」

 

俺が驚いた顔で聞き返すと、大淀はそれ以上の驚いた顔を見せた。

そして、「やっぱり……そうなんですね……」と言った。

 

「どういうことだ?」

 

「書いてあったんです……」

 

「書いてあった?」

 

「愛美さんの――いえ、『雨野愛美の日記』に……」

 

雨野愛美の日記……。

俺は思わず黙り込み、視線を落とした。

 

「……先生、結局あの時以来、日記の事を聞きませんね。確かに、日記自体を見せることは出来ませんけど、書いてあることは教えられますよ」

 

「教えられる……というよりも、漏洩させることが出来る、だろ。禁止されてるんじゃないのか。日記が存在すること自体もよ」

 

そう言うと、大淀は黙り込み、俺と同じように俯いて見せた。

 

「教えることで、罪滅ぼしになるとでも、思っているのか?」

 

言い方が悪かったと思い、俺は慌てて訂正した。

 

「あ、いや、あれだぞ? 別に怒っているとかそういう意味ではなくて、罪滅ぼしになる訳ねぇだろとか、そういう意味でも無くて……」

 

「えぇ、大丈夫です。分かっていますよ」

 

そう言う大淀の表情は、どこか悲しげであった。

 

「……別に、日記の事はどうでもいいと思っている。というよりむしろ……避けなければいけないものだとも思っている」

 

「避けなければいけない……?」

 

「あぁ……。なんというか……この件は、この前の事で全部丸く収まっただろう。だから、これ以上知る必要はないというか……」

 

俺は一呼吸おいて、続けた。

 

「怖いんだ。新しいことが分かって、今の環境が壊れてしまうのが……」

 

「今が幸せだから……ですか?」

 

「あぁ……」

 

大淀は複雑そうな表情を見せた。

 

「逆に聞くが、どうしてこだわる? 俺は別に知りたいことも無いし……。何か俺に伝えたいことでもあるのか? 知っておいて欲しいことがあるのか?」

 

大淀は答えない。

だが、つまりそれは――。

 

「そりゃ、なんだ?」

 

数十秒の沈黙が続く。

大淀は深く目を瞑り、言葉を選んでいるようであった。

そして、答えが出たのか、俺に目を向けた。

 

「先生は、不思議に思わないのですか?」

 

「なにが?」

 

「霞ちゃんが持っている愛美さんの記憶、そして、日記に書かれていること、ですよ」

 

大淀が何を言わんとしているのか、俺には良く分からなかった。

それを察してか、大淀は詳しく説明を始めた。

 

「霞ちゃんが持っている、先生と愛美さんとの記憶。それは確かに、先生が愛美さんと経験した記憶と一致していますよね?」

 

「あぁ。だが、見た景色には少しだけ齟齬があると言うか、記憶違いのような事を言っていたがな。だがそれは、『霞』という船が『雨野愛美』から聞いた『雨野勉司令官』との記憶であるからだった……という訳だろう?」

 

そこまで言って、ハッとした。

あの時――青葉からこの話を聞いたあの時は、色々な事を聞いていたものだから、混乱していて気に留めなかったが――。

 

「どうして俺と愛美の記憶と、『雨野愛美』と『雨野勉司令官』の記憶が一致するんだ……?」

 

その事だと言うように、大淀は深く頷いて見せた。

俺は再び夜景に目を向けた。

 

「そうです。――の夜景というのは、『雨野愛美の日記』にも登場しています。つまり、少なくとも、『雨野愛美』の居た世界というのは、この世界と同じ形をした世界ということになります。そして、先生と同じ顔をした『雨野勉司令官』と、愛美さんと同じ顔をした『雨野愛美』が存在していることを考えると、『戦いの記憶』の世界というのは、人間同士の戦争が起きた、所謂『別世界線』の可能性があるのです。向こうからしたら、こちらは『深海棲艦と戦争する世界線』になるのでしょうが……」

 

別世界線。

 

「パラレルワールド、という訳か」

 

「そうです。パラレルワールドというのは、基本的に異世界的なものではなくて、どこかで分岐した世界線であると考えられます。つまり、『戦いの記憶』とこちらの世界は、分岐する以前は同じ世界であったと考えられます。それでも、『人間同士の戦争が起こる世界』と『深海棲艦との戦争が起こる世界』ですから、相当なバタフライエフェクトが無ければいけません。先生と愛美さん、お二人と同じ顔の人間がいることを考えると、大昔の事ではなく、少なくとも深海棲艦が発見されるまでに、バタフライエフェクトは起きているんです」

 

人間同士の戦争が、まるまるなくなるほどのバタフライエフェクトか……。

 

「心当たりがあるとすれば、それはただ一つです。人類の敵……深海棲艦の存在です。もし、深海棲艦が居なかったら――もっというなら、国境も何もない『人類共通の敵』がいたとするならば、きっと人間同士で争うどころではないはずです。力を合わせて戦う筈です。そう、この世界のように。」

 

次に大淀が何を言おうとしているのか、俺には何となくわかった気がした。

 

「おそらくですが、深海棲艦が居なかったら、人間同士の戦争が起きていたのではないでしょうか? つまり、『こっちの世界』というのは、きっと――そして、『あっちの世界』は――」

 

大淀の言葉にかぶさるように、俺の携帯電話が鳴った。

 

「鈴谷からだ」

 

電話に出る。

「もしもし」と言う間もなく、鈴谷は電話の向こうで叫んだ。

 

『先生! 霞ちゃんが!』

 

 

 

家に帰り、すぐさま霞の部屋へと向かった。

 

「あ、先生!」

 

霞はベッドの上で、鳳翔に抱きしめられていた。

その息遣いは、過呼吸のように、荒れていた。

 

「霞……」

 

声を聞くと、霞は俺に目を向けた。

苦しそうな表情で、涙を流している。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

息遣いが荒れて行く。

 

「ご……ごめんなさい……ごめんなさい……。私……私……」

 

状況が分からず、皆に目を向けた。

鳳翔は酔いが醒めているのか、心配そうに霞を見つめている。

最上、鈴谷は、何がどうなっているのか分からないという様子だ。

 

「テレビを見ていたら、急に霞ちゃんの様子がおかしくなって……」

 

テレビ……。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

頻りに謝る霞。

その謝罪は、どうやら俺に向けられているようだ。

 

「霞……一体どうしたって言うんだよ……? 何があった……?」

 

話そうとしない霞。

それどころか、涙と震え、そして呼吸は、ますます酷くなってゆくばかりだ。

 

「……悪い、皆。ちょっと二人っきりにしてくれないか……?」

 

「え?」

 

「頼む」

 

皆が戸惑う中、声をあげてくれたのは鈴谷であった。

 

「うん、分かった。ほら、みんな行こっ!」

 

去り際、鈴谷は俺にウィンクをして見せた。

後で礼を言わなきゃな。

 

「さて……」

 

隣に座り、霞を抱きしめてやる。

 

「大丈夫か? 霞」

 

大丈夫なわけがなかった。

こんなにも荒れている霞を見るのは、初めての事であった。

俺を刺した時ですら、こんなには――。

 

「どこか痛いとか、苦しいとかあるか?」

 

俺の問いかけに、霞は答えない。

ただ、謝るばかりだ。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……。私……貴方の大切な人を……うぅぅ……」

 

「俺の……大切な人?」

 

「愛美……」

 

「え?」

 

「私は……愛美を……死なせてしまった……。ごめんなさい……ごめんなさい……うぅぅ……」

 

 

 

居間に戻ると、そこには大淀と鈴谷しかいなかった。

 

「鳳翔さん、具合が悪くなってしまったようで……。先ほど、最上さんと一緒に帰っていきました」

 

「そうか……」

 

まあ、あんだけ飲めばな……。

 

「先生、霞ちゃんは?」

 

「今は眠ってるよ。落ち着いたというよりも、泣き疲れて眠ってしまったという感じだ」

 

「そっか……」

 

そう言うと、鈴谷は肩の力を抜いて、ソファーに深く座った。

 

「一体、何があったんだ? 過呼吸になるほどの事があったのか?」

 

「分からない……。ただ、皆でテレビを見ていて……。ほら、この番組」

 

鈴谷が携帯で、その番組のホームページを見せてくれた。

それは、霞がいつも見ている、あのうさん臭い都市伝説番組であった。

 

「ちょうど、艦娘の事を番組で話していて……。艦娘は異世界の存在だとか、元人間だとかやっていて……」

 

元人間……。

 

「どんな内容か、もっと詳しく聞かせてくれないか?」

 

「え……うん……」

 

鈴谷は詳しく話し始めた。

その中で引っかかったのが――。

 

「――それで、元人間は艦娘が現れたことによって引退したのだけれど、その代償は大きくて、みんな亡くなっているんだっていっていて……。案外あってる事もあって、やるじゃんって話をしてて……」

 

そういう事か……。

霞はあの番組に熱心だったものだから、それを信じてしまったのだろう。

実際に、愛美は死んでいるし……。

しかし、うさん臭い番組だと思っていたが、中々に確信をついている。

実際、愛美が死んだのは、継承をしたせいであって――。

 

「…………」

 

あぁ、そうか……。

そういう事か……。

あの日から今日まで、俺を襲っていたこの不安の正体――幸福を壊しかねないその正体――。

それは――コレだ……。

この事実だ。

あきつ丸は言っていた。

『自分が佐伯を殺した』と。

同じだ。

それと同じことを、俺はあの日からずっと、霞に当てはめてしまっていたのだ。

そしてそれは、いずれ現実になるものだと、心の奥底で思ってしまっていたのだ。

俺は大淀に目を向けた。

大淀も、なんとなく事情を察してくれたようで、小さく頷いた。

 

「……分かった。いずれにせよ、霞はあんな状態だ。何が引っかかったのか、落ち着かせて聞く必要があるだろう。鈴谷、悪かったな。今日はもう御開きにしよう。途中まで送るよ」

 

俺が立ち上がっても、鈴谷はソファーに座ったままであった。

 

「どうした?」

 

「……先生、また鈴谷を邪魔者扱いするの?」

 

「え?」

 

「先生、何か鈴谷に隠し事してるでしょ……」

 

大淀が俺を見つめる。

それを鈴谷は見逃さなかった。

 

「……ずっと思ってた。先生と大淀さんが一緒に居る時、鈴谷とは……なんだか距離があるなって……」

 

「距離……?」

 

「うん……。上手くは言い表せないけど……先生と大淀さんは……鈴谷の知らない何かを知っていて……。言葉は無くても、お互いに分かっているような……」

 

鈴谷は身振り手振りで表そうとしたが、意味のない事だと分かったのか、だらりと腕を降ろした。

 

「先生が困るようなことがあると、それを助けるのは必ず大淀さんで……先生もそれを頼った……。今日も、鈴谷が言い出さなかったら、そうするつもりだったんでしょ……?」

 

俺は何も言えなかった。

確かに、鈴谷を帰らせた後、大淀に相談するつもりであったのだ。

 

「確かに鈴谷は先生の役に立てないかもしれない……。大淀さんの方が頼れるかもしれない……。でも……鈴谷に秘密にする意味って何……? なんで鈴谷は……いつも……邪魔者扱いなの……?」

 

「鈴谷……そんなつもりは――」

「――じゃあ、どんなつもりなの?」

 

鈴谷の潤んだ目が、俺を見つめる。

 

「鈴谷だって力になりたい……。邪魔者扱い……しないでよ……。鈴谷……先生の恋人なのに……寂しいじゃん……」

 

とうとう涙を流す鈴谷。

慰めようと立ち上がる大淀を、俺は止めた。

 

「そんな事を思っていたのか……。そうとは……知らなかった……。悪い……」

 

鈴谷は俯いたまま、俺の言葉を待った。

 

「確かに、俺と大淀にしか分からない事はある。……いや、正確には、俺と大淀、そして、青葉とあきつ丸だ」

 

「先生、それ以上は……」

 

隠さなきゃいけない事だと言うように、大淀は俺を止めた。

 

「鈴谷さん……分かってください……。別に貴女が邪魔だとか、先生を貴女から引き離そうとしているわけではないのです。これは海軍の……いえ、国の機密情報なのです……。出来るだけ、情報を持つ者を制限したい……。その思いからなのです。先生は……霞ちゃんや愛美さんの関係で、その事を知っているだけで――」

「――大淀」

 

今度は俺が大淀を止めた。

 

「先生……」

 

「鈴谷だって、分かっている。そんなことだろうって。そうだろ?」

 

鈴谷は小さく頷いた。

 

「だったら……!」

 

「だからこそ、踏み込みたいと思っているんだろう。だって俺たちは、そういう関係だからな……」

 

それには流石の大淀も、閉口した。

 

「大淀、頼む。鈴谷にも教えてやって欲しいんだ」

 

「しかし……」

 

「頼む……。俺は……こいつと生涯を共に歩んでいきたいと思っているんだ。その為には、知っておいてもらわないといけない。すべてを……」

 

それが何を意味しているのか、大淀含め、鈴谷も理解したようで、どちらも豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていた。

――そんなものは実際に見たことは無いのだが、とにかく、キョトンとした顔だ。

 

「頼む……」

 

俺が頭を下げると、鈴谷もハッとして、俺の隣に飛んできた。

そして、一緒に頭を下げた。

 

「……困りましたね」

 

そう零す大淀は、本当に困ったというよりも、呆れたような口調を使った。

 

「頭をあげてください」

 

顔をあげる。

大淀の表情は、どこか、寂しそうなものであった。

 

「……分かりましたよ。全て教えます。その代り、これっきりにしてください。これ以上の事は、何か分かっても教えません。そしてもう一つ……。これ以上に、あまり首を突っ込まないでください。邪魔だとは言いませんが、動きにくくなります。それでいいですか?」

 

「鈴谷」

 

鈴谷は何度も頭を縦に振った。

 

「宜しい。では、何からお話ししましょうか……」

 

それから大淀は、これまでの事を簡潔に話し始めた。

所謂「大体あっている」という具合の内容ではあったが、今回の件に関連するところはちゃんと押さえている。

そして、全ての説明を終えた後、大淀はやはり寂しそうな表情で、こういったのだった。

 

「先生と私だけの秘密、無くなっちゃったな……。あーあ……本当に失恋しちゃったんだなぁ……私……」

 

 

 

 

 

 

「じゃあ先生、またね」

 

「あぁ。大淀、鈴谷を頼んだ」

 

「えぇ、先生の大事な奥様は、失恋中の大淀が、大切に大切にお送りいたします」

 

そう言うと、大淀は厭味ったらしく敬礼して見せた。

そしてその後、何やら楽しそうに笑って、鈴谷と共に車に乗りこみ、夜の街へと走り去っていった。

 

「ったく……」

 

結局、鈴谷が全てを知る頃には、夜もすっかり深くなっていて、とりあえずお開きすることとなったのだ。

霞の件に関しては、「テレビの戯言だ」と言い聞かせ、落ち着かせるしかないという結論になった。

 

「…………」

 

テレビの戯言……か。

霞があの番組に熱心だったのは確かだが、まさかあんなになるほどに信じていたとはな……。

今になって考えると、ちょっと信じられないというか、別の理由がありそうだというか……。

とにかく、何を思ったのか、本人に聞くしか手は無いか……。

 

 

 

毛布を持って、霞の部屋へと向かった。

霞がまたパニックになったら、すぐに対応できるよう、一緒の部屋で寝ようと思ったのだ。

 

「よしよし、ぐっすり寝ているな……」

 

霞はベッドでスゥスゥと寝息を立てていた。

こうしていると、何らおかしいことは無いのだがな。

 

『私は愛美を死なせてしまった』

 

霞は確かにそう言った。

鈴谷の話を聞く限り、テレビではぼんやりとしたことしか伝えていないようであったが……。

テレビは直接、継承だとか、艦娘が死なせたという事は言っていない。

俺たちは真実を知っているからそう聞こえたものだが、霞はどうだろう……?

何が霞を――。

 

「ふわぁ……」

 

さっきも出たろ。

それは本人に聞かないと分からない。

今はただ、霞を落ち着かせるしかない。

落ち着いた頃、本人がどう思ったのか、何を感じたのか聞けばいい。

今は――ただ――。

 

 

 

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「ん……朝か……」

 

いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。

 

「霞……?」

 

ベッドに、霞の姿はない。

代わりに、紙のようなものが置かれている。

寝ぼけ眼を擦りながら、その紙を手に取った時、俺は一気に目が覚めた。

 

『ありがとう。ごめんなさい』

 

霞の字であった。

 

「霞!」

 

部屋を飛び出し、居間へ向かう。

霞はいない。

外に出たのかと玄関に向かうも、霞の靴は置かれている。

 

「霞、どこだ!?」

 

居間を抜けて台所へ。

霞はいない。

俺の部屋――いない。

 

「霞! 返事をしろ!」

 

探している間にも、俺の心臓は鼓動を速めて行く。

嫌な予感が――不安が徐々に足音を強め、迫ってくる――。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

『ありがとう』

『ごめんなさい』

 

「お前……! そんなの……! まるで……!」

 

最後――風呂場の扉を開けた時だった――。

目の前に広がる光景――。

嫌な予感も――不安も――絶望も――何もかもが――そこにあった。

 

「――……」

 

こういう時、俺は叫ぶものだと思っていた。

頭が真っ白になり、ただひたすら霞の名を叫ぶものだと思っていた。

だが、おかしくなっていたのだろう。

俺がその光景を目にした時、初めて心に去来したものは、驚愕や悲観とは程遠い、なんてことない、些細な気付きであった。

 

 

 

――艦娘の血は、人と同じく、赤い色をしている――

 

 

 

――続く

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