遺船を漕ぐ   作:雨守学

15 / 15


「愛美……!」

 

目が覚めると、私は自室のベッドに寝ていた。

 

「…………」

 

そっか……。

あの時……あの番組を見た時、私は――。

それにしても、あれは『夢』な筈なのに、自分でもびっくりするくらい取り乱してしまった……。

あたかも本当に愛美が死んでしまったかのような――いや、それくらいリアルな『夢』というか、実感というか……。

 

「夢……か……」

 

最近見る夢は、いつも物騒なものばかり。

愛美の記憶と同じように、最初こそはぼんやりとしたものだったけれど、段々と鮮明になっていって……。

 

『霞、聞いて。今日ね――』

 

今まで、私は『愛美』のはずだった。

あいつ……勉が夫で、私が愛美で……。

愛美の記憶を夢に見ていたはずだった。

けど、最近は違う夢を見る。

私は『船』で、愛美は別人で――。

確かに愛美の顔はしているけれど、いつも『船』である私を――『霞』って呼ばれている『船』を整備してくれていて――。

 

『霞……ごめんね……。汚してしまって……ごめんね……』

 

「愛美……」

 

また涙が零れそうになった。

知らない『夢』。

けど、どこか懐かしいような――心を締め付けるような――。

涙を拭い、ベッドから降りた。

居間の方から、皆の話し声が聞こえる。

どうやら私の事を話しているようだ。

 

「心配掛けちゃったかしら……」

 

ふと、あいつの前で取り乱してしまったことを思い出した。

抱きしめられ、「大丈夫だよ」と慰められたことを――。

 

「んんっ……」

 

心がむず痒い。

最近の私は、何と言うか……駄目だ。

特に、あいつ……勉関連の事になると……駄目だ……。

 

「これが思春期ってやつなのかしら……」

 

心にモヤモヤを抱えながら、私は居間へと向かった。

扉に手をかけた時、大淀の声がした。

 

「では、何からお話ししましょうか……」

 

何やら緊迫した雰囲気に、私は居間に入れず、しばらく耳を澄ませていた。

そして、知った。

全ての事を――。

『夢』の秘密を――。

そして――私が――私が愛美を殺してしまったことを――。

 

 

 

 

 

 

『遺船を漕ぐ』

 

 

 

 

 

 

硝子の向こうで、霞はスヤスヤと眠っていた。

 

「霞……」

 

「自分で首を切ったようです……。普通の人間であれば、出血多量で死んでいたでしょう……」

 

何故「普通の人間であれば」なんて言葉を使ったのか、大淀は説明しなかった。

 

「今回の件、海軍には「事故」として報告しています。尤も、「自殺」と説明したところで、「事故」として処理されてしまうのでしょうが……」

 

自殺……。

 

「霞は……何故自殺を……」

 

「分かりません……。本人の意識が戻らない事には……。ただ、昨日の錯乱となにか関係があるのかもしれません……」

 

「『私が愛美を殺した』……か」

 

テレビの事を真に受けて、ここまで追い込まれるとは思えないが……。

何か本人に思うところがあったのかもしれない。

 

「大淀」

 

知らない声が、大淀を呼んだ。

 

「明石」

 

向くと、そこには白衣を着た女が立っていた。

 

「先生、紹介します。工作艦の明石です」

 

明石は俺を見るなり、驚いた表情を見せた。

 

「あ、明石です……。雨野……勉……さん、ですよね? 大淀から聞いています。よろしくお願いいたします」

 

「あ、あぁ……よろしく……」

 

「明石は艦娘の応急修理を担当していて、霞ちゃんの治療も彼女が」

 

修理、か……。

先ほどの大淀の言葉と言い、やはり霞は艦娘であるのだと実感させられる。

 

「実は、霞ちゃんの「自殺」を「事故」として報告したのは、彼女に治療させるためだったのです」

 

「え?」

 

「明石、説明してあげて」

 

「え? あ、うん……じゃあ……こほん……」

 

明石は呼吸を整えると、説明を始めた。

 

「今回の件、霞ちゃんは心に傷を負っていると考えられます。その傷の治療に必要なのは、おそらく貴方の存在かと……」

 

「俺?」

 

「大淀から全て聞いています。愛美さんや、霞ちゃんの記憶の事……。そして、貴方がどんな存在なのかも……」

 

それはきっと、雨野勉司令官と関連がある可能性の事を指しているのだろうと思った。

 

「原因は分かりませんが、霞ちゃんの「私が愛美を殺した」という発言を信じれば、きっと記憶に関することが原因なんだと思います。そこに強く関わることが出来るのは、きっと貴方かと……」

 

確かにそうなのかもしれない。

もし、霞が愛美の――『雨野愛美』の記憶のことで自殺を決意する何かを得たのなら、直接でなくとも、何か関わりを持つことは出来そうだ。

俺の持っている愛美との記憶と、霞の持っている『雨野愛美』の記憶には、多少なりとも共通点はあるのだから。

 

「本来、記憶などの情報は機密ですから、霞ちゃんの「自殺」が記憶に関するものであった場合、貴方が関わることは出来なくなります。だからこその「事故」なのです」

 

「「事故」であれば、「自殺」よりも海軍の干渉は抑えられます。「事故」であれば、明石単独の治療も許されますから」

 

大淀は明石を相当信頼しているらしい。

そうでなければ、こんなことは出来ない。

 

「しかし、いいのか? こんなことは、海軍を裏切るようなものだ……」

 

「いいんです。大淀には借りがあるし、霞ちゃんの事は助けたいですし……。それに……」

 

明石は俺をもう一度見つめた。

 

「それに……?」

 

「……ううん。なんでもありません。霞ちゃん、明日には目を覚ますかと思います。もしお泊りになられるようなら、仮眠室が空いてますので、自由にお使いください」

 

「あぁ、そうさせてもらおう」

 

明石に案内され、仮眠室へと向かった。

 

 

 

夕方になると、鈴谷が一人でやって来た。

 

「着替え、持ってきたよ」

 

「ありがとう。皆はどんな様子だ?」

 

「うん。一応、心配かけないように、怪我したことは伏せておいたよ。昨日の錯乱を調べるために、しばらく海軍にお世話になるってことになってる」

 

事情を知っている鈴谷以外には、今日の事を話していない。

変に心配させるのもなんだし、特に最上なんかは今が一番忙しい時期だったからだ。

あいつの事だから、話を聞きつけて、仕事をほっぽりだしかねないからな……。

 

「先生、しばらくここにいるの……?」

 

「あぁ、そのつもりだ。ただ、最上なんかが心配になって家を訪ねてくるだろうから、何度か行き来しようとは思っている。寝泊まりは基本的にこっちでするつもり……かな」

 

「鈴谷もここで寝泊まりする!」

 

「お前も仕事があるだろう。時々顔を出してくれるだけでいいよ。それより、最上たちの事を頼む」

 

「でも……」

 

鈴谷は何やら不満そうに俺の顔を見つめた。

 

「せっかく先生の事が色々と分かったのに……。先生に寄り添える関係になれたって思ったのに……」

 

「だったら、今するべきことは分かるだろ?」

 

「うん……」

 

不満そうにする鈴谷に、俺はそっとキスをした。

 

「これで許してくれ」

 

「……もう一回してくれたらいいよ」

 

「分かったよ」

 

もう一度のキスは、少し大人なものであった。

 

「わっ!?」

 

声の主は、俺でも鈴谷でもなかった。

 

「あ、明石さん!?」

 

「び、びっくりした……。あ、そ……そっか、そうでしたね……。鈴谷さんとお付き合いされているんですよね……」

 

「す、すまない……。こんな場所で……」

 

「い、いえ……。その……お夕食の準備が出来ましたので、お迎えにと……。えと……しょ、食堂で待っていますね! では……」

 

明石は気まずそうに、食堂の方へと向かっていった。

 

「悪いことをしたな……。軽率だった……」

 

「なんで明石さんが?」

 

「霞の治療をしてくれるそうだ。心のケアも兼ねて」

 

「ふぅん……」

 

鈴谷の疑いの目が、俺を見た。

 

「浮気の心配か? 心外だな」

 

「そうじゃないけど……。ただ、何と言うか……明石さんのあの感じ……多分、あまり男の人とさ……」

 

「何が言いたい?」

 

「……先生、明石さんに恋させちゃ駄目だからね? 何故か知らないけど、先生モテるんだから……艦娘に……」

 

「最後のは余計だ」

 

「とにかく……ちょいちょい様子見に来るからね。明石さんに恋させるようなことはしない事!」

 

「分かったよ」

 

「じゃあ、もう一回……キスして……」

 

「あぁ」

 

見送るその瞬間に、もう一度キスをして、鈴谷は帰っていった。

 

 

 

食堂に行くと、明石一人がぽつんと座っていた。

食事に手を付けずに。

 

「遅くなってすまない。待たせてしまったか」

 

「い、いえ! 私が勝手に待っていただけなので……。あ、ご飯、どれくらい食べます? お味噌汁は?」

 

「少しで大丈夫だ。ありがとう」

 

 

 

メニューは、大学の食堂で出てきそうな、簡単な物であった。

 

「いつも夕食は、お昼に開かれている食堂のメニューの残り物なんです……。ごめんなさい……」

 

「いや、頂けるだけありがたいし、十分立派な食事じゃないか。それに、美味いと来ている」

 

健康面も気遣われているのか、肉野菜魚がしっかりとれるメニューとなっていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

食器を叩く音と、時計の分針の音。

それだけが食堂を包んでいる。

まあ、食事なんてものは、ペラペラしゃべるものではないと思ってはいるが、こうも静かだと落ち着かないな。

それに、明石は気を遣って俺を待っていてくれていた訳だし、何か話題を振った方がいいのだろうか。

 

「ここに住んでいるのか?」

 

「うぇ!? あ、ははは、はい! 一応……工廠があって……そこに……」

 

「工廠?」

 

「えーっと……工場みたいなものです……。私、こんな格好してますけど、修理専門なので……」

 

「そうなのか」

 

「えぇ……そうなんです……」

 

会話終了。

まあ、初対面だしな。

こんなものだろう。

そう思い、再び食事に手を付けた時であった。

 

「来ますか……?」

 

「え?」

 

「工廠……。どんなところか……」

 

 

 

飯を済ませた後、工廠へと向かった。

 

「ここが工廠か」

 

確かに、工場と言われれば工場だが、どちらかというと、だだっ広い作業場のようであった。

 

「戦時中に使われていたものを改装したんです。こちらにどうぞ。今、コーヒーをお入れしますね。砂糖は二個ですよね」

 

「え? あ、あぁ……ありがとう」

 

砂糖は二個。

確かにそうだが、何故知っているのだろうか。

――あぁ、大淀か。

そんなことまで話しているのか。

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとう」

 

コーヒーは、特別美味しいものではなかった。

だが、俺はこういうありきたりな物が好きであった。

 

「すまない。住まいを見せてもらった上に、コーヒーまで頂いてしまって……」

 

「い、いえ! 私が誘った訳ですし……。それに……その……貴方とは、少しお話したかったというか……」

 

「俺と?」

 

「はい……。実は私……貴方の事……というか、『雨野勉司令官』の事をよく知っていまして……」

 

「え?」

 

「『雨野愛美の日記』の解読をしたの、実は私なんです……。だから、日記の内容に書かれている『雨野勉司令官』の事に関しては、全て知っていて……」

 

「それと俺との会話に、何の関連が?」

 

「貴方は、日記の『雨野勉司令官』と同一人物だから……。あ、違うことは分かっているんですよ? でも、凄くそっくりというか……お顔も、大淀から聞かされていた性格も、何もかもが似ていて……」

 

あぁ、そういう事か。

明石も、青葉と同じように――。

 

「お恥ずかしい話なんですけど、私、日記に凄く感情移入しちゃって……。勝手に頭の中で、貴方の事を想像していて……。実際にお会いして、私の想像通りの人で……日記の通りの人で……」

 

言葉がしどろもどろになるにつれて、明石の顔が赤くなっていった。

 

「い、いやぁ~……本当、恥ずかしいんですけど……その……恋? しちゃったと言うか、その……ね? 分かりますよね……?」

 

「いや……まあ、理解できなくはないが……。凄いというか……。その……少ない情報で、恋にまで発展するなんてのは……中々……」

 

「少なくないですよ! あんなに想い人の事を書いている日記なんて、他にないですよ! 貴方のコーヒーの好みまで書いてあるんですよ! 一番安い――のインスタントコーヒーで、砂糖は二個!」

 

なるほど、それで……。

って、驚くところはそこではない。

 

「俺はその日記を見たことが無いのだが、そんなに書かれているのか?」

 

「そりゃもう! 貴方がどんなに素敵な人で、どんなにかっこいい人間かがびっしり書かれているんです! 写真だって、復元できていないものを合わせても、何十枚もあってですね!?」

 

そこまで言って、明石はハッとした。

 

「す、すみません……。つい……熱くなってしまいました……」

 

「い、いや……」

 

逆に見たくなって来たな……その日記……。

 

「そうか……。だとしたら、あまり夢を壊す様な事は出来ないな」

 

そう笑って見せると、明石は驚いた表情を見せた。

 

「それ~! その笑顔! 想像通りです! わぁ~本物~!」

 

まるで芸能人にでもあったかのようなリアクションに、俺は思わず吹き出してしまった。

 

 

 

それから明石は、先ほどのような余所余所しさがなくなり、まるで昔からの友人のように話しかけてくれるようになった。

 

「それで、大淀が言う訳です。「合コンを開いてあげましょうか?」って。もちろん、私はフリーですけど、恋しちゃってるわけじゃないですか。でも、そんなこと言えないし……。だから私、普通に断るのもなんだと思って、冗談のつもりでこう言ったんですよ。「フリーの人に合コン開いてもらってもね~?」って。そしたら大淀が大激怒しちゃって! そこから大喧嘩ですよ!」

 

何とも楽しそうに語る明石。

きっと、こうしている彼女が、本当の彼女なのだろうと思った。

 

「あ、そう言えば、こんな話もありまして――」

 

その時、工廠の隅にあった時計が鳴った。

 

「え、あれ!? もうこんな時間……。ごめんなさい……。時間に気が回っていませんでした……。こんな時間まで長話に付き合わせてしまって……」

 

「いや、楽しかったよ。気が楽になった」

 

そう聞いて、明石は表情を曇らせた。

 

「……すみません」

 

「え?」

 

「その……霞ちゃんがこういう時なのに、私、自分の事ばかりで……」

 

今までのテンションはどこへやら。

 

「いや、却って良かった。沈んだ空気では、霞の不安を煽ってしまう。それに、お前の事も知れて良かった。大淀が信頼しているとはいえ、よく分からない奴に霞は任せられないからな」

 

そう笑って見せると、明石は安心したような表情を見せた。

 

「霞ちゃんの事、本当に大切に想っているんですね……」

 

「当然だ。あいつは俺の家族だ」

 

「家族……か……」

 

遠くに見える何かの施設。

そこの明かりが、一斉に消えた。

 

「消灯か。明日の事もあるし、そろそろ戻るよ」

 

「あ、はい!」

 

「楽しかった。明日からよろしくな、明石」

 

手を差し出すと、明石もおずおずと手を差し伸べて、握った。

 

「じゃあ、明日」

 

工廠を出ようとした時であった。

 

「あ、あの……!」

 

「なんだ?」

 

「一つ……お願いが……」

 

「お願い?」

 

「はい……」

 

明石はもじもじと手を揉んだ後、かすれそうになるほど小さい声で、願いを言った。

 

「貴方の事……『提督』って……お呼びしてもいいでしょうか……?」

 

 

 

翌日は早めに起きることが出来た。

昨日の事があって疲れていたのか、ぐっすり眠れていたようだ。

 

「さて……」

 

霞の様子を見に行こうと部屋を出ると、明石と鉢合わせた。

 

「おはよう。早いな」

 

「おはようございます。霞ちゃんの事が気になって……。その……て、提督……も、そうですか?」

 

「ん……あ、あぁ……そんなところだ」

 

提督……か。

青葉の『司令官』というのは慣れたものだが、『提督』ってのはな……。

昨日の別れ際、「構わない」なんて返事をしてしまったが、一体どういう理由で『提督』なのだろうか。

聞いても、明石は「何となく、そう呼びたいんです……」というだけだったが……。

 

「じゃあ……一緒に行きましょう。提督」

 

 

 

病室に入ると、霞は目を覚ましていた。

 

「霞」

 

首を固定されている霞は、俺を一瞥すると、すぐに視線をそらしてしまった。

 

「霞ちゃん、ここがどこか分かる?」

 

霞は返事をしない。

 

「喋れない? もし喋れないのなら、ゆっくり目を閉じて」

 

特に反応を見せることなく、霞はただじっと、天井を見つめていた。

明石が困ったように俺を見る。

 

「話したい気分でなければ、出直すぜ」

 

そう言って、病室を出ようとした時であった。

 

「勉」

 

勉。

一瞬、俺の事だとは思わなかった。

霞は一度だって、俺をそうは――いや、寝言では呼んでいたが、面と向かっては――。

 

「話があるの。出来れば、二人で……」

 

二人で……。

 

「あ、じゃあ……私は……。終わったら声かけてください」

 

「悪いな……」

 

「いえ……。またね、霞ちゃん」

 

明石はそそくさと病室を出て行った。

俺は近くにあった丸椅子に座り、霞の言葉を待った。

 

「…………」

 

「…………」

 

沈黙が続く。

病室内は驚くほど静寂に包まれていて、耳鳴りがうるさいほどであった。

数分が経過し、俺から仕掛けてやろうかと思った時、霞が口を開いた。

 

「全部……知っていたのね……」

 

「え?」

 

「知っていて……私と一緒に居てくれたんだ……」

 

何のことかわからずにいると、霞は何かを思い出すかのように、目を瞑った。

 

「あの日……私が錯乱したあの日……。私は、あんたたちが私の話をしているのを聞いてしまった……」

 

霞の話をしている『俺たち』。

 

「まさか……大淀の話を……?」

 

大淀が鈴谷に説明したこと。

それを全て、霞は聞いていたと言うのか。

 

「そうよ……。目を覚ましたら、私はベッドに居て、居間から声が聞こえたものだから――そこで、聞いてしまったわ……。全ての事を――私が、愛美を殺してしまったということも――」

 

それを聞いて、何故霞がここにいるのか、やっと分かった気がした。

分かった気がしたからこそ、俺は言葉を失った。

霞は続ける。

 

「私は……『愛美を殺してしまった』と、あの時に言ったけれど、それはあんたたちの語るようなものとは違うの……。あれは『夢』の話……。いえ……『戦いの記憶』って言った方がいいのかしら……?」

 

俺の答えを待つことなく、霞はあの日見た『夢』の事について話し始めた。

 

 

 

私は時々、夢を見た。

以前、あんたにも話した通り、所謂『愛美の記憶』だと『思っていた』ものよ。

最初こそは、あんたとの思い出ばかりだったのだけれど、ある時から、様子がおかしくなってきたの。

『船』。

そう、『船』だわ。

私は『船』で、そこに『愛美』が乗っていた。

『愛美』は、いつも楽しそうに、私に話しかけているの。

でも、私は『船』だから、会話は出来なくて――それでも、『愛美』は――。

『愛美』は、あんたの話ばかりしていた。

私が『夢』にみた、あんたとの思い出ばかりを――。

 

 

 

あの日、テレビを見ていて、私はついウトウトしてしまった。

テレビから流れる音声が、まるで子守歌のように私の眠りを助長するようだった。

そこでまた『夢』を見た。

けれど、それはいつものような平和な夢ではなかった。

夢の中で『愛美』は泣いていた。

あんたが死んでしまったって。

戦死してしまったって。

急遽、あんたの遺体があるという――に向かう為、私は『愛美』を乗せて海に出た。

その途中で――。

 

 

 

言葉を切ると、霞は思い出したくないと言うようにして、表情をゆがめた。

 

「助けることが出来なかった……。送り届けることが出来なかった……。守らなきゃいけなかったのに……私が……殺したようなものだって……」

 

例えそれが『夢』であっても、霞にとってのそれは、きっと違うものに写っていたのだろう。

そうでなければ、あんなには――。

 

「あんな取り乱して、馬鹿みたいだったでしょ……? 今では自分でもそう思う。でも、あれは確かに存在した記憶なんだって、あんたたちの話を聞く前から、なんとなくだけれど、心の奥底では思っていたの……。だから……」

 

「霞……」

 

「でも、そんなことはどうでも良かった。私はもっと大きな罪を犯してしまった。あんたの大切な人を――私の大切な人を――」

 

「それは……違うだろ……」

 

「何が違うのよ……?」

 

「お前が殺した訳ではない……」

 

「でも、私が居なければ、愛美は今もあんたと居たわ」

 

「そんなことは……」

 

「私が居なければ、愛美は死ななかった。それは事実よ……」

 

どう返していいのか分からなかった。

霞の言うように、それは事実なのだ。

「殺した」という表現が間違っているだけで、事実なのだ。

 

「あんたがこの件をどう思おうが勝手なように、私がこの事実をどう受け止めようかも勝手だわ」

 

「だからって、自殺する奴が……。戒めのつもりか……?」

 

「そうよ……」

 

「そんなことをしても愛美は帰ってこない……。愛美の分をお前が生きようとは思わないのか……?」

 

「奪った命で生きるなんて、私には出来ないわ……。罪を背負うことも……」

 

霞は俺をじっと見つめた。

悲しそうな表情であった。

 

「あんたには分からないでしょ……? 自分が……大切な人の命を奪ってまで、生きてしまった気持ちを……」

 

俺は何も言えなかった。

何ていったらいいのか分からなかった。

 

「……もういいでしょ。今まで、付き合わせて悪かったわ……」

 

それはまるで、お別れのあいさつであった。

――いや、そのものだった。

 

「あんたとはこれっきりよ……。これ以上、迷惑はかけられない……」

 

「迷惑かどうかを決めるのかは俺だ……。俺は……お前と居たいよ……」

 

「私は違う」

 

「!」

 

「私は……あんたと居たくない……。あんたと居ると、自分が嫌になる……。自分でなくなっていくようだし、私はあんたの事を――。だから……お願い……。あんたが私を恨んでいない内に――そう言ってくれる内に……お別れしてほしいの……」

 

「霞……」

 

「出て行って……」

 

「しかし……」

 

「出て行って……!」

 

霞は近くにあった花瓶を俺に投げつけた。

すかさず明石がとんできた。

 

「霞ちゃん!?」

 

「出て行ってよ……! 出ていけ……!」

 

「提督……ここは一旦……」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 

しばらくして、明石は工廠へとやって来た。

 

「提督……」

 

「悪い、お邪魔してるぜ」

 

「いえ、いいんです。むしろ、嬉しいくらいで……」

 

「そうか……」

 

明石は隣に座ると、買って来た缶コーヒーを俺に渡した。

 

「ありがとう。霞の様子は……どうだ……?」

 

「今は眠っています。提督が出て行ってから、大人しくなって……。あの……私、聞いていたんです……。二人の会話……」

 

「……どう思った?」

 

「霞ちゃん……本当は心の奥底で……提督の救いを求めているように思いました……。。そうでなければ、そもそも二人で会話なんて……。でも、それを許すことが出来ないから、無理やり自分の気持ちを押し通す様に、提督にあんなことをしたのかと……」

 

それは明石なりの慰めのように、俺には思えた。

 

「あいつに……悪い事をした……。知らなくていいことを……聞かせてしまった……」

 

「いずれは知ることだと思います……。それが今回だっただけで……」

 

「だが……今でなくてよかった……。少なくとも、今ではない……。あいつは向き合えなかった……。きっと……もっと知るのが遅ければ……」

 

「提督……」

 

項垂れる俺の背中を明石は優しくさすってくれた。

 

「……とにかく今は、時間を置いた方がいいかもしれません。霞ちゃんにも、気持ちを整理する時間は必要かと……」

 

「……そうだな」

 

「……朝ごはん、まだでしたね。今日は、私が作りますから、温かいですよ」

 

「あぁ……ありがとう……」

 

結局その日は、霞に会うことは出来なかった。

 

 

 

翌日、診察の為に明石が病室に入ったが、相変わらず俺と会うことは拒んでいる様子で、会う事はかなわなかった。

明石曰く、「説得している」とのことではあったが……。

 

 

 

また翌日。

明石が、少しでも霞の心を開かせるためか、同型(?)だという朝潮を連れて来た。

霞は相変わらず俺とは会ってくれないが、朝潮の事は良く思っているのか、再会に笑顔が見られたという。

 

「それじゃあね、霞」

 

病室から出てくる朝潮に、礼を言おうと声をかけると、俺の姿を見るや否や、驚愕の表情を見せた。

 

「すまない。驚かせたか。霞を引き取った雨野勉という者だ」

 

「あ……そ、そうでしたか……。貴方が……」

 

「霞の様子はどうだったか……聞かせてはくれないか? 俺とは会ってくれないのだ……」

 

朝潮はどこか動揺を見せながらも、「私でよければ……」と、承諾してくれた。

 

 

 

朝潮から聞いて取れたのは、どうもいつもの霞であった。

霞が自殺未遂を起こしたのだとは知らない様で、怪我のお見舞い程度に思っているようであった。

 

「そうか。ありがとう。悪かったな、呼び止めてしまって」

 

「い、いえ……。その……し……あ、貴方の事は、聞いていましたから……。一度、お話したいと思っていたので……」

 

明石と同じような事を言うのだな。

 

「聞いていたって、霞からか?」

 

「はい。何度か電話で話したことがあって……。男の人に引き取られて、生活していると……。貴方の事、いい人だって……」

 

いい人……か。

 

「そうか……」

 

「あの……雨野勉って……『あの』雨野勉さんですよね……」

 

「『あの』とは?」

 

「『雨野勉司令官』です。私、『夢』で何度か……貴方の事を……」

 

「『戦いの記憶』の事か……?」

 

「はい……」

 

朝潮曰く、短い期間ではあるが、自分の艦隊の指揮を取っていたのが、『雨野勉司令官』だったらしい。

 

「『夢』はよく見ますが、『雨野勉司令官』指揮の下での『夢』がとても多いのです。だから……」

 

朝潮は俺の顔をじっと見つめた。

 

「瓜二つ……というより、司令官そのものです……」

 

見つめるその瞳は、青葉から向けられたものと同じであった。

 

「あの……時々こうして……お話できませんか……? 貴方が司令官でないことは分かっているのですが……私は……」

 

こういう時の返事には、もう慣れていた。

 

「あぁ、構わない」

 

その次のお願いに対しても、同じだ。

 

「司令官と……お呼びして宜しいでしょうか……?」

 

 

 

翌日。

鈴谷から連絡があり、俺は急いで帰宅することとなった。

どうやら最上が、俺が家に居ない事を怪しんでいるとのことであった。

 

「ただいま」

 

「やっと帰って来た! 先生、どこに行っていたのさ!?」

 

「悪い、ちょっとな」

 

「ちょっとなんだい!? 鈴谷を置いて朝帰りなんてさ!?」

 

その鈴谷は、申し訳ない、というような顔をしていた。

 

「浮気でもしていると?」

 

「そうだよ! 霞ちゃんが『検査』で居ない事をいいことにさ!」

 

検査、ね。

 

「誰と浮気すると言うんだ」

 

「例えば……大淀さんとかさ……。鳳翔さんかも……」

 

「引きずるなぁ、お前は」

 

「だってさ……」

 

どう納めようか考えていると、鈴谷が最上を指さした。

あぁ、なるほどな……。

 

「俺が浮気するとしたら、そりゃお前だろ」

 

「え?」

 

「浮気するなら、お前を選ぶよ」

 

唖然とした最上の表情は、怒っているのか、はたまたにやけているのか、よく分からない表情へと変化した。

 

「は、はぁ!? そ、そういう話じゃ無くて……。うぅ~……! も、もういい! ボク、ちょっとお手洗い!」

 

そう言うと、最上は洗面所の方へと駆けこんでいった。

 

「痛っ!」

 

頬の痛み。

それは、鈴谷のつねりによるものであった。

 

「なんだよ。お前がそうしろと……」

 

「そうだけど……。なんか……ムカつく……」

 

鈴谷はむくれた顔を見せると、すぐに表情を戻した。

 

「で、霞ちゃんは……? どう……?」

 

「相変わらず会ってはくれない。明石は、時間が経てば……と言っていたが……」

 

「そっか……」

 

「だが、昨日なんかは朝潮が来てくれて、普通に再会を喜んでいたようなんだ。俺と会わないってだけで、病んでいるわけではないらしい」

 

それを聞いて、鈴谷はほっとした表情を見せた。

 

「今日、青葉とあきつ丸が帰ってくるって。あの二人なら霞ちゃんの気持ちを理解できると思って、話しちゃった。そしたら、霞ちゃんに会いたいって」

 

「そうか。確かに、あの二人なら……」

 

特に、あきつ丸なら――。

 

「二人に連絡してみるよ。ありがとう、鈴谷」

 

「ううん。元と言えば、鈴谷が悪いんだし……これくらいしかできないし……。鈴谷が知ろうとしなければ……話を聞かなければ……こんなことには……」

 

「お前が気に病むことはない。俺がもっと早く、お前に打ち明けていれば良かったんだ……」

 

「先生……」

 

「苦しませてしまったようだな。ごめんな」

 

そう言ってやると、鈴谷はそっと寄り添い、俺の胸に顔を埋めた。

 

「こほん……」

 

わざとらしい咳払い。

最上は、退屈そうに壁に寄り掛かり、腕を組みながら俺たちを睨んでいた。

 

「そういうのは余所でやって欲しいものだけれど……」

 

「ここは俺んちだ」

 

「ボクの修行場でもあるんだ!」

 

相当イラついているのか、最上の機嫌はしばらく良くならなかった。

 

 

 

結局、最上の機嫌がなおったのが夕方で、時間も時間であったので、本部へ帰ることを断念した。

 

「もがみん、仕事は?」

 

「うん、明日の午後に取材があるんだ。それまではここで過ごそうかなって」

 

「泊まる気か?」

 

「だって、久々の休日なんだ。お酒でも飲もうよ」

 

「じゃあ、必然的に鈴谷もお泊りじゃん」

 

「なんでさ?」

 

「なんでって……。もがみんと先生、二人っきりとか……」

 

「あ~、そうだよね~。ボクと先生が二人っきりだったら、何も起きないはずないしね」

 

鈴谷が俺を睨む。

だからなんでいつも俺を睨むんだ。

 

「そう言えば、先生、小説は? 書いてるの?」

 

「え?」

 

「書くって言ってたじゃないか。構想はあるの?」

 

「あぁ……そうだったな。まだそこまでは……」

 

「小説……」

 

そう零すと、鈴谷は何やら考え込んだ。

 

「どうした?」

 

「小説……そっか! 小説だよ! 霞ちゃん、先生の小説好きじゃん!」

 

急に何を言い出すのかと思ったら。

そんな事――。

――いや、そうか。

そういう事か。

 

「なるほど、その手があったか」

 

「そうだよ! もがみん、その手だよ!」

 

最上の手を握り、ぴょんぴょん跳ねる鈴谷。

最上は何が起こったのか分からず、困惑の表情を浮かべていた。

 

 

 

翌日の夕方。

戻って来た俺を迎えた明石は、ギョッとした表情を見せた。

 

「提督!? 大丈夫ですか!? 凄い隈……」

 

「あぁ……なんとかな……。これ、霞に渡してくれないか?」

 

束になった原稿用紙を明石に渡してやる。

 

「これは……小説……?」

 

「とりあえず一話……。どうも筆が遅くて駄目だ……」

 

それを聞いて、明石も気が付いたようであった。

 

「なるほど! これなら霞ちゃんと!」

 

そう。

俺の小説なら、霞は読んでくれる。

小説に込めた俺の気持ちに、気が付いてくれるだろう。

思えば、あいつが家に来た時、仲を繋いでくれたのが、小説だった。

 

「これならあいつと会話できる。……といっても、一方的だがな。それでも、きっとあいつは気が付いてくれるだろう……。俺の気持ちに……。そして、初めてあいつの心が分かった時のように――小説で心が繋がった時のように、もう一度……」

 

「提督……。分かりました。届けてきますね! 今、青葉さんとあきつ丸さんが来ているんです。そろそろ話しも終わる頃だと思いますので、そのタイミングで……」

 

明石がそう言った時、ちょうど部屋からあきつ丸と青葉が出て来た。

 

「ナイスタイミング! じゃあ、渡してきますね」

 

明石は俺の小説を大事そうに抱えながら、霞の部屋へと入っていった。

 

「勉さん!」

 

「司令官!」

 

「おう、二人とも。お帰り。来ていたんだな」

 

「はい。本当はもっと早く来れたらと思っていたのですが、中々海軍本部から許可が出なくて……」

 

青葉がそう言うと、何故かあきつ丸の表情が暗くなった。

――あぁ、そういう事か。

どうやら、陸軍と海軍の間にある溝は、未だに――。

 

「それで、どうだった? 霞の様子は……」

 

二人は、お互いの目を見て頷くと、青葉が一歩引き、あきつ丸が話し始めた。

 

「霞殿に、全てお話いたしました。自分と霞殿は、同じ境遇なのだと……」

 

「それで……」

 

「……駄目でありました。共感はしてくれましたが、やはり勉さんに合わせる顔は無いと……」

 

「そうか……」

 

あきつ丸となら――同じ境遇を持った者同士でもあるから、気持ちの変化があるものだと考えていたが……。

 

「それほどに、霞殿が持っている罪悪感は大きいもののようであります……」

 

「司令官……」

 

「罪悪感……か……。罪ってものは、法律などで定められていても、結局は自分が『感じる』ものだ。誰かの許しや共感などで、その罪が消えないのなら……あとはあいつが向き合えるかどうかにかかっている……」

 

その為の鍵となるのが、おそらく俺の気持ち――俺の小説になるのだろう。

あいつなら――誰よりも俺の小説が好きなあいつなら、きっと――。

売れない、大した実力も無い俺の小説で、どこまであいつの気持ちに近づけるのか……。

 

「小説家としての腕の見せ所……か……」

 

こうして、霞の為の小説を書く日々が始まった。

 

 

 

小説を書き始めてから、三日目の朝。

 

「よし……二話完成だ……」

 

「お疲れ様です、提督」

 

「明石、起こしてしまったか」

 

「いえ、いつもこの時間に起きてますから。それよりも、流石にお休みした方がいいのでは?」

 

「あぁ、そうさせてもらう……」

 

「では、私は霞ちゃんのところに」

 

「頼む」

 

 

 

五日目。

 

「先生、やってる? 着替え持ってきたよ。あと、差し入れ」

 

「鈴谷。ありがとう。悪いな」

 

「ううん。順調?」

 

「何とかな。だが、普通に小説を書くより難しいものだ。小説に自分の気持ちを全力でぶつけるなんて、今までしてこなかったからな……」

 

「大丈夫。先生になら出来るよ! 鈴谷も応援してるんだし!」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「それとさ……」

 

鈴谷が退くと、そこに最上が立っていた。

 

「最上!?」

 

「ごめん……先生……。もがみんがどうしてもって……それで……」

 

「話したのか……」

 

怒るだろうなと思い、恐る恐る最上の顔を見てみると、何とも悲しい表情をしていた。

 

「酷いじゃないか……先生……。どうして黙っていたのさ……」

 

「最上……。いや、その……」

 

「分かってるよ……。ボクの為なんだよね……? 話したら、こうなるって分かってて……。忙しいボクを気遣ってくれたんだよね……?」

 

俺は何も言えなかった。

 

「でも……ボクは先生の弟子なんだよ!? 師匠がこんな状況なのに、何もしない弟子がいるもんか!」

 

「最上……」

 

「だから……もっとボクを頼ってよ……。ボクは……先生の弟子で……担当じゃないか……」

 

鈴谷が心配そうに俺を見つめた。

――あぁ、そうか。

鈴谷、お前も俺が心配だったんだな。

黙っていられなかったんだな。

 

「最上……」

 

「…………」

 

「――確かに、俺が苦しい時、お前はいつでも力になってくれたよな」

 

「そうさ……。締め切りの厳しい時だって……ボクは……」

 

「……そうだな。悪かったな、最上……。そうだ。俺の小説家人生において、お前は無くてはならない存在だった。むしろ、お前が居てこそ、俺は初めて小説家と名乗れるのかもしれないな」

 

そう笑って見せると、鈴谷も最上も安心した表情を見せた。

 

「もう一度、あの頃と同じように、力になってくれるか?」

 

「もちろんだよ! よーし、そうと決まれば、全力で先生をサポートだ! 鈴谷、栄養のある物、作るよ!」

 

「もがみん……。うん! 分かった!」

 

そうだ。

一人前になったつもりでいたが、俺はいつだって、誰かに支えられてきたんだ。

 

「半人前が調子に乗っていたな」

 

 

 

七日目。

とうとう鳳翔がやって来た。

霞は相変わらず俺とは話してくれないが、鳳翔には心を開いているのか、自分から話すことが多くなったという。

小説は、五話目に突入していた。

 

 

 

十日目。

霞の病室が、集中治療室のような場所から、一般の病室へと移った。

この頃になると、毎日、霞の元に誰かしら訪ねていたものであるから、目を離した隙に……なんて心配がなくなっていたようだ。

小説はまだ、五話の中盤だ。

 

 

 

十一日目。

朝潮が、たくさんの艦娘を連れて来た。

駆逐艦や重巡洋艦――とにかく、たくさんだ。

今まで気が付かなかったが、案外、霞には人望があるらしい。

気になったのは、数名の艦娘が、朝潮と同じように、俺を見て驚いていたことだ。

理由は聞かなかったが、おそらくは――。

大潮という艦娘なんかは、俺を見て「司令官!?」と言ってしまっていたしな。

小説は、今夜にも五話を霞に渡せるだろう。

 

 

 

――それからも、たくさんの艦娘が訪ねて来たり、俺が体調を崩したりと、色々な事が起こった。

そうした日々の出来事も、俺は小説に書き起こし、時には面白おかしく着色したりした。

霞は俺に対して相変わらずだが、怪我も完治し、精神状態も以前と変わり映え無いくらいに戻ったようで、得意の悪態もつくようになったという。

そして、小説はというと、あと一話で完結というところまで来ていた。

書き始めてから一か月強。

俺は、最終話の締めくくりをするために、ここ数日は『筆を置いていた』。

小説の更新がない事に、霞もそろそろ気が付く頃だろう。

 

「先生……」

 

鈴谷が皆を連れ、やって来た。

 

「そろそろかと思って……」

 

「あぁ、頃合いだろう。きっと霞も、しびれを切らしているんじゃないかな」

 

「きっとそうさ。ボクだって気になっているくらいだ。霞ちゃんは、もっとじゃないかな?」

 

「霞ちゃん、なんだかソワソワしていましたから、きっと待ち遠しいのだと思いますよ」

 

「青葉、霞ちゃんが司令官の小説をチラチラ見ているの、見ちゃいました!」

 

「あれは相当来ているでありますな」

 

皆、思い当たる節があるようだな。

 

「先生」

 

「大淀」

 

「私がこんな事いうのは違うかもしれませんが……。霞ちゃんの事……お願いいたしますね……」

 

そう言うと、大淀は頭を深く下げた。

思えば、大淀は、霞の将来を誰よりも心配し、苦労してきたもんな。

 

「あぁ、任せろ」

 

俺は一呼吸おいて、明石に伝えた。

 

「『艦娘寮の――号室』。そこで待っている。そう霞に伝えてくれ」

 

艦娘寮の――号室。

そこは以前、大淀に案内された、愛美が艦娘時代に使っていたという、寮の部屋であった。

 

 

 

艦娘寮。

相変わらず古いままで、床はきしみ、歩く度に少しだけ沈む。

加えて、季節のせいもあってか、少しだけかび臭かった。

 

「えーっと……。そうだ、ここだ」

 

愛美の使っていた部屋。

扉を開けると、むわっとした空気と、暖かな夕日が俺を包んだ。

 

「邪魔するぜ」

 

六畳ほどの小さな部屋。

押し入れと、外を眺める窓があるのみの、殺風景な部屋だ。

 

「だがまあ、景色はいいものだな」

 

窓を開けると、気持ちのいい潮風が入って来た。

ふと、窓際に座り、風を楽しむ愛美の姿が思い浮かんだ。

家にいる時も、あいつはいつだって、風を楽しめる場所に座っていたな。

きっと、ここでも同じように――。

 

 

 

霞が来るまで(尤も、来てくれるとは限らないのだが……)、俺はじっとしている事にも飽きて、部屋を探索することにした。

 

「といっても、押し入れくらいしか見るところは無いのだがな」

 

押入れを開ける。

しかし、そこには何もなく、俺は再びじっとすることを強いられ――。

 

「ん……?」

 

押し入れの下の段。

そこに、何やら写真のようなものが一枚だけ落ちていた。

拾い上げてみると、やはり写真のようで、そこに写っていたのは――。

――その時、部屋に強い風が入って来た。

こんなにも風が入ってくるということは、部屋のどこかに風の通り道が出来たということで――俺は扉の方を見た。

 

「……よう」

 

霞が、俺が書いて渡した小説を持って、そこに立っていた。

 

 

 

霞は夕日に背を向け、壁に寄り掛かり、小さく座った。

久々に見る霞の顔。

思い詰めている様子はなく、平生であった。

 

「怪我はもういいのか?」

 

霞は目を合わせることなく、小さく頷いた。

 

「そうか……」

 

長い沈黙が続く。

 

「……この部屋、何もないけどさ、これが一枚だけ、ここにあったんだ。ほら」

 

見つけた写真を渡してやる。

写真を見た霞は、一瞬、何かを思い出したかのような顔を見せた。

 

「お前と愛美、二人の写真だな。この部屋で撮った写真のようだが」

 

写真の中の二人は、満面の笑みを見せていた。

背景に、この部屋の窓から見える景色が映っている。

 

「…………」

 

霞は相変わらず何も言わない。

このまま話題を振り続けても良かったが、俺はあえて何も言わずにいることにした。

それが、言葉を待っているというサインだと、霞も分かってくれていると思ったからだった。

永遠のように長い沈黙が続く。

時間にして数分のはずなのに――きっと霞も、同じように思っているのかもしれない。

なんだかそれが、同じ気持ちを共有できているようで、俺はなんだか嬉しくなった。

――あぁ、そうだ。

この気持ちは、霞と初めて心が通じたあの時と同じ――。

 

「……な……で……?」

 

突如、沈黙を切った霞。

まるで初めて言葉を発するかのように、恐る恐る出たものであった。

 

「なんで……一話だけ……最終話だけ……残したままなのよ……?」

 

霞は目を合わせることなく、俺に小説を渡した。

 

「……なんでだと思う?」

 

霞は答えない。

 

「お前なら、分かってくれると思っていたのだがな。分からないか……?」

 

再び沈黙。

だが、俺が何も言わないものだから、霞は膝を抱えて、そこに顔を埋めながら、小さく答えた。

 

「この物語は……私とあんたの事を書いている……。そうでしょ……?」

 

今度は俺が何も言わなかった。

 

「子供を産んだことによって、母親が死んでしまって……。その事を子供に悟られない様、奮闘する父親の話……なんて……。私とあんたの話、そのものじゃない……」

 

「ちょっと安直だったかな」

 

「あんたにしてはね……」

 

顔を上げる霞は、どこか悲しそうな表情をしていた。

 

「主人公は……子供の事を本当に大切に思っていて……。母親が居ない事を子供に責められても、子供を恨むことはしなかった……」

 

「それほどに、主人公にとって子供は大切な存在だったんだろうな」

 

「私は……主人公の気持ちが分からなかった。どうしてそこまでして、子供を大切に思うのか……。でも……話が進むにつれて、その気持ちが理解できるようになっていって……。だからこそ、辛く思えて……」

 

「辛いってのは?」

 

「私が、よ……。この子供は……私そのもの……。話の中の子供は、いつまでも主人公の気持ちが理解できずにいるけれど……その事が私と重なって……。今となっては……この小説を通して、あんたの気持ちが理解できて……」

 

「それでも、自分を許すことが出来なくて……ってなところか?」

 

霞は小さく頷いた。

 

「この小説は……主人公と子供が、今後どう向き合っていくのか……というところで終わってるわ……。子供がこの真実に対して、どう向き合っていくのか……。主人公がどう受け入れてゆくのか……」

 

霞は初めて、俺に目を向けた。

 

「この物語の最後は……私たちがどう向き合うのかで……決まってくる……。そうでしょう……?」

 

「――あぁ、その通りだ」

 

夕日が、沈みかけている。

どこかで鳴らされた船の汽笛が、古びた窓を小さく揺らした。

 

 

 

先ほどとは違い、窓からは少しだけ冷たい潮風が吹いて来ていた。

 

「こんな手の込んだこと……」

 

「こうでもしなければ、お前は俺と向き合ってくれないと思ってな」

 

「ずるいわ……」

 

「でも、お前は来た。お前が知りたいのは、この小説の結末か? それとも――」

 

「どちらにせよ、同じことでしょ……」

 

「それもそうだな」

 

長い沈黙が続く。

 

「俺の答えは、もう決まっている。この小説の主人公と同じだ。本当は分かっているんだろう? あとは、お前だけだって」

 

「……分かってるわよ。分かっているけれど……やっぱり……私は……」

 

「だったら、この子供はどうだ?」

 

「え……?」

 

「主人公の気持ちが分かった今、お前はこの小説の子供をどうしたい?」

 

霞の事でなく、小説の中の子供の事。

霞が自分に向き合えないのは、真の意味で俺の気持ちに寄り添えていないからだ。

 

「主人公の気持ちが分かったというのなら、お前がこの子供をどうしたいのか――お前がどうすればいいのか、分かるだろ? 分かったから、ここに来たんじゃないのか?」

 

「…………」

 

「霞」

 

「……全ての物語が、ハッピーエンドという訳にはいかないわ」

 

夕日が、水平線の向こうに消えた。

冷たい風が、俺たちの間を抜ける。

 

「……そうかよ。それが、結末かよ……」

 

「現実は……小説とは違う……。あんたはこの小説の主人公じゃないし、私は子供じゃないわ……」

 

現実と小説は違う……か……。

そうだ。

そうだよな。

 

「ちょ……!」

 

俺が小説をびりびりに破くものだから、霞はとっさに立ち上がった。

 

「何してんのよ!? やめなさいよ!」

 

「こんなものは現実じゃない。その通りだ。俺は主人公じゃないし、お前は俺の子供でもない。主人公の気持ちは俺の気持ちじゃないし、子供の境遇もお前とは違う」

 

俺は、破いた小説を窓の外に放った。

 

「…………」

 

霞は、風に舞う『紙切れ』を呆然と見つめていた。

 

「なに……やってんのよ……」

 

「俺は馬鹿だ。あんなもの、ただの作り話だ。俺の気持ちを全力でぶつけた……なんて思って書いていたが、そうじゃない。本当は、お前にぶつけなきゃいけないんだ。小説なんかでなく、物語の子供なんかでなく、お前に」

 

次いで、俺は愛美と霞の写真をも破り、窓の外に放った。

 

「愛美はもういない……。お前もいい加減受け入れろ……。罪を償おうとしているだとか、俺に申し訳ない気持ちがあって自殺するのは勝手だ。だが、そんなことで愛美は帰ってこない。お前は……ただ愛美が忘れられないだけだ……。愛美を忘れることが出来ないから、償おうなどと口実をつくって、自分を愛美の幻影に縛り付けているだけなんだ……」

 

それが、小説なんて『優しい言葉』を使わない、『隠さない』、俺の本当の気持ちであった。

 

「違う……」

 

「違うものか……」

 

「違う! 私は、大切な人の命を奪ってまで生きるなんて……!」

 

「その大切な人はお前に生きて欲しいと願っているはずだ……!」

 

「――っ!」

 

「お前が奪ったんじゃない……。あいつが、お前に託したんだ……。自分の命を……」

 

「そんな……こと……」

 

「否定できるのかよ……。愛美をよく知っているお前が……」

 

霞は何か言いかけたが、結局何も言えず、閉口した。

 

「……もう一度言う。愛美はもういない。帰ってこない。忘れなければ……いけないんだ……」

 

「……やだ」

 

「霞……!」

 

「やだ……! 忘れたくないもん……!」

 

霞の叫びが、部屋を抜け、本部の広い敷地に響き渡った。

 

「やだ……やだよぉ……。愛美……愛美ぃ……」

 

霞は大粒の涙を流した。

まるで子供のように――。

ここまでの涙は、無かったように思う。

 

「慰めはしない……。お前が乗り越えるんだぜ……。お前を慰める小説も、優しい言葉も、もうここにはない……」

 

「う……うぅぅ……」

 

「そして……愛美もだ……」

 

今度は、俺の頬に涙が伝う。

 

「俺も忘れるよ……。乗り越えるよ……。だから……お前も……生きろ……! 精一杯……生きろよ……!」

 

「うぅぅ……うあぁぁぁぁ……。うあぁぁぁぁ……」

 

それは、今まで見せたどんな泣き声よりも、大きく、素直なものであった。

まるで、赤子が初めて産声を上げるような、力強く、精一杯の泣き声であった。

 

 

 

どれほどの時間が経ったかは分からない。

霞が泣き止む頃、空はすっかり暗くなっていて、星空と、クレーンの赤い光だけが、俺たちを照らしていた。

俺は、霞の言葉を待っていた。

このまま何十時間過ぎたって、俺から話しかけることはしないと、心に誓った。

全力の気持ちをぶつけた。

これ以上の言葉はない。

これで止めることが出来ないなら、俺はこの先、霞と居ることは出来ないだろう。

だから――。

 

「本当に慰めてくれないのね……」

 

想定外の言葉に、俺は唖然とした。

急に霞が話しかけて来たのもあるが、もっとこう……重い言葉が口から出てくるものだと思っていたから……。

 

「私……泣いているのだけれど……」

 

「え?」

 

「私が泣いていたら……あんたはどうするのよ……? ほら……いつも……してるじゃない……」

 

「あ……あ、あぁ……」

 

霞を抱き寄せ、座らせてから、抱きしめてやった。

 

「こうで……良かったか……?」

 

「背中とか……頭とか……撫でてるでしょ……」

 

「あぁ……そうだったな……」

 

困惑しながらも、オーダー通りにしてやる。

こう、スッと切り替えられると、どうも……。

さっきまで……というより、ここ一か月強、どうすればよいものかと試行錯誤していたものだから、こうも急に甘えられると……。

 

「お前、もう……」

 

「何が……?」

 

「何がって……。愛美の事……」

 

「知らないわ……。そんな人なんて……」

 

「!」

 

それが、霞の出した答えであった。

 

「……何よ、あんたが忘れろって言ったんじゃない」

 

「いや……別にそこまで忘れろとは、言って無いのだがな。それじゃ、記憶喪失みたいで……」

 

俺がそう笑って見せると、霞はそっぽを向いてしまった。

 

「悪い。緊張の糸が切れてしまってな」

 

そう言うと、霞はそっぽを向いたまま、俺の胸に体を預ける様に座った。

 

「あんたの気持ち……よく分かったわ……。愛美を忘れられなかったのは本当よ……。あんたに言われて、やっと私はその事実を受け入れることが出来た……。愛美の死を……受け入れることが出来た……」

 

「霞……」

 

「あんたにさ、私は愛美とは違うだなんて言っていたのに、私は、あんたに愛美の影を見ていた……。あんたが優しいものだから……愛美のように思っていたから、今日まで愛美の死を受け入れることが出来なかったのかもしれないって……気が付いたの……」

 

霞が甘えてくることが多かったのは、そういう意味もあったのか。

 

「愛美はもういない……。罪の償いをしたって帰ってこないし、死んだって、愛美には会えない……。私に生きる意味はないけれど、私に生きて欲しい人はたくさんいるって、あの小説が教えてくれた……」

 

そう言うと、霞は部屋に落ちている紙切れの一枚を、大事そうに胸に当てた。

 

「あんたは私に、本音でぶつかってくれた。私に愛美を忘れさせてくれた。そして、あんたの小説は、空っぽになった私に、生きる意味を教えてくれた……」

 

霞は俺に向き合うと、きれいな瞳で俺を見つめた。

 

「私……本当に生きていいの……? 愛美を……あんたの大切な人を忘れて……生きてしまっていいの……? 教えて……。教えてよ……勉……」

 

助けを求めるような、そんな問いかけであった。

最初からこうしていれば、本当はすぐにでも終わっていたことなんだ。

こんなに長い時間をかけずとも、きっと――。

俺たちはいつだって、紆余曲折を経て、当たり前の事、単純な事に辿り着く。

まるで、小説のように――。

 

「当たり前だ……。俺にはお前が必要だ……。小説に書いてあっただろう……」

 

「……そうだったわね」

 

そう言うと、霞は小さく笑った。

そして、手に持っていた紙切れを手放すと、潮風に乗せ、どこかに飛ばしてしまった。

 

「結末はもういいわ……。小説は終わっても、私たちの話は、ここからでしょう……?」

 

「フッ……さっきまでピーピー泣いてたやつが、何を臭い事言ってるんだ」

 

「……あんたのそういうところ、本当に嫌い」

 

風がやむと、雲に隠れた月が、顔を出した。

月明りに照らされながら、俺たちは艦娘寮を――思い出をそこに置いて、新しい物語の舞台へと、歩き出した。

 

「勉……」

 

「なんだ?」

 

「……ただいま」

 

「……あぁ、お帰り」

 

遠くで、俺たちを待つように、皆が手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『エピローグ』

 

 

 

何かが影になり、光を遮った。

目を開けてみると、そこには明石の顔があった。

 

「あ、起きちゃった。おはようございます、提督」

 

「明石……。なんだ……お前、俺の顔に何かしたのか……?」

 

「キスしようと思って」

 

「するな、馬鹿」

 

目を擦り、昇ってくる朝日に向かって、伸びをした。

 

「昨日はすみません。色々と手伝ってもらって……」

 

「いや、お前一人ではしんどいと思ってな。少しでも力になれたらと」

 

「大助かりです! まあ、不器用ではありましたけど、提督と一緒にお仕事できたってだけで、私のやる気はもうマックス! 明日の分の仕事も終わらせるほどです!」

 

「そりゃ良かったな……」

 

そんな事を話していると、鈴谷がやって来た。

 

「あー! 帰ってこないと思ったら! 二人で何してんの!?」

 

「何って。男と女、二人で夜を明かしただなんて、することは決まってますよ。ね、提督?」

 

「手伝いをしていただけだ。今日、朝潮がやってくると聞いたものだから、その調整だよ」

 

そう言っても、鈴谷は疑いの目を明石に向けていた。

 

「冗談ですって! 提督が愛しているのは、鈴谷さんだけです。そうですよね?」

 

「あぁ、もちろんだ。鈴谷、悪かった。けど、連絡はしたんだ。愛花から聞いて無いのか?」

 

「え? 聞いて無いけど……」

 

「愛花ちゃん、わざと鈴谷さんを心配させたのでは? 愛花ちゃん、提督の事好きですからね~。ママからパパを奪うんだって、息巻いていましたし」

 

「あ、あの子は……もう……!」

 

「娘に愛されるなんて、羨ましいですね、提督」

 

「照れるなぁ」

 

「照れるな!」

 

怒る鈴谷を宥めるため、明石は話題を変えた。

 

「ところで、鈴谷さんは何をしに?」

 

「あ、そうだ! 先生、朝潮ちゃんが来てるの」

 

「もう!? 来るのは午後と聞いていたけれど……」

 

「早く司令官に会いたくて……だって。一緒に来て」

 

「あぁ、分かった。明石、またな」

 

「はい!」

 

工廠を後にし、朝潮の待つ部屋へと向かった。

 

 

 

「司令官!」

 

部屋に入るなり、朝潮は敬礼して見せた。

 

「ご無沙汰しております!」

 

「おう。久しいな。大きくなったな。まあ、座れ」

 

「失礼します!」

 

「鈴谷、お茶でも入れてくれ」

 

「オッケー」

 

俺が座るのを待ってから、朝潮は座った。

 

「来るのは午後と聞いていたがな」

 

「はい、一刻も早く司令官の下で働きたくて……。ご迷惑でしたでしょうか……?」

 

「いや、構わんよ」

 

「はい、お茶。朝潮ちゃん、どうしても先生の下で働きたいからって、わざわざここを指名したんだって。相変わらず艦娘にはモテるよね~」

 

「そうなのか」

 

「は、はい……」

 

顔を赤くする朝潮に、鈴谷は俺の足を踏んで見せた。

 

「……っ! 俺よりも優秀な『適合者』がいると聞いているが、本当にここでよかったのか?」

 

「ここが良かったのです! 司令官の……貴方の居るここが……良かったのです……」

 

再び鈴谷の踏み付け。

 

「……っ。そ、そうか……。お前は優秀だったと聞いているから、期待しているぞ」

 

「は、はい! 全力で頑張ります!」

 

「よし。部屋を用意してある。鈴谷、案内してやれ」

 

「りょーかい……」

 

部屋を出る際、鈴谷に睨まれた。

こりゃ、後が大変だろうな。

 

「失礼します」

 

すれ違いで、大淀が入って来た。

 

「また鈴谷さんを怒らせてる。凝りませんね」

 

「最近、構ってやれてないからな。フラストレーションが溜まっているんだろう」

 

「フラストレーションと言えば、最上さんも同じような感じで、毎日連絡がきますよ。そろそろ声くらい聞かせてあげたらいかがですか?」

 

「ダメだ。あいつにはあいつの仕事がある。俺が話しでもしてしまったら、あいつは我慢できなくなって、ここに押しかけてくるかもしれん」

 

「逆の発想はないのですか? 話せないから押しかけてくるだとか」

 

「そこまで迷惑をかけるような奴じゃない。俺が忙しいと思わせておかないとダメだ。電話に出れるほど暇だと分かったら、それこそ押しかけてくるぜ」

 

「なるほど……」

 

「あいつは今や、超売れっ子の作家だ。あの時は許したが、今回ばかりは本職に専念してもらいたい」

 

「先生の代わりに、ですね」

 

「……俺だって出来ることなら、小説家でありたかったさ」

 

「売れない小説家に、ですね」

 

大淀がくすくす笑う。

 

「……それよりも、例の件はどうした? 青葉にフェイクニュースを流してもらうことと、あきつ丸に陸軍経由で圧力をかけてもらうこと、頼んでおいたよな?」

 

「もうとっくに終わってます。報告したはずですよ」

 

「そうだったか?」

 

「……鳳翔さんのお店で」

 

「飲んでいる時じゃないか。そんな重要な事、飲みの席で報告するな。忘れてしまうだろう」

 

「すみません」

 

大淀はどこか嬉しそうに、謝って見せた。

同時に、時計が鳴る。

 

「そろそろ朝会の時間ですね。参りましょう。皆さんお待ちですよ」

 

「あぁ」

 

 

 

中庭に向かう途中、大淀は何かを発見し、「お先に失礼します」と、先に走り去ってしまった。

 

「お、おい……」

 

大淀が向いていた場所を見てみると、そこには――。

 

「霞」

 

「おはよう……」

 

なるほど、大淀に気を遣われたか。

 

「おはよう。大淀から聞いたぜ。随分な我が儘を言ったそうだな」

 

「……私の方が、あんたの事、よく知ってるから……言ってみただけよ」

 

「気持ちは嬉しいが、秘書は大淀で決まりだ。俺を知っているだとかそういう事じゃない。あいつの方が、仕事を回すのが上手いんだ」

 

「……言ってみただけだって」

 

「じゃあなんでそんなに拗ねているんだ?」

 

そう言ってやると、霞は少しムッとした後、周りを確認して、小さく言った。

 

「最近……構って貰ってない……。時間が出来ても、鈴谷とか愛花ばかりで……」

 

「霞……お前……」

 

霞は恥ずかしそうに、手を揉んだ。

 

「もういい年なんだから、そういうのは卒業した方がいいぜ……」

 

「な……!?」

 

「冗談はさておき……。いつまでも甘えん坊では困るぜ。これから戦いが待っている。お前には期待しているんだぜ」

 

「……分かってるわよ」

 

つまらなそうにする霞。

 

「……だがまあ、そうさせたのは俺だしな」

 

そう言って撫でてやると、霞はそっと俺に寄り添った。

 

「デカくなったな」

 

「身長、小さいほうが撫でやすかった……? 可愛かった……?」

 

「いや、胸の話だぜ」

 

そう笑ってやると、霞は「最低!」と叫びながら、俺を突き飛ばし、中庭の方へと向かっていった。

 

 

 

中庭に出ると、大淀が迎えてくれた。

 

「全員います」

 

「ご苦労」

 

朝礼台に上がると、ざわつきが一気に消え、皆が俺に注目した。

 

「敬礼!」

 

大淀の掛け声で、全員が一斉に敬礼をした。

 

「おう、皆おはよう」

 

キリっとした雰囲気の中、俺の情けない挨拶に、皆緊張の糸が切れたように、笑い始めた。

 

「せ、先生!」

 

「スマン、大淀。どうも堅苦しいのは駄目なんだ」

 

「まったく……」

 

「冗談はさておき……。いよいよ今週末、我々の『艦』が海へ出ることとなる。ここにいるものは、この戦争の意味を理解し、それでもなお、戦うことを選んだ勇敢な艦娘たちだ」

 

皆の目が、真剣なものに変わって行く。

 

「人類は同じ過ちを繰り返す。この戦争が終わっても、きっと、また同じような時代が来るだろう。だからこそ、俺たちがいる。『あいつら』がいる」

 

ふと、霞と目があう。

先ほどの事はもう怒っていないのか、頼もしい顔つきで、小さく頷いて見せた。

人類は過ちを繰り返す。

故に、この戦争は繰り返される。

誰が用意した舞台なのか、或いは誰もいないのか。

それはまだ分からない。

もしかしたら、永遠に――。

それでも、俺たちは戦い続ける。

何度でも。

何度でも。

 

「俺から言えることはただ一つだ」

 

何度でも――。

あいつが――愛美が、守ってくれたように――。

 

 

 

「人類を――守れ――」

 

 

 

-終-




以上で『遺船を漕ぐ』は終了です。
ありがとうございました。
次回作も、どうぞよろしくお願いいたします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。