「入るわよ」
霞が部屋に入ってきたことで、俺は朝が来ていることにようやく気が付いた。
「おう……。起きたのか……」
「もしかして……ずっと書いていたの?」
「あぁ……。夢中になってしまってな……。ちょうど書き終えたところだ……」
出来上がったものを、霞に渡してやった。
「朝食はパンでいいだろ? 悪いが自分で焼いてくれないか? 俺はお昼まで寝る……」
「そう……」
ベッドに倒れるようにして寝転がると、すぐに眠気が襲ってきて、霞が小説を読んでいる光景を最後に、意識がなくなった。
『遺船を漕ぐ』
「つーくん」
大淀は、まるで恋人に語り掛けるようにして、俺のあだ名を言った。
「可愛いです。私も先生の事、つーくんって呼んじゃおうかな」
「やめろ。ったく……。人が真剣な話をしているというのに……」
お昼過ぎ。
家で目を覚ますと、霞は「出かけてくる」との書置きを残し、消えていた。
大淀は、霞が出かけるのとすれ違いで入って来たようで、俺が起きるのを待ってくれていた。
「冗談は置いておいて……。そうですか……。霞ちゃんは知らなかったのですよね? 先生のあだ名」
「あぁ、話したことも無いしな。そもそも、霞が最後に愛美に会ったのは、愛美が艦娘を辞めた時だと聞いている。俺と愛美が出会ったのは、その後の事だ」
「案外、霞ちゃんが先生の事、つーくんって裏では呼んでいるとか」
「それはそれで気味の悪い話だ……。霞の周りで、つーくんと呼ばれている奴はいたか?」
「いえ……そもそも、男性の中では、彼女の司令官くらいにしか、まともに会話が出来ていなかったくらいですし……。その司令官ですら、霞ちゃんには……」
「そうか……」
やはり愛美の魂が関係しているのか……。
それにしたって――。
「愛美さんの魂……。先生は、その関係性について考えているのではないですか?」
考えを読むように、大淀は俺をじっと見つめた。
「実は……魂の影響については、面白いことが分かっているのです……」
「面白い事?」
「えぇ……。根拠はありませんし、研究もまだ進めている段階ではあるのですが、人間の艤装を継いだ艦娘はある夢を見ることが分かっているのです」
「夢……」
「私たちは、人間から艤装を受け継ぐことを継承と呼んでいます。その継承元となる魂の一部……つまり、艤装をしていた人間の一部の魂……その魂の記憶を夢に見ることがあるのです。「継承の夢」なんて呼ぶ人もいます」
継承の夢……。
「だとすると、今回の事もその夢ではないのか?」
「私も最初はそう思いました。しかし、あくまでも継承の夢は過去の記憶であり、継承以降の記憶を持ったなんてことは報告されていないのです……。そもそも、艤装からの継承ですから、艤装を外して以降の記憶があること自体、おかしな話になる訳ですが……」
確かにそうだ……。
ならば、霞が口走った俺のあだ名は、単なる偶然に過ぎないのだろうか……。
「とにかく、まだ結論を出すには早いです。偶然に偶然が重なることも、ありえない話ではないですから」
「そうだな……。すまない。動揺して色々考えてしまった」
「いえ、気が付くことがあれば、なんでも相談してください。一応、今回の話も、本部に持ち帰ることになりますし、無駄な話ではないですよ」
「そうか。そう言ってくれると、救われるよ」
「私に遠慮はいりませんよ。そういう仲でも無いですし。ね、つーくん」
悪戯に笑う大淀。
初めて愛美にあだ名をつけられた時を思い出して、俺は少しだけ赤面した。
あの時も、こうやってからかわれたっけな。
書類の手続きをしていると、霞が帰って来た。
おまけに最上もついて来ていた。
「家をチラチラ見ていたのよ……。不審者かと思ったわ……」
「あはは……ごめんね……」
「ったく……。私は部屋に戻るから……」
「おう」
霞は何か買って来たのか、中身の見えないような、色のついた袋を持って自室へと向かっていった。
「大淀さん、この前はありがとう。送ってくれて」
「いえ。でも、お酒はほどほどになさってくださいね」
「はーい」
「で? お前は何をしに来たんだ?」
「遊びに来たんだよ。先生いるかなって覗いてみたら、大淀さんがいてさ。何してるんだろうって……」
俺が何かを書いているのを見て、最上は察したようであった。
「あぁ、霞ちゃんの関係か。そうだよね。大淀さんが来るのは、お仕事関係だもんね」
どこか嬉しそうにする最上。
気持ちを知った今だからこそ、なんだかそれが、大淀に対する嫌味に聞こえてならない。
それを知ってか知らずか、大淀は否定を始めた。
「今日は遊びに来たんです。これはついでです」
「へぇ……そっかそっか……。あ、そうだ。先生、今日発売の先生の本、早速買って来たよ!」
「あぁ、そうか。今日が発売日であったか」
「ボクと先生が頑張って作った本だよ。ほら、前に見せた見本と違って、きれいに仕上がってるよ!」
「分かったわかった……。後で見るよ」
「えぇ~? 今見て欲しいなー」
グイグイ来る最上。
大淀を意識してやってるのだろうが……。
「先生の本、今日が発売だったのですね。すみません、気が付きませんでした。帰り際に買います。絶対」
それに、最上は得意げな顔を見せた。
こいつ……。
「いや、俺も忘れていたしな。別に気を遣わなくてもいい。さっき、そう言う仲だって自分で言ってただろ?」
「じゃあ、つーくんって呼ぶのも認めて欲しいな~なんて。つーくんって呼ぶと、何だか凄く仲良くなった感じしますし。ね、つーくん」
「それは勘弁してくれ……」
「なに……? そのつーくんって……」
最上はムッとした顔で、俺を見た。
あぁ……しまったな……。
「愛美が俺につけたあだ名だ」
「それをなんで大淀さんが……? ねぇ、なんで?」
大淀に詰め寄るわけでなく、最上は俺に詰め寄った。
「説明するから離れろ!」
「ちゃんと説明してくれなきゃチューしちゃうぞ!」
「やめろ馬鹿!」
説明し、何とかキスは免れた。
「そういうことかー。確かに、ボクもたまに夢を見るよ。といっても、人間の記憶じゃなくて、もっと古い、戦いの記憶だけれど」
「戦いの記憶?」
「艦娘が見る夢には、人間の艤装を受け継いだ艦娘の見る夢とそうではない艦娘の見る夢があります。最上さんの言った夢は後者の事で、私も時折同じような夢を見ます」
「どういう夢なんだ?」
「人間同士の戦いに、私達が「艦娘ではない艦」、人の姿をしていない状態で戦う夢です。「船」と言った方が分かりやすいかと思います。歴史上にはない戦いの夢。しかし、何もかもがリアリティーのある「記憶」に感じられて、夢で見たことが事実であるように語る艦娘もいます」
体験したことのない記憶というならば、霞の夢も同じようなものだ。
「そう言えば、霞ちゃん本人には聞いたの?」
「いや……聞いてもいいのだが、本人が認めるかどうか怪しいしな。俺の事をつーくんって呼んだなんて知ったら、全力で否定してきそうな気がするし……」
「確かにそうですね……」
霞自身、そう言う夢を見るという自覚があるのかも怪しいしな……。
夢を見るかどうか位は聞いてもいいかもしれない。
「そっか……。つーくん……かぁ……」
「つーくん」
「おい」
「ボクは先生の方がしっくりくるかな」
「私はつーくんの方がいいです」
「はぁ……」
盛り上がる二人。
俺が考えている以上に、この問題ってのは、あまり深いものではないのであろうか。
というよりも、俺はやはり、未だに愛美の影を追っているのかもしれないな。
だからこそ、深く考えすぎているのかもしれない。
大淀と最上が帰ると、霞は昨日と同じように部屋へとやって来た。
「おう、どうした?」
「続き……書いているの?」
「あぁ。未完成の作品……結構あるからな」
「そう……」
霞は何をするでもなく、ベッドに寄り掛かるようにして座った。
「結構かかるぜ。ここにある小説も、読み切っちまっただろ」
「邪魔だって言いたいわけ……?」
「そうじゃない。退屈じゃないかと思ってな」
「別に……どこに居ようと私の勝手でしょ……。あんたが言ったんじゃない。好きにしていいって」
「そうだったな。悪い」
小説が書き終わるまで待っているだとか、本当に書いているのか監視しているだとか、そういう感じではなさそうだ。
一体何をしに来たのだろうか……。
「ねぇ……」
「ん?」
「今日……あんたの小説……買ったの……」
「え?」
「お昼……出かけた時……」
そう言えば、さっき袋を持って……。
そうか。
ありゃ――書店の……。
「そうなのか。なんだ、言ってくれたら買ったのに」
「寝てたから……」
「じゃあ、あとで金を渡すよ」
「いい……」
「でも……」
「いいったら……」
「……そうか」
なんだか霞の様子がおかしい。
いつもの強い口調とは違い、どこかしおらしいと言うか……。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「あの作品って……一作品目とつながってたりする……?」
「良く分かったな。まあ、つながりがあると言うか、そうにおわせただけだけどな」
「そう……」
沈黙。
「ねぇ……」
「ん?」
「晩ごはん、何?」
「ハンバーグだ。といっても、鳳翔が持たせてくれたタネを焼くだけだけどな」
「私、ハンバーグにはケチャップが無いと駄目なんだけど……」
愛美と同じだ。
「大丈夫だ。ケチャップはあるよ」
「そう……」
沈黙。
「ねぇ……」
「なんだ?」
沈黙。
「霞?」
振り向くと、霞は俯き、何か考えているようであった。
「どうした? さっきから様子がおかしいぜ。何かあったのか?」
「別に……」
「じゃあどうした?」
再び沈黙する霞。
本当、何を考えて……。
「言いにくい事か?」
「…………」
俺は机から離れ、霞に向かい合うようにして座った。
「言いたくないのなら言わなくていい。だが、聞いて欲しいなら聞くぜ」
霞は俺の顔を確認すると、再び俯いてしまった。
「霞……」
「…………」
「……分かった。ちょっと買い物に出てくる。その間に、言うかどうか考えておいてくれ」
立ち上がろうとする俺の手を、霞はそっとつかんだ。
「言う……。言うから……」
「…………」
俺が座りなおすのを待ってから、霞は口を開いた。
「小説……続きを書いてって言ったけど……」
「あぁ……」
「徹夜までして……書かなくていいから……」
「……え?」
顔を上げ、俺を見つめるその瞳に、見覚えがあった。
「夢を見たの……」
「夢……?」
「あんたが……倒れる夢……。『私が』あんたに小説を書くように我が儘言って……あんたは寝ずに書き続けて……そして……倒れてしまって……」
「……所詮夢だろ? 俺は別に……」
首を横に振る霞。
「あんたはそうやって『いつも』無理をする……。『あの時』だって……」
そこまで言うと、霞はハッとした。
「『あの時』……?」
「……ごめんなさい。夢と混合しているわ……。あまりにも鮮明な夢だったから……」
『あの時』……。
もし、霞のいう夢が、愛美の記憶であったのだとするならば……。
「……霞」
「なに……?」
「『あの時』って言うのは……もしかして……『お前の』誕生日の事じゃないか……?」
「え……」
驚く霞。
「……そうなんだな」
「どう……して……」
「……厳密にいえば、お前ではなく『愛美の』誕生日だ。お前は愛美の記憶を夢に見たんじゃないのか?」
「愛美の……記憶の夢……?」
自覚は無いのか……。
「まだ愛美が生きている頃の話だ……。あいつの誕生日……俺は仕事に追われてて、まともに愛美の相手をしてやれなかった。プレゼントも用意できていなくて、謝ったのを覚えている。せめてその日に何かしてやりたいと思って、ずっと愛美の望んでいた俺の小説の続きを書いてやったんだ」
「つーくん、まだぁ?」
「もう少しだ……」
「もう日付変わっちゃうよー。早く~続き書いて~。つーくん」
「分かってるって……分かったから、その甘えた声とつーくん呼びはやめてくれ……。あと、酒はほどほどにな……」
「んふふ~はーい」
「……っと、これでいいかな。愛美、出来……た……ぜ……?」
机から立ち上がった時だった。
目の前がモヤモヤに包まれて、俺は意識を失ったんだ。
霞は付け足すようにして、語り始めた。
「その後……急いで救急車を呼んだ……。ただの過労だって事で……病院にはいかなかったけれど……」
「……あぁ、そう聞いている」
「……何なの? どうして……あんたが知っているのよ……?」
「こっちが聞きたい……。艦娘は継承の夢を見ると、大淀から聞いていたが……お前のそれは、継承の夢とは違う……」
霞は困惑した様子で目を泳がせた。
「今までも……凄くリアルな夢を見て来た……。その全てが……愛美の記憶だって言いたいわけ……?」
「全てかどうかは分からない。だが、その可能性はあるな……。今のだって、偶然にしては……出来過ぎている……」
「…………」
「他に……夢を見たことは……?」
「……実は」
霞の話は、大変興味深かった。
初めて愛美の部屋を訪れた時、霞が驚いたのは、ずっと夢に出て来ていた部屋と同じであったからだとか、金魚を可愛がる夢をよく見ただとか――とにかく、愛美の記憶と被る部分が多すぎることが分かった。
「じゃあ……本当に……」
「あぁ……。信じられないが、お前は愛美の記憶を夢に見ていることになるな……」
「どういうことなの……」
「分からん……。とにかく、この事は大淀に話してみることにする。もしかしたら、何か分かるかもしれない……」
愛美のものと分からずに、ずっと夢を見ていたのか。
だが、そうだよな。
霞は知らないのだ。
別れた後の愛美の事を……。
「……そういえば、愛美の夢を見ていたと言うことは、俺も夢に出て来ていたのか? だとすると、お前、出会う前から俺の事を知っていたんじゃないのか?」
「知っていた……けど、顔は分からなかった……。夢に出てくる人物は、全員顔が分からなくなっているの……」
「しかし、お前……さっき俺の事を……」
そう問うと、霞は何やら苦い顔をした。
「それは……」
しばらくの沈黙ののち、霞は決意したようにして、口を開いた。
「……私の夢には、いつも顔の分からない男が傍にいた……。優しくて、全てを受け入れてくれて……。その人が特別な存在であることは、何故か夢の中では当たり前になっていた……」
「…………」
「その人の正体が分かったのは……というよりも、その人の顔がはっきりと見れるようになったのは……」
霞の目が、俺を見つめる。
吸い込まれそうなほど、澄んだ瞳であった。
「あんたに出会ったその日からよ……」
「俺に……出会った日……?」
「大淀と海軍本部に来ていたでしょ……」
そういえば、あの時霞と目が合ったっけか。
「あの時、確信したの。夢に見る男はあんただって……。そして、それを裏付けるように、夢に出る男の顔は、あんたそのものになっていった……」
俺を認識し、初めて夢でも男の正体を知った。
愛美の記憶の夢が鮮明な以上、霞が俺を認識したから、夢の中の男も俺に変わったという訳ではなく、俺を認識できたから、夢の男の正体も認識できた……という訳か……。
なんだか頭の痛い話だ……。
ますます訳の分からない方向に進んでいる。
「そっか……。愛美の記憶だったんだ……。だから……あんなに……」
「夢の中のお前自身は、姿が愛美だったのか?」
「そうみたいね……。だって、夢の中の私は……あんたのこと……」
そこまで言うと、霞は閉口した。
「霞?」
「なんでもない……」
何でもなくはないだろうが、悩みという訳ではなさそうだから、ここまでにしておこう。
しつこいのは嫌いだろうしな。
「そうか……。それで、ここに来たのは、俺を心配してくれたからなのか?」
「……そうだけど、それは……何と言うか……愛美の記憶の影響よ……。私は別に……心配してないけど……愛美が心配しているのよ……きっと……」
「そうかもな。でも、それに従ってくれたのはお前だ。お前がそう言ってくれなかったら、また倒れていたかもしれない。言いに来てくれてありがとう。本も、買ってくれたのは嬉しかったぜ」
「……そう」
「じゃあ……お言葉に甘えて、小説はここまでにするかな。飯、作るよ。出来たら呼ぶから、くつろいでいてくれ」
「分かった……」
霞を残し、俺は台所へと向かった。
飯を作りながら、霞の夢の事を頭の中で整理していた。
まず、継承の夢と霞の見た夢は、過去のものではあるという点では同じだが、艤装を外して以降の記憶と、艤装を外す以前の記憶という点では相違がある。
霞の夢は、艤装を外して以降の記憶。
ただの偶然であればよいのだが、そうではない事は証明済みだ。
――いや、或いは偶然が重なり過ぎて、奇跡が起きているのかもしれないが、それもなんだか――。
「味噌汁……沸騰してるわよ……」
霞の声で、我に返った。
「おっと……。悪い……」
「……考え事?」
「まあ、そんなところだ……」
「そう……」
霞は去るわけでも無く、俺が料理をする様を見ていた。
「何かおかしいところはあるか?」
「別に……。ただ……やっぱり手際が悪いなって……」
「やっぱり?」
「これも夢で見たの。あんた、私に……いや……愛美に料理を振る舞ったことあるでしょ。愛美はハラハラしてそれを見ていたわ」
そうだったのか……。
こっちは良かれと思ってやっていたが、却って心配させてしまっていたのか……。
「それでも、愛美は嬉しかったみたい……。時々でいいから――」
「――料理を作ってくれ……そう言ってくれたな」
霞は小さく頷いた。
やはり、偶然ではない。
霞は、本当に――。
「……そんな感じの夢……たくさん見て来た……。もちろん、あんたもそこに居て……。夢のあんたは優しくて……『私が』唯一甘えられる存在で……こんな人が本当にいたらって……思ったくらい……」
「…………」
「でも……そんな人はいないって……分かってたの……。分かっていたけれど……」
霞と目が合う。
今まで見たことのないくらい、真剣な目であった。
「本当に……いた……。あんたは……夢の人そのものだった……。私の見る夢が愛美の記憶なら……そういうことになる……」
「……かもな」
「……いえ、そうでなくても……あんたは……いい人だと思う……。私が愛美に抱いた感情を……あんたにも抱いているから……」
「愛美に……抱いた感情……」
「ねぇ……」
霞は俺の袖を掴むと、俯きながら、声をからして呟いた。
「あんたを……信じていい……? あんたになら……甘えても……いい……かしら……」
お願いというよりも、どこか救いを求めるような、そんな声だった。
「それも、愛美の記憶がそうさせているのか?」
「そうかもしれない……。でも……それでもいいと思ってる……。私が出来ないものだから……愛美が背中を押してくれているんだって……思えるから……」
「霞……」
霞は恐る恐る近づくと、俺に寄り添った。
「…………」
俺も、しゃがみ込んで、霞をそっと抱いてやった。
嫌がることもせず、むしろ、霞は温もりを感じるようにして、顔を埋めた。
「温かい……。夢と……同じ……」
「そうか……」
愛美にしてやったように頭を撫でてやると、それを感じるようにして、霞は目を瞑った。
「ずっと……」
「…………」
「ずっと……愛美のような存在が……欲しかった……」
「俺が同じようにできるか不安だ」
「あんたは努力してくれた……。今度は……私が頑張る番……」
霞は離れると、手を差し伸べた。
「この前は出来なかったけど……今度は……してくれる……?」
「……あぁ、もちろんだ」
握手をすると、霞は微笑んで見せた。
それが、俺に初めて見せてくれた、霞の笑顔であった。
飯を食っている間も、霞は愛美との思い出を話したりしてくれた。
「愛美の遺した物の中に、小さな白い破片があったでしょ?」
「あぁ、お前が初めてここに来た時、見ていたやつか」
「あれ、私が初めて砲撃を当てた的の破片なの。本当、馬鹿みたい。そんなもの、大切に持っていただなんて……」
「あいつの事だ。お前以上に喜んだんじゃないか?」
「そう。艤装もつけてないのに、私の元へ駆け寄ろうと海に跳び込んじゃって……。かなづちなのにね。ふふっ」
「そうか」
しかしまあ、良く笑い、よく話してくれるようになった。
まるで別人にでもなったかのように、霞の表情は明るく、声も弾んでいた。
「そんな愛美と結婚した人がいるって言うんだから、驚いたわ。愛美を愛せる人がいるって言うことじゃなくて、愛美の一番になれた人がいるんだってね……」
「あいつの一番……か……」
「愛美は誰にでも優しくて、誰にでも明るくて……愛美を嫌いな人もいなければ、愛美自身も嫌っている人はいなかった。でもそれは、愛美の一番がいないって事。自由で、誰にも束縛されなくて……届きそうで届かない、太陽のような人だったから……」
確かに愛美は明るい奴だった。
だが、太陽というよりも、時折見せる月のような静かな姿の方が、俺の中で印象強かった。
それもそのはずだろう。
霞と居た頃の愛美は、おそらく――まだ――。
「あんたはその太陽を掴んだ人。愛美が好きになった人だもの。絶対にいい人だって、本当は分かっていたわ……。でも……私は愛美以外の人を信じたことが無かったから……」
霞は俯くと、何かを思い出すかのようにして、目を瞑った。
おそらく、言えないようなつらい経験もあったのだろう。
戦時中でさえ、海軍内部でも、艦娘に対する差別があったと聞いている。
今でさえ、艦娘の社会進出に疑問を呈す輩がいると言うのに。
「けど、あんたはいい人だって分かった。だから、疑うのは今日までにするわ」
そう言うと、霞はハンバーグを口に運んだ。
「美味しい」
「……そうか」
それにしても……なんというか……。
「調子が狂うな……」
「え?」
「あ、いや……」
あんなにツンケツンケしてきた霞が、今度はべた褒めだもんな。
霞は俺を優しい人だと言ってはいるが、俺が愛美に対して接してきた態度は、全てがそうだったわけではない。
どちらかというと――もっと――。
「どうしたの? ぼうっとして……」
もっと――。
「……霞、お前、愛美の記憶を夢に見たんだよな?」
「多分ね」
「夢の中のお前は、愛美そのものだったんだよな?」
「そうだけど……」
「だったら、愛美がそうだったように、お前も俺の事を好きになったりしないのか?」
「へ……?」
霞は呆然としたのち、急に顔を赤くして怒り出した。
「は……はぁ!? そんな訳ないじゃない! あくまでも夢だし、愛美の記憶なんだから、そう思うのは当然と言うか……」
「そう思ったんだな」
「そ、そりゃ……そうでしょ……。愛美の記憶なんだから……。っていうか、何が言いたいわけ!?」
「いや、愛美の記憶と知らないまま、夢の中の俺が実在したらいいのにと思ってたんだよなって」
その意味が分かったのか、霞はますます顔を赤くして、怒りをあらわにした。
「もう……! ばっかみたい……! 本当、ばっかみたい……!」
「フッ……」
「何がおかしいのよ!?」
「いや、そうやって感情を爆発させている方が、お前らしくて好きだなって思って」
「好……あっそっ! フンッ……本当……少しでも心を許した私が馬鹿だったわ……」
霞は飯を平らげると、皿をシンクまで運び、俺を一睨みしてから部屋へと帰っていった。
「フフッ……」
愛美と全く同じような怒り方、立ち去り方に、俺はしばらく笑っていた。
それから夜中まで、霞が部屋から出てくることはなく、俺は静かに小説を書いていた。
「ん……」
ふと、携帯電話に目が行った。
そう言えば昨日、鈴谷から次の休日に遊ぼうとメッセージが来ていたな。
まだ返していなかったか。
「んぉ!?」
アプリを開いてみると、メッセージが20件ほど送られてきていた。
全て鈴谷からのようであるが(というより、鈴谷くらいしかこのアプリでは連絡しないが)、内容のほとんどは返信を促すような「おーい」というようなメッセージであった。
「全然気が付かなかったな。電話もかけてきているみたいだし……」
確認しているまさにその時、鈴谷からメッセージが入った。
『先生、ごめんね……』
なんのこっちゃ。
そう思って過去のメッセージを確認すると、新しいものになって行くにつれ、鈴谷が不安がっている様子が見てとれた。
『先生ー?』
『先生、見てないのー?』
『ブロックしてるの?』
『先生、もしかして怒ってる?』
『鈴谷、何か悪いことしたっけ?』
『通話:不在着信』
『もしかして、友達いないって言ったこと怒ってる?』
『いつも奢ってとか言うから?』
『通話:不在着信』
『先生、電話出てよ……』
『先生、ごめんね……』
こりゃマズイと思い、すぐに電話をかけた。
すると、すぐに鈴谷が出た。
「もしもし」
『先生……!』
「悪い……全然気が付かなかったんだ……。無視していた訳じゃないぜ」
『本当……? 怒ってないの……?』
「お望みなら怒るが」
そう言ってやると、鈴谷は電話口で泣き始めた。
「お、おいおい……」
『だっでぇ……先生……いつも返信早いからぁ……。鈴谷……嫌われたのかと思ってぇ……』
「悪かったな……。実は、霞が昨日から来ていてな……。バタバタしていたんだ……」
『霞ちゃんが……? 急だね……』
「あぁ……本当、急でな……。お前のメッセージには気が付いていたのだが……」
ふと、最上の告白を思い出し、俺は思わず閉口してしまった。
『先生……?』
「いや……。とにかく、悪かったな……。返信遅れてしまって……。お前を追い詰めてしまっているとは思わなかったんだ」
『ううん……。鈴谷も……ごめんね……。いつも迷惑かけて……』
「急に何だよ」
『今までの事……考えちゃって……。鈴谷……先生に迷惑ばかりかけてさ……。嫌われても……当然だと思って……』
「迷惑かけるのはお前の仕事みたいなもんだからな」
『……やっぱりさ、鈴谷といるの……苦痛に感じる……? 迷惑……?』
「迷惑だったら断っているさ。むしろ、俺なんかと仲良くしてくれて、ありがたいと思っている」
『本当……?』
「あぁ。嫌いになったら、嫌いになったと言ってやるよ。忙しくて返信できない事もあるが、別に嫌いになった訳じゃないから安心してくれ」
『うん……分かった……』
「次の休日、遊びに行こう。泣かせてしまった詫びに、何か奢ってやるよ」
『じゃあ……アイス食べたい……。あとクレープ……』
「あぁ、分かった」
『約束だよ……?』
「分かったわかった。夜中に電話して悪かったな。また、休日にな」
『うん……。あ、先生……』
「なんだ?」
『鈴谷……前に先生と遊ぶこと……パパ活とか言っちゃったけど……鈴谷は先生の事……本当に友達だと思ってるからね……』
「あぁ、ありがとう」
『……そんだけ。じゃあね、先生。おやすみなさい』
「おやすみ」
電話を切ると、鈴谷から写真が送られてきた。
目の下を赤くして、小さく笑う鈴谷。
もう泣いていないとでもいう事であろうか。
「まだ起きてたの?」
その声に、俺は声をあげて驚いてしまった。
「か、霞か……。びっくりした……」
「携帯電話見て何をニヤニヤしているの? 気持ち悪い……」
先ほどの事はもう怒っていないのか、霞はいつもの位置に座り、俺の返事を待った。
「そんなにニヤニヤしていたか?」
「してたわ……。イヤラシイ目つき」
そう言うと、霞は指で目をカッと開いて見せた。
んな大げさな。
「まあそんなことはどうでもいいのよ……。それよりも……なに、それ?」
霞の指す先に、先ほどから書いていた小説があった。
「あぁ……ちょっと暇なんで、書いていたんだ」
「私言ったわよね? 無理して書かなくていいって」
「いや、無理してはいない。もう終えるところだったんだ」
「本当かしら? あんたってすぐ嘘をつくし……」
「お前には無いだろ」
「愛美にはあるでしょ。あんたは知らないでしょうけど、「貰って来た」とか言ってたキャンプ道具、アレ本当は買ったものだって愛美は知っていたのよ」
「え!?」
「しかも凄く高いやつ……。無駄遣いはしたらいけないって、言われていたでしょ?」
「い、いや……あれは本当に貰ったものでだな……」
「嘘よ! 使い古しを貰ったとか言ってたくせに、中身を見たら普通に値札貼ってあったわ! しかも凄く綺麗だったし。どこが使い古しなのか逆に聞きたいわ!」
「うぐ……」
「愛美は目を瞑ってくれたようだけど、私はそうはいかないから! あんたがちゃんと眠るかどうか、ここで見張るわ!」
どこに隠していたのか、霞は枕を取り出し、ベッドに寝転がった。
「ちゃんと寝るから安心しろ。っていうか、本当に愛美は知っていたのか?」
「16万円」
「え?」
「テントの値段よ。その他にも、色々な道具買って……。倉庫に眠っているの知ってるんだから……」
それには流石に驚いた。
値段まで詳細に覚えているとは。
愛美の記憶を夢見ていると一度は確信はしたものの、やはり信じられない部分はあった。
しかし、こうもはっきり言われると、完全に認めざるを得ない。
「……本当に、愛美の記憶を見たんだな」
「…………」
「分かった。お前は愛美と違って、容赦なさそうだしな。素直に寝るよ。ほら、どいたどいた」
「ん……」
霞は端に寄った。
「いや……ベッドから出て貰わないと困るのだが……」
「言ったでしょ……見張るって……」
そう言う霞の目は、俺を見ていなかった。
「……もしかして、一緒に寝たいのか?」
「は、はぁ!? そうじゃないし……。っていうか……見張るって言ったでしょ……」
「そうだが……。じゃあ……俺は床で寝るよ」
「なんでよ? 床は痛いでしょ……。さっさとベッドに入ったらいいじゃない……」
「いや、しかしな……」
やけに一緒に寝たがるな。
愛美はそんなことあまり言わなかったから、愛美の影響ではなさそうだが……。
「ね、ねぇ……どうなのよ……?」
強請るような、そんな声。
甘えるような。
甘え……。
「お前、もしかして、愛美と居た時、一緒に寝てもらっていたとかないか?」
図星なのか、霞は目を泳がせ、黙り込んだ。
「……なるほどな。愛美に持っている気持ちを、俺にも持っているとは言っていたが……」
「ち、違っ……別に……そんなことは……なくて……」
「別にいいけどな。お前が愛美にしたように甘えたいって言うのなら、それが俺に叶えられるのなら、協力は惜しまないぜ」
霞は何も答えなかった。
「さっきはからかって悪かった。ただ、俺も愛美にしたように、お前ともっとさっぱりとした関係になりたかったんだ。あんなしおらしい関係じゃなくてさ。お前もそうだったんじゃないのか?」
霞は答えない。
「お前の好きなように……素直な気持ちで、俺にぶつかって欲しい。俺も素直にぶつかるつもりでいるからさ」
霞は俯くと、枕をぎゅっと抱きしめた。
「だったら……私の気持ちを察して黙って行動するとか……してほしいものだけど……」
「俺がそんな事、愛美にしたことあったか?」
「……あまりない」
「だったら、分かるだろ?」
少し躊躇ったのち、霞は俺の袖を引き、小さく言った。
「甘えさせなさいよ……」
「最初からそう言ってくれたら良かったんだ」
「恥ずかしいのよ……。今度からは察しなさい……ばか……」
「努力する」
明かりを夕方に変え、ベッドに入った。
「狭くないか?」
「狭い……。愛美はそうでもなかったけど、あんたはでかいから……」
「もうちょっと端に寄ろうか」
そう提案すると、霞は俺の傍に寄り添った。
「こうすればいいでしょ……」
薄暗くてよく見えないが、霞はどこか恥ずかしそうにこちらを見ていた。
「そうか」
「撫でて……」
「え?」
「撫でて!」
「お、おう……」
恐る恐る撫でてやると、霞はそれを感じるかのように、目を瞑った。
「愛美にもこうして貰っていたのか?」
「……たまにね」
一瞬の躊躇。
こりゃ、いつもやってもらっていたんだろうな。
言うと怒りそうだから、言わないが。
「そうだ。明日、買い物に行こうと思っているのだが、何か欲しいものあるか?」
「買い物……? どこに行くの?」
「二駅先の大型の商業施設だ。何でも揃うぞ」
「そう……。何が必要か、良く分かっていないし……行ってみてって感じかしら……?」
「え?」
「え……って、何がよ?」
「あぁ……いや……何か買ってこようかっていう意味だったものだから……。ついて来てくれるのか?」
「邪魔だって言いたいわけ……?」
「そうじゃないが……。むしろ、お前は面倒じゃないのか?」
「別に……。むしろ……」
「むしろ?」
「……何でもないわ。もう撫でなくてもいいし、話しかけなくてもいいから……。明日、早く出るんでしょ? なら、寝ときなさいな……。おやすみ……」
そっぽを向くと、霞は丸くなって、やがて寝息を立て始めた。
別に明日、早く出るだなんて言っていないのだがな……。
早く行きたいって事なのだろうか……。
「フッ……」
再び霞を撫でてやる。
しかしまあ、たった一日二日で、色んなことがあった。
数日前の俺に、「同じベッドで寝ている」だなんて言ったら、驚くだろうな。
「…………」
愛美の記憶……か……。
一度は決別をしたものの、こうなってくるとな……。
いわば、霞は愛美の分身……。
嬉しい反面、完全に決別しなければ前に進めないとも思う。
ジレンマだ。
「ふわぁ……」
だが、まあ、まだ始まったばかりであるし、これから考えればいいことだ。
愛美はもういない。
それは事実なのだから、きっと前には進めるはずだ。
そう、きっと――。
翌日になり、霞に急かされ、俺たちは買い物に出かけた。
行ってみると、やはり必要なものはたくさんあることを思い知らされ、あれが無いこれが無いと大騒ぎになった。
「あと、下着も少なかったわ。流石にそれは自分で買いたいから、あんたはどっか行ってて頂戴」
「分かったよ。んじゃ、お昼くらいにここで待ち合わせでどうだ?」
「分かった。じゃあまた……」
霞を見送り、俺は大量の荷物を持って、広場のベンチに座った。
「ふぅ……」
子供の世話なんてしたことなかったものだから――ましてや女の子だ。
案外必要な物ってあるんだな。
霞が本当に必要最小限のものしか用意していなかったのが分かる。
おそらく、今日買った以外にも、また必要なものが増えてゆくだろう。
そうしたらまた――。
「まだまだ問題は山積みってことだな……」
解決しなければいけないことが多すぎる。
これからの霞の事もそうだし、最上の事もそうだ。
愛美の記憶の夢にしたって、何が起こっているのか確かめる必要があるだろうし……。
「あの……」
声の方を向く。
知らない女性。
「お隣……よろしいであり……ん……よろしい……ですか……」
変に思った。
というのも、ベンチは他に空いているし、ましてや、こっちは大量の荷物が置かれているのだ。
お隣よろしいですか?
よろしいはずがない。
「あ、あぁ……ちょっと待ってくれ……」
変に思ったが、頼まれたらしょうがないよな……。
荷物を退け、隣を空けてやった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
隣に座る女性。
恐ろしく白い肌に、凛とした姿勢。
それでいて、か細く、触れたら壊れてしまいそうな体。
何処か幼そうなその顔つきと、何を思っているのか分からないその瞳……が、俺を見つめていた。
「あの……なにか……?」
「あ……すみません……。つい……」
つい……なんだ?
その後も、隙あらば俺を見つめてくる女性。
明らかに意識して俺を見ているようであるが……。
「……さっきからなんだ? 知り合いか何かだったか……?」
「す、すみません……つい……」
「ついなんなんだ?」
「つい……見つめてしまって……。貴方の事……何だか……夢に見たような気が致しまして……」
夢……。
「ごめんなさい……。ご迷惑をおかけしたであ……しました……」
そう言うと、女性は席を立ち、そそくさとその場を後にした。
「何だったんだ?」
しばらくすると、霞が戻って来た。
「おう。どんなの買ったんだ?」
「いう訳ないでしょ、ばか」
その日の夜。
霞が風呂に入っている間、俺はぼうっとテレビを見ていた。
退屈なニュースが流れ、ウトウトしている俺に、まるでトンカチで頭を叩くかのような、目の覚めるニュースが放映された。
「お風呂あがったわよ……って、どうしたのよ? そんな食い入るようにテレビを見て……」
「いや……こいつ……」
「こいつ?」
画面を見た霞は、不思議な顔をした。
「なんだ、艦娘の話題じゃない」
「艦娘……。こいつ、艦娘なのか?」
「えぇ、そうよ。なに、見覚えでもあるの?」
「あぁ……ちょっとな……」
それは昼間見たあの女性だった。
艦娘……。
艦娘だったのか……。
そう言えば、夢がどうとか言っていたが……まさか……。
「こいつももしかして……人間の艤装を継承した奴なのか?」
「え? そうだけど……なんでそう思ったのよ?」
「勘だ……」
「勘って……」
勘であることは間違いない。
だがなぜだろう。
何故だかわからないが、こいつがそうであるという、証拠のない確信が、俺の中にあった。
「こいつの名前、分かるか?」
「え、えぇ……分かるけど……」
「教えてくれ……」
「いいけど……。名前は――」
これから先、俺は何度もその名を耳にすることになるだろう。
何故か、そう思った。
「あきつ丸……」
画面の向こうで、あきつ丸は不気味に微笑んでいた。
――続く