遺船を漕ぐ   作:雨守学

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第5話

ウミネコと、ガキどものはしゃぐ声。

この季節の海だというのに、これほどの「静寂」であるのは、ここが海軍本部の敷地内であるからだ。

 

「先生は泳がないのですか?」

 

大淀は冷えたラムネを手渡すと、隣に座った。

 

「俺は保護者だからな。それに、泳がないのではなく、泳げないんだ」

 

「へぇ、いい体つきなのに、案外かわいいところがあるんですね」

 

「お前こそ、せっかく水着に着替えたのに、さっきから陸をうろちょろして」

 

「私も保護者ですから。それに、この水着は見せる用です」

 

そう言うと、大淀は俺をじっと見つめた。

 

「似合ってる」

 

「うーん、70点かなぁ。似合ってる、じゃなくて、可愛いって言うんですよ」

 

悪戯に笑う大淀。

 

「はしゃいでるな。泳いでもないくせに」

 

「長期休暇をいただきましたから。これで、いつでも先生に会えますよ。ふふっ」

 

「本当、はしゃいでるぜ。あのガキども以上にな」

 

再び海を眺める。

霞に最上に鈴谷にウミネコ。

それ以外は、広い空と、広い海が広がるだけであった。

 

 

 

 

 

 

『遺船を漕ぐ』

 

 

 

 

 

 

「海軍本部で海水浴?」

 

庭で水を撒いている霞も、そんな馬鹿みたいな言葉に手を止めた。

 

『はい。本部が是非遊びにいらしてと。一泊二日のチョットしたバカンスですよ』

 

「何故その話が俺たちに? というか、敷地の一角とは言え、海軍本部でワイワイ騒いでいいものなのか」

 

『本部でワイワイなんてしょっちゅうですよ。昨日はバーベキューしてましたし』

 

「案外暇なんだな……」

 

『平和ですからね、今の海は。まあ、冗談はさておき……本部は先生に興味があるみたいですよ』

 

「俺に?」

 

『確認できている範囲で、多くの艦娘と交流を持っているのは、先生を措いて他に居ません。何処に艦娘を引き付ける魅力があるのか……もっというならば、艦娘が人間に興味を持つ共通点があるのか、というところですね』

 

なるほどな。

しかしながら、そんなに好かれているという感じは――。

 

「いや、あるな……」

 

『先生?』

 

「なんでもない。それで、いつものメンバーを呼ぼうって腹か」

 

『えぇ。鳳翔さんはお店があるから来れないそうですが、それ以外のメンバーは来れるとのことでした』

 

「アポは取ってあるのか。是非、というよりも、強制だな」

 

『外堀を埋めるのも戦略の一つですよ。何においても』

 

大淀の悪戯に笑う顔が、見てとれるようであった。

 

 

 

そんなこんなで、俺は大淀と共にガキどもを見守っているわけであった。

本部の人間とは少しばかり話したが、本当に俺に興味があるのか疑問を抱かせる様子であった。

 

「先生、さっきから鈴谷さんばかり見てませんか?」

 

「いや、デカいと思ってな」

 

「ふぅん……。先生、案外お元気なんですね。私はてっきり、枯れているものかと」

 

「そんなに歳は食っちゃいない。こう見えても、まだ30代だぜ」

 

「もう30代とも言えますけど」

 

「そうかよ」

 

鈴谷と目が合う。

いつもなら元気よく手を振って見せたものだが、今日の鈴谷は少し控えめに、小さく手を振って見せた。

その様子に、大淀は何かを察したようだった。

 

「罪な男ですね。最近の鈴谷さん、確かに色っぽくなりましたもんね」

 

「そうかもな」

 

「否定しないんですね。でもまあ、目で追っているくらいだし、愛美さんも大きかったですものね」

 

「嫉妬か?」

 

視線を下げて見せると、大淀はムッとした表情を見せた。

珍しい表情だ。

 

「歳を取るとデリカシーがなくなっていけませんね。枯れた部分を潤すが如く、口を滑らせるのはいただけません」

 

「悪かったよ」

 

口を尖らせる大淀。

最初に出会った頃と違い、子供っぽい仕草を見せる大淀に、俺はつい笑ってしまった。

 

「悪い」

 

「可愛いと思った。そうでしょう?」

 

「エスパーか?」

 

「……その返しは、ちょっとズルいかも」

 

照れた振りをした後、大淀は零す様に微笑んで見せた。

 

 

 

気が付くと永遠に遊んでいそうだったので、水分補給をさせるために三人を呼び戻した。

 

「喉カラカラだったんだよね~。これ、貰うね」

 

「あ、おい。そりゃ俺のラムネだぜ」

 

「そうだったんだ~。鈴谷、知らなかったな~」

 

「嘘つけ」

 

白けた瞳でその光景を見つめるのは、最上と霞であった。

 

「なんだよ」

 

「別に? 最近、鈴谷と先生の距離が近いなーって思っただけ。それだけだよ。ね、霞ちゃん」

 

「あんたと一緒にしないでくれる? 私はただ、よく他人が口につけたものを飲めるなって思っただけよ」

 

「霞ちゃん、案外潔癖症なところあるよね~。そんなんじゃ、キス出来ないゾ」

 

「したこともない人に言われてもね……」

 

「あ、あるし!」

 

「どうせ、猫とか子犬とか、そういうオチでしょ……。ったく……」

 

ぐぬぬと悔しがる鈴谷に、最上はフフンと余裕そうな表情を見せた。

ボクはしたことあるけどネ、とでも言っているのだろうな。

心の中で。

 

「で? あんたは?」

 

「なにがだ?」

 

「あんたは遊ばないの? 泳げないのは知っているけれど、浅瀬で遊ぶくらいはできるでしょ?」

 

「俺と遊びたいのか?」

 

「そうじゃないけど……。別にいいならいいのよ……」

 

ここぞとばかりに、鈴谷が割って入って来た。

 

「霞ちゃん、本当は先生と遊びたいんだもんねー。ずっと見てたしー」

 

「別に……」

 

「悪いが、水着を持ってきていないんだ。今日はずっとここで見ていようと思っていたしな」

 

「鈴谷さんの水着姿をイヤラシイ目でね~」

 

「え……」

 

「おい」

 

霞と最上は、再び白い目を向けた。

 

「最っ低……」

 

「見損なったよ先生……」

 

一方の鈴谷はと言うと、顔を真っ赤にして、俯いていた。

 

「そ、そうなんだ……。先生、鈴谷の事、えっちな目で見てたんだね……。えへへ……なんか、悪い気はしないかも……」

 

「いや、まあ……ううむ……」

 

照れる鈴谷。

俺も何だか照れてしまって、互いの間に変な空気が流れた。

 

「はぁ……まあどうでもいいけど……。遊んでくるわ。行くわよ最上、鈴谷」

 

「あ、うん。鈴谷、行こう?」

 

「あ、鈴谷はちょっち休んでから行こうかな……」

 

そう言うと、鈴谷は俺をチラリと見た。

流石にマズイと思い、鈴谷を立たせ、最上に押し付けた。

最上も察してくれたのか、はたまたムッとしたのか、鈴谷を引きずり海へと戻っていった。

 

「焦り過ぎですよ、先生」

 

「どうもな……。今まであいつのこと、ただのガキだと思っていたもんだから……」

 

「それは意識していると言っているようなものですよ。愛美さん、怒るだろうなぁ」

 

「否定できないのが辛い所だぜ……」

 

いつだったか、愛美に「私以外に劣情を抱かないのもどうなのかしら」と冗談を言われたことがある。

俺もそうだと思ったが、やはり愛美以外にその感情を抱くことは無かった。

しかしそれは、愛美が居たからこその話であって、今の俺には――やはり男であるのだろうなと実感できた。

 

「愛美さんと言えば……この前お話した件ですが……」

 

言わずも、あきつ丸の事であるのは分かった。

 

「何か分かったのか?」

 

「いえ、まだなにも……。ただ、裏付けになりそうな事は一つだけ……」

 

「裏付け……」

 

「海軍が深海棲艦に攻撃を受ける前の事です。陸軍のとある基地が、突然爆撃のようなものを受けたことがあるのです。しかし、敵は見当たらず、当時は隕石落下やガス爆発だったのではないか、なんて情報が飛び交っていました。陸軍はその原因を何かしら掴んではいたのでしょうが、公表することをしませんでした」

 

「まさか、それが深海棲艦の攻撃だった……ということか?」

 

「あくまでも憶測です。ただ、そうだった場合、陸軍が海軍よりも先に、艦娘の存在に気が付いていた可能性は否定できません。そして、そこに愛美さんが居たのだとすれば……」

 

大淀は言った。

海軍に来る前の愛美の情報が無いと。

もし、海軍に来る前、愛美が陸軍にいたのだとしたら――。

 

「陸軍と海軍は犬猿の仲のようなものです。お互いに公表していない情報は山ほどあります。現に、あきつ丸さんですら、継承の艦娘だとは知られていませんでしたから……」

 

あくまでも憶測。

ただ、霞の時と同じように、どこか信じられるような気がしていた。

あきつ丸に感じた、懐かしい雰囲気。

それが愛美かどうかはさておき、霞に感じた何かを、俺はあいつにも感じていた。

 

「最上さんがあきつ丸さんと仲良くなっていることは聞いています。その関連で、先生に近づいてきたことはありますか?」

 

「二回ほど、偶然ではあるが、会ったことはある。一回目は、霞と――へ出かけている時、隣にベンチに座ってきた。一言二言話して、去っていったよ」

 

「その時、何か言われましたか?」

 

「そう言えば……夢で俺を見たようなとか言っていたな……」

 

「それって……」

 

「もしそれが継承の夢……霞の見ているものと同じなのだとしたら……」

 

「ますます……ですね……。二回目はどんな時に?」

 

「鈴谷を家まで送っている途中だった。最上と二人で飲みにでも行っていたのだろうな。そこに、偶然。特に何か話したわけではないのだが……」

 

「そうですか……」

 

大淀はきっと、それが偶然なのかどうかを考えているのだろう。

確かに、鈴谷と出かけている時、何者かの視線を感じている。

もしあれがあきつ丸のものであり、俺の事を見ていたのだとしたら……。

 

「しかしながら、まだ継承しているのか、それ自体が確かではないのだろう?」

 

「えぇ、まあ……。ただ、情報源は青葉さんという艦娘からのものですし……。彼女にはいつも情報を集めるのに協力してもらっていて、私も信頼を置いているのです」

 

「だからこそ、疑えないという訳か……」

 

全てはぼんやりしている。

だが、おかしくはないレベルには至っている。

実際にあきつ丸に会って、感じているものもあるしな……。

 

「頭が茹りそうだぜ……」

 

お手上げだと言うように、俺はシートに寝転がった。

パラソルの陰の中にあったせいか、少しばかりひんやりしている。

 

「今は情報を待ちましょう。私も協力しますから」

 

「あぁ、ありがとう」

 

俺は目を瞑り、考えるのをやめた。

ここで何を言おうとも、どうしようもないことだしな。

今はこのちょいとしたバカンスを楽しもう。

最近あまり寝ていなかったし、寝ちまうのもありだな。

大淀もいるし。

そう思って寝る準備に入っていると、大淀が距離を詰めて来るのが分かり、思わず目を開けた。

 

「どうした?」

 

「私も寝てしまおうかと思いまして」

 

そう言うと、大淀は寝転がり、こちらを見つめた。

 

「もうちょっと端に行ったらどうなんだ」

 

「影が動いちゃうんです。こっちにいないと。日焼けしたくありませんから」

 

「移動するか? パラソル」

 

「いえ、ここなら安全ですから、こうさせていただきます」

 

大淀は動かないとでも言いたげに、目を瞑ってしまった。

少しでも体勢を崩してしまったら、触れてしまいそうな距離。

白い肌が、やけに輝いて見えた。

鈴谷の事もあってか、なんだか意識していけないな。

 

「触ってもいいですよ?」

 

俺の気持ちを知ってか知らずか、大淀はそう言った。

 

「今の私は眠っていますから、何をされても、それは夢現の出来事です」

 

「……何言ってんだ馬鹿」

 

「意気地なしですね。でも、意識したでしょう? 私だって、鈴谷さんみたいに見られたいって、思ってみたりしているんですからね」

 

そう言うと、大淀は舌をぺろりと出した。

からかっているんですよーとでも言いたげに。

 

「まあいいです。それは次の機会で。おやすみなさい、つーくん」

 

「おう、いつかてめぇのその舌を引きちぎってやるぜ」

 

「楽しみにしてますよ。フフッ」

 

大淀のからかいは、何だか嫌な感じはしない。

愛美とも同じようにからかい合っていたものであるしな。

それを知っていてやっているのだとしたら、俺はまんまとその術中にはまっていることになる。

まあ、大淀は単純にからかうのが好きな奴なのかもしれんがな。

 

 

 

目を覚ますと、大淀が隣で寝息を立てていた。

こいつも疲れていたんだな。

起きようと手を突いた時、柔らかい何かを掴んでしまい、俺は思わず手を引いた。

見ると、鈴谷が眠っていた。

掴んだのは、鈴谷の――。

 

「って……」

 

よく見ると、霞も眠っている。

疲れて寝ちまったのだろうか。

 

「最上は……」

 

眠気眼を擦って、浜辺に出る。

空は少しばかり夕焼けがかっていて、眠ってから大分時間が経っている事を物語っていた。

 

「ん……」

 

奥の堤防。

そこで、最上は黄昏ていた。

 

 

 

「よう。黄昏てんな」

 

「先生。起きたんだ」

 

「大分寝ちまったみたいだな。隣、いいか?」

 

「うん。どうぞ」

 

足を迫り出す形で、堤防に座った。

近くに居たフナ虫の大群は、そそくさとどこかへ散っていった。

 

「皆、疲れて寝ちゃったみたい」

 

「そのようだな。お前は寝なかったのか」

 

「うん。先生の隣、鈴谷に取られちゃったしね」

 

「そりゃ残念だったな」

 

最上はだいぶ前から黄昏ているのか、体はすっかり渇いていた。

 

「見ていいものでもないでしょ」

 

視線に気が付いたのか、最上はそう言った。

 

「別にそういう目で見ていた訳じゃねぇよ。いつから黄昏てんのかと思ってな」

 

「普通に聞けばいいじゃないか」

 

「それもそうだったな。悪い」

 

静かな時間が流れる。

昼間鳴いていたウミネコも、今はどこにいるのやら。

 

「今日さ、ずっと見られていたの、気が付いた?」

 

「え?」

 

「ほら、あそこ」

 

最上は遠くにある施設を指した。

 

「あそこから双眼鏡でこっちを見ていたみたい。先生の事」

 

「俺の事?」

 

「うん。先生は艦娘にとって、何か好かれるものを持っているであろうから、観察したいんだって」

 

そう言えばそんなことで呼ばれたんだったな。

 

「直接聞けばいいのにな」

 

「フフッ、どの口が言うのさ」

 

「フッ」

 

とは言え、俺だってその好かれる何かの正体を知りたいと思っている。

少し前まで自殺しようとしていた人間のどこに、魅力があるのだろうか。

いや、或いはそういうところにあるのかもしれないが。

 

「先生の魅力かぁ。なんだろうね」

 

「俺の事が好きなんだろ? 一つくらい言ったらどうなんだ?」

 

「うーん……。分かんないや。でも、好きなんだ。恋ってそう言うものなんでしょ?」

 

突き詰めると、そうなのかもしれない。

理由だとか動機だとか、そう言うものは人間の言葉遊びに過ぎない。

結局は本能が全てなのだ。

 

「ね、先生」

 

「なんだ?」

 

「ボクとセックスしてみない?」

 

最上は膝を抱えると、言葉とは裏腹に、さわやかな笑顔を見せた。

 

「するかアホ」

 

「でも、ご無沙汰なんじゃないの? 鈴谷をずっと見ていたんでしょ? ボクじゃ満足できない?」

 

「そういう問題じゃねぇよ。って言うか、自分でとんでもないこと言っているの、分かってんのか?」

 

「分かってるよ。でも、ボクが先生を振りむかせるために出来ることは、これくらいしかないからさ」

 

冷たい風が吹く。

すっかり渇いた最上の髪が、小さく揺れていた。

 

「ボクは大淀さんみたいに難しい話は出来ないし、鈴谷みたいにナイスバディーでもない。ボクはただ先生の傍にいたってだけで、何か特別な事はないからさ……。ほら、触れない体より、触れる方がいいっていうし、先生もそう思うでしょ?」

 

「どうかな……」

 

「きっとそうさ。ボク、初めてだけど、きっと――」

「――最上」

 

言葉を遮り、最上をじっと見つめた。

その意味が分かったのか、最上は俯き、膝に顔を埋めた。

 

「先生はさ、ボクの事、無くてはならない存在だって言ってくれたでしょ……?」

 

「あぁ……」

 

「それに全てが報われたって言ったけれど、やっぱり、ボクは先生の事が好きみたいなんだ……。ボクの気持ちに応えてもらいたいって……思ってしまうんだ……」

 

最上が言わんとしていることは分かる。

鈴谷や大淀が魅力的になって行く中で、自分だけがいつも通りであることへ焦燥しているのだろう。

何か一つでも特別であること、最上にしか、最上であることでしかないものが、形として欲しい。

そう思っているのだろう。

 

「一回ヤッたところで、俺にとってお前が全てになるとは限らんぜ」

 

「……だよね。分かってはいたんだ。でも……あーあ、駄目だね……。どうしたらいいんだろう……。本当……」

 

「俺もどうしたらお前が納得するのか分からん」

 

「恋人にしてくれたら……かな」

 

「恋人か……」

 

「それが駄目なら、せめてキスしてくれないかな?」

 

「キス?」

 

「大人のキス。ボクのは子供っぽいんでしょ? 教えてよ、大人のキス」

 

キスか……。

 

「…………」

 

キス……。

 

「なーんて、ごめんね。もう大丈夫だよ」

 

「最上」

 

「ん? なに?」

 

「俺は少し寝る」

 

そう言って、俺は寝ころび、目を瞑った。

 

「先生?」

 

「少しだけ、な。俺は寝つきはいい方でな。鈴谷たちが隣で寝ていても、気が付かなかったくらいだ」

 

顔は見なかったが、何を言っているのか、最上は分からないようであった。

 

「だから、寝ている間に何をされようとも、気が付くことはないだろうよ」

 

まさか、大淀のからかいが役に立つとはな。

最上は察したのか、息を飲み、静かになった。

長い沈黙が続く。

 

「……そこまでしてくれるのなら、普通にして欲しいものだけど」

 

「大淀曰く、俺は意気地なしなんでな。それに、愛美に出来る言い訳が欲しいんだ。自分からしましたなんて、いえねぇだろ」

 

「だったら、無理してしなくてもいいよ……」

 

「しなかったらしなかったで、お前はまた黄昏るんだろ。絵にはなるが、お前が思い詰めている表情はらしくないし、俺の好きな表情ではないんだ」

 

「…………」

 

「これが精いっぱいだ。ごめんな、最上……」

 

「先生……。ううん……。ボクの方こそ、ごめんね……」

 

「もう寝るぜ」

 

目を瞑り、黙り込んだ。

最上はそっと近づくと、俺の顔を覗き込んだ。

最上の匂い。

最上の吐息。

それを感じたのと同時に、最上は俺に口づけをした。

前にされた時と違い、長く、そして、深い口づけであった。

 

 

 

その日の夜は、本部の何々此れ此れ誰誰ソレソレと、訳の分からん役職や堅苦しい名前の奴らに囲まれ、飯をごちそうになった。

皆酔っ払っていて、やれあの艦娘が美人だとか、やれ――と、ここには書けないほどのデリカシーのない話題が飛び交っていた。

最上や鈴谷、霞もいるのにも関わらずだ。

大淀は流石に慣れた感じではあるが。

 

「先生、飲まれないのですか?」

 

「あぁ……」

 

「すみません……。居心地が悪いですよね。ちょっと待っててください」

 

大淀は何やら一言二言を「何々」に話すと、それを聞いていた近くの「此れ此れ」に、「誰誰」と「ソレソレ」を連れてくるよう言い、皆でどこかへ消えていった。

 

「どんな魔法を使ったんだ?」

 

「この近くで、話題に上がっていた艦娘が働いていると嘘を言いました」

 

「大丈夫なのか?」

 

「明日には忘れてますよ。そういう人たちなんです」

 

「流石に手慣れているな」

 

そう言うと、大淀は苦笑いを見せた。

 

「お前も大変だな。労ってやるよ。飲めるんだっけか?」

 

「私、結構強いですよ? 付き合ってくれますか?」

 

「あぁ、もちろんだ」

 

大淀と小さく乾杯をすると、それを見ていた最上も、ちょちょいと酒に手を伸ばした。

が、その手を霞がぴしゃりと叩き、何とか面倒事は回避された。

 

 

 

「それでは先生、おやすみなさい」

 

「おう……」

 

大淀は顔色一つ変えず、部屋へと戻っていった。

 

「あいつ……つえーな……」

 

千鳥足のまま部屋へと戻ると、霞がいた。

 

「あれ……間違えたか……?」

 

「あってるわよ。ここがあんたの部屋」

 

「なんだ、何か用か?」

 

「用が無きゃいちゃいけないの?」

 

「いや……」

 

霞はベッドに座り、見ていたテレビの電源を消した。

 

「大分酔ってるみたいね」

 

「あぁ、大淀の奴、マジで強くてな……。潰してやろうと思っていたが、逆にやられちまった……」

 

「あんた、そんなに飲める方じゃないでしょ……。全く、大人げないったら……」

 

そう言うと、霞は小さな冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、手渡した。

 

「ありがとう」

 

「ん……」

 

水を飲みながら、窓の外の景色に目をやる。

何に使うのか分からないクレーンに、何を伝えているのか分からない赤い光が点滅しているのが見えるのみだった。

 

「静かなところだな」

 

「今はね。戦時中は、そりゃうるさかったわ」

 

「家からも砲撃の音が聞こえるほどだったから、相当だろうな」

 

「フフッ、そんなうるさい中でもね、愛美はぐっすり眠れる人だったのよ。本当、危機感が無いったら」

 

確かに、そう言う奴だった。

酔って、家の鍵を忘れて帰った時、何度チャイムを鳴らしても、気が付かれなかったことがある。

愛美曰く、「寝ていた」とのことであるが、あれは本当だったのか。

 

「愛美はね、「私に乗って眠る」のが好きだったみたいで、お昼休憩の時によく……」

 

そこまで言って、霞は言葉を切った。

 

「「私に乗って寝る」ってなんだよ」

 

そう言って笑って見せたが、霞は何やら呆然としていた。

 

「どうした?」

 

「いえ……何でもないわ……。疲れているのかしら……。なんだか記憶が……」

 

「あれだけはしゃいだからな。疲れもするだろうよ」

 

「そうね……。疲れもするわよね……」

 

そう言うと、霞はベッドに寝転がった。

 

「ここ、座って」

 

「ん、おう」

 

言われた通りベッドに座ると、霞はそのまま俺の膝を枕にした。

 

「疲れちゃった……」

 

「部屋で寝たらどうなんだ」

 

「邪魔だって言いたいわけ?」

 

「そうは言ってないだろ」

 

「なら、癒しなさいよ……」

 

霞は俺の手を取ると、それを自分の頭の上に乗せた。

撫でろってか。

 

「今日はやけに甘えるじゃないか」

 

「だってあんた……」

 

少し躊躇った後、霞は小さい声で言った。

 

「今日、ずっと構ってくれてなかったじゃない……。水着も持ってきてないし……」

 

「そうだったな。悪い。というか、やっぱり遊びたかったのか。俺と」

 

小さく頷く。

虚ろなその瞳が、寂しさを演出していた。

 

「愛美にはそう言うところ、あまりなかったように思うけどな」

 

「私は愛美であり愛美じゃないのよ……。あんたがどう思っているのか知らないけどね……」

 

そう言われ、ハッとした。

そうだよな。

俺は霞に、愛美の影ばかり重ねてきたが、霞は霞なんだ。

ただ愛美の記憶を持っているだけで……。

 

「どうも愛美と比較していけないな。お前はお前だよな。ごめん」

 

「いいのよ……。それより、お願いがあるんだけど……」

 

「なんだ?」

 

「愛美がしてくれたこと、あんたに求めていいのよね?」

 

「俺が出来ることなら、な」

 

「じゃあ……」

 

霞は膝立ちすると、そのまま俺の胸に顔を埋めた。

 

「ぎゅって抱きしめて……。それで、背中を優しく叩いて欲しいの……。ぽんぽんって……」

 

「赤子を寝かしつける様に、か?」

 

「……言い方って言うものがあるでしょ? 黙ってしなさい……」

 

「分かったよ」

 

言われた通りにしてやる。

霞は愛美にこういうこともしてもらっていたのか。

でも、そうだよな。

愛美と霞が出会った時、きっと霞はまだ――。

 

「酒臭いわ……」

 

「離れるか?」

 

そう聞いても、霞は離れることをしなかった。

そしてしばらくすると、寝てしまった。

 

「本当に赤子のようだ」

 

こうしてみると、最上がまだ大人に見えてくる。

いつもはツンケツンケしているが、本当はまだまだ甘えたい年頃なのだろうな。

部屋に連れてゆくのもなんだと思い、そのままベッドに寝かせてやった。

 

「んぅ……愛美ぃ……」

 

「愛美の夢を見てんのか?」

 

「貴女の話……もっと……聞かせてぇ……」

 

愛美は話し上手だったからな。

どんなにくだらない話だろうが、愛美が話すと、途端に面白くなっちまう。

 

「あの話……また……してぇ……」

 

しかしまあ、こいつの寝言癖、かなりひどいよな。

継承の夢とか色々と影響しているのだろうが、気が付くと寝言言ってるし。

 

「私……喋れないけど……ちゃんと聞いてるから……。だから……もっと……話しかけて……」

 

霞の頬に、涙が伝う。

やっぱり愛美がいなくなって、寂しいと思っているのだろうか。

頭をなでてやると、霞の表情は段々と朗らかなものになっていった。

 

「落ち着いたか……」

 

そういや、初めて「つーくん」と寝言で言った時は驚いたが、最近の寝言はあまり深い意味を持たなそうなものばかりだ。

記憶もこんがらがっているようであるし、愛美の魂以上に、霞が霞としての個を持ちつつあるのかもしれないな。

 

「…………」

 

愛美が本当の本当にいなくなってしまうのは寂しいが、霞が愛美から解放されることはいい事なのだろうと思う。

もしそうなった時、俺はちゃんと霞を受け入れることが出来るのだろうか。

逆もまた然りだ。

霞と俺の関係は、愛美があってこそのものであるし、その小さな魂ですら無くなった時、俺と霞は果たして――。

 

「ん……」

 

霞の手が、俺の手を握っていた。

寝ぼけて握ったのか。

 

「小さいな……」

 

霞は言った。

「私が自立するまでの関係」と。

少なくとも、それまでは一緒に居られるよな。

 

「俺が失いたくないのは、愛美の魂なのか、それともお前なのかな……」

 

その答えが分かるのは、きっと――。

 

 

 

翌日のお昼には本部を出た。

昨日とは打って変わり大雨となったので、大淀が例の厳つい車で送ってくれることとなった。

 

「悪いな」

 

「いえ」

 

にしても大淀の奴、やっぱり元気だな。

俺はまだ、体調が万全とは言えないのだが。

 

「そういや鈴谷、お前昨日からなんだか大人しくないか?」

 

「え? そ、そうかな……」

 

「そう言えばそうだね。昨日の夕食会、やっぱり不快だった?」

 

「そう言う訳じゃないんだけど……」

 

鈴谷はミラー越しに俺を見つめた。

どうやら黙っている原因が俺にあるようであった。

 

「何かしたっけか、俺」

 

鈴谷はしばらく躊躇った後、決意したように言った。

 

「先生さ……その……鈴谷が海で寝てる時さ……おっぱい……揉んだよね……?」

 

「「「「え!?」」」」

 

車内が静まる。

 

「鈴谷ね……実は……起きてたんだ……。先生が起きた時……驚かせようと思って……寝たふりしていたんだけど……」

 

そういや、起き上がる時……。

 

「いや、あれは揉んだわけじゃなくて、起きようとしたときたまたま……」

 

「揉んだことは認めるんですね」

 

「最っ低……」

 

「いや、だから事故であってだな?」

 

大淀と霞の白い目が、俺を見ていた。

 

「まあまあ、たまたま触っちゃっただけでしょ? 先生がそんなことするわけないよ」

 

庇ってくれたのは最上だった。

 

「最上……」

 

「先生、とりあえず鈴谷に謝って?」

 

「あ、あぁ……そうだな。鈴谷、悪かった。この通りだ」

 

鈴谷は顔を真っ赤にして、俺が謝る姿を見ていた。

そして、零す様に言った。

 

「別に怒ってるわけじゃないよ……。むしろ……触って欲しかったっていうか……。事故で無かった方が……鈴谷にとって嬉しかったって言うか……」

 

再び車内が静まる。

そして最上はもう、俺の味方ではなくなっていた。

 

 

 

「先生は反省して、ここから歩いて帰ること! いいね!?」

 

「あ、あぁ……」

 

制裁とでも言うように、俺は最寄りの駅に傘を一つだけ持たされ、降ろされた。

そして、申し訳なさそうにする鈴谷を乗せて、車は去って行った。

 

「はぁ……結構あるんだよな……」

 

財布も車に置きっぱなしのままだ。

あそこで鈴谷があんなことを言わなければ……。

 

「いや……」

 

揉んじまったのは俺だ。

そうなっちまえば、どう転んでも男が悪いことになるのは当然だ。

尤も、最上がここに俺を置いたのは、別の理由だろうがな。

 

「ま、これで済んだんだから、喜ぶべきだよな……」

 

自宅の方へ歩みを進めた時であった。

 

「勉さん……?」

 

その声を聞いた時、俺は思わず足を止めた。

――いや、止めたのではない、動けなくなった、というのが正しい。

呼ばれたのは俺の名だ。

雨野勉。

ありふれた平凡な名だ。

皆は俺の事を「先生」だとか、「雨野先生」「雨野さん」「雨野君」と上の名で呼んだ。

下の名で俺を呼ぶのは、今は亡き家族や、今は亡き小学校の担任。

そして、今は亡き愛美だけであった。

恐る恐る振り向く。

そこに誰がいるのか、俺は知っていた。

だからこそ、怖かったのだ。

 

「あきつ丸……」

 

紅色の派手な傘の中で、あきつ丸は何とも言えない表情で、俺を見つめていた。

 

――続く

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