遺船を漕ぐ   作:雨守学

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第7話

「そうですか……」

 

大淀は肩を落とすと、俺の言葉を繰り返した。

 

「霞ちゃんの為に愛美さんを忘れる、ですか……」

 

「あぁ……。あきつ丸の事は気になるが、これ以上は深く詮索しないことにした」

 

「しかし、それでいいのですか? せっかく分かってきたところなのに……。本部内でも協力者が増えてきたというのに」

 

「結局何が分かったとしても、愛美が帰ってくることはないんだ。だったらいっそのこと、今いる霞のことに一生懸命になろうと思う」

 

俺の決意が固いと見るや、大淀は諦めたように微笑んで見せた。

 

「分かりました。しかし、先生とは別に、私たちは継承の記憶について調べようと思っています。それに協力していただけるくらいは、いいですよね?」

 

「もちろんだ。あきつ丸も最近家に来るようになったし、何か分かったら連絡するつもりだ」

 

「ありがとうございます」

 

そう言うと、大淀は寂しそうに俯いた。

 

「どうした?」

 

「いえ、その……」

 

大淀は少し躊躇った後、小さな声で言った。

 

「愛美さんのことがなくても、仕事の関係だけじゃなくても、先生は私と居てくれるのかなって……。これで終わり……って訳じゃないですよね?」

 

大淀は何かに気がついたかのようにして、一友人として、と付け加えた。

いつもなら冗談の一つでも返してやるものだが、なんとも愛らしいその姿に、俺は終始目を奪われ、返事するのを忘れてしまった。

 

「先生……?」

 

「い、いや、もちろんだ。そうだな。一友人として……これからも……」

 

大淀が嬉しそうに微笑むと、二人の間に変な空気が流れた。

いや、或いは俺だけがそう感じているだけなのかもしれない。

とにもかくにも、大淀の考えていることはさておき、俺は変に大淀を意識していけなかった。

 

 

 

 

 

 

『遺船を漕ぐ』

 

 

 

 

 

 

――に行った帰りの電車で、霞は買ってもらった万華鏡をいつまでも覗いていた。

 

「よく飽きないな」

 

「だって、見るたびに形が変わるのよ。不思議だし、とても綺麗。ほら、見て」

 

「どれ。おぉ、確かに綺麗だな」

 

「でしょ? 万華鏡なんて、話には聞いていたのだけれど、こんなにいいものだとは思わなかったわ。買ってくれてありがとう」

 

そう言うと、霞は飛び切りの笑顔を見せてくれた。

愛美との本当の意味での決別を決意してから数日。

霞が「愛美とは関係のない思い出が欲しい」というような事を言ってきたので、俺たちは、俺たちにとっての「初めて」を求め、こうして出かける日々を送っていた。

 

「ねぇ、次回はどこに連れて行ってくれるのよ?」

 

「そうだな。逆にどこに行ってみたい?」

 

「あんたが行きたいところ。っていうか、そう言うのは男が決めるものでしょ? しっかりしなさいよ」

 

「デートでもあるまいし」

 

「デートでも結構よ。それで、次回はどこに行くの?」

 

デート、という単語が出ても、霞は恥ずかしがったりしなかった。

以前なら、全力で否定してきたものだが、そんなこともお構いなしに、この時間を楽しんでくれているという事なのだろうか。

 

「分かった分かった。考えておくよ。とりあえず、明日からはあきつ丸と遊びに行くんだろ?」

 

「そうだけど、あんたも一緒じゃないの?」

 

「あぁ、俺の方は最上鈴谷と約束があるものでな」

 

「ふぅん。よく三人で了解取れたわね。二人っきりの方を望みそうなものだけれど」

 

「まあ、そうだな……」

 

実際には、二人とも別々にお誘いがあった。

だが、どっちと先に遊ぶかで俺が日和ってしまい、最終的に三人で遊ぶことになったのであった。

 

「そういえばあんた、なんだかあきつ丸の事を避けてない?」

 

「そうか?」

 

「あきつ丸が遊びに来ると出かけだしたり、どこか行こうってなると、予定入れたり」

 

「偶然だろ。別に避けてはいない。というよりも、あきつ丸はお前と遊びに来ているのだろう? だったら俺がいなくてもいいだろうに」

 

「まあ、そうなんだけど……」

 

そうは言ったものの、これまた実際に霞の言う通りであった。

俺はあきつ丸を避けている。

ここ数日で気が付いたことなのだが、あきつ丸は、霞以上に愛美っぽいのだ。

仕草や価値観、ふと出る口癖でさえ、愛美と重なる。

それが日に日に強くなってゆくものだから、俺はとうとうあきつ丸を避けるようになってしまった。

 

「あきつ丸も避けられていると思っているみたいだし、たまには三人で遊びましょうよ。そこに最上が居てもいいから」

 

「あぁ、そうだな」

 

「じゃあ、そう言うことで。次回行くところ、考えておいてよね」

 

そう言うと、霞は再び万華鏡を覗き始めた。

本当、好きだな、それ。

 

 

 

翌日は朝からあきつ丸が来ると言うので、俺は早々に家を出た。

二人との約束は11時からであったが、家を出たのは9時。

二時間もの間、どのように時間を潰そうか、駅に向かいながら考えていた。

 

「しかしまあ、なんだって朝からくるのかね……」

 

思えば、あきつ丸が訪問してくる時間は、日に日に早くなっているような。

霞と早く遊びたいというよりも、なんだか俺と会う時間帯を探っていると言うか、そんな感じがして――まあ、思い違いなのだろうがな。

しかしまあ、どうも愛美を忘れようとしてから、そういう思い違いが多くていけない。

最上や鈴谷は好意を抱いてくれていると知っているからいいものの、大淀や鳳翔というのは、なんとも――。

そんな事を考えている内に、駅前の広場に出た。

 

「さて……」

 

どこで時間を潰そうか。

カフェなんてのは、10時くらいにならないと開いて無いしな。

本屋は……似たようなもんか。

 

「仕方ない……」

 

木陰にあるベンチに座る。

カフェの開く10時まではまだ少しあるし、適当に人の流れでも眺めることにした。

仕事に詰まった時なんかに、よくやることであった。

 

「しかし暑いな……」

 

それは、気温もさることながら、流れて行く人々に対して言ったものであった。

平日のこの時間は、通勤も落ち着き、営業だか何だかで駅を利用する人々で溢れている。

こんな暑い日にも関わらず、奴らは上着を抱え、忙しなく電車へと乗り込んでゆく。

スーツなんて着なきゃいいものを、何故律儀に奴らは――。

 

『あれは元々軍服だったんだ』

 

どこかで誰かに聞いた話だ。

そいつ曰く、『習慣や規律なんてものは、共存共栄において不可欠なものなんだ。我々は他者の心は読めないが、「スーツを着る事は習慣」だという共通の認識を視覚的に、また着ることによることで表現することが出来る。つまるところ、スーツを着るというのは、心を読み、さらけ出すことと同義なのだろうと思う。故に、営業にスーツなんてのは、最も適していると思わないかね』

まあ、尤もらしいこと。

しかしながら、共通の認識という点で言うのなら、辞書でも持ってきた方が賢いのだと思うのは俺だけだろうか。

スーツでなくとも、「ラフな格好でいることが習慣」であれば、もっと快適だと思うのだけれど。

 

「ん……」

 

我に返ったのは、木製のベンチが少しだけ沈んだからであった。

決して、俺が急に重くなったからだとか、ベンチが腐っていた訳ではない。

隣に誰かが座ったのだ。

広場にあるいくつかの、それも木陰に潜む空きベンチがあるのにも関わらず。

ふと、あきつ丸と初めて会った時の事を思い出し、汗ばんだ背中の筋が凍る思いに駆られた。

 

「あの……」

 

恐る恐る声の方を見る。

そこには、一人の少女が座っていた。

 

「青葉……?」

 

名前を呼ばれた青葉は、少し驚いた後、小さく息を漏らして、微笑んで見せた。

 

 

 

いつの間にか、スーツ集団は主婦集団にかわっていた。

 

「名前、覚えてくれたのですね……。恐縮です。えへへ」

 

「大淀から聞いていたんだ。この前は驚かせて悪かったな」

 

「い、いえ……こちらこそ……。あ……その、ご馳走様でした! 昨日鳳翔さんのお店に行ったら、し……貴方のツケで食べていいって言われまして……。お言葉に甘えさせていただきました……」

 

「せめてもの償いだ」

 

「ありがとうございます」

 

数秒の沈黙が続く。

お礼を言う為に隣に座った、というには、居座るように深く腰掛けている。

それが気になった。

 

「待ち合わせか?」

 

「いえ……」

 

ハズレか。

だとすると……。

 

「たまたまです。たまたま、朝焼けの写真を撮った帰りに、貴方を見かけまして……」

 

俺の心を読んだかのように、青葉は言った。

 

「写真、好きなので……」

 

細長いバッグから立派なカメラを取り出すと、何やら操作して、一枚の写真を見せてくれた。

 

「これです。――川の土手で撮影しました」

 

そこには、なんとも鮮やかな朝焼けが写っていた。

 

「綺麗だな」

 

「はい、とても綺麗でした」

 

写真を見せんと近づく青葉は、ほんのりと甘い匂いを漂わせていた。

 

「本当に綺麗だ」

 

そう言って、ふと視線を青葉に移すと、青葉は俺をじっと見つめていた。

目が合うと互いに驚き、咄嗟に視線を逸らした。

 

「あ……ごめんなさい……」

 

「い、いや……俺の顔に何かついていたか?」

 

「い、いえ……その……」

 

何かを言おうとして、青葉は閉口した。

俺は顔に何もついていない事を確認して、深くベンチに深く腰掛けた。

再び沈黙が続く。

 

「あ、あの!」

 

青葉は急に立ち上がると、俺に向いた。

 

「これから……お暇ですか……? その……御馳走になったお礼がしたいのですが……良かったら……これから……」

 

しどろもどろに話す青葉。

その顔は赤面し、バッグの紐を力いっぱい、不安そうに握りしめていた。

 

「気持ちはありがたいが、これから人と会うのでな。すまない」

 

「あ……。そう……ですか……。そうですよね……。待ち合わせ、しているんですよね……。ここで……」

 

「あぁ、すまない。それに、お礼なんて、俺が脅かしてしまったのだし、悪いよ」

 

「そ……」

 

そ?

青葉は少し躊躇った後、まるで諦めるかのように力を抜いて、再び隣に座った。

 

「青葉?」

 

「正直に言います……」

 

再び目が合う。

眉がきりっと吊り上がっていて、普段はもっと活発な子なのだろうと想像たやすいほどに、お似合いの表情であった。

 

「青葉は、貴方のファンです! お礼なんて二の次……っていうのは失礼ですけど、貴方と接点を持ちたいと思って、言っているんです!」

 

全てを言い終え、青葉は疲れ切ったと言うようにして、深く腰掛けた。

 

「すみません……。驚きましたよね……」

 

「いや……まあ、俺のファン……であることは鳳翔から聞いていたしな……。それでも、正直すぎるのには驚いたが」

 

そう笑ってやると、青葉も嬉しそうに笑った。

 

「といっても、青葉の場合は、貴方のファン、という意味なんですけどね……」

 

ん?

 

「どういう意味だ?」

 

「その、貴方のファンというのは、普通は小説家として、ですけど……。青葉の場合は、貴方自身のファンでして……。あ、小説家としての貴方も大好きですよ!? 本も全部持っていますし、同人誌だって読んだことが……」

 

俺はますます分からなかった。

俺のファン。

小説家として、ではなく、俺自身の。

一体全体、どうしてそうなったのだろうか。

青葉との直接的な接点はなかったし、大淀から聞かされていたのだとしても、ファンになるほどの事を聞かされたわけでもなかろう。

 

「気持ち悪いと思うかもしれませんが……実は……貴方の事はずっと見ていました……。悪いとは思いましたが、写真も撮ってしまったり……」

 

青葉は再びカメラを取り出すと、俺に写真を見せた。

俺の写真だった。

 

「大淀さんから貴方の事は聞いていましたし、写真も見せてもらいました。その時から、一目惚れしまして……。貴方の事を……その……悪い言い方をすれば、ストーキングしたこともあるくらいです……」

 

それを聞いて、俺はいつだったか、何度か視線を感じたことを思い出した。

撮ったという写真を見ても、確かにあの時の――あれは鈴谷と出かけた時の事である――その場所で鈴谷と話し込んでいる写真であった。

 

「鳳翔さんのお店で会った時、青葉は貴方の事を取材していたんです……。こうして話しかけるつもりはなかったのですが、出会ったのも運命なのかなって……思ってしまって……。それで……話しかけちゃいました……。えへへ……」

 

本当にそうなのだろう。

青葉は恥ずかしそうに手を揉んだ。

 

「そうだったか……」

 

「気持ち悪いですよね……。自分でも分かっているんです……。でも、貴方を見ていると……」

 

そこまで言って、閉口した。

 

「ごめんなさい……」

 

「いや……」

 

話を聞いていても、やはりというか、どういう経緯があったにしろ、俺にはその一目惚れと言うものが分からなかった。

 

「そういう気持ちは、素直に嬉しいよ。一目惚れされるなんてのは、初めての経験ではあるが……」

 

「え? そうなんですか? でも……」

 

そこまで言うと、青葉はなにやら焦りを見せて、とっさに話題を変えた。

 

「あ、もうこんな時間ですね。待ち合わせしているんですよね。お時間とってしまって申し訳ございませんでした。あの、良かったら連絡先交換してくれませんか!?」

 

「ん、あ、あぁ……」

 

流れるようにして、連絡先を交換した。

焦っているとはいえ、急に大胆な行動をする辺り、本来の姿がこうなんだろうと想像できる。

 

「ありがとうございます。えへへ。たまに連絡しちゃってもいいですか?」

 

「あ、あぁ……構わない」

 

「恐縮です! では、青葉はこれで……」

 

そう言ってベンチを離れた直後、思い出したかのようにして、再び俺に向き合った。

 

「あ、あの! 一つだけ、いいですか?」

 

「なんだ?」

 

「その……変に思うかもしれませんが、聞いて欲しいことがあると言うか、お願いがあるのですけど……」

 

もじもじする青葉。

緩急のあるその態度に、俺は風邪を引きそうな思いであった。

 

「笑わないでくださいね?」

 

何を笑う必要があるのだろうか。

逆にどう笑わせてくれるのだと期待してしまう。

 

「貴方が先生だとか勉さんだとか、いろんな呼ばれ方をしているのは知っています。だからこそ、念押しさせてください」

 

ますます笑いのハードルが上がる。

 

「大丈夫だ。言ってみろよ」

 

溜めに溜める青葉。

俺の期待がピークに達した頃、青葉はふり絞るようにして言った。

 

「貴方の事を……「司令官」って……呼ばせてほしいんです……」

 

 

 

「あ、先生!」

 

先に着いたのは、鈴谷であった。

 

「おう」

 

「早いじゃん。まだ三十分前だよ?」

 

「お前より早く来ないと怒られるからな」

 

「ふぅん、分かってんじゃん。今日はもがみんも一緒なんでしょ? 鈴谷、二人っきりが良かったんだけどなー?」

 

俺が日和ったのだと知っているのか、鈴谷はからかうようにしてそう言った。

 

「まあでも、今だけは二人っきりだし? イチャイチャしてくれたら許すけど?」

 

「勘弁してくれ」

 

「照れちゃってー。にひひ。ねぇ先生、もがみんは来なかったって事でさ、二人でどっか行こうよ」

 

「誰が来なかったって?」

 

最上が顔をひきつかせ、鈴谷の肩を叩いた。

 

「あれ、来ちゃったんだー。残念」

 

「本気で怒るよ? 全く……」

 

そう言うと、最上は俺をじろりと睨んだ。

 

「先生、なんで家に居ないのさ?」

 

「え?」

 

「せっかく一緒に駅まで行こうと思って迎えに行ったのに……。朝早くから出たって聞いてさ……」

 

「あぁ、それは……」

 

「鈴谷に早く会いたかったから、だよねー。先生」

 

そう言うと、鈴谷は俺の腕を抱いた。

いつもならなんとも思わない(それはそれで問題だが)筈なのに、俺はクラっと来てしまった。

それにしてもこいつ、本当にデカくて――。

 

「鈴谷はいつも来るの早いから、それに合わせてくれたんだよねー、先生」

 

「そうなの……?」

 

最上の目が、冷たく俺を見つめる。

 

「いや、そう言う訳じゃ……」

 

「別にいいけどね……」

 

ふん、とそっぽを向くと、最上は小さく「たらし」と言った。

振り回されているだけなんだがな。

 

 

 

それからは終始、鈴谷のペースで事は進んでゆき、若さというか、グイグイ来る感じに圧倒されていった。

振り回され、満更でもなさそうな俺を見て、最上は退屈そうにため息をつくだけであった。

 

「もがみんテンション低くない? 帰るぅ?」

 

「そうしようかな……」

 

「ちょ、冗談だって! 拗ねるくらいなら、もがみんも先生にグイグイいったらいいじゃん」

 

「ボクは別に……」

 

最上の奴、一度そういう態度に出てしまった手前、引くに引けなくなってる感じだな。

俺に怒っているのもあるのだろうけど。

 

「ふぅん、じゃあ鈴谷が先生貰っちゃうからね」

 

「いいんじゃない……」

 

「いいんだ」

 

「いいってば……」

 

「だって先生」

 

引っ付く鈴谷。

決め手だな。

最上はもう、今日はずっとこのテンションを外せないだろう。

 

「鈴谷、そのくらいにしておけ。それと、あんまりベタベタするのは良くないと思うぜ。色々と」

 

「色々って?」

 

「色々ってのは……まあ、世間体とか……。お前、広報を仕事にしているし、最近よくテレビにも出てるし、見られたらまずいだろ」

 

「別に鈴谷はいいよ。テレビで、この人が恋人ですって、先生紹介しても」

 

「いや、まずいだろ」

 

「まずくないよ。実際、恋人がいる艦娘もいるし、応援してくれる声の方が多いんだよ?」

 

にしたって、広報が恋人ってのはまずい気がするものだが。

人間に置き換えれば、アナウンサーに恋人報道があるようなものだしな。

いや、逆にそう考えると、ありなのだろうか。

 

「鈴谷は、先生の恋人になりたいと思ってるよ? もがみんはそうじゃないみたいだけど」

 

最上は反論しようとして、閉口した。

 

「それに、先生の言う色々ってさ……先生自身の事も含まれてるんでしょ……?」

 

鈴谷のトーンが、あの日、海に行った時のものへと変わりつつある。

謎の緊張感が三人の間に走った。

 

「今日、ずっと鈴谷の体が触れる度に、先生、意識してたっしょ。分かるんだ」

 

なんだかいけない事をして咎められているように思えて、俺は委縮してしまった。

 

「鈴谷、先生になら全部あげてもいいと思ってるよ。恋人になったら、鈴谷のこと、好きにしていいよ……」

 

その意味を鈴谷はしっかりと理解しているようであった。

俺がどう反応していいのか分からずにいると、最上が口を開いた。

 

「鈴谷、本気なの……?」

 

「うん、本気だよ。もがみんは違うんでしょ?」

 

「いや……ボクは……」

 

「違うの?」

 

鈴谷の圧に、最上も委縮したようであった。

 

「もし先生の事が好きじゃないなら、鈴谷が今からすること、何も言わずに見ててね……」

 

鈴谷は向き合うと、俺の目をじっと見つめた。

そして、そっと俺の首に手を回すと――。

俺も最上も、その行動の意味に気が付いた時には、もう既にどうしようも出来ないでいた。

鈴谷は今まで見たこともないほどに赤面し、それでいて涙していた。

精一杯の、勇気を振りしぼっての行動だったのだろう。

鈴谷の震える唇が離れる。

優しく、そして、どこか官能的なキスであった。

 

「鈴谷、お前……」

 

俺の問いかけをそっちのけで、鈴谷は最上を見つめた。

 

「もがみん……」

 

鈴谷が何を言わんとしているのか、最上には分かっているようであった。

 

「先生……」

 

「最上……」

 

「ボク……ボクは……」

 

最上は力いっぱい拳を握ると、そっぽを向いて、走り出してしまった。

 

「最上!」

 

追おうとした俺の手を、鈴谷は強く取った。

 

「先生……!」

 

「鈴谷、離せ!」

 

「離さない!」

 

鈴谷はさらに俺の腕を抱くと、これまた強く引っ張った。

 

「行かせない……。離さないから……」

 

最上の走った方向を向く。

もうそこに、姿はなかった。

 

「先生……」

 

「鈴谷……」

 

「もがみんは……引いたんだよ……。先生の事、諦めたんだよ……?」

 

「そんなことは……」

 

「そうじゃなかったら……逃げ出したりしないよ……。もがみんがどう思ったかは知らないけど……鈴谷がもがみんだったら、こんなことで逃げ出すなんて……絶対にしない……」

 

それは最上の立場でなければ分からない事だ。

それでも、鈴谷は譲らない。

 

「もがみんと先生が深い仲だって知ってる……。お泊りもしょっちゅうだって聞いてるし……もしかしたら……もう鈴谷の想像以上の事、しているのかもしれない……」

 

「…………」

 

「それでも……鈴谷は先生の事が好き……。好きでい続けた……」

 

それ以上は言わなかったが、鈴谷が主張したいことは分かった。

最上と自分は違う。

そう言いたいのだろう。

 

「先生……」

 

鈴谷の目が、俺をじっと見つめた。

そして、何かを決意したようにして俺の手を引っ張り、歩き出した。

 

「お、おい……どこに……」

 

「鈴谷のお家……」

 

「え……?」

 

足を止め、振り向いた鈴谷の表情は、赤く、そして、今にも泣き出しそうなものであった。

 

「い、言ったでしょ……。鈴谷の全部、先生に……あ、あげる……って……」

 

その様子に、俺は抵抗するのをやめた。

きっとこいつは――こいつには――。

 

 

 

鈴谷の家はセキュリティーの強いマンションの七階に位置していた。

部屋の中は、俺の若いころに住んでいたアパートとは比べ物にならないくらい広く、立派なものであった。

 

「立派な部屋だな」

 

俺の問いも、今の鈴谷には届かないようであった。

荷物を置くと、やっと手を離して、俺を座らせた。

 

「…………」

 

鈴谷は何をするわけでも無く、ただ俯いていた。

やはりな。

俺が抵抗もせずにここに来たのは、この為であった。

 

「頭は冷えたか?」

 

そう言ってやると、鈴谷は小さく頷いた。

 

「先生が抵抗したら……冷えなかったかもしれない……」

 

「抵抗したら逃げ出せていただろうよ」

 

「先生非力じゃん……。鈴谷の方が強いし……」

 

それを否定できなくて、俺は閉口した。

 

「……どうして来てくれたの?」

 

「何もないって分かっていたからだ」

 

正直に言ってやると、鈴谷は小さく笑った。

 

「じゃあ、今からするっていったら……抵抗するの……?」

 

「抵抗しても負けそうだ。けど、決め手はあるぜ」

 

「なに?」

 

「ゴム、ないだろ」

 

鈴谷は目を大きくして、ハッとした。

 

「で、でも……家にあったら……どうすんの……?」

 

「そう言うことに関して、お前はあまりフランクには考えてないと思う。だから、きっとないだろうって」

 

要するに信頼していると言いたかったのだが、鈴谷はあまりいい方に捉えなかったようで、色々と例えを出してきた。

 

「分かんないじゃん! 鈴谷、結構言い寄られたりするし! そういう準備だって……するかもしれないじゃん……」

 

「でも、してなかったんだろ?」

 

「それは結果論じゃん!」

 

それからああでもないこうでもないと言い合って、議論が平行線を辿ったあたりで、俺はその話題を切ろうと、言った。

 

「あぁ、分かったよ。そういうことにしておこう。この話題は終わりだ」

 

鈴谷も落ちどころを探していたのか、それに乗っかった。

 

「うん……終わり……」

 

息を整えるようにして、互いに大きくため息をついた。

窓の外は夕焼けに染まっていて、西へと陽が沈んでゆくのがよく見えた。

日照権を侵害するものが無く洗濯物がよく乾くのだろうな、なんて思った。

 

「男の人をさ……」

 

「…………」

 

「男の人を部屋に入れたの……初めてなんだよね……。っていうか、男の人と手を繋いだのだって……ビジネス以外では……先生だけなんだ……」

 

意外には思わなかった。

だが、あえて伝えることはしなかった。

 

「先生、鈴谷が……その……プロポーズ的な事言った時さ、言ってくれたじゃん?『その気持ちを別の誰かに持てた時、同じように泣いてやれ』って……」

 

「あぁ」

 

「あれから仕事とかで、たくさんの人と会ったけど……いい人も中には居たけれど……やっぱりあの時の、あの涙を流せるほどの人は……先生以外に居なかったよ……?」

 

膝を抱え、俺の顔を覗き込むようにして問いかけるその姿は、なんとも愛らしいものであった。

 

「だから、やっぱり鈴谷は先生の事が好き……。先生は……鈴谷の事、好き……?」

 

力ずくて連れてこられ、力ずくで襲われる。

そんな事よりも、よっぽど俺を苦しめる問いかけであった。

鈴谷の事は好きだ。

でも、それと同じくらいに、俺は皆を好きでいる。

鈴谷の好きと俺の好きは、きっと同じ質というか、同じ種類のものであると思う。

けど、鈴谷は俺だけに、俺は皆に、それを持っている。

 

「お前の事は好きだ。でも、それと同じくらいに、俺は……」

 

誰とは言わなかった。

それでも、鈴谷は分かってくれた。

 

「……そっか。そうだよね。でも、奥さんの事、言わなくなったね……。何かあったの……?」

 

俺は少し躊躇った後、鈴谷に全てを話した。

愛美を忘れようとしたことだけではなく、それ故に抱えている悩みも全て。

 

「――そう言う訳だ。お前の気持ちは嬉しい。だが、俺は揺らいでいる。最低だって、自分でも分かっているし、だからこそ、お前を……最上を苦しめてしまうってのも……」

 

「先生……」

 

「ごめんな、鈴谷……俺は――」

 

その時、鈴谷は唐突に、俺の唇を奪った。

 

「す……鈴谷……?」

 

「だったら……苦しめるのが嫌なら……早く鈴谷のものになっちゃいなよ……」

 

「え……?」

 

「鈴谷が誰よりも先生の一番になったら……先生も悩まずに済むでしょ……? 鈴谷、そうなれるように……頑張るから……」

 

再び唇を奪う鈴谷。

今度は軽いものではなく、深く、探るようなキスであった。

 

「す、鈴谷……!」

 

抵抗しても、なるほど、力が強い。

そのまま押し倒すと、馬乗りになり、俺の手を押さえつけた。

 

「先生……」

 

「お前、自分で何をしているのか分かっているのか……?」

 

「分かってるよ……」

 

「お前……」

 

「先生だって、期待してなかったかと言ったら嘘になるでしょ……? ゴムがないって言っても、鈴谷が無しでも構わないって……言ったらどうするつもりだったの……?」

 

「……お前はそんなこと」

「言うよ……。鈴谷は……先生が思っているほど……子供じゃないんだよ……」

 

服を脱ぐ鈴谷。

目を逸らしても、俺の男の部分は、情けなくも反応してしまった。

 

「なんやかんや言っても、先生も男じゃん……」

 

「鈴谷……こういうのは良くない……。もう一度考え直せないのか……?」

 

「先生が恋人になってくれたらやめてもいいよ……」

 

だが、俺に考える余地を与える事なく、鈴谷は――。

 

 

 

家に帰ると、玄関に見覚えのある靴が置いてあった。

そして、その靴の持ち主は、笑顔で俺を迎えてくれた。

 

「お帰り先生」

 

「最上……!」

 

驚いている俺の横を、霞がすり抜けていった。

 

「霞、何処へ行くんだ?」

 

「鳳翔さんのところ。ご飯食べてくる」

 

「そうか。ちょっと待ってろ。俺も今準備を……」

 

「一人で行く」

 

「え? しかしお前……」

 

「いつまでもあんたに頼りっぱなしって訳にも行かないわ。それに、最上があんたに話があるそうだし」

 

そう言うと、霞はそそくさと家を出て行った。

 

「先生」

 

最上は驚くほど、平生であった。

 

「とりあえず、あがったら?」

 

 

 

最上は俺のベッドに座ると、適当な俺の本を手に取って、パラパラとめくり始めた。

 

「昼間はごめんね。気が動転しちゃってさ」

 

「いや……」

 

冷静を装っているわけではない。

何かが吹っ切れたのだと、すぐに分かった。

 

「帰り、遅かったね。鈴谷とどこか行ってたの?」

 

「……あぁ、あいつの家に連れていかれてな」

 

「シたの?」

 

俺が答えないでいると、最上は小さく笑った。

 

「凄いや。鈴谷、出来たんだね」

 

感心する最上。

だが、違うんだ。

 

「……出来なかったんだ」

 

「え?」

 

そう、出来なかった。

しなかったとか、抵抗したとか、そういう事ではない。

出来なかったのだ。

 

「どういう事? 先生か鈴谷、日和った?」

 

「いや……その……。お前、鈴谷の為にも、黙っていられるか?」

 

「え? う、うん……」

 

「絶対だぞ……」

 

「分かったよ。やけに勿体付けるね」

 

まあ、それだけ恥ずかしい事というか……なんというか……。

俺は一呼吸おいてから、最上に順を追って説明をした。

そして、クライマックスに差し掛かった所で、言った。

 

「それで、あいつが腰を降ろそうってところで、気が付いたんだよ……」

 

最上は唾をのみ込んで、オチに備えた。

 

「あいつさ……」

 

「う、うん……」

 

「生理中だったんだよ……」

 

「……え?」

 

静寂が、俺たちを包んだ。

どう反応したらいいのか、最上は分からないと言った感じであった。

笑っていいものなのか、悲しんだものなのか。

 

「そ……そうなんだ……。それは……大変だったね……」

 

「それから、恥ずかしくなったのか知らんが、追い出されてな。俺も……その……それで冷めてくれればよかったんだが……そう言う訳にいかなくてな……」

 

「どこかで……この時間まで熱を冷やしていた……とか……?」

 

「あぁ……」

 

再びの静寂。

俺も最上も、どう終わらせていいのか、どう返したらいいのか分からなかった。

 

「そっかそっか……。でも、凄いね。そこまで行ったんだからさ」

 

それにもどう反応していいのか分からず、また静寂が続いた。

 

「……お前はどうしたんだ? あの後……」

 

「え? あ、うん……家に帰ったよ。色々考えようと思ってさ」

 

「色々?」

 

「先生の事とか、これからの事とか……。あ、今日はその事を話したくて来たんだ」

 

何とか軌道修正できた。

似たような軌道ではあるけれど。

 

「ボク、あれから色々考えたんだけど、先生の事、諦めようって思うんだ」

 

何となく、そう言われるような気がしていた。

 

「鈴谷が先生にキスした時、この押しには勝てないなって、思ったんだ。先生は押しに弱いからさ」

 

そこは否定できない。

 

「それに、さっき霞ちゃんに聞いたんだけど、奥さんの事、忘れようとしてるんだって?」

 

「あぁ……」

 

「それって、奥さん以外の誰かを受け入れることと同義だと思うんだ。先生はそう考える人だから」

 

全く持ってその通りであった。

こいつは本当、俺の事をよく知っている。

 

「そうなると、ますます鈴谷には勝てないんだよね。それどころかさ、もし先生がボクを好きでいてくれて、本当に奥さんが理由で気持ちに応えられなかったのだとしたら、奥さんを忘れる決意した段階で、ボクに気持ちを伝えてくれていたと思うんだ。それが無いって事は、つまりそう言うことだよね」

 

それは違う。

俺はただ皆を――いや、最上にとっては、同じことなのかも知れない。

 

「ボクを好きになってもらうのに、ボクが出来る事はもう何もない。これ以上の関係は、ボクには作れない。そう思ったんだ」

 

きっと、諦めることが前提にある理由なのだろうと思う。

これ以上傷つかないために、最上は引くことを選んだのだ。

鈴谷は進むことで、最上は引くことで、傷つくことを避けたのだ。

そうさせたのは、まぎれもない俺で、傷を作ったのも俺であった。

 

「最上……ごめんな……」

 

「先生が謝ることはないよ。ボクが勝手に恋をして、諦めたってだけだから」

 

俺は謝ることしかできなかった。

慰めだろうが何だろうが、今の俺がしてしまっては、また傷つけることになるだろうと思ったからだ。

最上が諦めるというのなら、俺がそれを止めるのは酷だと思ったのだ。

 

「安心して。関係を崩すつもりはないからさ。今ままで通り、平気な顔して遊びに来てやるから」

 

そう言って、最上は笑って見せた。

 

「……ほどほどに頼むぜ」

 

そう笑って返してやることが、今の俺に出来る精一杯の事であった。

 

 

 

最上を送ってやり家に帰ると、霞は帰宅していて、テレビを見ていた。

 

「お帰り」

 

「ただいま。鳳翔の店、どうだった?」

 

「どうだったって、何が?」

 

「いや、苦手だって言ってたから、大丈夫なのかと思ってさ」

 

「平気よ。世間話だってしたし。心配性ね」

 

「そりゃ、な……」

 

ふと携帯を見ると、鈴谷からメッセージが送られてきていた。

アッカンベーをしている絵文字が一つ。

何を意味しているのかは分からないが、とりあえず平気そうで安心した。

 

「ふぅ……」

 

ソファーに腰掛けると、霞も隣に座った。

 

「なんか疲れてるわね」

 

「まあ、色々あってな……」

 

「そう」

 

「お前の方は、今日あきつ丸と何して遊んだんだ?」

 

「別に、いつも通りだけど。普通に遊んだだけ」

 

その遊んだ内容が気になるのだがな。

深く聞き出そうと思ったが、霞の視線がテレビにくぎ付けになっていることに気が付き、何を聞いても空返事になりそうだったので、やめた。

 

「何観てたんだ?」

 

「見て分かるでしょ。テレビよ」

 

だから内容を……。

テレビは、艦娘の都市伝説を特集していた。

 

「艦娘の都市伝説って、随分限定的な都市伝説なんだな」

 

「しっ! 静かにして! 聞こえないでしょ!」

 

霞の奴、夢中になってんな。

都市伝説とか鼻で笑いそうなものだが、案外こういうの好きなんだな。

俺は霞とのコミュニケーションを諦めて、同じようにテレビを見ることにした。

 

『――海軍は艦娘の本当の姿を隠蔽しています。その目的について話すには、艦娘のとある記憶について話さなければなりません』

 

艦娘の記憶……。

それから番組は、艦娘が持つ記憶について話し始めた。

流石に継承の話は出なかったものの、最上が言っていた「知らない戦いの記憶」の事は出てきていた。

ある事ない事いうような他の都市伝説番組と違って、割と裏が取れているものもあるのだなと思った。

だからこそ、霞も熱心に見ているのかもしれないな。

 

『つまり艦娘は、「歴史にない戦争」の記憶を持っている。それも、我々人間が船になった彼女らに乗り、人間同士で争っている記憶だというのです』

 

『海軍はその記憶を本当の事だと認識しています。そして、隠蔽しているのです。では、何故隠蔽しているのか』

 

『それは、艦娘が並行世界の住人であるからなのです!』

 

都市伝説番組特有の飛躍した説。

結局、これも同じようなものであったか。

 

『とある海峡に並行世界への入り口があると、海軍関係者からリークがありました』

 

だったら、その海軍関係者から全てを聞き、それを伝えればいいのではなかろうか。

そもそも、本当にそんな奴がいるのだろうか。

 

『その入口の先には、艦娘の記憶にある「歴史にない戦争」の起こった世界があったそうです』

 

『そして、その世界で戦っていた船が、ある日突然、全て消息を絶ったそうです』

 

「~そうです」と、急にあいまいな感じになったな。

 

『つまり、その消息を絶った船というのが、艦娘だという訳なんです! 信じるか信じないかは、貴方が決めることです』

 

スタジオが湧く。

結局、海軍が何故隠蔽しているのかは、語られないままであった。

 

「こんなのが面白いのか?」

 

そう問いかけると、霞はいつの間にか、眠ってしまっていた。

霞からしても、途中からの謎説は、やはり退屈に見えたようであった。

 

 

 

霞をベッドに寝かせ、俺は自室へと戻った。

 

「ふぅ……」

 

今日も今日とて、色んなことがあった。

青葉の件、鈴谷の件、最上の件……。

色々あるが、やはりインパクトが強いのは、鈴谷の件だ。

シなかったとはいえ、その直前まで行ったってのは……。

 

「クソ……思い出しちまった……」

 

あいつの裸をモロ見てしまった。

経験がない訳ではないとはいえ、久々であったってのもあるし、愛美以外ってのもあるし……。

 

「……一人でする訳にもいかないし、このモヤモヤを創作にぶつけるか」

 

そう思い、筆を取った時であった。

携帯電話が鳴った。

青葉からの着信だった。

 

「もしもし?」

 

『あ……こんばんは。青葉です。夜遅くにすみません……。えへへ、早速連絡しちゃいました』

 

そういや、気軽に連絡していいことになっていたな……。

まあでも、今の俺には気晴らしになってちょうど良かったのかもしれない。

 

「何か用事か?」

 

『あ、いえ、まあ、はい』

 

どっちだ。

 

『司令官とお話したかったのもありますけど――』

 

司令官……か……。

あの時、そう呼んでいいか聞かれ、俺は流されるまま許可を出した。

しかし、なんだ司令官って……。

改めて考えると、そう呼ぶ意味が分からない。

あいつの司令官が俺に似ていたとか、そういう事であろうか……。

青葉は俺を司令官と呼ぶことが普通だと言う様にして、淡々と話をつづけた。

 

『やっぱり今度、司令官にお礼がしたいんです! いつなら予定、空いていますか?』

 

強制だというようにして、詰めてくる青葉。

やはりあの時想像した青葉本来の姿ってのは、案外あっていたのかもしれない。

ここで断っても良かったが、大淀の為に、延いては俺の為に働いてくれていた青葉に対して、労いの意味も込めて、誘いに乗ることにした。

お礼をするとは言っているが、無論、奢らせるつもりはない。

 

『では、その日で。楽しみにしていますね! 司令官』

 

「あ、あぁ……」

 

しかし慣れないな。

司令官……。

どういう意味でそう呼ぶのか、次回会った時にでも聞いてやろう。

 

『あ、そうだ……。あの……一つお願いがありまして……。聞いて貰ってもいいですか?』

 

またお願いか。

 

「なんだ?」

 

『青葉って、呼んで貰ってもいいですか?』

 

「あ、あぁ……分かった……。青葉」

 

『はい、司令官』

 

電話口の向こうで、青葉は嬉しそうに笑った。

ほぼ初対面で、ここまでべったりされると、少し気味が悪くなるのは俺だけだろうか。

こうなってくると、青葉の言っていた「ストーキング」が、本当に悪い意味に聞こえてならない。

 

「じゃあ……また……」

 

『あ、はい! ありがとうございました。おやすみなさい』

 

「あぁ、おやすみ」

 

俺が言い切る前に、青葉は電話を切った。

そこは聞かないのか……。

 

「変な奴……」

 

すっかり男の熱も冷めてくれていて、俺は急激な眠気に襲われた。

まあ、あれだけ慌てふためいたんだ。

眠くもなるだろう。

風呂に入っていない事に気が付いたが、なんだかそれも面倒になって、俺はそのままベッドに横になった。

色々と考えなきゃいけない事はあるが、まあ明日からでいいだろう。

そう思い、目を瞑った。

 

 

 

この日を境に、俺の人生は大きく動き出すこととなる。

艦娘と俺、そして愛美。

噛み合う様で噛み合わないその三つの歯車が、回転を合わせるようにして、回り始めていた。

 

――続く

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