長い夏休みが明け、久々にサークルに顔を出すと、皆肌がこんがりと焼けていた。
そう言えば、サークルメンバーで海だか山だかに行くだ何だと騒いでいたような。
「よう、雨野。お前、夏休み中、一回も顔を出さなかったな」
「缶詰だったからな。前回の作品が不評だったから、有名どころを読んで、それを参考に手直ししていたんだ」
「相変わらずマジメだな。どれ、読んでやるよ。持ってきているんだろう?」
「まあな……。でもその前に、読ませたい奴がいるんだ。――は今日、来ていないのか?」
俺がそう聞くと、高橋は深刻そうな表情で答えた。
「あぁ……雨野は知らないのか……。――ちゃん、事故にあったらしくてさ。大学辞めちゃったんだよ」
「え?」
「無事であることは確かなのだが、誰も連絡を取ることが出来ないみたいでな。何の事故なのかも分からなければ、辞めた理由も分からないままだ」
「そうなのか……」
その時は、「俺の小説を好きでいてくれた奴であったから、残念だな」という程度にしか思わなかった。
「――ちゃん、お前に惚の字だったんだぜ」
「そうなのか?」
「鈍感だな。ま、お前はそう言う奴だよな。小説とでも結婚してろよな」
「そうするかな」
一年弱ほどの付き合いであった為か、今では名前も曖昧だ。
顔も、声も、はっきりとは思い出せない。
ただ、何故だか、今になってはっきりと、最後に交わした言葉を思い出した。
特別な言葉ではない。
印象に残っている方が不思議なくらい、何の変哲もない、些細な言葉である。
「大切にしますね」
微かな記憶の中で、俺のサインが小さく書かれた同人誌を持って、そいつは微笑んでいた。
『遺船を漕ぐ』
俺の心とは裏腹に、部屋は静寂に包まれていた。
「霞が……魂を継承していない……? 愛美の魂を……か……?」
「はい……。しかし、霞殿は本当に継承していると思い込んでいるようであります……」
突拍子もない事に、頭が混乱する。
だが、そんな俺に考える余地を与えず、あきつ丸は淡々と続けた。
「深海棲艦の攻撃が初めて観測されたのはいつか、ご存知でありますか?」
「深海棲艦の攻撃……」
今度は考える時間を与える様に、あきつ丸は静かに待った。
俺の方も、一旦落ち着こうと、ただ質問に答えるように頭を切り替えた。
「確か……――年前の12月頃だったように記憶している。大ニュースになったから、よく覚えているよ」
「そう……。しかしそれは、事実ではありません。正確には、その年の8月……陸軍基地が攻撃されたのが始まりなのであります」
俺はとうとう、頭を抱えた。
色んな情報が、それも、初めての情報であり、不可解な情報であるから、尚更だった。
「大丈夫でありますか?」
「あぁ……すまない……。続けてくれ……」
あきつ丸は俺の様子を確認してから、続けた。
「攻撃による被害者は多数。何が起こったか、勉さんならお分かりでしょう」
「あぁ……。妖精が見えるようになった人間が出て来た……だろ……?」
「そうであります。海軍は12月の攻撃でその事実を知ったようでありますが、陸軍は8月の時点でその事に気が付いていました。相手が深海棲艦であること、そして、それに対抗する力の存在を……」
俺は大淀の言葉を思い出していた。
『陸軍のとある基地が、突然爆撃のようなものを受けたことがあるのです』
『陸軍が海軍よりも先に、艦娘の存在に気が付いていた可能性は否定できません。そして、そこに愛美さんが居たのだとすれば……』
「その攻撃を受けたのが、愛美という訳か……」
「……話が早くて助かります。愛美殿は……元々陸軍の人間であります……」
それに、俺はたいして驚かなかった。
「深海棲艦は海から現れます。しかし、陸軍が受けた攻撃は、山に囲まれた場所から行われたものでありました。陸軍はその拠点を特定し、艤装した愛美殿と共に、極秘で討伐に向かいました。そして勝利し、艦娘をドロップした……。そう……自分がその艦娘であります……。そして、愛美殿の艤装を継承しました」
その事実に思考の全てを持っていかれそうになり、俺は踏みとどまるよう、別口の疑問をぶつけた。
「何故……深海棲艦が山中に……」
「深海棲艦が海からやってくるのは知られておりますが、具体的にどの場所で、どのように現れるのかまでは、はっきりと分かっておりません。ただ、海という共通点だけをみるのなら、山も元々は海から地が盛り上がって出来たものでありますから、おかしいことは無いのかもしれません」
「海……」
「討伐後、深海棲艦の調査を続けた結果、海が拠点なのだと分かりました。海上での戦闘となると、陸軍では太刀打ちできず、海軍に力関係のすべて持っていかれる。それを恐れた陸軍は、海軍の動きを探るべく、愛美殿をスパイとして、海軍へと送り込みました」
驚きはしない。
元艦娘?
陸軍のスパイ?
そんな事どころか、俺は過去の愛美を一切知らずにいたのだ。
だから、驚きはしない。
「12月の事であります。海軍が深海棲艦からの攻撃を受けました。現場に愛美殿はいませんでしたが、海軍に居る幾人かの陸軍のスパイによって、愛美殿を被害者へでっちあげる事に成功しました――」
それからも、あきつ丸は愛美の事をスラスラと語った。
正直、愛美がどんな過去を背負って生きて来たかなんてものは、どうでも良かった。
いや、言い方が悪かったか。
愛美がどんな過去を背負っていようとも、俺は愛美に対しての見方を変えることはない。
愛美は愛美。
俺の知っている、愛美なのだ。
「――霞殿と愛美殿が出会ったのは、その時期でありました。霞殿は戦いの記憶に影響を受けやすく、情緒不安定で、自分の事を忘れることもあったそうであります」
あの霞にそんなことが……。
いや、そう言う場面は確かにあったように思う。
寝ている時の言動や、記憶の曖昧さ。
特に、目で見るものは、愛美の記憶とは――。
「そんな霞殿が唯一、情緒不安定にならずにいれたのは、愛美殿の前だけでありました。愛美殿の前では、彼女は普通の女の子と変わりなかったようでした。海軍は愛美殿に、霞殿の世話をするようにと、艤装を捨てさせ、専属で霞殿の世話をさせました。やがて霞殿は、愛美殿が傍にいなくても、戦場に立つことが出来るほどに成長しました。この頃になると、人間が艦娘をやることはなくなっておりましたから、愛美殿は機密を守るために、海軍を辞め、一般人として、新しい人生を歩むことになったのであります。陸軍との関係を断ち切ったのも、同じ理由でした。尤も、愛美殿が、というよりも、陸軍が一方的に切ったようなものでありますが……」
その頃だろう。
俺と愛美が出会ったのは。
「ここからが本題であります。戦後、霞殿は再び情緒不安定となりました。記憶も曖昧で、やはり自分の事が分からなくなるほどでした。愛美殿が必要でした。しかし……愛美殿は……もう……」
あきつ丸は本当に残念だというようにして、目を伏せた。
「……海軍は、愛美殿が海軍を去った後も、ずっと監視していました。故に、勉さんの事も知っていました。愛美殿の愛した男。海軍は、そんな男ならば、或いは霞殿を救えるのではないか、と考えたのであります。安易な考えではありますが、いずれにせよ、霞殿を早々に手放したかったのであります。勉さんに押し付けたかったのであります。海軍はまず、勉さんと霞殿の関係性を持たせるため、霞殿に愛美殿の艤装を継承しているのだと、嘘の記憶を刷り込ませることにしました。霞殿は、すぐにその事を信じました。霞殿は、愛美殿の魂が自分の中に存在しているのだと、洗脳されたのであります」
にわかに信じがたい。
だが、霞の記憶が曖昧なのは確かだ。
「…………」
――いや、そういう事か。
海軍は愛美と俺を監視していた。
だからこそ、愛美がどんな人間であるのか、良く分かっているはずなのだ。
仕草、記憶、思い出――全てを知っていたのだ。
それを霞は、口頭か何かで吹き込まれたのだ。
故に、風景や光景――目で見るようなものの記憶が曖昧なのだ。
「以上が、全ての真相であります。自分は……自分だけが……愛美殿の魂を継承しております……。ずっと、陸軍を裏切ることは出来ないと思い、言えずにいました……。しかし、察してほしくて……勉さんに近づきました……。自分の行動のすべては、この為であったのであります……」
そう言い終えると、あきつ丸はじっと、俺を見つめた。
その目には、うっすらと涙が溜まっている。
「ずっと……言いたかったのであります……。全てを打ち明けて、『私』の事を知って欲しかった……。『私』は……ここにいるのよ……って……」
白く、華奢な手が、俺の頬をさする。
「……動揺しているのね。無理もないわ……」
その口調、その仕草。
やはりどれを取っても、愛美そのものであった。
その吸い込まれそうな瞳ですら、もはや――。
その時、時計が鳴った。
信じられないほどの時間が過ぎていた。
「……そろそろ帰らないと」
去ろうと立ち上がるその手を、俺は思わず取ってしまった。
そして、呼んでしまった。
「愛美……」
『愛美』は悲しそうに、だが、少し嬉しそうに微笑んだ。
「名前、呼んでくれて嬉しいわ……。ありがとう……つーくん……」
するりと、手が離れる。
立ち去って行く『愛美』を、俺はただ茫然と見送ることしかできなかった。
その日、昔の夢を見た。
戦争が激化した、夏の頃の夢だ。
夜中に明かりをつけていると、狙われる恐れがあるという噂が流れ、世間体の事もあり、俺は押し入れに電気を引いて、薄暗い明りの中で小説を書いていた。
「ふぅ……ダメだ……。暑い……」
原稿に汗が垂れる。
流石に無理があったかと、諦めて押し入れを出た時であった。
月明りの中で、フードを被った小柄な人影が、押し入れから這い出る俺を見つめていた。
「誰だ……!?」
泥棒かと思い身構えていると、そいつはしばらく俺を見つめた後、小走りで去って行った。
「何だったんだ……」
恐る恐る、そいつがいた窓際に近づく。
そこには、月明りに照らされて、季節外れの勿忘草が置かれていた。
「勿忘草……」
子供の頃、花言葉の本を読まされたことを思い出す。
勿忘草。
名前から、その花言葉をよく覚えていた。
『私を忘れないで』
翌日。
目の下に隈を作った俺を見て、霞はギョッとした。
「ど、どうしたってのよ……?」
「いや……ちょっとな……」
「ちょっとって……。大丈夫なの……?」
「あぁ、問題ない……」
結局、あの後色々考えて、眠ることが出来なかった。
あきつ丸の言ったことが事実であるかどうかは分からないが、もし事実だとして、どうして霞と接すればいいのか、寝ずに考えていたのだ。
「今日、お前の方の予定はどうなっている?」
「え? 何もないけれど……」
「そうか。だったら、少し出かけないか? ほら、この前、俺が行きたいところに行こうって、言っていただろう?」
「そうだけど……。そんな調子で大丈夫なの?」
「あぁ、徹夜には慣れている。コーヒーでも飲めば、目が覚めるさ」
「そう……。分かった。入れてあげるから、顔でも洗ってきたら?」
「悪いな」
今まで通り接する。
それが、考え抜いた結論であった。
当然と言えば当然の結論なのだが、愛美を忘れようとした矢先の事であったので、気持ちが揺らいでしまったのだ。
愛美の魂があきつ丸に存在している。
それも、あんなにもはっきりと。
そりゃ揺らぐだろ。
「はぁ……駄目だな……。よし、顔洗ってリセットだ……!」
色々気になることも、確かめなくてはいけない事もたくさんある。
だが、今は冷静になる時だ。
鏡に映る自分の姿にギョッとしつつ、顔を洗った。
汚れと共に、モヤモヤした気持ちも、小さな排水溝へと吸い込まれていった。
「それで、どこに行くのよ?」
「――東照宮だ」
「――東照宮?」
「紅葉で有名なところだ。そろそろだと思ってな」
「まだ時期的に早いように思うけれど」
「そこは寒い地域で、紅葉が早いんだよ」
「ふぅん。だから上着持たせた訳」
「お前が想像している数倍は寒いぜ」
そう言ってやると、霞は得意げに鼻で笑った。
「大丈夫よ。海の方が寒いし」
「海?」
何故海の話題が出たのか、一瞬分からなかった。
が、そうだよな。
艦娘なんだもんな。
当たり前の事をふと忘れてしまっていた。
電車を降りる頃にはお昼になっていて、俺たちは近くにあった蕎麦屋で飯を食うことになった。
「あんた、本当に大丈夫なわけ? 電車でがっつり寝ていたけれど……」
「すまない……。でも、寝たから大丈夫だ。さて、何を食うかな」
「蕎麦屋なんだから、蕎麦じゃないの?」
「別にそんなことは決まっていない。蕎麦屋のカツ丼は美味いと聞くし、なんでもありだろ」
「カツ丼って……蕎麦屋なんだから、蕎麦を食べなさいよ」
蕎麦屋なんだから、蕎麦を食え。
そういや、以前もこんなこと――。
あぁ、そうか。
愛美だ。
愛美に言われたんだ。
三回目のデートで、――に行った時、確か――。
「…………」
ふと、霞の顔を見る。
霞は、愛美の事は知っていても、愛美ではないのだ。
分かってはいた。
分かってはいたが、昨日の事を思うと、妙な喪失感があると言うか……。
「なに?」
「いや……。やっぱ、蕎麦にしようかな。鴨蕎麦」
「じゃあ、私もそれにするわ」
しかし、やはり愛美と同じなんだよな。
こういう店では、俺が頼むのを待って、同じものを食う。
偶然なのだろうけれど、どうも――。
「ほら、色づいている」
「本当だわ。綺麗ね」
――東照宮の紅葉は、見事な物であった。
「こんなにも色づくものなのね。海から紅葉を見たことはあるけれど、こんなに鮮やかではなかったわ」
「そうか」
霞の目が、キラキラと輝いていた。
愛美もこういうのが好きだったもんな。
「…………」
また愛美の事を思い出してしまった。
忘れようとして忘れられるものであったと思っていたのに……。
やはり昨日の事はあまりにもインパクトの強いものであったか……。
それにしたって、霞が継承していないと分かったのに、何故霞に愛美の影を見るのであろうか。
――いや、或いは認めたくないのかもしれない。
霞に愛美の魂が存在しなければ、先ほどの喪失感の事もそうだが、霞への愛が薄くなってしまうかもしれない恐怖があるのだ。
「え……あれ……!? 先生に霞ちゃん……!? え!?」
聞き覚えのある声。
それと同時に「カット!」の声。
声の方を向くと、鈴谷と最上がいた。
大きなカメラとスタッフ、そして、ギャラリーを連れて。
「最上さん、どうかされましたか?」
「ごめんなさい……。知り合いがいまして……」
「もがみん、そう言うのは休憩中にしないと」
「ごめん鈴谷……」
どうやら撮影をしているようで、NGになってしまったようであった。
「スタッフさーん、丁度いいし、ちょっち休憩入れない? 疲れてきちゃったー」
「そうっすね。バッテリーもそろそろだし。うし、休憩! アシ、バッテリー持って来い! 次の動きを予測して行動しろ!」
ドタバタするスタッフを見送り、二人はこちらへやって来た。
「先生、霞ちゃん、どうしたの? 偶然じゃん」
「あぁ、紅葉を見ようと思ってな。そっちは撮影だったか? 邪魔して悪かったな」
「ううん。大丈夫。こっちはロケ。紅葉が見ごろだって聞いたから。もがみんがゲストなんだー」
「そうなのか。出世したな、最上」
「そんなんじゃないよ。ただ、鈴谷の友達って枠で、今回きりだよ」
撮影用にメイクをしてもらったのか、二人ともいつもより綺麗に見えた。
「ふぅん……撮影してるのね……」
霞は興味ありげにスタッフの仕事を見ていた。
「霞ちゃんも出る?」
「いや……別にいいわよ……。ただ、どうやって撮影しているのか気になって……」
「見学していく?」
最上の提案に、霞は興味ないというそぶりを見せつつ「まぁ、ちょっとだけ……」と返した。
本当は興味津々なのを、俺は知っている。
霞は鈴谷の出ている番組を欠かさず見ているのだ。
鈴谷本人には言えないだろうが、番組の相当なファンであることは間違いない。
「じゃあ、ボクが案内するよ。鈴谷は先生と休憩しててよ」
そう言うと、最上は何やらウィンクをして、霞をスタッフの方へと連れて行った。
「ん……」
袖を掴まれる。
掴んだのは、鈴谷であった。
その顔は、耳まで赤くなっていた。
「こっち……」
鈴谷に連れられるまま、人の気の少ない所へ向かう。
誰もいない小さな手水舎の中で、鈴谷はギュッと抱き着いた。
「鈴谷……」
「まさか先生が来てるなんて……。鈴谷、ロケ中もずっと先生の事考えてて……だから嬉しくて……」
そう言うと、鈴谷はキスを求めた。
誰も見ていないのを確認して、そっと口づけを交わす。
「鈴谷、これくらいにしておけ。見られたらまずいだろ」
「う、うん……。ごめんね……。でも……えへへ、嬉しくて。先生と恋人になれたんだって……」
そう。
昨日、俺は鈴谷の気持ちに応えたのだ。
最上と同じような事が起きない様、何の壁も作らず、純粋な気持ちで応えたのだ。
「そういや、最上は知っているのか?」
「うん。移動中に……。だから二人っきりにしてくれたんじゃないのかな?」
あのウィンクはそういう事か……。
最上の事を考えると複雑な気持ちではあるが、ここでぶれては同じことをしてしまう。
鈴谷と恋仲になったのであれば、もう気持ちをブレさせてはいけない。
それこそが、あいつを苦しめてしまう要因になるのだから……。
「先生は日帰り?」
「あぁ。お前は?」
「旅館のレポートもあるから、お泊りだよ。明日の夕方には帰れると思うけど……」
そう言うと、鈴谷は俺をチラリと見た。
そして、駄目押しするように「その後は暇なんだけど……」と言った。
「何が言いたいんだ?」
そう返してやると、鈴谷はムッとした。
「分かってるくせに……。いじわる……」
「フッ、悪かった。じゃあその日の夕方、飯でも行くか?」
「うん! 高いところ、連れて行ってくれるんでしょ?」
「考えておくよ」
「やったー! えへへ」
それから俺と鈴谷は、近くにあったベンチに座り、なんでもない時間を過ごした。
恋人らしいことは一つもしなかったが、まるで付き合い始めの学生カップルのように、一緒に居る時間を楽しんだ。
「そういえばさ――」
「鈴谷さーん! どこっすかー?」
話題の変わり目を図ったかのように、鈴谷を探す声が重なった。
「ヤバ……そろそろ行かなきゃ……」
「そのようだな」
「あっという間だったねー。鈴谷、もっと話していたかったんだけどなー」
「あぁ、俺もだ」
「先生もそう思ってくれてんの? へー、珍しいこと言うじゃん」
「お前との会話は、いつだって楽しいと思っていたよ。口に出さないだけで」
「何それヤバ! かっこよすぎっしょ!」
「惚れ直したか?」
「ずっと惚れてるし!」
そう言うと、鈴谷はベーっと舌を出して見せた。
「っと、そろそろマジで行った方がいいんじゃないか?」
「うん。あ、先生、耳貸して?」
「ん?」
近づく俺に、鈴谷はキスをした。
「えへへ、じゃあ明日ね~!」
鈴谷は手を振りながら、スタッフの方へと走っていった。
何と言うか、若いよな、本当。
「さて……うぉ!?」
振り向くと、ニヤニヤした霞が立っていた。
「なぁんだ、あんた、ちゃんと愛美以外も愛せるんじゃない」
そう言うと、俺を小突いた。
今まで霞がそんなからかうようなことをしてこなかったから、俺は普通に驚いた。
――いや、大層驚いた。
それが焦っているように見えたのか、霞は楽しそうに続けた。
「しかしいい趣味してるわ。最上じゃなく、鈴谷ねぇ……。やっぱりあれな訳? 大きい方が好きな訳? 愛美も大きかったし」
からかいの内容よりも、俺は霞の態度が気になった。
悪い意味ではなく、いい意味で。
「って、どうしたのよ? 何か言い返したら?」
「いや……なんだ、畳みかけてくると言うか……。お前、そんな奴だったか?」
「何よ急に……。私は私よ。私以外の誰に見えるわけ? 愛美?」
ふと、霞の持っているバッグに、見知らぬ缶バッチがついているのに気が付く。
そこに描かれている絵を見て、俺は全てを理解した。
「お前、モンチョくんの缶バッチ貰ってテンション上がってんのか……」
モンチョくんとは、鈴谷の出ているテレビのマスコットキャラクターだ。
鈴谷の番組の途中に、そのキャラクターのショートアニメが放映されていて、霞はこっそりグッズも買うほど好きなようであった。
「あ、気が付いた? これ、スタッフから貰っちゃったのよ。非売品なんですって。しかも、スタッフにしか配られない奴! ほら!」
そう言うと、霞は缶バッチを取り外し、俺に見せた。
「そ、そうなのか……。良かったな……」
「あげないからね」
いらない、なんて言ったら怒るだろうから、俺は少しだけ残念な表情をして見せた。
少し露骨であったように思ったが、今の霞はご満悦そうにそれを見送った。
それから付近の観光名所をいくつか回ったが、モンチョくん非売品缶バッチには勝てそうになかった。
楽しんではいるようであるが、花より団子とはまさにこの事である。
「お前、本当に好きだなそれ」
「このぶっさいくなところがいいんじゃない」
確かに不細工ではあるが、可愛いとは……。
そういや、キモカワイイとかいう言葉が流行った時があったな。
「さて、次は……」
俺がガイドブックを眺めている間も、霞は缶バッチを見ていた。
レンチキュラーと呼ばれる、角度によって絵が変わる印刷が施されているようで、缶バッチの中でモンチョくんがわちゃわちゃ動いていた。
そんなに長いこと見て面白いもんかね。
「…………」
モンチョくんに勝てそうなのは、もう無いかもな。
「……帰るか」
「え?」
「ある程度回ったしな。お前もそれ貰って、もうお腹いっぱいだろ?」
「もう帰るの? まだ夕方にもなってないけれど……」
「流石にその缶バッチに勝てる場所がもう無い。それに、帰ったらちょうど日が暮れる距離だ」
そう言ってやると、霞は缶バッチを見つめた後、それをバッグに仕舞った。
「缶バッチはもういいわ。十分見たし。それより、いいじゃない。帰りが遅くなっても。まだ遊べるわ」
霞はガイドブックを手にすると、何処かないか探し始めた。
「えーっと……。ここなんかどうかしら?」
「寺か。寺なんか興味あんのか?」
「な……いけど……。あ、じゃあここは? ここなんかいいじゃない」
「――ミュージアムか。しかし、休館日だってよ」
「うぅ……じゃあ……」
必死に探す霞。
缶バッチを眺めていた時と打って変わり、何やら焦っているように見える。
「どうした急に? 花より団子、観光より缶バッチじゃなかったのか?」
揶揄うように言ってやると、霞は悲しそうな顔をした。
「確かに缶バッチは嬉しかったけれど……。その……ごめんなさい……。怒ったでしょ……?」
「へ?」
話が見えず、思わず間抜けな声が出る。
霞は続けた。
「私が缶バッチばかり見ているものだから……。あんたが行きたいところ、興味なさそうにしちゃったから……怒っているんでしょ……?」
「怒っている? 別にそんなことは……」
「絶対怒ってる……! だって、愛美の時もそうだったじゃない……。あんた、愛美に怒りを感じた時……いつも悟られない様に悲しい顔をして……すぐに帰りたがって……。愛美はごめんって謝るけど……あんたは「怒ってない」の一点張りで……」
確かにそうだったように思う。
ムッとしてしまった時、俺は愛美にぶつけるよりも、一人で抱え込み、ふさぎ込む癖がある。
「愛美は……そうなってしまったあんたにどうすれば良かったのか、未だに分からないって『言っていた』わ」
愛美は気が付いていたのか……。
だが、少し違うんだ。
俺は本当に怒っていた訳じゃない。
「そう見えたか?」
「見えた……」
「俺はまだ何も言っていないんだけどな」
「……やけに缶バッチの事言ってるから……そうなのかもって……」
言われてみれば、そうかもしれないな。
「俺は怒ってないよ」
「絶対怒ってる……」
「違う。怒っているんじゃない。ただ……」
「ただ……?」
「ただ、拗ねているだけだ」
「へ?」
今度は霞が、間抜けな声を出して、キョトンとした表情で俺を見つめた。
「愛美の時もそうだ。俺と居るのに、なんだって別のものばかりに目が行くんだってさ。怒っているというよりも、拗ねていただけだ」
「え……でも……それって怒っているのと同じなんじゃなくて……?」
「まあ……そう捉えることもできるだろうが……。とにかく、拗ねているだけだ。怒っていたら、謝ってくれれば許すし」
「そうかもしれないけれど……。じゃあ……どうしたら拗ねなくなるのよ……?」
霞は悲しそうな表情でそう聞いた。
俺がおかしいと思っているのは、キョトンとしたのは、何も話が見えなかったからだけではない。
霞の様子に対しても、言える事であった。
「どうしたんだ霞。やけにご機嫌取りじゃないか」
「だって……」
霞はそう切った後、少しの間を作ってから続けた。
「だって、私は……その……あんたが……っていうか……あんたに……その……」
ぼそぼそと話す霞。
俺によく聞こえていないのを承知しているのか、意を決したように、顔を赤くして言った。
「あんたに……笑っていてほしいの……。楽しんでいてほしいの……。なのに、台無しにしちゃったから……」
笑っていてほしい。
楽しんでいてほしい。
霞がそんなことを俺に?
「そりゃまた……どういう風の吹き回しなのだろうか……」
そう聞いてやると、霞はそっと、俺の手を取った。
「霞?」
「あ……わ……わた……私は……その……あの……」
赤かった顔は、真っ赤になっていた。
「あ……変な意味じゃないからね!? それだけは分かってよね!? 別に今から言うことは、告白とかそう言うんじゃないから! 純粋な気持ちというか……うぅ、とにかく! そう言うのだからね!?」
「ん!? あ、あぁ……分かった……」
何一つ分かっていないけれど。
「いい……? だからね……? 私が……あんたに笑っていてほしいとか……楽しんでほしいとか……一緒に居て欲しいとかいうのはね……?」
一緒に居て欲しいってのは初耳だが、まあ野暮な突っ込みはしないでおこう。
「あんたの事が……き……だから……」
「え?」
「だから……す……だから……?」
「す……なんだ?」
「だから! 好きっ!」
「へ?」
「あんたの事が好きなの! 愛美と同じくらい……じゃなくて……その……愛美以上に……好き……だからぁ……あああぁぁぁ……」
恥ずかしさが限界に達したのか、霞はその場に蹲った。
そして、小さい声で「変な意味じゃないからね……?」と念押しした。
「俺の事が好き……?」
「そう言ってるの……」
「そりゃまた……何と言ったらいいのか……」
「何も言わなくていいわよ……。ばか……」
好き。
霞が俺の事を、好き。
変な意味じゃない……ってのはいいとして、霞が、俺を、好き?
俺は今までの事を、霞とのことを思い出していた。
確かに、甘えてくることは多くなったように思うが、それはあくまでも愛美の代わりであったからだ。
「なによ……? 笑いたいなら笑いなさいよ……」
「いや……」
大げさに驚いているように見えるかもしれないが、それほどに、霞から好意を伝えられることに驚いているのだ。
霞をよく知っている。
だからこそ、驚いている。
俺の気持ちを察したのか、霞は続けた。
「驚くのも無理無いと思うわ……。確かに、私らしくないし……。一緒に暮らすって決めた時だって、私が自立するまでの関係だって思っていたし、それは変わらないって思ってたし……。あんたは愛美の代わりで……でも家族で……。けど、それは利益的な関係であって……深いものでなくて……」
霞は立ち上がると、じっと俺を見つめた。
まだほんのりと赤くなったその顔を見せながら。
「一方的だったのよ……。あんたは私を愛すけれど、私は愛さなかった……。それで十分だし、あんたもそれでいいと言ってくれた。でもね……最近ね……そう思えなくなってきたの……。自分でも良く分からないんだけど……気が付くと、あんたが喜びそうなことを探していたり、あんたに喜んでもらおうと、行動したりしていた……。鳳翔さんに料理を教えて貰ったのも……その一環よ……」
鳳翔との接点を持ちたい。
霞はそう言っていた。
だが、それは照れ隠しであったという訳か。
「あんたからだけじゃなく、私からもあんたを愛したいと思った……。あんたに笑っていてほしい……楽しんでいてほしいって……。その気持ちが「好き」なんだって……」
そう言い終えると、霞は俯き、俺の言葉を待った。
「霞……」
「…………」
「……まさか、お前からそんな言葉が出るなんて、お前から愛される日が来るなんて、思ってなかった。俺とお前の関係は、お前の言う通り、一方的で無条件なものであったはずだし、そうでなければいけないものだと思っていた……」
俺はしゃがみ込み、霞の目線を合わせて、手をとった。
「嬉しいよ……。本当に嬉しい。俺もお前が好きだ。もちろん、変な意味じゃなくてな」
そう言ってやると、霞は俺に抱き着いた。
「私も嬉しい……。受け入れてくれて……ありがとう……」
「ずっと受け入れていただろう」
「素直な私を……よ……」
そこには色んな意味が含まれていたが、それが何なのか、説明するのは野暮だろう。
「抱っこしてもいいか?」
俺の提案に、霞は少し驚いた後、恥ずかしそうに頷いた。
「よっと。相変わらず軽いな。もっと食った方がいいぜ」
「じゃあ……食べさせてよ……」
「よし、じゃあ、晩飯はいいもん食っていくか。それまでは時間あるし、さっき言ってた寺、行ってみるか?」
「寺に興味あるの?」
「別に寺じゃなくてもいい。お前と居れれば、どこでもいいよ」
「……ばっかみたい」
それから俺たちは、何をするでもなく、夕食まで時間を潰した。
会話は少なかったが、一緒に居ることを楽しんでいると言うように、繋がれた手が放されることはなかった。
結局、家に着くころにはすっかり夜中で、俺も霞もヘトヘトであった。
「あんた、大丈夫? 昨日も寝れなかったんでしょ?」
「まぁな……。でも、今日はゆっくり眠れそうだ。お前も今日はもう寝とけ」
「うん……」
そう言っても、霞は自室へと戻らなかった。
「どうした? もう居間の明かり消すぜ」
「……ねぇ、一つ……頼み事……いいかしら……」
「ん、なんだ?」
「その……あの……だから……」
霞は、先ほど見せた赤い顔を、再び見せた。
「なんだ、言ってみろよ。笑わないから」
「な、なんで笑えることだって前提なのよ!?」
「顔が赤いから、恥ずかしい事でも言うのだろうなってさ」
図星だったのか、霞は少し不機嫌そうな表情を見せた。
「それで? なんだ? 一緒に寝て欲しいとかか?」
「へぅ!?」
変な声。
動揺した瞳。
図星らしい。
「また急だな」
「……急じゃない」
「え?」
「ずっと……一緒に寝たいって……思ってた……」
そういや、愛美と一緒に寝ていただなんだと聞いたことがあったな。
「お前の素直ってのは、甘えん坊さんなところなんだな」
「……っ……そうよ! 悪い!? それに、今更でしょ!? 甘えん坊なところ、いっぱい見て来たじゃない!」
「いや、そうなんだが。案外裏表がないのかもしれないと思ってさ」
「どういう意味よ……」
「裏も表も、どっちも甘えん坊なのは変わりないんだなって事だ」
霞はそれに何か言おうと口を開いたが、何も言わないまま、口を噤んだ。
「言わないのか」
「自分でも分かってる事だし……」
「素直だな」
「……いいから。それで……どうなのよ……? 寝てくれるの……?」
「俺が駄目だって言わないのを知っていて聞くか」
「あんたは愛美と違って、察しが悪いから……」
「愛美はその辺り、気を遣える奴だったもんな。俺もお前が許可を取らなくていいよう、努力するよ」
「その姿勢はいいと思うけれど、別にいいわ……そのままで……。あんたはあんたなんだし……」
そう言うと、霞は「枕を持ってくる」と、自室へと向かっていった。
俺は俺でいい……か……。
何気ない言葉であったが、それは、俺という存在が、霞の中で「愛美の代わり」ではなくなったことを意味していた。
枕を持ってきた霞は、一緒に布団に入るや否や、すぐに眠ってしまった。
「ま、そうなるよな」
しかし、今日も今日とで色々あったな。
昨日も昨日だし……。
なんだか、ここに来て色んなことが押し寄せて来たと言うか……。
青葉の事、鈴谷の事、あきつ丸の事、霞の事……。
少し前まで最上の事であたふたしていたのが可愛いくらい、今は色んなことが起き過ぎている。
頭の整理が追い付かない。
「だがまあ……」
とにかく、とりあえず今考えなきゃいけない事は、明日の鈴谷とのディナーをどこで取るかということだな。
高い店がいいと言っていたが、俺自身、そんな店に世話になったことは無いしな……。
「いや……」
そう言えば、一回だけ、愛美といい店に行ったことがあったな。
「背伸びしなくても良かったのに」と、慣れないことをしてあたふたする俺を笑っていたっけか。
「愛美か……」
霞の寝顔を見つめる。
あきつ丸の話を聞き、今日一日接してみたが、やはりと言うか、霞の中に愛美の魂が無いだなんて、信じられなかった。
目で見た記憶は曖昧でも、俺との思い出だけは、ああもハッキリとしているものだから――。
「…………」
ハッキリと……。
『愛美は……そうなってしまったあんたにどうすれば良かったのか、未だに分からないって『言っていた』わ』
言っていた。
言っていた……って、なんだ?
言っていたということは、『聞いた』と言うことだ
愛美から聞いていた。
俺と愛美が出会ったのは、愛美が海軍を離れた後の事だ。
愛美から聞いた?
どういうことだ……?
「…………」
いや……『聞いた』は正しいのかもしれない。
間違っているのは『愛美から』という部分だ。
あきつ丸の言う通り、霞が愛美の魂を継承していると思い込まされ、俺と愛美との思い出を『聞かされた』のだとしたら――記憶を刷り込まされたのだとしたら……。
もしそうなのだとしたら、あきつ丸の言っていたことは……やはり……。
「だとしても……俺は……」
ふと、青葉の顔が浮かんだ。
あいつも、海軍が俺に何かを隠していると言っていた。
もしかしたら、あきつ丸の言っていたことの話であったのかもしれない。
青葉の妄想との関連は分からないけれども……。
「…………」
霞が愛美の魂を継承していようがしていまいが、どっちでもいい。
だが……やはり、はっきりさせておいた方がいいのかもしれない。
霧の中を進むよりも、俺は霞とはっきりとした未来を目指したい。
そう思った。
そう思ったからこそ、俺は全てを知っているであろう人物にメッセージを送って、その日は眠りについた。
翌朝。
目が覚めると、俺は霞の抱き枕になっていた。
起こしてやると、最初こそは飛び上がって驚いていたが、やがて目が覚めたのか、再び俺を抱き枕にした。
「普通、逆じゃないのか。目が覚めたのなら、さっさと起きてやるものだろう」
「甘えん坊なのよ、私は……」
「本当に素直になったんだな」
揶揄ったつもりであったが、霞は小さく頷き、しばらく離そうとはしなかった。
朝食を済ませると、携帯にメッセージが入った。
昨日送った相手からの返信で、昼頃に駅前のカフェで待ち合わせをすることとなった。
「さて……どうしたものか……」
というのも、霞は完全に甘えん坊モードが抜けていないようで、あれからべったりと引っ付いて離れずにいるのであった。
夕方は鈴谷とディナーだし、どうしたもんかな。
鈴谷との約束をした時は、まさかこんな事になるなんて、夢にも思わなかったしな……。
そんな事を考えていると、最上が家を訪ねて来た。
「おはよう先生。霞ちゃん」
「最上。お前、鈴谷と一緒じゃなかったのか?」
「ううん。旅館のレポートは鈴谷だけだから、ボクは先に帰って来たんだ」
「そうだったのか。それで、どうした?」
「どうしたっていうか……そっちこそどうしたのさ?」
俺にべったりしている霞を見て、最上は不思議そうにそう聞いた。
「そんなに甘えん坊な子だったっけ?」
最上がそう言っても、霞は構わないと言うようにして、さらに引っ付いて見せた。
「この通りだ。俺も不思議に思ってる」
「なんだか大変そうだね。先生、困ってるでしょ。鈴谷とのディナーがあるのに、霞ちゃんに引っ付かれてさ」
「知っていたのか」
「うん、鈴谷から聞いたんだ。先生の恋人の鈴谷からね」
そう言うと、最上は笑って見せた。
「そうか……」
「ちょっとなにさ、そんな顔して。ボクの事、可哀そうだと思ってる? 申し訳ないって」
俺が何も言えないでいると、最上は腕を組んで、怒っていると言うようにして、頬を膨らませて見せた。
そして、俺がさらに申し訳なさそうにしているのを見て、吹き出した。
「冗談だよ。ボクは鈴谷ほど魅力が無かった。ただそれだけさ。失恋しちゃったけど、辛くはないよ。なんてったって、ボクの好きな二人が結ばれたんだからさ」
「最上……」
「だから、そんな顔しないでよ。ボクは先生の友達であり、そして、先生の担当で、先生の弟子なんだからさ」
「フッ……弟子にした覚えはないがな」
「その意気だよ、先生」
最上の笑顔に、俺は救われる気持ちであった。
「さて、ボクがここに来た目的は、鈴谷とのディナーの予定がある先生に引っ付いている、そこのお嬢さんを連れ出すことさ」
「霞を?」
「だって、せっかくのディナーなんだし、二人っきりの方がいいでしょ? その間、霞ちゃんの面倒はボクが見ようってさ」
「そりゃありがたいが、やけに協力的だな」
そう言ってやると、最上は悪い笑い方をして見せた。
「言ったでしょ? ボクは先生の弟子だよ? 弟子は師匠の為に尽くすものさ」
それが何を意味しているのか、俺は理解した。
「脅しか? 卑怯だな」
「何も言ってないじゃないか」
「いや、卑怯だ。だったら、ここで俺が弟子にしないと言ったらどうするつもりだったんだ? 言ってみろよ」
「泣いてやるつもりだけど?」
「何故泣く?」
「何故だと思う?」
不毛なやり取りに、流石の霞も呆れたように俺から離れ、自室へと戻っていった。
「ボクは本気だよ、先生。卑怯だと言われても、ボクを恋人にしなかったことを盾にしてでも、先生に弟子入りするから」
最上の目は、本気であることを一切隠さなかった。
「……何故俺なんだ?」
「先生の作品が好きだからさ」
「全く売れない作品がか?」
「売れるのが全てじゃないさ」
それを言ったら、担当者失格な気もするがな。
「辛いぞ」
「知ってるよ。誰よりも先生を見て来たんだから」
「だったら分かるだろ」
「それでも、先生は止めなかったじゃないか」
「それは……」
俺は「お前が居たから」と言ってしまいそうになって、口を噤んだ。
「お願いします! ボクを弟子にしてください!」
そう言うと、最上は土下座して見せた。
「お、おい……」
「弟子にしてあげたら?」
声の方を向くと、外行きの格好をした霞が立っていた。
呆れて戻ったと思っていたが、着替えにいっていたのか。
「女の子がこんなに頼んでるのよ? あんた、それを突き返せる大人じゃないでしょ?」
そう言われ、確かにその通りだと思った。
そういや、土下座なんてもんは、初めて見たかもしれない。
「お願いします……」
……あまり気持ちのいいものではないな。
特に、最上は――。
「……顔を上げろ、最上」
最上はゆっくり顔を上げると、不安そうな目で俺を見た。
「もう一度言う。辛いぞ」
「うん……」
「俺よりももっといい先生は、世の中にたくさんいる」
「うん……」
「俺の元では、売れるものも売れないかもしれない」
「うん……」
「……それでも、俺の元でいいのか?」
返事はなかった。
だが、目が全てを物語っていた。
「……分かった。お前には負けたよ」
「じゃあ……!」
「あぁ。だが、弟子ってのは、やっぱり駄目だ」
「え……?」
「共に、売れる小説家を目指すパートナーとしてなら、一緒にやってやる」
「ど、どうして……? それだと、ボクと先生の立場が……」
「今までだってそうしてきたようなもんだ。お前は俺を支えてくれた。今度は俺がお前を支える番だ。師匠が弟子を支えるなんて、おかしいだろ。だから、平等だ」
そう笑ってやると、最上も小さく笑って見せた。
「優しいんだ、先生ってば……」
「知っていたことだろう?」
「ふふ、そうだったね」
二人して笑っていると、霞がムスッとした表情で、間に入って来た。
「おっと、妬いちゃったかな?」
「って言うか……あんたが最上を支えるなら、あんたが弟子って事になるんじゃないかしら?」
「あ、そうだね。じゃあ、先生が弟子って事で!」
「いや……まあ……それでも構わないが……」
困っている俺を見て、最上は嬉しそうに笑った。
「冗談だよ。先生ってば、そう言うところあるよね。まあ、そこが好きなんだけど。霞ちゃんもそうなんでしょ?」
霞はそれに返事をしなかった。
だが、否定もしなかった。
「でも、先生は鈴谷のものだから、そうでないボクたちはお出かけしましょうかね~」
そう言うと、最上は霞を連れて、外に出た。
霞が素直についてきたのは、気を遣ってくれたからなのだろう。
というか、外行きに着替えているという事は、そういう事なのだろう。
「じゃあね、先生。鈴谷と楽しんできて! あと、パートナーになったんだから、これからはちゃんとボクを支えてね!」
「あぁ、分かったよ。霞を頼む」
「うん! じゃあ!」
どこに行くのかは知らないが、二人で歩きだすと、何やら楽しそうに会話をしながら、駅の方へと向かっていった。
最上の気遣いもあり、少し早めにカフェに向かうと、そいつは既に座っていて、冷めたコーヒーを飲んでいた。
「待たせたようだな」
「いえ、早く着いてしまっただけです」
そう言うと、大淀は俺にメニューを渡した。
「奢りますよ」
「いいよ。俺が呼び出した訳だし」
「いえ、奢らせてください。まさか先生の方から連絡が来るなんて思ってなかったので、舞い上がっているんです。こんな私、今だけですよ?」
「そんなことで舞い上がるような奴だったっけかな」
「では、鈴谷さんと恋人になったお祝いって事でどうでしょう?」
「……流石、情報が早いな」
そう言ってやると、大淀は嬉しそうに笑って見せた。
しばらく雑談し、話題も尽きたところで、大淀は言った。
「それで、今日のご用件は何です? 直接会って話したい、だなんて。ドキドキしちゃいました」
「告白でもされるんじゃないかってか?」
「告白は私の方からするって決めているので」
「お前の場合、言わせるように仕向けそうなものだがな」
「場合によってはそうするかもしれません。もしかしたら、その術中にハマって、私を呼び出してしまったのかもしれませんよ?」
「だと良いがな」
冗談はない。
そう感じたのか、大淀は座りなおし、俺の言葉を待った。
「大淀」
「はい」
大淀の目が、俺を真剣に見つめた。
だが、俺の次の言葉で、その目は少しだけ、ほんの少しだけ変わったのを、俺は見逃さなかった。
「お前……いや……海軍は……俺に何か隠しているだろ?」
大淀はカップを手に取り、口に運んだ。
だがその中身は、ほんの数分前から、空であった。
大淀と会った後、鈴谷とのディナーまではまだ時間があったので自宅へと戻ってみると、家の前であきつ丸が立っていた。
「あ……勉さん。良かった。誰もいないから、これを置いて帰ろうと思っていたところなの」
そう言うと、あきつ丸は袋いっぱいの野菜を俺に持たせた。
「たくさんいただいちゃって……。勉さん、自分から進んで野菜食べる事、少なかったでしょう? だから、ちょうどいいかなって」
もはや、あきつ丸と呼んでいいのか、愛美と呼んでいいのか、今の俺には分からなかった。
それほどに、愛美がそこに立っているかのような錯覚に陥っていた。
大淀の件も、それを後押ししている。
結局、何もないとはぐらかされたが、やはりあれは――あの態度は――。
「……それだけ。じゃあ、行くわね……」
去ろうとする手を、俺は再び、昨日のように、掴んでしまった。
そして、同じく昨日のように、呼んでしまった。
「愛美……」
愛美は振り向き、俺の目をじっと見つめた。
吸い込まれそうな瞳。
今ではそれも、愛美の物にすら思えてくる。
「お前……本当に愛美なのか……?」
愛美は頷いて見せた。
だが、そっと俺の手を退けると、悲しい顔で言った。
「でも、勉さんが前に進むには、私が愛美でない方がいいのかもしれないわ……。愛美はもうこの世に居ない……。今の私は、立ち直ろうとしている勉さんの邪魔になってしまう存在……」
「そんなことは……」
長い沈黙が続く。
「……そろそろ行かないと」
「ま、待ってくれ……!」
「ごめんなさい……」
俺の呼びかけにも応じず、愛美は走って駅の方へと消えていった。
「愛美……!」
もはや、俺に疑う心は無かった。
「愛美……」
あきつ丸は、愛美だ。
――続く