物心ついた時から、【属性】というものが嫌いだった。
それは常に私を苛み、兄を苦しめてきた。
できることなら取り去ってしまいたいと何度考えたことか。たとえノンマンになってでも、今の繋がりを全て失ってでも、この運命の呪縛から逃れられるならそれでいいとさえ思ったこともある。
もしもヘレシィやカースドと縁があったなら、私は躊躇いなくその手を取っていたことだろう。
どうにか今まで耐えてこられたのは、ひとえに兄がいたからだ。【痛み】なんていう害しか生まない【属性】を生まれ持って、それでも私の前では笑っていた強い兄がいたからだ。
きっと私だって【痛み】の一因だったのに、私に当たり散らしたって何もおかしくなかったのに、そんな素振りはおくびにも出さずに笑いかけてくれた。その姿に私は救われ、同時に【属性】への憎悪は日に日に増していった。
そんな思いを神は嘲笑ったのか、それとも中途半端に聞き入れてしまったのか。
兄の運命は、唐突に何者かの手で塗り替えられた。
掴みどころのない人だ、というのがその人の第一印象だった。
エルメア・クリュシェーラ。行き倒れていた私を拾い、兄の救出への協力を申し出てくれた人。『旅行鳩』の二つ名はこんな辺境にも届いている―――というより、王都を避けて活動しているため却ってこの辺りの方が知名度は高いらしい。かなり閉鎖的な私の『里』でも耳にしたことがあったほどで、実際その実力は折り紙つきだ。
そんな彼女と行動をともにして十日ほど経つが、その間に巻き込まれた事件の数は二十六。その全てを飄々と片付けていくさまはどこまでも自然体で、百姓が畑を耕すのと何ら変わらないようにさえ思えたほどだ。
本人曰く『慣れの産物』とのことだが、確かにこんなペースで騒動に出くわせば慣れもするだろう。私も大概特異な人生を送っていると思うが、この人はまた違った方向に凄まじい。
その体質もまた【属性】の仕業―――正確には【
兄と同じように【属性】を入れ替えられるという奇妙な事件の被害者なのだそうで、かつては何もかも平凡だったというのだから驚きだ。今の彼女は、控えめに言っても非凡そのものなのだが。
同じく翻弄されてきた身としては、多少なりともシンパシーを覚えずにはいられない。
それはそれとして、十日である。私にとっては短いとは言いがたい時間を彼女とともにしてきたが、未だ兄を助け出すには至っていない。その理由は大別して三つある。
第一に、彼女のトラブル誘引体質。これはもう仕方ないと諦めがついた。差し引いて余りあるだけの実力があるのだからそれでいいだろう。
二つ目は、道中の安全を考慮して進行速度を多少抑えているためだ。
兄の異変―――【痛み】を感じなくなるという異常に、真っ先に気付いたのは本人と私だけ。埋め込まれた二つの【属性】が目に見える変化を及ぼすものでないことも、その片割れである【鑑定】によって判明している。
つまり、無茶な強行軍が必要なほど切迫した状況にはまだ陥っていない。だからといって焦りが消える訳ではないが、最悪なのは事を急いて失敗すること。それを防ぐための必要経費と割り切った。
そして最後の理由。単純な話、距離的に全速力で向かっても十日以上を要するのだ。
今日も今日とて、私たちは森の深奥にある私の故郷を目指していた。
往路に私が抜けてきた獣道とは別のルートだ。細心の注意を払ってなお頻繁に死に目に遭う彼女にとって、可能な限りの安全確保は大前提なのだそうだ。まあ、どのみち最終的には魔窟へ潜らなければならないのだが。
ともあれ迂回路を通って『里』へと向かっている訳なのだが、安全な道ということはそれなりに人通りがあるということでもあり。彼女が定期的に引き寄せる異常事態に、二次的に巻き込まれる人が出るのも必然といえた。
流石に放置するのも忍びなく、寄り道して助けに入ることかれこれ五回。六度目もまた同じようなトラブルだと思っていたが―――今回のそれは見るからに桁が違った。
視界一面を埋め尽くす魔物、魔物、魔物。どこからそんな数が湧いてきたのか、総数は優に三百を超えると思われた。
そして、その只中にちらりと見える馬車の幌。
「これは……流石にまずいかな。ちょっと行ってくるね」
「そうですね。私は大丈夫ですので、救助を済ませてしまってください」
個々の強さは中の下程度のものばかりだが、これほどの数だ。私たちの敵ではなくとも、巻き込まれたのが一般人なら到底対処は不可能だろう。
エルメアさんも同じ結論に至ったようで、一つ頷きを交わした後に
「私の出る幕はなさそうですね」
今までと比べて桁違いだからといって、それが私たちにとって難題であるとは限らない。
直後に現れた無数の風球を見てぽつりと呟き、早く彼女と合流するために私も駆け出した。
馬車の元へ到着する頃には、一帯の魔物は粗方狩り尽くされていた。というより、こちらに向かい始めた辺りで既に壊滅状態になっていたのだが。
中位魔法の無詠唱発動。それ自体は別に珍しくもないが、あれほどの数を同時展開するとなれば術式の規模はちょっとした儀式にも匹敵する。
それを事もなげに実行し、その上でさしたる消耗も見せていない。この十日間でわかっていたことだが、やはり彼女の実力は本物だ。
「あ、レヴィ。早かったね」
「はい、今着きましたけど……その人が?」
この場には私たちのほかに、もう一人女の人の姿がある。上流階級を思わせる身なりに肩までの銀髪、可愛らしいというより凛々しい顔立ちは性別を問わず見惚れそうな美しさだ。
状況からして救助対象と見て間違いないのだろうが―――何やら、エルメアさんとの間に名状しがたい空気が漂っている。曖昧な顔で見つめあう二人は、どうにも距離感を測りかねているように思えた。
「うん、まあそれは間違いないんだけど……」
珍しく心底困った様子で、彼女は私の問いにそう返した。
「知り合いだった」
「それじゃあ、お二人は十年来のお友達なんですね」
「まあ……そうなる、のかな?」
シャルロット・セリアリスと名乗ったその女性を加えて、私たちは宿へと向かっていた。
今日はこれ以上進むのは無理そうだった。時間もそうだが、ここから先は宿の一つもない本物の僻地だ。強力な魔物も多く、まともな休息を取れるのはこれが最後になるため、今日だけは早めに切り上げて休むことにしたのだ。
「『かな』って、そこは断言しなさいよ。それとも再会を喜んでいるのは私だけ?」
「そんなことはないんだけど……」
いつになく歯切れが悪い様子のエルメアさん。未だに言葉を交わすのに躊躇いがあるらしい。
むしろシャルロットさんこそ変化に戸惑う側かと思ったのだが、こちらは意外にもすぐに受け入れてしまったようだ。
「貴女の事情は、大体察したつもりよ」
「っ」
そう言って、シャルロットさんはエルメアさんの瞳を正面から見据えた。
「確かに貴女は変わったと思う。【属性】の影響なのでしょう?」
「……うん」
「それと、『旅行鳩』って貴女のことよね?」
「……………うん」
「やっぱり。……ラジュマめ、全部知っていたわね」
小さく何かを呟き眉をひそめたシャルロットさんだったが、すぐに顔を上げて再び口を開いた。
「私は貴女を探してここまで来たのよ」
「え?」
「正確には『旅行鳩』を、だけど。ここ最近増加している怪事件の手がかりとして、情報屋が名前を挙げたの」
「……………まさか」
息を呑む音が聴こえる。私もまた、一つの可能性に思い至って目を瞠った。
「属性替え。たぶん、貴女が最初の一人なのでしょうね」
エルメアさんと兄、そして間接的に私が共有する事件。そこにシャルロットさんまでもが加わったのは、気は進まないが運命の導きと表すべきだろうか。
犯人の目的は何なのか。そもそも何者なのか。わからないことばかりだが、私たちが思っていたよりもこの事件は根が深いのかもしれない。
そんなことより、まずは兄を助けるのが先決だが。
「まあ、貴女が『旅行鳩』だったのはある意味ありがたかったわ。名前だけポンと出されたから、敵か味方かもわからなかったんだもの」
その点貴女なら安心だしね、と続けるシャルロットさん。
「……でも、私はこんなに変わったんだよ?それなのに、昔と同じように私を信じられるの?」
恐る恐るといった様子で投げかけられた問い。彼女としてはそれこそが最大の鬼門だったのだろうが、相手にとってもそうであるとは限らない。
そう告げるように、シャルロットさんの答えは実にあっさりとしたものだった。
「まあ正直驚いたけれど。でも、さっき私を助けてくれたでしょう?」
それだけ。
単純で、簡潔で、この上なく明確な理由づけ。
「それは、巻き込んで放置じゃ寝覚めが悪かっただけで」
その言い分に対して返されたのは、くすくすという笑い声。怪訝そうな目を向けるエルメアさんだったが、次の台詞を耳にしてその顔から色が吹き飛んだ。
「ねえ、それってとても普通の考え方だと思わない?」
「―――――」
その瞬間、彼女は確実に一切の動きを止めていた。目も、口も、手足も、ひょっとしたら呼吸や脈拍さえ。
「私は好きよ、今の貴女も」
そっか、と。
微かに笑ったその顔には、今までよりもどこか温かみがあった。
最後の宿で一晩の休息をとり、私たちは改めて里を目指して出発した。
シャルロットさんも同行している。五年ぶりの再会だというし、まだまだ話し足りないこともあるのだろう。何であれ戦力が増えるのはありがたいので、もちろん断る理由はない。
道中は何事もなく進んでいった。いや、いつも通りトラブルには事欠かなかったのだが、シャルロットさんが加わったことで安定感が格段に向上したのだ。
長年の友人ならではなのだろう、連携を取れば五年の別離を感じさせない息の合いようを見せていた。加えて、エルメアさんがいつにも増して絶好調なのも大きい。単純な実力以上に、シャルロットさんが加わった恩恵は大きかった。
そうして、森へ入って四日目の昼過ぎ。森を行く私たちの前方に、ようやく目的地がその姿を現した。
生い茂っていた樹木が突如として途絶え、目の前には半径数キロに渡って平原が広がっている。それに囲まれるようにして、私の故郷は存在していた。
地名すら持たずただ『里』とだけ呼ばれるそこは、国にさえ認知されていない完全なる秘境。
外との仕切りは、申し訳程度に立てられた簡易な柵が一周しているのみ。たったそれだけの境界線を越えられないがために、そこは外界から隔絶されているのだ。
「上を見てください」
私の言葉に従って、二人が上空を見上げる。
「おおぅ、ありゃすごいね」
「あれが……!」
目を見開く二人の双眸に映る、透き通った巨大な何か。日光の屈折により辛うじて捉えることができる輪郭は、
「あれがこの森が魔窟とされる所以。『里』が秘境とされる最大の要因です」
ある者は畏敬を込めて、この地の守護龍だと宣った。ある者は憎悪を滾らせ、この檻の番人だと吐き捨てた。私としては、今は後者に賛同せざるを得ない。
この巨龍を突破するために、私には戦力が必要だったのだ。
あれは『里』を出入りする者を悉く焼き払う。その火力もさることながら、身体も攻撃も視認できない【透過】という非常に厄介な【属性】を持っている。そのため、『里』の中でも外との行き来ができたのは【隠密】や【秘匿】を持つ数名だけ。それとて毎回ギリギリの決死行だ。
私一人でなら抜けられる。往路で実証したように、勝てないまでもやり過ごすことは可能だった。
だが、兄を連れての脱出となると話は別だ。それを成すにはせめてもう一人、私と同等以上の実力者がいなければならなかったのだ。
「じゃ、やりますか」
「手筈通りでいいのね?」
確認を取る二人に頷きを返す。家の場所を知るのが私だけである以上、役割分担は決まっている。
「はい。五分、あれの足止めをお願いします」
「お任せあれ」
強者の風格を漂わせながら豪語する姿に底知れない頼もしさを感じる。……いや、本当は実力などより、頼れる人がいるという事実こそが重要だったのかもしれない。
二人の姿に背中を押され、改めて私も決意を固めた。
「行ってきます」
一歩、踏み込む。
地面を踏みしめる右足を通じて、三十キロにも満たない全体重を一点に集約させ―――直後、足元が爆裂すると同時に私の身体が矢のように射出された。
ただし、通常の矢と異なるのは一切の失速をしないという点だ。それどころか、道中の障害物を押しのけながら加速さえ見せている。
すなわち【収束】【循環】【増幅】【反射】の
通説によれば、人間がその身に宿せる【属性】は最大で五つ。
仮にそんな人間が見つかったとするならば、その稀少価値を求める者は後を絶たないだろう。
だから、私は。
だから、兄は。
「っ!」
龍が、天空より飛来する。
一直線に襲い来るその怪物の前に、
鍔迫り合いは一瞬。白銀は押し負けて後方へ吹き飛び、無貌は刃に
そうして生まれた一瞬で、私はこの戦場を置き去りにしなければならない。
「もっと、もっと速く……!」
風を
後方で放たれた
この後に及んで、嫌だからと出し惜しみなどしていられない。
神が憎い。【属性】が憎い。そして、それに頼りきっている自分自身が何より憎い。
知恵を
戦いにしてもそうだ。四つの【属性】が奇跡的に噛み合ったからこそ私は強者の側にいるが、一つ一つの練度はそう大したものじゃない。身体能力も年相応、魔法や呪術を扱える訳でもない。
結局は【属性】頼み。さんざん忌み嫌ってきた力に全てを預けなければ、私は舞台に上がることすら許されない。
それでも。
兄を助けるためならば、そんな懊悩は些事と切り捨てよう。
「今、迎えに行くから……!」
二十六日。それだけの間、ただひたすらに無事を祈っていた。
家で待つだろう兄の許へと、私は全速力で疾駆した。