それは、筆舌に尽くしがたい高揚とともに僕の身体を蝕んだ。
それは、ある種の虚脱感さえ伴って僕の身体から消え去った。
それは、きっと僕という人間をどうしようもなく狂わせた。
理解することに意味はなく、納得することに意義はない。
唾棄することに理由はなく、恐怖することに果てはない。
抱えるには大きすぎて、投げ捨てるには重すぎる。
共に歩むには深すぎて、訣別するには近すぎる。
そして僕は、それをどうしても嫌うことができなかった。
僕の生まれ持った【属性】は、ありとあらゆる艱難辛苦を一手に引き受けるものだった。
周囲には【痛み】と説明していたが、実態はやや異なる。今は亡き両親と『里』の長老、それに【鑑定】持ちの神父だけが僕の秘密の共有者だった。
【贄】。それが僕に宿った運命の持つ真の名だ。
供物。生贄。人柱。どのような言い回しをするにせよ、この世に生まれ落ちた瞬間にこの身は『里』に捧げられた。
単なる悪習と切り捨てるのは早計だ。それが【属性】である以上、性質に則った効果は確実に現れる。僕一人に苦難を集中させることで、誰かに降りかかる災禍は確かに減らせるのだ。
だから、もとより拒絶の意思は薄かった。運命そのものといえる【属性】から、真っ当な手段で逃げ果せることは不可能だったというのもある。
幼い妹を遺して両親が死んだとき、僕の決意は完全に固まった。
妹は四つの【属性】を重ね持つ天才として生を受けた。それが【贄】の働きによるものかといえば微妙なところではある。絶大な才を宿しはしたが、それが本人にとって幸運かと問われれば否定せざるを得ないからだ。
ただし、『里』にとっては紛れもなく希望の光だった。何と言っても、あの
世界にも数えるほどしかいないであろうカルテットであり、なおかつ全ての【属性】が噛み合った妹は掛け値なしに強かった。今年十歳になるまでさしたる鍛錬も積まずして、既に『里』で最強の座に就いていることからもその才覚が窺い知れる。
そんな称号は、【属性】を嫌っていた妹からすれば何ら嬉しくはなかっただろうが。
妹は閉鎖的な子だった。同年代の子供と遊ぶことなどほとんどなく、まともに話すのは僕とせいぜい神父くらいのものだ。
天才故に周囲を見下していた訳ではない。あの子は憎んでいたのだ。無責任な期待を押しつける『里』の人間たちも、その元凶たるかの巨龍も、運命などというレールを敷いた世界そのものも、それに流されるしかない自分自身も。
その憎しみの一端に、僕の境遇があることも察していた。それでも僕は自分の役割に納得していたし、この献身がいずれ妹にも幸福をもたらすと信じて疑わなかった。
だというのに、当然のごとく。
だからこそ、完膚なきまでに。
長い雨が降り止んだ、二十六日前の朝。
目覚めると同時に、僕は自分の顔面を全力で殴りつけた。
己の身に起きた『それ』を自覚することは容易かった。
正直、その時の取り乱しようは無様極まるものだっただろう。根底にあったのは底知れない恐怖。他の一切に目を向ける余地もなく、ただひたすらに役目を失ったことへの恐怖ばかりが迫り上がってくる。
自身の存在価値を根こそぎ否定されたから、というだけではない。【属性】を失ったということは、その反動―――
その事実こそが、僕という存在を根底から脅かす。これまでに僕が請け負ってきたものを鑑みれば、どれほどの惨劇が
そのうえ、僕の身に起きた異変はまだ他にもあった。失っただけでは飽き足らず、新たに二つの【属性】が宿っているという不可思議な事態に陥っていたのだ。
一つはこの異変を察知した【鑑定】。遅かれ早かれ気づくこととはいえ、最悪のタイミングで精神に追い討ちをかけられたため心証はやや悪い。
もう一つは【還元】。これは諸刃の剣ながら、僕に最後の光明を見せた。
希望を見出し、微かに平静を取り戻した頭で思考する。
実のところ、【属性】を奪われたこと自体はそこまで問題ではない。その程度のことで僕を虐げ、妹の不興を買うなんて馬鹿らしい真似はしないだろう。
問題はそれが【贄】だったことであり、またその事実を公表できないこと。そんなことをすれば、災禍の訪れを待つまでもなく妹の手で『里』が滅びかねない。
何とかする必要があった。
方策は二つ。【属性】を取り戻すか、僕がここを出るか。そもそも犯人が『里』に残っているとも限らない以上、採る選択肢は決まっているようなものだった。
そうなれば、これから取るべき行動も自ずと定まってくる。まずは長老に事情を明かし、協力を取りつけるところからだ。普段は自室に籠っており滅多なことでは顔を見せないが、今回の件は流石に無視できないだろう。その後は神父も呼んで対応を話し合い、纏まり次第行動に移るというのが仮の方針となりそうだ。
ところで。
平時ならば簡単に予想できたことだが、それほどまでに僕は心を乱していたということなのだろう。
あの妹がこれほどあからさまな異変に気づかないはずがないという単純な事実に、僕はついぞ思い至ることができなかった。
ここで待っていてください、とだけ言い残して、妹は援軍を得るために『里』を飛び出していった。
理由は異なれど『里』を離れるのは賛成なので、真相を語らぬままに送り出したが―――僕の出奔にあの子がついてきてしまっては、結局何の意味もない。
真実を知らない妹にしてみれば、僕が属性替えに遭った事実さえ知れ渡らなければこの一件は解決なのだろう。新たな【属性】も別段問題のあるものではなく、わざわざ取り戻す必要性など微塵も感じていないはずだ。
だが僕は、何としても【贄】を再びこの身に戻したかった。それこそが妹に、『里』に、僕が示せる最上の親愛であると信じているから。
無論、そのために妹や他の誰かを犠牲にしたのでは意味がない。そこを履き違えれば、僕の行いは自己満足にすらなり得ないと理解している。
ならば取り得る手段は一つ。
だが悲しいかな、僕の実力という一点においてその方法は破綻する。元凶に辿り着く以前に、まず外界を隔てる
あの妹でさえ、一人では難しいと考えたからこそ助勢を求めに向かったのだ。凡才かつ戦闘に不向き、それも手にして間もない【属性】で挑むなど論外に決まっている。
精神論などに頼らず、あくまで合理的かつ効率的に。そうでなければ僕の目的は果たせない。
すなわち妹の帰りを待つのが現状では最善だ。頼るのは心苦しいが、単独で突破する手段がない以上は致し方ない。その償いはいずれするとして、今は何より力が必要なのだ。
長らく『里』を離れるのなら、その前にやっておくべきことがある。
「兄さん!」
稲妻もかくやという勢いで飛来する妹の姿を認めた途端、心のどこかで徒波が凪ぐのを感じた。
「よかった……!本当に、ほんとうに、無事で良かった……‼︎」
「レヴィこそ、無事に戻ってきてくれて安心したよ。それが何より大事なことだ」
一抹の罪悪感を押し隠しつつも、その言葉に偽りはない。その前提が崩れてしまえば、これからの行い全てが無価値となって水泡に帰すことを忘れてはならない。
それを理解しながら苦境へと連れ込もうというのだから、我ながら馬鹿な真似をしていると思う。それでも僕の目的のためには必要なことで、だからこそ躊躇はしても遠慮するつもりはない。
「さあ、早く出ましょう。今、外でお二人が足止めしてくれていて―――」
「レヴィ」
急かす妹を呼び止める。
「こんな状況で無茶な頼みだとはわかっているけど、どうか聞いてほしい」
「……なんですか?」
怪訝な声音と不安を孕んだ瞳が、内心の焦燥を克明に映し出す。あの妹にこんな表情をさせるとは、巡り会えた協力者はよほど良い人物だったのだろうか。
そんな恩人ともども目的のために利用する気でいる僕に、何を言うだけの権利もありはしないが。
「あの