その睦の起動試験は、数度にわたって失敗した。
さて、次は・・
次の日。
秘書艦の仕事を榛名に任せ、鳳翔は睦を伴って、鎮守府内の弓道場にやってきた。
既に射場では、蒼龍と飛龍の二人が弓を射っていた。
静かな、物音ひとつしない道場で、二人の所作の音だけがしていた。
弦を引く音、射る音、矢が風を切る音、的に的中する音・・
それ以外は聞こえてこない。
その道場に鳳翔は睦を連れてきた。
「わぁ。 ここに入るのは初めてだよ。」
と目をらんらんと開いて道場内を見渡す睦。
「ここは、空母娘しか来ないから、睦ちゃんも来たことないわね。」
と、フフフッと笑っていた。
一通りの所作を終えた飛龍が二人に気付いた。
「あ、お母様! おはようございます。 あら、睦ちゃんじゃない。 珍しいわね。」
「飛龍ちゃんも精が出るわね。」
「はい。 毎日やらないと、感覚が鈍ってしまって。」
と、テヘッと舌を出していた。
「おはようございます。 お母様。」
「蒼龍ちゃんも、おはようございます。」
「今日は、どんな用事で?」
「フフフ。 私もたまには弓を引かないと、と思って。 睦ちゃんはここで座っててくれるかしら。」
そう言って、弓と矢を数本持って射場に立った。
左手に弓を、右手に矢を持ち、目を閉じて呼吸を整えていた。
一礼して弓を射る体制に入った。
矢を番え、上段から弓を引きながら下していく。
矢いっぱいに引かれる。
鳳翔の意識が的に向かう。
そして・・弓から矢が放たれる。
シャッっと空気を裂く音がしたと思うと、ターーンっと矢が的に当たる音が響いた。
しかも、真ん中に的中だった。
続けて二射目。
先ほどと同じように弓が引かれていく。
弓から矢が放たれる。
シャッっと空気を裂く音がしたと思うと、ターーンっと矢が的に当たる音がまた響いた。
しかも、寸分のずれもなく、一射目の隣に的中だった。
一礼をして体制を崩して、息を吐いた。
「フーー」
っと。
「さすが、お母様! 見事的中です!」
「やはり、お母様には敵いませんねぇ。」
「フフフッ。 ありがとう。」
「お母さん、すごい! 二本とも命中だよ!」
睦は、目の前で射られた矢が的中するところ見たのだ。
驚くのは無理もない。
見学の時は、もっと離れているから、迫力は満点だった。
鳳翔は、床に座っている睦の傍にやってきて座った。
「私たち、空母艦娘の中でも、弓を扱う者は、こうやって弓道を身につける事で精神を鍛えていくの。 矢を艦載機と見立ててね。弓道に於ける立居振舞、心構えなんかが、私たちには合っていたのよ。 ただ闇雲に弓を引いているんじゃない、心の眼で的を見るの。 そして全身全霊を込めて矢を放つの。
繰り返し鍛錬することで、どんな状況でも的に向けて矢を放てるように。」
「お母さん・・」
「睦ちゃんに同じことをして欲しいとは思わないわ。 でも、私たちがやっている事を知ってほしいの。 空母を扱う私たちの事を少しでも知ってほしいの。 睦ちゃんが苦しんでいるのは分かっているわ。 この弓道が、心得が役に立つのなら、睦ちゃんに役立ててほしいの。」
「お母さん・・ ありがとう。 うん、やってみるよ。 私なりに、私の方法で。」
「期待しているわ。」
鳳翔が微笑んで答える。
そこへ、飛龍と蒼龍も、
「私たちも期待しているわよ、睦ちゃん。」
「そうよ、期待しているわ。 お母様のためにも、赤ちゃんのためにもね。 頑張ってね。」
「ありがとう。 飛龍さん、蒼龍さん。 へへへっ。 私、頑張るよ!」
そう誓う睦の目には光るものがあった。
◇
午後になって、睦は鳳翔と共に、空母・鳳翔の艦橋へとやってきた。
艦橋には、既に秦が来ていた。
「やぁ。 来たかい。」
「あ、あなた。 来てらしたんですか。」
「ああ。 ちょっと前にね。」
そう言って秦は鳳翔の手を取って微笑んだ。
鳳翔も微笑み返す。
その二人を見ていた睦が・・・ 呆れていた・・。
コホン! と咳払いをワザとらしくして、
「さぁ、始めよっかなぁ。」
と、これもワザとらしく言った睦だった。
秦と鳳翔は、そんなことでは驚かなくなっていた。
逆に、
「ん? どうしたの?」
と聞くくらいに、ごく普通の返事をしてくるのだった。
この点においては、二人は進歩したのだろう・・。
「そ、それじゃぁ、精神同調を始めようか。」
秦の掛け声で、艦娘席に睦が座った。
「それじゃぁ、始めるね。」
と言って、深呼吸を一つしてから目を閉じた。
(艦体、同調・・)
前回とは違って、睦の表情は落ち着いているようだった。
目を閉じてはいるが、その顔は微笑んでいるように見えた。
(睦ちゃん、落ち着いて。)
しばらく無言の時間が流れた。
そして・・
睦の目が開かれると・・
「ん! 艦体、異常認めず! 機関、始動!」
と声を出した。
すると、足元から微かな振動音がしてきた。
「! お、おおぉぉ!」
秦は、久しぶりに感じる、空母・鳳翔の機関音だ。
「よーし、始動確認!」
睦が鳳翔と秦を見た。
「お母さん、出来たよ!」
と笑っていた。
「よ、よし! 良くやったぞ、睦!」
「睦ちゃん、上出来よ!」
二人に褒められて、喜ぶ睦。
「へへへっ。 やったよ!」
そして、
「じゃぁ、試験航海と行こうか。」
と秦が指示を促す。
「了解! 空母・鳳翔、舫解け! 錨、上げぇ!」
舫が解かれ、錨が巻き上げられる。
巻き上げが完了すると、
「よし、空母・鳳翔、ただいまより、試験航海に出る! 江田島を廻って伊予灘へ向かう。 前進、微速。」
と秦が再び指示を出す。
「了解。 前進、微速。 進路は、江田島を廻って、伊予灘へ。」
睦が操る空母・鳳翔が海を裂いて動き出した。
徐々に速度が増していく。
「いいわよ。 睦ちゃん、その調子よ。」
8ノットまで増速して進む。
似島の南を抜け、大黒神島の脇を抜けて更に南下し、伊予灘へと抜けて行った。
その先では、朝霜、皐月、卯月、弥生が艦体運動の訓練をしていた。
そこへ、空母・鳳翔が合流する。
「皆、ご苦労様。 空母・鳳翔、只今到着だ。」
「お! 睦ちゃん、動いたんだね。」
「皆、お待たせ!」
第一対潜駆逐艦隊、久しぶりの揃い踏みとなった。
伊予灘で少しばかりの艦隊運動訓練を行った後、五艦は呉へと戻って行った。
帰りは、早瀬大橋をくぐって。
◇
その日の夜、夕食は賑やかなものだった。
睦の精神同調もでき、新たな筋道が出来た事に、皆の眼がキラキラとしているようだった。
「しばらくは、鳳翔が立ち会って、睦の試験航海を、近海で行う事にするからね。」
【了解!】
と皆の返事は元気なものだった。
「あ、そうそう。 高速戦艦・榛名の改装も終わりそうだから、終わったら、新編成の艦隊として訓練に入るから、そのつもりで。」
「戦艦付きかぁ、どんな艦隊運用になるのかな?」
そう聞いてくるのは朝霜だったが、
「ボクは、そう大きくは変わらないと思うけどな。」
そう言うのは皐月だった。
「そうかい?」
とまだ疑問に思う朝霜らだった。
「ははは。 今から心配しなくてもいいよ。 ま、その時にはちゃんと教えるからさ。」
「頼むよ、父さん。」
しばらくして就寝の時間となり、秦と鳳翔は寝室にいた。
鳳翔が机に、お酒の瓶とグラスを置いた。
「今日は、少しくらいならいいでしょう。」
「そうだな。 でも、大丈夫なのか、お腹は?」
「ですから、一杯だけです。」
そう言って、グラスに注ぐ。
持って来たのは、広島三次産のブドウを使った、ほんのり赤い色したロゼワインだった。
「綺麗なピンク色なワインだね。」
「こういう時の為に、っていう訳ではないんですが、綺麗な色だったので、買ってみました。」
秦の前にグラスを置いて、
「今日は、睦ちゃんの初の精神同調が出来た事へのお祝いです。」
と。
「分かった。 それじゃ・・」
「「乾杯。」」
とグラスを合わせる。
一口飲んでみると、口の中に、ほのかに甘いブドウの香りが広がる。
「うん、いいワインだね。 美味しいね。 さすがは鳳翔、いいセンスしてるよ。」
「ふふふ。 ありがとうございます。」
鳳翔も一口飲んで、ニコリとする。
「うぅーん、いいですねぇ、このワイン。」
根っからの酒飲みな二人なのである。
「最近は体調はどう? 悪阻が酷いようには見えないんだけど。」
「ええ。 一時期は酷かったですが、最近は落ち着いてきた、と言いますか、そんなに以前のような酷さはありませんねぇ。」
「そうか。 それなら良かった。」
グラスのワインを飲み干すと、二人してベッドに入った。
上半身を起こした状態の秦に、鳳翔がもたれかかっていた。
「しばらくは、艦を操ることはないね。」
「はい。 睦ちゃんに任せるしかありません。」
「船に乗れなくて、寂しい?」
「・・そうですね。 ちょっと寂しいですね。 でも・・」
「でも?」
「こうやって、お腹の子と一緒に、あなたに抱かれているのも、悪くないです。」
「そうか。」
秦はそう言うと、鳳翔の身体を抱きしめた。
胸に顔を埋める鳳翔の頭に、軽く口づけをする。
それに気づいた鳳翔が顔を上げてきた。
目を閉じて・・。
今度は二人の唇が重なっていた。
唇が離れると、秦は二人の身体に掛け布団を掛けた。
そして・・抱き合ったまま、眠りに就く二人であった。