IDLE D@YS   作:MUMU

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第二話

 

 

 

山手線に揺られつつ、僕はやはりさっきの女の子のことを考えずにはいられなかった。

あの秋葉原の中ですら異彩を放つその存在感。挙措ににじみ出る育ちのよさ。そしてぱっと人目を引く大きな目と、若さを象徴するように大きく開け放たれた額。

誰かに似ている、と僕は思う。そしてようやく気づいた。釘宮伊織は「THE IDOLM@STER」の登場人物の一人、水瀬伊織にそっくりなのだ。

 

ゲームの中の伊織は13歳だし、アニメ絵のキャラと実際の人間が本当の意味で瓜二つになるわけがないが、確かに大きな目とか、気の強そうなところとか、存在感を誇示する大きな額とかが符合している。そういえば水瀬伊織の方もお嬢様だったんじゃないか?

家に帰ったら、ニコニコ動画で伊織のMADでも見てみようか、それとも買ってきたゲームの封をといてさっそく生の伊織を見てみるかなどと思いつつ電車を乗り換え、僕は背中のザックの重量を感じながらずっと窓の外を見ていた。

 

我が家の最寄り駅は秋葉原から25分。ビルが少なくなって空も開けてきたが、まだ東京の喧騒は残っている。僕はふうと息をつく。

 

駅舎を出て、直上より降り注ぐ太陽の光を浴びたかと思うやいなや、肩に強い衝撃を受ける。

 

「うわっ」

 

誰かがぶつかってきた? 咄嗟に背中のザックを気にする。

 

「キミ! そいつを捕まえて!」

 

ハスキーな声。かなり遠くから聞こえてくる。誰を? ああ、いま僕にぶつかってきたやつをか。

でも、バランスを崩して転びそうな人間にそんなことを言ってはいけない。体の制動を取ることに意識が向けられているせいで、命令に素直に従ってしまうから。

よろめき、地面に倒れそうになりながら、僕は反射的にその男の服を握ってしまった。

左のコメカミに強い衝撃、意識が頭蓋骨からはみ出しそうになる。思い切り殴られた、しかもかなりグッドなポイントを。

地面に何かが散らばる。カード類、サイフとその中身の小銭。メモ帳とボールペン。SUICAのカード。何かのカギと印籠の形をしたキーホルダー。USB接続のメモリースティック。

 

「……っ!」

 

男かと思ったが、髪の長い、ハンチングを深くかぶった若い女だ。若い女の引ったくりとは珍しい。どうやら手に持っていたウエストポーチのようなもので殴ったらしく、殴った弾みで中身がこぼれたポーチをその場に投げ捨て、女は逃走した。

 

「キミ! 大丈夫?!」

 

大慌てで近寄ってくるその人物は、短めの黒髪に切れ長の目と、バランスのいい位置にある小鼻が印象的な、かなりの美青年だった。ジャージの上下という姿がじつに動きやすそうだ。

僕の背中に手を回して助け起こすと、ズボンの裾をはたいてくれる。

 

「殴られたろう? ケガはない?」

 

言われて、ようやく頭部に鈍痛がやってくる。血が出ていないかどうか確認。とりあえず外傷はなさそう。

 

「大丈夫……みたい」立ち上がる。まだ少しくらくらする。

「いやあ、助かったよ。ボクともあろうものが引ったくりにあうとはね」

「引ったくり……ああ、そうそう、色々こぼれたけど、何か大事なものとか無くなってないかな?」

 

と、地面に散らばってしまったものを一緒に拾い集める。ウエストポーチにはごちゃごちゃといっぱい入っていたようで、全部拾い集めてみるとポーチはパンパンになっていた。

 

「うん、何もなくなってない。本当にありがとう」

 

と言って笑う。実に魅力的な笑顔だ、こちらをまっすぐに見つめる目と、凛々しく引き結ばれた口元を崩さずに、気高さを保ったまま笑う。元・宝塚月組トップスターの涼風真世がこんな笑顔だったろうか。生涯かけて身につけたいスキルのひとつだと思う。

僕は口を開く。

 

「なくなったものが無くて良かったよ。それに、引ったくりに殴られたのが君のほうじゃなくて良かった」

「ふうん?」

 

と、その美青年はちょっと不思議そうな顔をする。

 

「どうしてそんな風に思うのかな?」

「え? だって、女の子なんだし、顔を殴られたら一大事じゃないか」

 

へえ! と、その子は大げさに驚いてみせた。実に見事なハスキーボイスだ、僕と同じぐらいの年だろうにまったく濁りの無い硬質な音である。この中世的な外見にこの声の取り合わせは、そこに何らかの神の配剤を感じずにはいられない。

 

「ボクが女の子だって良く分かったね。いやあ、会う人みんなに男と間違えられてるんで、もう初対面の人には男として振る舞ってるのに」

 

僕は少し考えて、なるべく平然とした顔を装って言った。

 

「何言ってるんだよ、見ればすぐに女の子だって分かるさ」

 

すると、その子の頬にさっと朱が差す。

 

「そ、そうかな? あはは、そ、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

よし、やはりこの答え方で良かったと脳内ガッツポーズ。

 

「ボクは青葉真、君は?」

 

僕も自分の名を名乗った。

まさか目の前の真が、アイドルマスターに出てくる菊池真によく似てるので女だと分かった、とは言えない。

 

「何かお礼がしたいなあ。あ、そうだ、これ」

 

真はポーチの中をがさごそと探り、中から短冊形のチケットを抜き出す。

 

「これ、僕のステージのチケット、よかったら彼女でも誘って遊びに来てよ」

 

チケットは二枚。ダンスパフォーマンスイベント、とある。

 

「ダンス?」

「そ、池袋の小さなステージだけどね。月イチでやってるイベント……ボクのチーム以外にも何組か出るけど、ボクらが一応メインみたいな形なんだよ。あ、お店は18歳未満立ち入り禁止だけど、キミ大丈夫だよね?」

もちろん、と答えると、真はそいつはよかった! と言ってまた笑った。

その後しばらく言葉を交わして後、真はじゃあまた会おうね、と言って去っていく。ダンスをやっているせいか、男性のように広くてしっかりした背中をしている……と感想を述べたらたぶん落ち込むだろう。

 

それにしても、似ている。

「THE IDOLM@STER」の登場人物。菊池真に印象がだぶる。

もちろんまったくの瓜二つではない。細かな違いをたくさん挙げることは出来る。ああいうボーイッシュな女性を見る機会があまり無かったので、誰も彼も菊池真に見えるだけかも知れない。

 

どちらにしても、あの生命力の塊のような姿。枯れた腕の老人にすらも若き日々を思い出させるような、まさに青葉茂れるような笑顔。その鮮烈な印象は、僕の脳裏に焼きついたまま長い間消えることは無かった。

 

 

 

 

秋葉原まで遠征してようやく自宅に戻ってくると、すぐさま手足を投げ出して寝そべりたくなるような安堵に捕らわれる。あの街は遊園地のコーヒーカップに似ている。中でぐるぐるかき回されているうちは楽しいが、離れればどっと疲弊する。

 

安アパートの二階、八畳一間のワンルームマンションも、まだ荷物が少ないためにその広さを持て余している。ザックからXbox360を取り出して、配線をモデムに繋ぎ、ネット認証を済ませる。コントローラーがワイヤレスなことに驚いたりしながら、一応のスタンバイが終了するまでたっぷり1時間。

さすがに30センチ×25センチ×8センチのこの機体はでかい。いきなり君臨したそのモンスターは、新生活セールでまとめ買いした電化製品を押しのけ、いきなり部屋の重心となってしまった。なんという堂々たるたたずまい。さあ俺は何をやればいい? ワン・テラFLOPSの浮動小数点演算力に不可能はないぜ?

 

早速「THE IDOLM@STER」を起動させる。画面が暗転。黒字の背景に一行ずつ浮かんでいく言葉。

 

 

 

    「アイドル」

 

     それは

 

  女の子達の永遠のあこがれ

 

 だがアイドルの頂点に立てるのは

 

ただ、一組……

 

 

 

 

「ふむ……」

 

ふつふつと湧き上がってくる期待。考えてみれば僕はこのゲームについてほとんど何も知らない。アイドルたちの歌や踊りを見ることがゲームの目的であることは間違いないと思うが、そこへ至るまでにどのようなゲーム的な関門が待ち構えているのか想像もつかない。

 

僕の分身である新人プロデューサーが、765プロダクションなる事務所の前にたどり着いた時。アパートの薄い壁がわずかに振動した。

 

コンマ千分の2秒ほど遅れて陽気な歌声が僕を通り過ぎて部屋全体にびりびりと広がる。

カラオケである。薄い壁の向こうから明るい歌声が、南国の風を思わせる突き抜けた陽気さの歌声が、広末涼子の「大スキ!」を歌っている。

 

その声を聞いた瞬間、僕は不思議な感慨を感じた。またしても大いなる偶然。二度亀を踏んだ日はもう一匹ぐらい踏む。ノリノリで紡がれる幸せそうな歌詞。

画面に目を戻す。ナムコプロダクションの高木社長が、所属アイドルの誰をプロデュースするのか聞いている。さて誰にしようかと、それぞれのプロフィールに目を通していく。

横からものすごい歌声。

 

「……」

 

壁一面が大きなスピーカーになったよう。単に声の大きさというだけでなく、聞くものの注意をそちらに引きつけるような歌声だ。サビの部分のテンションを無視することなどインドの修行僧にだって無理だろう。

僕はゆっくりと腰を上げ、玄関を出て隣の部屋へ行った。確か、大家さんは隣の部屋に住む人物を陽気で愛想のいい子とプラス評価し。少し騒々しくて調子がいい子、とのマイナス評価をした。その両者は同じ意味のような気もする。

 

インターホンを鳴らす。ややあって中から扉が開かれた。

僕は呟く。

 

「やっぱり……」

「ほえ? どなたさま、なの?」

 

ドアを押したままの中腰の姿勢から、僕を見上げる無垢な色の瞳。グロスをまぶした艶のある唇と、見るものに油断をもたらす気の抜けた表情。背中を流れ落ちるゴールドブラウンの髪。毛髪の総量が多いためか、もともと癖っ毛なのか、金色の滝には飛沫が散るように外ハネの部分が生まれている。

 

似ている。

「THE IDOLM@STER」が家庭用に移植された際の追加キャラであり、新主人公。星井美希に。

 

「えっと、僕は隣に越してきた……」

 

名を名乗り、カラオケの音が少しばかり大きすぎたことを伝える。その子は僕の言葉を理解したのかどうなのか、クジラが空を飛んでるのを見たときみたいな表情をして、五秒後に急にぱっ、と笑顔になって両手を打ち合わせる。

 

「ああ! 引っ越してきたお隣さんってあなたのことね。美希、バイトとか学校とかで忙しくてなかなか挨拶できなかったなあ、ごめんね、なの」

 

この子とコミュニケートするのは大変そうだぞと一秒で理解し、僕は内心気合を入れる。

 

「あのですね、カラオケの」「コーヒー淹れるからどうぞ」

 

部屋の奥へと消えてしまう。

これは高等テクニックだ。天性のセンスがなければできないペースの握り方だ。というか、僕はすでに逆転不可能なんじゃないだろうか。

 

壁にはディズニーのポスター。オレンジと黄色で配色されたカーペット。部屋の片隅にある書き物机にはサンリオのステッカーが貼られている。折りたたみ式のベッドのそばにはハンディカラオケが転がっていた。

若草色のクッションに尻を乗せてあぐらをかき、やたらに甘いコーヒーを胃に流しこむ。

 

「おいしい??」

「ま、まあね」

 

部屋の位置関係を説明しておくと、僕の部屋は202号室。この部屋は201号室である。この部屋の主は長谷川美希、専門学校入りたての一年生。僕と同じ十八歳らしい。ここに越してきたのは一ヶ月ほど前で、学業の傍らコンビニでバイトをしているそうだ。

 

「それでね、店長ってばヒドイの、レジのお金が50円足りないって、美希にそれを出させるんだもん、さいてーよね」

「そ、そうだね」

 

実に感動的なほど甘ったるい声である。仕草も、表情も、どれも声の腰がぐにゃぐにゃに砕けており、眠くてたまらない猫を連想させる。

僕は作戦を練る。何となく、ここで主導権を握っておかないと、このマイペースなお隣さんが僕を日常的にマイペースな混乱に落とし込み、マイペースに迷惑をこうむったりマイペースに実害を受けたりしそうな気がする。

そんな風に頭で作戦を練っている時点ですでに勝ち目ゼロなのだが、それはあまり認めたくない。

 

「あのね、長谷川さん」

「やーん、美希って呼んで欲しいな」

「……カラオケの声がね、ちょっと気になってね、できればもう少しボリュームを下げてくれるとありがたいんだけど」

 

僕が引っ越してくる前は202号室は無人だったわけで、つまり美希の歌を壁越しに浴びる者もいなかったわけだ。

だからこそ彼女もあんなに力いっぱい歌えたのだろう。

 

「気になった……って、美希の歌、そんなに絶望的にへたくそだった?」

 

うつむき、視線を床に落とし、口に手を当てて悲しげに頭を揺らす。天然自然は常に人工物の五倍の価値を持つ。計算した仕草でないからこそ、その悲哀の態度は完璧だった。逆らいがたかった。

 

「あー、えっと……そうじゃなくて」「嘘、美希の歌って下手なんでしょ、聞きぐるしーんでしょ、正直に言ってくれていいんだよ」

「そ、そんなことはないけど、歌はまあ上手だったよ」

 

美希は瞳だけを滑らせてこちらを見、「ほんと?」と言った。ああ違う、そうじゃない、何なんだこの流れはクソっ。

 

「美希ね、声優の専門学校に通ってるの。だからボイトレを兼ねての歌の練習は欠かせないんだよ」

「へえ、声優ね、確かにいい声してるものね……」

 

でもね、と、そこでまた視線を少し沈める。

 

「美希あんまり練習とかやりたくないの。カラオケは好きだけどね。口をいいーって指で広げて歌ったり、ものっすごく高い声を1分ぐらい出し続けたり。疲れるしさ、かっこ悪いよね。で、先生にそう言ったの」

 

言ったんかい。

 

「先生ってば困った顔してたけどね、じゃあカラオケでもいいから、とにかくたくさん歌いなさいって」

 

アバウトな指導である。というより、どうも彼女は特別扱いされているのではなかろうか? 確かに天使のビジュアルと天国の声。そしてこのゆるい性格。ビシビシ鍛えるより、大草原でおおらかに育てた方が伸びるのは誰でも分かる。

 

「まだまだ自分で納得できるほどうまく歌えないけど、きっとすぐ上手になると思うの。美希って才能あるんだもん」

「そ、そうなんだ」

「お隣さんが応援してくれてると思うと、きっと頑張れると思うな。これからよろしく、なの」

 

上半身全部を使うような圧倒的な笑顔と共に右手を差し出してくる。僕はその手をとって握手を交わした。誰か答えて欲しい、僕は彼女を応援するだなんて口走っただろうか?

うん、口走ったかもしれない。もうあまり自分の記憶にも自信が持てない。

 

ああもう、どうにでもなれ。

 

 

 

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